K-ReaD( Kokugakuin University Researcher’s Achievement)

井上 明芳
文学部 日本文学科
教授
Last Updated :2021/06/30

研究者基本情報

氏名

  • 氏名

    井上 明芳, イノウエ アキヨシ

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連絡先

  • 連絡先

    a_inoue[at]kokugakuin.ac.jp

所属・職名

  • 文学部 日本文学科, 教授

学位

  • 2014年03月, 博士(文学), 國學院大學, 文乙第269号

本学就任年月日

  • 2011年04月01日

研究分野

  • 日本近現代文学
  • 日本近現代文学

研究活動

論文

  • 多和田葉子「捨てない女」の構造的読解 -断片の集積-, 井上明芳, 國學院大學「教育学研究室紀要」, 第55号, 51, 60, 2021年02月20日, 國學院大學教育学研究室
  • 横光利一と小林秀雄 -創(きず)あるいは創(はじ)まりとしての接点-, 井上明芳, 横光利一研究, 第18号, 8, 22, 2020年03月17日, 横光利一文学会, 本論は、横光利一文学会令和2年度研究集会で行われたシンポジウム「横光利一と小林秀雄」で基調発表した内容に基づいている。その際の質疑応答を踏まえ、大幅に改稿した内容となっている。この二人の文学者を接続させたとき、横光利一から小林秀雄への言及が大変少ないことに気づく。それを重視し、横光が小林を「高邁な批評家」という単一な評価のままに受け止めていたことを論じた。その要因として横光の言語表現の方法を見出している。さらに最終的には「夜の靴」という虚構の言語空間で小林を受け止めている横光を指摘し、横光像という虚構を作った小林を虚構で受け止めたと結んだ。
  • 森敦『意味の変容』論への前哨 -論理・感覚・時間-, 井上明芳, 森敦文学研究 neo〈境界〉思考, 55, 62, 2020年02月28日, 國學院大學, 本論は、令和2年度國學院大學特別推進研究(國特推助第108号)の助成を受けた研究「森敦文学の文化資源としての可能性をめぐる総合的研究」による研究論文である。これまで進めてきた森敦文学研究の理論的な側面である「意味の変容」の理論を深く掘り下げた。そのために、新潟県弥彦に調査にいき、現地調査から見出しえる境界の思考を探り、これに従来の蓄積である山形県庄内地方の調査結果を合わせて考察した。「意味の変容」に見出しえる平面的な論理に時間が見出し得ることを指摘し、「意味の変容」の可能性を開いている。
  • 叙事としての新感覚派横光利一文学, 井上明芳, 東アジア文化研究, 第5号, 1, 13, 2020年02月20日, 國學院大學大学院文学研究科, 本論は、國學院大學大学院文学研究科と中国南開大学とで行っている学術交流「院生フォーラム」にて、講演した内容に基づいている。日本近代文学の叙事という点に文学史的に着眼し、新感覚派の表現を叙事の歴史においてとらえた。特に横光利一の言語表現は、心理や心情を表すよりも、言語そのものが機能するという点で叙事的であるということを明らかにしている。
  • 森敦文学の〈地〉と〈図〉, 井上明芳, 日本文学論究, 第79冊, 2020年03月20日, 國學院大學國文学会, 本論は、國學院大學國文学会令和元年11月に行われた大会のシンポジウム「日本文学と〈地図〉」で基調講演をした内容に基づいている。これまでの森敦文学研究に基づいて、作品の舞台と実際の地の実地調査から、特に「月山」と「かての花」を中心に論じている。これらは文学理論「意味の変容」の中の境界という概念をめぐって考えると、境界に達することのない「月山」と達する「かての花」の違いが指摘できる。それは現地調査によって明らかである。これらからフィクションとリアリティの境界的な文学が森敦文学であると見ることができる。
  • 安倍公房「棒」の構造的読解 -タイトル「棒」に気をつけて-, 井上明芳, 國學院大學『教育学研究室紀要』, 第54号, 69, 78, 2020年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 安倍公房「棒」について、教材論的観点から、現行の指導案を批判的に検討し、作品構造の読みを提案した論である。タイトルは「棒」でありながら、内容では「私」が棒になる点で、言語芸術のシュールレアリスム的な読解が指導案ではめざされているのだが、しかし、「棒」という意味をこれでは解読ができない。それゆえに作中の表現を分析し、棒は棒に過ぎないことを指摘し、かつそれはタイトルで既に示されていたことを明らかにした。そこから価値を付与しない物語として読解し得るテクストであることを導いている。
  • 〈上郷〉は文化資源からコンテンツへ -鶴岡市上郷地区の横光利一顕彰から-, 井上明芳, 横光利一研究, 第17号, 2019年03月02日, 横光利一文学会, 本論は、特集「文化資源(コンテンツ)としての文学」を活かし、横光利一「夜の靴」とその舞台である山形県鶴岡市上郷地区での横光利一顕彰について論じた論である。上郷地区では、「夜の靴」の舞台として、その調査を行い、横光研究に寄与してきた。情報を提供し、新発見の草稿なども翻刻公開してきた。しかし、これは持続可能性に乏しい。むしろ、コンテンツとして活かしていくためには、「夜の靴」の描く風景と実際の風景との違いから、言葉によって描かれる言語風景を見出していくことが重要となるであろう。言語風景〈上郷〉は上郷地区というこの地でありながらも、虚構性を帯びているため、ここではないとも言い得る。ここだけれども、ここではない地が実際に上郷地区を訪れることで確認ができる。いわば「夜の靴」は、上郷地区にとって単なる情報発信をするための作品から、上郷地区を改めて考える作品へと変容しているのである。それが上郷地区の文化資源であり、今後活かされるべきコンテンツとして捉えられるのである。
  • 森敦文学のレファレンス機能 -小説・エッセイ・年譜の相関関係-, 井上明芳, 國學院雑誌, 第120巻, 第2号, 35, 51, 2019年02月15日, 國學院大學, 本論は、特集「図書館と書物の世界」に相応しい内容として執筆した論である。図書館学的な発想として、レファレンスの機能があるが、それが文学研究にも指摘ができることを試みている。具体的には森敦文学の生成的状態に視点を定めた。森敦文学は、森敦自身の人生上の体験と作品が相互に関連している。というのは、森敦の年譜自体が森敦のエッセイによって作られているため、多分に虚構性を帯びている、したがって作品の読解が年譜に、年譜の理解が作品にという相互性を強く持っているのである。しかも小説作品が年譜的な事項の参照を強く要請し、同時にエッセイがその内容を語るのである。一方で参照される年譜はエッセイや小説作品を参照しているため、この相互性は、読み取ろうとする内容を他の文脈で見出していくことになる。ここにレファレンスの機能が働いていることを見出している。
  • 表象される吹浦 -森敦「意味の変容」を機能させる地-, 井上明芳, 解釈, 第65巻, 第1・2号, 25, 34, 2019年02月01日, 解釈学会, 森敦文学にとって、山形県の吹浦という地の重要性を論じた論である。その重要性は、この地が森敦自身が実際に滞在した地であり、この地を舞台に作品を書いていることが挙げられる。また、森敦文学にとって重要な文学理論「意味の変容」の理論が活かされる地でもある。森敦の実人生上、この地は妻と過ごした地であるが、作品では妻を失う地として表象されている。そこに内部/外部・境界の理論を見出すことができることを指摘し、さらに「意味の変容」中の近傍/域外の理論も見出している。いわば、森敦の実体験は理論的に文学作品へと変容していると捉えられる。吹浦はその表象の地なのである。
  • 角田光代「ランドセル」の構造的読解 −パッケージとしての語り−, 井上明芳, 國學院大學『教育学研究室紀要』, 第53号, 73, 84, 2019年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 角田光代「ランドセル」について、現行の指導案を批判的に捉えながら、構造的に分析し、国語教育の観点から、教材論として新しい読みを提案した論である。読み取られるべき物語がパッケージ化されていることを把握し、「私」のここではないどこかを期待する思いから、ここしかないという点を認める読みを展開している。
  • 小川洋子「ハキリアリ」の構造的読解―回送を見送る―, 井上 明芳, 國學院大學「教育学研究室紀要」, 第52号, 2018年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 高等学校国語科教材として取り上げられている小川洋子「ハキリアリ」について、構造的な読解を試みた論である。現在行われている本テクストの指導内容を踏まえて、表現を注視しながら、構造的に見出し得る語りの在り方を論じた。「ハキリアリ」は『人質の朗読会』に収録され、語りの主導的な役割をしている。語られるハキリアリの葉を運ぶ整然とした姿は、そのまま人質たちの朗読の順に擬えることができる。しかも、「ハキリアリ」の語り手は人質たちの朗読について、感慨や批評を述べることなく、ただただ読み手に送り届ける。それはそでに語り手がそれらの朗読を聞き届けた態度でもあった。したがって、朗読はただ回送され、読み手に届くと捉え得ることができる。届けるべき意味や意義に言及することのない語り手の語りは、自らの行為だけでなく朗読それ自体をもただ読み手に渡してくる。そういう役割を見出し得るならば、見送りの態度であり、「ハキリアリ」は回送を見送るテクストなのであると結論づけた。
  • 森敦「われ逝くもののごとく」の特性―物語を語り、体験する―, 井上 明芳, 解釈, 第64巻, 第1・2号, 2018年02月01日, 解釈学会, 森敦「われ逝くもののごとく」に見出し得る語りの特性に着眼して論じた論である。本論の立論にあたっては、2017年12月に開催した森敦研究―物語を〈体験する〉(科研費基盤研究(C)No.16K02417)に基づいている。「われ逝くもののごとく」は、冒頭から物語舞台である庄内平野を実風景と虚構の風景として描き出す。これは森敦の文学理論「意味の変容」の内部/外部・境界線の理論の体現と捉えることができる。それによって自らが語る言葉で描き出した風景に、語り手自体が入り込むことを可能にする。ここに物語を単に語るのではなく、語りつつ体験するという特性を見出すことができる。したがって、語る一行一行は今そこにいることを意味し、目の前に風景が広がっていると言い得る。これが可能であったからこそ、後半「わたし」が登場し、それまでの語り手という装置が実体化を帯びるのである。その「わたし」は語られた虚構の風景を体験する。言い換えれば、「わたし」という個別的な体験がなければ、その風景はどこまでも虚構に過ぎない。(概要の続きは備考欄へ)
  • 教材としての吉本ばなな「みどりのゆび」の構造分析―経験される物語―, 井上 明芳, 國學院大學 教育学研究室紀要, 第51号, 2017年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 高等学校国語科の「現代文A」に収録されている吉本ばなな「みどりのゆび」について、過去回想形式という構造を中心に論じた論である。本作品は、現在→過去→現在という時間構成であり、現在回想されることで過去が〈過去〉として認識されている点を指摘し、「私」が生きていく現在に、かつて言われた祖母の言葉を「遺言」として認識していることを見出した。そこから、過去を語る回想の形式は、現在生きている意味を認識することであるということを論究している。
  • 森敦「鳥海山」論―読みがたさの生成―, 井上 明芳, 解釈, 通巻694集, 2017年02月01日, 解釈学会, 森敦「鳥海山」について、その舞台である山形県庄内平野の現地調査の結果に基づいて、構造的に論じた論である。単行本『鳥海山』は5つの短篇(「初真桑」「鷗」「光陰」「かての花」「天上の眺め」)から成っている。それぞれ執筆時期も異なり、また何度も書き換えられてきている。また舞台も吹浦、弥彦、尾鷲であり、統一的な場がない。これらを踏まえると『鳥海山』を指向していないことがはっきりする。つまり、『鳥海山』は、別の物語である5つの短篇から成っており、「鳥海山」という作品はないのである。にもかかわず、『鳥海山』という一書が成立している。ここに森敦の文学理論『意味の変容』の内部/外部・境界線を見ることができる。すなわち、内部として5つの短篇を集合させる。内部ができるということはそのまま外部が在ることを意味する。「鳥海山」は外部として生成される読みがたい物語なのである。それは現地に行くと、鳥海山は見えるが、庄内平野の北限の境界に位置してことからも実感される。鳥海山は外部の山であり、見えるが描かれることの山なのである。それが構造的にも見出せることを論じている。
  • 森敦『私家版 聊斎志異』論―引かれた斜線―, 井上 明芳, 國學院雑誌, 第118巻, 第1号, 2017年01月15日, 國學院大學, 森敦『私家版 聊斎志異』について、生成論的な立場から本作品の構造を討究した論である。森敦が『私家版 聊斎志異』を発表するにあたり、実際に使用していた『聊斎志異』(平凡社刊)を、森富子氏のご好意により調査ができた。その結果として、森敦が採録した話には、すべて斜線が引かれていたことが最大の特徴であった。見た目としては採らない話として抹消されているかのようであった。それは『聊斎志異』からは抹消し、物語の文脈から外す。外した話を今度は『私家版』として新しく形成する。つまり斜線は、『私家版』としての文脈を形成する抹消痕となっているのである。原典と『私家版』とが内部/外部の関係性を有していると見ることができる。森敦の文学理論はここにも実現されていることを論証した。
  • 森敦文学の境界的思考, 井上 明芳, 図書, 第807号, 2016年05月01日, 岩波書店, 森敦文学の特質について論じた論である。森敦には生涯を貫いて思索された文学理論があり、最終的には『意味の変容』としてまとめられた。それは、内部/外部・境界線という概念を使って時空間を捉え、小説の構造として構築される理論である。この理論の実現が、森敦の代表作「月山」や「われ逝くもののごとく」に構造的に見ることができる。また、その執筆の過程について調査した結果からも論証することができ、山形県庄内平野の実地踏査でも確認することができた。つまり『意味の変容』は、森敦文学の執筆過程、現地調査、小説構造のすべてに実現されていたのである。
