「皇統の代数確定と国学」, 齊藤智朗, 『國學院雑誌』, 121, 6, 1, 19, 2020年06月15日, 國學院大學
「「神道人」から見る近代神道史―官幣大社浅間神社宮司時代における高山昇の活動・事績を中心に―」, 齊藤智朗, 國學院大學研究開発推進センター編(責任編集・阪本是丸)『近代の神道と社会』, 367, 390, 2020年02月15日, 弘文堂
「近代における造化三神論の展開」, 齊藤智朗, 藤田大誠編『国家神道と国体論 ―宗教とナショナリズムの学際的研究―』, 75, 98, 2019年09月30日, 弘文堂
「近現代における大嘗祭の祭神と神社奉幣」, 齊藤智朗, 『神道宗教』, 254・255, 265, 288, 2019年07月25日, 神道宗教学会
「近代の即位礼と皇室制度」, 齊藤智朗, 『季刊 第二次 悠久』, 157, 49, 63, 2019年04月15日, 発行者:鶴岡八幡宮悠久事務局
発行所:(株)おうふう
「近代祭政一致国家成立の基盤形成と祭教分離」, 齊藤智朗, 『宗教研究』, 392, 55〔277〕, 80〔302〕, 2018年09月30日, 日本宗教学会, 日本の近代国家形成が有する諸外国とは異なった特色である祭政一致国家と神社非宗教を確立させた基本概念が、神社における「祭祀」と「宗教」の分離=祭教分離である。本論は、三次にわたり展開された祭教分離のうち、維新直後における祭政一致の理念のもとになされた神祇官の再興から廃止に至る過程と密接に関連する明治5年の祭祀行政と神社行政の分掌としての第一次祭教分離を中心に、近代祭政一致国家成立の基盤形成について考察するものである。
全体の構成としては、まず明治神祇官に関して、先行研究の成果をまとめつつ、その再興から廃止までを見直すことにより、その歴史的意義を再検証する。続いて第一次祭教分離の確立を中心に、近代祭政一致国家成立における基盤形成の過程を明らかにし、最後に祭教分離が近代の国家と神社の関係に与えた具体的な影響を挙げて、その歴史的な位置づけについて論及する。
「戦中期における皇典講究所祭祀審議会の活動」, 齊藤智朗, 國學院大學研究開発推進センター編(責任編集・阪本是丸)『昭和前期の神道と社会』, 437, 462, 2016年02月29日, 弘文堂
「青戸波江と皇典講究所・國學院大學」, 『神道宗教』, 第234号, 39, 58, 2014年04月25日, 神道宗教学会
「近代人文学の形成と皇典講究所・國學院―國學院の学術資産に見る伝統文化研究発信の現代的意義―」
, 文部科学省 私立大学学術研究高度化推進事業 オープン・リサーチ・センター整備事業 成果論集『モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践』, 39, 68, 2012年03月31日, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター, 藤田大誠
「高山昇と皇典講究所」, 『朱』, 第55号, 212, 230, 2011年12月23日, 伏見稲荷大社
「松野勇雄と皇典講究所・國學院大學」, 『大学史資料センター報告 大学史活動』, 第32集, 53, 85, 2010年12月31日, 明治大学史資料センター
「井上毅と明治典憲体制」, 『藝林』, 第59巻第1号〔通巻263号〕, 96, 123, 2010年04月10日, 藝林会
「國學院設立期の国学界 ―皇典講究所講師時代における三上参次の事績・活動を中心に―」, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第1号, 173, 184, 2009年03月31日, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター
「井上毅と明治国学」, 『國學院大學研究開発推進機構紀要』, 第1号, 93, 115, 2009年03月09日, 國學院大學研究開発推進機構
「国家神道研究史補説」, 『神道文化』, 第18号, 77, 86, 2006年12月01日, 神道文化会, 神社新報創刊六十周年記念出版として平成十八年七月八日に刊行された、葦津珍彦著・阪本是丸註『新版 国家神道とは何だったのか』(神社新報社刊)において、筆者は解題②となる「『国家神道とは何だったのか』と国家神道研究史」を執筆させて頂いたが、当解題では十分に説明し得なかった点や、まったく触れなかった事柄などがまだ数多く残されており、本稿ではその補足の一端として、『国家神道とは何だったのか』が発表された直後の反応や、近年の国家神道研究で議論の中心となっている問題点との関わりの二点について説明する。
