「「超国家主義」と宗教に関する覚書」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第18号, 1, 69, 2024年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 筆者は以前、島薗進・末木文美士・大谷栄一・西村明編『近代日本宗教史 第四巻 戦争の時代 昭和初期~敗戦』(春秋社、令和三年〔二〇二一〕五月二十日発行)に論考(第七章「超国家主義と宗教」)を寄せたことがあるが、元原稿の段階でやや大部なものとなつてしまつたため、最終的に提出した原稿はそこから大幅に縮約した結果、舌足らずな部分を多く残すこととなつた。それ故この度、何かしら既出論考の理解に資する面もあるかと思ひ、聊か言葉が足りなかつた部分の引用や本文記述を相当増補し、別稿として公表することとした。改稿に当たつては、元原稿全体を見直して加筆修正を行つたが、歴史的仮名遣や元号優先の表記に改め、文献註を引用順方式(バンクーバー方式)に変更してゐる。
本稿では、近代日本(特に昭和戦前期)における「超国家主義」乃至「超国家」といふコトバと「宗教」とが交差する使用例を跡付けることによつて細やかな概念史を試み、各言説の〈理想〉と〈現実〉とを明確に区別しつつ、「超国家主義」と「宗教」との関係如何といふ課題に取り組んだ。
「松永材の日本主義と英霊公葬運動」, 藤田大誠, 『國學院大學校史・学術資産研究』, 第16号, 27, 120, 2024年03月06日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 筆者は、すでに平成三十年と令和二年に國學院大學教授松永材の国体論と神仏観に着目し、英霊公葬問題の展開における彼の思想と活動を分析した論考を発表してゐる。但し拙論は、一旦結論まで書いた元原稿が大部に亙るものであつたため、掲載媒体の紙幅制限などの理由から相当程度縮約した論文として公表したものであつた。本稿は、発表論考と重複する部分はあるが、松永材の経歴部分を軸に旧稿(元原稿)を全面的に見直した上で、國學院大學の校史研究に資するといふ観点をも含めつつ、大幅に改稿したものである。
本稿では、「英霊公葬運動」に新たに深く参入した「右翼在野神道」の担ひ手のうち、当該運動にとつて極めて重要なキーパーソンであり、昭和戦前期に「日本主義」を標榜した特異な哲学者である國學院大學教授の松永材(まつなが・もとき 明治二十四年〔一八九一〕一月二十四日~昭和四十三年〔一九六八〕帰幽日不詳)に焦点を当てた。具体的には、松永の経歴を押さへつつ、彼の日本主義と国体論を取り上げ、特に神仏観を軸として検討を加へた。
「「国民体育」から「国民錬成」へ―総力戦体制下の明治神宮大会―」, 藤田大誠, 『國學院大學人間開発学研究』, 第15号, 1, 19, 2024年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 本稿では、大正十三年から昭和十九年まで十四回に亙り開催された明治神宮大会の総力戦体制下における内実を再検討するため、当時のキーワード「錬成」に着目した。明治神宮大会において「錬成」の語は、「明治神宮体育大会」末期から使はれ始め、「明治神宮国民体育大会」時代には、定型表現として慣習化した使用法ではあつたが存在感を示し続けて定着し、遂には「明治神宮国民錬成大会」といふ名称にまで前景化するに至つた。厚生省が大会名称を「国民体育」から「国民錬成」へと改めたのは、決戦下における「国民体育」概念の拡張に基づき、全国民を対象とした〈「体育」即「練武」+「修文」=「国民錬成」〉といふ認識によるものであつた。銃後「全国民」による「健民錬成」と「居常錬成」の意義は強調されたが、種目内容について抜本的変革がなされたとは言へなかつた。最後まで明治神宮大会の方針からスポーツ競技性は抹殺されず、残存し続けたのである。
「「満洲国」スポーツ界と明治神宮大会」, 藤田大誠, 高嶋航・佐々木浩雄編『満洲スポーツ史―帝国日本と東アジアスポーツ交流圏の形成―』, 291, 319, 2024年01月23日, 青弓社, 満洲スポーツ界と明治神宮大会との関係について検討し、第11回明治神宮大会から参加する満洲国スポーツ界の動向に限定して検討することによつて、満洲における「明治神宮大会体制」論の妥当性について再考した。
「橿原神宮外苑の形成と体育・スポーツ施設―日本的奉納競技空間の近代的展開―」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第60号, 46, 72, 2023年11月03日, 明治聖徳記念学会, 本稿は、〈日本的奉納競技空間の近代的展開〉の重要事例である橿原神宮「外苑」の形成史のうち、「橿原道場」の前史に当たる時期、橿原神宮外苑として成立した「畝傍公園」の形成過程について、「都市としての明治神宮(内苑+外苑)」といふ補助線を引きつつ検討した。
「明治神宮大会の展開と満洲スポーツ界」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第17号, 25, 89, 2023年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 本稿は、満洲スポーツ界と明治神宮大会との関係について、主に前者の後者に対する眼差しといふ観点から跡付けることを目的とした。但し、満洲スポーツ界のうち、唯一の「外国」代表選手団として、昭和十五年の第十一回明治神宮国民体育大会から参加することとなつた「満洲国」代表については別稿 を予定してゐるため、本稿では主に、第一回大会から参加してきた在満日本人選手派遣団、即ち満州国建国以前から明治神宮大会に出場してきた「満洲」代表もしくは「関東州」代表の動向を中心に概観することとした。
「明治期における國學院の運動部活動―國學院同窓會の体育部から運動部への展開―」, 藤田大誠, 『國學院大學校史・学術資産研究』, 第15号, 1, 30, 2023年03月06日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 本稿では、前稿「國學院大學運動部活動史研究序説―近代日本における学生スポーツの一事例として―」(『國學院大學人間開発学研究』第13号、令和4年)の序説的検討における素描による見通しを踏まへ、國學院大學運動部活動の通史を具に描くための第一段階として、改めて明治期における國學院の運動部活動に焦点を当てて検討を加へ、國學院同窓會の体育部から運動部への展開を跡付けた。
「近代国学と国史学—國學院大學の国史学科と国史学会—」, 藤田大誠, 小澤実・佐藤雄基編『史学科の比較史―歴史学の制度化と近代日本―』, 521, 562, 2022年05月30日, 勉誠出版, 近代の國學院大學における歴史研究の系譜については、「学部国史学科」の沿革のみならず、〈近代国学最後の砦〉としての皇典講究所・國學院大學の歩み全体を視野に入れ、「建学の精神」(神道と国学)と正統派実証史学たる「東大史学」との接点から検討を加える必要がある。本稿では、主に國學院大學学部国史学科並びに国史学会の成立過程とその展開に焦点を当てて、〈近代国学〉と「国史学」との関係の一端を考察した。
「國學院大學運動部活動史研究序説―近代日本における学生スポーツの一事例として―」, 藤田大誠, 『國學院大學人間開発学研究』, 第13号, 1, 14, 2022年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 日本における運動部活動の原点には、高等教育機関の組織化された課外活動である「学生スポーツ」の歴史的展開がある。日本独自のスポーツ文化といふ観点からそれを詳細に跡付けることは、日本の運動部活動の将来を考へる上で必要不可欠な前提作業である。それ故、伝統私学の國學院大學において、如何なる運動部活動史を描くことが出来るのか、といふのが本稿の問ひである。具体的には、明治十五年に創立された皇典講究所における正課体育から説き起こした上で、同二十三年設立の國學院と密接な課外活動組織である國學院同窓会体育部の設立と展開から、大正十一年の「國學院大學学友会」成立までを概観した。学友会成立によつて國學院大學では、〈國學院同窓会「体育部」→國學院大學同窓会「運動部」=「撃劔部」→「剣道部」〉といふ未分化状態の運動部活動から、個々の武道・スポーツ競技種目ごとに分かたれた運動部活動の分節化、専門化が図られたのである。
「超国家主義と宗教」, 藤田大誠, 島薗進・末木文美士・大谷栄一・西村明編『近代日本宗教史 第四巻 戦争の時代―昭和初期~敗戦―』, 203, 232, 2021年05月20日, 春秋社, 本稿では、近代日本(特に昭和戦前期)における「超国家主義」や「超国家」といふコトバと「宗教」が交差する使用例を跡付けることでささやかな概念史を試み、「超国家主義」と「宗教」との関係如何といふ課題に取り組んだ。
「近代国学と皇典講究所・國學院大學の国史学―学部国史学科成立前史―」, 藤田大誠, 『國學院大學校史・学術資産研究』, 第13号, 81, 140, 2021年03月05日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 本稿では、國學院大學学部国史学科並びに国史学会が成立する前提となる「学部国史学科成立前史」の検討に取り組み、〈近代国学最後の砦〉としての皇典講究所・國學院大學における国史学の在り方を再検討した。
「戦時下における英霊公葬運動と神仏抗争―日本主義の哲学者・松永材の神仏観を軸として―」, 藤田大誠, 國學院大學研究開発推進センター編〔阪本是丸責任編集〕『近代の神道と社会』, 667, 690, 2020年02月15日, 弘文堂, 本稿では、戦時下の「英霊公葬運動」に深く参入し「神仏抗争」を惹起した張本人で「日本主義」の哲学者として知られる松永材(まつながもとき)に焦点を当て、その神仏観を軸に検討した。
「大正大礼における神社界の活動―全国神職会と皇典講究所を中心に―」, 藤田大誠, 『國學院雑誌』, 第120巻, 第11号, 222, 239, 2019年11月15日, 國學院大學文学部資料室, 本稿では、当時の国民にとつて、「大正大礼」を奉祝するといふ経験が敬神観念普及に繋がつたとするならば、その旗振り役であつたはずの神社界の具体的な活動は如何なるもので、それは一般社会と神社神職の社会にとつてどのやうな影響を与へたのか、について検討した。
「明治神宮体育大会とオリンピック―日本的神前スポーツの近代的展開―」, 藤田大誠, 『神園』, 第22号, 1, 25, 2019年11月03日, 明治神宮国際神道文化研究所, 本稿では、近年の研究動向を整理した上で、大正から昭和戦前期にかけての「明治神宮体育大会」(神宮競技)と「オリンピック」との関はりに着目し、日本的神前スポーツの近代的展開について検討を加へた。
「国家神道と国体論に関する学際的研究序説」, 藤田大誠, 藤田大誠編『国家神道と国体論―宗教とナショナリズムの学際的研究―』, 1, 48, 2019年09月30日, 弘文堂, 本稿では、国家神道と国体論の両主題を有機的に結合し、新たな議論の方向性を提出するために最前線の知見を総合した「学際的アリーナ」を構築すべく、その予備的検討を行つた。
一 はじめに
二 国家神道と国体論に関する近年の研究動向
(一)「国家神道」研究の現状
(二)「国体論」研究の現状
三 「国体論史」を描いた学者の相貌
(一)内務省神社局発行『国体論史』編述と清原貞雄
(二)里見岸雄の「国体論史」研究とその神道観
四 「国体明徴」と神道・宗教・教育
(一)国体明徴運動と神社界・宗教界
(二)教学刷新体制下の国体論と神道・国学
五 むすび
「大正大礼前史における大嘗祭解釈―賀茂百樹『通俗講義登極令大要』を中心に―」, 藤田大誠, 『神道宗教』, 第254・255号, 289, 317, 2019年07月25日, 神道宗教学会, 本稿では、靖國神社宮司・賀茂百樹の著作『通俗講義登極令大要』(大正元年十月十日初版発行)や大嘗祭関連論考を手掛かりとして、大正大礼前史における多様な論者による大嘗祭解釈を取り上げる中で、主に「大礼」といふ枠組みや現在の日本政府において「公定」された「大嘗祭の意義」にも多分に含まれてゐる祭神観(天照大神及び天神地祇)、国民観、農業観に関する言説について検討した。
「「国家神道」概念の近現代史」, 藤田大誠, 山口輝臣編『史学会シンポジウム叢書 戦後史のなかの「国家神道」』, 5, 42, 2018年10月10日, 山川出版社, 近現代日本における「国家神道」概念の来歴を論じたもの。
はじめに
1 「国家神道」の研究史とその出発点
「国家神道」研究史の概観/「神道指令」の「国家神道」概念/「国家神道」概念の受容と展開
2 近代における「国家神道」という語の使用
「祭教学分離」後における三系統の「神道」/明治後期に使用された「国家神道」の語」/宮地直一が使用した「国家神道」の語
3 「神道」概念の諸相と「国家的神道」論
近代における「神道」概念の浮沈/加藤玄智「国家的神道」の先駆とその影響力/『神道大辞典』の各種「神道」概念
おわりに
「近代の偉人祭祀―別格官幣社を中心に―」, 藤田大誠, 『神社本庁総合研究所紀要』, 第23号, 1, 67, 2018年06月30日, 神社本庁総合研究所, 本稿は、第33、34、35回の神社本庁神道教学研究大会において主題とされた「人霊祭祀」に関する議論を踏まへ、「偉人」の霊を「神霊」として神社の御祭神として祀る(祭祀する)こと、即ち「偉人祭祀」の神道教学的意義を考へるため、近代の別格官幣社を中心に再検討することを目的とした。本稿では、「偉人祭祀」の観点から、明治維新以降において付与された新たな社格「別格官幣社」や天皇・皇族の「神霊」を祀る官社など、近代の「人霊祭祀」神社について再考した。なほ本稿は、第35回の研究大会における発題「近代の偉人祭祀―別格官幣社を中心に―」での配布資料を改稿したものである。
「『国体論史』と清原貞雄に関する基礎的考察」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第12号, 1, 128, 2018年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 管見によれば、これまで、『国体論史』を編み、自身も歴史的研究方法(主に思想史・文化史・道徳史的アプローチ)によつて「国体論」や「日本精神論」、さらには「神道史」、「国学史」に関する研究書・啓蒙書を多数物した清原貞雄(明治18年〔1885〕―昭和39年〔1964〕)の人物像や思想的営為については殆ど言及されてをらず、本格的研究は未だ一つも無い。清原貞雄とは一体如何なる人物で、彼が内務省神社局発行『国体論史』編述を任されたことは何を意味するのか、さらには彼の「国体論」や「神道史」などの業績はどのやうな位置付けとなるのかは先行研究からは窺ひ知れない。それ故、本稿では清原貞雄に関する基礎的考察を行つた。具体的には、『国体論史』の成立過程や内容、同時代的評価を確認した上で、近代日本社会の変動を踏まへつつ、同書編述者である清原貞雄の著作や論考について検討することにより、その国体論の展開と彼の人物像について検討を加へた。
「國學院大學における建学の精神「神道精神」の基礎的考察」, 藤田大誠, 『國學院大學校史・学術資産研究』, 第10号, 31, 86, 2018年03月07日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 本稿では、平成29年に設立10周年を迎へた研究開発推進機構校史・学術資産研究センターにおける研究蓄積や、その出発点において同センターと並走的に校史・学術資産研究の基盤を築いた文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業(オープン・リサーチ・センター整備事業)「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」(平成19年度~平成23年度)の「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクトにおける研究成果を踏まへつつ(筆者も研究メンバーとして深く関与した)、筆者が長年取り組んできた近代神道史・国学研究と國學院大學の校史研究との接点に当たる重要課題と捉へ、國學院大學の建学の精神である「神道精神」の沿革について今一度校史の観点から整理し直し、基礎的考察を行ふことで、少しでもその正確な理解に寄与したいと考へる。
「明治神宮外苑拡張構想と幻の東京オリンピック」, 藤田大誠, 『國學院大學人間開発学研究』, 第9号, 47, 62, 2018年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 第32回オリンピック競技大会(2020/東京)のオリンピックスタジアムである新国立競技場は、昭和39年(1964)に第18回東京大会で主競技場とされた国立霞ヶ丘競技場の建て替へである。新旧の国立競技場は、第18、32回の両東京五輪でいづれも主競技場とされたが、元来この空間のルーツである明治神宮外苑競技場(大正13年〔1924〕竣功)自体がオリンピックを念頭に置いて造られた施設であり、昭和15年に第12回大会として開催されるはずであつた「幻の東京オリンピック」でも一旦は主競技場と位置付けられてゐた。本稿では、昭和初年から「幻の東京オリンピック」までにおける明治神宮外苑拡張構想について再検討を行ひ、明治神宮外苑の空間をオリンピックスタジアムに位置付けたい、といふ近現代日本を貫く一種の「理想像」を求める心性が、すでに外苑造営時に日本的文脈と国際的文脈を結ぶ論理で構築されてゐたことを論じた。
(書評)粟津賢太著『記憶と追悼の宗教社会学――戦没者祭祀の成立と変容』, 藤田 大誠, 宗教と社会, 24, 0, 121, 125, 2018年, 「宗教と社会」学会
「靖國神社の祭神合祀に関する一考察―人霊祭祀の展開と「賊軍」合祀問題を軸として―」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第11号, 1, 90, 2017年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 平成28年秋、亀井静香元金融担当相(衆議院議員)や石原慎太郎元東京都知事(作家)を中心として、保守・革新を問はない超党派の政界関係者、財界関係者、宗教者などによつて、幕末維新期に「賊軍」とされた方々の靖國神社合祀を求める申し入れがなされた。本稿では、このアクチュアルな問題である「賊軍」合祀申し入れの内容に対する批判的検討を行ふことを通して、日本における「人霊祭祀」の展開と「賊軍」合祀問題について再検討し、極めて細やかではあるものの靖國神社の祭神合祀に関する一考察を試みた。
「昭和初年における明治神宮体育大会の歴史的意義―学生参加問題と昭和天皇行幸を軸として―」, 藤田大誠, 『國學院大學人間開発学研究』, 第8号, 55, 69, 2017年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 「明治神宮競技(体育・国民体育・国民錬成)大会」(最も長期に亙る名称は「明治神宮体育大会」)は、大正十三年(一九二四)から昭和十八年(一九四三)の間、「明治神宮外苑競技場」(昭和三十三年より国立霞ヶ丘競技場)をはじめとする明治神宮外苑の体育・スポーツ施設を主会場として開催された日本初の総合的・国民的・全国的な運動競技(スポーツ)大会であり、戦後における「国民体育大会」の前提としても知られてゐる。本稿では、明治神宮体育会主催「明治神宮体育大会」時代のうち、昭和二年の第四回大会と同四年の第五回大会が開催された昭和初年の時期を対象として、当該時期における同大会に固有の体育・スポーツ史的意義の抽出を目的とした。具体的には、「神宮競技」の性格を確認した上で、当該時期における重要課題であつた「学生参加問題」の展開とその最終的解決の意義、第五回大会における初の「天覧」の文化史的・社会史的意義を検討した。
江島尚俊・三浦周・松野智章編『戦時日本の大学と宗教』, 藤田 大誠, 宗教研究, 91, 2, 281, 288, 2017年, 日本宗教学会
発表4 右翼在野神道と国体論―戦時下の英霊公葬運動を中心に―(テーマセッション3 近代日本社会における神道と国体論―宗教とナショナリズムをめぐる一断面―), 藤田 大誠, 宗教と社会, 23, 0, 202, 203, 2017年, 「宗教と社会」学会
趣旨説明(テーマセッション3 近代日本社会における神道と国体論―宗教とナショナリズムをめぐる一断面―), 藤田 大誠, 宗教と社会, 23, 0, 195, 196, 2017年, 「宗教と社会」学会
「大阪國學院百三十年史(二)財団法人大阪國學院の展開」, 藤田大誠, 『浪速文叢』, 第27号特別, 1, 135, 2016年08月25日, 一般財団法人大阪国学院, 本稿では、明治四十三年の「財団法人大阪國學院」設立以降、浪速中学校を創立した大正期に至るまでの大阪國學院の展開について概観した。
「戦時下の戦歿者慰霊・追悼・顕彰と神仏関係―神仏抗争前夜における通奏低音としての英霊公葬問題―」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第10号, 1, 39, 2016年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 本稿ではまづ、「英霊公葬問題」の研究史を整理し、課題を抽出した。その上で「非常時」の日本社会、特に「準戦時体制」を経た後、昭和12年(1937)の支那事変勃発によつて対外的緊張が極まつた国家総動員・総力戦体制下における日本社会を「戦時下」と捉へ、当該時期における戦歿者慰霊・追悼・顕彰儀礼の実態とそこに関はつた担ひ手の「理想」と「現実」について検討した。具体的には、神仏関係に留意しつつ、昭和14年の招魂社整備問題、従軍神職問題、忠霊塔問題といふ戦歿者慰霊・追悼・顕彰に関する三問題の帰結について概観するとともに、「英霊公葬問題」研究上、あまり注目されて来なかつた、大政翼賛会や神祇院が設立し「紀元二千六百年」を迎へる翌15年における諸勢力の動向にも着目した。つまり本稿は、昭和16年に大政翼賛会で勃発する「神仏抗争問題」の前夜ともいふべきこの時期を通して、実は〈通奏低音〉の如く鳴り響いてゐた「英霊公葬問題」に関する検討である。
「国学的教育機関に関する基礎的考察―「近代国学と教育」の視座から―」, 藤田大誠, 『國學院大學人間開発学研究』, 第7号, 63, 76, 2016年02月29日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 本稿では、これまで近代日本における「教育と宗教」や「大学と宗教」といふ枠組みを前提として進められてきた先行研究に対する批判的検討に基づき、「近代国学と教育」といふ新たな視座を提示した。具体的には、近代において國學院(國學院大學)の経営母体であつた中央(東京)の「皇典講究所」(本所)とともに、全国各地(地方)に設置された「皇典講究分所」や様々な神職団体が設立した「地方神職養成機関」を中核とする「国学的教育機関」といふ殆ど学界未知の研究対象に焦点を当てて、「職業資格の認定=付与」に関はる神職や教員の養成事業、さらには中等教育機関設置を含む普通教育に対する積極的な取り組みに注目した。その結果、中央・地方における国学的教育・神職養成機関の社会的役割とその意義を考察することの重要性が見い出されたが、各教育機関の質については、戦前期においても厳しい意見が出されてをり、大いに注意を要することを指摘した。
(書評へのリプライ)藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後――近代神社をめぐる環境形成の構造転換――』, 藤田 大誠, 宗教と社会, 22, 0, 110, 112, 2016年, 「宗教と社会」学会
「近代における国学的教育機関の社会的役割に関する一考察―財団法人大阪國學院の事例から―」
, 藤田大誠, 『日本教育史学会紀要』, 第5巻, 24, 47, 2015年03月20日, 日本教育史学会, 本稿では、皇典講究分所や地方神職会などを経営母体とする「地方神職養成機関」の一般的存在形態について検討した上で、特に「大阪府皇典講究分所」を前身とする「財団法人大阪國學院」における神職養成事業、普通教育への取り組みに焦点を当てて、近代の国学的教育機関が果たした社会的役割の一端を明らかにした。
「明治神宮競技大会創設と神宮球場建設に関する一考察―内務省衛生局と学生野球界の動向を中心に―」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第9号, 1, 31, 2015年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 本稿は、大正末期における体育・スポーツ史的背景を勘案しつつ、これまでの研究では詳しく検討されて来なかつた、当該問題に関はる具体的な担ひ手の動向に着目することによつて、明治神宮競技大会創設と明治神宮野球場(神宮球場)建設の歴史的意義について再検討を行ふことを目的としたものである。
「「神宮競技問題」の推移と「明治神宮体育大会」の成立」, 藤田大誠, 『國學院大學 人間開発学研究』, 第6号, 59, 73, 2015年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 「明治神宮競技(体育・国民体育・国民錬成)大会」(最も長期に亙る名称は「明治神宮体育大会」)は、大正十三年(一九二四)から昭和十八年(一九四三)まで、明治神宮外苑における体育・スポーツ施設を主な会場として開催された、国民的かつ総合的・全国的な運動競技(スポーツ)大会であつた。本稿では、大正十五年(一九二六)において、なぜ明治神宮「競技」大会(内務省主催)から明治神宮「体育」大会(明治神宮体育会主催)へと名称や主催を変更しなければならなかつたのかについて、「神宮競技問題」の推移に焦点を当てて検討した。この問題の帰結としての民間組織・明治神宮体育会主催「明治神宮体育大会」の成立は、「官」(文部省)の妨害と「民」(民間運動競技者の連合体である明治神宮体育会)による恢復・再生によるものであり、主催の「民営化」こそ齎したものの、内務省による「運動競技」奨励といふ性格を劇的に変更するものでは無かつた。
島薗進・磯前順一編, 『宗教と公共空間-見直される宗教の役割-』, 東京大学出版会, 二〇一四年七月刊, A5判, vii+二九四頁, 四四〇〇円+税, 藤田 大誠, 宗教研究, 89, 2, 405, 411, 2015年, 日本宗教学会
「支那事変勃発前後における英霊公葬問題」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第51号, 35, 52, 2014年11月03日, 明治聖徳記念学会, 本稿では、これまで詳細な検討がなされて来なかつた、昭和十二年の支那事変勃発前後における「公葬問題」に焦点を当てて、戦歿者慰霊・追悼・顕彰の儀礼形式の在り方について再検討した。
講演録:「近代日本の国体論・「国家神道」研究の現状と課題」, 藤田大誠, 『国体文化』, 第1080号, 10, 31, 2014年05月01日, 日本国体学会・里見日本文化学研究所, 本講演録は、第38回国体文化講演会(平成26年3月7日、於 学士会館)における発表資料を大幅に縮約改稿したもので、あへて敬体ではなく常体で掲載。所謂学術論文形式ではないが、内容は極めて学術的な内容である。
「近代神職の葬儀関与をめぐる論議と仏式公葬批判」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第8号, 89, 124, 2014年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 本稿では、日露戦争を指標として、これ以降、「非常時」に入る昭和初年の時期に至るまでにおける神職の葬儀関与をめぐる論議の展開と、それと密接に関はる仏式公葬批判の内容について検討した。
「「鎮守の森」の近現代」, 藤田大誠, 『國學院大學 人間開発学研究』, 第5号, 83, 96, 2014年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 本稿では、あくまでも法令用語ではない「鎮守の森」といふ語に拘り、「鎮守の森」研究の現状を踏まへつつ、〈近現代日本〉(特に近代)といふ時期に焦点を当てて、「鎮守の森」といふ概念が、いつどのやうに生み出されて日本の社会に定着、変遷したのかについて、聊かの考察を加へた。
「神社対宗教問題に関する一考察―神社参拝の公共性と宗教性―」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第7号, 41, 66, 2013年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 近代において、国民・大衆の希望による「公共性」が集約された神社として創建された、明治天皇・昭憲皇太后を祀る極めて新しい「モダン」な形式の神社において、大勢の参拝者が押し寄せ、「宗教性」溢れる参拝がなされてゐたといふことは、一般国民・大衆〔公衆〕にとつて「神社」とは、「神社対宗教」といふ二者択一では到底割り切れない〈空間〉であつたことを意味する。つまり、政府と真宗・キリスト教関係者のどちらの主張も、国民大衆の支持を広く得てゐたとは到底いへない。然らば、その間にあつて、神社界に近い人々の「神社対宗教問題」における論じ方はどうであつたのか、といふことを、「神社参拝(神社崇敬)」の公共性と宗教性に焦点を当てて検討したのが本稿である。
「明治神宮外苑造営と体育・スポーツ施設構想―「明治神宮体育大会」研究序説―」, 藤田大誠, 『國學院大學 人間開発学研究』, 第4号, 57, 76, 2013年02月28日, 國學院大學人間開発学会(國學院大學人間開発学部内), 本稿では、「明治神宮体育大会」研究序説として、同大会の前提となる明治神宮外苑造営における体育・スポーツ施設構想のうち、その発端であり最大の建造物でもある競技場建設構想に焦点を当てて、それ自体公共性が濃厚な場所である〈神社〉に附属する「公共空間」といふ観点から検討した。詳細な検討の結果、明治神宮外苑の体育・スポーツ施設構想とは、「オリンピック」といふ大きな政治的・経済的効果が見込まれる巨大スポーツイベントの将来的誘致を視野に入れた国際的文脈に基づき、それに不可欠なインフラとしての「競技場」といふ近代西洋の最新施設を導入することが目的であつたが、その際、日本的文脈(「公共空間」たる神社境内の「馬場」や「神前スポーツ」的奉納行事)を媒介、接続することによつて「正統(正当)性」の根拠を獲得し、その導入をスムースにするといふ周到な計画であつたことを指摘した。