  • 教材としての志賀直哉「城の崎にて」の構造分析, 井上 明芳, 國學院大學 教育学研究室紀要, 第50号, 2016年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 高等学校国語科の教科書に安定的に収録されている志賀直哉「城の崎にて」について、構造的な分析を行った論である。語る「自分」/語られる「自分」という語りの構造的な基盤に注目し、現在語っているという点を重視した。それによって、語られる内容の順番が重要であることを指摘し、蜂からねずみ、イモリへと移っていく展開の必然的な意味を見出した。それは山手線に跳ねられて怪我をした「自分」には、死んでいたかもしれないという不安がつきまとう。それが蜂からイモリへの展開によって、それぞれの意味を有して明らかになる。と同時に、いまここに生きていることの実感も得られたからこそ、城の崎〈にて〉という題名になっている。従来、生死をめぐる随筆風な小説と捉えられてきたが、構造的に見れば、論理性を有して描かれていることを明らかにした。
  • 村上春樹「鏡」の構造的読解 −日常/非日常の「恐怖」−, 井上 明芳, 國學院大學「教育学研究室紀要」, 第49号, 2015年02月10日, 國學院大學教育学研究室, 村上春樹「鏡」について、教材としての観点から、作品を構造的な分析を試みた論である。「僕」の語り方に注目し、「恐怖」がパターン化されている点を指摘した上で、日常/非日常の相対的なところに「恐怖」が語られていることを見出した。したがって、「僕」が語る「恐怖」は〈鏡〉による自己との向き合いではあったが、それは「僕」自身が非日常を抱え込んでしまっていることを意味し、日常/非日常の境界上に「僕」が存在していることを示唆する。つまり、「僕」の語る「恐怖」は自身と向き合う非日常性に基づいていると結論付けた。
  • 恩田陸「ピクニックの準備」の構造的把握 ―「期待」される物語―, 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 第48号, 2014年02月10日, 國學院大學文学部教育学研究室, 恩田陸「ピクニックの準備」は高等学校の国語教材として取り上げられている。融や貴子、「私」の三人の視点から語られる物語は、明日の「ピクニック」を多角的に見せる。それは同時に、唯一の物語がないことを意味している。この語りの在り方は、次のテクストである「夜のピクニック」への期待として表れる。だが、それでは「ピクニックの準備」を読んだことにはならない。次のテクストへの期待ではなく、貴子や融が語ったこと/語らなかったことを明確にすれば、無用なことを語らない期待が見いだせる構造を有していると論じた。
  • 横光利一「純粋小説論」の〈境界〉性, 井上 明芳, 日本文学論究, 第73冊, 2014年03月20日, 國學院大學国文学会, 横光利一「純粋小説論」の文体に着目して論じた論である。従来横光研究では、「純粋小説論」の論的内容とどの小説で実践されたかという論点で、この評論は論じられており、その論じ方すなわち文体については論じられることは少なかった。本論は「純粋小説論」が前に書いたことに即応しつつ進行する文体に着眼し、そこに局面性を見出している。それは「機械」の文体と相似形をなしており、語る「私」が語ったことで「私」をその文脈に取り込んで行く様は、「純粋小説論」にも指摘できると論じた。
  • 間テクスト性の試み −横光利一「夜の靴」と森敦「月山」−, 井上 明芳, 解釈, 679集, 2014年08月01日, 解釈学会, 横光利一「夜の靴」と森敦「月山」の間テクスト性を論じた論である。「夜の靴」と「月山」は同質の構造を有している。「夜の靴」が西羽黒を、「月山」が東羽黒をそれぞれ物語舞台の素材としながらも、その歴史性を虚構化し、語りの現在時を顕在化させる。しかも「月山」は「夜の靴」が虚構化した部分を虚構のレベルで補足しながら、「夜の靴」テクストを取り込んでいく。この二作は単に相似的な比較が可能なのではなく、構造的な接続が可能なテクストであると結論付けた。
  • 「小林秀雄の出発―初期作品から『様々なる意匠』へ―」, 阿部正路編『日本文学の伝統と創造』, 1993年06月01日, 教育出版センター, 小林秀雄の初期作品から批評家になる過程を、自意識という概念を中心に論じた論である。小林の文学的な出発は小説を書くことにあり、「蛸の自殺」をはじめ、そこに描かれていたのは自意識をいかに処するかという問題である。この自意識との格闘を通じて、「私」を描くという小説言語にとどまっていることはできず、「私」が「私」を見るという言語を獲得したことを見いだした。この己れが己れを見るという近代的な視点を描くことに、小説を書くことができなくなり、近代的な批評というジャンルを必然的に創始したと見ることができる。つまり、対象を見る「私」を意識するという自意識を指摘できるのであり、小林が近代批評の確立者と呼ばれる所以の一端を明らかにしている。
  • 「小林秀雄と正宗白鳥―「思想と実生活」論争、その語られなかったこと―」, 『國學院大學大学院文学研究科論集』, 第21号, 1994年03月01日, 「思想と実生活」論叢で小林が白鳥に敗北したと見ている従来の研究に対して疑義を提示した論である。小林は最晩年白鳥を「正宗白鳥の作に就いて」で取り上げ、この論争は同様のことを別々に言っていただけだと言う。それに導かれて言えば、この論争に敗北などはなく、あるのは筆舌に尽くし難い「心の真なる姿」である。白鳥はそれを「一つの秘密」と言ったが、小林も白鳥もその心の秘密を直覚したのではないかと考察し、両者の同一性を論究した。つまり、小林も白鳥も思想も実生活も実在する人間の根源的な表れと捉えていたのである。文学史的な視点では問題化してこない隠れた論点を指摘することで、この論争の価値を問い直した。
  • 「小林秀雄「私小説論」の問題―生きて在るということあるいはリアリティ―」, 『國學院大學大学院紀要(文学研究科)』, 第27輯, 1996年03月01日, 小林の「私小説論」が、いわゆる露悪的に私生活を描く小説ではなく、アンドレ・ジイドの「贋金作り」を論の中心に据えていることに注目し、作家と小説の関係性を明らかにした論である。なぜ小説を書くのかという問題には、作家の私が「私」で在ろうとすることが内包されていると論究し、それは人の生きて在ることに根ざす問題であることを示した。すなわち「私小説」とは作家の生きて在るリアルな顕れであり、だから小林は論の末尾にフローベールの「マダム・ボヴァリイは私だ」という言葉を引用したのである。つまり、小説は作家にとって、つねに「私」として存在するということであり、そこには「私」を作り出すという人間にとって根源的な問題があることを指摘して結んだ。
  • 「小林秀雄「Xへの手紙」論―手紙という〈間〉―」, 『日本文学論究』, 第56冊, 1997年03月01日, 「Xへの手紙」の特徴が手紙という形式と「君」への語りかけとにあることを確認しながら、なぜそれらが選ばれているかについて考察した。手紙は一方的な言説であり、「俺」は「君」を解説し定義づけながら語りかける。これは「君」が「俺」にとって理想的な読者であることを意味し、そのように定立していると読解できると考察した。それは「俺」の「余計者」としての存立の条件であること、その存立のための条件としての不可欠な語りかけであったことを論じて、「余計者の言葉」の意味を見出した。その上で、「俺」の言葉が届く「君」との関係性を〈間〉として捉えることで、それがあるからこそ「俺」は「断じて生きねばならぬ」ということが可能になることを論じている。
  • 「〈折口信夫の詩〉論への前哨―萩原朔太郎との比較から―, 阿部正路ゼミナール編『折口信夫研究』, 1998年11月01日, 本論は、折口信夫の詩について、存在論的な論究を試みた論である。具体的にハイデガーの「詩作は思索である」という視点から、比較として萩原朔太郎の「遺伝」を取り上げ、折口の「近代悲傷集」の特徴を論じている。萩原の詩には言語によるいわゆる全体性的な存在の感覚を見いだせるのに対して、折口の詩には、言語による感覚の整序とも言うべき問題が見いだせる。つまり、折口の詩には、存在の言語化よりも一存在としての感覚を重視する傾向が見いだせる。萩原の『詩の原理』が存在論的な近代性を有しているのとは対照的に、折口の詩的言語は、西欧の影響下にはない、日本語の独自性を有して近代化した言語だと言えるのではないかという指摘を試みている。
  • 「小林秀雄「様々なる意匠」論―批評という「事件」―」, 井上謙編『近代文学の多様性』, 1998年12月01日, 翰林書房, 小林が「様々なる意匠」の中で使う「事件」という言葉を手がかりに、小林批評の独自性を見いだした論である。「宿命」をキーワードに従来論じられてきた「様々なる意匠」は、しかし本来「宿命」は表現できないからこそ意味があることを指摘し、むしろそれを先送りする言説に脱構築性が見いだせることを示した。そして小林自身が自らの言葉で脱構築されることで、批評の対象が読者に引き渡し得ること、さらに読者は小林と対象作品が遭遇する現場を、まさしく「事件」として、見てしまう当事者になってしまうことも同時に明らかにした。ポストモダン的な論究ではあるが、もともと小林の批評言説に備わる傾向として、小林自身の言説のみで立証し得ることを示唆している。
  • 「小林秀雄「川端康成」論―川端康成の〈個性〉をめぐって―, 『解釈』, 532・533集, 1999年08月01日, 小林の川端康成について言及した評論の特徴について論じた論である。小林はあくまでも作品を通じて川端の作家像を語ろうとし、交友から語ろうとはしない。それは川端の〈個性〉が作品にしか表れていないからである。そこに作品は作家の原因であり、作家は作品の結果に過ぎないという逆説的な命題を指摘できる。作品に描かれる川端の〈個性〉を小林は「十六歳の日記」に見出される「憧憬」に見ており、川端はそれに恐れを抱いているとする。ここに〈宿命〉を追究する小林の批評を重ね、言葉で描くことに対する作家の根源的な恐れを究明できる。小林は川端の作家像を俗な見方から解放し、〈憧憬〉を描こうとする才能を背負った点で〈個性〉に生きる作家として捉えたと結論した。
  • 「小林秀雄の中国体験―批評への小林の確信について―」, 盛邦和・井上聰主編『東亜学研究』, 2000年07月01日, 学林出版社, 中国語に翻訳されて発表した論であり、日中間の文化理解を目的としている。中国へ実際に行った文学者の中から小林秀雄を取り上げた。小林は昭和13年から19年にかけて5回中国へ渡っており、その時の印象を書き残している。戦時下の戦意高揚の文章が多い時代にありながら、小林はあくまでも個人的な感想に終始している点を特徴として提示した。それは主義に基づいて見るということに信用を「様々なる意匠」以来置かない小林の自覚的な態度であることを論じ、中国においてもその態度が貫けたことによって、自らの批評のあり方に確信が持てたと論じた。つまり、小林の中国という異国の体験は、見聞にとどまらず、批評家としての確信を得ることとして実ったのである。
  • 「芥川龍之介「羅生門」論―研究と授業論との狭間からの問題提起―」, 『解釈』, 550・551集, 2001年02月01日, 芥川龍之介「羅生門」は、高等学校一年生の国語の教材として、長く教科書に収録されてきた。そこから学ぶ内容はエゴイズムであったり悪が悪を許す論理であったりといったテーマばかりである。本論はそれに問題提起をしている。構造的には、「羅生門」研究で言及される「作者」という語り手が物語を語っている。それをしっかりと踏まえて読解すると、下人や老婆は「作者」にとっは了解不可能な他者である。「作者」は他者を推測する他ない以上、物語内には解釈された他者しかいない。しかし他者は他者であるために、最終的には「作者」の語る物語を逸脱してしまう。「作者」は他者の物語化に挫折してしまうという点を構造的に指摘し、それをこそ読むべき問題ではないかと提起した。
  • 「横光利一「上海」論―分類された物語―, 『國學院雑誌』, 第103巻11号, 2002年11月01日, 國學院大學, 従来「上海」論において、題名の名付けられ方に言及されたことがなかったので、それを「上海」受容史の観点から論じた論である。横光は改造社の山本実彦宛の書簡の中で、上海ともどこともつかない都市として描くつもりだと書いていた。実際「上海」には上海という都市名は出てこない。しかし、その企図したことは読み取られることがなく、発表当時から「上海」と呼ばれ、横光もそれを認めざるを得なかった。つまり都市上海を描く小説として読まれる過程に読者の参加が認められるのである。それはまさしく読者という他者が集まるという意味で都市を形成する。「上海」はそうした構造を有していると論じ、都市が誰のものでもないように、登場人物の物語は完結しないと結論した。
  • 「論横光利一的《上海》―典型的都市小説―」, 『新東亜文明与現代化』, 2003年03月01日, 中国語に翻訳された論文である。論としては、都市小説として成立している条件を中心に論じている。登場人物の物語がどれ一つとして完結しないのは、都市そのものの持つ流動性に依拠し、それは「上海」冒頭からはっきりと表れていることを指摘した。逆に完結しないからこそ生まれる流動的な要素の絡まり合いによって、他者と他者が行き交う場となって都市を形成する。人と人が出会うことに生じる関係性はまさに性質そのものであり、こうした物質としては決して目に見えないものこそが、都市を形成すると言えるのであるならば、「上海」が言葉で書かれていることはまさに目に見えない意味によって都市上海として形象化する最大の要素であると論じた。
  • 「小林秀雄『無常といふ事』論への前哨―転換の意味、回帰したこと―」, 『國學院雑誌』, 第105巻11号, 2004年11月01日, 國學院大學, 『無常といふ事』に備わる根底的な問題を論じることを試みた論である。戦時下に書かれた「無常といふ事」をはじめとする随筆は、一見時流に背を向けて古典回帰をしているように見えるが、小林は時勢に対して組み換わる覚悟を決めて対抗していく様子に言及した。それが「国語という大河」への回帰となって表れるが、決して国粋主義的な行いではなく、伝統という日に新たに更新していかねばならないことを自覚したのである。組み換わる覚悟は当然「私」個人の責任に基づき、そのために選ばれた伝統の自覚もまた「私」の言葉によっている。つまり、転換と回帰は、戦時下の小林にとって必然的な意味を有しているのである。なお転換と回帰は「國學院雑誌」の特集のテーマに拠っている。
