蒙古襲来と水中考古学, 池田榮史, 國學院大学研究開発推進機構紀要, 第14号, (1)244, (21)224, 2022年03月31日, 國學院大學研究開発推進機構
日本の水中考古学をめぐる現状と課題, 池田 榮史, 歴史学研究 = Journal of historical studies, 1001, 32, 40,50, 2020年10月15日, 績文堂出版
奄美諸島と「グスク時代」, 池田榮史, しまたてぃ, 93号, 56, 61, 2020年07月01日, 一般社団法人沖縄しまたて協会
韓半島と琉球列島の交流・交易についてー物質資料を中心にー, 池田榮史, 海洋都市文化交渉学, 第22号, 1, 20, 2020年04月30日, 韓国海洋大学国際海洋問題研究所, 韓半島と琉球列島の交流・交易について、これまでの研究史を振り返るとともに、近年話題となっているヤコウガイ製貝匙と「癸酉年高麗瓦匠造」銘瓦を取り上げ、改めて検討を加えた。この結果、両地域間の関係は14世紀以降に直接的な交流・交易関係が生じるものの、それまでは両地域の間に位置する九州を含む日本を介在した交流・交易関係に終始したことが知れる。韓半島から琉球列島の沖縄島までは隣り合う島と島との視認関係を辿れば往来できる地理的関係にあるが、両地域の間で直接的な交流・交易関係を結ぶことは14世紀代に琉球列島の沖縄島に琉球中山国が登場するまで存在しなかった。韓半島と琉球列島との間の直接交流は琉球列島に国家的組織が星ルツすることによって開始されたのである。
琉球列島史を掘り起こすー11〜14世紀の移住・交易と社会変容ー, 池田榮史, 中世学研究, 第2号, 13, 37, 2019年07月01日, 高志書院
グスク時代建物遺構に関する予察 : 喜界島城久遺跡群の建物遺構をめぐって (町田宗博教授・渡久地健准教授退職記念号), 池田 榮史;Ikeda Yoshifumi, 地理歴史人類学論集 = Journal of geography, history, and anthropology, 8, 73, 82, 2019年03月31日, 琉球大学国際地域創造学部地域文化科学プログラム, 沖縄諸島のグスク時代遺跡には「吹出原型掘立柱建物」と名付けられた遺構の組み合わせが見られるが、その出現の「由来、背景」については詳らかになっていない。これを含めて沖縄のグスク時代社会の開始には喜界島城久遺跡群をはじめとする奄美諸島を経由した古代末〜中世初期の日本からの影響が大きいと考えられる。そこで、「吹出原型掘立柱建物」の「由来、背景」を探るために奄美諸島喜界島城久遺跡群で検出された建物遺構および建物遺構の中に見られる「吹出原型掘立柱建物」類似遺構の検討を行なった。その結果、「吹出原型掘立柱建物」の直接的祖型を城久遺跡群に求めることはできないが、建物の構造や配置などについては間接的な影響があったと考えられる。
琉球列島における暴力的闘争に関する考古学研究 (特集 平和を構築する条件 : よりよい社会を作るための人間行動学的理解), 池田 榮史, 生物科学, 70, 3, 159, 165, 2019年03月, 日本生物科学者協会 ; 1949-
日本における水中遺跡調査研究の現状ー鷹島海底遺跡における元軍船の調査研究を中心にー, 池田榮史, 水中遺跡の歴史学, 13, 42, 2018年03月25日, 山川出版社
琉球列島出土の滑石製石鍋破片について (山里純一教授退職記念号), 池田 榮史, 人間科学 : 琉球大学法文学部人間科学科紀要 = Human sciences : bulletin of the Faculty of Law and Letters, University of the Ryukyus, Department of Human Sciences, 37, 169, 188, 2017年09月30日, 琉球大学法文学部
奄美諸島における土師器甕形土器ー喜界島城久遺跡群の評価をめぐって, 池田榮史, 南島考古, 第36号, 211, 222, 2017年07月14日, 沖縄考古学会
長崎県松浦市鷹島海底遺跡における蒙古襲来(元寇)船調査の現況と課題, 池田榮史, 中村浩先生古稀記念論文集『考古学・博物館学の風景』, 339, 350, 2017年04月09日, 芙蓉書房
三別抄と日本、琉球, 池田榮史, 季刊 韓国の考古学, 31号, 42, 47, 2016年02月18日, 頭流山出版社
沖縄県の戦争遺跡調査研究の成果と今後の課題 (特集 戦争遺跡 戦後七〇年を迎えて), 池田 榮史, 明日への文化財, 74, 17, 24, 2016年01月01日, 文化財保存全国協議会
鷹島海底遺跡と水中考古学的調査に関する覚書, 池田榮史, 肥後考古, 第19号, 134, 141, 2014年07月, 肥後考古学会