「青山葬場殿から明治神宮外苑へ―明治天皇大喪儀の空間的意義―」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第49号, 96, 126, 2012年11月03日, 明治聖徳記念学会, 本稿では、あくまでも明治神宮造営史といふ観点から明治天皇大喪儀を捉へ、特に「青山葬場殿」といふ空間に焦点を当てることによつて、明治神宮造営までの道程を概観し、その空間的意義を検討した。
「神仏分離後の神社と神官・神職」, 藤田大誠, 『神道宗教』, 第228号, 58, 97, 2012年10月25日, 神道宗教学会, 第65回神道宗教学会学術大会シンポジウム「神仏関係史再考―カミを祀る空間の担い手をめぐって―」(平成23年12月3日、於 國學院大學渋谷キャンパスAMC棟常盤松ホール)における発題④「神仏分離後の神社と神官・神職」の内容を論文化したもの。本稿では、日本の〈近代〉もしくは現在にまで至る〈近現代〉における「カミを祀る担ひ手」=「神社神職」の形成過程に焦点を置き、その出発点における「神仏判然」(神仏分離)研究の現状を聊か整理した上で、「神仏判然」(神仏分離)後における神社の神官・神職に関する制度の変遷について、近年の研究成果を参照しつつ、その「近代性」と「公共性」の在り方を窺つた。
「皇典講究所・國學院大學における日本法制史の特質」, 藤田大誠, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第4号, 217, 243, 2012年03月31日, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター, 本稿では、これまで比較的言及されることの多かつた東京帝国大学(東京大学、帝国大学)及び京都帝国大学(京都大学)といふ両帝国大学を軸とする「日本法制史」の学史ではなく、瀧川政次郎が「日本法制史発祥の地」とまで評した私立の国学的研究・教育機関である皇典講究所・國學院(國學院大學)における「日本法制史」研究の変遷を検討した。
「近代人文学の形成と皇典講究所・國學院-國學院の学術資産に見る伝統文化研究発信の現代的意義-」, 齊藤智朗・藤田大誠, 『文部科学省私立大学学術研究高度化事業 オープン・リサーチ・センター整備事業 成果論集 モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践』, 39, 82, 2012年03月31日, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター, 齊藤智朗(國學院大學研究開発推進機構准教授)・藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授、研究開発推進機構准教授〔兼担〕), 文部科学省私立大学学術研究高度化事業(オープン・リサーチ・センター整備事業)「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」を推進する國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンターの「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクトの最終成果論集(最終報告)。
本稿では、本研究プロジェクトの背景や前提に位置付けられる近世・近代における「コト」「モノ」(事物)を対象とする研究を概観するとともに、本研究プロジェクトにおける業績を中心に、5年間における活動を通じて得た知見をまとめ、今後、さらなる研究の進展を期す上で見出し得る課題を提起した。
「大阪國學院百三十年史(一)財団法人大阪國學院の創立過程」, 藤田大誠, 『浪速文叢』, 第22号, 1, 111, 2012年03月31日, 財団法人大阪國學院, 本稿では、「大阪府皇典講究分所」の成り立ちからその展開を辿り、「財団法人大阪國學院」の創立過程を概観した。
「近代神苑の展開と明治神宮内外苑の造営―「公共空間」としての神社境内―」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第6号, 69, 128, 2012年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 本稿では、〈「公共空間」としての神社境内〉といふ補助線を引くことによつてこの未曾有の国家的・全国民的プロジェクトである明治神宮内外苑の造営といふ出来事が、近現代日本の神社境内、特に〈帝都東京〉における神社境内の「公共性」の在り方の変遷に如何なる関はりを持つてゐたのかについて聊か考察を及ぼした。とりわけ「近代神苑」や「公園」の展開に留意しつつ、明治神宮内外苑造営をめぐる人々によつて、「公共空間」としての神社境内と「神苑」「公園」との関係が如何に捉へられ、明治神宮造営といふ国家的プロジェクトにおける新たなる「外苑」概念の創出に至つたのかについて考察を加へた。なほ本論文は、平成23年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:二二五二〇〇六三、研究代表者・藤田大誠)並びに明治神宮国際神道文化研究所平成23年度共同研究「明治神宮史に関する総合的・学際的研究」における研究成果の一部である。
「近代日本の高等教育機関における「国学」と「神道」」, 藤田大誠, 『國學院大學 人間開発学研究』, 第3号, 71, 95, 2012年02月29日, 國學院大學人間開発学会(國學院大學人間開発学部内), 本稿は、教育史学会第55回大会研究発表(於 京都大学 平成23年10月2日)の内容をもとに作成した。また、平成23年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)における研究成果の一部でもある。
本稿では、主に「大学」制度が確立していく明治後期から大正期、昭和初年までの東京と京都の両帝国大学、そして私学の國學院大學などを対象として、「国学」と「神道」の取り扱ひの変遷を辿ることによつてそれぞれの特色を窺ふことで、近代日本の高等教育機関における「国学」と「神道」の位置付けを検討した。
「近代国学と日本法制史」, 藤田大誠, 『國學院大學紀要』, 第50巻, 105, 132, 2012年02月14日, 國學院大學, 本稿は、法制史学会近畿部会第415回例会(平成22年12月18日、於 京都大学法経本館三階小会議室)での発表原稿に大幅な加除修正を加へたものであり、また、文部科学省平成19年度オープン・リサーチ・センター整備事業「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」を推進する國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクトにおける研究成果の一部でもある。本稿では、「近代国学」史研究の観点から、近代的学問としての「日本法制史」の成立史と「近代国学」との関はりについて検討し、近代日本における人文・社会科学系の学問史解明の一助とすることを目的とした。
「慰霊の「公共空間」としての靖國神社」, 藤田大誠, 『軍事史学』, 第47巻第3号, 56, 74, 2011年12月01日, 軍事史学会, 本稿では、近代神道史と軍事史の観点を架橋し、近代日本の中央(帝都東京)における〈国家的―国民的〉な戦没者慰霊の「公共空間」が、〈東京招魂社―靖國神社〉といふ神道祭祀を執行する〈神社〉形式の「公共空間」として形成された社会的意義と、その空間の位置付けを検討した。とりわけ慰霊の「公共空間」の国際比較といふ観点に注目し、靖國神社と比較されるべき他国の慰霊の「公共空間」は、第一次世界大戦以降、それまでの「英雄顕彰」を主とするパンテオン的施設ではなく、「国家総力戦」の産物としての「無名戦士の墓」的追悼施設へと対象が転換して行くことを明らかにした。また、近代日本国家においては、その出発点から、前近代の歴史的「公共性」を重視する中で他国には無い「国家之宗祀」たる〈神社〉の形式を採用し、帝都東京に慰霊の国家的・中核的「公共空間」としての靖國神社を創建してその祭祀を社会的に確立してきたため、本格的な「国家総力戦」体制下においては、徐々に自国における慰霊・追悼・顕彰の独自性・優越性の自覚を強めざるを得ず、靖國神社には万邦無比的独自性・国際的孤立性といふ評価が付き纏はざるを得なくなつたと論じた。
「明治神宮史研究の現在―研究史の回顧と展望―」, 藤田大誠, 『神園』, 第6号, 110, 131, 2011年11月03日, 明治神宮国際神道文化研究所, 本稿は、明治神宮国際神道文化研究所平成23年度共同研究「明治神宮史に関する総合的・学際的研究」、並びに平成二十三年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:二二五二〇〇六三、研究代表者・藤田大誠)における研究成果の一部である。かかる共同研究事業の前提となる明治神宮史研究の現状と課題について概観し、明治神宮史研究の前提となる基礎的文献、明治神宮の創建過程に関する研究、明治神宮内外苑の造営過程に関する研究(明治神宮の社殿建築に関する研究、明治神宮内苑の森に関する研究、明治神宮外苑の造営に関する研究、聖徳記念絵画館と明治神宮競技大会の研究)について、聊かの研究史整理を試みた。
「神道史からみた近代仏教」, 藤田大誠, 『近代仏教』, 第18号, 27, 43, 2011年05月20日, 日本近代仏教史研究会, 平成22年5月22日に國學院大學において開催された第18回日本近代仏教史研究会研究大会(主催:日本近代仏教史研究会、共催:國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター)におけるシンポジウム「問い直される近代仏教」での発題レジュメに加除修正し、論文化したもの。
本論文では、近代神道史研究と日本近代仏教史研究とを比較検討し、①制度史/思想史、②神仏分離/廃仏毀釈、③神社史/寺院史、④神道学/仏教学、といふいはば二項「対立」的、或いは二項「並列」的図式に整理しつつ私見を提示した。具体的には、個人の内面を重視する「日本近代仏教史」と「神社史」に立脚する「近代神道史」との対比を行つた上で、主に歴史学方面から多様な異論が出てきてゐるステロタイプな「神仏分離=廃仏毀釈」観の再考を促すとともに、「日本近代仏教史研究」における「近代寺院」研究の「不在」を指摘し、さらに近代的学問(学知)としての「神道学」と「仏教学」の差異にも言及した。
「大阪府皇典講究分所から財団法人大阪國學院へ」, 藤田大誠, 『國學院大學 校史・学術資産研究』, 第3号, 41, 99, 2011年03月03日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 國學院(國學院大學)の経営母体であつた皇典講究所(本所)は、その明治15年の創立時から、内務省の委託を受けて、「神官試験」(本試験)の実施による神官資格(学証)の授与事業を行つたが、他方、全国各地(地方)に設けられた皇典講究「分所」は「仮試験」を行つて「仮学証」を与へるといふ、極めて特殊な使命を帯びてゐた。このやうに、皇典講究所の「校史」研究を進める中で、全国各地の「皇典講究分所」といふ存在が浮かび上がつて来る訳であるが、これまで本格的研究は殆ど無かつた。そこで本稿では、皇典講究所・國學院大學の「校史」にも密接に関はる「皇典講究分所」研究のケース・スタディとして、大阪府の皇典講究分所を取り上げた。具体的には、明治15年に成立した「大阪府皇典講究分所」が明治43年に財団法人化して改称し「財団法人大阪國學院」へと展開する時期に焦点を絞り、本所からかなりの程度の独立性を有することとなる「財団法人大阪國學院」の成立経緯の一端について、筆者が蒐集した刊行物等の関係資料や財団法人大阪國學院の所蔵資料を用ゐて検討した。
「國學院大學における伝統文化教育の意義と展望」, 藤田大誠, 『國學院大學 人間開発学研究』, 第2号, 42, 55, 2011年02月28日, 國學院大學人間開発学会(國學院大學人間開発学部内), 本稿は、國學院大學人間開発学会第2回大会(平成22年11月13日、於國學院大學たまプラーザキャンパス)の公開シンポジウム「日本の伝統文化教育と人間開発学の構築―カリキュラム開発を視野に入れて―」における自身の発題内容をもとに論文化したものである。なほ、本号には同シンポジウムの討議記録も掲載されてゐる。
本稿では、國學院大學、なかでも平成21年4月に新設されたばかりの人間開発学部(初等教育学科・健康体育学科)において現在行はれてゐる、「建学の精神」(神道精神)に基づく日本の伝統文化に関する教育(伝統文化教育)の意義が那辺にあり、また、今後、どのやうな展望が考へられるのか、といふ点について、國學院大學における「建学の精神」(神道精神)や伝統文化研究・教育(国学)の意義、戦前・戦後を貫く「神道」観などに触れつつ、私見を提示した。
「近代日本の教育勅語観と神道・国学」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第47号, 391, 422, 2010年11月03日, 明治聖徳記念学会, 本稿は、明治聖徳記念学会公開シンポジウム「近代日本の教育と伝統文化」(平成22年6月12日、於 明治神宮参集殿。司会=三宅守常、パネリスト=天野郁夫、高橋陽一、齊藤智朗、藤田大誠)における発題レジュメを、論旨を変へずに加筆修正の上、論文化したものである。なほ、『明治聖徳記念学会紀要』復刊第47号には、シンポジウムの記録が掲載されてゐるが、討議には発題者の一人である筆者の発言も載つてゐる。
本論では、あへて教育勅語と高等教育との接点を探り、帝国大学や中等教員養成に関はる官立の高等教育機関である高等師範学校・文理科大学、さらには、近代における「国学」的高等研究教育機関であり、多くの中等教員養成にも寄与した私立専門学校・大学となつた國學院 に所属した学者・教員の教育勅語観の一端を窺つた。また、これに加へ、主に神道家・国学者の「教育勅語衍義書」を検討材料として、仏教やキリスト教など他宗教の担ひ手の衍義書にも言及しつつ、その多様な教育勅語観も一部ではあるが紹介した。
「近代皇族制度の形成と展開」, 藤田大誠, 『藝林』, 第59巻第1号, 124, 171, 2010年04月10日, 財団法人日本学協会 藝林会, 本稿は、筆者がこれまで取り組んできた、近代皇室制度の形成過程における国学者の役割についての研究と皇室の神仏分離(宮門跡の還俗)研究の観点を接続し、さらに皇室典範から皇室親族令へと繫がる流れの中で、近代皇族制度の形成と展開の一端を窺つたものである。検討の結果、国学者・小中村(池邊)義象の論考に見られるやうに明治皇室典範制定直後からすでに「皇族制度」といふ言葉が使用されてゐたこと、婚姻によつて変化することの無い「皇親」と皇室典範の「皇族」の概念はその意義を相当異にしてゐること、国学者・小中村清矩は、明治皇室典範における「皇族」といふ概念そのものが、自国の「古制」を十分に「斟酌」した上での「新制」であると認識してゐたこと、「皇室の神仏分離」を伴つた「宮門跡の還俗」が近代皇族制度の前提として決定的な意味を持つてゐたこと、皇室の「誕生」「婚嫁」に関する規定・儀礼の近代的展開である皇室誕生令と皇室婚嫁令を統合したものとして明治四十三年の皇室親族令が制定されたことなどが明らかになつた。
「明治初期における教導職の「敬神愛国」観」, 藤田大誠, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第2号, 149, 164, 2010年03月31日, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンターの「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクトでは、「三条教則」の衍義書をはじめとする教導職による著作群などの一大コレクションを有する國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター河野博士記念室(河野省三博士記念文庫)の所蔵資料〔國學院大學学長を務めた河野省三のコレクション〕を検討した。その研究の一環として位置付けられてゐる本研究においては、「河野博士記念室」所蔵資料を数多く翻刻した三宅守常の労作『三条衍義書資料集』同資料集上・下巻の所載資料について網羅的に検討する中で、随時、國學院大學図書館の所蔵資料(学術資産)や独自に蒐集した関係資料等の考察も加味しながら、明治初期の宣教使や教導職における、「国民教化」のためのテキストの変遷やその内容に注目した。
「日清・日露戦争後の神仏合同招魂祭に関する一考察」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第4号, 67, 102, 2010年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 本稿では、近代日本における神道的な慰霊・追悼・顕彰の意味を再検討するため、主に明治後期の日清・日露戦争後における軍隊組織や地域社会での「神仏合同」招魂祭の実態を手掛かりにして、戦死者の慰霊・追悼・顕彰儀礼である招魂祭における「信仰・宗教上の形式」としての神式と仏式のあり方について聊か考察した。近代仏教界が、西南戦争以降、本来は維新期に形成された神式の戦歿者慰霊である「招魂祭」と、仏式の回向や供養を伴ふ「戦死者追弔行事」とをあへて同質視、もしくは同一カテゴリーのものとして捉へてきた戦略的な意図が仄見えてくることを指摘した。
「近代国学における「神道」と「道徳」に関する覚書―皇典講究所・國學院の展開を中心に-」, 藤田大誠, 『國學院大學 校史・学術資産研究』, 第2号, 19, 45, 2010年03月05日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 本稿では、まづ前半において、拙著『近代国学の研究』に対する批判について若干検討することにより最近の「近代国学」像をめぐる相剋の論点を浮かび上がらせた上で、後半において、近代の国学的研究・教育機関である皇典講究所・國學院における「神道」と「道徳(道義)」への眼差しを概観した。その出発点から、皇典講究所・國學院の人々が奉ずる「国学」(国史・国文・国法)や「神道」は、明確に「非宗教」なものであり、「宗教」性は前景化して来ないのであるが、ただ、そのことは決して彼らが「無精神」「無信仰」であつたといふ訳では無く、「皇祖皇宗の遺訓」や「本教」、「惟神の大道」、或いは時には「神道」といふ言葉をも用ゐつつ、各人の理想とする「道徳(道義)」の有り様を熱烈に語つてきた軌跡が十分に窺へることを指摘した。
「明治後期の皇典講究所・國學院の研究教育と出版活動」, 藤田大誠, 『國學院大學 校史・学術資産研究』
, 第1号, 1, 47, 2009年03月09日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 本稿では、出版活動の検討といふ視角からの校史研究の一環として、主に明治二十七年の『國學院雜誌』発刊以降明治末年頃までの、明治後期における皇典講究所・國學院大學の出版活動を概観し、皇典講究所と國學院大學の差異にも着目しながら、その研究教育、及びその成果発信の特質を窺つた。
報告1.明治期の神道・宗教とナショナリズム(近・現代日本宗教におけるナショナリズムの諸相-神道・新宗教・海外日系宗教を中心に-,テーマセッション4,2008年度学術大会・テーマセッション記録), 藤田 大誠, 宗教と社会, 15, 0, 219, 221, 2009年, 「宗教と社会」学会
「皇典講究所・國學院の伝統文化研究・教育に関する覚書」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第2号, 217, 248, 2008年03月20日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 本稿では、現在の日本の教育目標における「伝統文化」の位置付けや「伝統」といふ語の意味を歴史的に確認した上で、皇典講究所・國學院における伝統文化研究・教育について、モノとしての出版物を手がかりとしつつ、特に学校教育の拡張としての社会教育、そして普通教育に対する眼差しに注目しながら概観した。皇典講究所・國學院は、一貫して天皇と神道を中核とする日本の国体(国柄)の講究に努め、多岐に亙るあらゆる日本の伝統文化の起源・来歴を明らかにし、その成果を普通教育、社会教育の現場を念頭に置いた、神祇教育・古典教育・国語国文教育・国史教育・国法教育などに活かすとともに、広く社会に発信することを行なつてきたことを明らかにした。
西村明著, 『戦後日本と戦争死者慰霊-シズメとフルイのダイナミズム-』, 有志舎, 2006年12月刊, A5判, 229頁, 5,000円+税(書評とリプライ), 藤田 大誠, 宗教と社会, 14, 0, 126, 133, 2008年, 「宗教と社会」学会
近代日本における「怨親平等」観の系譜, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第44号, 101, 117, 2007年11月03日, 明治聖徳記念学会, 近年、「人の霊を神として祀る」系譜の延長線上に位置付けられる近代以降の招魂社・靖國神社といふ神道的かつ国家的・公共的な慰霊・追悼・顕彰に対して、仏教的な思想に根を持つ「怨親平等」観による敵味方供養を対置し「対抗軸」とすることによつて、いはばもう一つの「日本的慰霊伝統」と看做して「敵を祀らない」靖國神社やその「英霊」観を批判するといふ言説が有力に存在してゐる 。だが、肝心の「怨親平等」観そのものについては、実は近代以降の研究史でさへまともに押さへられてゐない。そこで本稿では、近代日本における「怨親平等」観の系譜について、その背景も含めて概観した。検討の結果、敵味方供養は、列強からの視線を意識した近代日本における博愛慈善事業の勃興とともに「再発見」され、さらに西南戦争、日清戦争、日露戦争等の展開とそれに伴ふ博愛社―日本赤十字社の発展 と並行して、我が国における博愛主義の事例の掘り起こし作業とその成果の対外的情報発信が進められたことにより、徐々に「武士道」や仏教的な「怨親平等」の装飾による言及がなされるやうにもなつたことを明らかにした。
「国家神道と靖國神社に関する一考察―神社行政統一の挫折と賀茂百樹の言説をめぐつて―」, 藤田大誠, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第1号, 195, 250, 2007年03月31日, 國學院大學研究開発推進センター, 国家神道と靖國神社との関係について、制度と思想の両観点の交差による総合的検討を見据ゑ、主に大正期の神社行政所管の問題から考察するとともに、靖國神社宮司を務めた賀茂百樹の言説に注目し、その靖國神社観を検討した。明治末期以降の「神社行政統一」といふ「国家神道」の拡大志向にも拘らず、靖國神社との歴史的密接性を主張する陸海軍省がその管理を手離すことはなく、単なる「軍機関化」さへも懸念されたが、三十年に亙り靖國神社宮司を務めた賀茂百樹の「国民」との繋がりを重視する取り組みもあつて、何とか「一般国民にとつての神社」の性格は失はれなかつたと論じた。
「日本における慰霊・追悼・顕彰研究の現状と課題」, 藤田大誠, 『神社本庁教学研究所紀要』, 第12号, 111, 142, 2007年03月01日, 神社本庁教学研究所, 近年活発化してゐる、多様な学問分野による戦歿者(戦死者)の「慰霊」「追悼」「顕彰」に関する研究の現状を窺ふとともに問題点を指摘し今後の課題を抽出した。現在の研究動向は、靖國神社の戦後史研究をはじめ、民俗レベルにおける日本人の「慰霊」「追悼」「顕彰」観そのものの問ひ直し、「集合的記憶」論などとも関連付けられ、日本の地域的(ローカル)な、或は世界各国の「慰霊」「追悼」施設・記念碑の事例との相互的比較研究などが主流であるが、今後、神道史の研究者が自発的積極的に「研究の場」に参入し、或は自らそのやうな場を少しでも構築していくことの必要性を指摘した。
「明治初年における神社調査と国学者の考証―教部省考証課の営みを通して―」, 藤田大誠, 『日本文化と神道』, 第3号, 403, 432, 2006年12月23日, 文部科学省21世紀COEプログラム 國學院大學「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」, 明治期の神祇官衙や国民教導機関における「事務運用の営みから築かれた国学」の具体像を窺ふため、明治5年に設置された教部省の時代を取り上げ、特に当時の同省官員・小中村清矩が深く関はつた同省考証課における営みを中心として考察した。前身となる編輯課の時点では教書編輯が職掌にあつたが、考証課となつてからその職掌の内容が変化した事などを跡付けるとともに、日々の具体的な神社行政に関はる建白への対応や神社考証作業の中から小中村清矩らは精確かつ詳細な全国的神社調査・考証の必要性を認識するに至り、明治9年の『特選神名牒』へと繋げられたことを論じた。
「近代国学における非宗教性の淵源―祭神論争と祭教学分離―」, 藤田大誠, 『神道文化』, 第18号, 87, 105, 2006年12月01日, 財団法人神道文化会, 神官教導職分離の前提となつた神道界の一大論争である「祭神論争」の経緯を簡潔に整理し、その結果が齎した「祭教学分離」が、「国家神道」(祭祀)と「近代国学」(学事)といふ両者の「非宗教性」の制度的な淵源となつた事を跡付けた。明治15年は、「東京大学文学部附属古典講習科」「皇典講究所」「皇學館」といふ「国学的教育機関」のそれぞれの出発点なのであり、その「宗教」とは区別された「非宗教」的な「学事」の内容には、少なからず「祭神論争の落とし子」としての「祭教学分離」の政策が影を落としてゐるといへることを論じた。
「明治期における神祇官八神殿復興論と国学者」, 藤田大誠, 『國學院雑誌』, 第107巻第11号, 153, 172, 2006年11月15日, 國學院大學, 明治期における「神祇官八神殿」観の変遷過程に注目しながら、神祇行政担当機関や教導機関における「主斎神」の変化を国学者らの動向とともに概観した。祭神論争以降、神官教導職分離などの政策もあつて、明治20年代、政府の「神社非宗教論」に基づく政策が当然のものとなる中で、神道人・国学者の間にも極めて非宗教的な神観が定着し始め、それを基盤として宮中祭祀と神祇官の相対化のもとに「臣下」の立場を強調する「八神殿奉斎」論は、明治末年頃の官民による「国民道徳論」の隆盛と軌を一にするかのやうに本格的な展開を見せて行くことを論じた。
「大正・昭和戦前期における祭政一致観の相克―八神殿奉斎論をめぐつて―」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第43号, 309, 326, 2006年11月03日, 明治聖徳記念学会, 明治末期以来の神祇特別官衙設置運動において「祭政一致」の指標とされてゐた「八神殿奉斎論」の展開を辿つた。昭和に入る時期になると、神社界の議論の中で「八神殿奉斎」が中心的課題として浮上し、「神社対宗教問題」の混迷の中で神道人達が明確に神社の「宗教性」を認める見解を出していくのに伴ひ、これまでの「臣下の本分」を強調する見方に加へ、極めて「宗教的」な性格が付与された論が台頭してくる。しかし一方では、八神殿よりも明治初年に成立した宮中三殿の祭祀や山陵の祭祀の意義を強調してゐた人々もをり、その祭政一致観の相克が露となつてくるのである。
「明治初年の国家祭祀形成と国学者―神祇官・神祇省の考証作業を中心に―」, 藤田大誠, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第97輯, 117, 164, 2006年03月31日, 國學院大學日本文化研究所, 主に明治3・4年頃の神祇官・神祇省の中堅官員であつた考証派国学者の小中村清矩の日記や文書をもとに考察。この時期に近代国家祭祀の大綱が形成されていくが、これは、文明開化に即した「近代国学」的思考をもとに、新たな神祇政策を牽引した福羽美静を頂点として、それを支へる小中村清矩ら「考証派」国学者達の調査・考証作業が全体として比較的うまく合致してゐた時期であつたためで、彼らを擁する神祇省諸調局は、日々の調査・考証に加へ、建言や祭祀次第の草案をも作成して上官に提出してをり、それらの案が何度も練られた上で神祇行政に反映されてゐたのである。
報告4.幕末維新期の神仏分離に関する一考察(第2部,神仏関係の歴史的実像-史料から見た信仰の場と組織-,テーマセッション1,2005年度学術大会・テーマセッション記録), 藤田 大誠, 宗教と社会, 12, 0, 202, 203, 2006年, 「宗教と社会」学会
「幕末維新期における宮門跡の還俗に関する一考察―「中央の神仏分離」研究の一環として―」, 藤田大誠, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第96輯, 63, 116, 2005年09月30日, 國學院大學日本文化研究所, 近年の研究動向に触れつつ、これまで等閑視されてゐた「中央の神仏分離」の研究の必要性を提唱し、幕末維新期の「皇室における神仏分離」の一環である「宮門跡の還俗」といふ事柄に焦点を当ててその展開過程を辿りつつ、「宮門跡にとつての幕末維新」といふ観点から「神仏分離」を捉へてみることで、今やほぼ固定された感のある「神仏分離=廃仏毀釈」観を再考した。その結果、山階宮晃親王のやうに、当事者自らが「宮門跡の還俗」を推進してゐることからも、必ずしもこの施策は「僧侶に対する還俗の強要・追放」といふことはできないと結論付けた。
