「えご」の食味はどのように表現できるか?-官能評価と物性評価の記録-, 大楽和正,阿部元春,大菅元晴,鷲山厚,村上茂,松崎千秋,海老名秀,諸橋敬子,松原祐樹, 新潟県立歴史博物館研究紀要, 85, 107, 2023年03月25日, 新潟県立歴史博物館
「えご」をめぐる調査研究と実践-2020-2021 年の活動記録, 大楽和正, 新潟県立歴史博物館研究紀要, 23, 51, 70, 2022年03月25日, 新潟県立歴史博物館, 海藻食「えご」をめぐる様々な活動に博物館学芸員が積極的に介入し、それにかかわる多様な人びととの協働を通して、地域文化の持続や活性化を目指した2020年1月から2021年12月までの2年間の調査研究と実践について記した。保存会の最大のイベントである4年に1度のえごの祭典「えごリンピック2021」の準備から開催までの状況や、新作郷土菓子「えごおきな」の開発、文化庁の「100年フード」の認定申請に向けての動きなど、えご食文化を取り巻く現状と展望を整理した。
盆供のエゴノリとテングサ, 大楽和正, 高志路, 421, 25, 45, 2021年08月17日, 新潟県民俗学会, 盆供のエゴノリとテングサ、さらにはこれを円形に流し固めて供える「鏡えご」「鏡てん」と呼ばれる風習に関する民俗事例を集成し、その分布図を作成して分布状況を視覚的に明らかにした。分布図を読み解く方法として、各海藻食の有無や喫食率、宗派、商業活動など、いくつかの地図を重ね合わせることにより、その分布が生まれるに至った背景や理由について考察を加えた。
鏡えごと鏡てん-盆行事にみる海藻食-, 大楽和正, 新潟県立歴史博物館研究紀要, 22, 1, 35, 2021年03月25日, 新潟県立歴史博物館, 柳田国男によって正月の鏡餅との類似性が初めて指摘され、その後は議論の俎上に上がることのなかった「鏡えご」と「鏡てん」を対象とした研究である。従来の「カガミ」という語彙中心の理解に加え、新たにその形状や供える容器、場所等に着目し、新潟県内の実態を明らかにした。さらに後半では、その製造と販売の現場を対象とし、定期市やスーパーでの販売や、地域の緩やかなつながりの中で行われる分与など、この習俗が現在に続いている背景について指摘した。
「えご」をめぐる調査研究と実践-2019 年の活動記録, 大楽和正, 新潟県立歴史博物館研究紀要, 21, 75, 92, 2020年03月25日, 新潟県立歴史博物館, 海藻食「えご」をめぐる様々な活動に博物館学芸員が積極的に介入し、それにかかわる多様な人びととの協働を通して、地域文化の持続や活性化を目指した2019年の調査研究と実践について記した。調査成果の抄報として、寒天産業を背景にして、えご草が長野県茅野市を経由して全国に出荷されている現状などに触れた。また、調査成果を保存会活動に還元し、会員同士の緊密な情報交換と、会の活動を発展させるための実践例を提示した。
「えご」をめぐる調査研究と実践-2018年の活動記録, 大楽和正, 新潟県立歴史博物館研究紀要, 20, 109, 124, 2019年03月25日, 新潟県立歴史博物館, 海藻食「えご」をめぐる様々な活動に博物館学芸員が積極的に介入し、それにかかわる多様な人びととの協働を通して、地域文化の持続や活性化を目指した2018年の調査研究と実践について記した。伝承者の民俗知識による海藻の分類体系について、生態学的な種の分類・同定結果と照らし合わせ、その関係性について考察した。新しい人と人とのつながりの中で、「えご」をめぐる探求が続けられており、博物館での集い、そこでの深い学習が、新たな知の生産へとつながっている状況をまとめた。