鷹島海底遺跡における水中考古学調査と発見した元寇船 (特集 水中考古学 : 元寇船最新研究の成果), 池田 榮史, 月刊考古学ジャーナル, 641, 24, 28, 2013年05月, ニュー・サイエンス社
日本の弥生農耕文化をめぐる最近の考古学諸説と琉球列島 (特集 アジアにおける稲作文化の多元性), 池田 榮史;Ikeda Yoshifumi, 地理歴史人類学論集, 2, 37, 46, 2011年, 琉球大学法文学部, 未公開:論文中の図1は著作者の意向により削除
沖縄における文化財保護行政の歩み, 池田 榮史, 国学院大学考古学資料館紀要, 24, 163, 173, 2008年03月, 国学院大学考古学資料館
律令体制の南進問題 (特集 21世紀の日本考古学) -- (歴史時代), 池田 榮史, 季刊考古学, 100, 100, 103, 2007年08月, 雄山閣
古代・中世の日本と琉球列島 (特集 古代・中世の日本と奄美・沖縄諸島), 池田 榮史, 東アジアの古代文化, 130, 2, 19, 2007年, 大和書房
琉球列島(南西諸島)の古墓 (特集 南西諸島の古墓), 池田 榮史, 月刊考古学ジャ-ナル, 552, 3, 5, 2006年12月, ニュ-・サイエンス社
琉球における中世貿易陶磁の様相 (特集 環シナ海世界と古琉球), 池田 榮史, 九州史学, 144, 69, 79, 2006年05月, 九州史学研究会
グスク時代開始期の土器編年をめぐって, 池田 榮史, 琉球大学考古学研究集録, 5, 25, 40, 2004年01月, 琉球大学法文学部考古学研究室
増補・類須恵器出土地名表, 池田 榮史, 人間科学, 11, 201, 242, 2003年03月, 琉球大学法文学部
韓国研修覚書, 池田 榮史, 琉球大学考古学研究集録, 2, 11, 16, 2000年12月, 琉球大学法文学部考古学研究室
沖縄 (特集 近・現代の考古学) -- (近・現代遺跡調査の現状), 池田 榮史, 季刊考古学, 72, 63, 65, 2000年08月, 雄山閣出版
須恵器からみた琉球列島の交流史 (特輯 南島考古学研究の現状と課題), 池田 榮史, 古代文化, 52, 3, 162, 166, 2000年03月, 古代学協会
沖縄貝塚文化 (特集 副葬を通してみた社会の変化) -- (採集狩猟民の副葬行為), 池田 榮史, 季刊考古学, 70, 29, 33, 2000年02月, 雄山閣出版
琉球列島(南西諸島) (特集 1996年の考古学界の動向), 池田 栄史, 月刊考古学ジャ-ナル, 423, 148, 152, 1997年10月, ニュ-・サイエンス社
沖縄県博物館史, 池田 栄史, 国学院大学博物館学紀要, 18, p1, 13, 1993年, 国学院大学博物館学講座
沖縄考古学の現状と課題 (沖縄の歴史と文化<特集>), 池田 栄史, 東京国立博物館研究誌, 489, p4, 15, 1991年12月, 東京国立博物館
地方における小規模博物館の現状と課題--熊本県本渡市立歴史民俗資料館の場合, 池田 栄史;平田 豊弘, 国学院大学博物館学紀要, 8, p32, 41, 1983年, 国学院大学博物館学講座
日本における水中遺跡調査研究の現況ー松浦市鷹島海底遺跡における元軍船の調査研究を中心にー, 池田榮史, 第114回史学会大会公開シンポジウム, 2016年11月12日, 史学会, 東京都文京区
鷹島海底遺跡の調査, 池田榮史, 長崎県松浦市市政施行10周年記念講演会, 2016年01月24日, 長崎県松浦市, 長崎県松浦市
水中考古学による蒙古襲来への挑戦ー元寇船を求めてー, 池田榮史, 南山大学人類学博物館講座, 2017年07月15日, 南山大学人類学博物館, 愛知県名古屋市
11〜14世紀の琉球列島, 池田榮史, 中世学研究会シンポジウム, 2018年06月30日, 中世学研究会, 東京都文京区
三別抄と日本、琉球, 池田榮史, 東アジアの三別抄連携学術シンポジウム 江華ー珍島ー濟州 三別抄の旅程と性格, 2018年02月09日, 大韓民国濟州特別自治道濟州市・国立濟州博物館, 大韓民国濟州特別自治道濟州市
戦争遺跡の保存と活用ー沖縄における戦跡考古学の試みー, 池田榮史, 平成30年度九州博物館協議会総会記念講演, 2018年05月10日, 九州博物館協議会, 沖縄県那覇市
鷹島海底遺跡における水中考古学の歴史, 池田榮史, 日中韓文化遺産フォーラム「水中文化遺産の保護と活用」 , 2017年02月12日, 九州国立博物館, 福岡県太宰府市
『蒙古襲来絵詞』の理解に向けてー長崎県松浦市鷹島海底遺跡の水中考古学調査成果からー, 池田榮史, 熊本文学館・歴史館秋季特別展示会「蒙古襲来絵詞と竹崎季長」シンポジウム, 2018年12月02日, 熊本文学館・歴史館, 熊本県熊本市
韓半島と琉球列島の交流・交易について, 池田榮史, 2019大伽耶海洋交流再証明事業国際学術大会, 2019年10月19日, 大韓民国慶尚北道高霊郡・国立韓国海洋大学校, 沖縄県中頭郡西原町
