K-ReaD( Kokugakuin University Researcher’s Achievement)

Takeshi KANASUGI
Department of Philosophy
Professor
Last Updated :2023/12/21

研究者基本情報

氏名

  • 氏名

    Takeshi KANASUGI

所属・職名

  • Department of Philosophy, Professor

学位

  • Feb. 2003, 博士(学術), 東京大学, 博総合第403号

本学就任年月日

  • 01 Apr. 2013

研究分野

  • Contemporary Western philosophy, Philosophy of mind, Metaethics, Metaphysics

研究活動

論文

  • An Explanation of Hallucination and Illusion by the Direct Perception Theory, Takeshi Kanasugi, The Journal of Kokugakuin University, 123, 4, 1, 29, 15 Apr. 2022, Kokugakuin University
  • An Assessment of the Philosophical Theories of Perception and the Issues the Direct Perception Theory Needs to Address, Takeshi Kanasugi, The Journal of Kokugakuin University, 122, 4, 1, 21, 15 Apr. 2021, Kokugakuin University
  • The Hard Problem of Consciousness and the Perspectivalness of Phenomenal Properties, Takeshi Kanasugi, Transactions of Kokugakuin University, 59, 1, 13, 14 Feb. 2021, Kokugakuin University

競争的資金

  • 19K00018, The possibility of direct perception theory as the optimal perception theory for anti-naturalism of qulia, This study argued the following points.;(1) The best ontological theory for the anti-naturalist position of qualia is naive realism, which locates qualia as such that they are objective properties of things on the side of the world, even though being perspectival entities, and the knowledge argument is the best anti-naturalist argument because it shows exactly this. (2) The philosophical theory of perception that best fits the ontological theory of (1) is the multi-aspectistic direct perception theory, which holds that qualia such as in (1) are directly given in perception and sensation. (3)The multi-aspectistic direct perception theory in (2), when combined with the disjunctivism, can have better explanatory power than other theories of perception such as the sense-datum theory, the adverbial theory, and the intentional theory, and is therefore the best theory of perception.
  • 22K00017, The Possibility of Multi-Aspectistic Pluralism: Constructing and Defending a Systematic Theory of Ontological Anti-Naturalism

