日本古代における穀断ち行の受容と変容, 太田直之, 國學院雑誌, 122, 11, 185, 205, 2021年11月01日, 國學院大學
祓の季節ー夏の年中行事の起源と歴史ー, 太田直之, 台東区文化財報告書第59集 台東区の祭礼と行事, 63, 72, 2018年03月20日, 東京都台東区教育委員会
お札利用の具体像 近世の説話・随筆を素材として, 太田直之, 神道宗教, 237, 25, 61, 2015年01月25日, 神道宗教学会
中世の神社と勧進, 太田直之, 神道宗教, 228, 25, 36, 2012年10月25日, 神道宗教学会
東寺の大黒天札と勧進聖, 千々和到編『日本の護符文化』, 2010年07月01日, 弘文堂
近世初頭における神仏関係の変容―賀茂別雷神社の社家・供僧相論を事例に―, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 4, 2010年02月28日, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター
中世後期の勧進聖と地域社会―高野山寂静院増進上人の活動を事例として―, 『民衆史研究』, 77, 2009年05月23日, 民衆史研究会
室町期の年中行事と在地社会-『看聞日記』に見る伝統文化形成期の一齣-, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 第2号, 45, 66, 2008年03月10日, 國學院大學研究開発推進センター
「中世高野山の勧進活動」, 『日本史研究』, 537, 1, 24, 2007年05月01日, 日本史研究会, 従来、高野聖によるものとされてきた高野山の勧進事業を再検討し、大権門寺院としての高野山の勧進の歴史をこれまでの勧進研究の中に位置づけることを目指した。その結果、鎌倉中期以降高野山の勧進活動においては、従来の研究で述べられてきた高野聖以外の存在が重要な役割を果たしており、その勧進事業を通じて見られる共通する性格としては、勧進・造営活動を可能な限り自分達に近い存在に託すことで、それを自らの意思の下にコントロールしようとする衆徒の意識を看取できることを明らかにした。
「中世後期東寺大勧進の再検討」, 『日本歴史』, 706, 17, 33, 2007年03月01日, 日本歴史学会, これまで研究されることの少なかった中世後期の東寺の造営・勧進事業について、15世紀前半を中心に考察した。この結果、この時期の勧進事業は従来と同じ大勧進職を有する勧進僧に担われていたこと、ただし、この時期の大勧進は従来と異なる性格のものとなっており、特に幕府を中心とする公権力と寺家を結びつける装置としての性格がかなり強いことなどを明らかにした。
「室町幕府の神祇政策-将軍家御師職を中心に-」, 『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』, 1, 52, 70, 2007年03月01日, 國學院大學研究開発推進センター, 中世後期における国家と宗教との関係を解明する上での重要課題である、室町幕府の神祇政策を考えるための指標として、この時代の多くの神社に存在し、将軍家の祈祷を行った将軍家御師職について考察した。その結果、将軍家御師職設置は対神社政策の一環であり、幕府は御師職保有者に対して造営料所の管理と造営活動の運営を任せることによって、神社の安定的な経営と政権側への取り込みをはかったこと、こうした政策は、結果として神社内における権力と権益の再編をもたらし、各神社が独自の経営体として活動することを可能にしたことを解明した。
「中世高野山における神仏関係-天野社・御社の造営を通じて-」, 『日本文化と神道』第3号(國學院大學21世紀COEプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」成果論文集), 107, 127, 2006年12月01日, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 中世における神仏関係の具体像を解明するための一視覚として、高野山の鎮守神である丹生・高野両明神を祀る天野社および壇上伽藍の御社の造営の分析を通して、高野山寺僧の鎮守に関する観念と、高野山にとっての天野社・御社の存在の意味を考察した。これにより、両社の造営が高野山の強力な援助の元に行われていたこと、その背景には寺僧らの神に対する篤い信仰があったこと、造営にあたっては寺僧と神主がそれぞれの役割を果たしていたこと、などが明らかとなった。
「熊野三山本願所の成立」, 『国史学』, 第186号, 45, 82, 2005年04月01日, 国史学会, 熊野三山本願所の成立に関して、三山造営の歴史の中でその時期的な考察を行った。その結果、十五世紀前半までの熊野三山造営は、造営領国や段銭・棟別銭といった公的財源により行なわれており、これらが機能しなくなる十五世紀中頃以降に勧進聖の活動が活発化し、その結果本願所が成立するのであり、史料上の初見もこれを遡らないこと。したがって従来本願所に伝えられた伝説的な史料によって、その成立を十三世紀末や室町初期にまで遡らせる説は誤りであること。本願所成立の契機は三山で一様ではないが、西国三十三所霊場の成立や十穀聖の活動がきっかけとなっていたことを明らかにした。