奄美における「グスク時代」, 池田榮史, シンポジウム 遺跡から見た琉球列島のグスク時代, 2020年01月19日, 国立歴史民俗博物館「海の帝国琉球ー八重山・宮古・奄美からみた中世ー」展示プロジェクト, 沖縄県那覇市
奄美・沖縄史の中の与論グスク, 池田榮史, 令和2年度地域の特色ある埋蔵文化財活用事業に係る関連シンポジウム「奄美・沖縄史の中の与論グスク」, 2020年12月12日, 与論町教育委員会, 鹿児島県大島郡与論町
琉球列島の城郭遺跡, 池田榮史, 日中韓アジア城郭研究セミナー, 2020年01月21日, ICOMOS国際城郭委員会(ICOFORT), 大韓民国京畿道水原市
14世紀の琉球における交易航路と港湾, 池田榮史, 韓国国立海洋文化財研究所2020年度国際学術大会「東アジアの港湾と海上交易航路」, 2020年10月22日, 韓国国立海洋文化財研究所, 韓国全羅南道木浦市
18102004, 2006, 日本学術振興会, 科学研究費補助金基盤研究(S), 長崎県北松浦郡鷹島周辺海底に眠る元寇関連遺跡・遺物の把握と解明
23222002, 2011, 日本学術振興会, 科学研究費補助金基盤研究(S), 水中考古学手法による元寇沈船の調査と研究
18H05220, 2019, 日本学術振興会, 科学研究費補助金基盤研究(S), 蒙古襲来沈没船の保存・活用に関する学際研究
18H05220, 蒙古襲来沈没船の保存・活用に関する学際研究, 本研究では水中に存在する遺跡や遺物の調査手法だけでなく、調査後の保存・活用に関するさまざまな課題、すなわち水中での遺跡や遺物の現地保存手法、水中環境にあるために簡単には現地を訪ねることが難しい水中遺跡や遺物の情報公開手法、さらには水中から引き揚げたさまざまな素材からなる遺物の保存処理手法について、従来に比べて簡便な手法を検討し、これを確立した。;また、本研究の成果を広く公開することによって、一般社会における水中遺跡への関心の掘り起こしを図るとともに、これまで積極的には取り扱われることのなかった日本の水中遺跡に対する調査・研究の取り組みがより広範に行われるための基本的な環境作りを進めた。;日本において沈没船を含む水中遺跡の調査研究はほとんど手付かずの状況であった。本研究では長崎県松浦市鷹島海底遺跡において発見し、現地保存を図っている元軍船(鷹島1・2号沈没船)を主な素材として、水中遺跡の調査手法を確立するとともに、調査後の保存・活用に関するさまざまな課題、すなわち水中での遺跡や遺物の保存手法、水中環境にあるために現地を訪ねることが難しい水中遺跡や遺物の情報公開手法、さらには水中から引き揚げた遺物の保存処理手法について、従来に比べて簡便な手法を提起した。これによって、水中遺跡に対する調査研究への取り組みがより広範に行われるための環境整備と社会的な関心の掘り起こしを図った。
18H03592, 琉球帝国からみた東アジア海域世界の流動的様態と国家, 先島や奄美の集落を考古学的に調査することで、従来の解釈に修正をせまる。そのため、遺物面では集落遺跡から出土した中国産陶磁器を悉皆的に分類・カウントすることで基礎資料の充実を図った。遺跡面では先島に残る石積みをもった集落遺跡を丹念に踏査し、測量調査を実施して資料を蓄積した。;これらの調査から、13世紀後半から14世紀前半に先島の集落が成立し、中国福建省から直接陶磁器を入手する沖縄島とは異なる文化圏であったことがわかった。また宮古島では14世紀後半から15世紀初め、奄美では15世紀前半から中葉、八重山では15世紀後半から16世紀前半に集落遺跡が消滅し、この時期に琉球の侵攻を受けたと想定した。;文献資料が少ないため、先島や奄美の歴史は近世に首里王府が編纂した史料によって語られてきた。それは征服した側の勝者の論理による歴史である。本研究では資料的限界を克服すべく、先島や奄美に残された集落遺跡とその出土遺物から考古学的資料を蓄積して従来の解釈に修正を迫った。そこから見えてきた琉球の帝国的側面は、古琉球史のみならず東アジア海域史に対する問題提起ともなろう。;また、独立した文化圏であった先島が琉球の版図になったことの意味は、現在の沖縄県域の多様性を改めて考える素材となる。琉球の論理だけでなく、先島の論理にも目を向けることで、他者理解へのきっかけとなれば歴史学の社会的意義はより深まる。
