K-ReaD( Kokugakuin University Researcher’s Achievement)

深澤 太郎
研究開発推進機構
教授
Last Updated :2023/12/21

研究者基本情報

氏名

  • 氏名

    深澤 太郎, フカサワ タロウ

所属・職名

  • 研究開発推進機構, 教授

学歴

  • 2002年04月01日, 2007年03月31日, 満期退学, 國學院大學, 大学院 博士課程後期, 文学研究科
  • 2000年04月01日, 2002年03月31日, 修了, 國學院大學, 大学院 博士課程前期, 文学研究科
  • 1996年04月01日, 2000年03月31日, 卒業, 國學院大學, 文学部, 史学科

学位

  • 修士(歴史学)

職歴

  • 2000年04月01日, 東京国立博物館, 事務補佐員
  • 2002年04月01日, 國學院大學大学院, RA
  • 2003年04月01日, 國學院大學, 日本文化研究所, 臨時雇
  • 2005年04月01日, 國學院大學大学院, TA

本学就任年月日

  • 2007年04月01日

研究分野

  • 考古学・宗教考古学, 日本列島の国家形成と神道、修験道と巡礼の考古学

研究活動

論文

  • 「伊豆峯」のみち―考古学からみた辺路修行の成立, 深澤太郎, 山岳信仰と考古学 Ⅲ, 231, 243, 2020年06月18日, 同成社, 伊豆半島の縁辺部においては、12~13世紀に経塚と周辺寺社などが「霊場」を形成し、人々をいざなう参詣路・巡礼路が発生した。また、14世紀頃には、これらの霊場と霊場の間に、修験者が参籠する修験窟が現れた。この時、一般参詣者の巡礼路の上に、宗教者の修行道が開かれ、「伊豆峯」の修行が成立したものと考えられる。
  • 常陸鏡塚古墳の発掘調査, 深澤太郎, 『常陸鏡塚』シンポジウム発表資料集, 1, 10, 2019年12月25日, 大洗町教育委員会, 國學院大學博物館が所蔵する鏡塚古墳出土資料と、発掘調査当時の記録を再検証し、発掘調査報告書に掲載されなかった成果を含む調査の実態を明らかにした。
  • 「伊豆峯」の考古学-伊豆修験の形成と展開-, 深澤太郎, 國學院大學博物館研究報告, 32, 37, 53, 2016年03月01日, 國學院大學博物館, 明治初年の神仏分離によって廃絶した伊豆修験と、その主要な年中行事である伊豆峯辺路行の実態を検討した。具体的には、262ヶ所に及ぶ伊豆峯の拝所について、関連史資料の検討による現在地比定を試みた上で、考古学的な現地踏査を実施した結果、走湯山と伊豆修験の展開を、9世紀から19世紀に至る5つの段階に区分して理解することが可能となった。
  • 伊勢神宮と遷宮の考古学-祭祀遺跡に見る「神社」の原型-, 深澤太郎, 國學院大學学術資料センター研究報告, 31, 1, 13, 2015年03月25日, 國學院大學学術資料センター, 本論文では、神社遺跡の諸類型を、1類.自然景観を拝する祭祀遺跡、2類.土器集積を伴う祭祀遺跡、3類.木造建築物を擁する祭祀遺跡に区分した。伊勢神宮の中心は、御神体を納める御正殿と、その床下の心御柱周囲に天平賀を積み上げたものからなり、神社遺跡2・3類の複合形態に相当する。1類の神社は、動かざる神を祀るもの、2・3類の神社は動座し得る神を祀るものであり、遺跡の様態と神々の性格は、相互に関連するものである可能性が高いことが明らかとなった。
  • 「東日本の弥生-古墳時代移行期―シナノにおける初期古墳と副葬鏡の様相から」, 『東日本弥生時代青銅器祭祀の研究』, 223, 229, 2012年05月25日, 雄山閣
  • 「祭祀考古学の方法と実践-伊豆半島・諸島における基層文化と神社の展開」, 『モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践』文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業オープン・リサーチ・センター整備事業成果論集 , 51, 62, 2012年03月31日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 吉田恵二・内川隆志・深澤太郎・中村耕作・石井匠・田中大輔