「本願所と社法-熊野本願と社家の関係を通じて」, 『國學院大學紀要』, 第43巻, 185, 217, 2005年03月01日, 國學院大學, 近世初頭の熊野本願所について、彼らが本来の職務である造営事業を足がかりとして、社家の職分である年中行事や祈祷といった宗教的部分でも独自の役割を果たすようになり「社家一同」の存在となることを目指したこと、しかし、本願のこのような動きは社家の反発を招き、幕藩権力の庇護を受けた社家の経済的・思想的な自立によって多くが否定され、造営事業からも撤退を余儀なくされること。それでも本願はこのような宗教的な役割を担うことで、造営事業からの撤退後も存続することができたことを述べた。
「中・近世の牛玉宝印と起請文」, 『國學院大學21世紀COEプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」研究報告書』, 2003年12月01日, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 千々和到, 國學院大學21世紀COEプログラムで実施した、牛玉宝印・起請文調査の概要を報告した。
「中世後期の勧進芸能-興行の場をめぐって」, 『國學院大學大学院紀要-文学研究科-』, 第31輯, 327, 343, 2000年03月01日, 國學院大學大学院文学研究科, 中世後期の勧進興行の歴史的な発展とその性格を、興行の場を軸として考察した。従来勧進興行の場に関しては、室町時代初期には賀茂川の河原が選ばれ、後室町後期になると河原から町の中心部に移動していくとされてきた。そして移動した場は境界的な「鎮魂」の場であると説明されてきた。しかし、それぞれの具体的事例を検討した結果、室町後期に興行地に選ばれ地は、実は応仁の乱の戦火によって荒廃した場所であり、都市の周辺部であるという意味で同様の性格を持っていたことを明らかにした。
「北野社の勧進と造営」, 『史学研究集録』, 第25号, 3, 15, 2000年03月01日, 國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻大学院会, 中世寺社の勧進の歴史を明らかとする一視点として、従来勧進芸能の興行地として多くとりあげられてきた北野社を事例に考察した。北野社では室町初期より多く田楽興行が行われているが、これらの田楽は足利将軍の北野参籠に伴う行事であって勧進興行ではなく、また、『北野社家日記』などの史料によれば、北野社家は原則として社家内での勧進興行を許可していなかった。しかし、時代が下るに連れ社領の不知行が進むと、勧進事業に頼らざるを得なくなったのであり、これまで無前提に勧進興行の場として捉えられていた北野社の勧進興行は、歴史的変遷を通して生まれてきたものであることを明らかにした。
「人間開発」理念に基づく教育課程の再構築, 藤田 大誠;夏秋 英房;杉田 洋;太田 直之;神長 美津子, 國學院大學人間開発学研究, 12, 1, 30, 2021年02月, 國學院大學人間開発学会
書評と紹介 大谷由香著『中世後期 泉涌寺の研究』, 太田 直之, 日本歴史, 839, 94, 97, 2018年04月, 吉川弘文館
書評 伊藤聡著『神道の形成と中世神話』, 太田 直之, 歴史評論 = Historical journal, 820, 95, 98, 2018年08月, 歴史科学協議会
学部コア科目「日本の伝統文化」の展望 (令和二年度國學院大學人間開発学会第十二回大会シンポジウム 「人間開発」理念に基づく教育課程の再構築), 太田 直之, 國學院大學人間開発学研究, 12, 16, 20, 2021年02月, 國學院大學人間開発学会
シンポジウム討議記録 (令和二年度國學院大學人間開発学会第十二回大会シンポジウム 「人間開発」理念に基づく教育課程の再構築), 夏秋 英房;杉田 洋;太田 直之;神長 美津子;藤田 大誠, 國學院大學人間開発学研究, 12, 21, 30, 2021年02月, 國學院大學人間開発学会
書評と紹介 豊島修・木場明志編『寺社造営勧進 本願職の研究』, 太田 直之, 日本歴史, 757, 117, 119, 2011年06月, 吉川弘文館
発題 中世の神社と勧進 (第六五回学術大会 神仏関係史再考 : カミを祀る担い手をめぐって) -- (シンポジウム), 太田 直之, 神道宗教, 228, 25, 36, 2012年10月, 神道宗教学会
お札利用の具体像 近世の説話・随筆を素材として, 太田 直之, 神道宗教, 237, 25, 61, 2015年01月, 神道宗教学会
賀茂別雷神社における神仏関係の構造 : 神主・供僧相論を中心に(神仏習合・神仏分離における神職・僧侶の諸相-神仏関係史再考-,パネル,<特集>第六十八回学術大会紀要), 太田 直之, 宗教研究, 83, 4, 1255, 1257, 2010年, 日本宗教学会