「「近代神道学」成立史研究序説―前史としての明治国学の展開―」, 藤田大誠, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第95輯, 201, 252, 2005年03月31日, 國學院大學日本文化研究所, 総合的学問であつた明治期の国学が、近代の人文諸学へ「細分化」する過程について、大正期の「近代神道学」成立前史の観点から考察した。その結果、「近代神道学」は、近世国学からの流れから全く断絶して形成されたのではなく、その前提には、「国体」理解の学問でありつつも「神道」の宗教性を取り除いた形の「明治国学」の展開があつた事を踏まへるべきで、この国学の素地に「哲学系」出身の学者が改めて「神道」に「倫理・道徳性」或は「宗教性」を付与した事により、国学的な「総合性」の「揺り戻し」つまり諸分野における研究の「統一」志向が生まれてきたと結論づけた。
「近代皇位継承法の形成過程と国学者―明治皇室典範第一章成立の前提―」, 藤田大誠, 『神社本庁教学研究所紀要』, 第10号, 189, 235, 2005年03月25日, 神社本庁教学研究所, 明治皇室典範第一条における「男系男子」限定の皇位継承法の成立過程について考察した。その前提として、元老院国憲按における皇位継承関係条文を検討し、その条文化に当たつては、我が国の古制の地道な調査・考証を行なつてゐた元老院所属の国学者達の皇位継承法調査などが不可欠であり、政府首脳においても、その成果を参照しながらの慎重な検討作業が行なはれてゐた。横山由清による「女統継承」容認案、井上毅の「女帝廃止」案といふ二つの「選択」は相反する見方ではあるが、どちらも地道な考証を踏まへた上での、当時における一つの「決断」にほかならなかつたのである。
「明治国家形成と近代的国学構想―古典講習科の展開・終焉と國學院の設立―」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第40号, 100, 139, 2004年12月01日, 明治聖徳記念学会, 東京大学文学部附属古典講習科の展開から終焉に至るまでを跡付けた。同科廃止後は、その人的財産も含め、明治23年設立の國學院に引き継がれていく。同科の教員、さらには彼等に薫陶を受けた古典講習科生徒及び和文学科卒業の者たちが國學院設立に際して集結してゐるといふことは、まさに國學院が「古典講習科の遺産」を引き継いだものといつても過言ではない。しかも國學院が「専国史・国文・国法ヲ攻究」する場であつたことは、基本的には小中村清矩の古典講習科設置の際の構想(①歴史②法制史③国語国文の講究)をも引き継いだといへるのである。
「明治国学と高等教育機関に関する基礎的考察―東京大学文学部附属古典講習科の設置過程―」, 藤田大誠, 『神道史研究』, 第52巻第1号, 65, 88, 2004年06月01日, 神道史学会, 明治15年5月30日に成立した「古今未曾有なる、一種の国学科」たる東京大学文学部附属古典講習科の設置過程を検討した。同科は、東京大学法理文三学部総理の加藤弘之の建議が発端となり、「考証派」国学者の小中村清矩の尽力により結実した。そして同科の構想は、同年9月15日の古典講習科開業式の小中村による演説案において集約されてゐるやうに、主に①「事実」②「制度」③「言詞」の三本柱の講究を目的として新設された高等教育の場であり、古典講習科の「国学」は、主に将来、諸官省で役立たせるべき実用的な学問として構想されてゐたのである。
「明治期「考証派」国学における「神典学」」, 藤田大誠, 『國學院雑誌』, 第104巻第11号, 264, 281, 2003年11月01日, 國學院大學, 幕末期の和学講談所以来、密接な関係を有してゐた小中村清矩・木村正辞・横山由清の三人を主たる検討対象とし、大学など「近代的学術」を教授する高等教育機関といふ場に携はつてゐた「国学者」たる彼らの、その神道観、宗教性を考察した。その結果、維新以後、もともと総合文化学とでもいふべき広い学問領域を持つてゐた国学も、最早「近代的学問」の範疇の中でしか構想せざるを得なくなつたため、国家の高等教育機関と密接に関はることになる彼らがあくまで「国学」を捧持していくには、「非宗教」への志向が必要不可欠となつてきたことを論じた。
「横山由清と明治国家形成―国学者と法制官僚の間―」, 藤田大誠, 『神道研究集録』, 第17輯, 83, 100, 2003年03月01日, 國學院大學大学院神道学専攻学生会, 本稿では、具体的な「明治国学者」の事蹟を辿るといふ基礎作業の一環として、横山由清の「法制官僚」時代に焦点を当てて、その仕事を概観するとともに、その西洋法導入と云ふ使命を帯びた法制担当部局の中で、一人の「国学者」の身の処し方に注目した。横山は明確に自身を「国学者」として認識しその任を全うしようとしたと思はれ、かつ周辺の人々も歌から法制・経済まで知悉した「考証的」国学者としての彼の能力を必要としてゐた。横山は、国学的な考証によつて「立憲政治」を自家薬籠中の物とする言説を用ゐたやうに、いふなれば国学的「法制官僚」であつたといへる。
「明治期国学者横山由清に関する覚書―その学問と教育―」, 藤田大誠, 『神道宗教』, 第187号, 53, 74, 2002年07月01日, 神道宗教学会, 「国学者」横山由清に関する先行研究を整理するとともに、その明治初年の動向を中心に活動を辿つた。横山が明治新政府の官職に就く直前に書いたと思はれる「献言」の草稿、「國學の説」を見ると、従前あまり明らかでなかつた横山の「国学観」を知る事が出来るが、ここでは特に童蒙教育、即ち初等教育への配慮に注目し、おそらくその関心は、橋爪貫一『童蒙必読』への関与や「語箋編輯」など後年の仕事にまで繋がつてゐる事を論じた。また、「教育者」横山由清は高等教育から初等教育までを見据ゑた独自の学校構想をも開陳してゐた事にも触れてゐる。
「近代皇室制度の形成過程と国学者―元老院の国憲取調を中心に―」, 藤田大誠, 『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』, 第33輯, 63, 82, 2002年03月01日, 國學院大學大学院文学研究科, 明治8年に設置された元老院では、「法律調査局」として「内国部」と「外国部」の二系統が存在したが、次第に両部が合流して名実ともに国憲取調の実務に関はつていく様子を『元老院日誌』から丹念に辿つた。その「内国部」の実体である「編修掛―編修課―調査課編纂掛」は、横山由清・黒川真頼・佐藤誠實といふ「考証派」国学の系譜を汲み、彼等は主に旧典類纂の仕事に従事し、皇位継承法調査の一貫として、『纂輯御系図』・『旧典類纂 皇位継承篇』を結実させた。また、その仕事を後援したのが上官の「津和野派」国学者福羽美静であつた。
書評:「下村育世『明治改暦のゆくえ―近代日本における暦と神道―』(ぺりかん社、二〇二三年)」, 藤田大誠, 『日本思想史学』, 第56号, 198, 202, 2024年09月30日, 日本思想史学会, 下村育世『明治改暦のゆくえ―近代日本における暦と神道―』(ぺりかん社、令和五年三月)」(『日本思想史学』第五六号、令和六年九月三十日)の書評。
研究発表記録:「戦後神社界と葦津珍彦の政教論に関する序説的検討」, 藤田大誠, 『政教関係を正す会会報』, 第62号, 13, 24, 2024年08月20日, 政教関係を正す会, 令和5年8月17日開催の政教関係を正す会研究会(於 神社本庁)における研究発表内容の記録(但し、校正不足のため、誤字脱字聊か有り)。
「第四十回神社本庁神道教学研究大会報告「再考、神職とは何か~近世・近代における神職の諸相や組織から考へる~」」, 松本久史・武田幸也・藤田大誠・杉山林繼・藤本頼生・茂木貞純, 『神社本廳總合研究所紀要』, 第29号, 189, 364, 2024年06月30日, 神社本廳總合研究所, 発題者:
松本久史(國學院大學神道文化学部教授)
武田幸也(國學院大學兼任講師)
藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授)
コメンテーター:
杉山林繼(國學院大學名誉教授)
藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
司会:
茂木貞純(國學院大學名誉教授), 第40回神社本庁神道教学研究大会「再考、神職とは何か~近世・近代における神職の諸相や組織から考へる~」(於神社本庁大講堂、令和5年9月14日)の記録。
読書:「住吉大社叢書刊行会企画・住吉大社編集『住吉大社叢書第一巻 すみよっさんの境内と石燈籠』 水内俊雄・小出英詞編著『住吉公園と住吉さん―住吉大社から生まれて150年―』」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3675号, 6面, 6面, 2024年03月25日, 神社新報社, 住吉大社叢書刊行会企画・住吉大社編集『住吉大社叢書第一巻 すみよっさんの境内と石燈籠』(清文堂出版、令和五年三月三十一日)、水内俊雄・小出英詞編著『住吉公園と住吉さん』(東方出版、令和五年九月七日)の紹介。
今回紹介した両書は、神社を軸とする産学官民連携のお手本となるやうな事業によって幅広い視野から見出された、近世・近現代の住吉大社像を更新する試みとなってゐる。何より、いづれも全国各地に存在する神社の信仰や境内を源泉とする(神社なくしては有り得なかった)都市空間の成り立ちと公共的な価値、現在の在り方を考へる上で大きな示唆が得られる良書である。
コラム8「満洲の神社と体育・スポーツ施設」, 藤田大誠, 高嶋航・佐々木浩雄編『満洲スポーツ史―帝国日本と東アジアスポーツ交流圏の形成―』, 320, 322, 2024年01月23日, 青弓社, 「日本的神前スポーツの近代的展開」を生み出した空間としての〈神社+奉納競技+体育・スポーツ施設〉という組み合はせ、特に「都市としての明治神宮(内苑・外苑)」といふ体系、モデルの伝播、移植、変容は、奈良県の橿原神宮をはじめとする内地の事例のみならず、満洲を含む帝国日本の外地においても多数見出せることを論じた。
書評:「書評と紹介 伊藤聡・斎藤英喜編『神道の近代ーアクチュアリティを問うー』」, 藤田大誠, 『宗教研究』, 第97巻, 第3輯, 111, 116, 2023年12月30日, 日本宗教学会, 伊藤聡・斎藤英喜編『神道の近代―アクチュアリティを問う―』(勉誠出版、令和五年三月)に対する比較的詳細な書評と紹介。
「葦津珍彦の政教論(下)祭政一致を前提とする「政教分立」の理想」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3651号, 4面, 4面, 2023年09月18日, 神社新報社, 令和5年8月17日、神社本庁で開催された政教関係を正す会研究会における研究発表「戦後神社界と葦津珍彦の政教論に関する序説的検討」の一部を原稿化した、「葦津珍彦の政教論」と題する三回に亙る連載の第三回目。
「葦津珍彦の政教論(中)帝国憲法の臣民権利としての「信教自由」」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3650号, 4面, 4面, 2023年09月11日, 神社新報社, 令和5年8月17日、神社本庁で開催された政教関係を正す会研究会における研究発表「戦後神社界と葦津珍彦の政教論に関する序説的検討」の一部を原稿化した、「葦津珍彦の政教論」と題する三回に亙る連載の第二回目。
「葦津珍彦の政教論(上)注目浴びる「神道の社会的防衛者」の理論」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3649号, 4面, 4面, 2023年09月04日, 神社新報社, 令和5年8月17日、神社本庁で開催された政教関係を正す会研究会における研究発表「戦後神社界と葦津珍彦の政教論に関する序説的検討」の一部を原稿化した、「葦津珍彦の政教論」と題する三回に亙る連載の第一回目。
「第三十九回神社本庁神道教学研究大会報告「神職組織と神宮奉斎」」, 八幡崇経・武田幸也・藤本頼生・藤田大誠・菅浩二・櫻井治男, 『神社本廳總合研究所紀要』, 第28号, 163, 308, 2023年06月30日, 神社本廳總合研究所, 発題者:
八幡崇経(呼子八幡神社宮司)
武田幸也(國學院大學兼任講師)
藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
コメンテーター:
藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授)
菅浩二(國學院大學神道文化学部教授)
司会:
櫻井治男(皇學館大学名誉教授), 第39回神社本庁神道教学研究大会「神職組織と神宮奉斎」(於神社本庁大講堂、令和4年9月14日)の記録。
書評:「書評とリプライ 島薗進著『戦後日本と国家神道ー天皇崇敬をめぐる宗教と政治ー』」, 藤田大誠, 『宗教と社会』, 第29号, 184, 187, 2023年06月24日, 「宗教と社会」学会, 島薗進著『戦後日本と国家神道―天皇崇敬をめぐる宗教と政治―』(岩波書店、令和3年)の書評。書評の後、本書の著者によるリプライあり(188、189頁)。
「コラム 皇典講究所・國學院大學の祝詞関係出版物」, 入倉滉太・藤田大誠, 國學院大學博物館編『企画展 祓—儀礼と思想―』, 37, 37, 2023年05月20日, 國學院大學博物館, 皇典講究所・國學院大學における祝詞関係出版物を概説したもの。
「読書:小堀桂一郎著『國家理性及び國體について』」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3626号, 6面, 6面, 2023年03月13日, 神社新報社, 小堀桂一郎著『國家理性及び國體について』(明成社、令和四年七月十五日)の紹介文。
「悲しさと淋しさと、或いは虚無と希望と」, 藤田大誠, 『阪本是丸先生偲び草』, 92, 95, 2022年08月20日, 故阪本是丸先生一年祭並びに阪本先生を偲ぶ会実行委員会
「葦津珍彦大人と阪本是丸大人の情理」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3595号, 6面, 6面, 2022年07月11日, 神社新報社, 「「神道の弁護士」葦津珍彦歿後三十年」特輯に寄せた一文。
「鈴木正男大人之命と私の『不二』編輯勤務時代」, 藤田大誠, 『不二』, 第76巻, 第10号, 20, 22, 2021年10月25日, 大東塾・不二歌道會, 「鈴木正男大人之命二十年祭記念追悼集」への寄稿を求められて認めた一文。
座談会記録:「スポーツ文化と神道文化」, 藤田大誠(司会)・木下秀明・中村哲夫・山田佳弘・中嶋哲也・藤本頼生, 『神道文化』, 第33号, 16頁, 49頁, 2021年06月30日, 一般財団法人神道文化会, 藤田大誠(國學院大學教授)、木下秀明(元日本大学教授)、中村哲夫(皇學館大学教授)、山田佳弘(國學院大學教授)、中嶋哲也(茨城大学准教授)、藤本頼生(國學院大學准教授), 令和元年8月29日(木)に東京大神宮マツヤサロンで開催された座談会の記録。第32回オリンピック東京大会を前に、日本におけるスポーツ文化の歴史全体を、特に神道文化との接点で考へる試みとして行はれた。
シンポジウム記録:「「人間開発」理念に基づく教育課程の再構築」, 藤田大誠・夏秋英房・杉田洋・太田直之・神長美津子, 『國學院大學人間開発学研究』, 第12号, 1, 30, 2021年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 藤田大誠・夏秋英房・杉田洋・太田直之・神長美津子, 令和2年度 國學院大學人間開発学会第12回大会 シンポジウム「「人間開発」理念に基づく教育課程の再構築」
趣旨説明
司会 藤田大誠(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授)
報告一「学部コア科目「人間開発基礎論(人間力育成の人間学)」の展望」
夏秋英房(國學院大學人間開発学部子ども支援学科教授)
報告二「学部コア科目「教職論」の展望」
杉田 洋(國學院大學人間開発学部初等教育学科教授)
報告三「学部コア科目「日本の伝統文化」の展望」
太田直之(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授)
コメント
神長美津子(國學院大學人間開発学部子ども支援学科教授)
討議
「鈴木武ー学生陸上を後援したドン・キホーテー」, 藤田大誠, 高嶋航・金誠編『帝国日本と越境するアスリート』, 261, 264, 2020年12月10日, 塙書房, 内地と外地(満洲を中心に朝鮮、台湾を含む)を越境しつつ活躍した35人のアスリートを取り上げ、帝国日本のスポーツの全体像を明らかにする試みとして編まれた書籍。自身は鈴木武(陸上競技)の項目を担当した。
シンポジウム記録:「「人間開発」の再検討―その原点と将来を見据えて―」, 藤田大誠・渡邉雅俊・林貢一郎・山瀬範子, 『國學院大學人間開発学研究』, 第11号, 1, 31, 2020年02月29日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 藤田大誠・渡邉雅俊・林貢一郎・山瀬範子, 令和元年度國學院大學人間開発学会第11回大会シンポジウム「「人間開発」の再検討―その原点と将来を見据えて―」の報告
趣旨説明
司会 藤田大誠(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授)
報告一「初等教育学科FD報告―育てたい教員像から人間開発学を再検討する―」
渡邉雅俊(國學院大學人間開発学部初等教育学科教授)
報告二「健康体育学科はどうあるべきか」
林貢一郎(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授)
報告三「子ども支援学科FD」
山瀬範子(國學院大學人間開発学部子ども支援学科准教授)
討議
〔日時〕令和元年十一月九日(土)十三時~十七時
〔会場〕國學院大學たまプラーザキャンパスAV1教室
主催:國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部
共催:國學院大學教育開発推進機構
「現代国学としての人間開発学」, 藤田大誠, 『國學院大學人間開発学部教育実践総合センターだより 思ひ草』, 第30号, 1, 1, 2019年11月20日, 國學院大學人間開発学部教育実践総合センター, 教師教育や地域社会の教育についての歴史を考へる上でも重要な存在であつた国学者の子育て・教育活動に関する一事例(江戸末期の橘守部と桐生における守部門下)を取り上げ、地域社会に根差した国学者たちの真摯かつ地道な学問と教育の実践といふ総合的な営みに着目するとともに、国学者の後進としての國學院大學人間開発学部が構築を目指す「人間開発学」は「現代国学」の実践をその使命とすべきと論じた。
講演記録:「通信教育部開設四十周年記念大会講演録 大阪国学院の歴史と建学の精神」, 藤田大誠, 一般財団法人大阪国学院編『『大阪国学院史』附録』, 25, 44, 2019年08月20日, 一般財団法人大阪国学院, 一般財団法人大阪国学院通信教育部開設40周年記念大会講演(平成29年6月27日、於 シェラトンホテル都ホテル大阪)「大阪国学院の歴史と建学の精神」の記録。
研究発表記録:「大嘗祭をめぐる政教問題の回顧と展望」, 藤田大誠, 『政教関係を正す会会報』, 第53号, 2019年04月25日, 政教関係を正す会, 平成30年9月29日開催の政教関係を正す会研究会(於 神社本庁)における研究発表内容の記録。
「【書評】中嶋哲也著『近代日本の武道論―〈武道のスポーツ化〉問題の誕生―』」, 藤田 大誠, 『國學院大學人間開発学研究』, 第10号, 1, 6, 2019年02月28日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 本稿は、中嶋哲也『近代日本の武道論―〈武道のスポーツ化〉問題の誕生―』(国書刊行会、平成二十九年七月二十四日発行、六〇八頁+ⅺ頁)に対する書評である。また、本書評は、英国ウェールズのカーディフ大学出版会が刊行してゐる学術誌Martial Arts Studies Journalにおける「日本の武術研究」をめぐる特集号に寄稿し、掲載されたBOOK REVIEW(英文書評)の元原稿(邦文)に手を加へたものである。近代武道史に関する主要な事柄を網羅して論じた本書は、当該テーマの最前線を走る研究であると評することができ、また、本書のユニークな成果は、世界各国における固有のマーシャル・アーツ的身体文化と「スポーツ」概念との歴史的関係の事例とを照らし合はせることにより、極めて有意義な国際文化比較となり得ることなどを指摘した。
書評:「刑部芳則著『公家たちの幕末維新―ペリー来航から華族誕生へ―』」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3428号(平成30年17・24合併号), 4面, 2018年12月17日, 神社新報社, 刑部芳則著『公家たちの幕末維新―ペリー来航から華族誕生へ―』(中央公論新社、平成30年)の書評。
書評と紹介:「河村忠伸著『近現代神道の法制的研究』」, 藤田大誠, 『宗教研究』, 第92巻第2輯(第392号), 212, 219, 2018年09月30日, 日本宗教学会, 河村忠伸著『近現代神道の法制的研究』(弘文堂、平成29年3月)の書評と紹介。
「戦後の靖國神社と昭和殉難者合祀(下)」, 藤田大誠, 『靖國』, 第758号, 12, 13, 2018年09月01日, 靖國神社社務所, 3回連載の第3回(最終回)。「所謂「A級戦犯」とは」、「「昭和殉難者」の合祀」について解説し、「むすび」では今後の展望について触れた。
「戦後の靖國神社と昭和殉難者合祀(中)」, 藤田大誠, 『靖國』, 第757号, 12, 13, 2018年08月01日, 靖國神社社務所, 3回連載の第2回。「宗教法人としての再出発」、「占領期以前・以後の合祀」、「官民一体の祭神選考と合祀」について解説した。
BOOK REVIEW : Kindai Nihon no budoron - 〈budo no supotsuka〉 mondai no tanjo [Discourse on Budo in Modern Japan -The Origins of the ‘Sportification of Budo’ Problem]Tetsuya Nakajima Kokusho kankokai, 2017 608 +xi pages, Hiromasa Fujita (Kokugakuin University), translated by Michael Molasky (Waseda University), ‟Martial Arts Studies Journal”, Issue 6, 106, 110, 2018年07月23日, Cardiff University Press, 英国ウェールズのカーディフ大学出版会が出版してゐる電子版査読付き学術誌‟Martial Arts Studies Journal”(MAS Journal http://masjournal.org.uk/)における「日本の武術研究」をめぐる特集号(カーディフ大学のポール・ボウマン教授と早稲田大学国際教養学部のマイク・モラスキー教授が共編)に寄稿を求められ、掲載された書評。対象書は、中嶋哲也(茨城大学教育学部准教授)著『近代日本の武道論―〈武道のスポーツ化〉問題の誕生―』(国書刊行会、平成29年〔2018〕7月24日発行)608頁+ⅺ頁。本稿は、『神社新報』第3375号(平成29年〔2017〕10月23日付)に掲載された書評をもとに、学術的体裁を施し、海外研究者向けに大幅な加筆を行つて改稿した邦文について、マイク・モラスキー教授が英訳したものである。英訳に当たつては、相互にやりとりして細かく英文の訳語や表現を確認する作業を行つた。
「戦後の靖國神社と昭和殉難者合祀(上)」, 藤田大誠, 『靖國』, 第756号, 10, 11, 2018年07月01日, 靖國神社社務所, 3回連載の第1回。「はじめに」で本連載の目的を述べた上で、「靖國神社祭神の系譜」、「東京招魂社の源流と創建」、「「昭和殉難者」の呼称」について解説した。
書評:「書評とリプライ 粟津賢太著『記憶と追悼の宗教社会学-戦没者祭祀の成立と変容-』」, 藤田大誠, 『宗教と社会』, 第24号, 121, 126, 2018年06月09日, 「宗教と社会」学会, 粟津賢太著『記憶と追悼の宗教社会学—戦没者祭祀の成立と変容-』(北海道大学出版会、平成29年〔2017〕年1月、A4判、355頁、6,400円+税)の書評。その直後に著者のリプライ(125、126頁)も掲載されてゐる。
「明治神道人の足跡 第二回 三條實美」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3384号, 2018年01月22日, 神社新報社, 本稿では、近年その人物像が再評価されつつある三條實美の足跡について、「神道人」といふ観点から捉へ直した。
「明治維新と湊川神社御創建」, 藤田大誠, 『湊川神社社報 あゝ楠公さん』, 第10号, 11, 15, 2018年01月01日, 湊川神社, 明治元年(慶應4年9月8日に改元)の4月21日に「楠贈正三位中將正成」に対する神号追諡と社殿造営が仰せ出された「御沙汰書」が下されて以来、湊川神社御鎮座の淵源から150年を迎へる記念すべき年(平成30年)の始めに当たり、本稿では、明治維新と湊川神社御創建との関係について、先人の言を通し聊か考察を行つた。
書評:橋本富太郎著『廣池千九郎―道徳科学とは何ぞや―』
, 藤田大誠, 『國學院雑誌』, 第118巻第12号, 38, 42, 2017年12月15日, 國學院大學総合企画部広報課, 橋本富太郎著『廣池千九郎―道徳科学とは何ぞや―』(ミネルヴァ書房、平成28年11月)の書評。本書の本領、最大の意義は、著者が研究を積み重ね、博士論文にも結実させた論点、即ち廣池千九郎の思想・学問形成における、日本国体の中核としての「神道」やそれを探究するための総合的学問「国学」と「道徳」との関係如何に対する考察にあると評した。
書評:「中嶋哲也著『近代日本の武道論―〈武道のスポーツ化〉問題の誕生―』」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3373号, 2017年10月23日, 株式会社神社新報社, 中嶋哲也著『近代日本の武道論―〈武道のスポーツ化〉問題の誕生―』(国書刊行会、平成29年)の書評。五部十六章を序章と結章で挟む構成で六百頁を超える大冊の本書は、近代武道史に関する主要な事柄を網羅して論じてをり、明治神宮大会研究の最新成果も十分に参照してほしかつたといふ憾みはあるが、当該主題の最前線を走る研究であらうと批評した。
書評と紹介:「江島尚俊・三浦周・松野智章編『戦時日本の大学と宗教』」, 藤田大誠, 『宗教研究』, 第91巻第2輯(第389号), 281, 288, 2017年09月30日, 日本宗教学会, 江島尚俊・三浦周・松野智章編『戦時日本の大学と宗教』(法藏館 平成29年3月)の書評と紹介。
読書:秋元行人『国家神道の官衙の誕生―神官・教導職分離から神社局独立へ―』, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3330号, 2016年11月21日, 神社新報社, 秋元行人『国家神道の官衙の誕生―神官・教導職分離から神社局独立へ―』(石川書房、平成28年)の紹介文。
「神仏関係考 近現代 神仏分離の虚像と実像(上)(下)」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3310、3311号, 2016年06月20日, 神社新報社, 未だに巷間に流布してゐる「神仏分離=廃仏毀釈」観に基づく「法難」史観に対し、神仏分離研究の基本的文献である村上専精・辻善之助・鷲尾順敬共編『明治維新神仏分離史料』全5巻(東方書院、大正15年~昭和4年)の読み直しや維新期における政府の「神仏判然」政策を改めて確認することを通して、その誤解を糺した。「神仏判然(分離)」と「廃仏毀釈」は同義ではなく、巷間に流布する「神仏分離=廃仏毀釈」の「法難」史観は一般化できず、これまで「廃仏毀釈」の典型とされてきた過激な破壊的行為の方こそが最悪のケースとしての〈逸脱〉だつたとも考へられること、維新政府が推進したのは決して「廃仏毀釈」政策ではなく、あくまでも「神仏判然」政策なのであつて、過激な「廃仏毀釈」の煽動にその真意があつた訳では無いことを明らかにした。
書評へのリプライ:小島伸之「書評とリプライ 藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―』」, 藤田大誠, 『宗教と社会』, 第22号, 110, 112, 2016年06月11日, 「宗教と社会」学会, 『宗教と社会』誌の「書評とリプライ」欄に掲載されたもの。小島伸之(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)による藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―』鹿島出版会、平成27年)の書評に対し、筆頭編者としてリプライした文章である。
書評と紹介:「島薗進・磯前順一編『宗教と公共空間―見直される宗教の役割―』」, 藤田大誠, 『宗教研究』, 第89巻第2輯(第383号), 215, 221, 2015年09月30日, 日本宗教学会, 島薗進・磯前順一編『宗教と公共空間―見直される宗教の役割―』(東京大学出版会、平成26年7月)の書評と紹介。
「帝都東京に創建されたモダンな公共空間。―人霊祭祀と近代神社―」, 藤田大誠, 『東京人』, 第30巻第5号(通巻352号), 51, 55, 2015年04月03日, 都市出版株式会社, 『東京人』平成27年4月号(3月3日発売)の「特集 凸凹地形と由緒でめぐる 東京の神社」に寄せた一文。「人の霊を神として祀りたいという古来からの信仰と維新の精神が相まって生まれた近代神社創建の様相に迫る。」とのリードあり。
「近現代神道史の一齣 英霊公葬問題と神職 其の壱~参」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3223、3224、3225号, 2014年08月11日, 神社新報社, 本稿は、近代神職の葬儀関与や神葬祭の論議が集中的になされた、昭和戦前期の「英霊公葬問題」に焦点を当てて、その前史や後史も視野に入れながら、神職と葬儀との関係を再考したものである(3回連載)。
其の壱「近代における神職の葬儀関与をめぐる問題」(平成26年8月11日付)
其の弐「前史としての仏式公葬批判と神式公葬論議」(平成26年8月18日付)