16H03510, 近世国家境界域「四つの口」における物資流通の比較考古学的研究, 本研究では、近世における「四つの口」(松前・対馬・長崎・琉球)における物資流通について、考古学資料と文献史料から検討を加えた。その結果、以下の点が明らかになった。(1) 「四つの口」における物資流通のあり方が、国内外の経済構造、流通構造とその変化と密接に結びついている。(2) 「四つの口」における物資流通の関係は補完関係と競合関係という二面が存在する。(3) 「四つの口」は交易の場でありながらも、同時にそこに居住する生活の場でもあり、各地における手工業生産の解明も重要な論点となる。;本研究の学術的意義は、これまで考古学資料と文献史料それぞれに検討をなされていた「四つの口」における物資流通について、その両面からのアプローチを総合的に行った点にある。また「四つの口」における物資流通の相互比較を通じて、それぞれの共通点と相違点とを抽出することで、近世における対外交易の特質を明らかにした。;また社会的意義として、いまだ「鎖国」のイメージが強い近世日本の対外関係を物資流通という「モノ」に基づいた検討を通じて、その具体的な姿を明らかにした点にある。
15K02854, 考古学との協業による、金石文資料の蒐集・分析に基づく琉球寺院原風景の復元的研究, 金石文研究を通して、琉球王国の寺院の原風景の復元にせまった。;王国時代の蓮華院跡から出土した一字一石経1314点を整理・研究し、康熙30(1691)年または31年に、蓮華院の僧侶不羈(別名脱心祖穎)が作成して埋納したものであるとした。;また禅宗寺院において本尊の前に配列される三牌について研究し、琉球寺院の三牌の源流になった日本禅宗寺院のもので現存最古のものは、これまで位牌とされてきた徳島県指定文化財で、正しくは今上牌で、日本の今上牌は当初「今上皇帝」であったが、明治期に「今上天皇」へと変化してゆく。琉球王国では王国時代に「今上国王」への変化が看取できることから、琉球独自の変化であることがわかる。;戦争で大きな被害を受けた沖縄では、王国時代の文化財は特別に貴重なもである。;一字一石経は戦中、土に埋まっていた故、戦争を生き延びることができた。その文化財の価値を発見し、公表できたことに意義がある。他方、三牌は、戦争で大きな被害を受け、沖縄本島ではわずかに2基が県立博物館に残されたにすぎない。2基ともに大きく損壊しており、またこの研究開始までは、位牌とされてきたものである。わずかに残された文化財の本来的機能を明らかにし、その源流をさぐってゆくこと、さらには琉球での独自の変化を見いだした意義がある。今後、首里城とならんで円覚寺を復元してゆく際の、大きな指標となる発見と考える。
26284091, 琉球帝国と東アジア海域の動態研究-集落・流通・技術-, 中世琉球を先島・奄美など周辺地域から描くことで新たな歴史像を提示することを目的とした。文献史料の少ない当該地域を扱うために、考古資料を蓄積することとした。具体的には、①中世集落遺跡の測量図作成-波照間島ミシュク村跡遺跡、②同一基準による出土陶磁器全点カウント-喜界島城久遺跡群大ウフ遺跡・手久津久遺跡群中増遺跡、宮古島住屋遺跡・ミヌズマ遺跡、石垣島フルストバル遺跡、竹富島新里村遺跡を実施した。;これらのデータをもとに新たな琉球史像を提示し、喜界町での「シンポジウム 中世の喜界島を考える」(2016年度)、那覇市での「シンポジウム 琉球帝国という視点」(2017年度)などを通じて、情報発信した。
24520860, 近世日本国家領域境界域における物資流通の比較考古学的研究, 本研究では,鹿児島県鹿児島郡三島村と十島村の考古学的踏査ならびに奄美瀬戸内町郷土館・図書館保管の旧家伝来資料の調査を実施し,近世日本国家領域境界域における物資流通の具体相を解明した。前者の踏査から,三島・十島において,日本本土域からの流通と,沖縄からの流通が重なり合っていることが明らかになった。後者の調査から,考古学資料と伝来資料との総合調査が,物資流通を明らかにするために必要であることを指摘した。また中国-琉球-薩摩と北海道-中国の両地域の物資流通を考古学的に比較検討することで,境界域における物資流通の共通性と独自性を抽出した。
23222002, 水中考古学手法による元寇沈船の調査と研究, 本研究の目的は長崎県と佐賀県の間に位置する伊万里湾において、1281年の蒙古襲来の際に暴風雨のために大半が遭難したとされる元軍船を発見する調査手法を確立すること、また発見した元軍船の内容について明らかにすること、さらに元軍船をはじめとする蒙古襲来関係遺物の水中環境における保存手法、および引き揚げ後の保存処理や活用に関する手法を構築することである。;研究の結果、長崎県松浦市鷹島海底遺跡において2艘の元軍沈没船を発見し、ともに中国江南地方を進発した軍船であることを明らかにした。また、現在、両沈没船は海底での保存を図った上で、調査後の保全および劣化に関するモニタリング調査を継続的に実施しつつある。