  • 「「神社」起源論覚書‐神社境内遺跡から‘祭祀遺跡’を再考する‐」, 『土壁』特集 米澤容一氏追悼号, 第12号, 69, 78, 2012年03月22日, 考古学を楽しむ会
  • 「メタ「神道考古学」序論-『日本書紀』と神不滅論から紐解く道慈の「神道」観-」, 『日本基層文化論叢 椙山林継先生古希記念論集』, 430, 439, 2010年08月31日, 雄山閣
  • 「三嶋大明神と「薬師堂」のジオグラフィー-東京都利島堂ノ山神社境内祭祀遺跡の性格をめぐって-」, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター紀要』, 第2号, 113, 123, 2010年03月31日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター,  伊豆諸島の島々では、中世から今日まで、積石信仰や和鏡を用いた祭祀が盛んに行われてきた。その内、和鏡をはじめとする多数の遺物が出土した東京都利島の堂ノ山神社境内祭祀遺跡は、12世紀後半から近世にかけて営まれた積石祭祀の痕跡を今に残す貴重な遺跡だが、神社自体は明治期の神社合祀で成立した社であり、その前史には不明な点が多い。しかし、堂ノ山神社の前身を在島の古文書に見える「堂山薬師」ではないかとする指摘は、久しく顧みられてこなかったものの早くから提起されてきたところである。そこで本稿では、複数の近世・近代文書類や絵図などを比較検討することで、堂山薬師(薬師堂)と堂ノ山神社が一連の系譜関係にある可能性を再検証した。勿論、本稿で取り上げた史料は近現代の例に限られるが、堂ノ山神社の地が中世から三嶋大明神の本地仏である薬師如来を祀る「堂」ノ山であった事実は、同社境内遺跡の実態が示唆するところであり、関連遺跡の性格についても伊豆諸島在来の三嶋信仰・薬師信仰のコンテクストの中で位置付けるべきものと考える。
  • 「三嶋神と『三宅記』のアルケオロジー-中世積石塚と石神信仰-」, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第1号, 115, 123, 2009年03月31日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 三宅島神主の壬生家などに伝わる『三宅記』を構造分析すると、その思想的背景には石神信仰が存在した事実が浮かび上がってくる。伊豆諸島では、12世紀後半から積石信仰が盛んになるが、このような信仰形態が14世紀~15世紀頃に成立した『三宅記』の世界観に反映されている可能性を指摘した。『三宅記』は荒唐無稽な物語などではなく、在地固有の信仰形態と密接に関係して編まれた書物なのである。
  • 「出雲「額田部臣」再考-古墳群の動向と地域的社会階層の再編成-」, 『國學院雑誌』, 第109巻第11号, 38, 53, 2008年11月01日, 國學院大學
  • 「はじまりのアイドル−鈴木春信が描いた「笠森お仙」と稲荷・ダキニのイコノロギア−」, 『画像資料と人文科学』, 第4集, 107, 127, 2007年03月01日, 國學院大學学術フロンティア事業実行委員会
  • 「中国新石器時代の偶像‐黄河下流域以北の落葉広葉樹林帯を中心に‐」, 『神道と日本文化と国学的研究発信の拠点形成』Ⅰ, 2007年03月01日, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 加藤里美、山添奈苗、深澤太郎、新原佑典、加藤夏姫、張彦, COEプログラムによる中国調査の成果をもとに、縄文時代の土偶などと中国新石器時代の偶像を比較研究するための基礎的な作業として、黄河下流域以北の落葉広葉樹林帯に展開した偶像を俯瞰した。その結果、黄河下流域ではブタ形偶像が、渤海湾沿岸以北では人形偶像が特徴的に認められる事実が明確となったが、ブタ形偶像の集中する地域で家畜生産が盛んだったわけではない。また、中国大陸では雑穀農耕地域で男根形製品が卓越するが、列島の事例のように人形偶像と共伴するわけでもない。このように、普遍的に認められるモティーフであっても、その背景に存在した思想は多様であった可能性を指摘した。