討議の記録 (平成二十一年度國學院大學人間開発学会第一回大会國學院大學人間開発学会設立記念公開講演会・シンポジウム人間開発学研究の胎動--大学の行方を見据えて) -- (公開シンポジウム人間開発学の樹立に向けて--展望と課題), 田沼 茂紀;柴崎 和夫;安野 功;一 正孝;原 英喜;奈須 正裕;太田 直之, 國學院大學人間開発学研究, 1, 41, 42, 2010年02月, 國學院大學人間開発学会
日本の伝統文化研究と伝統文化教育の間(平成二十二年度國學院大學人間開発学会第二回大会公開講演会・シンポジウム日本の伝統文化教育の可能性--人間開発学の基盤構築に向けて) -- (公開シンポジウム日本の伝統文化教育と人間開発学の構築--カリキュラム開発を視野に入れて), 太田 直之, 國學院大學人間開発学研究, 2, 28, 34, 2011年02月, 國學院大學人間開発学会
コメント・討議の記録(要旨) 討議の記録(平成二十二年度 國學院大學人間開発学会第二回大会公開講演会・シンポジウム日本の伝統文化教育の可能性--人間開発学の基盤構築に向けて) -- (公開シンポジウム日本の伝統文化教育と人間開発学の構築--カリキュラム開発を視野に入れて), 太田 直之;成田 信子;藤田 大誠;畔上 直樹;櫻井 治男;安野 功, 國學院大學人間開発学研究, 2, 63, 78, 2011年02月, 國學院大學人間開発学会
中世後期の勧進聖と地域社会--高野山寂静院増進上人の活動を事例として (特集 中世地域社会における宗教活動と民衆), 太田 直之, 民衆史研究, 77, 3, 15, 2009年05月, 民衆史研究会
史料紹介 上賀茂神社における神仏関係の具体像--『今原和千代家文書』「京都両奉行所上申候訴状之留メ日記」の翻刻と解題, 太田 直之, 國學院大學研究開発推進センター研究紀要, 3, 201, 230, 2009年03月, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター
近世初頭における神仏関係の変容--賀茂別雷神社の社家・供僧相論を事例に, 太田 直之, 國學院大學研究開発推進センター研究紀要, 4, 103, 132, 2010年03月, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター
公開シンポジウム 日本の伝統文化教育と人間開発学の構築--カリキュラム開発を視野に入れて (平成二十二年度 國學院大學人間開発学会第二回大会 公開講演会・シンポジウム 日本の伝統文化教育の可能性--人間開発学の基盤構築に向けて), 太田 直之;成田 信子;藤田 大誠, 國學院大學人間開発学研究, 2, 26, 83, 2010年, 國學院大學人間開発学会
日本の伝統文化研究と伝統文化教育の間 (平成二十二年度 國學院大學人間開発学会第二回大会 公開講演会・シンポジウム 日本の伝統文化教育の可能性--人間開発学の基盤構築に向けて) -- (公開シンポジウム 日本の伝統文化教育と人間開発学の構築--カリキュラム開発を視野に入れて), 太田 直之, 國學院大學人間開発学研究, 2, 28, 34, 2010年, 國學院大學人間開発学会
コメント・討議の記録(要旨) 討議の記録 (平成二十二年度 國學院大學人間開発学会第二回大会 公開講演会・シンポジウム 日本の伝統文化教育の可能性--人間開発学の基盤構築に向けて) -- (公開シンポジウム 日本の伝統文化教育と人間開発学の構築--カリキュラム開発を視野に入れて), 太田 直之;成田 信子;藤田 大誠, 國學院大學人間開発学研究, 2, 63, 78, 2010年, 國學院大學人間開発学会
伝統・文化に係わる教育法の構築に関する基礎研究, 安野 功;成田 信子;太田 直之;藤田 大誠, 國學院大學人間開発学研究, 1, 43, 58, 2009年, 國學院大學人間開発学会
中世後期東寺大勧進の再検討--一五世紀前半を中心に, 太田 直之, 日本歴史, 706, 17, 33, 2007年03月, 吉川弘文館
中世高野山の勧進活動, 太田 直之, 日本史研究, 537, 1, 24, 2007年05月, 日本史研究会
インタビュー COE「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」を終えて, 阪本 是丸;太田 直之;小川 有閑, 国際宗教研究所ニュースレター, 55, 14, 18, 2007年07月25日, 国際宗教研究所
室町幕府の神祇政策--将軍家御師職を中心に, 太田 直之, 國學院大學研究開発推進センター研究紀要, 1, 69, 98, 2007年03月, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター
室町期の年中行事と在地社会--『看聞日記』に見る伝統文化形成期の一齣, 太田 直之, 國學院大學研究開発推進センター研究紀要, 2, 45, 66, 2008年03月, 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター
討議の記録 (特集 護符・牛玉宝印研究の現状と課題), 太田 直之, 国史学, 187, 78, 80, 2006年01月, 国史学会