  • 「横光利一「機械」論―語ることの原理へ―」, 『國學院雑誌』, 第106巻1号, 2005年01月01日, 國學院大學, 「機械」の構造について論じた論である。従来分けられることのなかった物語内容・物語言説・物語行為をできる限り厳密に区別しながら、語り手「私」の描き出すネームプレート工場の物語を見出している。この物語は過去の出来事によってできているのだが、局面的に生成されるため、実は過去それ自体ではなく、語りの現在においてはじめて出来することを明かにし、それは語るということに原理的に備わっている。そしてこの原理によって、語り手「私」自体も存在させられるという構造的な問題を立証した。ゆえに、最終的に屋敷という人物の死を語る言葉が「私」自体を殺人者として疑わしめてしまうという自己言及的な様相を呈してくることを論じ、語ることの原理について言及した。
  • 「太宰治「走れメロス」論―見覚えのない物語―」, 『解釈』, 610・611集, 2006年02月01日, 井上明芳・前嶋深雪, 前嶋深雪氏との共同研究による論である。中学校の国語教育で定番ともいうべき「走れメロス」は、そのテーマが「信実と友情」となっているが、構造的な読解ではむしろそれは見た目上のものでしかないことを明かにした。共同討議を通じて、見覚えのない犠牲の物語が構造的に読み取れることを立証し、相互の文章を検討した上で論文化した。教育に限らず太宰治研究においても「走れメロス」は「信実と友情」の物語として論じられる傾向にあるが、その見た目上の輝かしい内容は、実は読み取ることを意識さえしない犠牲の上に成り立っている。この指摘によって、最終場面の少女が捧げるマントの意味や「勇者は、赤面した」が、犠牲性を帯びていると新しく解釈可能であることを示した。
  • 「太宰治「走れメロス」の授業論の試み―構造の理解によってはじまる授業―」, 『解釈』, 614・615集, 2006年06月01日, 井上明芳・前嶋深雪, 論文「太宰治「走れメロス」論―見覚えのない物語―」を踏まえて、授業論としていかに展開できるかを前嶋深雪氏と共同で討議した論である。実際に海城高等学校国語科の次重文博教諭が「走れメロス」の授業で行ったプリントを活用させていただき、ストーリーを読む授業から構造的な読解へ具体的に展開した。テーマに基づいてストーリーを追うだけならば、生徒たちはすでに可能であり、「信実と友情」が逆に軽んじられる傾向がある。しかし、構造的に把握できる犠牲の物語には気づかない。そこで授業としては、王様とメロスの「約束」を機能させ、それに捧げられる親友セリヌンティウスを読解させることで犠牲に気づかせる。こうすることで「信実と友情」を脱構築し、犠牲を読解することができるという考察を提示した。
  • 「小林秀雄の〈歴史〉観・序説―「私」の問題と〈歴史〉観との接続―」, 『國學院大學紀要』, 第46巻, 2008年02月01日, 小林の〈歴史〉観は彼の生涯を通じた大テーマであるため、最初にまとまって表れる『ドストエフスキイの生活』の序「歴史について」を中心に取り上げ、序説として論じたものである。有名な「子を失った母親の悲しみ」が歴史を考える上で大切だと言う小林の姿勢は、歴史に言及する者の責任を示唆する。それは「私」一個に帰せられるが、同時に歴史に言及するその仕方によって「私」足り得ることをも意味する。つまり言葉の使い方が「私」の存在の仕方なのである。ここに小林が歴史を客観的な対象として捉えることを峻拒した理由が見られることに言及し、ポストモダン的な歴史学との近接を明確にした。そして小林批評の「私」の問題と〈歴史〉観が連続していることも指摘した。
  • 「閉じきられたフィクション―荷風「腕くらべ」を読む―」, 『文学』, 第10巻第2号, 2009年03月01日, 岩波書店, 永井荷風の虚像について、「腕くらべ」を題材に論じた論である。岩波書店「文学」で実像と虚像というテーマで荷風特集を組むため、虚像について執筆を依頼された。荷風は伝記的な事象が多く、いわゆる荷風神話を形成していることを念頭に置き、その発端は作品の描き方にあることを示した。「腕くらべ」は、主人公駒代を新橋の花柳界から決して逸脱させず、閉じ込めていく傾向を有している。そのために極めてフィクション性の高い物語になっており、大正時代の花柳界についての歴史社会学の知識では読み切ることができない。むしろ当時の風俗から乖離したフィクションを荷風が描いていたことこそが、自ずから作家永井荷風像のイメージを形成し、神話として強固になっていくと論じた。
  • 「横光利一「旅愁」生成過程の考察―山形県鶴岡市所蔵「旅愁」自筆原稿をめぐって―」, 井上謙・掛野剛史・井上明芳編『横光利一歐洲との出会い 『歐洲紀行』から『旅愁』へ』, 2009年07月01日, 『横光利一 歐洲との出会い 『歐洲紀行』から『旅愁』へ』の企画に基づき、山形県鶴岡市に横光家より帰宅された「旅愁」自筆原稿50枚を調査し、その一部を翻刻しながら考察した論である。本論で扱った自筆原稿は、そのほとんどが、初出でも単行本でも読むことのできない内容であり、横光が何を消したかという問題の一端を明らかにすることができた。矢代耕一郎や千鶴子のいわゆる内面描写を横光は一度克明に描きながら、ほとんどを抹消してしまっている。そのために、思想的な内容が前面に押し出されてくる。つまり、心理描写を排除して、東洋対西洋といった思想小説として「旅愁」を成立させるためだったのではないかと実資料に基づいた推論を示した。
  • 「横光利一「梅瓶」論への試み―「梅瓶」自筆原稿翻刻を中心に―」, 『解釈』, 652集, 2010年01月01日, 山形県鶴岡市に横光家より寄託された横光利一「梅瓶」自筆原稿を翻刻し、考察した論である。拙論「横光利一「旅愁」生成過程の考察 ―山形県鶴岡市所蔵「旅愁」自筆原稿をめぐって―」の続編にあたる。横光の『旅愁』の最終章にあたる「梅瓶」の自筆原稿は、一部分ではあるが、本論での翻刻が初公開になる。『旅愁』本文は、初出と初刊との異同が大変多く、どの段階のものを決定稿とするかはいまだ定説を見ていない。しかし、「梅瓶」だけは横光による改稿がなされておらず、これを独立して公開するのは意味がある。翻刻を通じて考察し得ることとして、戦後に戦前の言葉を示すことで、唐突に変節する戦後社会に対して横光が意義を申し立てることにあったと結論づけた。
  • 国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」論 ―独白を生成する会話体構造―, 「解釈」, 第57巻第7・8号, 2011年08月01日, 解釈学会, 国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」が会話体で成立しているという特徴を構造的に捉えた論である。会話は平易な表現で一見わかりやすいようであるが、しかし、登場人物たちの自説は途中で打ち切られたり別な話に展開したりして相互理解ができているとは捉え難い。したがって、最後に出てくる岡本が黙って最後まで聞くことを求めるのは、理解してもらうためであった。ここに独白が成立する。しかし、独白でもなお伝え難く「苦痛」に満ちる。つまり、話すという行為の限界が示され、やがて「岡本の手帳」という手記が発表されることになる。いわば書かれる言語の生成が見られるのである。
  • 横光利一「夜の靴」論 ―贈与としての〈ふるさと〉―, 國學院雑誌, 第111巻第10号, 2011年10月15日, 國學院大學, 横光利一「夜の靴」について、現地調査を踏まえて、その虚構性を論じた論である。従来「夜の靴」は横光が山形県鶴岡市上郷地区に疎開体験したことに基づく体験記として読まれ、戦後の横光の意識が見出されてきた。しかし、上郷地区を歴史的な虚構に遷移させ、仮構された地として表象していることが現地調査によって判明した。したがって虚構の言語空間〈上郷〉は物語として存在し、その物語が〈ふるさと〉として戦後に示された。それは見返りを必要としない物語の贈与であり、来たるべき未来のための物語なのである。
  • 教材としての「富嶽百景」の構造的把握 ―他者とともに在ることの発見―, 國學院大學教育学研究室紀要, 第46号, 2012年02月10日, 國學院大學文学部教育学研究室, 太宰治「富嶽百景」は、高等学校の国語の教材として取り上げられている。が、太宰治の実生活と結びつけて、作家としての新しい出発の意識が主題的に読まれてきた。とりわけ最後の「酸漿」の解釈は、太宰の新生の意識の象徴のようである。しかし、全体的には花のイメージが多用されており、「酸漿」も実ではなく下向きの三角に咲く花であろう。つまり、「富嶽百景」は花を駆使しつつ富士と対峙するのであり、それは他者としての富士とともに在るために必要なイメージであったのである。「おあつらえ向き」の富士と向き合うことには、デカダンのイメージ「太宰治」と向き合うことと同じであり、「私」はその方法を見出しているのである。
  • 横光利一「夜の靴」成立過程論への前哨 ―見出される〈祈り〉―, 「解釈」, 第58巻第7・8号, 2012年08月01日, 解釈学会, 横光利一「夜の靴」の成立過程に関して、その先駆とも言うべき「古戦場」や「鉄棒」などを踏まえて論じた試論である。「夜の靴」は虚構の言語空間を形成しており、〈古戦場〉として語られていることを踏まえると、その先駆として「古戦場」というテクストが発表されていたことは、すでに〈古戦場〉のイメージがあったことを示唆する。つまり「古戦場」は「夜の靴」の言語空間の形成の試みであったと捉え得る。しかし、そこに描かれる登場人物は性格を変えて、「夜の靴」には登場する。「鉄棒」も同様である。が、清江だけは一貫して変わることがない。それは黙々と働く女性であり、時代に左右されることはない。そこに〈祈り〉が見出し得る。〈古戦場〉イメージには、変わることのない〈祈り〉が込められていたのである。
  • 山田詠美「ひよこの眼」の構造 ―学ばれる物語の発見―, 國學院大學教育学研究室紀要, 第47号, 2013年02月10日, 國學院大學文学部教育学研究室, 山田詠美「ひよこの眼」について、教材論の観点から〈一人称回想体〉であることに着眼し、構造的に分析した論である。一人称回想体は、過去をあるがままにではなく、現在語る意識によって語られる〈過去〉として生成され、現在にとっての意味が付加される点である。「私」が現在生きていることにとって、幹生の死がどういう意味をもっているのか、語ることで見出そうとしているのである。そのとき、触れるという行為が重要となる。従来見ることが主に読まれてきたが、手が、身体が記憶することも語られている。眼と手という身体の記憶が相俟って物語となる構造を有しているのが「ひよこの眼」なのであり、命に触れる意味を「私」が見出しているのである。
  • 描かれる子ども像 ―近代への視線, 國學院大學出版部発行の児童雑誌「兄弟」「姉妹」「兄弟姉妹」の総合的研究, 2013年02月01日, 國學院大學, 國學院大學にかつて存在した出版部から発刊されていた児童雑誌「兄弟」「姉妹」「兄弟姉妹」について、上田正行本学教授を研究代表者として、石川則夫教授とともに研究分担者として研究に従事し、論考をまとめた論である。近代概念の一つに〈子ども〉がある。このたび研究した児童雑誌にも〈子ども〉を描き出そうとする主旨があり、近代としての〈子ども〉は表れている。と同時に、作家たちは当時の子どもの姿をも描いている。すなわち悲惨で過酷な生活を余儀なくされる姿である。保護されるべき〈子ども〉だけではなく、当時の日常にはそこから隔絶される子どもの存在をも「兄弟」「姉妹」「兄弟姉妹」は伝えているのである。
  • 森敦「われ逝くもののごとく」の特性 : 物語を語り、体験する (特集 近代), 井上 明芳, 解釈, 64, 1, 39, 47, 2018年01月, 解釈学会 ; 1955-
  • 森敦「鳥海山」論 : 読みがたさの生成 (特集 近代), 井上 明芳, 解釈, 63, 1, 39, 47, 2017年01月, 解釈学会 ; 1955-
  • 森敦『私家版 聊斎志異』論 : 引かれた斜線 (小特集 日本近現代文学・その交通と交差), 井上 明芳, 國學院雜誌 = The Journal of Kokugakuin University, 118, 1, 104, 118, 2017年01月, 國學院大學総合企画部
  • 小川洋子「ハキリアリ」の構造的読解 : 回送を見送る (田嶋一教授古希記念号), 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 52, 169, 179, 2017年, 國學院大學教育学研究室
  • 森敦文学の境界的思考, 井上 明芳, 図書, 第807号, 2016年05月01日, 岩波書店, 森敦文学の特質について論じた論である。森敦には生涯を貫いて思索された文学理論があり、最終的には『意味の変容』としてまとめられた。それは、内部/外部・境界線という概念を使って時空間を捉え、小説の構造として構築される理論である。この理論の実現が、森敦の代表作「月山」や「われ逝くもののごとく」に構造的に見ることができる。また、その執筆の過程について調査した結果からも論証することができ、山形県庄内平野の実地踏査でも確認することができた。つまり『意味の変容』は、森敦文学の執筆過程、現地調査、小説構造のすべてに…
  • 教材としての吉本ばなな「みどりのゆび」の構造分析 : 経験される物語, 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 51, 71, 82, 2016年, 國學院大學教育学研究室
  • 森敦研究の可能性 : 生成過程と実地踏査から, 井上明芳, 昭和文学会, 第70集, 2015年03月
  • 教材としての志賀直哉「城の崎にて」の構造分析 : 生を回復する語り, 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 50, 123, 135, 2015年, 國學院大學教育学研究室
  • 間テクスト性の試み : 横光利一「夜の靴」と森敦「月山」 (特集 近代), 井上 明芳, 解釈, 60, 7, 39, 47, 2014年07月, 解釈学会 ; 1955-
  • 横光利一「純粋小説論」の〈境界〉性 (シンポジウム 特集 〈私〉をめぐる言説 : 昭和10年前後の文学を中心に), 井上 明芳, 日本文學論究, 73, 12, 21, 2014年03月, 國學院大學國文學會
  • 村上春樹「鏡」の構造的読解 : 日常/非日常の「恐怖」, 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 49, 61, 69, 2014年, 國學院大學文学部教育学研究室
  • 横光利一「夜の靴」 : 実地踏査と虚構性の問題, 井上 明芳, 横光利一研究, 11, 80, 83, 2013年03月, 横光利一文学会
  • 恩田陸「ピクニックの準備」の構造的把握 : 「期待」される物語, 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 48, 27, 36, 2013年, 國學院大學文学部教育学研究室