其の参「戦時下における英霊公葬運動の展開と挫折」(平成26年8月25日付)
「神宮外苑になぜ競技場が造られたのか」, 藤田大誠, 『春秋』, No.554, 13, 16, 2013年11月25日, 春秋社, 特集「2050年のTOKYO―新国立競技場から考える―」において一文を求められたもの(他の執筆者は五十嵐太郎、鈴木寛、藤原徹平)。
新刊紹介:「戸浪裕之著『明治初期の教化と神道』」 , 藤田大誠, 『神社新報』, 第3182号, 2013年09月23日, 神社新報社, 戸浪裕之『明治初期の教化と神道』(弘文堂、平成25年)の書評。
書評と紹介:「大沼宜規編著『小中村清矩日記』」, 藤田大誠, 『日本歴史』, 第780号, 119, 121, 2013年05月01日, 吉川弘文館(日本歴史学会編集), 大沼宜規編著『小中村清矩日記』(汲古書院、平成22年)の書評。
「葦津珍彦の「祈る心」」, 藤田大誠, 『神社新報』, 第3118号, 2012年05月21日, 神社新報社, 「生誕葦津珍彦100年・歿後20年 追補」といふ不定期連載に寄稿したもの。
書評論文:「国家神道」概念の有効性に関する一考察―島薗進著『国家神道と日本人』の書評を通して―」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第48号, 291, 302, 2011年11月03日, 明治聖徳記念学会, 本稿は、島薗進(東京大学大学院人文社会系研究科教授)の著作『国家神道と日本人』(岩波新書、平成22年)を対象として、本書が歴史的研究の妥当な手順に基づき有効な「国家神道」概念を打ち出してゐるのかどうかについて、あへて終始率直に批判的検討を加へた書評論文である。検討の結果、本書の「国家神道」概念は、史料の吟味により導き出された歴史的事実と歴史的論理の整合性に基づいて打ち出されたものとは言ひ難く、現時点では甚だ有効性に乏しいものと判断せざるを得ないと結論付けた。
本稿は、平成23年度科学研究費補助金基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」(研究代表者:小島伸之)第1回研究会(平成23年7月17日、於キャンパスイノベーションセンター東京)で提示した3万8千字以上に及ぶ発表原稿を大幅に縮約の上改稿したものであり、島薗進教授には、当日その場でリプライをいただいた。
書評:「佐藤一伯『明治聖徳論の研究―明治神宮の神学―』」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第48号, 312, 316, 2011年11月03日, 明治聖徳記念学会, 佐藤一伯(御嶽山御嶽神明社禰宜、國學院大學研究開発推進機構共同研究員)の著作『明治聖徳論の研究―明治神宮の神学―』(国書刊行会、平成22年)の書評。本書は、神道神学史上における位置付けの問題などの課題も残されてゐるものの、「近代天皇・皇后像」研究、明治神宮史研究に一石を投じた画期的研究であると批評した。
本稿は、第3回神社と「公共空間」研究会・第7回明治神宮史研究会(平成22年12月25日、於國學院大學)として開催された本書の書評会における発表原稿をもとに作成したものであり、平成23年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)における研究成果の一部である。
「近代の靖國神社と賀茂百樹宮司」, 藤田大誠, 『社報靖國』, 第647号, 4, 5, 2009年06月01日, 靖國神社社務所, 〈近代〉における東京招魂社・靖國神社の制度や実態に関する研究業績は、その〈創建期〉については多少あるが、全体としては意外なほど乏しいことを指摘し、〈戦後〉や〈現在〉の問題を語る前に踏まへるべき靖國神社の近代史研究こそがまづ以て重要な課題だと述べた上で、殆ど等閑視されてきたといつても過言ではない「英霊祭祀」の奉仕者である靖國神社の歴代宮司について、賀茂百樹ら戦前の宮司の事績を中心に紹介した。
「明治二十年代における皇典講究所・國學院の出版活動―『日本文學』『國文學』『皇典講究所講演』総目録解題―」 , 藤田大誠, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第1号, 185, 206, 2009年03月01日, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター, 明治十五年に創立された皇典講究所、同所を母体として明治二十三年に設置された國學院では、近世から積み重ねられてきた日本の伝統文化を探究する総合的学問である「国学」の学問的英知や、その不易の学風を継いで生み出された近代以降の新たな研究成果を広く公開して社会へと還元し、普通教育や社会教育へと活用することを目的として、国学関係雑誌の出版、書籍の編纂・刊行を中心とする研究発信を展開してきた。本稿は、皇典講究所の創立とその初期の出版活動に大きな役割を果たした国学者の一人である松野勇雄に焦点を当てるとともに、当時の「皇典講究所ゆかりの出版人」の中でも最も関はりの深い近藤圭造の近藤活版所=皇典講究所印刷部との関係を軸として、明治二十年代における皇典講究所・國學院の出版活動の背景を窺ひ、特に国学関係雑誌である『日本文學』『國文學』『皇典講究所講演』の刊行経緯を概観するものである。
書評:「高木博志著『近代天皇制と古都』」, 藤田大誠, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第45号, 407, 414, 2008年11月03日, 明治聖徳記念学会, 高木博志(京都大学人文科学研究所准教授)著『近代天皇制と古都』(岩波書店、二〇〇六年)の書評。本書においては、「復古」(或は「伝統」回帰)は、天皇制イデオロギー「創出」のための単なる道具の如き印象を受けるのみで、現代をも基礎付けてゐる近代における「日本型国民国家」の形成過程に特有の、いはば二律背反的な「復古」と「創出」との鬩ぎ合ひや、当事者達の葛藤・苦悩をも含み込んだダイナミックな展開から産み出されるそれぞれの「決断」について語られる所がほぼ無い。ただ今後、近代天皇制に関はる「伝統文化」を動態的に捉へて考察を進めていくことが必要であるが、その点からいへば、豊富な史料をもとに「創出」面を明らかにしてゐる本書は、その結論に異論がある者にとつても、「日本近代」と「伝統」との関係を考へる上では必ず何度も繙くこととなる、欠かすことのできない基本文献の一つとなるものであり、「導きの糸」ともなる先駆的かつ貴重な業績であることは疑ひ無い、と評した。
書評:「書評とリプライ 西村明著『戦後日本と戦争死者慰霊―シズメとフルイのダイナミズム―』」, 藤田大誠, 『宗教と社会』, 第14号, 126, 133, 2008年06月14日, 「宗教と社会」学会, 西村明(鹿児島大学准教授)著『戦後日本と戦死者慰霊―シズメとフルイのダイナミズム―』(有志舎、2006年12月刊)の書評。この書評の直後には著者のリプライも掲載されてゐる。
「近代の皇室と神仏分離―泉涌寺蔵『孝明天皇御凶事式』を手掛かりとして―」前編・後編
, 藤田大誠, 『神社新報』, 第2894、2895号, 2007年08月13日, 神社新報社, 泉涌寺所蔵『孝明天皇御凶事式』について、宮内庁書陵部所蔵の関係資料をも踏まへて検討を加へた。明治39年6月には、孝明天皇四十年祭が明年に迫るに当たつて、泉涌寺住職らが皇后宮大夫に請願したため、皇室では泉涌寺に対し金千円を賜ひ、寺内霊明殿の荘厳具の補修費に充ててをり、『孝明天皇御凶事式』の謄写もこの寺側の記念事業の一環として捉へられ、さらに『御凶事式』は大正14年頃までに何らかの理由で宮内省の原本が失はれてゐたため、あくまで歴史的資料の一つとして泉涌寺本が謄写されたと推測出来ると論じた。
「明治期の大洗磯前神社と国学者」, 藤田大誠, 大洗磯前神社社報『大洗さま』, 第21号, 2, 3, 2007年06月01日, 大洗磯前神社社務所, 国学者・小中村清矩の明治21年夏の旅日記の記述から、小中村が養子の小中村(池邊)義象とともに東北から北関東を巡る途次で茨城県の大洗に4泊してゐることを紹介し、国幣中社昇格問題などと絡めつつ、大洗磯前神社の宮司との交友を記した。その上で福羽美静らと大洗との関係にも触れ、明治期における中央と地方を結ぶ国学ネットワークの緊密さは現在の我々の想像を凌ぎ、大洗もその重要な交流の「場」の一つといへると論じた。
「宮門跡の還俗」, 藤田大誠, 『歴史読本』, 平成18年11月号, 230, 233, 2006年09月01日, 新人物往来社, 近代皇室制度形成の前提となる非常に重要な事柄である「宮門跡還俗」を概説した。かつて親王が門跡寺院の門主となる「宮門跡」という制度があつたが、幕末維新期に全ての宮門跡は還俗するに至り、皇室の神仏分離や近代皇族制度を準備することとなる。世襲親王家のうち、近代には桂宮、有栖川宮が断絶し、閑院宮も明治五年に伏見宮家から易宮が継承したため、結局、占領期に臣籍降下を余儀なくされる十一宮家は全て伏見宮の血統になることからも、幕末維新期における宮門跡還俗の史的重要性が窺へると論じた。
「解題Ⅰ 「神道人」葦津珍彦と近現代の神社神道」, 藤田大誠, 葦津珍彦著・阪本是丸註『新版 国家神道とは何だったのか』, 172, 200, 2006年07月01日, 神社新報社, 葦津珍彦著・阪本是丸註『国家神道とは何だったのか』(神社新報社、平成18年)の解題Ⅰとして執筆。葦津珍彦のルーツやその近代神社神道史上における足跡を説明した。昭和58年の文書を取り上げ、戦後を通じて神社の「国家の宗祀」性、即ち「公共性」を何とか保持し、国家制度上に反映させようと懸命に努力し続けてゐた葦津の思いは叶はなかつたが、これから暫くして同書が成立してゐることを思へば、葦津は「神道人」としてあくまでも「最後の一線」だけは死守し、その「亡滅」だけは防がうと、懸命に闘い続けてゐたことを指摘した。
「皇室の「御誕生」儀礼とその沿革―敬宮愛子内親王殿下の御誕生を奉祝して―」, 藤田大誠, 『日本及日本人』, 第1643号, 10, 21, 2002年01月31日, 株式会社J&Jコーポレーション, 本稿では、敬宮愛子内親王殿下の御誕生にあたり、この慶事を現代の日本国民が失ひつつある伝統的習俗に今一度立ち戻つて考へる良い機会であると捉へ、今回の慶事に伴ふ諸儀式の簡単な解説とその諸儀式の近代以降の沿革を記述した。前近代の「御誕生」諸儀式、明治前半期の皇室「御誕生」関係諸式の整備、明治後半期の皇室「御誕生」関係法令の制定(「皇室親族令」の成立過程)現在の「御誕生」諸儀式について歴史的観点から説明を加へた。
図書紹介:「川田敬一著『近代日本の国家形成と皇室財産』」, 藤田大誠, 『藝林』, 第50巻第2号, 112, 113, 2001年05月01日, 藝林会, 川田敬一(現・金沢工業大学准教授)著『近代日本の国家形成と皇室財産』(原書房、平成13年)の図書紹介。同書が、近代皇室制度形成の担ひ手として包括的な皇室法草案を起草した柳原前光を再評価してゐることは注目すべきであるが、思想史的な関心からいへば、今後は彼の伝記や思想背景について更なる考察を深め、何故そのような立法作業をするに至つたか、といふことが問はれなくてはならず、その点、柳原は井上毅などと比べても未だ考察の余地を残してゐることを指摘した。
書評・紹介:「山口輝臣著『明治国家と宗教』」, 藤田大誠, 『神道宗教』, 第181号, 107, 110, 2001年01月01日, 神道宗教学会, 山口輝臣(高知大学講師、現・九州大学准教授)著『明治国家と宗教』(東京大学出版会、1999年)の書評。同書は、「宗教の語り方」に注目するといふ手法の〈思想史的〉研究と、史料を縦横無尽に駆使した〈制度史的〉研究の絡み合ひの中でダイナミツクな議論を展開していく所にその真価があるとしつつ、著者が提唱する「国家神道」の語を用ゐない方法も一つの手段ではあるが、やはり現段階ではまだ「国家神道研究」の成果を吟味した上で慎重に立論していく姿勢が必要であることを指摘した。
『満洲スポーツ史―帝国日本と東アジアスポーツ交流圏の形成―』, 高嶋航・佐々木浩雄編, 青弓社, 2024年01月23日, 高嶋航(早稲田大学スポーツ科学学術院教授)
佐々木浩雄(龍谷大学文学部教授)
新雅史(流通科学大学商学部専任講師)
浜田幸絵(島根大学法文学部准教授)
束原文郎(京都先端科学大学健康医療学部准教授)
金誠(札幌大学地域共創学群教授)
菅野敦志(共立女子大学国際学部教授)
中嶋哲也(茨城大学教育学部准教授)
藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授), 独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(B)(一般)(平成30~令和4年度)「帝国日本と東アジアスポーツ交流圏の形成」(研究課題/領域番18H00722、研究代表者:高嶋航)の共同研究成果。
第8章「満洲国」スポーツ界と明治神宮大会」では、満洲スポーツ界と明治神宮大会との関係について検討し、第11回明治神宮大会から参加する満洲国スポーツ界の動向に限定して検討することによつて、満洲における「明治神宮大会体制」論の妥当性について再考した。
コラム8「満洲の神社と体育・スポーツ施設」では、「日本的神前スポーツの近代的展開」を生み出した空間としての〈神社+奉納競技+体育・スポーツ施設〉という組み合はせ、特に「都市としての明治神宮(内苑・外苑)」といふ体系、モデルの伝播、移植、変容は、奈良県の橿原神宮をはじめとする内地の事例のみならず、満洲を含む帝国日本の外地においても多数見出せることを論じた。
『史学科の比較史―歴史学の制度化と近代日本―』, 小澤実・佐藤雄基編, 勉誠出版, 2022年05月30日, 小澤実、佐藤雄基、近藤成一、上島享、柳原敏昭、山口輝臣、永島広紀、夏目琢史、石田雅春、廣木尚、堀和孝、坂口太郎、藤田大誠, 近代の國學院大學における歴史研究の系譜については、「学部国史学科」の沿革のみならず、〈近代国学最後の砦〉としての皇典講究所・國學院大學の歩み全体を視野に入れ、「建学の精神」(神道と国学)と正統派実証史学たる「東大史学」との接点から検討を加える必要がある。本稿では、主に國學院大學学部国史学科並びに国史学会の成立過程とその展開に焦点を当てて、〈近代国学〉と「国史学」との関係の一端を考察した。
『近代日本宗教史 第四巻 戦争の時代―昭和初期~敗戦―』, 島薗進・末木文美士・大谷栄一・西村明編, 春秋社, 2021年05月20日, 島薗進、植村和秀、川瀬貴也、大谷栄一、對馬路人、藤田正勝、藤田大誠、坂井久能、若松英輔、西田彰一、坂本慎一、昆野伸幸、エリック・シッケタンツ、大澤広嗣, 本稿では、近代日本(特に昭和戦前期)における「超国家主義」や「超国家」といふコトバと「宗教」が交差する使用例を跡付けることでささやかな概念史を試み、「超国家主義」と「宗教」との関係如何といふ課題に取り組んだ。
『國學院大學人間開発学部 令和2年度「FD推進助成(甲)学部FD推進事業」 学部理念に基づく教育課程の再構築に向けて―「人間開発基礎論」の抜本的検討を中心に― 報告書』, 國學院大學人間開発学部FD推進委員会(委員長・成田信子), 國學院大學人間開発学部FD推進委員会(委員長・成田信子), 2021年02月28日
『帝国日本と越境するアスリート』, 高嶋航・金誠編, 塙書房, 2020年12月10日, 高嶋航(京都大学大学院文学研究科教授)、金誠(札幌大学地域共創学群教授)、新雅史(流通科学大学商学部専任講師)、佐々木浩雄(龍谷大学文学部准教授)、菅野敦志(名桜大学国際学群上級准教授)、束原文郎(京都先端科学大学健康医療学部准教授)、中嶋哲也(茨城大学教育学部准教授)、浜田幸絵(島根大学法文学部准教授)、藤田大誠(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授), 内地と外地(満洲を中心に朝鮮、台湾を含む)を越境しつつ活躍した35人のアスリートを取り上げ、帝国日本のスポーツの全体像を明らかにする試みとして編まれた書籍。自身は鈴木武(陸上競技)の項目を担当した。
『令和元年度 第三十七回神社本庁神道教学研究大会報告書「大嘗祭と天皇の祭祀」』, 神社本庁総合研究所, 神社本庁総合研究所, 2020年04月01日, 田中恆清、岡市仁志、岡田莊司、武田秀章、藤田大誠、藤本頼生、阪本是丸、浅山雅司, 第37回神社本庁神道教学研究大会主題「大嘗祭と天皇の祭祀」(令和元年9月2日、於神社本庁大講堂)の報告書。
『國學院大學人間開発学部健康体育学科導入基礎演習テキスト【パイロット版】』, 國學院大學人間開発学部健康体育学科, 國學院大學人間開発学部健康体育学科, 2020年02月29日, 伊藤英之 (國學院大學人間開発学部健康体育学科助教) Ⅰ-3、Ⅱ-4、自己点検評価シート
植原吉朗 (國學院大學人間開発学部健康体育学科教授) Ⅰ-2、Ⅱ-5
小林 唯 (國學院大學人間開発学部健康体育学科助教) Ⅰ-2、Ⅱ-4
千野謙太郎(國學院大學人間開発学部健康体育学科准教授)Ⅱ-6、プロセスチャート
藤田大誠 (國學院大學人間開発学部健康体育学科教授) Ⅰ-1、Ⅱ-7
『令和元年度 國學院大學人間開発学部 学部研究費による共同研究 初年次教育の現状分析と教材開発―共通テキスト作成に向けて― 研究成果報告書』, 研究代表者 藤田大誠(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授), 國學院大學人間開発学部, 2020年02月29日, 藤田大誠、林貢一郎、神事努、伊藤英之、植原吉朗、太田直之、川田裕樹、小林唯、千野謙太郎、一正孝、原英喜、備前嘉文、山田佳弘、渡邊奈々
『國學院大學人間開発学部 令和元年度「FD推進助成(甲)学部FD推進事業」 原点としての学部設置理念「人間開発」の徹底的再検討に基づくFD共通基盤の構築 報告書』, 國學院大學人間開発学部FD推進委員会(委員長・成田信子), 國學院大學人間開発学部FD推進委員会(委員長・成田信子), 2020年02月29日
『近代の神道と社会』, 國學院大學研究開発推進センター編・阪本是丸責任編集, 弘文堂, 2020年02月15日, 武田秀章、西岡和彦、中村聡、高原光啓、小林威朗、半田竜介、戸浪裕之、永田昌志、中山郁、佐々木聖使、坂井久能、齋藤公太、星野光樹、東郷茂彦、宮本誉士、齊藤智朗、髙野裕基、畔上直樹、黒岩昭彦、神杉靖嗣、上西亘、佐藤一伯、武田幸也、中野裕三、菅浩二、渡邉卓、小島伸之、松本久史、藤田大誠、河村忠伸、上野誠, 本稿では、戦時下の「英霊公葬運動」に深く参入し「神仏抗争」を惹起した張本人で「日本主義」の哲学者として知られる松永材(まつながもとき)に焦点を当て、その神仏観を軸に検討した。
『鎮守の杜ブックレット3 皇室典範改正問題と神道人の課題』, 神社新報編輯部編, 神社新報社, 2019年10月07日, 平成17年7月~10月に亙つて連載された記事を纏めたもの。11項目中5項目を執筆し、連載当時編輯を担当した。
『国家神道と国体論―宗教とナショナリズムの学際的研究―』, 藤田大誠編, 弘文堂, 2019年09月30日, 藤田大誠、河村忠伸、斎藤智朗、畔上直樹、青井哲人、平山昇、藤本頼生、柏木亨介、井上兼一、高橋典史、寺田喜朗、小島伸之、福島幸宏、菅浩二、田中悟、西田彰一、高野裕基、昆野伸幸、宮本誉士、金子宗德、小川原正道、山口輝臣, 藤田大誠 国家神道と国体論に関する学際的研究序説
河村忠伸 「国家ノ宗祀」の制度と精神
斎藤智朗 近代における造化三神論の展開
畔上直樹 日露戦後の神社中心主義政策と戦前日本の神社観
青井哲人 19世紀建築論と明治天皇奉斎
平山 昇 実業家と伊勢神宮参拝に関する一試論
藤本頼生 戦前期における官社宮司のキャリア形成
柏木亨介 国立ハンセン病療養所の神社創建
井上兼一 近代日本の初等教育における政教分離原則とその緩和
高橋典史 昭和戦前期の仏教界と海外日系二世
寺田喜朗 戦前期における谷口雅春の国体言説
小島伸之 昭和10年の消防招魂祭
福島幸宏 「西の靖國」の創建
菅 浩二 靖國神社と「福祉国家」
田中 悟 国立墓地群を通して見る韓国ネイション内部の「亀裂」について
西田彰一 筧克彦の思想と活動
高野裕基 河野省三の学問と思想
昆野伸幸 近代神道と「八紘一宇」
宮本誉士 井上孚麿の新体制批判と天皇親政論
金子宗德 里見岸雄と「国体明徴」
小川原正道 国体明徴運動と憲法学者
山口輝臣 「国家神道」と「国体」のあいだにて
『復刻 通俗講義登極令大要』, 賀茂百樹著・藤田大誠監修, 神社新報社, 2018年11月30日, 賀茂百樹著『通俗講義登極令大要』(大橋朗、大正元年、再版本:会通社、大正二年)の再版本を底本として作成した復刻版。監修者として関与した。
『史学会シンポジウム叢書 戦後史のなかの「国家神道」』, 山口輝臣編, 山川出版社, 2018年10月20日, 【編者】山口輝臣(東京大学大学院総合文化研究科准教授) 【論文】藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授)、苅部直(東京大学法学部教授)、昆野伸幸(神戸大学国際人間科学部准教授)、須賀博志(京都産業大学法学部教授)、谷川穣(京都大学大学院文学研究科准教授) 【コラム】前田修輔(上智福岡中学高等学校講師)、朴輪貞(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)、河西秀哉(名古屋大学大学院人文学研究科准教授)、佐々木政文(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)、寺田喜朗(大正大学文学部教授)、辻岡健志(宮内庁書陵部図書課宮内公文書館研究員)、北康宏(同志社大学文学部教授)、平山昇(九州産業大学地域共創学部准教授)、三ツ松誠(佐賀大学地域学歴史文化研究センター専任講師)、小野将(東京大学史料編纂所准教授) 【附録】入倉滉太(國學院大學大学院文学研究科博士課程前期)、木村悠之介(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程)
『平成二十七~二十九年度日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究課題/領域番号:一五K〇二〇六〇、研究代表者 藤田大誠)研究成果報告書』, 藤田大誠編著, 藤田大誠 國學院大學たまプラーザキャンパス3号館3階3308研究室, 2018年03月10日
『大阪国学院史―創立百三十五年・通信教育部開設四十年―』, 藤田大誠, 一般財団法人大阪国学院, 2017年06月27日, 一般財団法人大阪国学院の創立百三十五年・通信教育部開設四十年の歴史を詳細に記述した。『浪速文叢』 第29号(特別記念号)として刊行されたが、一人で執筆した。
『鎮守の杜ブックレット1 神仏関係考―古代・中世・近世・近現代―』, 加瀬直弥・岡田莊司・嵯峨井建・藤田大誠・阪本是丸, 神社新報社, 2016年07月08日, 加瀬直弥・岡田莊司・嵯峨井建・藤田大誠・阪本是丸
『神社新報創刊七十周年記念出版 戦後神道界の群像』, 監修者:阪本是丸、櫻井治男、佐野和史、竹本佳德、牟禮仁、前田孝和、大中陽輔 編集委員:齊藤智朗、藤田大誠、藤本頼生 編集担当:神保郁夫、伊東裕介, 神社新報社, 2016年07月08日
『近世日本の歴史叙述と対外意識』, 井上泰至編, 勉誠出版, 2016年07月08日, 井上泰至(防衛大学校教授)、倉員正江(日本大学教授)、金時徳(ソウル大学奎章閣韓国学研究院教授)、鈴木彰(立教大学文学部教授)、川平敏文(九州大学大学院教授)、佐伯真一(青山学院大学教授)、佐藤貴裕(岐阜大学教授)、久保誠(国際基督教大学図書館司書・学芸員)、吉村雅美(日本女子大学講師)、前田雅之(明星大学人文学部教授)、勢田道生(大阪大学大学院文学研究科特任講師(常勤))、寺尾美保(東京大学大学院博士課程)、田中康二(神戸大学大学院人文学研究科教授)、濱野靖一郎(日本学術振興会特別研究員PD)、大島明秀(熊本県立大学文学部准教授)、三ツ松誠(佐賀大学地域学歴史文化研究センター講師)、藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)、樋口大祐(神戸大学大学院人文学研究科教授)、日置貴之(白百合女子大学講師)、合山林太郎(慶應義塾大学文学部准教授)
『平成27年度國學院大學人間開発学部学部共同研究 「アカデミック・リーディング」「アカデミック・ライティング」に向けての国語力育成方略の研究 研究成果報告書』(研究代表者:成田信子), 成田信子編, 國學院大學人間開発学部, 2016年02月29日, 成田信子(國學院大學人間開発学部初等教育学科教授) 猿田祐嗣(國學院大學人間開発学部初等教育学科教授) 渡邉雅俊(國學院大學人間開発学部初等教育学科准教授) 植原吉朗(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授) 吉永安里(國學院大學人間開発学部子ども支援学科助教) 廣井雄一(國學院大學人間開発学部子ども支援学科助教)
『昭和前期における神道と社会』, 國學院大學研究開発推進センター編(阪本是丸責任編集), 弘文堂, 2016年02月29日, 阪本是丸、赤澤史朗、畔上直樹、神杉靖嗣、上西亘、川島啓介、河村忠伸、黒岩昭彦、小島伸之、齊藤智朗、坂井久能、菅浩二、大東敬明、髙野裕基、武田幸也、東郷茂彦、戸波裕之、中山郁、半田竜介、平藤喜久子、藤本頼生、宮本誉士、渡邉卓
『平成26年度國學院大學人間開発学部学部共同研究 国語力育成に関する基礎的研究 研究成果報告書』(研究代表者:成田信子), 成田信子編, 國學院大學人間開発学部, 2015年02月28日, 成田信子(國學院大學人間開発学部初等教育学科教授) 猿田祐嗣(國學院大學人間開発学部初等教育学科教授) 渡邉雅俊(國學院大學人間開発学部初等教育学科准教授) 植原吉朗(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授) 藤田大誠(國學院大學人間開発学部健康体育学科准教授) 吉永安里(國學院大學人間開発学部子ども支援学科助教) 廣井雄一(國學院大學人間開発学部子ども支援学科助教)
『明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―』, 藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編, 鹿島出版会, 2015年02月20日, 藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授) 青井哲人(明治大学理工学部准教授) 畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授) 今泉宜子(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員) 菅浩二(國學院大學神道文化学部准教授) 佐藤一伯(御嶽山御嶽神明社宮司) 上田裕文(札幌市立大学デザイン学部講師) 長谷川香(文化庁国立近現代建築資料館研究補佐員) 水内佑輔(日本学術振興会特別研究員(DC)、千葉大学大学院園芸研究科博士課程) 岸川雅範(神田神社権禰宜) 松山恵(明治大学文学部専任講師) 吉原大志(歴史資料ネットワーク運営委員) 河村忠伸(秋葉山本宮秋葉神社権禰宜) 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授) 永瀬節治(和歌山大学観光学部講師) 北浦康孝(板橋区公文書館公文書館専門員) 柏木亨介(聖学院大学非常勤講師)
『近代学問の起源と編成』, 井田太郎・藤巻和宏編, 勉誠出版, 2014年11月07日, 井田太郎(近畿大学文芸学部准教授)、藤巻和宏(近畿大学文芸学部准教授)、長尾宗典(国立国会図書館司書)、千葉謙悟(中央大学経済学部准教授)、西岡亜紀(東京経済大学経営学部特任講師)、平藤喜久子(國學院大學研究開発推進機構准教授)、飯田健(同志社大学法学部准教授)、熊澤恵里子(東京農業大学教職・学術情報課程教授)、森田邦久(九州大学基幹教育院准教授)、杉木恒彦(日本橋学館大学リベラルアーツ学部教授)、青谷秀紀(明治大学文学部准教授)、倉方健作(東京理科大学非常勤講師)、高江洲昌哉(神奈川大学兼任講師)、齋藤隆志(明治学院大学経済学部准教授)、太田智己(東京藝術大学美術学部教育研究助手)、岡野裕行(皇學館大学文学部助教)
『平成23年度~平成25年度科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書 研究課題番号:23520079 近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―』, 小島伸之編著, 小島伸之(研究代表者 上越教育大学人文・社会教育学系准教授), 2014年03月31日
『招魂と慰霊の系譜―「靖國」の思想を問う―』, 國學院大學研究開発推進センター編, 錦正社, 2013年03月02日, 阪本是丸(國學院大學研究開発推進センター長)、赤澤史朗(立命館大学法学部教授)、津田勉(山口縣護國神社禰宜)、坂井久能(神奈川大学外国語学部特任教授)、藤本頼生(國學院大學神道文化学部専任講師)、中山郁(國學院大學教育開発推進機構准教授)、宮本誉士(國學院大學研究開発推進機構助教)、菅浩二(國學院大學研究開発推進機構准教授)
『渋谷学叢書第3巻 渋谷の神々』, 國學院大學研究開発推進センター渋谷学研究会・石井研士編著, 雄山閣, 2013年02月28日, 石井研士(國學院大學神道文化学部長・教授)、黒﨑浩行(國學院大學神道文化学部准教授)、秋野淳一(國學院大學大学院文学研究科博士課程後期)、遠藤潤(國學院大學研究開発推進機構准教授)、髙久舞(國學院大學研究開発推進機構ポスドク研究員)、加藤道子(國學院大學大学院文学研究科博士課程前期修了)
『平成22~24年度 科学研究費補助金(基盤研究(C))帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)研究成果報告書』, 藤田大誠編著, 國學院大學たまプラーザキャンパス3号館3階3308研究室, 2013年02月28日, 青井哲人(明治大学理工学部准教授)、畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)、菅浩二(國學院大學研究開発推進機構准教授)、藤本頼生(國學院大學神道文化学部専任講師)、河村忠伸(神社本庁総合研究所録事)、佐藤一伯(岩手・御嶽山御嶽神明社禰宜)、齊藤智朗(國學院大學研究開発推進機構准教授)、昆野伸幸(神戸大学大学院国際文化学研究科准教授)、福島幸宏(京都府立総合資料館歴史資料課主任)、北浦康孝(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程、東京都公文書館・公文書館専門員)、柏木亨介(韓国・蔚山大学校人文大学日本語日本学科助教授)