19900113, 中世東アジアの交流・交易に関する新研究戦略の開発・検討, 本研究では、中世の考古学研究について、水中考古学的手法や遺跡の物理探査手法などの新しい研究方法を採用するとともに、琉球列島の島々と他の地域との関係を探求するなど、これまでとは異なった研究方法や地域を選んだ調査・研究を進めてきた。;この結果、研究方法の模索が続いていた水中考古学分野においては、海底音波探査装置を使った海底地形および地質調査方法の有効性を確認するとともに、引き揚げ調査資料に対する地上での調査手法について、長崎県松浦市鷹島海底遺跡出土資料を対象とした研究成果を報告した。;また、琉球列島における調査・研究では、奄美群島喜界島城久遺跡群や、志戸桶七城遺跡、沖縄県名護市内における高麗瓦出土遺跡に関する資料調査を行なうとともに、昨年度に行なった喜界島城久遺跡群に関するシンポジウムの報告書、および沖縄島名護市内における高麗瓦調査報告書を刊行した。;その上で、(1)玄界島沖沈船探査、(2)朝鮮民主主義人民共和国考古学調査、(3)鷹島海底遺跡出土陶磁器・土器の分析、(4)鷹島引き揚げ遺物から見た蒙古襲来、(5)鹿児島県喜界島志戸桶七城遺跡測量調査報告、を含む研究成果報告書を取りまとめた。
18102004, 長崎県北松浦郡鷹島周辺海底に眠る元冦関連遺跡・遺物の把握と解明, 本研究では伊万里湾全域にわたる物理学的海底音波探査を実施し、詳細海底地形図および地質図を作成した。その上で、海底面および海底堆積層中で検出した音波探査反応体について、9つに類型化し、水中考古学的手法による確認調査を実施した。その結果、類型の一つから元寇沈船と思われる船体の一部と大量の磚を検出した。;この調査により、元寇関連遺跡・遺物の把握と解明については、物理学的音波探査手法と水中考古学的手法の融合が有効であることを確認するとともに、これを今後の元寇沈船を含めた海底遺跡に対する新たな調査研究方法として提示するに至った。
17300293, 海底遺跡出土遺物の調査・分析・保存に関する基礎的研究, 本研究でとりあげた武器・武具類の多くは、海底という環境下で、通常とは異なる形で錆化が進行していた。特に鉄製品について、通常の保存処理でおこなうクリーニングは多くの場合非常に困難をともなうことが推測された。結果として、通常の資料化の方法では、考古資料としての検討に必要なデータの抽出にも大きな制約がともなった。そのため、通常の分析方法に加えX線透過撮影さらに、刀剣類と冑類についてはX線CTによる調査により内部の状態をより詳細に観察した。また、付属した漆については一部試料を採取し分析を行った。その結果、外観が変化し遺物の特定が困難なものについてもそのほとんどの特定が可能となった。まず、刀剣類については肉眼観察で認識できない、刀身の形態、刀装具の構造を非破壊非接触で復元し、同時代の刀剣類との比較検討を行うための情報化を可能とした。また、冑類についても同様の調査を実施し、外観からでは確認できなかった形状などの情報が確認でき制作技法などについても推測が可能となった。これらの結果のうち刀剣類については東アジア文化遺産保存シンポジウムで成果を発表した。それ以外には漆を含め有機物の14C年代測定を実施し、これらの遺物が元寇に起因する遺物であることが確認できた。加えて、刀剣類や鉄製遺品以外の金属性武器・武具類については蛍光X線分析を実施しその材質について調査し、その身元確認を行った。さらに、武具類に使用された漆の塗り構造や木材の樹種などを調査し、日常使用される漆器類との構造の違いについても検討した。その結果、武具類に使用されている漆膜は日常什器のような丁寧なつくりではなく、機能面を重視したものであることもわかった。最終的に報告書の作成に向け、これらの武器武具類の総合的な資料化を行い、その当時の身元確認と履歴について精度の高い調査を実施することができた。
17202025, 奄美諸島における聖地および葬地の人類学的共同研究, 津波高志は、仲松弥秀説を咀嚼し超えるために、主に与論島で風葬墓と洗骨改葬を集中的に調査した成果を報告した。与論島において風葬は明治の初め頃に禁止されたが、風葬墓は現在でも子孫達との繋がりを失っておらず、また、洗骨改葬は今日でも盛んに行われており、それらに関する聞き取り・観察を行った。また、奄美諸島を中心とする近代の墓をデーターベース化し、事例として徳之島・沖永良部・与論・久米島から一例ずつ選択した。大量の個人情報を含むため、直ちに一般公開には至らないが、今後の問題として、それが可能な方策を考えたい。;後藤雅彦・池田栄史は、徳之島伊仙町の二つの点に関する報告をした。一つは、伊仙町字面縄における伝承でアジバカ(按司墓)と称される聖地および周辺の実測し、実測図を作成した結果、聖地の核となる丘陵の最高所は石積みされたチンシ墓(積石墓)であることが判明した。また、土地で神様とされ、一部の研究者が墓であるとしたアムト神と称される聖地についての発掘し、その結果近世以降を主とする陶磁器類が出土し、葬墓ではないことが明らかとなった。;石田肇は、久米島の近世墓の人骨121個体の頭蓋形態小変異を調査し、近隣の人類集団と比較した。比較の結果、沖縄は、本島、奄美、先島、久米島と一つにまとまり、弥生時代人を始めとして、本土日本集団とともに、南中国や東南アジア集団との類似も見られた。これは、近年の遺伝学的研究でも言われているように、先史時代から歴史時代にかけて、本土日本からのみならず、南方からの遺伝的影響を受けている可能性を示唆する。;土肥直美は、平成17年度に徳之島で調査を行い、葬地の情報収集に努めた。奄美諸島の主な人骨出土遺跡を表に示し、近現代人の研究報告を文末に掲載している。土肥は南西諸島における人類史解明を目指し、奄美・沖縄諸島まで枠を広げ、人骨調査と情報の収集を目指しその分析の準備を進めている。