  • 「多鈕鏡のマツリ‐日韓初期青銅鏡祭祀の具体像‐」, 『神道と日本文化と国学的研究発信の拠点形成』Ⅰ, 2007年03月01日, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 村松洋介、野内智一郎、深澤太郎, COEプログラムによる韓国調査の成果をもとに、日韓初期青銅鏡祭祀の実態について考察した。観察済みの資料から判断すると、半島の多鈕粗文鏡から細文鏡へと移行する段階では伝世した鏡と新式の鏡が共に副葬されたようである。一方、列島の細文鏡は全般に比較的明瞭な使用痕跡を残す。これを伝世と捉えるか、激しい使用の結果と考えるかは異論があろうが、鳴らされた古式の銅鐸と共伴する事例が認められるように、シャーマニスティックな行為の中で用いられた可能性がある。また、これまでの調査では錦江流域出土資料を中心に取り扱ったが、今後は他地域の事例についても熟覧する必要性を指摘した。
  • 「「神道」の誕生−『日本書紀』編纂と道慈が見た唐の道教−」, 『亜洲學誌』, 第3号, 2006年12月01日, 國學院大學中国考古学会, 「「神道」の誕生−『日本書紀』編纂と道慈が見た唐の道教−」
  • 「前・中期古墳の墳頂部葬送儀礼‐埋葬施設・方形壇・埴輪列‐」, 『上代文化』, 第39輯, 33, 52, 2005年11月01日, 國學院大學考古學會, 古墳時代前期・中期古墳の墳頂部に営まれた方形壇は、先行する埋葬施設の構築と、後続する埴輪の樹立との関係において位置付ける必要がある。「大王墓級古墳」は、埋葬施設を内蔵する大型方形壇を持つが、自余の事例は墳頂部に若干の高まりを築くに過ぎず、両者の間には原理的な差異が認められよう。また、前期末から中期初頭の段階で、方形埴輪列の樹立が方形壇の表飾に優先して行なわれるようになる。これは、方形壇を囲繞する本来の状態を超えて、埴輪の樹立自体が自己目的化していったことを示す。かかる葬送次第は、「大王墓級古墳」を基本類型として時系列的、かつ空間的に遠心的な展開を辿るようである。これは、前方後円墳の誕生に要した求心的な動きとは相反する現象であった。
  • 「技術から美術へ、美術から学術へ−博物館における画像資料の史的位置付けと展望−」, 『画像資料と人文科学』, 第2集, 29, 42, 2005年03月01日, 國學院大學学術フロンティア事業実行委員会,  本論では博物館における画像資料の位置付けについて、東京国立博物館の列品区分や管理組織の変遷を取り上げて論じた。画像資料は列品区分の変化と共に、技術的価値から美術・学術的価値を認められるようになり、画像処理技術の発達と共に、「いま・ここ」に無いものを「いつも・どこでも」閲覧できる媒体となった。また、画像資料アーカイヴの構築については目録の作製、「文化財としての画像」の修復、「文化財の画像」のレファレンスサーヴィスなど、所蔵資料の集中管理が重要な役割を果たしたことを指摘した。
  • 「古代信仰覚書(一)」, 『若木考古』, 第99号, 1, 4, 2004年09月01日, 國學院大學考古學會, 日本列島における先史・原史時代の信仰は教義・経典を持たないため、仏教考古学やキリスト教考古学とは異なった方法で研究を進めねばならず、古代の信仰についても安易な術語の使用が誤解を招く危険性は否めない。ここでは律令に見える呪術・宗教的グループの整理を試みて、8世紀前半段階の政府が常に動態的な存在であり続ける列島内の信仰を如何に認識していたのか追求した。
  • 「古墳時代の生産と社会」, 修士論文, 2002年01月01日
  • 「石岡の埴輪」, 『石岡市遺跡分布調査報告』, 119, 123, 2001年03月01日, 石岡市教育委員会, 新山保和、深澤太郎, 茨城県石岡市で実施した遺跡分布調査の成果を踏まえ、同市域における埴輪の展開について俯瞰したものである。ここでは、埴輪焼成技法の変化や、埴輪を樹立する古墳自体の年代観から、壷形埴輪のみ認められる4世紀末を第1期、埴輪の大量生産が行なわれた5世紀中葉から6世紀初頭を第2期、比較的小型の古墳にも埴輪が見られるようになった6世紀を第3期とした。また、第2期は舟塚山16号墳の築造を契機とし、第3期は恋瀬川南岸で古墳の築造が盛行する現象と連動する可能性を指摘した。