教育活動

担当授業

  • 2022, この授業では、論理学という学問の文字通り入口に入るところから始め、論理学の初歩的なところまでを学ぶ。まずは、そもそも論理的であるとはどのようなことかを学ぶ。その中では、どのように論証や反論を行うべきであるかといったことを見ていく。次に、論理学という学問がどのようなものであるかを学ぶ。この授業では、その初歩的な段階として、「命題論理」と呼ばれる論理体系での真理値分析の方法やタブローの方法などを習得する。「入門」「初歩」と言っても、これらの方法は決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2022, 論理学とは、何を題材にして議論する場合でも(どのような学問領域の議論でも、また日常的な議論でも)共通に当てはまるような「形式的に(つまり、パターンとして)正しい論証」に関する学問である。この授業では、論理学の中級を学ぶ。具体的には、「述語論理」と呼ばれる論理体系での証明を「自然演繹」と呼ばれる方法で行う技術を習得する。| なお、この授業の難易度は(決して易しい内容ではない)論理学Aよりもさらに高い。「中級」と言っても、自然演繹による証明の方法は、数学の証明に似たところもあり、人によってはかなり難しく感じるものである。履修の際には注意されたい。
  • 2022, この授業では、哲学を学ぶための基礎・土台づくりとして、(1)哲学的問題とはどのようなものかを学ぶこと、(2)哲学のテキストを読むための練習をすること、(3)哲学的問題について自分で考え、その考えを表現するための練習をすること、を目的とする。| 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。そして、その「他人の考え」としてまず取り上げなければならないのは、哲学者たちがさまざまなテキストの中で示している哲学的考察である。「演習」の授業は、そのような哲学のテキストを読み、考える訓練の場である。この授業では、その第一歩目として、哲学の入門書を読み、そもそも哲学的問題とはどのようなものかを理解するところからスタートする。
  • 2022, この授業では、哲学を学ぶための基礎・土台づくりとして、(1)哲学的問題とはどのようなものかを学ぶこと、(2)哲学のテキストを読むための練習をすること、(3)哲学的問題について自分で考え、その考えを表現するための練習をすること、を目的とする。| 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。そして、その「他人の考え」としてまず取り上げなければならないのは、哲学者たちがさまざまなテキストの中で示している哲学的考察である。「演習」の授業は、そのような哲学のテキストを読み、考える訓練の場である。この授業では、哲学の入門書を読み、さまざまな哲学者たちがどのような哲学的問題に取り組んできたのかを理解し、その哲学的問題について考える。また学期の後半にはその発展段階として個人発表も行う。
  • 2022, 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。この授業では、さまざまな哲学的問題における基本的な問い、概念、理論を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。| この授業では、幸福、芸術、時間、思考、人物の同一性、善悪、宗教、科学などの基本的な主題を取り上げ、それらの本質とは何かを考えていく。その考察は、例えば「過去へのタイムトラベルは可能か」「コンピュータは「考える」ことができるか」「10年前の自分と今の自分が同一人物であるのはなぜか」「科学とは何か」「善悪の問題に一つの答えはあるのか」といった、普段はあまり考えることのないような問いかけから始める。これらについての考察を通して、ものごとの本質を捉えるとはどのようなことか、論理的に考えるとはどのようなことかを学ぶ。それらを学ぶことは、何かに躓いたときに、それに距離を置いて向き合い、問いを見つけ出し、答えを求めて、他者とともに考え、生きていくことにもつながるはずである。なお、議論や考察のレベルは最終的に中級レベルにまで達するので決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2022, 分析哲学は、厳密な論理的分析に基づく議論や考察をその特徴の一つとする。また、哲学者を中心に議論や考察を行うのではなく、哲学的問題を中心に議論や考察を行うという点にもその特徴がある。この授業では、分析哲学の中級程度のテキストを読み、そのような議論や考察を自ら行うことを目的とする。また各学期の後半には、そのようなテキスト講読・議論・考察の発展段階として、英語のテキストの輪読や、各学生の卒業論文に関する発表も行う。| テキストとして野矢茂樹『語りえぬものを語る』を読む。本書が扱っている問題は、相対主義、ウィトゲンシュタインの哲学、相貌論、論理空間と行為空間、懐疑論、規則のパラドクスなど、多岐にわたるが、それらがすべて緩やかに繋がっている。分析哲学は、「言語哲学」「心の哲学」「形而上学(存在の哲学)」「認識論(知識の哲学)」「科学哲学」というように、問題ごとにさまざまな分野に分かれて展開することが多いが、それらの諸問題を繋げる視点を持つことによって初めて見えてくる「哲学的風景」がある。本書を通して、そのような「哲学的風景」とはどのようなものかを学んでほしい。