16520463, 紀元前2千年紀の南中国沿岸と琉球列島の考古学研究, 本研究では長江下流域と東南中国を含む南中国沿岸と琉球列島について、紀元前2千年紀における各地域文化の動向と地域間交流の様相の比較を行うことを目的にした。この時代は中国大陸で初期国家が形成され、その影響は周辺地域にも及び、南中国沿岸でもその時、独自の文化を形成する。そして、琉球列島において北琉球では縄文文化の影響をうけながら、地域文化が個性をもつようになり、南琉球においても系統の異なる地域文化が展開する。;研究の成果をまとめると、まず、紀元前2千年紀における東南中国の沿海ルートによる交流は、遠距離の交流と近距離の交流が重層的なネットワークを形成していたことが認められた。また、同時期の地域間交流は、技術とモノと人の移動などを含む多様な交流であったと考えられる。;このように同時期、東南中国では沿海地域間の交流が活発であったが、その延長に対岸の台湾との関わりが問題となり、さらに注目される問題はこうした動向が琉球列島に及ぶかどうかである。;本研究では各地域文化を構成する要素の中で外来要素の分布をみるよりも、在地に連続する要素の変遷に注目した。そして、紀元前2千年紀の南中国沿岸における長江下流域の「不連続」に対する東南中国の「連続」という地域文化の変化にみる構図を明らかにした。同時期、琉球列島においても地域文化が変化することは重要であり、こうした文化の変化と地域間交流の関わりについての検討が今後の課題である。
15068211, 中世東アジアの交流・交易に関する新研究戦略の開発・検討, 今年度に実施した主な調査・研究は下記の通りである。;まず、本研究では中世遺跡の調査方法として、物理学的探査手法の採用を試みており、その一環として、この分野の研究者からの情報を得ることを目的とする日本文化財探査学会沖縄大会を共催した。また、この際に窯跡などの焼成遺構の調査に有効である磁気探査装置に関する情報を確認し、フラックスゲート磁力計の導入を図った。;次に、南九州の中世城郭・城館的遺跡の把握を目的として、鹿児島県肝属郡東串良町下伊倉城跡、および大島郡喜界島志戸桶七城遺跡の測量調査を行なった。下伊倉城跡では二重に巡らされた濠部分の測量、七城遺跡では遺跡の背後に構築された堀切と石列の測量を行なった。また、下伊倉城では地下レーダをはじめとする物理学的遺跡探査手法の導入に関する予備調査も行なった。;この他、中世の交易関係資料の調査として、カンボジアシュムリアップ州クナ・ポー窯跡群の試掘調査、沖縄県名護市内出上高麗瓦の資料調査、鹿児島県大島郡喜界島城久遺跡群出土資料の調査などを行なった。クナ・ポー窯跡群はアンコール時代の窯跡であり、カンボジアにおける窯業システムを把握し、東アジア地域の窯業遺跡と比較することを目的とする。名護市出土高麗瓦は朝鮮半島高麗時代の技術導入が図られたと考えられる窯跡の探索、城久遺跡群出土遺物は周辺地域から持ち込まれた陶磁器交易システムの解明を目的とする。;なお、これまでの調査成果について、一般の人々に周知化するための公開シンポジウム『古代・中世の境界領域-キカイガシマの位置付けをめぐって-』を奄美大島および喜界島で開催した。述べ600名以上の参加者があり、中世において日本の西南端とされるキカイガシマの比定と、ここを通して琉球列島へ及んだ社会的・文化的影響の歴史的評価について、考古学・歴史学など関連分野からの総合的検討を行なった。
14310188, 南島出土類須恵器の出自と分布に関する研究, 本研究については、当初の目的として、;(1)類須恵器の分布について地名表を作成し、最近の分布状況を確認する。;(2)類須恵器の製作技法について、関係が取り沙汰される日本の中世陶器や高麗製無釉陶器との比較検討を行なう;(3)徳之島カムィヤキ古窯跡群において陶器資料を表面採集し、その形態的特徴や製作技法などについて、支群ごとに検討を加えた上で、各支群間の関係について検証するとともに、カムィヤキ古窯跡群における類須恵器生産のあり方について、理解論を提示する;という3点を掲げた。;(1)については鹿児島県薩摩半島から、琉球列島全域にわたり、最南西である波照間島・与那国島までに及ぶ350遺跡からの出土を確認した。;(2)については、類須恵器製作技術の系譜に関わることから、中でも高麗製無釉陶器との比較研究を行なうため、韓国における同製品の確認と比較を進めた。しかし、現在の段階で直ちに琉球列島に分布する類須恵器あるいは徳之島伊仙町カムィヤキ古窯跡群との間で、何らかの関連性を求めた比較を行なうことはできなかった。;(3)については地磁気や電気を用いた物理学的探査技術の導入や胎土分析の採用など、新たな調査・研究手法の導入について実験的な調査を行なうとともに、各支群から資料を採集しその分析・検討を進めた。この結果カムィヤキ古窯跡群からの採集資料は製作技術や器種構成などの点から大きく二大別でき、窯跡群は大きく西側から東側へ移動した可能性を持つことを明らかにした。;今後はこの三年間の研究をひとつの足掛かりとして、次の研究次元へ進んで行きたい。