  • 横光利一「夜の靴」成立過程論への前哨 : 見出される〈祈り〉 (特集 近代), 井上 明芳, 解釈, 58, 7, 2, 10, 2012年07月, 解釈学会
  • 山田詠美「ひよこの眼」の構造 : 学ばれる物語の発見, 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 47, 81, 90, 2012年, 國學院大學文学部教育学研究室
  • 横光利一「夜の靴」論 : 贈与としての<ふるさと>, 井上 明芳, 國學院雜誌, 112, 10, 1, 12, 2011年10月, 國學院大學綜合企画部
  • 国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」論--独白を生成する会話体構造 (特集 近代), 井上 明芳, 解釈, 57, 7, 12, 20, 2011年07月, 解釈学会
  • 教材としての「富嶽百景」の構造的把握 : 他者とともに在ることの発見 (杉山英昭教授古希記念特集), 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 0, 46, 33, 43, 2011年, 國學院大學文学部教育学研究室
  • 横光利一「梅瓶」論への試み--「梅瓶」自筆稿翻刻を中心に (特集 近代), 井上 明芳, 解釈, 56, 1, 43, 51, 2010年01月, 解釈学会
  • 閉じ切られたフィクション--荷風「腕くらべ」を読む (特集 荷風没後五〇年 虚像から実像へ), 井上 明芳, 文学, 10, 2, 72, 79, 2009年03月, 岩波書店
  • 小林秀雄の〈歴史〉観・序説--「私」の問題と〈歴史〉観との接続, 井上 明芳, 国学院大学紀要, 46, 27, 43, 2008年, 国学院大学
  • 太宰治「走れメロス」の授業論の試み--構造の理解によってはじまる授業 (特集 国語学・国語教育), 井上 明芳, 前嶋 深雪, 解釈, 52, 5, 20, 26, 2006年05月, 解釈学会
  • 太宰治「走れメロス」論--見覚えのない物語 (特集 近代), 前嶋 深雪, 井上 明芳, 解釈, 52, 1, 53, 59, 2006年01月, 解釈学会
  • 横光利一「機械」論--語ることの原理へ, 井上 明芳, 國學院雜誌, 106, 1, 61, 73, 2005年01月, 國學院大學綜合企画部
  • 小林秀雄『無常といふ事』論への前哨--転換の意味、回帰したこと (特集 近・現代文学--その転換と回帰の諸相), 井上 明芳, 國學院雜誌, 105, 11, 437, 449, 2004年11月, 國學院大學綜合企画部
  • 横光利一「上海」論--分類された物語 (特集 アジア世界の文化と交流), 井上 明芳, 國學院雜誌, 103, 11, 91, 103, 2002年11月, 國學院大學綜合企画部
  • 芥川龍之介「羅生門」論--研究と授業論との狭間からの問題提起 (特集 近代), 井上 明芳, 解釈, 47, 1, 29, 35, 2001年01月, 解釈学会
  • 小林秀雄「Xへの手紙」論--手紙という<間(あいだ)>, 井上 明芳, 日本文学論究, 56, 42, 51, 1997年03月, 国学院大学国語国文学会
  • 小川洋子「ハキリアリ」の構造的読解―回送を見送る―, 井上 明芳, 國學院大學「教育学研究室紀要」, 第52号, 2018年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 高等学校国語科教材として取り上げられている小川洋子「ハキリアリ」について、構造的な読解を試みた論である。現在行われている本テクストの指導内容を踏まえて、表現を注視しながら、構造的に見出し得る語りの在り方を論じた。「ハキリアリ」は『人質の朗読会』に収録され、語りの主導的な役割をしている。語られるハキリアリの葉を運ぶ整然とした姿は、そのまま人質たちの朗読の順に擬えることができる。しかも、「ハキリアリ」の語り手は人質たちの朗読について、感慨や批評を述べることなく、ただただ読み手に送り届ける。それはそでに語…
  • 森敦「われ逝くもののごとく」の特性―物語を語り、体験する―, 井上 明芳, 解釈, 第64巻, 第1・2号, 2018年02月01日, 解釈学会, 森敦「われ逝くもののごとく」に見出し得る語りの特性に着眼して論じた論である。本論の立論にあたっては、2017年12月に開催した森敦研究―物語を〈体験する〉(科研費基盤研究(C)No.16K02417)に基づいている。「われ逝くもののごとく」は、冒頭から物語舞台である庄内平野を実風景と虚構の風景として描き出す。これは森敦の文学理論「意味の変容」の内部/外部・境界線の理論の体現と捉えることができる。それによって自らが語る言葉で描き出した風景に、語り手自体が入り込むことを可能にする。ここに物語を単に語るの…
  • 教材としての吉本ばなな「みどりのゆび」の構造分析―経験される物語―, 井上 明芳, 國學院大學 教育学研究室紀要, 第51号, 2017年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 高等学校国語科の「現代文A」に収録されている吉本ばなな「みどりのゆび」について、過去回想形式という構造を中心に論じた論である。本作品は、現在→過去→現在という時間構成であり、現在回想されることで過去が〈過去〉として認識されている点を指摘し、「私」が生きていく現在に、かつて言われた祖母の言葉を「遺言」として認識していることを見出した。そこから、過去を語る回想の形式は、現在生きている意味を認識することであるということを論究している。
  • 森敦「鳥海山」論―読みがたさの生成―, 井上 明芳, 解釈, 通巻694集, 2017年02月01日, 解釈学会, 森敦「鳥海山」について、その舞台である山形県庄内平野の現地調査の結果に基づいて、構造的に論じた論である。単行本『鳥海山』は5つの短篇(「初真桑」「鷗」「光陰」「かての花」「天上の眺め」)から成っている。それぞれ執筆時期も異なり、また何度も書き換えられてきている。また舞台も吹浦、弥彦、尾鷲であり、統一的な場がない。これらを踏まえると『鳥海山』を指向していないことがはっきりする。つまり、『鳥海山』は、別の物語である5つの短篇から成っており、「鳥海山」という作品はないのである。にもかかわず、『鳥海山』とい…
  • 森敦『私家版 聊斎志異』論―引かれた斜線―, 井上 明芳, 國學院雑誌, 第118巻, 第1号, 2017年01月15日, 國學院大學, 森敦『私家版 聊斎志異』について、生成論的な立場から本作品の構造を討究した論である。森敦が『私家版 聊斎志異』を発表するにあたり、実際に使用していた『聊斎志異』(平凡社刊)を、森富子氏のご好意により調査ができた。その結果として、森敦が採録した話には、すべて斜線が引かれていたことが最大の特徴であった。見た目としては採らない話として抹消されているかのようであった。それは『聊斎志異』からは抹消し、物語の文脈から外す。外した話を今度は『私家版』として新しく形成する。つまり斜線は、『私家版』としての文脈を形成…
  • 教材としての志賀直哉「城の崎にて」の構造分析, 井上 明芳, 國學院大學 教育学研究室紀要, 第50号, 2016年02月20日, 國學院大學教育学研究室, 高等学校国語科の教科書に安定的に収録されている志賀直哉「城の崎にて」について、構造的な分析を行った論である。語る「自分」/語られる「自分」という語りの構造的な基盤に注目し、現在語っているという点を重視した。それによって、語られる内容の順番が重要であることを指摘し、蜂からねずみ、イモリへと移っていく展開の必然的な意味を見出した。それは山手線に跳ねられて怪我をした「自分」には、死んでいたかもしれないという不安がつきまとう。それが蜂からイモリへの展開によって、それぞれの意味を有して明らかになる。と同時に、…
  • 村上春樹「鏡」の構造的読解 −日常/非日常の「恐怖」−, 井上 明芳, 國學院大學「教育学研究室紀要」, 第49号, 2015年02月10日, 國學院大學教育学研究室, 村上春樹「鏡」について、教材としての観点から、作品を構造的な分析を試みた論である。「僕」の語り方に注目し、「恐怖」がパターン化されている点を指摘した上で、日常/非日常の相対的なところに「恐怖」が語られていることを見出した。したがって、「僕」が語る「恐怖」は〈鏡〉による自己との向き合いではあったが、それは「僕」自身が非日常を抱え込んでしまっていることを意味し、日常/非日常の境界上に「僕」が存在していることを示唆する。つまり、「僕」の語る「恐怖」は自身と向き合う非日常性に基づいていると結論付けた。
  • 恩田陸「ピクニックの準備」の構造的把握 ―「期待」される物語―, 井上 明芳, 國學院大學教育学研究室紀要, 第48号, 2014年02月10日, 國學院大學文学部教育学研究室, 恩田陸「ピクニックの準備」は高等学校の国語教材として取り上げられている。融や貴子、「私」の三人の視点から語られる物語は、明日の「ピクニック」を多角的に見せる。それは同時に、唯一の物語がないことを意味している。この語りの在り方は、次のテクストである「夜のピクニック」への期待として表れる。だが、それでは「ピクニックの準備」を読んだことにはならない。次のテクストへの期待ではなく、貴子や融が語ったこと/語らなかったことを明確にすれば、無用なことを語らない期待が見いだせる構造を有していると論じた。
  • 横光利一「純粋小説論」の〈境界〉性, 井上 明芳, 日本文学論究, 第73冊, 2014年03月20日, 國學院大學国文学会, 横光利一「純粋小説論」の文体に着目して論じた論である。従来横光研究では、「純粋小説論」の論的内容とどの小説で実践されたかという論点で、この評論は論じられており、その論じ方すなわち文体については論じられることは少なかった。本論は「純粋小説論」が前に書いたことに即応しつつ進行する文体に着眼し、そこに局面性を見出している。それは「機械」の文体と相似形をなしており、語る「私」が語ったことで「私」をその文脈に取り込んで行く様は、「純粋小説論」にも指摘できると論じた。
  • 間テクスト性の試み −横光利一「夜の靴」と森敦「月山」−, 井上 明芳, 解釈, 679集, 2014年08月01日, 解釈学会, 横光利一「夜の靴」と森敦「月山」の間テクスト性を論じた論である。「夜の靴」と「月山」は同質の構造を有している。「夜の靴」が西羽黒を、「月山」が東羽黒をそれぞれ物語舞台の素材としながらも、その歴史性を虚構化し、語りの現在時を顕在化させる。しかも「月山」は「夜の靴」が虚構化した部分を虚構のレベルで補足しながら、「夜の靴」テクストを取り込んでいく。この二作は単に相似的な比較が可能なのではなく、構造的な接続が可能なテクストであると結論付けた。
  • 「小林秀雄の出発―初期作品から『様々なる意匠』へ―」, 阿部正路編『日本文学の伝統と創造』, 1993年06月01日, 教育出版センター, 小林秀雄の初期作品から批評家になる過程を、自意識という概念を中心に論じた論である。小林の文学的な出発は小説を書くことにあり、「蛸の自殺」をはじめ、そこに描かれていたのは自意識をいかに処するかという問題である。この自意識との格闘を通じて、「私」を描くという小説言語にとどまっていることはできず、「私」が「私」を見るという言語を獲得したことを見いだした。この己れが己れを見るという近代的な視点を描くことに、小説を書くことができなくなり、近代的な批評というジャンルを必然的に創始したと見ることができる。つまり、…
  • 「小林秀雄と正宗白鳥―「思想と実生活」論争、その語られなかったこと―」, 『國學院大學大学院文学研究科論集』, 第21号, 1994年03月01日, 「思想と実生活」論叢で小林が白鳥に敗北したと見ている従来の研究に対して疑義を提示した論である。小林は最晩年白鳥を「正宗白鳥の作に就いて」で取り上げ、この論争は同様のことを別々に言っていただけだと言う。それに導かれて言えば、この論争に敗北などはなく、あるのは筆舌に尽くし難い「心の真なる姿」である。白鳥はそれを「一つの秘密」と言ったが、小林も白鳥もその心の秘密を直覚したのではないかと考察し、両者の同一性を論究した。つまり、小林も白鳥も思想も実生活も実在する人間の根源的な表れと捉えていたのである。文学史的…
  • 「小林秀雄「私小説論」の問題―生きて在るということあるいはリアリティ―」, 『國學院大學大学院紀要(文学研究科)』, 第27輯, 1996年03月01日, 小林の「私小説論」が、いわゆる露悪的に私生活を描く小説ではなく、アンドレ・ジイドの「贋金作り」を論の中心に据えていることに注目し、作家と小説の関係性を明らかにした論である。なぜ小説を書くのかという問題には、作家の私が「私」で在ろうとすることが内包されていると論究し、それは人の生きて在ることに根ざす問題であることを示した。すなわち「私小説」とは作家の生きて在るリアルな顕れであり、だから小林は論の末尾にフローベールの「マダム・ボヴァリイは私だ」という言葉を引用したのである。つまり、小説は作家にとって、つ…
  • 「小林秀雄「Xへの手紙」論―手紙という〈間〉―」, 『日本文学論究』, 第56冊, 1997年03月01日, 「Xへの手紙」の特徴が手紙という形式と「君」への語りかけとにあることを確認しながら、なぜそれらが選ばれているかについて考察した。手紙は一方的な言説であり、「俺」は「君」を解説し定義づけながら語りかける。これは「君」が「俺」にとって理想的な読者であることを意味し、そのように定立していると読解できると考察した。それは「俺」の「余計者」としての存立の条件であること、その存立のための条件としての不可欠な語りかけであったことを論じて、「余計者の言葉」の意味を見出した。その上で、「俺」の言葉が届く「君」との関係…
  • 「〈折口信夫の詩〉論への前哨―萩原朔太郎との比較から―, 阿部正路ゼミナール編『折口信夫研究』, 1998年11月01日, 本論は、折口信夫の詩について、存在論的な論究を試みた論である。具体的にハイデガーの「詩作は思索である」という視点から、比較として萩原朔太郎の「遺伝」を取り上げ、折口の「近代悲傷集」の特徴を論じている。萩原の詩には言語によるいわゆる全体性的な存在の感覚を見いだせるのに対して、折口の詩には、言語による感覚の整序とも言うべき問題が見いだせる。つまり、折口の詩には、存在の言語化よりも一存在としての感覚を重視する傾向が見いだせる。萩原の『詩の原理』が存在論的な近代性を有しているのとは対照的に、折口の詩的言語は…
