国学者としての宍野半, 武田幸也, 國學院大學研究開発推進センター研究紀要 18, 2024年03月, 國學院大學
近代の神宮大麻理解, 武田幸也, 神社本庁総合研究所紀要 (28), 2023年06月, 神社本庁総合研究所
近代における氏子及び氏子総代制度の基礎的研究, 武田幸也, 神社本庁総合研究所紀要 (27), 2022年06月, 神社本庁総合研究所
神職とは何かー近代の資格制度から考えるー, 武田幸也, 神社本庁総合研究所紀要, 26, 1, 37, 2021年06月
明治国学と『日本書紀』研究 (特集 『日本書紀』研究の歩み), 武田 幸也, 神道宗教 = Journal of Shintō studies, 259, 121, 154, 2020年10月, 神道宗教学会
神職とは何かー近代の資格制度から考えるー, 武田幸也, 神社本庁総合研究所紀要, 26, 1, 36, 2021年06月30日, 神社本庁総合研究所
明治国学と『日本書紀』研究, 武田幸也, 神道宗教, 2020年10月25日, 神道宗教学会
近代の大嘗祭論と天皇像, 武田幸也, 國學院大學研究開発推進センター編 阪本是丸責任編集『近代の神道と社会』, 2020年02月15日, 弘文堂
明治期の『古事記』研究と神宮教化, 『古事記学』, 第3号, 187, 215, 2017年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター
神宮教・神宮奉斎会における神風講社―伊勢講の近代的再編―, 「講」研究の可能性Ⅲ, 344, 381, 2016年10月06日, 慶友社
神宮教・神宮奉斎会における神道教説, 國學院大學研究開発推進センター研究紀要, 10, 71, 114, 2016年03月10日, 國學院大學研究開発推進センター
今泉定助の思想と皇道発揚運動, 昭和前期の神道と社会, 107, 130, 2016年02月29日, 弘文堂
神宮奉斎会から神社本庁へ, 神社本庁総合研究所紀要, 第20号, 1, 43, 2015年06月30日, 神社本庁総合研究所, 神社本庁設立の母体となった戦前の神祇関係三団体の内、神宮奉斎会の歴史的展開を踏まえつつ、戦後の神社界に神宮奉斎会がどのように関わっていったのかを検討したもの。
祭神論争における「伊勢」と「出雲」, 國學院大學研究開発推進機構紀要, 第7号, 61, 98, 2015年03月01日, 國學院大學研究開発推進機構, 本論文は、近代神道史の大きな転換点をもたらした祭神論争について、従来の研究が見逃しがちであった「伊勢派」と「出雲派」の教化体制に目配りしながら、特に両者が展開した教説や古典解釈の相違点について論じたものである。またこれに関わって常世長胤の教説も取り上げ、祭神論争が「伊勢派」と「出雲派」に限定されるものではないことを示した。
皇典講究所・國學院の神職養成における古事記, 國學院大學校史・学術資産研究, 第7号, 113, 152, 2015年03月01日, 國學院大學校史・学術資産研究センター, 本論文は、近代における古事記研究史を概観しつつ、特に皇典講究所・國學院大學における古事記研究・教育の展開を整理した上で、皇典講究所・國學院大學の主要な事業であった神職養成と古事記研究・教育の関わりについて論じたものである。
明治初年の神宮教院・神宮教会と神風講社, 「講」研究の可能性Ⅱ, 2014年10月01日, 慶友社, 本論文は、明治初年の神宮教化の展開を特に神風講社に焦点を当てながら、教化活動の歴史的な展開と組織の再編成を論じたものである。
神宮教院の神道教説史―教説書を通して―, 神道宗教, 第235号, 27, 64, 2014年07月01日, 神道宗教学会, 本論文は、明治初年の神宮教院出版の教説書を検討することにより、神宮教院において展開された神道教説を包括的に論じたものである。
近代伊勢信仰研究の課題と展望, 國學院大學研究開発推進機構紀要, 第6号, 85, 111, 2014年03月01日, 國學院大學研究開発推進機構, 本論文は、近代の伊勢信仰研究に関する研究史を、特に神道史・民衆宗教史・民俗学・「国家神道」研究などにまとめつつ、筆者なりの今後の展望を示したものである。特に「国家神道」研究における神宮や伊勢信仰に関する言及を再検討し、これらの諸研究が持つ近代の伊勢信仰を神宮から切り離したことによって「国家神道」が成立したという視点によって、近代の伊勢信仰がほとんど論じられていないことを確認して、近代の伊勢信仰を位置づけていくことが必要であることを論じた。
明治後期における神宮奉斎会と皇典講究所―「祭祀」と「宗教」をめぐって―, 國學院大學校史・学術資産研究, 第6号, 71, 109, 2014年03月01日, 國學院大學校史・学術資産研究センター, 本論文は、明治初年に国民教化運動を展開すべく設立された神宮教院・神宮教会を母体として成立した神宮教が「非宗教化」して設立した神宮奉斎会に焦点を当てるとともに、國學院大學と神宮奉斎会の関係を通して、明治後期における「祭祀」と「宗教」の関係を検討したものである。