13610471, 琉球列島先史文化と環中国海地域の比較研究, 本研究は琉球列島の先史文化の位置付けを図るために、環中国海地域に展開する各地域文化との比較研究に取り組むことを目的とした。琉球列島の南には、大陸部に隣接し台湾島、海南島などの島嶼域が存在し、大陸部においても福建・広東を中心とする東南中国は、多数の島嶼を包括する沿海側と河川水系によって結ばれた内陸側に大別することができる。こうした沿海地域あるいは島嶼域に共通した考古学研究の課題をあげてみると、まず島嶼、沿海という生態系の中での文化適応の問題があり、さらに地域間交流の様相として、大陸部(内陸側)と島嶼間、沿海地域間の文化関係の比較が注目される。;そこで、本研究ではまず従来の琉球列島先史文化と周辺地域の比較に関する研究状況を整理した。そして東南中国の先史文化を比較研究の対象とし、まず東南中国の先史文化を4期(1〜IV期)に時期区分しながら、その変遷と地域間交流の様相を検討した。東南中国の先史文化は高温多湿な気候と沿海・島嶼域であるという自然環境に即しながらも長江流域との接触・融合が認められた。;研究の結果、IV期(紀元前2000年前後)に東南中国沿海側において文化の活発な動きを確認することができた。またIV期以降は、居住形態の多様化、海洋資源の利用については安定した採集社会の中での多様化が浮かびあがり、これらの点がまさに琉球列島先史文化との比較研究の接点になると考えた。そして、同時期における琉球列島先史文化の動向と比較することが問題となるが、同時期の沖縄では地域文化の個性化が進むと同時に日本本土の縄文起源ではない可能性のある文化要素がみられる点も重要であると考えた。
13410100, 琉球と日本本土の遷移地域としてのトカラ列島の歴史的位置づけをめぐる総合的研究, 歴史学分野では戦後のアメリカ統治期の約5年間に与那国島を南の拠点とし、口之島を北の拠点とする密貿易・密航ルートが先島諸島・沖縄諸島・奄美諸島・トカラ列島そして九州にまたがって形成されていたことから、トカラ列島の問題を前近代史に限るのではなく、現代史にも位置づけ直す必要がある点が確認された。;沖縄県立博物館所蔵の古図の分析を本格的に行ない、同図が15世紀中期に朝鮮で作成された琉球国之図に近似していること、原図作成者と見られる中世の九州海商がすでに九州・トカラ・奄美そして琉球に至るネットワークを形成し、彼らの活動舞台に関する詳細な情報を入手していたことなどが明らかとなった。この古図の分析結果は中世日本史の分野に対する十分な問題提起になりうると思う。;トカラ列島中之島を対象とする民俗学的調査では過疎化や住民の交替などにより古層を伝える伝承者がすでに存在せず、むしろ能動的な民俗変容こそ問題とすべき段階にあることが葬墓制の事例研究などから明らかとなった。言語学的にみてトカラ方言が九州方言と琉球方言をつなぐ重要な位置にあり琉球方言形成史解明のための手がかりを与える方言であることが確認された。;研究の最終作業として行なわれた2度にわたるワークショップでは、トカラ列島の位置づけをめぐって薩摩・九州からの視点と奄美・沖縄からの視点だけでなく、中国をふくめた環東シナ海における位置づけが重要であるなどの論点と今後の主要な課題が確認できた。
10410094, 玄界灘における海底遺跡の探査と確認調査, 日本における水中考古学の研究と探査・発掘調査の事例は非常に少なく,この分野の研究は遅れている。一方では,中国・朝鮮などの東アジア地域でも水中考古学による沈没船の発見および学術調査が行われるようになってきた。玄界灘には中世の交易船の沈没が想定されたので,この海域での遺跡や沈没船の探査を行い,その解明に努めた。まず,探査機器を使って沈没船の探査を行い,位置がわかると潜水調査を実施した。今回の研究を通じて,玄界灘における海底遺跡の状況を把握するとともに,水中考古学の調査・研究方法の確立を目ざした。また,中国や朝鮮における水中考古学の研究成果を分析・整理し,東アジアの中での玄界灘における海底遺跡の位置づけを行った。なお,古代・中世交流史や船舶工学史の立場からも,玄界灘海域における海底遺跡に対する評価を与えた。;なお,本研究計画の最終年度に当たる平成12年度においては,これまでに収集した調査資料の整理と分析を行った上で,報告書を作成した。;当研究が,日本における海底遺跡の探査方法で先例となることが期待され,水中考古学のさらなる発展に大いに貢献できた調査・研究であったと考える。