  • 「小林秀雄「様々なる意匠」論―批評という「事件」―」, 井上謙編『近代文学の多様性』, 1998年12月01日, 翰林書房, 小林が「様々なる意匠」の中で使う「事件」という言葉を手がかりに、小林批評の独自性を見いだした論である。「宿命」をキーワードに従来論じられてきた「様々なる意匠」は、しかし本来「宿命」は表現できないからこそ意味があることを指摘し、むしろそれを先送りする言説に脱構築性が見いだせることを示した。そして小林自身が自らの言葉で脱構築されることで、批評の対象が読者に引き渡し得ること、さらに読者は小林と対象作品が遭遇する現場を、まさしく「事件」として、見てしまう当事者になってしまうことも同時に明らかにした。ポストモ…
  • 「小林秀雄「川端康成」論―川端康成の〈個性〉をめぐって―, 『解釈』, 532・533集, 1999年08月01日, 小林の川端康成について言及した評論の特徴について論じた論である。小林はあくまでも作品を通じて川端の作家像を語ろうとし、交友から語ろうとはしない。それは川端の〈個性〉が作品にしか表れていないからである。そこに作品は作家の原因であり、作家は作品の結果に過ぎないという逆説的な命題を指摘できる。作品に描かれる川端の〈個性〉を小林は「十六歳の日記」に見出される「憧憬」に見ており、川端はそれに恐れを抱いているとする。ここに〈宿命〉を追究する小林の批評を重ね、言葉で描くことに対する作家の根源的な恐れを究明できる。…
  • 「小林秀雄の中国体験―批評への小林の確信について―」, 盛邦和・井上聰主編『東亜学研究』, 2000年07月01日, 学林出版社, 中国語に翻訳されて発表した論であり、日中間の文化理解を目的としている。中国へ実際に行った文学者の中から小林秀雄を取り上げた。小林は昭和13年から19年にかけて5回中国へ渡っており、その時の印象を書き残している。戦時下の戦意高揚の文章が多い時代にありながら、小林はあくまでも個人的な感想に終始している点を特徴として提示した。それは主義に基づいて見るということに信用を「様々なる意匠」以来置かない小林の自覚的な態度であることを論じ、中国においてもその態度が貫けたことによって、自らの批評のあり方に確信が持てた…
  • 「芥川龍之介「羅生門」論―研究と授業論との狭間からの問題提起―」, 『解釈』, 550・551集, 2001年02月01日, 芥川龍之介「羅生門」は、高等学校一年生の国語の教材として、長く教科書に収録されてきた。そこから学ぶ内容はエゴイズムであったり悪が悪を許す論理であったりといったテーマばかりである。本論はそれに問題提起をしている。構造的には、「羅生門」研究で言及される「作者」という語り手が物語を語っている。それをしっかりと踏まえて読解すると、下人や老婆は「作者」にとっは了解不可能な他者である。「作者」は他者を推測する他ない以上、物語内には解釈された他者しかいない。しかし他者は他者であるために、最終的には「作者」の語る物…
  • 「横光利一「上海」論―分類された物語―, 『國學院雑誌』, 第103巻11号, 2002年11月01日, 國學院大學, 従来「上海」論において、題名の名付けられ方に言及されたことがなかったので、それを「上海」受容史の観点から論じた論である。横光は改造社の山本実彦宛の書簡の中で、上海ともどこともつかない都市として描くつもりだと書いていた。実際「上海」には上海という都市名は出てこない。しかし、その企図したことは読み取られることがなく、発表当時から「上海」と呼ばれ、横光もそれを認めざるを得なかった。つまり都市上海を描く小説として読まれる過程に読者の参加が認められるのである。それはまさしく読者という他者が集まるという意味で都…
  • 「論横光利一的《上海》―典型的都市小説―」, 『新東亜文明与現代化』, 2003年03月01日, 中国語に翻訳された論文である。論としては、都市小説として成立している条件を中心に論じている。登場人物の物語がどれ一つとして完結しないのは、都市そのものの持つ流動性に依拠し、それは「上海」冒頭からはっきりと表れていることを指摘した。逆に完結しないからこそ生まれる流動的な要素の絡まり合いによって、他者と他者が行き交う場となって都市を形成する。人と人が出会うことに生じる関係性はまさに性質そのものであり、こうした物質としては決して目に見えないものこそが、都市を形成すると言えるのであるならば、「上海」が言葉で…
  • 「小林秀雄『無常といふ事』論への前哨―転換の意味、回帰したこと―」, 『國學院雑誌』, 第105巻11号, 2004年11月01日, 國學院大學, 『無常といふ事』に備わる根底的な問題を論じることを試みた論である。戦時下に書かれた「無常といふ事」をはじめとする随筆は、一見時流に背を向けて古典回帰をしているように見えるが、小林は時勢に対して組み換わる覚悟を決めて対抗していく様子に言及した。それが「国語という大河」への回帰となって表れるが、決して国粋主義的な行いではなく、伝統という日に新たに更新していかねばならないことを自覚したのである。組み換わる覚悟は当然「私」個人の責任に基づき、そのために選ばれた伝統の自覚もまた「私」の言葉によっている。つまり…
  • 「横光利一「機械」論―語ることの原理へ―」, 『國學院雑誌』, 第106巻1号, 2005年01月01日, 國學院大學, 「機械」の構造について論じた論である。従来分けられることのなかった物語内容・物語言説・物語行為をできる限り厳密に区別しながら、語り手「私」の描き出すネームプレート工場の物語を見出している。この物語は過去の出来事によってできているのだが、局面的に生成されるため、実は過去それ自体ではなく、語りの現在においてはじめて出来することを明かにし、それは語るということに原理的に備わっている。そしてこの原理によって、語り手「私」自体も存在させられるという構造的な問題を立証した。ゆえに、最終的に屋敷という人物の死を語…
  • 「太宰治「走れメロス」論―見覚えのない物語―」, 『解釈』, 610・611集, 2006年02月01日, 前嶋深雪氏との共同研究による論である。中学校の国語教育で定番ともいうべき「走れメロス」は、そのテーマが「信実と友情」となっているが、構造的な読解ではむしろそれは見た目上のものでしかないことを明かにした。共同討議を通じて、見覚えのない犠牲の物語が構造的に読み取れることを立証し、相互の文章を検討した上で論文化した。教育に限らず太宰治研究においても「走れメロス」は「信実と友情」の物語として論じられる傾向にあるが、その見た目上の輝かしい内容は、実は読み取ることを意識さえしない犠牲の上に成り立っている。この指…
  • 「太宰治「走れメロス」の授業論の試み―構造の理解によってはじまる授業―」, 『解釈』, 614・615集, 2006年06月01日, 論文「太宰治「走れメロス」論―見覚えのない物語―」を踏まえて、授業論としていかに展開できるかを前嶋深雪氏と共同で討議した論である。実際に海城高等学校国語科の次重文博教諭が「走れメロス」の授業で行ったプリントを活用させていただき、ストーリーを読む授業から構造的な読解へ具体的に展開した。テーマに基づいてストーリーを追うだけならば、生徒たちはすでに可能であり、「信実と友情」が逆に軽んじられる傾向がある。しかし、構造的に把握できる犠牲の物語には気づかない。そこで授業としては、王様とメロスの「約束」を機能させ…
  • 「小林秀雄の〈歴史〉観・序説―「私」の問題と〈歴史〉観との接続―」, 『國學院大學紀要』, 第46巻, 2008年02月01日, 小林の〈歴史〉観は彼の生涯を通じた大テーマであるため、最初にまとまって表れる『ドストエフスキイの生活』の序「歴史について」を中心に取り上げ、序説として論じたものである。有名な「子を失った母親の悲しみ」が歴史を考える上で大切だと言う小林の姿勢は、歴史に言及する者の責任を示唆する。それは「私」一個に帰せられるが、同時に歴史に言及するその仕方によって「私」足り得ることをも意味する。つまり言葉の使い方が「私」の存在の仕方なのである。ここに小林が歴史を客観的な対象として捉えることを峻拒した理由が見られることに…
  • 「閉じきられたフィクション―荷風「腕くらべ」を読む―」, 『文学』, 第10巻第2号, 2009年03月01日, 岩波書店, 永井荷風の虚像について、「腕くらべ」を題材に論じた論である。岩波書店「文学」で実像と虚像というテーマで荷風特集を組むため、虚像について執筆を依頼された。荷風は伝記的な事象が多く、いわゆる荷風神話を形成していることを念頭に置き、その発端は作品の描き方にあることを示した。「腕くらべ」は、主人公駒代を新橋の花柳界から決して逸脱させず、閉じ込めていく傾向を有している。そのために極めてフィクション性の高い物語になっており、大正時代の花柳界についての歴史社会学の知識では読み切ることができない。むしろ当時の風俗か…
  • 「横光利一「旅愁」生成過程の考察―山形県鶴岡市所蔵「旅愁」自筆原稿をめぐって―」, 井上謙・掛野剛史・井上明芳編『横光利一歐洲との出会い 『歐洲紀行』から『旅愁』へ』, 2009年07月01日, 『横光利一 歐洲との出会い 『歐洲紀行』から『旅愁』へ』の企画に基づき、山形県鶴岡市に横光家より帰宅された「旅愁」自筆原稿50枚を調査し、その一部を翻刻しながら考察した論である。本論で扱った自筆原稿は、そのほとんどが、初出でも単行本でも読むことのできない内容であり、横光が何を消したかという問題の一端を明らかにすることができた。矢代耕一郎や千鶴子のいわゆる内面描写を横光は一度克明に描きながら、ほとんどを抹消してしまっている。そのために、思想的な内容が前面に押し出されてくる。つまり、心理描写を排除して、…
  • 「横光利一「梅瓶」論への試み―「梅瓶」自筆原稿翻刻を中心に―」, 『解釈』, 652集, 2010年01月01日, 山形県鶴岡市に横光家より寄託された横光利一「梅瓶」自筆原稿を翻刻し、考察した論である。拙論「横光利一「旅愁」生成過程の考察 ―山形県鶴岡市所蔵「旅愁」自筆原稿をめぐって―」の続編にあたる。横光の『旅愁』の最終章にあたる「梅瓶」の自筆原稿は、一部分ではあるが、本論での翻刻が初公開になる。『旅愁』本文は、初出と初刊との異同が大変多く、どの段階のものを決定稿とするかはいまだ定説を見ていない。しかし、「梅瓶」だけは横光による改稿がなされておらず、これを独立して公開するのは意味がある。翻刻を通じて考察し得るこ…
  • 国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」論 ―独白を生成する会話体構造―, 「解釈」, 第57巻第7・8号, 2011年08月01日, 解釈学会, 国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」が会話体で成立しているという特徴を構造的に捉えた論である。会話は平易な表現で一見わかりやすいようであるが、しかし、登場人物たちの自説は途中で打ち切られたり別な話に展開したりして相互理解ができているとは捉え難い。したがって、最後に出てくる岡本が黙って最後まで聞くことを求めるのは、理解してもらうためであった。ここに独白が成立する。しかし、独白でもなお伝え難く「苦痛」に満ちる。つまり、話すという行為の限界が示され、やがて「岡本の手帳」という手記が発表されることになる。いわば書かれ…
  • 横光利一「夜の靴」論 ―贈与としての〈ふるさと〉―, 國學院雑誌, 第111巻第10号, 2011年10月15日, 國學院大學, 横光利一「夜の靴」について、現地調査を踏まえて、その虚構性を論じた論である。従来「夜の靴」は横光が山形県鶴岡市上郷地区に疎開体験したことに基づく体験記として読まれ、戦後の横光の意識が見出されてきた。しかし、上郷地区を歴史的な虚構に遷移させ、仮構された地として表象していることが現地調査によって判明した。したがって虚構の言語空間〈上郷〉は物語として存在し、その物語が〈ふるさと〉として戦後に示された。それは見返りを必要としない物語の贈与であり、来たるべき未来のための物語なのである。
  • 教材としての「富嶽百景」の構造的把握 ―他者とともに在ることの発見―, 國學院大學教育学研究室紀要, 第46号, 2012年02月10日, 國學院大學文学部教育学研究室, 太宰治「富嶽百景」は、高等学校の国語の教材として取り上げられている。が、太宰治の実生活と結びつけて、作家としての新しい出発の意識が主題的に読まれてきた。とりわけ最後の「酸漿」の解釈は、太宰の新生の意識の象徴のようである。しかし、全体的には花のイメージが多用されており、「酸漿」も実ではなく下向きの三角に咲く花であろう。つまり、「富嶽百景」は花を駆使しつつ富士と対峙するのであり、それは他者としての富士とともに在るために必要なイメージであったのである。「おあつらえ向き」の富士と向き合うことには、デカダンの…
  • 横光利一「夜の靴」成立過程論への前哨 ―見出される〈祈り〉―, 「解釈」, 第58巻第7・8号, 2012年08月01日, 解釈学会, 横光利一「夜の靴」の成立過程に関して、その先駆とも言うべき「古戦場」や「鉄棒」などを踏まえて論じた試論である。「夜の靴」は虚構の言語空間を形成しており、〈古戦場〉として語られていることを踏まえると、その先駆として「古戦場」というテクストが発表されていたことは、すでに〈古戦場〉のイメージがあったことを示唆する。つまり「古戦場」は「夜の靴」の言語空間の形成の試みであったと捉え得る。しかし、そこに描かれる登場人物は性格を変えて、「夜の靴」には登場する。「鉄棒」も同様である。が、清江だけは一貫して変わること…
  • 山田詠美「ひよこの眼」の構造 ―学ばれる物語の発見―, 國學院大學教育学研究室紀要, 第47号, 2013年02月10日, 國學院大學文学部教育学研究室, 山田詠美「ひよこの眼」について、教材論の観点から〈一人称回想体〉であることに着眼し、構造的に分析した論である。一人称回想体は、過去をあるがままにではなく、現在語る意識によって語られる〈過去〉として生成され、現在にとっての意味が付加される点である。「私」が現在生きていることにとって、幹生の死がどういう意味をもっているのか、語ることで見出そうとしているのである。そのとき、触れるという行為が重要となる。従来見ることが主に読まれてきたが、手が、身体が記憶することも語られている。眼と手という身体の記憶が相俟っ…
  • 描かれる子ども像 ―近代への視線, 國學院大學出版部発行の児童雑誌「兄弟」「姉妹」「兄弟姉妹」の総合的研究, 2013年02月01日, 國學院大學, 國學院大學にかつて存在した出版部から発刊されていた児童雑誌「兄弟」「姉妹」「兄弟姉妹」について、上田正行本学教授を研究代表者として、石川則夫教授とともに研究分担者として研究に従事し、論考をまとめた論である。近代概念の一つに〈子ども〉がある。このたび研究した児童雑誌にも〈子ども〉を描き出そうとする主旨があり、近代としての〈子ども〉は表れている。と同時に、作家たちは当時の子どもの姿をも描いている。すなわち悲惨で過酷な生活を余儀なくされる姿である。保護されるべき〈子ども〉だけではなく、当時の日常にはそこか…