Misc

  • 「本書の概要と位置付け」, 『文房具が語る古代東アジア』, 2018年06月02日, 同成社
  • 「神と祖霊への捧げ物」・「季節の祭り」, 『まつりの継承』國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館 平成二十三年度特別展, 2011年10月29日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター
  • 「酒食と財の供献」ほか, 『まつりのそなえ 御食たてまつるもの』, 2009年10月31日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター
  • 「山の考古学をめぐって−山岳信仰と考古学−」, 『祭祀考古』, 第28号, 45, 47, 2006年03月01日, 祭祀考古学会, 日本列島における山岳信仰のハイブリッド性や、東アジアにおける山林寺院の比較研究に関する見通しなどについて述べた。また、実地踏査の充実や、ランドスケープ的な研究視点が期待されることを指摘した。
  • 「大場磐雄博士による写真資料の整理」, 『大場磐雄博士写真資料目録』Ⅱ, 264, 265, 2006年03月01日, 國學院大學日本文化研究所, これまで便宜的に整理番号が振られていた「大場磐雄博士写真資料」を、大場博士自身の整理した状態に復元した。その結果、この写真乾板群は大正12年頃から昭和40年頃までに撮影された「一般グループ」、昭和13年から昭和17年に撮影された神宮神宝、及び昭和12年から戦後にかけて調査された千葉県菅生遺跡の写真からなる「神宮・菅生遺跡関係グループ」、個人的な写真を集めた「雑グループ」、そして「帰属先不明グループ」の4群に大別できることが判明した。
  • 「折口信夫博士五十年祭記念 折口信夫と大場磐雄」, 『若木考古』, 第96号, 4, 6, 2004年03月01日, 國學院大學考古學會, 大場磐雄氏は南豆洗田遺跡で夕陽を背にした三倉山の神々しい山容に胸を打たれ、神道考古学に目覚めたものとされているが、信仰の考古学へ誘われた理由はこれだけではない。遡って縄文土偶の研究に関しても、大場氏の著作や、自身の発言から折口氏の影響が認められることを指摘した。加えて、郷土研究会や個人的な両氏の関係について若干のエピソードを紹介した。
  • 「新刊紹介『野毛大塚古墳』」, 『東京の遺跡』, №66, 2000年06月01日, 東京考古談話会, 東京都野毛大塚古墳の発掘調査報告書を紹介したものである。