菅江真澄が見た異形の神々, 大楽和正, 真澄研究, 19, 31, 48, 2015年03月26日, 秋田県立博物館菅江真澄資料センター, 菅江真澄が「夜目遠目には百鬼夜行も見驚きぬべし」と記したように、東北地方の村境には異様な姿の藁人形が立つ。真澄の観察姿勢や、地誌での描写法に注目し、これらの信仰に対する真澄の捉え方を把握した。真澄の記録と現状を比べると、真澄が記したほぼ当時のままの姿をとどめるものや、反対に大きく変貌したもの、さらには消滅したものもある。真澄が記した「牛頭天王」という神名は、現在秋田県内で確認できないが、この信仰の背景を探る上で大きな手がかりとなることを指摘した。
森林資源をめぐる共有と分配, 大楽和正, 信濃, 67, 1, 19, 38, 2015年01月20日, 信濃史学会, 新潟県魚沼市干溝の割山制度は、利用する土地を平等に分配するしくみであっても、割山によって割当てられた土地の使い方は個々の利用者に委ねられ、各自が自家の生活に応じて森林利用のあり方を主体的にデザインしていくことができ、平等性とともに個性をもたらすものであった。割山制度は、自然資源の持続的利用や、村落の社会秩序の維持に寄与しただけでなく、人が自然と深くかかわり、いわば自然環境の中に人為的な個性を生みだすシステムとして機能したことを記した。
棚田のくらしを支えたもの, 大楽和正, 日本の原風景・棚田, 14, 14, 22, 2013年07月31日, 棚田学会, 十日町市星峠を調査地として、豪雪地帯における棚田が現在まで維持されてきた特質について論じた。星峠では急速な兼業化が進む中で、やきいも屋などの出稼ぎで得た収入のほとんどを圃場整備や農業の機械化に費やし、農業所得を主とする第一種兼業農家であり続けることで棚田を守ってきた。言い換えれば、星峠地区における兼業化とは、他産業労働への依存度を強めながら脱農へ向かうものではなく、出稼ぎ労働との兼業により経営規模を拡大させながら、農家として生き残るための方策であったことを指摘した。
町境をめぐる屋台運行, 大楽和正, 花輪祭り;鹿角市文化財調査資料, 105, 176, 195, 2013年03月27日, 鹿角市教育委員会, 花輪祭典では、屋台が他町を通過する際のチョウザカイ(町境)や巡行の区切りにおいて、サンサなど特色ある儀礼がみられる。町境における人や屋台の動きを配置図に示しながら分析したほか、町境を担う外交組織や、町境の変遷について調査成果をまとめた。厳かな雰囲気の町境は、撥合わせによる衝突で、その空気を一変させる。町境はこうした静と動の織りなす空間であり、それが祭りを動かす大きな原動力となっていることを論じた。
東日本大震災文化財・歴史資料保全と新潟市歴史博物館・新潟県立歴史博物館の物資支援体制, 大楽和正,森行人, 災害・復興と資料, 1, 16, 24, 2012年03月15日, 新潟大学災害・復興科学研究所危機管理・災害復興分野, 新潟県立歴史博物館と新潟市歴史博物館が共同で実施した東日本大震災の文化財救出と保全活動への物資支援体制についての報告。両館で実施可能な支援を具体的にリストにして書き出し、それをWEBサイト及びメーリングリストで情報発信し、リストに基づく要請があれば即応できる実践例を示した。
魚沼市の道祖神信仰にみられる性表現, 大楽和正, 石仏フォーラム, 9, 1, 9, 2010年06月15日, 新潟県石仏の会, 道祖神信仰には、路傍に石造の双体道祖神碑をまつるほか、小正月の火祭りにおいて藁や木、あるいは雪を用いて男女の神像を製作する行事がある。本稿では魚沼市のサイノカミ行事における藁人形や雪像の神像の実態を把握し、男根や女陰のみを模った造形表現が多くみられることを指摘した。またこれら神像とともに、石造物としての道祖神碑と、道祖神呼称をもつ地名などとの関係性に触れ、道祖神信仰が重層的に展開していることを述べた。
魚沼地方のカンゴロウ鍬, 大楽和正, 新潟県立歴史博物館研究紀要, 11, 59, 70, 2010年03月29日, 新潟県立歴史博物館, 昭和初期から新潟県魚沼地方に普及したカンゴロウ鍬と呼ばれる三本鍬を対象として、鍬の改良による技術と労働形態の変化について検討した。鍬の登場によって、稲株を反転させる鍬の入れ方に変わり、作業の進行方向も縦から横へと変化した。また、個々の技術や方法の変化にとどまらず、ユイから自家へという労働規模の縮小や、女性でも田打ちの仕事をできるようになるなどの新たな労働力の獲得というように、ムラ全体の労働形態へも大きな影響を及ぼしたことを論じた。