Misc

  • <書評>佐藤公一著, 『小林秀雄の批評芸術 エクスタシーの哲学』, 二〇一三年一二月一五日, アーツアンドクラフツ, 二五二頁, 本体二四〇〇円+税, 井上 明芳, 日本近代文学, 91, 0, 2014年, 日本近代文学会

著書等出版物

  • テキストマイニングによる森敦文学の基礎的研究, 井上明芳, 國學院大學, 2021年02月25日, 本書は、令和2年度國學院大學文学部共同研究費の助成を受けている。井上を研究代表者、高橋大助國學院大學教授を共同研究者として、森敦「意味の変容」について、テキストマイニングの方法で、計量テキスト分析をおこなった。用いた分析ソフトは、KH Coder(樋口耕一氏作成)である。このソフトで分析することによって、「意味の変容」中で使用されている語の出現率や特徴を捉えることができる。一般に「意味の変容」は森敦文学の論理が読み取られるが、今回の分析によって、論理以外の内容が多く記述されていることが明らかになった。それは従来ほぼ読み取られることのなかった内容であり、改めて論理以外を読む必要性が見出された。
  • 森敦文学研究 neo〈境界〉思考, 井上明芳, 國學院大學, 2020年02月28日, 本書は、令和2年度國學院大學特別推進研究助成(國特推助第108号)の助成を受けた研究課題「森敦文学の文化資源としての可能性をめぐる総合的研究」に基づいて、刊行したものである。調査としては新潟県弥彦地方へ赴き、森敦文学の論理を現地の地勢から検証した。その成果を森敦文学研究会を開催し、公開した。その際、中村三春北海道大学大学院教授、黒田大河大阪樟蔭女子大学教授にも参加してもらい、発表とともに、公開した成果を検証していただいた。本書はそれらをさらに精査した上で活字化している。
  • 森敦研究の可能性ー生成過程と実地踏査からー, 井上 明芳, 昭和文学会, 2015年03月01日, 第70集, 科学研究助成費基盤研究C「森家所蔵森敦自筆資料による基礎的研究」(No.25370228)による成果を踏まえて、森敦研究の可能性について「昭和文学研究」の「研究展望」に執筆した。森敦研究の基礎的研究として、これまで明らかになっていなかった森敦の自筆資料について調査した。さらに森敦文学のほとんどの舞台であり、森敦自身の滞在経験のある山形県庄内地方の実地踏査を行い、森敦文学の虚と実を調査した。前者は生成論的に基礎的な研究であり、後者は実証的な研究として重要である。これらの融合は、森敦の文学理論『意味の変容』ゆえである。理論と創作の検討に、森敦文学研究の可能性を見出している。
  • 森敦資料目録, 井上 明芳, 科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228), 2016年03月01日, 本研究は、平成25・26・27年度に採択された科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228)の助成を受けている。本研究の最終目的である森家所蔵の森敦自筆資料について、調査し分類した結果をまとめた一書である。これまで、森敦の自筆資料の全貌は明らかにされていなかったため、分類的に調査を行い、「小説・詩」「評論・エッセイ」「対談・インタビュー・講話」「ノート」「覚書」「手紙」等に分け、さらにメモ類や紙片などについても記載している。これによって森敦研究の基盤は形成され、基礎的な研究の進展が期待される。
  • 森敦「月山」総合的研究, 井上 明芳, 科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228), 2014年03月31日, 本研究は、平成25・26・27年度に採択された科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228)の助成を受けている。本書は平成25年度の研究成果報告書である。森家の全面的な協力の下、所蔵されている森敦の自筆資料について整理分類の上、目録作成をすることを目的にしている本研究のうち、最重要作品の一つ「月山」について、目録作成が終わったため、翻刻し初公開をした。その際、草稿から初刊単行本に至る生成過程を見いだせるようにすると同時に、「月山」の舞台山形県七五三掛地区の実地踏査も踏まえ、総合的な研究としてまとめた。これによって「月山」研究の書誌と調査の基礎的研究基盤を形成することができ、森敦文学研究に寄与できることが期待される。
  • 文学表象論・序説, 井上 明芳, 翰林書房, 2013年02月20日, 本書は文学表象をめぐって、序で文学言説の境界性を論じ、論的基盤を設け、第一部で芥川龍之介や太宰治、国木田独歩、折口信夫、萩原朔太郎をとりあげることで文学テクストの構造的な表象を論じた。第二部では小林秀雄の批評言説を論じ、「私」の表象が文学・批評における意義を見出した。第三部では横光利一のテクストを取り上げ、その表現の局面性や強度を論じた。結論的に配置した第四部では、永井荷風「腕くらべ」と森敦「月山」とを取り上げ、言語空間の虚構性とそこに備わる〈境界〉を論じた。文学言説自体が内包する局面性は、語り手と読み手との間に顕在する〈境界〉として見出し得ることを示している。
  • 『横光利一と鶴岡―21世紀に向けて―』, 横光利一文学碑建立実行委員会, 2000年09月01日, 本書は、横光利一夫人の故郷である山形県鶴岡市で、横光顕彰事業の立ち上げを記念して作成されたものである。横光と鶴岡の関連は横光研究において重要な意味があるため、それに寄与すべく、編集代表として、佐藤俊和氏と私とで本書の内容を企画した。特に横光生前最後の単行本『夜の靴』は、鶴岡市上郷に横光一家が疎開したことを描いており、疎開先の家や人も残っているので、貴重な資料として取材し証言などを掲載した。また、横光が疎開中執筆していた「雪解」の草稿が保存されており、所有者奥田實氏と吉岡真緒氏と私とで翻刻し、未発表資料として紹介した。以上の内容を通して、晩年の横光の生活の一端を明らかにし、『夜の靴』研究の基礎的資料を揃え得た一書である。
  • 『横光利一 歐洲との出会い『歐洲紀行』から『旅愁』へ』, おうふう, 2009年07月01日, 横光利一がヨーロッパを旅行したときの「歐洲メモ」2冊が、遺族横光象三氏より井上謙氏に委託されたので、写真版と翻刻で紹介し、『歐洲紀行』と『旅愁』の研究に基礎的な資料として寄与しようと企画したのが本書である。企画意図として編者の井上謙、掛野剛史、私とで単に翻刻紹介にとどまらず、横光研究者にも執筆してもらい、横光のヨーロッパ体験の意義にも言及し問題提起していこうとした。そうした意図のもとで、鶴岡市に横光家より寄託された横光自筆原稿のうち、「旅愁」自筆稿も部分的ではあるが翻刻掲載した。また大分県宇佐市所蔵の横光が旅行中携帯していたパスポートや原稿なども収録し、ヨーロッパ旅行の詳細な資料を公開した多角的な視点をもった書である。
  • 『向田邦子鑑賞事典』, 翰林書房, 2000年07月01日, 井上謙、神谷忠孝両氏編による向田邦子の資料的に網羅した事典である。私の執筆箇所は、以下のようである。「単著」が「作品鑑賞」項目のうち「酸っぱい家族」「桃から生まれた桃太郎」「嘘つき卵」「眠り人形」。「語彙」の解説は多数執筆している。資料として西浦まり氏と共同で調査し作成したものとして「ラジオ・テレビ・映画・舞台一覧」と「著書目録」、「主要参考文献一覧」である。これらは、西浦氏とそれぞれに調査した資料を合わせて資料として作成したので、担当部分は抽出不可能である。
  • 『現代文学鑑賞辞典』, 東京堂出版, 2002年03月01日, 栗坪良樹氏編による現代文学を読むための辞典である。私の担当執筆箇所は2箇所。丹羽文雄「厭がらせの年齢」と池宮彰一郞「四十七人の刺客」とである。内容は、作家についての概略、取り上げた作品のあらすじ、読みどころとしての批評的な内容である。
  • 『横光利一事典』, おうふう, 2002年10月01日, 井上謙、神谷忠孝、羽鳥徹哉三氏編による初の横光利一について網羅した事典である。単著部分としては「作品鑑賞」(「古戦場」「夜の靴」「夜の靴ノート」「笑った皇后」)、「用語・語彙」の項目では多数執筆している。また資料として「家系図」を作成した。共著部分としては掛野剛史、松寿敬両氏とともに「書簡・資料紹介」として全集未収録のものを調査、公開した。また松寿敬、吉岡真緒両氏と「著書一覧」を作成し、全集の誤りなどを正した。さらに松寿敬氏とは「文学案内」の「上海」地図を作成し、解説を付した。「『歐洲紀行』図」の作成および解説、「全国横光利一文学碑一覧」の作成も行った。共著部分に関しては、相互に検討、校正を行ったため、担当部分は抽出不可能である。
  • 平成23年度文学部共同研究報告書 横光利一「夜の靴」研究 本文校異、注釈及び関連資料調査, 國學院大學, 2012年03月20日, 横光利一「夜の靴」について、従来行われてこなかった現地調査を中心に、「夜の靴」研究の基礎的基盤を形成した。横光が疎開していた山形県西田川郡西目(現、山形県鶴岡市上郷地区)の現地調査に基づき、疎開当時の地図を作成した。また、登場人物のモデルや語句の注釈を行い、現実と虚構の側面を明らかにした。さらに、初出本文と初版単行本本文の詳細な校異を行い、生成過程を示した。それらを踏まえ、テーマを設定し、「夜の靴」読解の多様性を示した。なお本研究は平成23年度國學院大學文学部共同研究費の助成を受けている。
  • 文学表象論・序説―小林秀雄・横光利一ー文学言説の境界, 井上 明芳, 翰林書房, 2013年03月01日
  • 横光利一自筆資料集 : 横光家・鶴岡市所蔵資料の翻刻と調査, 井上 明芳, 國學院大學文学部日本文学科, 2013年
  • 森敦「月山」総合的研究 : 森家所蔵森敦自筆資料による基礎的研究, 井上 明芳, 國學院大學文学部日本文学科, 2013年
  • 横光利一「夜の靴」研究 : 本文校異、注釈及び関連資料調査 : 平成23年度文学部共同研究報告書, 井上 明芳, 國學院大學, 2012年
  • 横光利一欧州との出会い―『歐洲紀行』から『旅愁』へ, おうふう, 2009年07月
  • 横光利一歐洲との出会い : 『歐洲紀行』から『旅愁』へ, 井上 謙, 掛野 剛史, 井上 明芳, おうふう, 2009年
  • 森敦研究の可能性ー生成過程と実地踏査からー, 井上 明芳, 昭和文学会, 2015年03月01日, 科学研究助成費基盤研究C「森家所蔵森敦自筆資料による基礎的研究」(No.25370228)による成果を踏まえて、森敦研究の可能性について「昭和文学研究」の「研究展望」に執筆した。森敦研究の基礎的研究として、これまで明らかになっていなかった森敦の自筆資料について調査した。さらに森敦文学のほとんどの舞台であり、森敦自身の滞在経験のある山形県庄内地方の実地踏査を行い、森敦文学の虚と実を調査した。前者は生成論的に基礎的な研究であり、後者は実証的な研究として重要である。これらの融合は、森敦の文学理論『意味の変…
  • 森敦資料目録, 井上 明芳, 科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228), 2016年03月01日, 本研究は、平成25・26・27年度に採択された科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228)の助成を受けている。本研究の最終目的である森家所蔵の森敦自筆資料について、調査し分類した結果をまとめた一書である。これまで、森敦の自筆資料の全貌は明らかにされていなかったため、分類的に調査を行い、「小説・詩」「評論・エッセイ」「対談・インタビュー・講話」「ノート」「覚書」「手紙」等に分け、さらにメモ類や紙片などについても記載している。これによって森敦研究の基盤は形成され、基礎的な研究の…
  • 森敦「月山」総合的研究, 井上 明芳, 科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228), 2014年03月31日, 本研究は、平成25・26・27年度に採択された科学研究費補助金基盤研究C(JSPS科研費、課題番号25370228)の助成を受けている。本書は平成25年度の研究成果報告書である。森家の全面的な協力の下、所蔵されている森敦の自筆資料について整理分類の上、目録作成をすることを目的にしている本研究のうち、最重要作品の一つ「月山」について、目録作成が終わったため、翻刻し初公開をした。その際、草稿から初刊単行本に至る生成過程を見いだせるようにすると同時に、「月山」の舞台山形県七五三掛地区の実地踏査も踏まえ、総…
  • 文学表象論・序説, 井上 明芳, 翰林書房, 2013年02月20日, 本書は文学表象をめぐって、序で文学言説の境界性を論じ、論的基盤を設け、第一部で芥川龍之介や太宰治、国木田独歩、折口信夫、萩原朔太郎をとりあげることで文学テクストの構造的な表象を論じた。第二部では小林秀雄の批評言説を論じ、「私」の表象が文学・批評における意義を見出した。第三部では横光利一のテクストを取り上げ、その表現の局面性や強度を論じた。結論的に配置した第四部では、永井荷風「腕くらべ」と森敦「月山」とを取り上げ、言語空間の虚構性とそこに備わる〈境界〉を論じた。文学言説自体が内包する局面性は、語り手と…
  • 『横光利一と鶴岡―21世紀に向けて―』, 横光利一文学碑建立実行委員会, 2000年09月01日, 本書は、横光利一夫人の故郷である山形県鶴岡市で、横光顕彰事業の立ち上げを記念して作成されたものである。横光と鶴岡の関連は横光研究において重要な意味があるため、それに寄与すべく、編集代表として、佐藤俊和氏と私とで本書の内容を企画した。特に横光生前最後の単行本『夜の靴』は、鶴岡市上郷に横光一家が疎開したことを描いており、疎開先の家や人も残っているので、貴重な資料として取材し証言などを掲載した。また、横光が疎開中執筆していた「雪解」の草稿が保存されており、所有者奥田實氏と吉岡真緒氏と私とで翻刻し、未発表資…
  • 『横光利一 歐洲との出会い『歐洲紀行』から『旅愁』へ』, おうふう, 2009年07月01日, 横光利一がヨーロッパを旅行したときの「歐洲メモ」2冊が、遺族横光象三氏より井上謙氏に委託されたので、写真版と翻刻で紹介し、『歐洲紀行』と『旅愁』の研究に基礎的な資料として寄与しようと企画したのが本書である。企画意図として編者の井上謙、掛野剛史、私とで単に翻刻紹介にとどまらず、横光研究者にも執筆してもらい、横光のヨーロッパ体験の意義にも言及し問題提起していこうとした。そうした意図のもとで、鶴岡市に横光家より寄託された横光自筆原稿のうち、「旅愁」自筆稿も部分的ではあるが翻刻掲載した。また大分県宇佐市所蔵…
  • 『向田邦子鑑賞事典』, 翰林書房, 2000年07月01日, 井上謙、神谷忠孝両氏編による向田邦子の資料的に網羅した事典である。私の執筆箇所は、以下のようである。「単著」が「作品鑑賞」項目のうち「酸っぱい家族」「桃から生まれた桃太郎」「嘘つき卵」「眠り人形」。「語彙」の解説は多数執筆している。資料として西浦まり氏と共同で調査し作成したものとして「ラジオ・テレビ・映画・舞台一覧」と「著書目録」、「主要参考文献一覧」である。これらは、西浦氏とそれぞれに調査した資料を合わせて資料として作成したので、担当部分は抽出不可能である。
  • 『現代文学鑑賞辞典』, 東京堂出版, 2002年03月01日, 栗坪良樹氏編による現代文学を読むための辞典である。私の担当執筆箇所は2箇所。丹羽文雄「厭がらせの年齢」と池宮彰一郞「四十七人の刺客」とである。内容は、作家についての概略、取り上げた作品のあらすじ、読みどころとしての批評的な内容である。
  • 『横光利一事典』, おうふう, 2002年10月01日, 井上謙、神谷忠孝、羽鳥徹哉三氏編による初の横光利一について網羅した事典である。単著部分としては「作品鑑賞」(「古戦場」「夜の靴」「夜の靴ノート」「笑った皇后」)、「用語・語彙」の項目では多数執筆している。また資料として「家系図」を作成した。共著部分としては掛野剛史、松寿敬両氏とともに「書簡・資料紹介」として全集未収録のものを調査、公開した。また松寿敬、吉岡真緒両氏と「著書一覧」を作成し、全集の誤りなどを正した。さらに松寿敬氏とは「文学案内」の「上海」地図を作成し、解説を付した。「『歐洲紀行』図」の作…
  • 平成23年度文学部共同研究報告書 横光利一「夜の靴」研究 本文校異、注釈及び関連資料調査, 國學院大學, 2012年03月20日, 横光利一「夜の靴」について、従来行われてこなかった現地調査を中心に、「夜の靴」研究の基礎的基盤を形成した。横光が疎開していた山形県西田川郡西目(現、山形県鶴岡市上郷地区)の現地調査に基づき、疎開当時の地図を作成した。また、登場人物のモデルや語句の注釈を行い、現実と虚構の側面を明らかにした。さらに、初出本文と初版単行本本文の詳細な校異を行い、生成過程を示した。それらを踏まえ、テーマを設定し、「夜の靴」読解の多様性を示した。なお本研究は平成23年度國學院大學文学部共同研究費の助成を受けている。