著書等出版物

  • 『惡―まつろわぬ者たち―』, 深澤太郎, 國學院大學博物館, 2018年06月01日,  「悪」とは何か。しかし、「悪」の意味するところは、時代や地域によって常に揺れ動いている。従って、本当に「悪」を知ろうとするためには、これまでに何が「悪」という言葉で語られてきたのか振り返っておかねばなるまい。  そこで、当展覧会においては、古代中国で生まれた「惡」という文字に着目し、その本来的な字義を見直していく。さらに、この文字を日本人がどのように受容して、新しい意味を与えてきたのか点検していくこととしよう。そこには、単に禍々しい人間の姿だけではなく、意外にもポジティヴな側面や、権力によって作り出された虚構のイメージなどを見出すことができるに違いない。  「悪」を知ることは、現代の「悪」がどこにあるのか察知するための訓練でもある。ご来館の各位に「悪」を勧める所以は、まさにここに存するのだ。
  • 『長野県安曇野市穂高古墳群 2015年度F9号墳発掘調査報告書』, 國學院大學文学部考古学研究室, 2017年12月14日, 第54集
  • 偶像(アイドル)の系譜―神々と藝能の一万年―, 深澤太郎, 國學院大學博物館, 2016年04月26日, なぜ、わたしたちは、偶像(アイドル)に心を打たれるのでしょうか。それは、人の姿をとりながらも、人を超えたいのちの力を生み出す存在だからに違いありません。この展覧会では、日本の「藝能」史を紐解きつつ、「いま」・「ここ」にないものや、神仏のような超越的存在に触れるため、人間が作り出してきたメディアの変遷を辿っていきます。その中で、現代的な「アイドル」の原型や、原初的な「偶像」にさかのぼるアイドルの根源を問い直していくこととしましょう。
  • 伊豆国賀茂郡 心檀堂岩屋-伊豆峯辺路における修験窟の3次元測量-, 國學院大學博物館, 2016年03月01日, 第32輯, 林大貴・植田真
  • 『伊豆修験と伊豆峯」辺路の考古学』平成25~27年度科学研究費補助金(若手研究(A)) 研究成果報告書, 國學院大學, 2016年03月01日, 尾上周平・富田谷桃子
  • 『国宝 埴輪 挂甲武人 重要文化財 埴輪 盛装女子 附 埴輪 盛装男子』, 同成社, 2015年03月31日
  • 「信仰の歴史と米子大瀑布」, 須坂市教育委員会, 2015年03月01日
  • 「レプリカ法を用いた三角縁神獣鏡鈕孔内部の微細観察と提起される問題」, アジア鋳造技術史学会, 2014年09月20日, 8号, 丑野毅、小林青樹
  • 「陸奥金華山と女川の震災復興に学ぶ」スタディツアー2013実施報告, 國學院大學学術資料センター, 2014年03月01日, 第30輯
  • 『平成24(2012)年度 國學院大學学術資料館・伝統文化リサーチセンター年報』, 國學院大學学術資料センター, 2014年03月01日, 第30輯
  • 「小菅山伝来の聖教」, 飯山市教育委員会, 2014年03月01日
  • 『伊豆修験の考古学的研究-基礎的史資料の再検証と「伊豆峯」の踏査-Ⅱ(國特推助53号)』平成24年度國學院大學特別推進研究助成金研究成果報告書, 國學院大學, 2013年03月11日, 深澤太郎、筒井裕、加藤渉、吉野亨、望月陽子、酒匂喜洋、湯沢丈
  • 『伊豆修験の考古学的研究-基礎的史資料の再検証と「伊豆峯」の踏査-(國特推助46号)』平成23年度國學院大學特別推進研究助成金研究成果報告書, 國學院大學, 2012年03月11日, 内川隆志、中山郁、筒井裕、加藤渉、吉野亨、望月陽子
  • 「企画展・トークイベント記録 伊豆半島・諸島における神社の成立と展開-祭祀考古学研究と校史資料活用の現場から-」, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 2011年03月31日, 第3号第1分冊, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター(内川隆志・深澤太郎・石井匠・中村耕作・加藤元康・三橋健・笹生衛・吉田恵二・俵寛司)
  • 「静岡県下田市白濱神社所蔵考古資料調査報告」, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 2011年03月31日, 第3号第1分冊, 國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター「祭祀遺跡にみるモノと心」プロジェクト(内川隆志・深澤太郎・石井匠・田中大輔・宮川博司・楠惠美子・山口晃・中村耕作・新原佑典・加藤元康)
  • 『考古学がよくわかる事典』, 株式会社PHP研究所, 2010年12月03日
  • 「東京都三宅村三宅島積石信仰関連遺跡分布調査報告」, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 2010年03月31日, 第2号, 吉田恵二、内川隆志、石井匠、朝倉一貴、佐藤周平、楠惠美子、上田翼、山口晃、林友里恵、吉田千夏
  • 『東アジアに世界における日本基層文化の考古学的解明』, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 2006年09月01日, 國學院大學COEプログラムによる考古学調査研究報告である。
  • 『埴輪つくりの実験考古学』, 学生社, 2006年04月01日, 菊池徹夫、小林三郎、杉山晋作、岡内三眞、若狭徹、犬木努、太田博之、日高慎、城倉正祥、深澤太郎、佐藤佑樹、山口正憲、浅見恵理、浅見貴子、小泉玲子、岡本美希、持田大輔、米澤雅美、加藤一郎、太田雅晃、山田俊輔、鈴木正博、大竹憲昭、橋本博文、黒沢浩、中條英樹, 埴輪同工品論に関わる実験研究成果である。一定の訓練を経た上で円筒形埴輪を模倣製作し、製作者個人を特定し得る情報を抽出した。実験結果を直ちに埴輪生産の実態に投影することは困難だが、個人のクセを反映する痕跡は低部の粘土帯接合、タガ・口縁部のナデ、透し孔の穿孔、内面調製などに認められ、製作者集団の特徴は法量の統一性などに見出すことができることを指摘した。