藁人形祭祀と近代, 大楽和正, 道祖神研究, 3, 59, 70, 2009年04月30日, 道祖神研究会, 災厄防除を目的として村境に祀られた大きな藁人形が、路傍から排除され、場所や姿を変えて安置されている状況について検討した。近代の風俗統制や宗教者の影響等によって移転を余儀なくされたことや、燃やされた状況を聞き取りや観察から明らかにした。排除という風俗統制の様相を帯びつつも、藁人形の頭部に仮面が取り付けられていたことで、それが大きな足掛かりとなって行事が復活し、現在までその信仰を維持させることにつながったことを指摘した。
秋田における魚食文化-二つの発酵ずしを中心に, 大楽和正, 秋田の食の民俗文化, 31, 38, 2006年09月15日, 秋田民俗懇話会, 秋田県におけるハタハタの食文化や、内陸部の魚食文化を概観した上で、現在も一般に食される「ハタハタずし」のほか、「ハタハタのまま漬け」という調理法に注目して比較検討を行った。この2つの発酵ずしは、糀や酢、他の具材の有無や漬け方が異なる。また、「ハタハタのまま漬け」は内陸部のみに見られる調理法であり、貝焼にして冬の日常食として食された。内陸部と沿岸部では魚食利用のあり方に地域差があり、その保存と発酵をめぐって内陸部では独自の展開をみせた。
杉並の年中行事調査ノート, 大楽和正, 杉並区立郷土博物館研究紀要, 15, 20, 31, 2007年03月, 杉並区立郷土博物館, 杉並区内在住の3名の伝承者への年中行事に関する聞き取り調査報告。八成地区での2月の初午行事では、神社に地口行灯を立て、オビシャと呼ばれる直会を行う。善福寺地区では、アボヘボ(粟穂稗穂)と呼ばれる削りかけの小正月飾りを作り、七夕にはチガヤで2頭のタナバタウマを作るなど、一連の行事を参与観察しながら行事の様子を記録した。本報告と杉並区内の日記史料である『農業日記帳』(明治35~36年)を比較し、年中行事の持続と衰退について考察を加えた。
角館町の仁王様, 大楽和正, 秋田民俗, 31, 63, 73, 2005年06月30日, 秋田県民俗学会, 秋田県仙北市角館町における「ニオウサマ(仁王様)」と呼ばれる藁人形や仮面、石塔の実態を明らかにし、その呼称や形態、祭祀内容について考察を加えた。町東部に仮面、町西部に石塔が分布し、祭祀内容においても念仏の有無で地域差が認められる。石塔が立つ場所を「オニョータテバ」と呼ぶ地域もあり、かつてはその場所で藁人形を製作していたことが示唆される。この祭祀をめぐる場所と行為、モニュメントとの関係性を読み解く必要性を示した。
仙北地方の仁王・鐘馗信仰, 大楽和正, 民具マンスリー, 38, 3, 1, 14, 2005年06月10日, 神奈川大学日本常民文化研究所, 秋田県仙北地方の村境などに立つ「ニオウサマ(仁王様)」や「ショウキサマ(鐘馗様)」と呼ばれる祭祀物について、約120地点で現地調査を行い、呼称と形態を一覧と分布図に整理した。仁王面と鐘馗面の像容については、呼称との整合性をもちながら分布する。また、仮面は平野部、石塔は丘陵部に分布するなどの特徴が挙げられる。その祭祀においても、春秋2回の行事を基本とし、念仏やゴク供養と呼ばれる収穫儀礼、平癒祈願など諸儀礼が重層的に行われていることを論じた。
年齢階梯制の研究-奈良県野迫川村北股の場合, 大楽和正, 伝承文化研究, 3, 20, 31, 2004年03月20日, 國學院大學伝承文化学会, 「年齢階梯制」の理論に、「年齢階梯の原理」、「年齢階梯のシステム化」、「村落社会における意味」という3つの指標を設けて分析を試みた。奈良県野迫川村北股では、ヨナコドモ、ワカシュウ、オリシュウという三段階区分の年齢階梯の原理があり、各世代層の狭間にはゴニンや神主といったトウヤ的諸役が「年齢階梯制のシステム化」の上で重要な役割を果たしている。そのシステム化には、共有林をめぐる平等原理が「村落社会における意味」を与えていることを明らかにした。