『明治時代史大辞典 3 に~わ』, 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編, 吉川弘文館, 2013年02月20日
『日本の宮家と女性宮家―女性宮家創設と皇位継承問題を解き明かす―』, 所功編著, 新人物往来社, 2012年09月25日, 所功(京都産業大学名誉教授、モラロジー研究所教授、皇學館大学特別招聘教授)、大平和典(皇學館大学助教)、川田敬一(金沢工業大学准教授)、高橋紘(故人、静岡福祉大学元教授)、松崎敏彌(皇室ジャーナリスト)、今谷明(帝京大学特任教授)、若松正志(京都産業大学教授)、梶田明宏(宮内庁書陵部編修調査官)、清水節(金沢工業大学講師)、小田部雄次(静岡福祉大学教授)
『明治時代史大辞典 2 さ~な』, 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編, 吉川弘文館, 2012年07月20日
『神社新報ブックス16 次代へつなぐ葦津珍彦の精神と思想―生誕百年・歿後二十年を記念して―』, 神社新報社編, 神社新報社, 2012年07月17日
『明治時代史大辞典 1 あ~こ』, 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編, 吉川弘文館, 2011年11月20日
『日本の伝統文化教育の可能性―人間開発学の基盤構築に向けて―』, 國學院大學人間開発学部FD推進委員会編, 國學院大學人間開発学部, 2011年02月28日, 櫻井治男(皇學館大学社会福祉学部教授・学部長、國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター客員教授)、畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)、安野功(國學院大學人間開発学部教授)、成田信子(國學院大學人間開発学部教授)、太田直之(國學院大學人間開発学部准教授)、藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)。
『國學院の学術資産に見るモノと心』, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクト(研究代表者 武田秀章), 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクト(研究代表者 武田秀章), 2011年02月28日, 武田秀章、大和博幸、阪本是丸、遠藤潤、齊藤智朗、藤田大誠、松本久史、齋藤しおり、大東敬明、戸浪裕之、渡邉卓、宮川博司、益井邦夫、秋元信英、三宅守常、坂根誠、杉山章子、武田幸也、廣木健太郎
『郷土史と近代日本』, 由谷裕哉・時枝務編著, 角川学芸出版, 2010年03月31日, 由谷裕哉(小松短期大学地域創造学科准教授)、澤博勝(福井県立歴史博物館主任学芸員)、大谷正幸(富士信仰研究者〈無所属〉)、柏木亨介(聖学院大学非常勤講師)、向井英明(石川県職員)、長谷川賢二(徳島県立博物館専門学芸員)、渡部圭一(早稲田大学人間科学学術院助手)、山口正博(香蘭女子大学非常勤講師)、石井清輝(高崎経済大学地域政策学部専任講師)、時枝務(立正大学文学部准教授)、市田正崇(國學院大學研究開発推進機構日本文化研究所PD研究員)、藤原明(フリーライター)、飯倉義之(国際日本文化研究センター機関研究員)。
『霊魂・慰霊・顕彰―死者への記憶装置―』, 國學院大學研究開発推進センター編, 錦正社, 2010年03月02日, 阪本是丸(國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター長)、山田雄司(三重大学人文学部准教授)、武田秀章(國學院大學神道文化学部教授)、今井昭彦(埼玉県立川本高等学校教諭)、三土修平(東京理科大学理学部教授)、中山郁(國學院大學研究開発推進機構専任講師)、菅浩二(國學院大學研究開発推進機構助教)、本康宏史(石川県立歴史博物館学芸課長)、羽賀祥二(名古屋大学大学院文学研究科教授)、高木博志(京都大学人文科学研究所准教授)、大原康男(國學院大學神道文化学部教授)。
『史料から見た神道―國學院大學の学術資産を中心に―』, 國學院大学研究開発推進センター編, 弘文堂, 2009年03月31日, 阪本是丸・新井大祐・太田直之・大東敬明・戸浪裕之・中野裕三・中村聡・中山郁・星野光樹・宮本誉士
『慰霊と追悼の間―近現代日本の戦死者観をめぐって―』, 國學院大學研究開発推進センター編, 錦正社, 2008年07月15日, 阪本是丸(國學院大學教授・研究開発推進センター長)、藤田大誠、粟津賢太(慶応義塾大学・創価大学非常勤講師)、西村明(鹿児島大学准教授)、大谷栄一(南山宗教文化研究所研究員)、中山郁(國學院大學研究開発推進機構講師)、池上良正(駒澤大学教授)、菅浩二(國學院大學研究開発推進機構助教)、藤本頼生(神社本庁録事)。
『検証神社本庁六十年 先人の足跡―『神社新報』の紙面から―』, 神社新報社編, 神社新報社, 2008年07月08日
『神社と神道がわかるQ&A』, 三橋健編, 大法輪閣, 2008年04月10日, 三橋健、島田潔、上野力、松尾恒一、大東敬明、新井大祐
『近代国学の研究』, 藤田大誠, 弘文堂, 2007年12月15日
『近代日本の宗教家101』, 井上順孝編, 新書館, 2007年04月05日, 井上順孝・辻村志のぶ・大澤広嗣・藤田大誠・大谷栄一・平藤喜久子・鈴木範久・村上興匡・武井順介・永井美紀子・齊藤智朗・佐々木裕子・李和珍・稲場圭信・藤田庄市・武田道生・對馬路人・村田充八
『国家神道再考―祭政一致国家の形成と展開―』, 阪本是丸編, 弘文堂, 2006年10月15日, 阪本是丸(はじめに)
論文著者:西岡和彦・松本丘・中野裕三・星野光樹・中村聡・河村忠伸・戸浪裕之・齊藤智朗・藤本頼生・宮本誉士・藤田大誠, 國學院大學日本文化研究所のプロジェクトの一環として、同21世紀COEプログラム、同研究開発推進センター、神社本庁教学研究所所属の研究者が集つた国家神道研究会による共同研究の成果。自身の論文「国家神道体制成立以降の祭政一致論―神祇特別官衙設置運動をめぐって―」では、明治33年の内務省神社局設置を画期とする「国家神道体制」の成立以降、「祭政一致」の実現を期すために遂行された、神道人や議会人などによる「神祇特別官衙設置運動」について、明治末期から昭和15年の神祇院設立までの時期を詳細に跡付けた。特に「神社行政統一」の方向性は、大正七年に貴衆両院で決議されて首相と内相も一時同意したが、結局は靖國神社を管掌する陸海軍省の強い反対を前に挫折した。これ以後、「八神殿奉斎論」など別の動きも高まるものの、結果的にこの神道人達の主要な要求は、決して政府に受け入れられないまま「国家神道」の終焉を迎えたと指摘した。
『国士内田良平―その思想と行動―』, 内田良平研究会編著, 展転社, 2003年01月07日, (監修)中村武彦・北上清五郎・神屋二郎 (執筆)池田憲彦・今村裕・江島靖喜・魚谷哲央・小田内陽太・菅浩二・高柳陽一・田中健之・田中秀雄・永山英樹・藤本隆之・藤田大誠・三澤浩一・森田忠明・山浦嘉久
公開シンポジウム発題:「近代の陵墓と神社をめぐる制度と思想」, 藤田大誠, 公開学術シンポジウム「森のデザイン/森のナラティブー宮と陵のあいだで―」(主催:明治神宮国際神道文化研究所 共催:明治神宮史研究会、於明治神宮社務所講堂), 2024年10月26日, 主催:明治神宮国際神道文化研究所
共催:明治神宮史研究会, 公開学術シンポジウム「森のデザイン/森のナラティブ―宮と陵のあいだで―」(主催:明治神宮国際神道文化研究所 共催:明治神宮史研究会、令和6年10月26日、於明治神宮社務所講堂)の発題1。
主旨説明:
青井哲人(明治大学理工学部教授)
長谷川香(東京藝術大学美術学部建築科准教授)
発題1:
藤田大誠(國學院大學人間開発学部健康体育学科教授)
「近代の陵墓と神社をめぐる制度と思想」
発題2:
水内佑輔(東京大学大学院農学生命科学研究科助教)
「明治神宮の森の神話の生成プロセス―戦前・戦後の上原敬二の言説からの検討―」
発題3:
力安一樹(東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻 修士課程)
「近代陵墓地の空間分析と図化の試み」
本発表は、上原敬二の回想で彼の陵墓研究に関はるキーパーソンとして登場した、異色の諸陵頭として知られる山口鋭之助といふ人物に焦点を当てて「近代の陵墓と神社をめぐる制度と思想」の一端を検討することにより、陵墓と神社の関係如何、明治神宮史・近代神道史上の位置付け如何、を探る細やかな試みであつた。
オンライン公開講座:「表参道:明治神宮を源泉とする都市空間」, 藤田大誠, 令和6年度國學院大學オンライン公開講座「渋谷学2 渋谷をめぐる―渋谷とその隣接エリアから考える―」(配信期間:令和6年10月18日(金)~11月30日(土))第2回, 2024年10月18日, 國學院大學エクステンションセンター, 令和6年度國學院大學オンライン公開講座「渋谷学2 渋谷をめぐる―渋谷とその隣接エリアから考える―」(配信期間:令和6年10月18日(金)~11月30日(土))の第2回。
基調発題:「神社本庁・地方神社庁の設立過程―現代神社神道史研究序説―」, 藤田大誠, 第四十一回神社本庁神道教学研究大会:主題「現代の神社神道と神職団体―その出発点を考へる―」(於神社本庁), 2024年08月26日, 神社本庁総合研究所, 東京都, 第三十九回神社本庁神道教学研究大会「神職組織と神宮奉斎」、第四十回神道教学研究大会「再考、神職とは何か~近世・近代における神職の諸相や組織から考へる~」においては、近世の神職組織(御師をも含む)における学知と実践の連続と断絶を前提としつつ、近代における中央神祇関連団体である❶全国神職会(後に大日本神祇会)、❷皇典講究所、❸神宮奉斎会の存在意義が確認され、その地方団体(地方神職会・支部、分所、地方本部)と中央との相互関係の重要性も見出された。本基調発題では、現代の神社神道と神職団体の在り方に関する神道教学的検討を行ふため、その出発点である終戦直後における「戦災バラック」としての神社本庁・地方神社庁の設立過程を再確認して、❶祭祀ー宗教、❷公ー私、❸中央ー地方といふ視座から今後の課題を抽出した。西田廣義『増補改訂近代神社神道史』(神社新報社、昭和六十一年)といふ近現代神社神道史の金字塔も未だ概観に留まるため、その精度を高めるべく、現代神社神道史研究序説を志向した。
報告:「近代神社における社格制度の基礎的考察」, 藤田大誠, 國學院大學研究開発推進センター令和6年度第1回研究会, 2024年08月01日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター, 近代神社の社格制度について、現代の視点、内務省神社局・神祇院時代の理解、別格官幣社研究から概観した上で、近代神社法令・行政講義における社格昇格手続きの説明を確認し、最後に、近代社格制度並びに社格昇格の全体像把握のためのデータベース作成に向けた今後の課題を提示した。
個人発表:「皇位継承儀礼と近代日本社会―大正大礼における神社と国民―」, 藤田大誠, 「宗教と社会」学会第32回学術大会(於國學院大學渋谷キャンパス), 2024年06月15日, 「宗教と社会」学会, 本発表では、近代日本社会の神社と国民にとつて「皇位継承儀礼」の意義とは何であり、特に「大正大礼」(即位礼・大嘗祭)とは如何なる経験だつたのかについて聊か論じた。
東京都神社庁教学委員会講演:「現代神社と神職養成―明階総合課程の一科目から考へる―」, 藤田大誠, 東京都神社庁教学委員会(於 國學院大學渋谷キャンパス学術メディアセンター5階06会議室), 2024年03月28日, 東京都神社庁教学委員会, 近代以降に構築された神職養成の在り方を念頭に置いた上で、自身が平成三十年度より令和五年度に至るまで担当した國學院大學神道文化学部明階総合課程の科目「現代時局論」における取り組みを通して、〈現代神社と神職養成〉に関する諸問題について論じた。
リプライ:「玉置文弥報告「藤田大誠論文「超国家主義と宗教」」, 藤田大誠, 独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)基盤研究(C)(一般)(令和5~7年度)「 日本近代における「異端神道」の成立と展開の諸相」(研究課題/領域番号23K00104、研究代表者:斎藤英喜)第2回研究会、於佛教大学〔オンライン参加〕, 2024年01月27日, , 玉置文弥(東京工業大学大学院環境・社会理工学院博士後期課程)による藤田大誠「超国家主義と宗教」(島薗進・末木文美士・大谷栄一・西村明編『近代日本宗教史 第4巻 戦争の時代 昭和初期~敗戦』春秋社、令和3年)の書評報告に対する執筆者本人のリプライ。
靖國神社崇敬奉賛会「靖國神社を知る勉強会」第六回:「神道史から見た靖國神社―英霊祭祀の系譜とその展開―」, 藤田大誠, 靖國神社崇敬奉賛会「靖國神社を知る勉強会」第六回(於 靖國神社啓照館), 2023年12月09日, 靖國神社崇敬奉賛会, 一 近代創建の「人霊祭祀」神社
二 人の霊を神霊として祀る伝統
三 別格官幣社の成立
四 招魂社の源流と靖國神社
五 靖國神社をめぐる問題
附 近代神社神道史概観
発題:「近代国学と神職―皇典講究所(本所)・皇典講究分所の意義と役割―」, 藤田大誠, 第四十回神社本庁神道教学研究大会主題「再考、神職とは何か―近世・近代における神職の諸相や組織から考へる―」(於 神社本庁二階大講堂), 2023年09月14日, 神社本庁総合研究所, 第四十回神社本庁神道教学研究大会における「再考、神職とは何か―近世・近代における神職の諸相や組織から考へる―」といふ主題に即して、近代の神職任用資格付与や養成、社会的活動などに携はつた皇典講究所(本所)と地方の皇典講究分所の意義と役割について、近現代神道史を補助線としつつ概観した。
研究大会の内容は次の通り。
第四十回神社本庁神道教学研究大会
主題「再考、神職とは何か―近世・近代における神職の諸相や組織から考へる―」発題Ⅰ「近世の神職と組織について」松本久史(國學院大學神道文化学部教授)
発題Ⅱ「近代の神職資格制度について」武田幸也(國學院大學兼任講師)
発題Ⅲ「皇典講究所の役割と意義について」藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授)
コメンテーター
杉山林繼(國學院大學名誉教授)
藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
司会
茂木貞純(國學院大學名誉教授)
研究発表:「戦後神社界と葦津珍彦の政教論に関する序説的検討」, 藤田大誠, 政教関係を正す会研究会(於 神社本庁二階大講堂), 2023年08月17日, 政教関係を正す会, 本研究発表では、葦津珍彦による「信教の自由」や「政教分離」、「国家神道」の理解に着目し、その一端を断片的に触れることを以て序説的検討を行つた、
研究発表:「昭和戦前期におけるスポーツ人類学的著作の先駆とその背景―刈屋卓一郎『スポーツの由來とその轉化』の序説的考察―」, 藤田大誠, 日本スポーツ人類学会第24回大会研究発表【会場②—4、発表方法:リモート】(主管:筑波大学、会場:文部科学省研究交流センター〔つくば市〕), 2023年03月16日, 日本スポーツ人類学会, 本発表では、昭和戦前期におけるスポーツ民族学(人類学)的著作の先駆である刈屋卓一郎『スポーツの由來とその轉化』が出版された背景の序説的考察を試みた。検討の結果、「祭祀」や「集団訓練・社会的訓練」としてのスポーツ、「スポーツ即生活」というスポーツ観が籠められた刈屋卓一郎『スポーツの由來とその轉化』は、彼が密接に関わる大日本スポーツマンシツプ協会(黒田長和会長)と大日本工業スポーツ聯盟(吉田茂会長)をその背景とし、工場労働者のスポーツ振興現場から誕生したと論じた。
一般研究発表:「日本的奉納競技空間の近代的展開―橿原神宮外苑の形成と体育・スポーツ施設―」, 藤田大誠, スポーツ史学会第36回大会(於奈良教育大学), 2022年12月04日, スポーツ史学会, 奈良県奈良市, 本発表では、体育・スポーツ史と神道史とを架橋する視座のもと、「都市としての明治神宮(内苑+外苑)」の伝播という観点から、「日本的奉納競技空間」の近代的展開としての橿原神宮「外苑」たる「畝傍公園」から「橿原道場」に至る形成史を跡付けた。
研究発表:「近代日本の高等教育機関における運動部活動に関する一考察ー大正・昭和戦前期の國學院大學を事例としてー」, 藤田大誠, 國學院大學人間開発学会第14回大会(於國學院大學たまプラーザキャンパス1201教室), 2022年11月12日, 國學院大學人間開発学会・國學院大學人間開発学部, 神奈川県横浜市青葉区, 運動部活動改革や大学スポーツ協会(ユニバス)の行く末を占ふためには、まづその原点たる近代日本(戦前)の高等教育機関(帝国大学、官公私立の旧制大学・専門学校・高等学校、高等師範学校など)において学生が主体的に組織化した「校友会」(学友会)運動部活動の来し方を改めて精緻に検討する必要があるのではないか。
先行研究を踏まへ本発表では、伝統私学でありながら当該主題の本格的研究が取り組まれて来なかつた國學院大學を事例として検討した。
「体育部」=撃劔といふ運動部活動未分化状態の時代から、運動競技細分化=運動部活動の分節化、専門化が始まる「運動部」時代へと移り替はり、學友會段階では、独立した各運動部が校内試合や遠征などで力を付けて行き、他の高等教育機関と伍す成績を挙げる部や選手も登場することを明らかにした。
令和4年度後期世田谷市民大学講座「近代日本の政治と宗教」第9回:「明治神宮と大正・昭和戦前期の神社行政」, 藤田大誠, 世田谷市民大学(於 せたがや がやがや館4階)令和4年度後期:講座「近代日本の政治と宗教」(小川原正道・藤田大誠), 2022年11月11日, 世田谷区市民大学・生涯大学事務局, 小川原正道氏(慶應義塾大学法学部教授)の企画による世田谷市民大学(於 せたがや がやがや館4階)令和4年度後期の講座「近代日本の政治と宗教」(12回)の共同担当者(講師)として分担する2回の講義のうちの2回目。下記の内容を講じた。
一 明治維新後の神社と国民教化
二 祭教学分離と日本型政教分離
三 神社行政の展開と明治神宮造営
四 神道指令と占領期の神社神道
五 【補論】戦後の靖國神社
令和4年度後期世田谷市民大学講座「近代日本の政治と宗教」第6回:「靖國神社と戦歿者慰霊」, 藤田大誠, 世田谷市民大学(於 せたがや がやがや館4階)令和4年度後期:講座「近代日本の政治と宗教」(小川原正道・藤田大誠), 2022年10月21日, 世田谷区市民大学・生涯大学事務局, 東京都世田谷区, 小川原正道氏(慶應義塾大学法学部教授)の企画による世田谷市民大学(於 せたがや がやがや館4階)令和4年度後期の講座「近代日本の政治と宗教」(12回)の共同担当者(講師)として分担する2回の講義のうちの1回目。下記の内容を講じた。
一 近代創建の「人霊祭祀」神社
二 人の霊を神霊として祀る伝統
三 別格官幣社の成立
四 招魂社の源流と靖國神社
五 靖國神社と慰霊・追悼・顕彰
研修会講演:「近現代の天皇と国民」, 藤田大誠, 静岡県神社庁第48回国民精神昂揚運動西部地区〔小笠支部当番〕合同研修会(於 龍尾神社), 2022年09月27日, 静岡県神社庁西部地区〔小笠支部当番〕, 静岡県掛川市, 下記の内容を講演した。
一 近代(戦前)の静岡県神社界
二 神社本庁と静岡県神社庁
三 国民精神昂揚運動の開始
四 現代の天皇と国民
五 近世から近代の天皇と国民
六 皇室祭祀と皇位継承儀礼
研究発表:「「国民体育」から「国民錬成」へ―総力戦体制下の明治神宮大会―」, 藤田大誠, 教育史学会第66回大会(オンライン開催、開催校:埼玉大学), 2022年09月25日, 教育史学会, 本発表では、「錬成」に関する教育史研究の成果を十分に踏まえた上で、教育史と体育・スポーツ史、さらには神道史とを架橋する観点から、「国民体育」から「国民錬成」へと名称を変更した、総力戦体制下における「明治神宮大会」の在り方を検討した。
研修会講演:「近現代の天皇と国民」, 藤田大誠, 静岡県神社庁第48回国民精神昂揚運動東部地区〔賀茂支部当番〕合同研修会(於 ホテル伊豆急), 2022年09月21日, 静岡県神社庁東部地区〔賀茂支部当番〕, 静岡県下田市白浜, 下記の内容を講演した。
一 近代(戦前)の静岡県神社界
二 神社本庁と静岡県神社庁
三 国民精神昂揚運動の開始
四 現代の天皇と国民
五 近世から近代の天皇と国民
六 皇室祭祀と皇位継承儀礼
共同討議コメント:第39回神社本庁神道教学研究大会主題「神職組織と神宮奉斎」, 藤田大誠, 第39回神社本庁神道教学研究大会(於神社本庁大講堂), 2022年09月13日, 神社本庁総合研究所, 発題者:
八幡崇経(呼子八幡神社宮司)
武田幸也(國學院大學兼任講師)
藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
コメンテーター:
藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授)
菅浩二(國學院大學神道文化学部教授)
司会:
櫻井治男(皇學館大学名誉教授)
研修会講演:「近現代の天皇と国民」, 藤田大誠, 静岡県神社庁第48回国民精神昂揚運動中部地区〔静岡支部当番〕合同研修会(於 靜岡縣護國神社直会殿), 2022年09月06日, 静岡県神社庁中部地区〔静岡支部当番〕, 静岡県静岡市葵区, 下記の内容を講演した。
一 近代(戦前)の静岡県神社界
二 神社本庁と静岡県神社庁
三 国民精神昂揚運動の開始
四 現代の天皇と国民
五 近世から近代の天皇と国民
六 皇室祭祀と皇位継承儀礼
一般研究発表:「過渡期としての「明治神宮体育大会」の展開」, 藤田大誠, 体育史学会第11回大会(於 東京学芸大学), 2022年06月04日, 本発表では、大正13年(1924)から昭和18年(1943)まで14回に亙って「明治神宮外苑競技場」(現・国立競技場)を主会場として開催された国民的・総合的・全国的運動競技(スポーツ)大会である「明治神宮大会」のうち、「明治神宮体育大会」の名称で行われた第3~9回大会(大正15年〔1926〕、昭和2~12年〔1927~37〕、第4回大会から隔年開催)の時期に着目し、その実態と変遷を明らかにすることを目的とした。
シンポジウム発表:「満洲スポーツ界と明治神宮大会」, 藤田大誠, 公開シンポジウム「満洲国とスポーツ」(オンライン開催、独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(B)(一般)(平成30~令和4年度)「帝国日本と東アジアスポーツ交流圏の形成」(研究課題/領域番18H00722、研究代表者:高嶋航)), 2021年12月26日, 独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(B)(一般)(平成30~令和4年度)「帝国日本と東アジアスポーツ交流圏の形成」(研究課題/領域番18H00722、研究代表者:高嶋航), 高嶋航(京都大学)「満洲国のナショナルチームと民族協和」
浜田幸絵(島根大学)「満洲の女子スポーツ――婦人の健康問題」
新雅史(流通科学大学)「満洲と体育ボール」
佐々木浩雄(龍谷大学)「満洲国の誕生と満洲建国体操」
藤田大誠(國學院大學)「満洲スポーツ界と明治神宮大会」
スポーツ史からのコメント 坂上康博(一橋大学)
満洲史からのコメント 塚瀬進(長野大学), 研究分担者となつてゐる独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(B)(一般)(平成30~令和4年度)「帝国日本と東アジアスポーツ交流圏の形成」(研究課題/領域番18H00722、研究代表者:高嶋航)による公開シンポジウムにおける発表。本発表では、東洋史研究者・高嶋航の諸論考において示された日満スポーツ交流史の見取り図を念頭に置きつつ、大正末~昭和戦前期(大同、康徳)における満洲スポーツ(運動、体育)界の「明治神宮(競技、体育、国民体育、国民錬成)大会」に対する眼差しの変遷を跡付けた。
一般研究発表:「帝国日本の神社と体育・スポーツ施設―満洲における明治神宮外苑に対する眼差し―」, 藤田大誠, スポーツ史学会第35回大会(オンライン開催、担当校:日本体育大学), 2021年12月05日, スポーツ史学会, 本発表は、体育・スポーツ史と神道史とを架橋する視座のもと、帝国日本の神社と体育・スポーツ施設との関係如何といふ主題を据ゑ、満洲における明治神宮外苑に対する眼差しに着目し、日本的奉納競技(祭典・神前スポーツ)の近代的展開の一端について考察したもので、「日本的神前スポーツの近代的展開」を生み出した空間である「都市としての明治神宮(内苑・外苑)」といふ体系(纏まり)の伝播、移植、変容といふ現象が見出せると結論付けた。
研究発表:「國學院大學運動部活動史研究序説―近代日本における学生スポーツの一事例として―」, 藤田大誠, 國學院大學人間開発学会第13回大会(於 國學院大學たまプラーザキャンパス1101教室), 2021年11月13日, 國學院大學人間開発学会, 伝統私学の國學院大學において、如何なる運動部活動史を描くことが出来るのか、といふのが本稿の問ひである。具体的には、明治十五年に創立された皇典講究所における正課体育から説き起こした上で、同23年設立の國學院と密接な課外活動組織である「國學院同窓会体育部」の設立と展開から、大正11年の「國學院大學学友会」成立までを概観した。
シンポジウムコメント:明治神宮国際神道文化研究所公開学術シンポジウム「「明治神宮史研究会」以前・以後―鎮座100年への/からの視点と展望―」(Zoomミーティングによるオンライン会議), 藤田大誠, 明治神宮国際神道文化研究所公開学術シンポジウム「「明治神宮史研究会」以前・以後―鎮座100年への/からの視点と展望―」(Zoomミーティングによるオンライン会議), 2020年11月21日, 明治神宮国際神道文化研究所, 日本(Zoomミーティングによるオンライン会議), 河村忠伸(秋葉山本宮秋葉神社権宮司・國學院大學開発推進機構研究開発推進センター共同研究員)、長谷川香(東京理科大学理工学部助教)、水内佑輔(東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林助教)、藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授)、青井哲人(明治大学理工学部教授)、畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科教授)、今泉宜子(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)
報告:「帝国日本の神社とスポーツ」, 藤田大誠, 東アジア近代史学会第25回研究大会シンポジウム「スポーツと東アジア―国家/帝国・国民/民衆―」(Zoomミーティングによるオンライン会議), 2020年10月04日, 東アジア近代史学会, 日本(Zoomミーティングオンライン会議), 本報告では、近代神道史と体育・スポーツ史を架橋する観点から、〈帝国日本〉における神社とスポーツとの関係を考へるため、まづは明治神宮外苑の形成過程と「明治神宮大会」の創設、展開を一通り概観した上で、満洲における神社とスポーツとの関係について、聊か検討を加へた。
趣旨説明 檜山 幸夫(中京大学)
帝国日本の神社とスポーツ 藤田 大誠(國學院大學)
帝国日本のスポーツと民族の「融和」 金 誠(札幌大学)
劉長春と于希渭―中国と満洲国を代表した関東州生まれのアスリート― 高嶋 航(京都大学)
1964年東京オリンピックと東アジア―参加・名称・入国をめぐって― 冨田 幸祐(日本体育大学)
コメント 平山 昇(神奈川大学)・小野 容照(九州大学)
総合討論 司会 櫻井 良樹(麗澤大学)・青山 治世(亜細亜大学)
研究報告:「近代の神社と体育・スポーツ・武道―身体文化をめぐる日本と西洋の交錯―」, 藤田大誠, 大学共同利用機関法人人間文化研究機構国際日本文化研究センター共同研究「文明としてのスポーツ/文化としてのスポーツ」第2回共同研究会, 2020年03月20日, 国際日本文化研究センター共同研究「文明としてのスポーツ/文化としてのスポーツ」(代表:牛村圭), 本研究報告では、近代の神社と体育・スポーツ・武道といふ視座から、近代日本における学校体育の成立、近代「武道」の成立過程、近代日本会のスポーツ導入、明治神宮外苑競技場と明治神宮体育大会を題材として身体文化をめぐる日本と西洋の交錯について検討した。
共同討議コメント:第37回神社本庁神道教学研究大会主題「大嘗祭と天皇の祭祀」, 藤田大誠, 第37回神社本庁神道教学研究大会(於神社本庁大講堂), 2019年09月02日, 神社本庁総合研究所
研究発表:「近代皇位継承儀礼に関する一考察」, 藤田大誠, 第65回神道史学会大会(於皇學館大学), 2019年06月02日, 神道史学会, 本発表で着目したのは、近代皇位継承儀礼(特に大嘗祭)と「国民」との関係といふ視点である。その上で本発表では、大正大礼前後における「大礼」関連の諸論考のうち、主に当時の国学者かつ神道人の代表格であつた靖國神社宮司賀茂百樹を対象として、皇位継承儀礼と「国民」との関係についての言説を検討した。
平成31年度はりま歴史講座「天皇と播磨」第一講:「祭り主としての天皇と国民」, 藤田大誠, 平成31年度はりま歴史講座「天皇と播磨」第一講(姫路獨協大学播磨会、於 姫路獨協大学創立20周年記念ホール), 2019年04月27日, 姫路獨協大学・姫路獨協大学播磨会主催の平成31年度はりま歴史講座「天皇と播磨」の第一講として講演を行つた。御代替を目前に控へ、「祭り主」としての天皇と国民との歴史的関係について講じ、具体的には、祝祭日と皇室祭祀との関係、皇室祭祀の近現代と日本の伝統文化との関係、近世・幕末から近現代の天皇と国民との関係、大日本帝国憲法第一条における「万世一系」と「シラス」などの観点から論じた。