  • 『東アジアにおける新石器時代と日本』Ⅲ, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 2006年03月01日, 小林達雄、伊藤慎二、加藤元康、渋谷賢太郎、阿部昭典、土屋健作、中野拓大、古澤義久、金恩瑩、川崎保、小畑弘己、加藤博文、吉田恵二、山添奈苗、新原佑典、武田芳雅、加藤里美、深澤太郎、趙輝、王守功、高明奎、黄川田修、金宝實、杉山林継、村松洋介、野内智一郎、甲元眞之、梁桂月, 國學院大學COEプログラムによる考古学調査研究報告である。その内、中国山東省・遼寧省で調査した土製品・石製品、及び韓国で踏査した多鈕鏡出土遺跡について報告した。
  • 『大場磐雄博士写真資料目録』Ⅱ, 國學院大學日本文化研究所, 2006年03月01日, 杉山林継、加藤里美、新原佑典、杉山章子、武田芳雅、中村耕作、深澤太郎、山添奈苗, 「大場磐雄博士写真資料」の内、約2000点の画像データを収録。
  • 『「劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究」事業報告』, 國學院大學学術フロンティア事業実行委員会, 2005年03月01日, 加藤里美、田中秀典、深澤太郎、山添奈苗、新原佑典, 平成16年度の國學院大學学術フロンティア事業報告である。資料編として「大場磐雄博士資料」の内、歴史時代編後半の目録を収録。
  • 『大場磐雄博士写真資料目録』Ⅰ, 國學院大學日本文化研究, 2005年03月01日, 杉山林継、加藤里美、中村耕作、新原佑典、杉山章子、深澤太郎、山添奈苗, 「大場磐雄博士写真資料」の内、約3000点の画像データを収録。
  • 『東アジアにおける新石器時代と日本』Ⅱ, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 2005年03月01日, 伊藤慎二、小林達雄、藤本強、加藤元康、宮下数史、中島里佳、阿部昭典、橋口豊、中野拓大、岩崎厚志、高橋毅、坂梨夏代、手塚美穂、ユーリア=クロトワ、アナトリー=クズネツォフ、アレクサンドル=クルピアンコ、アンドレイ=タバレフ、吉田邦夫、國木田大、イーゴリ=シェフコムド、吉田恵二、加藤里美、新原佑典、武田芳雅、山添奈苗、深澤太郎、五十嵐睦、川村佳男、王健華、杉山林継、村松洋介、野内智一郎、中村耕作、梁桂月, 國學院大學COEプログラムによる考古学調査研究報告である。その内、中国山東省で調査した土製品について報告した。
  • 『「劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究」事業報告』, 國學院大學学術フロンティア事業実行委員会, 2004年03月01日, 加藤里美、田中秀典、深澤太郎、山添奈苗, 平成15年度の國學院大學学術フロンティア事業報告である。資料編として「大場磐雄博士資料」の内、歴史時代編前半の目録を収録。
  • 『大場磐雄博士資料目録』Ⅰ, 國學院大學日本文化研究所, 2004年03月01日, 杉山林継、加藤里美、深澤太郎、山添奈苗, 「大場磐雄博士資料」目録の内、旧石器時代編・縄文時代編・弥生時代編・古墳時代編を収録。併せて、「大場磐雄博士写真資料」の一部を掲載した。
  • 『「劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究」事業報告』, 國學院大學学術フロンティア事業実行委員会, 2003年03月01日, 加藤里美、山内利秋、小川直之、厚香苗、沼崎麻矢、田中秀典、高野晶文、杉山林継、中村耕作、宇野淳子、井上洋一、橋本陽子、石田成年、深澤太郎、山添奈苗, 平成14年度の國學院大學学術フロンティア事業報告である。資料編として「大場磐雄博士資料」の内、古墳時代編の目録を収録。
  • 『石岡市遺跡分布調査報告』, 石岡市教育委員会, 2001年03月01日, 吉田恵二、安藤敏孝、新山保和、篠原慎二、深澤太郎、荒井裕介、石橋宏、田中大輔、村松洋介、石原佑介、関根信夫、青木敬、原智之、山添奈苗、中村大、高橋泰子、多ヶ谷香理、鈴木瑞穂, 平成11年から3ヶ年に亘って実施した茨城県石岡市における遺跡分布調査の報告である。併せて、これまで図面の作成されていなかった要害山1号墳などの測量も実施しており、同墳は残存長約75mと市内有数の大型前方後円墳であることが明らかとなった。また、埴輪も多数採集しており、船塚山古墳群の築造が終息した5世紀末から6世紀初頭のものであることが判明した。
  • 『物見処遺跡1999』, 國學院大學考古学研究室, 1999年07月01日, 吉田恵二、深澤太郎、高野和弘、金枝賢一郎、近田博郁、堀井隆行、栗崎宏介、小林寛子、中島敦子、比嘉允史、藤本憲子、海老原恵美、大野雅栄、金子晶子、斉藤久美、清野吉宏、根岸高広、瀬尾百恵、安良岡伸之、赤堀隆之、清水俊次、下田孝二、沼間一穂、林生寿、山添奈苗、山中史、小川裕司、川西直樹、桜井浩司、勝田悠介、川上淳、小丸顕、藤本賢司、岡田剛男、長谷川正輝、江原岳志、田中京一、渡部浩介、越智正明、鈴木伸、秋谷順、小久顕治、滝本織絵、石崎悠文、安保雅利、青柳尚孝、原智之, 東京都三宅村物見処遺跡における平成10年度考古学実習報告である。当年度は4号・5号積石遺構の端部を確認した。末尾に礫石経塚地名表(補遺)を掲載。
  • 『東京都史跡宝來山古墳』, 大田区教育委員会, 1998年03月01日, 亀井明徳、野本孝明、時雨彰、大森信宏、榊原朋子、新山保和、片山裕介、篠原慎二、深澤太郎、杉山章子, 東京都大田区多摩川台公園拡張による都史跡宝來山古墳の発掘調査報告書である。