海藻食「えご」と「いご」, 大楽和正, 國學院雑誌, 125, 5, 2024年05月15日, 國學院大學
海藻食「えご」食文化を守る・つなぐ・広める―博物館学芸員と越後えご保存会の取り組み―, 大楽和正, 日本民俗学, 312, 290, 294, 2022年11月30日, 一般社団法人日本民俗学会
鳥取のエゴノリ採取具, 大楽和正, 民具マンスリー, 38, 3, 21, 24, 2020年11月10日, 神奈川大学日本常民文化研究所, 鳥取県で調査した、海藻のエゴノリを採取する竹製漁具について所見を述べた。採取具に用いる竹の種類はハチクで、各節から枝が2本出ている。ハチクのもつ特性を活かして考案された漁具で、束ねた竹の中には重石として石が詰められている。これを船の左右に取り付け、海底を引きずるようにして船はゆっくりと進む。すると、竹の節と枝の鉤状部分にエゴノリが引っかかり、これを引き上げて採る。他に類例のないエゴノリ採取具であり、他の海藻採取具と比較し考察を加えた。
新潟県における盆の砂盛り, 大楽和正, 民俗, 252, 5, 11, 2020年05月, 相模民俗学会, 新潟県長岡市和島地域に見られる、門口に砂を盛り、そこに盆花を立てる盆の習俗について調査報告した。盆の砂盛りの習俗は神奈川県に濃密に分布し、従来の研究では新潟県内の報告例がなかった。新潟県内での分布域を確認するとともに、砂盛りの形態と素材及びその変化のあり方、精霊迎えとの関係などを整理し、先祖を迎えるための屋外に設ける臨時の祭壇であると位置づけた。砂盛りの場における蝋燭の火は、火そのものが精霊の存在を示す象徴として機能することを指摘した。
堆肥と肥穴, 大楽和正, 高志路, 417, 42, 46, 2020年08月17日, 新潟県民俗学会, 鈴木牧之は『北越雪譜』の中で、「かの糞のそりを引てこゝに来り、雪のほかに一点の目標もなきに雪を掘こと井を掘が如くにして糞を入る」と記している。水田に堆肥を入れるための雪穴(肥穴)の掘り方、コイニョウの積みあげ方、残雪のなか橇を曳いて堆肥を運ぶ「肥曳き」の方法、田打ち前のコエチラカシ(肥散らかし)など、豪雪地特有の米づくりについて魚沼市大倉地区の事例を調査報告した。
かて飯-ウツギの利用を中心に-, 大楽和正, 高志路, 416, 40, 43, 2020年08月17日, 新潟県民俗学会, 昭和30年代の新潟県内の「かて飯」の状況を雑穀や野菜等の種類別に整理した。東蒲原から南蒲原、魚沼、東頸城にかけての山間部では、タニウツギの葉をかて飯に利用した。ウツギはカジバナ(火事花)とも称され、ウツギを家の中に入れると火事になると伝える地域は多い。また、排泄の際に尻を拭う葉っぱとしてウツギが利用された。ウツギは忌み嫌われる植物でありながらも、ときに人間の尻を拭い、米の不足を補う食糧として大きな役割を果たしてきたことを指摘した。
友の会同士がつながる-新潟県内博物館等友の会連絡会の活動から, 田中洋史,大楽和正,山本哲也, 博物館研究, 53, 2, 19, 21, 2018年02月25日, 日本博物館協会
講座日本民俗学5 生産と消費, 小川直之編, 朝倉書店, 2023年11月01日
山・鉾・屋台の祭り研究事典, 植木行宣監修,福原敏男・西岡陽子・橋本章・村上忠喜編, 思文閣出版, 2021年04月07日
大学的新潟ガイド, 新潟大学人文学部附置地域文化連携センター編, 昭和堂, 2021年03月30日
日本の食文化-麦・雑穀と芋, 小川直之編, 吉川弘文館, 2019年08月20日, 大豆を含むマメ類の煮えにくさという特性が、より食べやすくするための加工や、料理における高度な技術の発達につながったとされる。その典型とされるのが納豆と豆腐であり、日本における食文化の特色を論じた。納豆については、正月行事において重要な意味をもち、暮れの25日の納豆作り、大晦日の年神への供物・神人共食、小正月の苞の処理や、二十日正月までに納豆を食べ終えるという一連の流れに整理され、鏡餅や注連縄などと同様に正月行事を構成する主要な儀礼食として位置付けた。