神宮教の教説に関する一考察―藤井稜威を中心に―, 明治聖徳記念学会紀要, 復刊第50号, 607, 634, 2013年12月01日, 明治聖徳記念学会, 本研究ノートは、神宮教の神道教説を論じたものである。本ノートでは特に神宮教の中心人物の一人である藤井稜威を取り上げその教説を検討した。藤井の教説は神宮教の成立以前の神宮教院における神道教説と比較してみると神宮教院時代の教説を前提としつつも、むしろ「皇国臣民」の本分を尽すという現実の問題に関連する教説が浮上していたことを指摘して、こうした神宮教の神道教説の特徴が後の神宮教の非「宗教」化を遂げる際の教説的背景の一つとして理解することが可能であると結論づけた。
神宮教の組織と活動に関する基礎的研究, 國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要, 第4号, 275, 286, 2012年03月01日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 本論文は、神宮教の組織と活動について検討を加えたものである。明治初年に構築された神宮を中心とする教化体制は、明治十五年の神官教導職分離により神宮から離れて神宮教へと改組し、徐々に教団組織を固めていく。そうした中で明治二十六年には、独自の機関紙発行や人材養成機関たる「神宮教々校」の設立が決定された。このような神宮教の制度的展開を前提としつつ、その活動としては、祭祀・教育・教化に大別される活動が展開されたことを明らかにし、神宮教の教師に国学的な素養が求められていたことを論じた。
明治初期神宮教院における教化と教説―教説書の検討を中心に―, 國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要, 第3号, 293, 309, 2011年03月01日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 本論文は、國學院大學に所蔵される大教宣布関係資料の内、神宮教院が明治初年に出版した教説書を取り上げ検討したものである。論文では、当時の神宮教院が造化三神と天照大神を中心とし、全てをこの神々の神徳によるものであるとする方向性と造化三神と天照大神を中心としながらも、各地の神社に祀られる神々を教説の中に取り込み再編していこうとする方向性を有していることを指摘した。
田中頼庸の教化思想と神道論, 國學院大學研究開発推進センター紀要, 第4号, 177, 200, 2010年03月01日, 國學院大學研究開発推進センター, 本研究ノートは、明治初年の神宮大宮司田中頼庸の教化構想と神道教説について考察したものである。本ノートでは、田中が如何にして強固な祭政一致体制を構築し、それを維持するのかという問題意識を有していたことを指摘し、田中の著作の分析を通して、その教説を論じた。その上で田中が家庭祭祀や神社参拝の意義を説くことを重視していたことを明らかにした。
書評:江島尚俊・三浦周・松野智章編『現代日本の大学と宗教』, 武田幸也, 宗教研究 = Journal of religious studies / 日本宗教学会 編 97 (1), 2023年06月, 日本宗教学会
神宮奉斎会の成立過程とその変化 (第67回学術大会紀要号), 武田 幸也, 神道宗教, 236, 91, 93, 2014年10月, 神道宗教学会
浦田長民の神道教説 : 『大道本義』を中心に (第六五回学術大会 神仏関係史再考 : カミを祀る担い手をめぐって) -- (第三部会), 武田 幸也, 神道宗教, 228, 184, 186, 2012年10月, 神道宗教学会
皇典講究所・國學院大學の刊行物一覧 (「國學院の学術資産に見るモノと心」プロジェクト), 上西 亘; 武田 幸也; 藤田 大誠, 國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要, 4, 245, 256, 2012年03月, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター
明治初年神宮教院出版の教説書について (第六十四回学術大会 霊山・修験道の展開と神社) -- (第三部会), 武田 幸也, 神道宗教, 224, 158, 160, 2011年10月, 神道宗教学会
第二部会 神宮教の教説に関する一考察 (第63回[神道宗教学会]学術大会紀要号), 武田 幸也, 神道宗教, 218, 107, 110, 2010年04月, 神道宗教学会
書評・紹介 西川順土著『記紀・神道論攷』, 武田 幸也, 神道宗教, 217, 77, 81, 2010年01月, 神道宗教学会