講演・発表

  • 「小林秀雄と正宗白鳥―「思想と実生活」論争をめぐって―」, 國學院大學國文學會秋季大会, 1993年11月01日, 國學院大學
  • 「小林秀雄の〈歴史〉観―『ドストエフスキイの生活』序「歴史について」を中心に―」, 國學院大學國文學會秋季大会, 1997年11月01日, 國學院大學
  • 「芥川龍之介「羅生門」論―署名者への回路―」, 國學院大學國文學會5月例会, 2001年05月01日, 國學院大學
  • 「横光利一「機械」論への試み―「私」あるいは物語の生成―」, 解釈学会全国大会, 2002年08月01日
  • 「教材としての「走れメロス」研究」, 解釈学会全国大会, 2005年08月01日, 常葉学園大学
  • 「森敦「月山」論―〈境界〉化する「月山」―」, 日本近代文学会全国大会, 2005年10月01日, 國學院大學
  • 「芥川龍之介の文学における中国文学の受容」, 日中言語文化研究国際共同シンポジューム, 2009年08月01日, 南京大学
  • 日中韓言語・文化研究国際学術共同シンポジウム2011 言語・文化に於ける中国、韓国、日本, 解釈
  • 芥川龍之介の文学における中国文学の受容, 日中言語文化研究国際共同シンポジューム
  • 森敦「月山」論―〈境界〉化する「月山」―, 日本近代文学会全国大会
  • 教材としての「走れメロス」研究, 解釈学会全国大会
  • 横光利一「機械」論への試み―「私」あるいは物語の生成―, 解釈学会全国大会
  • 「芥川龍之介「羅生門」論―署名者への回路―」, 國學院大學國文學會5月例会, 國學院大學
  • 「小林秀雄の〈歴史〉観―『ドストエフスキイの生活』序「歴史について」を中心に―」, 國學院大學國文學會秋季大会, 國學院大學
  • 「小林秀雄と正宗白鳥―「思想と実生活」論争をめぐって―」, 國學院大學國文學會秋季大会, 國學院大學
  • 「横光利一「機械」論への試み―「私」あるいは物語の生成―」, 解釈学会全国大会
  • 「教材としての「走れメロス」研究」, 解釈学会全国大会, 常葉学園大学
  • 「森敦「月山」論―〈境界〉化する「月山」―」, 日本近代文学会全国大会, 國學院大學
  • 「芥川龍之介の文学における中国文学の受容」, 日中言語文化研究国際共同シンポジューム, 南京大学

その他

  • 『東京文学探訪 明治を見る、歩く』上・下巻, NHK出版, 2002年03月01日, 井上謙, 井上謙氏の著書で、NHKラジオ第二放送のためのテキストである。いわゆる文学探訪という文学作品や作家にゆかりの土地を実際に歩くという内容でラジオ講座を設けたいという企画があり、その構成の段階から協力した。上下合わせて26回あるため、作家や作品を選び、26コースを設定し、実際に取材した。また井上謙氏の原稿を取材内容に合わせて整合性をとるなど、編集にも協力し、各回の「脚注」と巻末に「主要人物生没年表」を作成し付した。
  • 『東京文学探訪 大正・昭和を見る、歩く』上・下巻, NHK出版, 2002年10月01日, 井上謙, 井上謙氏の著書で、『東京文学探訪 明治を見る、歩く』の続編である。NHKラジオ第二放送のテキストとして、全26回分を企画し、それぞれの土地を取材した。それに基づいて井上謙氏に執筆してもらい、私は校正を担当した。さらに、各回の「脚注」と巻末に「関連文学史年表」を付し、読解の助けになるようにした。
  • 『横浜・鎌倉・湘南を歩く』, NHK出版, 2006年10月01日, 井上謙, 井上謙氏の著書で、東京のほかに横浜や鎌倉を扱ってほしいとの要望から実現したものである。NHKラジオ第二放送のテキストである。横浜と鎌倉に湘南方面も加え、全25回構成で企画した。今回も編集協力として、現地コースの取材をし、井上謙氏の原稿の校正を担当した。各回の「脚注」と巻末に「参考文献一覧」を付した。
  • 『明治・大正・昭和のベストセラー』, 2007年07月01日, 太田治子, 太田治子氏の著書で、NHKラジオ第二放送のテキストである。近代文学のベストセラーを取り上げる講座に企画段階から協力を依頼され参加した。明治以降のベストセラーを調査し、太田氏に選択してもらい、それで執筆いただいた。原稿の校正を担当しながら、不明箇所の意見を出した。読者の便宜をはかり、とりあげた15作品のあらすじを各回巻頭に置き、その執筆をした。

競争的資金

  • 16K02417, 自筆資料調査および実地踏査による森敦文学の総合的研究, 本年度は、当初の計画通り昨年に引き続き、森敦「われ逝くもののごとく」の生成過程の調査、翻刻と作品舞台である庄内平野の現地調査、資料収集を行った。その成果について、12月9日(土)に國學院大學にて森敦研究会を開催し、披露した。;本研究会は、物語を〈体験〉するということをテーマとし、上記成果を報告するだけでなく、報告デジタル技術を駆使する方法を考案した試みを行った。森敦の文学理論である「意味の変容」に述べられる内部/外部の理論を体験的に表すことを目指した。具体的には、庄内平野の立体地図に、「意味の変容」の理論と「われ逝くもののごとく」の物語内容とをプロジェクション・マッピングで実現し、視覚的体験を実現した。また、スマートグラスを用いて、現地調査で収集した現地映像を背景にし、グラスに映る部分に物語場面を影絵で演出し、朗読を重ねて、物語を身体的に体験できる方法を提示した。さらに、前年に引き続き講師として、黒田大河氏、中村三春氏のほか、さらに塚田修一氏を新たにお迎えして、「われ逝くもののごとく」の〈体験〉性について、シンポジウムを行った。構造的な視点や物語の引用の視点、社会学的視点を交え、本物語の解釈を超えて物語を〈体験〉する可能性を模索した。最後には森富子氏による森敦の創作秘話についてのご講演を賜った。以上の内容から、森敦文学がたんなる読みの可能性を超えて、〈体験〉するという身体を使って実感できることを示し得た。;これは、文学研究の可能性をさらに開くことにつながると思われる。とりわけデジタル技術の応用は、研究面だけではなく、講義や演習などで活用でき、教育的な可能性も十分に見出される。文学作品の解釈が説明に止まらず、解釈者の表現になること、アクティブ・ラーニングが重視される今日、森敦文学の可能性はそれに応え得るであろう。;「われ逝くもののごとく」の自筆原稿の調査、翻刻は予定通り進んでおり、生成過程の公開の方法の実際的な検討に入ることができている。森敦研究会にてインターネットを通じてwebサイトを開設して公開する方法を具体的に示すこともできた。むろん、検討の余地はあるが、予定通り進めていきたい。;また、現地調査も順調に進み、舞台となった地区も撮影が進んでいる、ただし、土砂崩れのため、行くことができない場所(十二滝など)があるため、次年度に期したい。;森敦研究の可能性の模索という点は、スマートグラスやプロジェクション・マッピングなどのデジタル技術の駆使によって、想定以上の成果を得ている。この点は引き続き、追求していきたい。;今後の研究の推進方策については、これまで通り「われ逝くもののごとく」の自筆原稿の調査。翻刻を行う。これには大学院生や学部生にも参加してもらう予定である。自筆原稿を見る機会は極めて貴重であり、作品が成立する過程を追体験することは教育的な面で重要な意味を持っている。;また、現地調査も従来通り行う。具体的には夏季休暇を利用するが、土砂崩れで立ち入れない十二滝などの復旧を待ちたい。可能ならば、復旧後調査に行く予定である。こうして得られた調査資料と生成過程の資料、注釈などを合わせて、webサイトを開設し、広く公開する。それによって本研究の当初の目的を達成する予定である。;さらに上記サイトを鶴岡市と連携しながら、地域の活性化につながるようなかたちにしたいと考えている。
  • 25370228, 森家所蔵森敦自筆資料による基礎的研究, 本課題研究は、森家の所蔵する森敦自筆資料について全体像を示すことを目的としている。これまで未公開であった膨大な森敦自筆資料について、小説、評論、エッセイ等に分類し、それらを発表誌等の書誌的な事項に基づいて一覧化した。その成果は『森敦資料目録』として公開した。;森敦文学の草稿や紙片等の調査を行い、生成過程を跡づけた本課題研究は、森敦文学の基礎的研究としての成果をあげている。とくに代表作「月山」については、すべての草稿類を翻刻し、それぞれの草稿の内容的、表現的な関連についても明らかにした。;同時に「月山」の舞台である山形県鶴岡市七五三掛地区の現地調査も行い、作品の虚構性を明らかにした。
  • 23820049, 横光利一自筆資料の調査翻刻による研究基盤形成, 本研究は、横光家ならびに山形県鶴岡市所蔵の横光利一自筆資料について調査し、目録の作成とすべての資料にわたり翻刻を行った。翻刻については、原資料保存の観点からデジタル画像化したものを用いて行い、抹消痕なども可能な限り判読した。それによって横光の執筆過程を明らかにすることを目的としている。その成果を公開することによって横光利一研究の生成論的な分野を補うことで、基礎的な寄与を果たしている。
  • 自筆資料調査および実地踏査による森敦文学の総合的研究, 本年度は、当初の計画通り昨年に引き続き、森敦「われ逝くもののごとく」の生成過程の調査、翻刻と作品舞台である庄内平野の現地調査、資料収集を行った。その成果について、12月9日(土)に國學院大學にて森敦研究会を開催し、披露した。;本研究会は、物語を〈体験〉するということをテーマとし、上記成果を報告するだけでなく、報告デジタル技術を駆使する方法を考案した試みを行った。森敦の文学理論である「意味の変容」に述べられる内部/外部の理論を体験的に表すことを目指した。具体的には、庄内平野の立体地図に、「意味の変容」…
  • 森家所蔵森敦自筆資料による基礎的研究, 本課題研究は、森家の所蔵する森敦自筆資料について全体像を示すことを目的としている。これまで未公開であった膨大な森敦自筆資料について、小説、評論、エッセイ等に分類し、それらを発表誌等の書誌的な事項に基づいて一覧化した。その成果は『森敦資料目録』として公開した。;森敦文学の草稿や紙片等の調査を行い、生成過程を跡づけた本課題研究は、森敦文学の基礎的研究としての成果をあげている。とくに代表作「月山」については、すべての草稿類を翻刻し、それぞれの草稿の内容的、表現的な関連についても明らかにした。;同時に「月山…
  • 横光利一自筆資料の調査翻刻による研究基盤形成, 本研究は、横光家ならびに山形県鶴岡市所蔵の横光利一自筆資料について調査し、目録の作成とすべての資料にわたり翻刻を行った。翻刻については、原資料保存の観点からデジタル画像化したものを用いて行い、抹消痕なども可能な限り判読した。それによって横光の執筆過程を明らかにすることを目的としている。その成果を公開することによって横光利一研究の生成論的な分野を補うことで、基礎的な寄与を果たしている。