時局講演会・研修会講演:「明治維新における神道精神―現代時局を考へるために―」, 藤田大誠, 神道政治連盟京都府本部時局講演会・国民精神昂揚運動合同研修会(於 京都ガーデンパレス), 2018年11月26日, 神道政治連盟京都府本部, 京都市, 明治維新以来、近現代を貫く「神道精神」の系譜について歴史的に説明し、神社界において現代時局を考へる根本姿勢の確認を改めて求めた。
平成29年度國學院大學人間開発学会研究奨励賞記念講演:「明治神宮外苑拡張構想と幻の東京オリンピック」, 藤田大誠, 平成29年度國學院大學人間開発学会研究奨励賞記念講演(國學院大學人間開発学会第10回大会), 2018年10月20日, 國學院大學人間開発学会, 國學院大學人間開発学会第10回大会において授与された「平成29年度研究奨励賞」(受賞論文:藤田大誠「明治神宮外苑拡張構想と幻の東京オリンピック」『國學院大學人間開発学研究』第9号、平成30年2月28日)の記念講演。
発表:「大嘗祭をめぐる政教問題の回顧と展望」, 藤田大誠, 政教関係を正す会研究会(於 神社本庁), 2018年09月29日, 政教関係を正す会, 神社本庁(東京都渋谷区), 本発表は、まづ現時点までにおける今回の御代替はり(近現代においては初めてとなる先帝の「崩御」では無い「御譲位」に伴ふ新帝の「御即位」による御代替はり)に向けての動きを確認した上で、特に平成の御代替はりにおける大嘗祭をめぐる政教問題(各種訴訟をはじめ、関連する諸問題)の整理を行ふことで、来年秋斎行の大嘗祭に向けて考へておくべき諸点を抽出することを目的としたもの。
テーマセッション報告:「戦後日本社会における「国家神道」概念の形成」, 藤田大誠, 第91回日本社会学会大会研究活動委員会テーマセッション「国家神道なるものと戦後の日本社会」(於 甲南大学岡本キャンパス), 2018年09月15日, 日本社会学会研究活動委員会, 甲南大学(神戸市), 本テーマセッションは、寺田喜朗(大正大学文学部教授)がコーディネーターとなつて設けられ、藤田大誠(國學院大學人間開発学部教授)、弓山達也(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)、畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科教授)、塚田穂高(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)、小島伸之(上越教育大学大学院学校教育研究科教授)がそれぞれ報告した後、討論を行つたもの。本報告では、近代、即ち戦前日本社会における「国家神道」概念の形成前史を踏まへつつ、主に占領期の「神道指令」において初めて公式に使用された「国家神道」概念をメルクマールとして、占領期における帝国議会や神社界、宗教界、学界、論壇などにおいて、如何に「国家神道」なる語が受容され、その概念の内包がどのやうに展開していつたのかを考察した。
研修会講演:「明治維新と神社」, 藤田大誠, 静岡県神社庁第46回国民精神昂揚運動中部地区合同研修会(於 大井神社宮美殿), 2018年09月05日, 静岡県神社庁中部地区, 大井神社宮美殿(静岡県島田市), 明治維新百年を期して始められた国民精神昂揚運動の静岡県神社庁中部地区における第46回合同研修会の講師を務めたもの。明治維新百年時の神社本庁と静岡県神社界における記念事業、政府の明治百年記念式典などを回顧した上で、政府の明治百五十年事業の問題点(敬神尊王の思想と王政復古の意義宣揚の欠如)を示し、明治維新以降における神社の変遷について、中央と静岡の事例に触れつつ、神仏関係と国家との関係を軸に説明した。
研修会講演:「天皇と神社の明治維新―祭政一致の理念と現実―」
, 藤田大誠, 大阪府神社庁主催「明治維新百五十年記念研修会」(於 大阪府神社庁五階研修室), 2018年08月27日, 大阪府神社庁, 大阪府神社庁主催「明治維新百五十年記念研修会」(於 大阪大阪府神社庁五階研修室(大阪市中央区), 明治維新以降の神祇官再興と神仏分離、大坂親征行幸、「国家神道」の成立から終焉まで、「万世一系」と「シラス」、皇室祭祀と日本の伝統文化などについて論じた。藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)が司会を務め、同じく講演をした嶋津宣史(廣田神社禰宜)とともに討議を行つた。
発表:「国家神道と神道的国体論―神社・宗教とナショナリズムに関する試論―」, 2017年12月17日, 第4回宗教とナショナリズム研究会(総括研究会)「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(於 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館AV1教室), 日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)主催の第4回宗教とナショナリズム研究会(総括研究会)「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」。
自身の発表では、本科研費共同研究の総括、本共同研究の成果を踏まへた研究代表者における今後の研究方針(課題)について報告した。
報告:「「国家神道」概念の近現代史」, 藤田大誠, 史学会第115回大会・日本史部会・近現代史部会シンポジウム「戦後史のなかの「国家神道」」、於 東京大学本郷キャンパス), 2017年11月12日, 史学会第115回大会・日本史部会・近現代史部会シンポジウム「戦後史のなかの「国家神道」」、於 東京大学本郷キャンパス), 本報告では、戦後日本における「国家神道」認識の変遷について、学術研究の範囲に留まらず、より広く戦後史の文脈に位置付けて検討するといふ本シンポジウムの趣旨に照らし、議論の前提となる基礎的知識の整理を兼ねて「国家神道」の概念史を略述した。具体的には、まづ議論の前提となる「国家神道」研究史を概観した上で、数少ない戦前における「国家神道」といふ語の使用法を押さへ、さらにそれ自体が理想化された言説であつた近代における「神道」概念の変遷を少しばかり跡付けることで、そこに戦後一般化する外延の広い「国家神道」概念のルーツがあるといふ仮説を提示した。
研究発表:「『国体論史』編述者・清原貞雄の国体論」, 2017年10月28日, 日本思想史学会2017年度大会研究発表(於 東京大学本郷キャンパス), これまで、『国体論史』を編み、自身も歴史的研究方法(主に思想史・文化史・道徳史的アプローチ)によつて「国体論」や「日本精神論」、さらには「神道史」、「国学史」に関する研究書・啓蒙書を多数の物した清原貞雄の人物像や思想的営為については殆ど言及されてをらず、本格的研究は未だ一つも無い。それ故、本発表では、『国体論史』編述者である清原貞雄の基礎情報を提示し、その国体論について聊かの考察を加へた。
発表:「明治神宮外苑拡張構想と幻の東京五輪」
, 2017年10月21日, 明治神宮国際神道文化研究所公開学術シンポジウム「帝国日本のスポーツと明治神宮―幻の東京オリンピック前後―」(於 明治神宮社務所講堂), 【主催】明治神宮国際神道文化研究所
【共催】明治神宮史研究会、日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)
本シンポジウムでは、「幻の東京オリンピック」前後の大正後期から昭和戦前期に焦点を当てて、明治神宮外苑の体育・スポーツ空間と明治神宮大会の展開を軸としつつ、東アジア全体を視野に入れた〈帝国日本〉の体育・スポーツについて議論を行つた。
自身の発表では、「幻の東京オリンピック」をめぐる明治神宮外苑拡張構想の推移について、その起源や前史を踏まへつつ再検討を行つた。
発表:「「国体明徴」と神社界・宗教界」, 2017年09月30日, 第10回国家神道・国体論研究会「「国体明徴運動下の社会と宗教―昭和10年前後を中心に―」再考」(於 國學院大學たまプラーザキャンパス), 今回の研究会は、日本宗教学会第76回学術大会パネル発表「国体明徴運動下の社会と宗教―昭和10年前後を中心に―」(パネル代表者:小島伸之、平成29年9月17日(日)13:15~15:15、於東京大学本郷キャンパス)の内容について再考することを目的として開催された。同パネル発表は、原則として日本宗教学会会員のみが参加可能であつたため、今回、このパネルの内容を同学会外に開き、新たにコメンテーター2名を設定して歴史的観点からのコメントを受け、改めてじつくりと議論を行つた。
発表:「「国体明徴」と神社界・宗教界」, 2017年09月17日, 日本宗教学会第76回学術大会(於 東京大学本郷キャンパス)パネル発表「国体明徴運動下の社会と宗教―昭和10年前後を中心に―」, 本発表では、昭和10年(1935)直後の「国体明徴」の時勢における神社界・宗教界の様相や言説の一端を窺ふことにより、「国体明徴運動」が神社界・宗教界にとつて如何なるインパクトを持ち、社会的意義を有したのかを再考した。
発題:「近代の偉人祭祀―別格官幣社を中心に―」, 2017年09月05日, 第35回神社本庁神道教学研究大会(於 神社本庁大講堂)主題「人霊祭祀、顕彰と継承と」, 本発題では、「偉人」の霊を「神霊」として(神社の御祭神として祀る(祭祀する)ことの神道教学的意義について、近代の別格官幣社を中心に再検討した。換言すれば、「偉人祭祀」の観点から、明治維新以降において付与された新たな社格「別格官幣社」や天皇・皇族の「神霊」を祀る官社など、近代の「人霊祭祀」神社について再考したものである。
シンポジウムコメント:明治聖徳記念学会公開シンポジウム「近代の皇室制度―その運用と課題―」, 2017年07月15日, 明治聖徳記念学会公開シンポジウム「近代の皇室制度―その運用と課題―」(於 明治神宮参集殿), 明治聖徳記念学会公開シンポジウム「近代の皇室制度―その運用と課題―」(平成29年7月15日 於 明治神宮参集殿)において、「皇室制度」の字義、伝統と西洋近代、公私の観点、国学者の皇位継承法研究、御系譜の起点などの観点からコメントを行つた。
記念講演:「大阪国学院の歴史と建学の精神」, 2017年06月27日, 一般財団法人大阪国学院通信教育部開設四十周年記念大会(於 シェラトン都ホテル大阪四階浪速の間), 一般財団法人大阪国学院通信教育部開設四十周年記念大会における記念講演(招待講演)として、次の如く、大阪国学院135年の歴史と建学の精神について説明した。「一 神職の在り方―信仰・学問・人格陶冶―」、「二 「一般財団法人大阪国学院」とは如何なる団体か―その目的は何か―」、「三 大阪国学院の略歴―複雑怪奇な展開、盛衰―」、「四 大阪国学院における建学の精神―神道精神と国学の実践―」、「五 これからの大阪国学院―一講師の身勝手な展望と要望―」。
公開研究会発表:「昭和戦前期の国体論と神社・学校・身体」, 2017年03月23日, 第3回宗教とナショナリズム研究会「帝国日本における神社・学校・身体―神道史と教育史、体育・スポーツ史を架橋する試み―」(於 國學院大學たまプラーザキャンパス), 日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)主催の第3回宗教とナショナリズム研究会における発表。
研究会の内容
趣旨説明
発表1「昭和戦前期における学校教育の質的転換―宗教性に着目して―」
井上兼一(皇學館大学教育学部准教授)
発表2「帝国日本の御真影」
樋浦郷子(国立歴史民俗博物館研究部准教授)
発表3「体操とナショナリズム―集団体操の国民的普及と国家政策化―」
佐々木浩雄(龍谷大学文学部准教授)
発表4「植民地朝鮮における「花郎」言説と兵的動員―朝鮮半島における軍事性の正当化―」
金誠(札幌大学地域共創学群人間社会学域准教授)
発表5「昭和戦前期の国体論と神社・学校・身体」
藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
自身の発表では、「昭和戦前期の国体論」を補助線として、近代神道史と日本近代教育史、日本近代体育・スポーツ史を架橋する試みを行ふため、今回の発表者たち(井上兼一・樋浦郷子・佐々木浩雄・金誠・藤田大誠)による先行業績を手掛かりとしてこの課題にアプローチした上でささやかな問題提起を行つた。
シンポジウム発表:「近代国学と国史学―皇典講究所・國學院大學を軸として―」, 2017年03月11日, 公開シンポジウム「史学科の比較史:草創期から1945年」(於 立教大学池袋キャンパス), 立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR共同プロジェクト研究)「グローバルヒストリーのなかの近代歴史学」公開シンポジウム「史学科の比較史:草創期から1945年」(於 立教大学池袋キャンパス、平成29年3月10、11日、主催:立教大学文学部史学科、共催:立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR共同プロジェクト研究)「グローバルヒストリーのなかの近代歴史学」)における発表。
シンポジウムの内容
3月10日
佐藤雄基 (立教大学文学部准教授)
「東京帝国大学における史学と国史―史料編纂事業との関わりと卒業生進路から―」
近藤成一(放送大学教授、東京大学名誉教授)
「史料編纂所の歴史家たち」
堀和孝(慶應義塾福沢研究センター研究嘱託)
「田中萃一郎と三田史学の展開」
小澤実(立教大学文学部准教授)
「小林秀雄とその時代 戦前・戦中の立教史学科・史学会・『史苑』」
3月11日
上島享(京都大学大学院文学研究科准教授)
「京都大学日本史研究の特色」
柳原敏昭(東北大学大学院文学研究科教授)
「創設期の東北大学日本史研究室—地域史・民俗学・学会—」
永島広紀(九州大学韓国研究センター教授)
「京城帝国大学における史学研究と史料編纂」
夏目琢史(一橋大学附属図書館助教)
「東京商科大学における歴史系ゼミナール—川上多助・幸田成友を中心に—」
廣木尚(早稲田大学大学史資料センター助教)
「早稲田のなかの歴史学」
藤田大誠(國學院大学人間開発学部准教授)
「近代国学と国史学―皇典講究所・國學院大學を軸として―」
自身の発表では、皇典講究所・國學院大學における歴史研究(特に「国史学」)を素材としつつ、「近代国学」と「国史学」との関係に焦点を当てて検討を加へた。
研究発表:「靖國神社問題の現在―「賊軍」合祀申し入れの検討を中心に―」, 2016年12月19日, 政教関係を正す会研究会(於 神社本庁二階大講堂), 本発表では、靖國神社問題や靖國神社研究の現状を確認した上で、今秋に保守政治家たちにより提起された靖國神社に対する「賊軍」合祀申し入れを素材として、聊かの検討を加へた。
一般研究発表:「明治神宮体育大会」の歴史的意義に関する一考察, 2016年12月03日, スポーツ史学会30周年記念大会(於 立命館大学大阪いばらきキャンパス), 本発表では、明治神宮体育会主催「明治神宮体育大会」時代のうち、昭和2年の第4回大会と同4年の第5回大会が開催された昭和初年の時期を対象として、当該時期における同大会に固有の体育・スポーツ史的意義の抽出を目的とした。具体的には、「神宮競技」の性格を確認した上で、当該時期における重要課題であつた「学生参加問題」の展開や第5回大会における初の「天覧」の文化史的・社会史的意義を検討した。
研究発表:「教学刷新体制下の国体論と神道・国学」, 2016年10月01日, 教育史学会第60回大会(於 横浜国立大学)第3分科会, 本研究では、「国家神道」研究と「国体論」研究といふ両研究主題の接合を図る重要な媒介項として、専ら日本教育史学が取り組み、思想史や政治史、宗教史、神道史など多様な観点からも着実に成果が積み重ねられて来た戦時下の「教学刷新体制」に関する諸研究を見出し、それらの研究成果を踏まへつつ、多様な論者による「神道的国体論」「国学的国体論」に焦点を当てて検討を加へ、「神道的イデオロギー」用語の用ゐられ方や神道・国学研究の担ひ手(主に國學院大學所属の神道・国学プロパー)の位置付け、その影響関係如何を考察した。具体的には、私立の国学的高等教育機関である國學院大學、とりわけ昭和10年から17年まで同大学長を務めた「神道学者」「国学者」の河野省三を軸に検討した。
個人発表:「戦時下の日本主義と神仏観―松永材を中心に―」
, 2016年09月10日, 日本宗教学会第75回学術大会(於 早稲田大学戸山キャンパス)第8部会, 昭和16年(1941)6月16日の大政翼賛会第1回中央協力会議総会第1日において、國學院大學教授・松永材や平凡社社長・下中彌三郎による英霊神式公葬の主張、これらに対する東京帝国大学教授・長井眞琴による「廃仏毀釈的の妄動」との批判があり、第3日の第一委員会(吉田茂委員長)においても松永と長井との間で激しい論争となつた。先行研究では、かかる出来事について、戦時下における「英霊公葬問題」或いは「神仏抗争問題」が本格化する契機となつたと位置付けて来た。しかし、その発端となる仏教批判を投じた松永材(まつなが・もとき)の人物像に関しては、仏教史の立場からファナティックなアジテーターと捉へるなど、いづれもこの時期の発言の一部だけを切り取つて批評を加へるに留まつてをり、特異な哲学者・日本主義者である以上のことは殆ど言及されては来なかつた。それ故、本発表では、松永の思想的軌跡を概観し、その戦時下(昭和戦前期)の「日本主義」と神仏観に関する基礎的検討を行つた。
公開研究会発表:「大正・昭和戦前期の国体論と神道・国学―清原貞雄を軸として―」, 2016年08月29日, 第2回宗教とナショナリズム研究会「近代日本における国体論と神道・宗教の諸相」(於 國學院大學たまプラーザキャンパス), 日本学術振興会平成28年度科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)による第2回宗教とナショナリズム研究会「近代日本における国体論と神道・宗教の諸相」における口頭発表。本発表では、大正・昭和戦前期の国体論と神道・国学の問題について、清原貞雄を軸に据ゑた基礎的考察を行つた。具体的には、戦前における『国体論史』の評価を確認した上で、近代日本社会の変動を押さへつつ、同書の編著者である清原貞雄の著作や論考の内容を検討することにより、その国体論の特徴と神道・国学観との関係について考察を加へた。但し、今回の発表では、主に大正期に焦点を当てた。
当日の研究会における発表は次の通り。
主催者趣旨説明(司会)
藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
発表1「西川須賀雄と宗教政策の転変」
三ツ松誠(佐賀大学地域学歴史文化研究センター講師)
発表2「廣池千九郎の国体論―日本の道徳系統と国家伝統―」
橋本富太郎(麗澤大学外国語学部助教、モラロジー研究所廣池千九郎研究室研究員)
発表3「大正・昭和戦前期の国体論と神道・国学―清原貞雄を軸として―」
藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
発表4「神道的国体論の再編―二荒芳徳を中心に―」
昆野伸幸(神戸大学大学院国際文化学研究科准教授)
発表5「養正・積慶・重暉―田中智學門下の国体運動―」
金子宗德(里見日本文化学研究所所長、亜細亜大学非常勤講師)
発表:「皇典講究所・國學院大學における国体論の変遷」
, 2016年07月23日, 第4回国家神道・国体論研究会(於 國學院大學たまプラーザキャンパス), 日本学術振興会平成27年度科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)による第4回国家神道・国体論研究会における発表。本発表では、皇典講究所・國學院大學の近代史を振り返るとともに、その国体論の一端を紹介した。
テーマセッション発表:「右翼在野神道と国体論―戦時下の英霊公葬運動を中心に―」, 2016年06月12日, 「宗教と社会」学会第24回学術大会テーマセッション「近代日本社会における神道と国体論―宗教とナショナリズムをめぐる一断面―」(於 上越教育大学), 「宗教と社会」学会第24回学術大会(平成28年6月12日、於上越教育大学、テーマセッションA会場 14:00~17:00)のテーマセッション「近代日本社会における神道と国体論―宗教とナショナリズムをめぐる一断面―」における発表。本発表では、特異な哲学者・日本主義者である松永材をはじめとする「英霊公葬運動」(英霊公葬神式統一運動・忠霊神葬運動)の担ひ手を「右翼在野神道」と捉へ、その国体論の一端を窺つた。
なほ、本テーマセッションは、日本学術振興会平成28年度科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究課題番号:15K02060、研究代表者:藤田大誠)の研究成果発信の一環として行はれた。本テーマセッションの内容は次の通り。
・趣旨説明〔司会〕
藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
・発表1「地域神社と国体論―戦時期「神ながらの森」論をめぐって―」
畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)
・発表2「神道思想と国体論―二荒芳徳の思想をてがかりに―」
昆野伸幸(神戸大学大学院国際文化研究科准教授)
・発表3「総力戦と国体論―戦時と戦後の連続性の視点―」
菅浩二(國學院大學神道文化学部准教授)
・発表4「右翼在野神道と国体論―戦時下の英霊公葬運動を中心に―」
藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
・コメント1
田中悟(神戸大学大学院国際協力研究科研究員)
・コメント2
小島伸之(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)
・討論
一般研究発表:「「明治神宮体育大会」再考」, 2016年05月14日, 体育史学会第5回学会大会(於 一橋大学国立キャンパス), 本発表は、大正13年(1924)から昭和18年(1943)の間、「明治神宮外苑競技場」(現・国立競技場)をはじめとする明治神宮外苑所在の体育・スポーツ施設を主会場として開催された日本初の国民的・総合的・全国的な運動競技(スポーツ)大会で、戦後の「国民体育大会」の前提でもある「明治神宮競技(体育・国民体育・国民錬成)大会」(最も長期に亙る名称は「明治神宮体育大会」)の歴史的意義について、近代日本体育史と近代神道史を架橋する学際的アプローチから再考する試みである。具体的には、次の3点について明らかにした。
1 「明治神宮外苑競技場」の建設過程
2 内務省主催「明治神宮競技大会」の創設過程
3 「神宮競技問題」と「明治神宮体育大会」の成立過程
公開研究会司会・リプライ:藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―』(鹿島出版会、平成27年)書評会, 2016年02月28日, 第1回宗教とナショナリズム研究会(於國學院大學たまプラーザキャンパス), 日本学術振興会平成27年度科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)による第1回宗教とナショナリズム研究会における書評会。対象書は、藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―』(鹿島出版会、平成27年)。
公開研究会発表:「国家神道と国体論に関する学際的研究序説」, 2016年02月27日, 第1回宗教とナショナリズム研究会(於國學院大學たまプラーザキャンパス), 日本学術振興会平成27年度科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)による第1回宗教とナショナリズム研究会における発表。本発表では、「国家神道」研究と「国体論」研究の現状を把握、整理した上で、今後の課題を提示した。
発表:「国学的教育機関に関する基礎的考察―「近代国学と教育」の視座から―」, 2015年12月26日, 第1回国家神道・国体論研究会(於 國學院大學たまプラーザキャンパス), 日本学術振興会平成27年度科学研究費助成事業(基盤研究(C))「国家神道と国体論に関する学際的研究―宗教とナショナリズムをめぐる「知」の再検討―」(研究代表者:藤田大誠 研究課題番号:15K02060)による第1回国家神道・国体論研究会における発表。本発表では、人文社会系、特に歴史系学問分野を横断する学際的視座として「近代国学と教育」といふ問題設定を試み、これまで殆ど未開拓の研究対象であつた近代の「国学的教育機関」に関する予備的・基礎的考察を行つた。
発題:「人霊祭祀の展開」, 2015年09月02日, 第33回神社本庁神道教学研究大会(於 神社本庁大講堂)主題「人霊祭祀と、その歴史的意義」, 今回の神道教学研究大会では、「人霊祭祀と、その歴史的意義」を主題として、以下の通り「人霊祭祀」についての通史的検討を行つた。
発題Ⅰ「人霊祭祀の基調」(岡田莊司)
発題Ⅱ「人霊祭祀の展開」(藤田大誠)
共同討議
自身の発題では、「英霊祭祀」(招魂社、靖國神社) の基盤としての「人霊祭祀」(「人神祭祀」「人霊奉祀神社」「人神(ヒトガミ)信仰」「霊神信仰」「人を神に祀る風習」など)の近世(特に幕末)から近代に至る展開について、「人神信仰」の研究動向や近現代の神祇史(神社史)・神道史研究者による「神社」理解、「人神」(人間神・人格神)理解を踏まへつつ再検討した。
研究報告:「明治神宮創建と神社行政・神道史研究の展開―近代神社史料研究の観点から―」, 2015年08月23日, 第21回神社史料研究会サマーセミナー(於 明治神宮神楽殿), 本研究報告では、近代神道史研究(「国家神道」研究)の動向を確認した上で、明治神宮創建(内苑・外苑の造営)に関する歴史研究の現状と課題について概観した。考察に当たつては、近代神社史料研究の観点から多種多様に亙る検討文献・史料についても言及しつつ、明治神宮創建といふ「経験」がそれ以後の神社行政・神道史研究の展開に如何なる影響を与へたのかについて展望した。また、特に「神宮外苑になぜ競技場が造られたのか―国立競技場前史―」のテーマについて詳しく検討した。
個人発表:「戦時下の英霊公葬問題と「神仏抗争」―「非常時」における慰霊・追悼・顕彰の儀礼形式をめぐって―」, 2015年06月13日, 「宗教と社会」学会第23回学術大会(於 東京大学), 本発表では、これまでの研究成果を踏まへ、「非常時」 以降の日本社会における戦歿者慰霊・追悼・顕彰儀礼の実態とそこに関はつた担ひ手の「理想」と「現実」について検討する。とりわけ、昭和12年(1937)の支那事変勃発によつて対外的緊張が極まつた国家総動員・総力戦体制下における日本社会を「戦時下」と捉へ、当該時期に社会問題化した、戦歿者慰霊・追悼・顕彰儀礼としての「神式公葬」をめぐる問題、即ち「英霊公葬問題」に焦点を当てて、その歴史的意味を再考した。
報告:「帝都東京における「外苑」の創出」, 2014年10月25日, 明治神宮国際神道文化研究所主催公開学術シンポジウム「明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―」(於 明治神宮社務所講堂), 平成22~24年度科学研究費補助金基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063 研究代表者:藤田大誠)の研究成果報告書を再編集した論文集(平成27年2月刊行予定)の内容を中心とするシンポジウムで、同書の内容を広く発信するとともに、執筆者相互、或いは外部参加者をも含めて忌憚のない意見交換を行ふことによつて、本共同研究の現段階における総括を試みた。
具体的には、近代の神社造営をめぐる空間・環境形成の変遷について、その造営に関はる建築・林学・造園学・都市計画などの新たな学知を提供し実践に導いた学者や技術者をはじめとする多種多様な人々の営みとネットワークに着目しつつ、大正時代の明治神宮造営を大きなメルクマールと捉へることによつて、「明治神宮造営以前・以後」における神社境内の環境形成に関する構造転換のダイナミックな様相を浮き彫りにすることを目的とした。自身の報告では、宮城造営を軸に据ゑて、明治神宮造営と靖國神社境内整備を視野に入れつつ、帝都東京におけるそれぞれの「外苑」の創出過程とそれらの相互的影響関係について論じた。
主催:明治神宮国際神道文化研究所
共催:明治神宮史研究会
司会・趣旨説明:藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
報告1:
青井哲人(明治大学理工学部准教授)
「神社における「近代建築」の獲得」
報告2:畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)
「戦前日本における「鎮守の森」論」
報告3:藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
「帝都東京における「外苑」の創出」
総合討議
研究発表:「明治神宮外苑における体育・スポーツ施設の成立と「明治神宮体育大会」」, 2014年10月05日, 教育史学会第58回大会(於 日本大学文理学部), 本報告では、大正期の帝都東京に突如登場した国民的神社に附属する「公共空間」としての明治神宮「外苑」における体育・スポーツ施設の成立過程と「明治神宮体育大会」をめぐる様々なアクター(明治神宮奉賛会・内務省・文部省・体育・スポーツ団体関係者など)の鬩ぎ合ひに焦点を当てて、その教育史的・体育史的位置付けを試みた。
講演:「近代日本の国体論・「国家神道」研究の現状と課題」
, 2014年03月07日, 日本国体学会第38回国体文化講演会―シリーズ・国体を巡る諸思想(於 学士会館), 本講演では、「国家神道」研究の現状を中心に述べ、これと交錯しつつある近年の「国体論」研究にも触れて今後の課題を提示した。
発表:「大正・昭和戦前期の神道学者と神社界」, 2013年12月22日, 科研費研究「近現代日本の宗教とナショナリズム」公開研究会〔テーマ:「「国家神道」の担い手」をめぐる多角的検討〕(於 東洋大学白山キャンパス), 科学研究研究費助成基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」(研究代表者:小島伸之、研究課題番号:23520079)が主催する公開研究会における発表。
【当日の題目と発表者】
「明治初期の国家神道と天皇崇敬」(島薗進・上智大学)
「戦間期ハワイ日系仏教にみる日系2世の教化/教育論」(高橋典史・東洋大学)
「大正・昭和戦前期の神道学者と神社界」(藤田大誠・國學院大學)