「明治国学の継承をめぐって-池辺義象と明治国学史-」, 『國學院雑誌』, 第107巻第11号, 173, 191, 2006年11月01日, 國學院大學, 明治期の国学(明治国学)は、近代法整備のための古典調査といった官省内での活動とともに、古典の普及や近代諸学の確立などの学問上での活動を行った。また後進の育成にも力を注いで、明治国学の理念や業績を次世代に継承していった。本稿では、明治国学による後進育成のために設置された神宮教院本教館や東京大学文学部附属古典講習科で学び、草創期の國學院で教鞭を執って学界で活動した一方、官省内でも古典調査に従事した池辺義象の生涯にわたる諸活動から見出せる、明治国学から継承された事柄に関して考察する。
「帝国憲法成立期における祭教分離論」, 齊藤智朗, 阪本是丸編『国家神道再考-祭政一致国家の形成と展開-』, 223, 265, 2006年10月15日, 弘文堂, 明治日本の天皇親祭・親政を一元化した「近代的祭政一致」体制を確立する要件であった神社における祭祀と宗教との分離(祭教分離)に関して、憲法発布・議会開設に臨む明治十七年から二十三年における神道人や仏教者、内務省が抱いた神祇官衙設置の諸構想から、その基礎にある神社・神道観などは異なるものの、神道と仏教との管轄を区別し、特に神宮と官国幣社を宮内省に移管することで祭教分離を確立すべきとの意見が共通してあったことを指摘するとともに、こうした宮内省下での神社管轄構想が現実化せずに祭教分離が不徹底のままとなったことの背景について検証する。
「明治二十三年における出雲大社昇格運動-神代名臣以下五十七名「出雲大社ノ社格ヲ進メラレ度請願」の解説と翻刻-」, 『大社町史研究紀要』, 第5輯, 130, 143, 2004年03月01日, 大社町教育委員会, 國學院大學図書館所蔵「梧陰文庫」に収められている、明治23年4月29日付の神代名臣外57名による「出雲大社ノ社格ヲ進メラレ度請願」は、大国主神の神徳に基づいて出雲大社の待遇向上を訴えたものであるが、そこでは明治の神社行政における熱田神宮への政策との対比からも述べられている。これは、当時までの神社行政において、出雲大社と熱田神宮とに権宮司増置などの特別の処置がなされてきたことが背景にあり、こうした内容から、出雲大社の昇格運動が、熱田神宮の待遇向上政策と連動していたことを窺い知ることができる。
「井上毅の『仏訳四書』序文和訳-西洋における中国思想研究史料の紹介・分析-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第93輯, 133, 151, 2004年03月01日, 國學院大學日本文化研究所, 國學院大學図書館所蔵「梧陰文庫」には、井上毅が『大学』、『論語』、『孟子』、『中庸』の「四書」仏訳本の序文を和訳した史料や、西洋人による中国思想に関する研究の和訳史料が数点収められている。これら諸史料から、井上が中国の思想や文化のうちの、特に儒教を、西洋人がいかに捉えているかを知ろうとしたことが窺える。また、井上は「孝」や「五倫」などを、ギリシャ哲学などの西洋思想との共通性から、洋の東西に通ずる普遍的な概念であることを主張しているが、これら西洋における中国思想研究の史料でも、儒教と西洋思想との異同や共通性が述べられており、井上の東洋の伝統的観念に対する捉え方に影響を及ぼしたものと見ることができる。
「明治二十年代初頭における国学の諸相-池辺義象の著作を中心に-」, 『國學院雑誌』, 第104巻第11号, 282, 295, 2003年11月01日, 國學院大學, 東京大学古典講習科は、明治15年5月に和漢の古典・歴史・文章などの知識を授けて、次代の人材育成を目的に設置された学科で、その主眼精神は国学を現実政治や社会の場において運用することにあった。その卒業生の一人である池辺義象は、明治20年代初頭に「国学改良論」を著して、国学を近代的な学問である「古典学」として再生すべきことを訴えるとともに、日本の古典や伝統的な法制度の普及に努めて、『日本文学全書』や『日本制度通』、『日本古代法典』を、同じ古典講習科の同窓生らと編纂・刊行した。また、当時の条約改正問題を歴史的な観点から考察した『外交』を編み、国学の現実社会での実践を心掛けたのである。