  • 2022, 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。この授業では、さまざまな哲学的問題における基本的な問い、概念、理論を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。| この授業では、幸福、芸術、時間、思考、人物の同一性、善悪、宗教、科学などの基本的な主題を取り上げ、それらの本質とは何かを考えていく。その考察は、例えば「過去へのタイムトラベルは可能か」「コンピュータは「考える」ことができるか」「10年前の自分と今の自分が同一人物であるのはなぜか」「科学とは何か」「善悪の問題に一つの答えはあるのか」といった、普段はあまり考えることのないような問いかけから始める。これらについての考察を通して、ものごとの本質を捉えるとはどのようなことか、論理的に考えるとはどのようなことかを学ぶ。それらを学ぶことは、何かに躓いたときに、それに距離を置いて向き合い、問いを見つけ出し、答えを求めて、他者とともに考え、生きていくことにもつながるはずである。なお、議論や考察のレベルは最終的に中級レベルにまで達するので決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2022, 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。この授業では、さまざまな哲学的問題における基本的な問い、概念、理論を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。| この授業では、現代哲学のさまざまな問題として、形而上学・認識論・心の哲学・言語哲学における問題を扱う。形而上学は、「存在」を中心として、その他にも「実体と性質」「自由」といった哲学の主題の中でも最も抽象的と考えられるようなものを主題とする哲学の一分野であり、「存在の哲学(存在論)」とも呼ばれる。また認識論は、知識とは何か、われわれは何を知ることができるのか、といった問題について考える哲学の一分野であり、「知識の哲学」とも呼ばれる。また、心とは何か、それは脳とどのような関係にあるのか、心はロボットでも持てるようなものなのかといった問題について考える哲学の一分野を「心の哲学」と呼ぶ。心と言語は何かを表象するという点で共通している。それゆえ、心の哲学は、言語とは何か、言葉が何かを意味するとはどのようなことかといった問題について考える「言語哲学(言語の哲学)」と密接に関係する。なお、議論や考察のレベルは中級レベルであり、決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2022, 道徳には一つの普遍的な真理はあるのか。善悪などの道徳的価値はこの世界に実在するのか。「~するのは善い/悪い」といった道徳的な判断を下すことにおいて私たちは何をしているのか。そもそも私たちは道徳的に善く振る舞わなければならないのか。このような問いについて考えることは、私たちの道徳(倫理)を見直すことに繋がり、ひいては私たちの世界観を見直すことにも繋がりうる。メタ倫理学とは、このような問いについて考える倫理学(道徳の哲学)の一分野である。この授業では、これらの問いのうち、「道徳には一つの普遍的な真理はあるのか」「善悪などの道徳的価値はこの世界に実在するのか」といった問いに関する議論の詳細を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。
  • 2022, 道徳には一つの普遍的な真理はあるのか。善悪などの道徳的価値はこの世界に実在するのか。「~するのは善い/悪い」といった道徳的な判断を下すことにおいて私たちは何をしているのか。そもそも私たちは道徳的に善く振る舞わなければならないのか。このような問いについて考えることは、私たちの道徳(倫理)を見直すことに繋がり、ひいては私たちの世界観を見直すことにも繋がりうる。メタ倫理学とは、このような問いについて考える倫理学(道徳の哲学)の一分野である。この授業では、これらの問いのうち、「「~するのは善い/悪い」といった道徳的な判断を下すことにおいて私たちは何をしているのか」「そもそも私たちは道徳的に善く振る舞わなければならないのか」といった問いに関する議論の詳細を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。
  • 2023