「皇道仏教の思想と運動」(大谷栄一・佛教大学)
「内務官僚永野若松の宗教警察論」(小島伸之・上越教育大学)
「戦時地方神社行政の担い手:滋賀県社寺兵事課長石川金蔵の事例をてがかりに」(畔上直樹・上越教育大学)
「DCホルトムのバプテスト信仰と「国家神道」」(菅浩二・國學院大學)
「戦後保守合同運動の展開―日本会議の事例を中心に―」(塚田穂高・國學院大學)
コメント(昆野伸幸・神戸大学)
全体討議
シンポジウム司会:公開学術シンポジウム「帝都東京と明治神宮造営―阪谷芳郎から読み解く近代日本―」, 2013年10月26日, 明治神宮国際神道文化研究所(於 明治神宮社務所講堂), 基調報告:櫻井良樹「阪谷芳郎と大正日本・帝都東京」
発題:永江雅和「阪谷芳郎の人的ネットワーク:専修大学所蔵阪谷芳郎関係書簡から」
発題:戸浪裕之「明治神宮の造営と阪谷芳郎:阪谷芳郎明治神宮関係資料から」
コメント:畔上直樹「帰一協会設立と阪谷芳郎:明治神宮造営の背景としての世俗主義相対化論」
コメント:石井裕晶「東京商業会議所会頭中野武営と阪谷芳郎」
司会:藤田大誠
進行:今泉宜子
個人発表:「昭和戦前期における神社と神道―「国家神道」の理想と現実―」, 2013年09月08日, 日本宗教学会第72回学術大会(於 國學院大學渋谷キャンパス)第5部会, 本発表では、外延の広い「国家神道」概念の可能性には拘泥せず、昭和戦前期の神社と神道に係はるいくつかの事例について、その「理想」と「現実」を見極めながら再考し、今後の展望を提示した。
発題:(「制度」の視点から)「「鎮守の森」の近現代」, 2013年08月20日, 第31回神社本庁神道教学研究大会(於 神社本庁大講堂)主題「自然環境に対する神道教学の可能性」, 今回の神道教学研究大会は、「自然環境に対する神道教学の可能性」を主題に開催された。
発題Ⅰ 茂木栄(「鎮守の森の理念」の視点から)「鎮守の森(社)の理念―大きな森小さな森・民俗学的視点から―」
発題Ⅱ 藤田大誠(「制度」の視点から)「「鎮守の森」の近現代」
発題Ⅲ 鈴木啓輔(「現状・活用」の視点から)「現代における「鎮守の森」の存在意義」
発題のあと、阪本是丸が司会を務め、櫻井治男をコメンテータとし、発題者3名も登壇して共同討議が行はれた。
自身の発題は、「鎮守の森」、その類義語としての「社叢」や「社寺林」(神社林)といふ概念に拘り、これらの語が生み出され、社会や行政のなかで定着した明治維新以降の日本、即ち〈近現代〉(特に近代)時期に焦点を当てたものであつた。
例会発表:「近代における国学的教育機関の神職養成と教員養成―皇典講究所・國學院を中心に―」, 2012年12月22日, 日本教育史学会第674回例会(於 謙堂文庫), 本発表では、「近代国学」や「近代神社神道」の担ひ手たちが、如何なる構想をもとに近代的な神祇専門職(神官・神職)や教職(特に高等教育、中等教育)の養成に取り組んでゐたのかについて、主に明治期における中央の皇典講究所・國學院を中心に、地方の国学的教育機関・神職養成機関(特に大阪府皇典講究分所―大阪國學院)の在り方にも目を配りつつ論じた。
シンポジウム発題:「〈聖域〉としての神社境内と「公共空間」―紀元二千六百年と「国家神道」―」, 2012年10月20日, 公開学術シンポジウム(第11回国際神道文化研究会)「帝都東京における神社境内と「公共空間」―明治神宮造営後の都市環境形成―」(於 明治神宮社務所講堂), 主催:明治神宮国際神道文化研究所、平成二十四年度科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:二二五二〇〇六三、研究代表者:藤田大誠)
共催:平成二十四年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」(研究課題番号:二三五二〇〇七九、研究代表者:小島伸之)、明治神宮史研究会
開催趣旨:
神道史・宗教史・建築史・都市史・地域社会史・造園史・都市計画史などの多様な分野の研究者が集ふ神社と「公共空間」研究会では、これまで近代の〈帝都〉東京を中心とする神社の環境形成を主たるテーマとして共同研究を積み重ねてきた。具体的には、大正期における明治神宮造営という経験が一つの大きな転換点や画期になつたのではないかといふ見通しのもと、その〈前史〉としての江戸‐東京の社寺境内(社殿等建築物、林苑、神苑を含む)と「公共空間」(公園、緑地など)との係はり、さらには〈古都〉京都や他の地域における事例をも参照しつつ、明治神宮造営〈後史〉を視野に入れて検討してきた。共同研究が進むにつれて解明された点は多いものの、一方では新たな課題も山積するばかりである。それ故、本シンポジウムでは、これまでの共同研究の成果を踏まへつつ、明治神宮造営後の大正・昭和戦前期(一九二〇~一九四五)に焦点を当てて、帝都東京における都市環境形成の重要部分としての神社境内と「公共空間」について、複眼的な観点から検討した。
発表:「神社対宗教問題に関する一考察―神社参拝の公共性と宗教性―」, 2012年09月08日, 日本宗教学会第71回学術大会(於 皇學館大学)パネル発表「「国家神道」における公共性と宗教性―昭和戦前期を中心に―」, 本パネルは、平成24年度科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)、並びに平成24年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」(研究課題番号:23520079、研究代表者:小島伸之)による二つの共同研究グループが協力し、双方に重なり合ふ課題の一つである「国家神道」をテーマとして企画したものである。
発表1:齊藤智朗(國學院大學研究開発推進機構准教授)
「「国家神道」研究の課題と展望」
発表2:藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
「神社対宗教問題に関する一考察―神社参拝の公共性と宗教性―」
発表3:藤本頼生(國學院大學神道文化学部専任講師)
「無格社整理と神祇院」
発表4:昆野伸幸(神戸大学大学院国際文化学研究科准教授)
「今泉定助の思想―神道的国体論の宗教性―」
コメンテータ:小島伸之(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)
司 会:藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
本発表では、神社界に近い人々の「神社対宗教問題」における論じ方はどうであつたのか、といふことを、「神社参拝(神社崇敬)」の公共性と宗教性に焦点を当てて聊か検討した。
発題:「帝都東京における「外苑」の創出―宮城・靖國神社・明治神宮と「公共空間」―」, 2012年08月04日, 公開研究会(第12回神社と「公共空間」研究会):「帝都における社寺境内と「公共空間」の整備過程」(於 京都府立総合資料館4階会議室), 共催:平成24年度科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)、平成24年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」(研究課題番号:23520079、研究代表者:小島伸之)
発題1 遠藤潤(國學院大學研究開発推進機構准教授)
「近世渋谷の市街/農村と信仰施設―寺院を中心に―」
発題2 吉岡拓(日本学術振興会特別研究員(PD))
「近代京都における九門内改良事業と平安神宮」
発題3 藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
「帝都東京における「外苑」の創出―宮城・靖國神社・明治神宮と「公共空間」―」
コメント 谷川穣(京都大学大学院文学研究科准教授)
コメント 中嶋節子(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
司会 青井哲人(明治大学理工学部准教授)
本発題では、「宮城外苑」に関する先行研究の整理を行つた上で、宮城を軸として、靖國神社の境内整備と明治神宮造営とを絡ませつつ、帝都東京における「外苑」の創出過程とその展開について論じた。
講演:「靖國神社と国家神道」, 2012年07月07日, 第3期「やすくに活世塾」第4回講座(於 靖國神社:靖國教場「啓照館」), 「国家神道」に対する見方、東京招魂社(靖國神社)創建の歴史について講義した。
報告:「明治天皇大喪儀に関する一考察―明治神宮造営前史の観点から―」, 2012年07月01日, 第11回神社と「公共空間」研究会・第10回明治神宮史研究会(於 國學院大學渋谷キャンパス), 共催:平成24年度科学研究費助成事業(科学研究費補助金)基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)、明治神宮史研究会、明治神宮国際神道文化研究所
報告1 岸川雅範(神田神社権禰宜、國學院大學大学院文学研究科博士課程後期)
「近世・近代における神田神社境内の変遷と神田祭」
報告2 松山恵(明治大学文学部専任講師)
「明治初年東京における「諸神社遥拝所」について―都市史的観点から―」
報告3 藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
「明治天皇大喪儀に関する一考察―明治神宮造営前史の観点から―」
報告4 藤本頼生(國學院大學神道文化学部専任講師)
「「国家ノ宗祀」と明治神宮御造営―内務官僚の思想と施策から―」
本報告では、あくまでも「明治神宮造営前史」といふ観点から明治天皇大喪儀を捉へ、特に青山練兵場に設けられた「葬場殿」といふ空間に焦点を当てて、後年の明治神宮造営への道程を概観した。
報告:「近代の神社境内整備と明治神宮造営」, 2012年01月21日, 第8回神社と「公共空間」研究会・第8回明治神宮史研究会(於 國學院大學渋谷キャンパス), 平成23年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)による第8回神社と「公共空間」研究会(第8回明治神宮史研究会を兼ねる)における報告。本研究会では、他の報告として、河村忠伸(神社本庁総合研究所録事)「近代神社行政における神社境内の公園的性格」、森悟朗(國學院大學研究開発推進機構助教)「神風講社と宿屋の講社」があつた。 なほ、本研究会は、『神社新報』第3106号(平成24年2月20日付)でその概要が報道された。
シンポジウム発題:「神仏分離後の神社と神官・神職」, 2011年12月03日, 第65回神道宗教学会学術大会シンポジウム「神仏関係史再考―カミを祀る空間の担い手をめぐって―」(於 國學院大學渋谷キャンパス), 趣旨説明 司会 藤本頼生(國學院大學神道文化学部専任講師)
発題1 加瀬直弥(國學院大學研究開発推進機構専任講師)
「古代神社の神事と組織」
発題2 太田直之(國學院大學人間開発学部准教授)
「中世の神社と勧進」
発題3 遠藤 潤(國學院大學研究開発推進機構准教授)
「近世霊山における神仏関係と組織」
発題4 藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)
「神仏分離後の神社と神官・神職」
コメント1 北条勝貴(上智大学文学部准教授)
コメント2 引野享輔(福山大学人間文化学部准教授)
・自身の発題内容
〈近代〉以降における「カミを祀る空間の担ひ手」は、先述した「神仏判然」(神仏分離)がなされ、「仏教的施設」とは明確に区別された「神社」といふ国家的「公共空間」に奉仕する「神官・神職」に限定されたところから出発し、その時代に即した役割や養成制度が整備されてきたことにその最大の特徴がある。それ故、本発題では、日本の〈近代〉もしくは現在にまで至る〈近現代〉における「カミを祀る担ひ手」=「神社神職」の形成過程に焦点を置くこととし、その出発点における「神仏判然」(神仏分離)研究の現状を聊か整理した上で、「神仏判然」(神仏分離)後における神社の神官・神職に関する制度の変遷について、近年の研究成果を参照しつつ、その「近代性」と「公共性」の在り方を窺つた。
シンポジウム司会:國學院大學人間開発学会第3回大会公開シンポジウム「現代武道の人間開発力―日本の身体文化から何を学ぶべきか―」, 2011年11月12日, 國學院大學人間開発学会第3回大会(於 國學院大學たまプラーザキャンパス), 公開シンポジウム「現代武道の人間開発力―日本の身体文化から何を学ぶべきか―」
第1部 公開演武会〔体育館1階アリーナ〕
一、弓道【巻藁射礼】
演武者 錬士五段 山田佳弘
二、柔道【投の形、投技、固技】
演武者 六段 上口孝文
三段 菊池翔太(國學院大學人間開発学部健康体育学科三年)
二段 奥谷貴昭(國學院大學人間開発学部健康体育学科二年)
三、空手道【形〔クーシャンクー(公相君)、ワンシュウ(汪楫)、喜屋武の抜砦(キャンノバッサイ〈パッサイ〉、泊手)〕、和道流基本組手、各種一本組手】
演武者 全日本空手道連盟和道会六段 内田宣央(國學院大學事務局職員)
全日本空手道連盟和道会四段 永清理奈(國學院大學事務局職員)
大日本空手道拳誠同志會四段 藤田大誠
四、剣道・杖道【日本剣道形、全日本剣道連盟杖道形】
演武者 剣道教士七段、杖道三段 植原吉朗
剣道教士七段 アレキサンダー・ベネット
杖道四段 阿部弘生(國學院大學人間開発学部助手)
五、居合道【全日本居合道刀法、伯耆流】
演武者 全日本居合道連盟範士八段 中村哲
司会・進行 藤田大誠
第2部 公開シンポジウム〔1号館2階AV1教室〕
・報告
基調講演 中村哲「武道教育の意義と展望―和文化教育の観点から―」
発 題① 植原吉朗「"不便の効用"と形武道の再評価」
発 題② アレキサンダー・ベネット「現代武道が国際ステージで果たす役割」
・討議
パネリスト
上口孝文、山田佳弘、植原吉朗、アレキサンダー・ベネット、中村哲
司会・進行 藤田大誠
個別研究発表:「昭和戦前期の戦死者慰霊に関する一考察―英霊公葬問題を中心に―」, 2011年10月30日, 日本思想史学会2011年度大会(於 学習院大学), 近代日本における戦死者公葬とは、戦死者慰霊のために国や公共団体が営む葬儀・慰霊祭であり、国葬、陸軍葬・海軍葬、軍・鎮守府・師団・聨隊など各団隊レベルのもの、市町村主催のものがあつた。しかし、明治15年の段階で内務省達乙第七号(神官教導職分離、官国幣社神官葬儀不関与)が出され、明治37年の「僧侶教師従軍ニ関スル件」においても僧侶と教派神道の教師のみが従軍を許可されたのみで、神社神職の従軍は、正式には昭和14年になつて漸く認められたに過ぎなかつたため、実際の軍隊における戦死者の公葬は圧倒的に仏式が優勢で神式は劣勢であり、それは地域社会においても同様であつた。かかる状況にあつて、昭和戦前期の準戦時下・戦時下には、明治後半期以来の神仏合同招魂祭や仏式公葬の隆盛に対する神道人らの反発の感情に根を持ち、その具体的なカウンターとして展開された英霊公葬運動(忠霊神葬運動)が展開される。本発表では、この英霊公葬問題を中心に昭和戦前期の戦死者慰霊をめぐる人々の思索や行動を思想史的に考察することを目的とし、具体的には、内務省神社局・神祇院、民間の神職・神道人、仏教団体、民族派団体などの様々な立場に属す諸アクターが、当該問題を通して、「思想的総力戦」の様相を呈してくる準戦時下・戦時下において戦死者慰霊といふものを如何に捉へ、各自の行動にまで繋げてゐたのかについて検討を加へた。
司会:第9回国際神道文化研究会・第7回神社と「公共空間」研究会「明治神宮の造営前史と隣接空間」, 2011年10月22日, 第9回国際神道文化研究会・第7回神社と「公共空間」研究会「明治神宮の造営前史と隣接空間」(於 明治神宮外苑聖徳記念絵画館内会議室), 主催:明治神宮国際神道文化研究所
共催:明治神宮史研究会、平成23年度科学研究費補助金基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究代表者:藤田大誠)
開催趣旨:大正15年(1926)10月22日、聖徳記念絵画館の正面表玄関階段及びその前の広場に式場が設けられ、明治神宮外苑竣工奉献式が行はれた。即ち、国民の寄付による民間組織の明治神宮奉賛会が基本計画を策定し、その委嘱により政府組織の明治神宮造営局が工事を進めてゐた外苑の施設が竣功に至つたため、摂政宮(後の昭和天皇)御臨場のもと、皇族や当時の首相以下各大臣、造営関係者ら1104名が参列し、明治神宮に外苑を奉献する儀式が厳粛に執り行はれたのが、85年前のこの日なのである。今回、この記念すべき10月22日に検討してみたのは、大正期における明治神宮の内苑・外苑造営の前提、つまり、明治期の知られざる「造営前史」である。「明治50年」を期して代々木と青山で計画されてゐた幻の「日本大博覧会」構想における設計競技で一等当選した宮内省内匠寮の吉武東里。そして、明治神宮のお隣である日本初の皇室庭園としての「新宿御苑」成立に尽力し、代々木と新宿の御料地を併せた一大御苑をも構想した宮内省内苑頭の福羽逸人。この埋もれてゐた二人の営為を掘り起し、多様な観点から議論をすることで、明治神宮内外苑の造営構想に潜む〈伏流〉に迫つた。
研究発表:「近代日本の高等教育機関における「国学」と「神道」」, 2011年10月02日, 教育史学会第55回大会(於 京都大学), 本発表では、主に「大学」制度が確立していく明治後期から大正期、昭和初年までの帝国大学や私立大学、具体的には東京帝国大学や京都帝国大学、國學院大學等を対象に、その講座や講義の内容に着目しつつ「国学」と「神道」の取り扱ひの変遷を辿つて相互関係を窺ふことで、近代日本の高等教育機関における「国学」と「神道」の位置付けを試みた。その結果、➊東京帝国大学=「国学」の分科/再統合過程における「宗教性」の加味された「神道」の浮上・再発見(「神道学」の形成)、➋京都帝国大学=草創期の「国学」非受容と昭和戦前期の「神道史」の浮上、➌國學院大學=総合的学問「国学」の一貫的継続とその範囲内における新潮流(国民道徳論及び神道学)の吸収といふ三者の歴史的特質が抽出できた。しかし、「国学」「神道」ともに高等教育現場の〈主流〉に位置付けられるほど重視されたとはいへず、その関係タームを〈文化的資源〉として使用する作法が都合の良い社会状況が到来してゐたといふ以上の積極性は見い出せなかつた。
評者報告:「「下から」の宗教ナショナリズムとしての「国家神道」確立論の問題点―畔上直樹『「村の鎮守」と戦前日本―「国家神道」の地域社会史―』(有志舎、平成21年)の検討を通して―」, 2011年08月31日, 平成23年度科学研究費補助金基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」第2回研究会(於 キャンパス・イノベーションセンター東京), 平成23年度科学研究費補助金基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」(研究課題番号:23520079、研究代表者:小島伸之〔上越教育大学大学院学校教育研究科准教授〕)第2回研究会として開催された畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)の著作『「村の鎮守」と戦前日本―「国家神道」の地域社会史―』(有志舎、平成21年)の書評会における評者報告。もう一人の評者は菅浩二(國學院大學研究開発推進機構准教授)。著者のリプライの後、参加者を含め討議を行つた。
報告:「近代の社寺境内整備と公園行政に関する基礎的考察」, 2011年07月30日, 第6回神社と「公共空間」研究会(於 京都府立総合資料館2階会議室), 平成23年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)による第6回神社と「公共空間」研究会における報告。本研究会は、「新旧〈帝都〉における社寺行政―公文書・法令の検討を中心に―」をテーマとして行ひ、他の報告として、福島幸宏(京都府立総合資料館歴史資料館主任)「京都府行政文書に含まれる神社関係資料について」、北浦康孝(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程、東京都公文書館・公文書館専門員)「府・市文書から見た東京における社寺行政」があつた。
評者報告:「書評 島薗進『国家神道と日本人』」, 2011年07月17日, 平成23年度科学研究費補助金基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」第1回研究会(於 キャンパス・イノベーションセンター東京), 平成23年度科学研究費補助金基盤研究(C)「近現代日本の宗教とナショナリズム―国家神道論を軸にした学際的総合検討の試み―」(研究課題番号:23520079、研究代表者:小島伸之〔上越教育大学大学院学校教育研究科准教授〕)第1回研究会として開催された「島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書)合評会」で、評者として38000字以上に及ぶ報告原稿を提示しつつ、島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書、平成22年)に対する詳細な批評を行つた。報告後、その場で著者の島薗進(東京大学大学院人文社会系研究科教授)よりリプライがあり、参加者間で討議を行つた。
講演:「式内社の近現代―伝統的「公共空間」としての古社―」, 2011年06月17日, 相模國式内社の會式内社講演会(於 寒川神社参集殿), まづ、「古社」としての式内社を中心に、近代以前の〈社格〉に関する歴史的展開を述べた後、相模(相摸)の古社(式内社)を概観し、明治維新期における神仏分離の多様な実態を相模国の事例などから紹介。その上で、社格制度を中心に近代神社制度の展開について概観し、明治以来、神社行政における古社尊重の取扱方針とともに、反面では神社の規模や経済状態等の「現状優位」の面があつたことを述べた。但し、相模国の式内社13座は、論社はあるものの他社に神社合祀されてしまつたり完全に廃絶した社がある訳ではなく、また、近代には基本的に郷社以上の社格を得ることになるため古社尊重の面が強く、『延喜式』において地域社会における代表的神社として認識されてゐたと同様に、近代においても地域社会の中心的な公共空間として認識されてゐたのではないかと指摘した。最後に、日本の神社境内―特に「式内社」等の古社に顕著な伝統的「公共空間」―は、地域社会の公共的な中心地といふ性格を現代も未だ保持し続けてをり、今後もさうあるべきであると結論づけた。
個人研究発表:「靖國神社の祭祀と境内整備―近代日本における慰霊の「公共空間」形成―」, 2011年06月04日, 平成23年度(第45回)軍事史学会年次大会:共通論題「戦没者の慰霊と追悼」(於 皇學館大学), 〈国家的―国民的〉な戦没者慰霊・追悼・顕彰に関する「公共空間」の国際比較という観点、近代日本における慰霊の「公共空間」形成に関する先行研究を踏まへ、近代日本の中央(帝都東京)における〈国家的―国民的〉な戦没者慰霊・追悼・顕彰の「公共空間」が、〈東京招魂社→靖國神社〉といふ神道祭祀を執行する「神社」形式の「公共空間」として形成された経緯と、その空間の位置付けの再編過程を検討した。帝都東京における慰霊の国家的「公共空間」形成までの道程、慰霊・追悼・顕彰の中核的「公共空間」の形成、日露戦争前後における慰霊の国民的「公共空間」としての靖國神社、明治末期から大正期にかけての中央における慰霊の国民的「公共空間」の再編、明治末期から大正期における内務省と陸海軍省の「神社行政統一」の挫折、大正末期における陸海軍省と靖國神社における方向性の差異について論じ、近代日本における〈国家的―国民的〉な戦没者慰霊・追悼・顕彰の「公共空間」としての靖國神社の特徴を抽出した。
報告:「近代日本における慰霊の「公共空間」形成―靖國神社の祭祀と境内整備過程を中心に―」, 2011年05月28日, 科研費合同研究会「慰霊をめぐる人々とその空間」(於 國學院大學渋谷キャンパス), 科学研究費補助金基盤研究(B)「戦争死者慰霊の関与と継承に関する国際比較研究」(研究代表者:西村明)と科学研究費補助金基盤研究(C)「帝都東京の神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究代表者:藤田大誠)の共催による合同研究会での報告。本研究会は第5回神社と「公共空間」研究会と第3回科研研究会「戦争死者慰霊の関与と継承に関する国際比較研究」を兼ねるものでもある。研究会の内容は、司会:中山郁(國學院大學教育開発推進機構准教授)、趣旨説明:西村明(鹿児島大学法文学部准教授)、報告1:藤田大誠(國學院大學人間開発学部准教授)「近代日本における慰霊の「公共空間」形成―靖國神社の祭祀と境内整備過程を中心に―」、報告2:グレッグ・ドボルザーク (一橋大学大学院法学研究科准教授)「環礁の悲しみ~マーシャル諸島を巡る日本人の「慰霊」」、報告3:飯高 伸五 (高知県立大学文化学部専任講師)「〈異郷の故郷〉における慰霊祭の実践-沖縄県出身の旧南洋群島移民の活動を事例として-」。
自身の報告では、幕末維新期の京都と長州における「招魂祭」の源流や「仏式」の戦歿者慰霊、戊辰戦争中における「神式」戦歿者慰霊としての「招魂祭」、「東京奠都」と東京招魂社の創建、東京招魂社の展開、地方招魂社体制の整備、靖國神社の成立と「神官」の設置、明治七、八年における招魂祭と「賊軍」の慰霊、西南戦争後における慰霊・追悼・顕彰と神仏両式、靖國神社の「公共性」、近代後期における靖國神社と海外施設の比較、明治末期から大正期にかけての靖國神社の神苑、大正七・八年における「神社行政統一」の挫折、大正十三・十四年の陸海軍省と靖國神社における方向性の差異、靖國神社宮司賀茂百樹の靖國神社観について検討を行つた。
発表:「近代神職団体に関する一考察-大阪府皇典講究分所を事例として-」, 2011年02月16日, 第4回神社と「公共空間」研究会(京都府立総合資料館2階会議室), 平成22年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)による第4回神社と「公共空間」研究会における発表。
この他、小報告として、畔上直樹(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)「鎮守の森景観の歴史的復元研究の現在と課題」、柏木亨介(聖学院大学非常勤講師)「神社境内の神々―神社明細帳の分析から―」、藤田大誠「京都府を対象とする近代神社研究の課題と展望」が行はれた。
発表者の他、北浦康孝(早稲田大学大学院生)、ジョン・ブリーン(国際日本文化研究センター准教授)、菊地暁(京都大学人文科学研究所助教)、高木博志(京都大学人文科学研究所准教授)、田中悟(神戸大学大学院国際協力研究科助教)、藤原正信(龍谷大学文学部教授)、青木友里(奈良女子大学大学院生)、福島幸宏(京都府立総合資料館歴史資料課)が参加した。
評者発表:「書評 佐藤一伯著『明治聖徳論の研究―明治神宮の神学―』」, 2010年12月25日, 第3回神社と「公共空間」研究会・第7回明治神宮史研究会(於 國學院大學渋谷キャンパス), 平成22年度科学研究費補助金・基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」(研究課題番号:22520063、研究代表者:藤田大誠)による第3回神社と「公共空間」研究会(第7回明治神宮史研究会を兼ねる)において開催された佐藤一伯『明治聖徳論の研究―明治神宮の神学―』(国書刊行会、平成22年)の書評会で評者を務めたもの。発表後、参加者間で活潑な議論が展開された。
例会報告:「近代国学と日本法制史」, 2010年12月18日, 法制史学会近畿部会第415回例会(於 京都大学), 本報告では、これまで比較的言及されることの多かつた、東京帝国大学(東京大学)及び京都帝国大学(京都大学)といふ両帝国大学を軸とする日本法制史学史では無く、瀧川政次郎が「日本法制史発祥の地」とまで評した私立の国学的研究・教育機関である皇典講究所・國學院(國學院大學)における日本法制史研究の特質について、諸官省や帝国大学における国学者たちも含めた「近代国学」全体における「日本法制史」の〈前史〉と両帝国大学における日本法制史の流れとの関係にも注目しつつ、聊か考察を加へた。検討の結果、総合的学問である「近代国学」にとつて、日本の古制を研究する「制度」や「法制」の歴史研究は、当時の「実用」に即した最も適合的な分野であつたといへると指摘した。
シンポジウム発題:「國學院大學における伝統文化教育の意義と展望」, 2010年11月13日, 國學院大學人間開発学会第2回大会シンポジウム「日本の伝統文化教育と人間開発学の構築―カリキュラム開発を視野に入れて―」(於 國學院大學たまプラーザキャンパス), 國學院大學における建学の精神(神道精神)と日本の伝統文化研究・教育(国学)の意義を述べた後、國學院大學人間開発学部における伝統文化教育の意義と展望を提示した。
結論として、國學院大學人間開発学部における伝統文化教育は、蓄積されてきた国学的研究に基づき、日本の伝統文化の〈核〉〈軸心〉〈基層〉として、建学の精神である「神道」を位置付け(無論、その位置付けも常に問ひ直し、更新しながら)、「通奏低音」としてゐる点に他大学には見られない大きな特色、意義があるものと思はれ、それ故、「伝統文化体験教育」と同等、或いはそれ以上に「伝統文化知識教育」を重視してゐるといへることを指摘した。
講演:「学校教育と現代神道」, 2010年11月09日, 『発生期の現代神道』刊行25周年記念公開講座「生成期の現代神道」其5「教育と現代神道」、平成22年度神道青年全国協議会秋期セミナー(於 神社本庁大講堂), 平成18年12月22日公布・施行の改正教育基本法における「道徳」「伝統文化」「宗教教育」に関する取り扱ひを確認した上で、渙発120年を迎へた「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の成立とその展開、近現代日本における宗教教育の展開を概説し、さらに、近代の神道・宗教・国学(学事)の関係を説明した。
シンポジウム発題:「近代神苑の展開と明治神宮内外苑の造営:「公共空間」としての神社境内」, 2010年10月23日, 明治神宮御鎮座90年記念・明治神宮国際神道文化研究所公開学術シンポジウム「明治神宮造営をめぐる人々―近代神社における環境形成の転換点―」(於 明治神宮社務所講堂), 明治神宮社務所講堂で開催された、明治神宮御鎮座90年記念・明治神宮国際神道文化研究所公開学術シンポジウム「明治神宮造営をめぐる人々―近代神社における環境形成の転換点」(主催:明治神宮国際神道文化研究所、共催:國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター、明治神宮史研究会、科学研究費補助金基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」)における発題。