講演・発表

  • 「模倣埴輪製作実験報告」, 第3回 大学合同シンポジウム「埴輪を見分ける」, 2002年11月01日, 於:早稲田大学, 埴輪同工品論に関わる実験研究成果である。一定の訓練を経た上で円筒形埴輪を模倣製作し、製作者個人を特定し得る情報を抽出した。実験結果を直ちに埴輪生産の実態に投影することは困難だが、個人のクセを反映する痕跡は低部の粘土帯接合、タガ・口縁部のナデ、透し孔の穿孔、内面調製などに認められ、製作者集団の特徴は法量の統一性などに見出すことができることを指摘した。
  • 「信濃における修験以前の山岳信仰」, 第28回 日本山岳修験学会 木曽御嶽学術大会, 2007年11月01日, 於:木曽福島会館, 経験知としての「日知り」行為は、近代科学とは別個のテクニックである。天体の動き(四季の移ろい)、四方の山岳、そして「祭祀遺跡」の選地傾向は、互いに無関係でない場合も少なくないのである。発表では、同学術大会の開催された信濃地域の遺跡を対象として、所謂「縄文ランドスケープ」研究の研究視角が縄文時代以降の事例についても敷衍できる可能性を指摘した。
  • 「うみやまのあひだ-伊豆の神々とランドスケープ-」, 『伊豆の神仏と國學院の考古学』國學院大學伝統文化リサーチセンター 平成20年度フォーラム, 2008年10月01日, 於:國學院大學, 伊豆の三嶋神が、三宅島の富賀神社、下田の白浜神社、そして三島大社へ勧請されていったとする説の論証は極めて困難と言わざるを得ないが、各社に関係する「祭祀遺跡」から出土した遺物の年代観は勧請説と矛盾しない。もっとも、各社はそれぞれ独自の祭祀形態を有していた可能性が高く、中世の本地物語『三宅記』と、考古学的事実との比較検討から伊豆諸島における三嶋信仰の実態に迫り得るのではないかという見通しを得た。
  •  「おくりびと」の考古学―古墳時代の死者と霊魂観―, 夏休み みんなの一日大学, 2009年08月22日, 特定非営利活動法人「きょういく応援団」
  • 「伊豆峯」の考古学-伊豆修験の形成と展開, 第33回日本山岳修験学会大峯山学術大会, 2012年09月09日, 於:天川村立洞川中学校体育館
  • 考古学からみた伊勢神宮と出雲大社, 平成27年度文化財講座, 2016年02月14日, 島根県文化財愛護協会

受賞

  • 2018年07月23日, 大峯山東南院, 奥駈功労の証, 奥駈功労の証, 日本

競争的資金

  • 25704015, 2013, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 伊豆修験と「伊豆峯」辺路の考古学, この研究では、神仏分離によって廃絶した伊豆修験と、その主要な年中行事である伊豆峯辺路行の実態を検討した。具体的には、262ヶ所に及ぶ伊豆峯の拝所について、関連史資料の検討による現在地比定を試みた上で、考古学的な現地踏査を実施した結果、走湯山と伊豆修験の展開を、9世紀から19世紀に至る5つの段階に区分して理解することが可能となった。また、併せて拝所の一つである修験窟の3次元記録保存も実施した。