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  • 2023, この授業では、論理学という学問の文字通り入口に入るところから始め、論理学の初歩的なところまでを学ぶ。まずは、そもそも論理的であるとはどのようなことかを学ぶ。その中では、どのように論証や反論を行うべきであるかといったことを見ていく。次に、論理学という学問がどのようなものであるかを学ぶ。この授業では、その初歩的な段階として、「命題論理」と呼ばれる論理体系での真理値分析の方法やタブローの方法などを習得する。「入門」「初歩」と言っても、これらの方法は決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2023, 論理学とは、何を題材にして議論する場合でも(どのような学問領域の議論でも、また日常的な議論でも)共通に当てはまるような「形式的に(つまり、パターンとして)正しい論証」に関する学問である。この授業では、論理学の中級を学ぶ。具体的には、「述語論理」と呼ばれる論理体系での証明を「自然演繹」と呼ばれる方法で行う技術を習得する。| なお、この授業の難易度は(決して易しい内容ではない)論理学Aよりもさらに高い。「中級」と言っても、自然演繹による証明の方法は、数学の証明に似たところもあり、人によってはかなり難しく感じるものである。履修の際には注意されたい。
  • 2023, この授業では、哲学を学ぶための基礎・土台づくりとして、(1)哲学的問題とはどのようなものかを学ぶこと、(2)哲学のテキストを読むための練習をすること、(3)哲学的問題について自分で考え、その考えを表現するための練習をすること、を目的とする。| 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。そして、その「他人の考え」としてまず取り上げなければならないのは、哲学者たちがさまざまなテキストの中で示している哲学的考察である。「演習」の授業は、そのような哲学のテキストを読み、考える訓練の場である。この授業では、その第一歩目として、哲学の入門書を読み、そもそも哲学的問題とはどのようなものかを理解するところからスタートする。
  • 2023, この授業では、哲学を学ぶための基礎・土台づくりとして、(1)哲学的問題とはどのようなものかを学ぶこと、(2)哲学のテキストを読むための練習をすること、(3)哲学的問題について自分で考え、その考えを表現するための練習をすること、を目的とする。| 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。そして、その「他人の考え」としてまず取り上げなければならないのは、哲学者たちがさまざまなテキストの中で示している哲学的考察である。「演習」の授業は、そのような哲学のテキストを読み、考える訓練の場である。この授業では、哲学の入門書を読み、さまざまな哲学者たちがどのような哲学的問題に取り組んできたのかを理解し、その哲学的問題について考える。また学期の後半にはその発展段階として個人発表も行う。
  • 2023, 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。この授業では、さまざまな哲学的問題における基本的な問い、概念、理論を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。| この授業では、幸福、芸術、時間、思考、人物の同一性、善悪、宗教、科学などの基本的な主題を取り上げ、それらの本質とは何かを考えていく。その考察は、例えば「過去へのタイムトラベルは可能か」「コンピュータは「考える」ことができるか」「10年前の自分と今の自分が同一人物であるのはなぜか」「科学とは何か」「善悪の問題に一つの答えはあるのか」といった、普段はあまり考えることのないような問いかけから始める。これらについての考察を通して、ものごとの本質を捉えるとはどのようなことか、論理的に考えるとはどのようなことかを学ぶ。それらを学ぶことは、何かに躓いたときに、それに距離を置いて向き合い、問いを見つけ出し、答えを求めて、他者とともに考え、生きていくことにもつながるはずである。なお、議論や考察のレベルは最終的に中級レベルにまで達するので決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2023, 現代は科学の時代である。現代に生きる多くの人々は、科学を、客観的な実在の世界を捉える営みとして理解する。科学が明らかにする世界こそが、真の実在の世界だということだ。しかし、われわれが生きるこの世界には、科学では捉えることができそうにないものごとが少なからず存在するように思われる。たとえば、意識経験や善悪・美しさといった価値だ。これらはしばしば「主観的」なあり方をしたものごととして規定される。あるいは、科学がどの視点からでもない無視点的な仕方で世界を把握する営みであるとするならば、これらは特定の視点からしか把握できない「有視点的」なものごととして規定することもできるだろう。果たして、そのような主観的・有視点的なものを実在の世界のうちに位置づけることができるのだろうか。あるいは、それらは何らかの形で客観的・無視点的なものとして捉え直されることによって実在の世界のうちに位置づけられるべきものなのだろうか。| トマス・ネーゲルの『コウモリであるとはどのようなことか』は、「主観的なもの」と「客観的なもの」との対比に着目する哲学書である。ネーゲルは単にこの対比に着目するだけでなく、多くの哲学的問題がこの対比に由来すると論じる哲学者として有名である。本書では、このような観点から、人生の意味、道徳における運の問題、道徳的価値の多元性、意識(クオリア)、心といったさまざまな主題が取り上げられている。| この授業では、ネーゲルのテキストを読解し、以上のような哲学的主題について議論・考察することを通して、自らの哲学的考察力の向上へと繋げていくことを目的とする。また各学期の後半には、そのようなテキスト読解・議論・考察の発展段階として、各学生の卒業論文に関する発表も行う。