「井上毅の「国際法ト耶蘇教トノ関係」-非西洋・非キリスト教国日本の「文明国」化への模索-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第90輯, 79, 114, 2002年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 井上毅は明治24年に「国際法ト耶蘇教トノ関係」と題する論稿を発表している。内容は、日本を含めた非西洋・非キリスト教国が国際法の適用外に置かれている当時の状況に対して、日本が条約改正を成し国際法の適用を受けるためには最早宗教の異同によるのではなく、偏に「文明ノ程度」によるというものである。この論の背景には、西洋の歴史や国際法学を参考に、国際法を遵行する当の西洋において、国際法とキリスト教との分離が現実のものになってきているとの井上の認識があり、特に国際関係の機軸に「文明ノ程度」を据えることにより、井上は西洋諸国とのキリスト教をめぐる問題を解消したのである。
「井上毅と『図書寮記録』の編纂・刊行」, 『國學院雑誌』, 第102巻第3号, 14, 24, 2001年03月01日, 國學院大學, 井上毅は、宮内省図書頭であった明治20年に、古典・律令における天皇・皇室の制度典礼の沿革を歴叙した『図書寮記録』を編纂・刊行している。この『図書寮記録』は、小中村清矩や矢野玄道といった国学者をはじめ、小野正弘、村岡良弼など井上と個人的な親交をもつ寮外の人物たちもあつめて編纂されたものであり、また井上の図書頭辞任とともにその編纂作業が中断されたことから、『図書寮記録』は井上毅の主導下にあったと言うことができる。また『図書寮記録』は、憲法・典範起草作業の参考書として主に活用されたことが窺え、憲法・典範起草への国学者の影響や、憲法・典範における伝統法と西欧法との融合を考える上でも重要な文献であると考えられる。
「明治一七年神仏教導職廃止と井上毅-神道・国学政策構想を中心に-」, 『國學院大學大学院紀要-文学研究科-』, 第31輯, 99, 118, 2000年03月01日, 國學院大學大学院文学研究科, 明治17年の神仏教導職廃止に際して、井上毅は「教導職廃止意見案」・「山県参議宗教処分意見」を作成し、自らの神道・国学政策構想を展開している。そこで井上は、神道を「非宗教」である天皇・皇室の祭祀と捉えて、明治の理念である祭政一致・神武創業から天皇親祭を主張するとともに、国学に対しても、その宗教性を否定した上で、国民すべてが共有すべき「皇典・国法の学」として、「国民愛国ノ情素」を養うべき政策を提言している。このような構想から、井上が天皇と結び付いた神道・国学の「非宗教化」を、ひいては天皇を基軸とする日本の近代化を「世俗的」に徹底することを志向していたことが指摘できる。
『日本神道史〈増補新版〉』, 齊藤智朗, 吉川弘文館, 2021年05月10日
『梧陰文庫総目録』, 國學院大學日本文化研究所編、東京大学出版会刊, 2005年03月15日, 明治日本の政治家・官僚であり、帝国憲法・皇室典範・教育勅語の中心的起草者である井上毅の旧蔵文書・図書を収めた國學院大學図書館所蔵「梧陰文庫」全体の目録であり、國學院大學創立百二十周年記念事業である。収載点数は文書六六〇三点・図書八七二点の全七四七五点で、文書では罫紙の種類や大きさ、図書では寸法や刊記を盛り込み、またこれまで『井上毅伝 史料篇』等に翻刻・影印されている史料については、その該当箇所を明記するなど、書誌情報を豊富に掲載した。(B5判、口絵8p・目次+本文773p、29400円〈税込〉)
『井上毅と梧陰文庫』, 國學院大學日本文化研究所編、汲古書院刊, 2006年02月20日, 本書は、井上毅及び彼の遺文書である「梧陰文庫」(國學院大學図書館所蔵)に関する3本の講演会記録と4回の座談会記録、及び19本の研究余滴をもって構成される。これらのうち筆者は研究余滴中の上記4本の執筆を担当し、主に井上の人的交流に焦点を当てた論稿を発表した。
『井上毅と宗教-明治国家形成と世俗主義-』, 弘文堂, 2006年04月30日, 「明治国家のグランドデザイナー」と称される井上毅の神道・宗教観と諸政策構想に焦点を当て、明治国家形成における井上の「世俗国家」化を図る姿勢を「世俗主義」と呼び、その全体像を検証する。具体的には、神社・宗教政策や憲法・典範など近代法体系の整備、国際法をめぐる外交史、教育制度など、明治政治・法制史を対象に井上の世俗主義の諸相を提示する。また井上の世俗主義における「伝統」と「西洋」との関係にも考察を加えて、「伝統」と「西洋」との非整合や矛盾から、井上の世俗主義が孕んだ本質的問題やその限界点も指摘する。
『生田神社史』, 国書刊行会, 2007年04月15日, 神功皇后による三韓征伐凱旋のみぎり、稚日女尊を祭神に、活田(生田)長狭国の地に鎮祭されたのを創祀とする生田神社は、平成13年の鎮座千八百年記念事業の一つとして、原始より現代までの社史の編纂事業に着手し、平成19年の例祭日に上梓した(国書刊行会刊、全803頁)。そのうち筆者は明治から昭和前期までを扱った「第五章 近代」(463―570頁)を担当した。