10044011, 環東中国海における二つの周辺文化に関する研究-沖縄と済州の'間地方'人類学の試み-, 環東中国海における二つの周辺文化、すなわち琉球文化と済州文化を同時的に捉えることによって導き出された研究成果は、予想どおりと言うべきか、両者を別個に扱ってきた従来の成果とはやはり異なるものである。;たとえば、社会組織分野では、済州における祖先祭祀の分割が、近代になって長男奉祀から変化した事例が多く、また現に変化しつつある事例もあることを明らかにした。と同時に、それとはまったく対照的な変化として祖先祭祀の統合とも名付けるべき現象が奄美で起きていることも報告した(日韓双方の学会で始めての報告)。祖先祭祀の分割も統合も近代になって起きており、そしてまた現に進行中であることを踏まえると、中央文化の残存とか伝統では捉えきれない。むしろ、周辺文化が周辺文化として独自に大きな社会変化ないし外的影響に対応した結果として、あるいは対応しつつある状況として把握することによって、個々の変化を同時に説明することが可能となるのである。;本プロジェクト・チームでは、日韓双方の研究分担者がお互いにカウンター・パートの協力を得て、相手側の異文化・異社会を現地研究することを重視し、研究成果報告書ではその調査の結果をまず提示した。インター・ローカルな研究視点に関して論議を尽くし、それを報告書に収める形にはなっていないが、地域開発の島嶼性、物質文化の日常雑器、地域史の漂流関係、民間信仰の死婚、考古学の島嶼域、口碑文学の場面など、各分野における比較の軸は明示されている。;二つの周辺文化の同時的な把握と比較考察、すなわち間地方人類学の重要性は認識できたが、十分な理論化を図る上で、もう少し事例を増やし、論議を重ねる時間の必要性も痛感している。つまり、可能ならば、あと2年程度の継続研究を願う次第である。
09410105, 戦争遺跡に対する考古学的調査及び研究方法の検討, 本研究は、考古学の立場から、太平洋戦争に関わる戦争遺跡、遺物の調査研究方法について検討を試みた。;まず、平成9年度は、沖縄県島尻郡南風原町を選び、太平洋戦争時における関係施設や戦闘過程に関する記録を収集した。また、沖縄陸軍病院南風原壕群第二外科壕群の確認調査及び同町津嘉山第32軍司令部壕群の地形測量を実施し、記録や聞き取り調査で把握できなかった状況が確認された。;平成10年度は、継続して南風原町において、津嘉山司令部壕群の測量調査を実施し、沖縄陸軍病院南風原壕群については、これまでの調査で出土した遺物の整理を行った、さらに、沖縄の戦争遺跡との比較を行うことを目的にし、山口県豊浦郡豊北町角島において、角島砲台に関わる施設の確認と、弾薬庫の内部実測を実施し、合わせて文献記録の収集を行った。;平成11年度は、過去2年間の収集資料の整理を行い、補足調査として沖縄陸軍病院南風原壕群の第一外科病院壕群における未調査地域で、壕の確認を目的に、測量調査を行った。さらに、3年間にわたる調査研究の成果報告書を作成した。;以上の調査研究の成果を踏まえて、戦争遺跡に対する考古学的調査及び研究方法について整理してみると、まずは戦争遺跡の分布(地名)資料を作成するために、地形の改変に際して、日常的な観察とともに、過去の体験者からの直接的な聞き取り、或いは文献資料の調査によって、その存在を予め割り出す作業が前提となる。その上で、本研究のように測量や現況実測調査を先行させる必要があり、その後で一部の試掘を行い、その範囲や内容を確認してから、本格的な調査へと進んでいくことが望まれる。
22H00025, 中世東アジア海域の地域社会と琉球帝国-集落・信仰・技術-, 中世の琉球は対外貿易によって栄えた華やかな一面が強調されてきた。しかしその一方で、北の奄美や南の宮古・八重山に侵攻して併呑した歴史はほとんど顧みられることがなかった。そうした周辺の島々には琉球侵攻以前には独自の文化をもった前史があり、それは遺跡や遺物を分析することで解明することが可能である。そこで、奄美・宮古・八重山の集落遺跡とその出土遺物を中心に分析を進め、征服された側からみた中世琉球史を描く。
22H00023, 海底出土複合遺物の保存・展示・活用に関する総合的研究, 元寇の終焉の地である鷹島海底遺跡から発見された木材と金属から構成される複合遺物を研究対象に、環境負荷の少ない安全な材料を用いた保存方法の開発を進める。トレハロースを用いて国際的に顕在化している海底出土遺物の保存における深刻な問題を解決できる。また、錆と泥で覆われた海底出土遺物の形状や構造を解明するために、X線CTによる三次元画像解析と3Dプリンタによるデジタル複製品を用いて市民に分かり易く展示する方法を探る。さらに、モンゴル軍(モンゴル・南宋・高麗)が使った武器の用途を研究するために、X線CTの三次元画像解析で得たデジタル情報を用いて、国際共同研究と実物検証を行いながら「元寇」の実像にせまる。