  • 2023, 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。この授業では、さまざまな哲学的問題における基本的な問い、概念、理論を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。| この授業では、幸福、芸術、時間、思考、人物の同一性、善悪、宗教、科学などの基本的な主題を取り上げ、それらの本質とは何かを考えていく。その考察は、例えば「過去へのタイムトラベルは可能か」「コンピュータは「考える」ことができるか」「10年前の自分と今の自分が同一人物であるのはなぜか」「科学とは何か」「善悪の問題に一つの答えはあるのか」といった、普段はあまり考えることのないような問いかけから始める。これらについての考察を通して、ものごとの本質を捉えるとはどのようなことか、論理的に考えるとはどのようなことかを学ぶ。それらを学ぶことは、何かに躓いたときに、それに距離を置いて向き合い、問いを見つけ出し、答えを求めて、他者とともに考え、生きていくことにもつながるはずである。なお、議論や考察のレベルは最終的に中級レベルにまで達するので決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2023, 哲学を学ぶということは、さまざまな哲学的問題について自分で考える力を身につけていくということである。しかし、それは決して自分一人だけでできるものではない。「自分で考える」ためには、他人の考えに触れながら、議論をしていくことが必要である。この授業では、さまざまな哲学的問題における基本的な問い、概念、理論を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。| この授業では、現代哲学のさまざまな問題として、形而上学・認識論・心の哲学・言語哲学における問題を扱う。形而上学は、「存在」を中心として、その他にも「実体と性質」「自由」といった哲学の主題の中でも最も抽象的と考えられるようなものを主題とする哲学の一分野であり、「存在の哲学(存在論)」とも呼ばれる。また認識論は、知識とは何か、われわれは何を知ることができるのか、といった問題について考える哲学の一分野であり、「知識の哲学」とも呼ばれる。また、心とは何か、それは脳とどのような関係にあるのか、心はロボットでも持てるようなものなのかといった問題について考える哲学の一分野を「心の哲学」と呼ぶ。心と言語は何かを表象するという点で共通している。それゆえ、心の哲学は、言語とは何か、言葉が何かを意味するとはどのようなことかといった問題について考える「言語哲学(言語の哲学)」と密接に関係する。なお、議論や考察のレベルは中級レベルであり、決して易しいものではない。履修の際には注意されたい。
  • 2023, 心とは何か。それは物理的な存在なのか、それとも非物理的存在なのか。それは動物やロボットでも持ちうるようなものなのか。心の哲学とは、このような問題について考える哲学である。現代の心の哲学は、このような問題の中でも特に、心は脳や身体とどのような関係にあるのかという「心身問題」を中心にして展開されてきた。そしてさらに近年では、心の特に「意識」と呼ばれるあり方が脳や身体とどのような関係にあるのかという問題に関して、盛んに論争が繰り広げられている。この授業では、これらの「心身問題」と「意識」に関する現代の哲学的議論の詳細を紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。
  • 2023, 現代の心の哲学は、「心とは何か」という根本の問いに答えるために、心のさまざまな側面に焦点を当てて議論を展開している。この授業では、その中でも「知覚経験」に焦点を当てる。「知覚」とひと口に言っても、そこには「視覚」「聴覚」「味覚」「触覚」など、実にさまざまなものが含まれる。これらの知覚経験に共通するその本質とは何であるのか。また、知覚経験には「クオリア」と呼ばれるさまざまな質的特徴(色や音や味など)の現れが伴うように思われるが、それらはどのような存在なのか。われわれは、知覚経験に基づいてさまざまな知識を獲得すると考えられるが、知覚はいかにしてそのような基礎を与えることができるのか。この授業では、これらの問題に関する現代の哲学的議論を詳細に紹介し、考察を深めることによって、受講者が自らこれらの問題について考える力を少しでも向上させることを目的とする。

オフィスアワーの実施時期・曜時

  • 2018


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