近代における生田神社は、明治維新以降の神社の国家管理化や、鎮座地である神戸の開港による都市化・国際化の影響など、神社を取り巻く環境が大きく変化したものの、そうした変化にも積極的に対応し、かつ氏子・崇敬者との繋がりも重視し続けて、昭和前期には氏子数が全国第一の多数に及ぶと称されるほどの神社へと発展していった。本章は、このような明治・大正・昭和前期における生田神社のあり様を、時代ごとに祭祀・奉幣奉納・社地社領・神職などの項目別に説明したものである。
『大社町史 中巻』, 出雲市, 2008年09月30日, 大社町では、出雲市との合併以前より「大社町史」編纂事業が取り組まれ、その総仕上げとして平成20年に近世から現代までを取り上げた『大社町史・中巻』が発刊された。このうち、第五章第六節「近代の出雲大社と大社地域の諸宗教」の一~五項、および第六章第五節「現代の出雲大社・日御碕神社と町並み」の一項「神道指令と神社の改編」を担当し、主に近現代の神社政策・制度と対応させつつ、出雲大社・日御碕神社を中心に大社地域の神社のあり様を説明する。
『井上毅傳 史料篇 補遺第二』, 國學院大學, 2008年03月31日
『國學院大學図書館所蔵 佐佐木高行家旧蔵書目録』, 汲古書院, 2008年03月21日
『日本神道史』, 吉川弘文館, 2010年07月10日
『事典 神社の歴史と祭り』, 吉川弘文館, 2013年04月10日
「『開知新聞』解説」, 不二出版, 2015年01月30日, 第1巻
「井上毅稿「存議」-「梧陰文庫」史料の紹介(一)-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第96輯, 國學院大學日本文化研究所, 2005年09月01日, 211, 247, 國學院大學図書館所蔵「梧陰文庫」に収められている、井上毅が著した「存議」と題する二冊子を構成する諸史料(計20点)を掲載順に紹介・解題を付して、そのうち『井上毅伝 史料篇』等に未収の史料を翻刻する。翻刻する史料は「漢字・国文」、「明治七年意見」、「新聞条例意見」、「訓蒙力食社ヲ設クルノ議」、「日本帝国在不幸位地説送松方君洋行」、「銀減之害」、「十一年与松田内務大書記官論貨政書」の7点である。
「井上毅稿「憲法第十八条十九条衍義 憲法衍義之二」-「梧陰文庫」史料の紹介(二)-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第97輯, 國學院大學日本文化研究所, 2006年03月01日, 303, 324, 明治22年の大隈重信外相による条約改正案中の外国人の裁判官任用を批判した、井上毅が発表した『内外臣民公私権考』は、続編が出される予定であったものの結局公刊されることはなく、そのためこれまで不明とされてきたが、國學院大學図書館所蔵「梧陰文庫」中の「憲法第十八条十九条衍義」がその続編に該当することが確認できたため、序文と合わせて翻刻・紹介するとともに、その執筆年代や本史料が未公表で終った理由を考察する。
「勅語衍義」(井上毅修正本)―「梧陰文庫」史料の紹介(三)―, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第99輯, 國學院大學日本文化研究所, 2007年03月31日, 195, 233, 教育勅語の起草者・井上毅の旧蔵文書である國學院大學図書館所蔵「梧陰文庫」には、井上の自筆による修正が施されている、未発表の「勅語衍義」が収められている。本史料は、唯一の公定的性格を有した教育勅語の衍義書である明治24年の井上哲次郎『勅語衍義』に対して、井上毅が不服とし、教育勅語の起草者として自らがその衍義も起草しなければならないとの思いから作成されたものである。本稿は、この井上による「勅語衍義」修正本を翻刻するとともに、本史料が成立した過程や背景について検証した解題を付したものである。
「井上毅における伝統と近代―「シラス」論を中心に―」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第46号, 明治聖徳記念学会, 2009年11月03日, 333, 348
「井上毅と近代皇室制度の形成」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第54号, 明治聖徳記念学会, 2017年11月03日, 210, 222