信越国境の歴史像-「間」と「境」の地方史, 地方史研究協議会編, 雄山閣, 2017年10月24日, 信越国境域に広がるえご食文化に注目し、その流通と食利用の諸相を明らかにした。北信地域へのえご草の流通においては、関田山脈の峠道が重要な役割を果たしており、行商の時代が終焉を迎えた後も、峠を越えて自ら海に向かうほど、えごに対する執着心と強いこだわりを見せている。物資や人が行き交う大動脈として信越国境を結んだ北国街道と千国街道であるが、えご草の流通とその食文化といった意味では異なった様相を呈しており、信越国境域の歴史的展開を考えるうえで重要な多くの課題が内包されていることを指摘した。
村上まつりのしゃぎり行事総合調査報告書, 村上市教育委員会編, 村上市教育委員会, 2016年03月, 村上まつりの法被は、山道・鱗形・輪違繫・筋交いなどの江戸時代の火消組の印に由来する図柄を多く取り入れていることが大きな特徴である。消防用の法被が役目を終えた今日においても、火消組の意匠はその組に属しているという誇りや絆となって現在の祭りの中で受け継がれている。囃子等を担う子どもが着用する乗り子の衣装は、しゃぎり屋台・お囃子屋台・仁輪加屋台のそれぞれで異なる囃子が演奏されるように、屋台形式によって衣装に相違があることも特色であると指摘した。
リレー講演会「災害史に学ぶ」記録誌, 長岡市立中央図書館文書資料室編, 長岡市立中央図書館文書資料室, 2015年03月31日, 地震や水害、疫病、害虫など、災厄防除のために祀られた石仏や民俗行事等を概観し、人びとの災厄への怖れと祈りの姿を報告した。長岡市栃尾地域にはオタチクサマと呼ばれる疫病神を安置した厨子を、順番に次の家へ送る風習がある。災いを疫病神の仕業と考え、その神を自分の家に迎えて祀り、次の家へと送ることで災いを回避する。災いは人びとの生活空間から完全に排除されるものではなく、人・神・自然の関係からその意味を問い直した。
暮らしに息づく伝承文化 芸術教養シリーズ23 伝統を読み直す2, 小川直之・服部比呂美・野村朋弘編, 京都造形芸術大学・東北芸術工科大学出版局藝術学舎, 2014年12月17日, 「盆」では、日本各地の盆行事を概観し、その特質を整理した。「葬送儀礼」では、魂呼びの儀礼がある一方で、死を穢れとみなし遠ざけようとする儀礼があることを述べた。具体的には新潟県東蒲原郡におけるカンムリと呼ばれる布や、被衣などの喪服を取り上げた。「御霊信仰」については、祇園祭のほか、東北地方の疫神鎮送の祭祀や、虫送りと御霊について内容をまとめた。
GPS・GISを活用した自然資源の伝統的管理システムと資源利用に関する基礎的研究, 大楽和正編, 新潟県立歴史博物館, 2012年03月, 新潟県魚沼市干溝地区を対象として、割山制度をめぐる自然資源の伝統的管理システムと資源の利用体系を明らかにし、地域社会における持続的な資源利用モデルを提示した。資料編に収録した割山にかかる区有文書の分析により、近代から現在に至るまで割山制度がどのように構築され、維持されてきたのかについて歴史的に明らかにした。聞き取り調査とGPS・GISを活用した土地利用調査、さらに文書調査を組み合わせた共同研究の成果である。
葛飾区の民俗Ⅴ 田んぼのある暮らし, 葛飾区郷土と天文の博物館編, 葛飾区郷土と天文の博物館, 2005年03月25日, かつては純然たる農村地帯であった東京都葛飾区周辺の稲作儀礼の具体相を示し、その特徴を明らかにした。正月儀礼(予祝儀礼)の二十日コガシを含め、稲作の開始に先立つ播種儀礼においては水口にカマダンと呼ばれるカマド状の土壇を設けることが特別な意味をもっている。田植儀礼や収穫儀礼も同様に、カマドあるいは荒神が各儀礼のなかで重要視されており、農耕神的性格を強く帯びていることを指摘した。