冒頭で、(1)近代神苑の展開と明治神宮内外苑の造営過程は具体的にいかに交差するのか?、(2)帝都東京における神苑形成の中での明治神宮「外苑」の登場の意義とは何か?、(3)明治神宮内外苑の造営は以後の神社境内整備にどのやうな影響を与へたのか?といふ三つの検討課題を設定し、「公共空間」としての神社境内、従前の近代神苑研究と明治神宮内外苑造営の位置付け、明治神宮の「内苑」「外苑」造営と「神苑」、帝都東京の「神苑」構想の一端について検討を加へ、「神社境内」を広く「神社境域」(田阪美徳)の意味で捉へるとするならば、大正期に創出された「外苑」といふ神社独特の公園的施設の登場こそ、「公共空間」としての神社(一般国民のための神社)再編過程の象徴的な出来事といへるのではないか、と結論付けた。
シンポジウム発題:「近代日本の教育勅語観と神道・国学」, 2010年06月12日, 明治聖徳記念学会主催・國學院大學研究開発推進センター共催 シンポジウム「近代日本の教育と伝統文化」(於 明治神宮参集殿), 本年(平成22年)は、「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)渙発より百二十年に当たるが、これまで教育勅語に関する基礎的資料は相当程度整備されてきたし 、その歴史的研究も汗牛充棟ただならぬほど出てゐる 。そもそも、日本近代教育史、特に初等教育・中等教育などの普通教育に関はる歴史研究においては、「教育勅語体制」などといふ言葉もあるほど、明治23年10月30日渙発の教育勅語に関する言及は必要不可欠のものであつたといへる。しかし、こと高等教育史においては、「教育勅語」との関はりについてあまり触れられて来なかつた。本発題では、まづ、教育勅語渙発時における高等教育との関係、国学者の教育勅語観に触れたのち、教育勅語の前史とその成り立ちについて概説した。さらに教育勅語の衍義書(解説書)に注目し、これまで殆ど言及されてこなかつた国学者・神道家の衍義書を中心に、キリスト者や仏教者、高等師範学校関係者などのものも取り上げ、教育勅語の「皇祖皇宗」「斯ノ道」といふ二箇所の部分に関する衍義(解説)の比較を行つた。その結果、神道・国学系を中心に衍義書を一瞥しても、誠に多様な理解が存したことが窺へ、また実際、昭和6年の時点でも、高等教育機関である広島文理科大学教授(漢文)・北村澤吉でさへ、単なる「伝統的徳目」に留まらない教育勅語の真の意義が、高等教育の担ひ手たる学者―初等・中等教員(教育者)―一般国民(学校生徒含む)の全てのレベルで体得されてゐないことを嘆かざるを得なかつたのが戦前における「教育勅語体制」の現実であつた。
シンポジウム発題:「神道史からみた近代仏教」, 2010年05月22日, 第18回日本近代仏教史研究会研究大会シンポジウム「問い直される近代仏教」(於 國學院大學渋谷キャンパス), 第18回日本近代仏教史研究会研究大会(主催:日本近代仏教史研究会、共催:國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター)におけるシンポジウム「問い直される近代仏教」。
「近代仏教」及び「日本近代仏教史研究」を問ひ直すことを目的として、「近代仏教史研究の現状と課題」(大谷)、「神道史からみた近代仏教」(藤田)、「人類学史(研究)からみた近代仏教(研究)」(菊地)の三つの発題を行ひ、司会の林がコメントして討議した。
自身の発題では、個人の内面を重視する「日本近代仏教史」と「神社史」に立脚する「近代神道史」との対比を行つた上で、主に歴史学方面から多様な異論が出てきてゐるステロタイプな「神仏分離=廃仏毀釈」観の再考を促すとともに、「日本近代仏教史研究」における「近代寺院」研究の「不在」を指摘し、さらに近代的学問(学知)としての「神道学」と「仏教学」の差異にも言及した。
シンポジウム報告:「近代国学と人文諸学の形成」, 2010年03月14日, 早稲田大学高等研究所シンポジウム「近代学問の起源と編成」第2日「近代諸学の成立と編成―前近代の継承と断絶―」(於 早稲田大学), 従来、近代の国学については等閑視されてきた。多くの論者は、維新期或は明治10年代前半までに「国学の没落」を見た後は、一足飛びに同30年代の芳賀矢一による「日本文献学」としての国学や、柳田国男・折口信夫の「新国学」の提唱を語るのが常であつた。しかし実は、この「空洞化」された明治10年代半ばから20年代においてこそ、近代日本国家形成に即応した一つの学知としての「国学」(報告者はそれを狭義の「近代国学」と呼んでゐる)が立ち現れて来る。この学知は、「宗教」性は前景化せず、近世学問の継承・発展を志向するとともに、現在の我々が自然と享受してゐる〈見えない研究基盤〉を地道に構築してきたといへるのである。本報告では、この敢へて「宗教」的観点を後景化させた(或はせざるを得なかつた)「近代国学」について考察を加へ、近代人文学を支へる重要な基盤となつた国学者らによる知的インフラ整備の実態を紹介した。その上で、「近代国学」の分化(分科)と再統合、隣接する漢学系学問や輸入された西洋諸学問との拮抗と連携など、「近代国学」を巡る多様な営みのアマルガムとして形成された、近代日本における人文諸学の成立過程を検討した。
個別研究発表:「近代の神道・国学における「道徳」の問題―皇典講究所・國學院を中心に―」, 2009年10月18日, 日本思想史学会2009年度大会(於 東北大学), 本発表では、明治末期以降の「国民道徳論」との接続を視野に入れつつ、皇典講究所・國學院における「神道」と「道徳(道義)」への眼差しを概観した。明治十年代前半の神道界における「祭神論争」の反省から、明治政府は、「祭祀」と「教義」と「学事」を分離する方針を立てるが、それに呼応した国学者・神道家らは明治十五年、「宗教的教義」とは距離を置き「道徳」を重視する国学的研究・教育機関として皇典講究所を創立した。さらに、同二十三年には同所を母体として國學院を設置し、「東京大学(帝国大学)系の国学」の人的遺産や「国史・国文・国法」を内容とする国学構想をも引き継ぐ。しかし、明治四十年の國學院大學編輯部による『明治國學概觀』の編纂構想では、「明治国学」の内容として道徳・神道・国史学・国文学・国語学・歌学といふ分野が考へられてをり、さらに大正九年、大学令大学昇格の際には、道義・国史・国文の三学科を置いた。大正七年には佐伯有義が「神祇科ノ設置」と「道義科ノ拡張」を意見として提出してゐたものの、結局、戦前の國學院大學の学部においては、近代的分科としての「神道」学科は成立せず、「道義」学科が置かれたのである。
研究発表:「近代皇族制度の形成と展開」, 2009年09月19日, 藝林会第3回学術研究大会「明治典憲体制の成立と展開」(於 國學院大學渋谷キャンパス), 近代皇室制度研究の先行業績について簡単に説明した上で、近代皇族制度の前提である宮門跡の還俗、維新後、明治皇室典範制定までの皇族制度の変遷、近代皇室における御誕生関係規定と皇室親族令について論じた。
個人発表:「明治初期における教導職の「敬神愛国」観」, 2009年09月13日, 日本宗教学会第68回学術大会(於 京都大学), 明治初期における教導職の「敬神愛国」観について検討する場合の資料は、「三条教則衍義書」をはじめ、「十一兼題」のうちの「愛国ノ説」に関する解説など、枚挙に暇が無いほどあるが、これらを検討した研究はさほどある訳では無い。また、これまで、神道家や仏教者による「敬神」観の考察は比較的多いため、本発表では、神道・国学系教導職の「愛国」観の一部を紹介することによつて、その一端を窺つた。
発題:「皇典講究所・國學院と近代人文学」, 2009年07月11日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター「國學院の学術資産に見るモノと心」プロジェクト中間総括シンポジウム「近代人文学の形成と皇典講究所・國學院の学問」発題(於 國學院大學渋谷キャンパス), 明治十五年に創立された皇典講究所、同二十三年に同所を母体として設置された國學院(後の國學院大學)が、その建学の精神を「神道」に置き、学問の基礎を「国学」に求める「学問の府」であることを説明した上で、主に皇典講究所・國學院の関係出版物を用ゐつつ、その学問と近代人文学との関係についての発題を行なった。具体的には、「本ヲ立ツル」ことを主眼として「国体講明」「徳性涵養」「人生の本分を尽くす」ことを説いた有栖川宮幟仁親王の告諭が建学の精神の基礎をなすこと、「国学に関する学力を検定して、学階を与へ」た皇典講究所は、「神職養成機関」である前に「国学的研究・教育機関」であったこと、明治後期の皇典講究所・國學院の出版活動の実際などについて論じた。さらに近代人文学としての「近代国学」の形成過程を説明し、近代国学から分化或は再統合された諸学問として、「国文学」「国語学」「国史学」「日本思想史学」「神道学」などを挙げた。
シンポジウム司会:國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター慰霊と追悼研究会シンポジウム「近代日本における慰霊・追悼・顕彰の〈場〉―戦死者と地域社会―」, 2009年02月14日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター慰霊と追悼研究会シンポジウム「近代日本における慰霊・追悼・顕彰の〈場〉―戦死者と地域社会―」(於 國學院大學), 本シンポジウムでは、近代日本、とりわけ明治後半の日清戦争以降、昭和戦前の総力戦期に至るまでの時期に焦点を当てつつ、地域社会における慰霊・追悼・顕彰の〈場〉(空間・トポス)の形成過程やその展開について、具体的な地域における慰霊・追悼・顕彰の施設やそこでの儀礼の事例から検討し、かうした〈場〉における慰霊・追悼・顕彰の営みが、「国民」統合や地域社会の中で有した意義や機能について議論を行なつた。
パネル司会:日本宗教学会第67回学術大会パネル「現代日本の戦死者慰霊―慰霊の現場から視えるもの―」, 2008年09月15日, 日本宗教学会第67回学術大会(於 筑波大学), 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センターが主催する「慰霊と追悼研究会」では、平成18年度より、各種シンポジウム等で「慰霊」「追悼」「顕彰」などの概念やその関係性について討議してきた。同研究会にゆかりを持つ研究者達を中心として構成される本パネルでは、「遺骨収集」「慰霊巡拝」といふ生者と死者が向き合ふ〈慰霊の現場〉に着目し、その霊魂観の動態や戦死者「慰霊」が持つ社会的・宗教的機能を明らかにすることを目的として議論を行なつた。とりわけ本パネルでは、遺骨収集や慰霊巡拝の問題が最近になつて漸く本格的な研究が始められたテーマであることから、かうした事例に特化したパネルを組むことによつて、ナマの現場の情報を研究者各位に提供することを意識して各自の論を進めた。加へて、これまでともすれば静態的、価値判断的になりがちな戦死者慰霊研究に、動態的な視点からの研究が持つ有効性を示すとともに、〈慰霊の現場〉に視られる事例をどのやうに宗教学的な理論枠組みの中で考察できるか、さらには宗教団体、行政などの収骨や慰霊を行なふ行為主体が持つ「集合性」の問題などについて各人が問題提起を行なつたところ、フロアからの意見も多く見られ、活発な質疑応答が展開された。
個人発表:「近代日本の招魂祭と公葬―神式と仏式との相克―」, 2008年09月14日, 日本宗教学会第67回学術大会(於 筑波大学), 本発表では、明治後期以降の軍隊組織や地域における神仏合同招魂祭や戦歿者葬儀(公葬)の実態を手掛かりに、近代日本の戦歿者慰霊・追悼・顕彰における神式と仏式のあり方について、その共存や差異に注目しつつ考察した。例へば、治11年の島根県の招魂祭においては、「招魂祭祝詞」に出雲大社の幽冥観に基づく表現がある一方で、県令が読んだ「祭文」末尾には「嗚呼哀哉尚クハ饗ヨ」とあり、この時点でも、日清戦争以降の招魂祭における典型的な漢土風の「祭文」の形式となつてゐる。他方、同年に滋賀県の三井寺山上の紀念碑前で行なはれた「大津紀念祭」のやうに、「神仏合同招魂祭」の〈原型〉も当時に見られるのである。そして神仏合同招魂祭や仏式公葬が定着した日露戦争以降、とりわけ神道人やその関係者の中から、徐々に神仏合同招魂祭や仏式公葬に対する反発が見られるやうになり、戦歿者慰霊・顕彰の祭典形式の不統一に対する疑問を表明する者が現れてくる。かかる批判の延長線上に、昭和戦前期における、靖國神社の祭祀形式を根拠とする「国礼国式」=「神式」による公葬の要求としての「英霊公葬運動」も位置付けられるが、政府は、統一的な戦歿者慰霊・顕彰制度構築への情熱もなく、結局、明治中期の産物である一つの「神職葬儀不関与」達でさへも捨て去ることはなかつたことを指摘した。
研究発表:「明治期の神仏合同招魂祭に関する一考察」, 2008年08月30日, 第16回日本近代仏教史研究会夏期セミナー(於 時宗総本山遊行寺), 今日一般に「招魂祭」といへば、東京招魂社・靖國神社や各地の招魂社・護国神社の成立前史に当たる幕末維新期における神道式による「戦歿者慰霊・顕彰」の祭典を連想しがちだが、実際には、日清・日露戦争後における各軍隊・地域においては、「神仏両式」や「神仏合同」で招魂祭を執行することが一般的であつた。しかし、従来の諸研究においては、その事実は知られてゐても、明治のある時期から、「招魂祭」が神道式のみならず、仏教式或は神仏合同で行なはれるやうになつたことの史的意義について追究したものは少ない。そこで本発表においては、まづ近代以前・以後における「招魂」の語義を検討した上で、幕末維新期以降明治期における「神仏合同招魂祭」の展開について、それぞれ西南戦争後、日清戦争後、日露戦争後の事例を多数挙げることで概観し、その多様な実態を検討した。恐らく西南戦争以降、神式先行による「神仏合同」招魂祭は、相当広範に定着したスタイルであつたが、日露戦争後には、神道人による神仏合同招魂祭に対する批判が現れる。また、「神仏合同招魂祭」の展開を辿つていくと、維新期に「神仏分離」で打撃を受けた近代仏教界が、次第に本来は維新期に形成された神式の戦歿者慰霊である「招魂祭」と、仏式の回向や供養を伴ふ「戦死者追弔行事」とをあへて同質視、もしくは同一カテゴリーのものとして捉へてきた戦略的な意図も仄見えてくることを指摘した。
テーマセッション発表:「明治期の神道・宗教とナショナリズム」, 2008年06月15日, 「宗教と社会」学会第14回学術大会テーマ・セッション「近・現代日本宗教におけるナショナリズムの諸相―神道・新宗教・海外布教―」(於 南山大学), 平成19年以来、学外研究者と共に行なつてゐるエスノセントリズム、ナショナリズムと宗教に関する研究会で取り組んだテーマセッション。このテーマセッションは、個々の事例に立脚しつつも、時代性に焦点化をし、さらには思想・宗教様式の連続性・越境性までも視野に含め、近・現代日本宗教を通底するナショナリズムの性格を炙り出すことを企図したもの。自身は近代の神道・国学・宗教とナショナリズムについて発表した。
シンポジウム司会:國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター慰霊と追悼研究会シンポジウム「日本における霊魂観の変遷―「怨霊」と「英霊」をめぐって―」, 2008年02月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター「慰霊と追悼研究会」シンポジウム「日本における霊魂観の変遷―「怨霊」と「英霊」をめぐって―」(於 國學院大學), 本シンポは、日本の霊魂観を通史的に検討することによつて、「人の霊を神として祀る」系譜の延長線上に位置付けられる近代以降の招魂社・靖國神社という神道的かつ国家的・公共的な慰霊・追悼・顕彰と、仏教的な思想に根を持つといはれる「怨親平等」観や「怨霊」観に基づく敵味方供養という二つの霊魂観は、果対置される性格のものなのか、または次元が異なる並存可能なものなのか、さらには近世以降に「怨霊」観から「英霊」観への重大な転換がなされたのか、等について、「敵」と「味方」の問題をも勘案しながら、議論が展開された。
研究フォーラムコメント:「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクト第1回研究フォーラム「皇典講究所・國學院における校史・学術資産研究の問題点」, 2007年12月15日, 「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクト第1回研究フォーラム「皇典講究所・國學院における校史・学術資産研究の問題点」(於 國學院大學), 文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業に選定された國學院大學「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」の「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクトによる研究フォーラム。本研究フォーラムは、國學院大學が所蔵する河野省三博士記念文庫の資料を多数駆使した労作『三条教則衍義書資料集』を上梓した三宅守常氏と、皇典講究所・國學院とも縁のある川田剛・内藤耻叟等の漢学者をはじめ、史学史や国学にも造詣が深い秋元信英氏といふ、ともに本学伝統文化リサーチセンター客員教授となられた方々を迎へ、皇典講究所・國學院の前史やその近代における学問の在り方、展開について検討することにより、國學院大學における校史・学術資産研究の問題点を抽出することを目的に議論を行なつたもの。
発表:「神官資格試験・神職養成と皇典講究所」, 2007年12月02日, 第61回神道宗教学会学術大会研究発表(於 國學院大學), 明治15年に設置された皇典講究所における神官資格試験(学階試験)・神職養成について、随時関係出版物に触れつつ概観した。明治半ばから多数編輯された学階試験参考書(学階試験科目全書)等は、皇典講究所卒業生で構成される水穂会などを発行所とし、近藤圭造・皇典講究所印刷部などが印刷所となつて出版され、以後、発行元などを変へつつ、昭和戦前期まで何度も版を重ねて「国学的な古典の読み方」を大いに学界や社会に普及したことを指摘した。
講演:「國學院の学問を貫徹するもの」, 2007年09月29日, 國學院大學研究開発推進機構主催・渋谷区教育委員会共催、第33回日本文化を知る講座『人文資産の学術的価値と創出的発信―過去を踏まえ、未来に向かう―』(於 國學院大學), 近代において、近世以来の神道講究を中核とする総合的学問「国学」といふ基盤から、近代人文学としての「国文学」や「国語学」、「国史学」、「法制史」などが専門分科して行くが、皇典講究所・國學院では依然として「国学」の火は絶やされなかつたことを略述した。その上で、今後、國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センターに求められる点として、近代における本学の国学的営為の「顕彰」とともに、その出版物の当時の価値或いは現在的意義も含めた再「検証」の作業が必要であることを指摘した。
研究発表: 「近代日本の慰霊・追悼・顕彰と靖國神社」 , 2007年07月28日, 政教関係を正す会研究会(於 神社本庁地下一階会議室), 「国家神道」と靖國神社との関係について、主に大正後半期の神社行政の所管に関はる問題から考察するとともに、とりわけ陸海軍省と靖國神社宮司の靖国神社観を具体的な史料から検討することで、靖國神社に関する制度、言説、信仰の展開の一端を跡付けた。また、『靖國神社臨時大祭記念写真帖』では全ての参列遺族を集合写真に収め、かつ全ての合祀者の名簿を収録してをり、祭神と人々の「個別性・固有性」に最大限の配慮を行つていたと指摘した。
例会発表:「近代の神道と慰霊・追悼・顕彰」, 2007年03月24日, 明治聖徳記念学会第44回例会(於 明治神宮), 本発表では、近年の慰霊・追悼・顕彰研究を概観した上で、近代日本における「怨親平等」観の系譜について、その背景も含めて考察した。検討の結果、敵味方供養は、列強からの視線を意識した近代日本における博愛慈善事業の勃興とともに「再発見」され、さらに西南戦争、日清戦争、日露戦争等の展開とそれに伴ふ博愛社―日本赤十字社の発展 と並行して、我が国における博愛主義の事例の掘り起こし作業とその成果の対外的情報発信が進められたことにより、徐々に「武士道」や仏教的な「怨親平等」の装飾による言及がなされるやうにもなつたことを明らかにした。
シンポジウム報告:「国家神道と靖國神社に関する一考察―近代神道における慰霊・顕彰の意味―」, 2007年02月10日, 國學院大學研究開発推進センター「慰霊と追悼研究会」シンポジウム「慰霊と顕彰の間―近現代日本の戦死者観をめぐって―」(於 國學院大學), 本シンポは、近現代日本の国家的(公的)な「慰霊」と「顕彰」をめぐる諸制度や言説の歴史的変遷を踏まへつつ、広く様々な慰霊形態や事象にも目を配り、「慰霊」と「顕彰」に関する理論的枠組みをも意識しながら議論を行なふ場とすることが目的。自身の報告では、明治末期以降の「神社行政統一」といふ「国家神道」の拡大志向にも拘らず、陸海軍省はあくまで靖國神社の管理を手離すことはなく、「軍機関化」さえ懸念されたが、30年に亙つて靖国神社宮司を務めた賀茂百樹の尽力もあり「一般国民のため の神社」の性格は失われなかつたと指摘した。
シンポジウム発表:「国家神道と祭政一致論」, 2006年09月22日, 國學院大學21世紀COEシンポジウム「国家と祭祀の歴史的展開」(於 國學院大學), 明治33年の内務省神社局設置による「国家神道」成立後に「祭政一致」の指標とされてゐた「八神殿奉斎論」といふ方向性を歴史的に検討した。皇室祭祀(宮中祭祀)と神社祭祀とを有機的に統一し、天皇の祭祀大権を補翼する神祇特別官衙を設立するといふ近代神道人の理想形への道の最大の障害は、「宮中三殿」の存在そのものにあり、結局「八神殿奉斎論者」の祭政一致論は、近代日本黎明期の福羽美静ら神祇官首脳の祭政一致論を乗り越へる構想を最後まで打ち立てられないまま、国家神道の終焉を迎えることを指摘した。
全体討議「皇室伝統の持続と皇室制度の変遷をめぐって」コメント:「近代の皇族制度について」, 2006年03月28日, 第24回神社本庁神道教学研究大会「皇室の伝統と制度を考へる」(於 神社本庁), 維新後の皇族範囲に関する制度的変遷を概観。旧皇室典範当時の「養子」「猶子」は、いづれも世襲親王家出身の王が親王宣下を蒙るために天皇の養子となつたもので家を継ぐといふ意味でのものではないこと、「皇親」と「皇族」の概念の相違、我が国の「伝統」と西洋の制度との共鳴部分の探求努力を行なひつつ制定作業を進めた岩倉具視や井上毅らの立案姿勢、政府首脳のもとで我が国古制の地道な調査・考証を行なつた国学者らの営みなどについてコメントした。
(『神社本庁教学研究所紀要』第12号、平成19年に討議内容掲載)
テーマパネル発表:「祭政一致論と「国家神道」に関する一考察」, 2005年09月10日, 日本宗教学会第64回学術大会自由テーマパネル「近代日本における神道と仏教―「国家神道」再考―」(於 関西大学), 本パネルでは、「国家神道」概念の構成要素の内実や歴史的展開について、国家(政府)・神道(神道人)・仏教(仏教者)などの多角的な観点(担い手)から照射し、具体的な資(史)料をもとに「国家神道」を再考することを目的とした。自身の発表では、「祭」「政」と信仰面における「公」と「私」との関係を意識しつつ、近代の皇族にとつての「神仏関係」という観点から追究し、「臣民」ではない皇族の「公的な部分」(公葬)は神祇式(敬神崇祖)であつて、仏式は「私的領域」(私的な仏式法要)に限られたことを明らかにした。
テーマセッション発表:「幕末維新期の神仏分離に関する一考察」, 2005年06月12日, 「宗教と社会」学会第13回学術大会テーマセッション「神仏関係の歴史的実像」(於 國學院大學), 本発表では「中央の神仏分離」研究の必要性を問題提起し、「皇室における神仏分離」の考察、特に門跡寺院入寺の皇族であつた「宮門跡」の還俗に注目し、その展開を検討することで、今やほぼ固定化された感のある「神仏分離=廃仏毀釈」観を再考した。「宮門跡の還俗」は、山階宮晃親王が内発的に「門跡制度」の改廃を目指してゐたことなどから、権力による僧侶に対する還俗の強要・追放とは必ずしもいへず、「神仏分離=廃仏毀釈」といふ単純な図式は到底当てはまらないと指摘した。(『宗教と社会』第12号、平成18年に要旨と討議掲載)
國學院大學21世紀COE関連部会発表:「明治初年の神祇行政と国学者に関する一考察」, 2004年12月05日, 第58回神道宗教学会学術大会〔國學院大學21世紀COE関連部会〕(於 國學院大學), 明治初年の神祇行政担当官省における官員のうち、特に宮中祭祀や神社調査、神社祭式などに関はる「考証」に従事した国学者・小中村清矩の営みに注目し、東京大学附属総合図書館所蔵『陽春蘆草稿』『陽春蘆蒐集録』などから、その具体的な活動実態について考察。特に、明治4年段階では、小中村は未だ「神典」の語を使用してゐたが、明治22年2月の時点では、明治初年には国学科目中に設定してゐた「神典学」の名称を周到に消してゐることを指摘した。
発表:「明治国学の展開と近代神道学」, 2004年06月12日, 「宗教と社会」学会第12回学術大会(於 大阪大学), 明治期の高等教育機関に存在した国学者たちが、如何なる「国学」を構想して「近代学術」と対峙したのかを概観。小中村清矩が収斂させた「事実」「言語」の学問は、次第に「細分化」の姿が明確になるが、大正期の「神道学」成立の前提には、この宗教性を薄めた「明治国学」の展開が不可欠であり、明治末期以降、この素地に宗教学など「哲学系」の学問が刺激を与へることで、諸分野における神道研究の「統一」志向が生まれたとするのが妥当と論じた。
テーマセッション発表:「近代高等教育機関と国学者」, 2003年12月07日, 第57回神道宗教学会学術大会(國學院大學21世紀COE共催)テーマセッション「国学の諸問題」(於 國學院大學), 明治15年設置の東京大学文学部附属古典講習科の設置過程とその「生みの親」である小中村清矩の国学観を考察した。同科は、「考証派」国学者を中心とした錚々たる陣容を有する「古今未曾有なる、一種の国学科」であり、また、小中村の学則類の検討から、同科成立の時点まで「神典学」は「歴史学」に溶け込んでしまふが、その国学は、諸官省で役立たせるべき実用的な学問であり、宗教性を突き詰める学問ではないとされてゐたことを明らかにした。
発表:「明治国学と近代「神道学」との関係」, 2003年09月04日, 第62回日本宗教学会学術大会(於 天理大学), 大正期における近代「神道学」成立の前提として、各学問分野に「分解」された「国学」といふ総合的学問の明治期の実態を検証するため、「考証派」国学者による「学則」関係史料を検討した。特に小中村清矩「學規私言」から義象の「国学改良論」へと至る流れからは、「国体」理解のための根本学問「神典学」は全く解消したのではないが、「事実」「言語」の二つに「溶け込ませる」とともに、より「宗教性」を薄めたといへることを指摘した。
発表:「明治期「考証派」国学の系譜と「神典学」」, 2003年06月22日, 第49回神道史学会大会(於 熱田神宮), 明治期「考証派」国学者たちが捧持する学問「国学」の科目内容、つまりその構成要素のうち、「神典学」の位置付けの変遷を検討した。維新期以降、科目が事実・言語の二つに収斂していくとともに、「神典学」やその「宗教性」の忌避が窺へるやうになり、元来、総合的日本文化学とでもいふべき広い学問領域を持つてゐた国学も「近代的学問」として構想せざるを得なくなつたため、より「非宗教」への志向が必要不可欠となつてきたことを指摘した。
発表:「明治期「考証派」国学における「神典ノ学」」, 2002年12月08日, 第56回神道宗教学会学術大会(於 國學院大學), 明治期「考証派」国学者集団の形成過程について論じ、木村正辞・小中村清矩・横山由清といふ三人の関係の出発点が幕末期の和学講談所にあり、維新以降も彼らが東京の大学校、太政官制度局、元老院、東京大学などで密接な関係を持ち続けたことを明らかにした。また、明治2年3月までに横山由清が書いた「國學の説」(天理大学附属天理図書館所蔵)の検討から、その国学の根幹には明確に「神典の学」が据ゑられてゐたことを指摘した。
発表:「明治期国学者横山由清に関する一考察」, 2001年12月08日, 第55回神道宗教学会学術大会(於 國學院大學), 明治期における国学者の事蹟を辿るといふ基礎作業の一環として、比較的研究が進んでゐない「考証派」国学者である横山由清の素描を試みた。横山由清という人物は、明治政府における官歴の中で実に多種多様な仕事に携はつてきたが、横山は明確に自身が「国学者」であるといふ意識を持つて政府内の具体的問題に関与しただけではなく、政府関係者も歌から法制経済まで知悉した「考証派」国学者としての彼の能力を必要としてゐたことを指摘した。
発表:「明治皇室典範第十一条形成過程の一考察―即位の礼・大嘗祭の成文法化を繞つて―」, 2001年03月23日, 平成12年度駒澤宗教学研究会年会(於 駒澤大学), 明治22年2月11日に制定された明治皇室典範「第二章 踐祚即位」の内、「第十一条 即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」といふ条文の形成過程について概観した。それ自体近代以前では考へられなかつた、皇位継承法をはじめ、天皇や皇室の制度を成文法化するといふ「世俗的」な営為として皇室典範の形成過程を捉へ、皇位継承儀礼の「即位の礼」・「大嘗祭」といふ文言が、皇室典範の条文として組み込まれていく過程を跡付けた。
発表:「近代皇室制度形成と国学者―元老院国憲按を繞つて―」, 2000年12月03日, 第54回神道宗教学会学術大会(於 國學院大學), 明治国家の根幹である明治憲法・皇室典範制定前史の時期に着目し、主に国憲編纂事業における皇室制度調査に携はつた元老院内の国学者に焦点を当てた。明治8年設置の元老院では、「内国部」と「外国部」の二系統が次第に合流して国憲取調に関はつていくが、都市民権派で形成される「外国部」に対し、「内国部」は「考証派」国学の系譜を汲む福羽美静―横山由清―黒川真頼―佐藤誠実のラインで構成され、皇位継承法調査を行なつてゐたことを明らかにした。