教育活動

担当授業

  • 日本文学演習II, 2019, 新感覚派の旗手として記憶される横光利一は、新しい表現を追究した作家である。また森敦はその才能を横光に見出された作家である。そこで本演習では、前期に森敦「月山」を取り上げ、生成論的な視点を加えて構造的に徹底した読解を試みる。後期は横光文学の表現を構造的に分析することを目的とする。具体的には「上海」「紋章」「家族会議」「夜の靴」など、中編を中心に扱う。前期は「月山」のみを扱い、発表してもらう。後期は横光作品をそれぞれ数回取り上げ、グループ発表してもらう。発表は先行研究を紹介し、研究史を概括した上で、独自の見解を提示する。その発表内容をめぐって質疑応答を行う。
  • 日本文学演習II, 2019, 本演習は、受講者が卒業論文で取り上げる作家とその作品について、精緻に発表することを目的とする。受講者は、各々の作品について、先行研究をしっかりと踏まえ、独自の解釈を論理的に組み立てて発表する。そしてその後の質疑応答を取り入れて、最終的には卒業論文の完成を目指す。
  • 日本文学演習III, 2019, 新感覚派の旗手として記憶される横光利一は、新しい表現を追究した作家である。また森敦はその才能を横光に見出された作家である。そこで本演習では、前期に森敦「月山」を取り上げ、生成論的な視点を加えて構造的に徹底した読解を試みる。後期は横光文学の表現を構造的に分析することを目的とする。具体的には「上海」「紋章」「家族会議」「夜の靴」など、中編を中心に扱う。前期は「月山」のみを扱い、発表してもらう。後期は横光作品をそれぞれ数回取り上げ、グループ発表してもらう。発表は先行研究を紹介し、研究史を概括した上で、独自の見解を提示する。その発表内容をめぐって質疑応答を行う。
  • 日本文学演習III, 2019, 本演習は、受講者が卒業論文で取り上げる作家とその作品について、精緻に発表することを目的とする。受講者は、各々の作品について、先行研究をしっかりと踏まえ、独自の解釈を論理的に組み立てて発表する。そしてその後の質疑応答を取り入れて、最終的には卒業論文の完成を目指す。
  • 日本文学講読I, 2019, 明治から昭和前期の日本近代文学の著名な作品を読み、それぞれの問題点を検討しながら、各自が日本近代文学の概念を構築していく必要がある。一年間でできるだけ多くの作品に触れていくことを第一にするので、毎回一作品の解説、検討をしていく。したがって、あらかじめ該当作品を読み、自分なりのイメージをつかんでおくことが大切であるから、必ず事前に読んで講義に臨むこと。その上で、毎回レポートを提出してもらう。それは|論点(何をどのように論じていくべきか)|という内容である。これを|A4サイズの400字詰め原稿用紙一枚|にまとめ、提出する。これを書くことで、作品を構造的に〈読む〉ということが明瞭になるはずである。 |なお、本講座は前期のみの開講であるが、通年で想定しているため、後期「日本文学講読2」も合わせて受講してほしい。
  • 日本文学講読, 2019, -
  • 日本文学講読II, 2019, 明治から昭和前期の日本近代文学の著名な作品を読み、それぞれの問題点を検討しながら、各自が日本近代文学の概念を構築していく必要がある。一年間でできるだけ多くの作品に触れていくことを第一にするので、毎回一作品の解説、検討をしていく。したがって、あらかじめ該当作品を読み、自分なりのイメージをつかんでおくことが大切であるから、必ず事前に読んで講義に臨んでほしい。その上で、毎回レポートを提出してもらう。それは|論点(何をどのように論じていくべきか)|という内容である。これを|A4サイズの400字詰め原稿用紙一枚|にまとめ、提出する。これを書くことで、作品を構造的に〈読む〉ということが明瞭になるはずである。 |なお、本講座は後期開講であるが、通年講義を想定しているため、前期「日本文学講読1」も合わせて受講してほしい。
  • 日本文学概説I, 2019, 國學院大學の歴史や建学の精神、日本文学研究の伝統について解説し、その学問的特質を踏まえた文学(日本文学)研究についての基礎的な事項を講述する。また、具体的な文学作品のいくつかを取り上げ、その表現における特質を考察した上で、読むこと、調べること、考えること、そして書くことの4項目について実践し、文学研究に関わるコミュニケーション全般を体験することを目指す。
  • 日本文学概説II, 2019, 日本文学に限らずすべての文学は「読む」ことに始まる。それは高等学校時代までに習得してきた技術ではあるが、本講座ではさらに一歩を進め、作家の意図や物語の主題といった正解から脱却し、読みの可能性を得ることを目指す。そのために言葉とは何か、物語とは何かといった問題を講義形式で投げかけ、共有できるようにし、論理的な思考を養う。そのために、前期で習得した古典文学の内容に近代文学を加え、現代思想を踏まえた方法を講義する。この講座を通じて、さまざまジャンルの文学研究の基礎を修得してほしい。
  • 卒業論文, 2019
  • 日本文学演習II, 2020, *本演習は、前期同様、遠隔形式になります。原則 zoomを使用します。URLはその都度お知らせします。|新感覚派の旗手として記憶される横光利一は、新しい表現を追究した作家である。また森敦はその才能を横光に見出された作家である。そこで本演習では、前期に森敦「月山」を取り上げ、生成論的な視点を加えて構造的に徹底した読解を試みる。後期は横光文学の表現を構造的に分析することを目的とする。具体的には「上海」「紋章」「家族会議」「夜の靴」など、中編を中心に扱う。前期は「月山」のみを扱い、発表してもらう。後期は横光作品をそれぞれ数回取り上げ、グループ発表してもらう。発表は先行研究を紹介し、研究史を概括した上で、独自の見解を提示する。その発表内容をめぐって質疑応答を行う。
  • 日本文学演習II, 2020, *本演習は、前期同様、遠隔形式になります。原則 zoomを使用します。URLはその都度お知らせします。|本演習は、受講者が卒業論文で取り上げる作家とその作品について、精緻に発表することを目的とする。受講者は、各々の作品について、先行研究をしっかりと踏まえ、独自の解釈を論理的に組み立てて発表する。そしてその後の質疑応答を取り入れて、最終的には卒業論文の完成を目指す。
  • 日本文学演習III, 2020, *本演習は、前期同様、遠隔形式になります。原則 zoomを使用します。URLはその都度お知らせします。|新感覚派の旗手として記憶される横光利一は、新しい表現を追究した作家である。また森敦はその才能を横光に見出された作家である。そこで本演習では、前期に森敦「月山」を取り上げ、生成論的な視点を加えて構造的に徹底した読解を試みる。後期は横光文学の表現を構造的に分析することを目的とする。具体的には「上海」「紋章」「家族会議」「夜の靴」など、中編を中心に扱う。前期は「月山」のみを扱い、発表してもらう。後期は横光作品をそれぞれ数回取り上げ、グループ発表してもらう。発表は先行研究を紹介し、研究史を概括した上で、独自の見解を提示する。その発表内容をめぐって質疑応答を行う。
  • 日本文学演習III, 2020, *本演習は、前期同様、遠隔形式になります。原則 zoomを使用します。URLはその都度お知らせします。|本演習は、受講者が卒業論文で取り上げる作家とその作品について、精緻に発表することを目的とする。受講者は、各々の作品について、先行研究をしっかりと踏まえ、独自の解釈を論理的に組み立てて発表する。そしてその後の質疑応答を取り入れて、最終的には卒業論文の完成を目指す。
  • 日本文学講読I, 2020, 今般の事情に鑑みて、以下の内容をzoom等を利用した遠隔授業で行います。|詳細につきましては、初回のガイダンスの時間に説明しますので、必ず参加をして下さい。|明治から昭和前期の日本近代文学の著名な作品を読み、それぞれの問題点を検討しながら、各自が日本近代文学の概念を構築していく必要がある。一年間でできるだけ多くの作品に触れていくことを第一にするので、毎回一作品の解説、検討をしていく。したがって、あらかじめ該当作品を読み、自分なりのイメージをつかんでおくことが大切であるから、必ず事前に読んで講義に臨むこと。その上で、毎回レポートを提出してもらう。それは|論点(何をどのように論じていくべきか)|という内容である。これを|A4サイズの400字詰め原稿用紙一枚|にまとめ、提出する。これを書くことで、作品を構造的に〈読む〉ということが明瞭になるはずである。|なお、本講座は前期のみの開講であるが、通年で想定しているため、後期「日本文学講読2」も合わせて受講してほしい。
  • 日本文学講読, 2020, -
  • 日本文学講読II, 2020, *本講義は、遠隔形式になります。原則 zoomを使用します。URLはその都度お知らせします。|明治から昭和前期の日本近代文学の著名な作品を読み、それぞれの問題点を検討しながら、各自が日本近代文学の概念を構築していく必要がある。一年間でできるだけ多くの作品に触れていくことを第一にするので、毎回一作品の解説、検討をしていく。したがって、あらかじめ該当作品を読み、自分なりのイメージをつかんでおくことが大切であるから、必ず事前に読んで講義に臨んでほしい。その上で、毎回レポートを提出してもらう。それは|論点(何をどのように論じていくべきか)|という内容である。これを|A4サイズの400字詰め原稿用紙一枚|にまとめ、提出する。これを書くことで、作品を構造的に〈読む〉ということが明瞭になるはずである。|なお、本講座は後期開講であるが、通年講義を想定しているため、前期「日本文学講読1」も合わせて受講してほしい。
  • 日本文学概説I, 2020, 今般の事情に鑑みて、以下の内容をzoom等を利用した遠隔授業で行います。|詳細につきましては、初回のガイダンスの時間に説明しますので、必ず参加をして下さい。|國學院大學の歴史や建学の精神、日本文学研究の伝統について解説し、その学問的特質を踏まえた文学(日本文学)研究についての基礎的な事項を講述する。また、具体的な文学作品のいくつかを取り上げ、その表現における特質を考察した上で、読むこと、調べること、考えること、そして書くことの4項目について実践し、文学研究に関わるコミュニケーション全般を体験することを目指す。
  • 日本文学概説II, 2020, *本講義は、遠隔形式になります。原則 zoomを使用します。URLはその都度お知らせします。|日本文学に限らずすべての文学は「読む」ことに始まる。それは高等学校時代までに習得してきた技術ではあるが、本講座ではさらに一歩を進め、作家の意図や物語の主題といった正解から脱却し、読みの可能性を得ることを目指す。そのために言葉とは何か、物語とは何かといった問題を講義形式で投げかけ、共有できるようにし、論理的な思考を養う。そのために、前期で習得した古典文学の内容に近代文学を加え、現代思想を踏まえた方法を講義する。この講座を通じて、さまざまジャンルの文学研究の基礎を修得してほしい。
  • 日本文学講読I, 2021, |本講義は、近代日本文学作品を構造的に読解する方法の修得を目指す。|そのためには明治から昭和前期の日本近代文学の著名な作品を読み、それぞれの問題点を検討しながら、各自が日本近代文学の概念を構築していく必要がある。開講内でできるだけ多くの作品に触れていくことを第一にするので、毎回一作品の解説、検討をしていく。したがって、あらかじめ該当作品を読み、自分なりのイメージをつかんでおくことが大切であるから、必ず事前に読んで講義に臨むこと。その上で、毎回レポートを提出してもらう。それは|論点(何をどのように論じていくべきか)|という内容である。これを|A4サイズの400字詰め原稿用紙一枚|にまとめ、提出する。これを書くことで、作品を構造的に〈読む〉ということが明瞭になるはずである。|なお、本講座は前期のみの開講であるが、通年で想定しているため、後期「日本文学講読2」も合わせて受講してほしい。
  • 日本文学講読II, 2021, 本講義は近代日本文学の作品を構造的に読解する方法の習得を目指す。|明治から昭和前期の日本近代文学の著名な作品を読み、それぞれの問題点を検討しながら、各自が日本近代文学の概念を構築していく必要がある。一年間でできるだけ多くの作品に触れていくことを第一にするので、毎回一作品の解説、検討をしていく。したがって、あらかじめ該当作品を読み、自分なりのイメージをつかんでおくことが大切であるから、必ず事前に読んで講義に臨んでほしい。その上で、毎回レポートを提出してもらう。それは|論点(何をどのように論じていくべきか)|という内容である。これを|A4サイズの400字詰め原稿用紙一枚|にまとめ、提出する。これを書くことで、作品を構造的に〈読む〉ということが明瞭になるはずである。|なお、本講座は後期開講であるが、通年講義を想定しているため、前期「日本文学講読1」も合わせて受講してほしい。
  • 日本文学概説I, 2021, 國學院大學の歴史や建学の精神、日本文学研究の伝統について解説し、その学問的特質を踏まえた文学(日本文学)研究についての基礎的な事項を講述する。また、具体的な文学作品のいくつかを取り上げ、その表現における特質を考察した上で、読むこと、調べること、考えること、そして書くことの4項目について実践し、文学研究に関わるコミュニケーション全般を体験することを目指す。
  • 日本文学演習II, 2021, 新感覚派の旗手として記憶される横光利一は、新しい表現を追究した作家である。また森敦はその才能を横光に見出された作家である。そこで本演習では、前期に森敦「月山」を取り上げ、生成論的な視点を加えて構造的に徹底した読解を試みる。後期は横光文学の表現を構造的に分析することを目的とする。具体的には「上海」「紋章」「家族会議」「夜の靴」など、中編を中心に扱う。前期は「月山」のみを扱い、発表してもらう。後期は横光作品をそれぞれ数回取り上げ、グループ発表してもらう。発表は先行研究を紹介し、研究史を概括した上で、独自の見解を提示する。その発表内容をめぐって質疑応答を行う。
  • 日本文学演習II, 2021, 本演習は、受講者が卒業論文で取り上げる作家とその作品について、精緻に発表することを目的とする。受講者は、各々の作品について、先行研究をしっかりと踏まえ、独自の解釈を論理的に組み立てて発表する。そしてその後の質疑応答を取り入れて、最終的には卒業論文の完成を目指す。
  • 日本文学演習III, 2021, 新感覚派の旗手として記憶される横光利一は、新しい表現を追究した作家である。また森敦はその才能を横光に見出された作家である。そこで本演習では、前期に森敦「月山」を取り上げ、生成論的な視点を加えて構造的に徹底した読解を試みる。後期は横光文学の表現を構造的に分析することを目的とする。具体的には「上海」「紋章」「家族会議」「夜の靴」など、中編を中心に扱う。前期は「月山」のみを扱い、発表してもらう。後期は横光作品をそれぞれ数回取り上げ、グループ発表してもらう。発表は先行研究を紹介し、研究史を概括した上で、独自の見解を提示する。その発表内容をめぐって質疑応答を行う。
  • 日本文学演習III, 2021, 本演習は、受講者が卒業論文で取り上げる作家とその作品について、精緻に発表することを目的とする。受講者は、各々の作品について、先行研究をしっかりと踏まえ、独自の解釈を論理的に組み立てて発表する。そしてその後の質疑応答を取り入れて、最終的には卒業論文の完成を目指す。

教育活動に関する実践・工夫・取組等

  • 2020, テキストマイニングの手法によるテクスト分析, 日本文学演習IIにおいて、KH coderを用いてテキストマイニングの手法を取り入れ、読みの可能性を学生と共有し、考察した。

オフィスアワーの実施時期・曜時

  • 2018

学外活動

学協会活動

  • 國學院大學國文學會, 1993年04月
  • 日本近代文学会, 1997年04月
  • 解釈学会, 1997年04月
  • 日中文化研究会, 1997年04月
  • 昭和文学会, 1999年11月
  • 横光利一文学会, 2002年03月
  • 解釈学会
  • 横光利一文学会
  • 横光利一文学会
  • 昭和文学会
  • 日中文化研究会
  • 解釈学会
  • 日本近代文学会
  • 國學院大學國文學會