教育活動

担当授業

  • 史学基礎演習B, 2019, 考古学研究の前提は、モノの時期的(いつの?)・空間的(どこの?)位置付けを理解することです。そこで当演習では、弥生時代以降の遺構・遺物を取り上げて、それらの編年について考えていきます。具体的には、①編年論に関する講義を行った上で、②典型的な論文を購読して考古学者の思考法を理解していきます。その上で、③受講者にテーマを与えて演習発表を行う手順で進めていく予定です。テーマは、弥生時代・古墳時代をメインに考えていますが、初回授業時にアンケートを実施しますので、受講者の関心によっては、古代・中世・近世の資料についても触れていこうと思っています。
  • 史学基礎演習C, 2019, 考古資料(遺跡・遺物)は、一体どのような目的で作られ、どのように使われたのでしょうか。その意図を解明する糸口は、遺構の様態や、遺物の精緻な観察から窺い知ることができます。そこで当演習では、主に弥生時代・古墳時代の遺跡・遺物を取り上げて、考古資料の意義を明らかにするための研究方法について考えていきます。具体的には、①機能論に関する講義を行った上で、②典型的な論文を購読して考古学者の思考法を理解していきます。その上で、③受講者にテーマを与えて演習発表を行う手順で進めていく予定です。当時の生活道具や、生活・政治・葬送・祭祀の場などを取り扱う予定ですが、初回授業時にアンケートを実施しますので、受講者の関心によっては、古代・中世・近世の事例についても触れていこうと思っています。
  • 史学基礎演習Ⅰ, 2020, 考古学研究の第一歩は、モノの時期的(いつの?)・空間的(どこの?)位置付けを理解した上で、それらが果たした具体的機能(どんな?)を明らかにしていくことにほかなりません。そして、先学らが脈々と積み上げてきた研究の到達点が、これから皆さん自身が取り組んでいくことになる個別研究の出発点になるのです。|そこで当演習では、主に弥生時代から近現代(及び併行期の中国・朝鮮)の遺構・遺物を対象とする考古学的論文を取り上げ、考古学者が研究の目的を達成するために、どのような資料を選択し、どのような分析手法を開発してきたのか、研究の歴史を振り返っていきましょう。||【注意】|本授業は、主にZoom を利用した双方向型授業として実施します。Kスマにて事前配布した資料に基く課題を設け、毎週月曜日の16:10よりオンラインで開講する予定です。なお、全15回の授業が12回程度に減りますので、その分は課題とレポートなどに置き換えて、到達度の判断を行いたいと思います。登校困難につき、オフィスアワーも実施が難しいので、学習指導はKスマに掲出したメールアドレスに一報頂ければ対応します。||【シラバス修正】|今年度は、COVID-19による授業開始の遅れと、オンライン授業の実施に伴い、シラバスの日程に若干の変更が生じますが、大筋はこのまま「講義→論文講読→演習発表」の順で進めていきたいと思います。講義では、考古学概論未受講の受講生もいるとのことですので、簡単に考古学の成り立ちと研究法について解説します。論文講読は、Kスマにて配布したモデル論文の読解を進めます。その上で、現在Kスマにて行っている事前アンケートに基づき、皆さんの関心分野に合せた課題論文を選定し、演習発表をお願いする予定。具体的には、事前に課題論文の要旨をまとめてもらい、オンライン授業時に考古学的な研究法の特徴についてディスカッションする、という形になります。オンライン授業の日程・方法については、受講生の関心分野・WEB環境などを聴取した上で決定し、Kスマにて告知します。
  • 史学基礎演習Ⅰ, 2021, 考古学研究の第一歩は、モノの時期的(いつの?)・空間的(どこの?)位置付けを理解することである。そこで、この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する遺構・遺物を取り上げて、それらの編年・分布について考えていく。特に、先学が積み上げてきた業績の講読を重ねることで、これまでに如何なる研究手法が開発されてきたのか理解し、これを「真似ぶ」ことによって自らの研究手法を練磨してもらいたい。|なお、発表の課題は、受講者の関心分野を聴取した上で決定する。
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2021, 考古資料(遺跡・遺物)は、一体どのような目的で作られ、どのように使われたのだろうか。その意図を解明する糸口は、遺構の様態や、遺物の精緻な観察から獲得することができる。そこで、この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する遺構・遺物を取り上げて、それらの機能について考えていく。特に、先学が積み上げてきた業績の講読を重ねることで、これまでに如何なる研究手法が開発されてきたのか理解し、これを「真似ぶ」ことによって自らの研究手法を練磨してもらいたい。|なお、発表の課題は、受講者の関心分野を聴取した上で決定する。
  • 史学展開演習I(考古学), 2021, この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する考古学的な研究論文の執筆方法を学ぶ。具体的には、2年次に修得した研究の方法論に基づき、4年次の卒業論文の作成に向けた準備を進めていく。前期は、受講者個々人の関心分野にまつわる研究史を整理した上で、明確な研究解題を設定することを目的とする。
  • 史学展開演習II(考古学), 2021, この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する考古学的な研究論文の執筆方法を学ぶ。具体的には、2年次に修得した研究の方法論に基づき、4年次の卒業論文の作成に向けた準備を進めていく。後期は、前期に設定した研究解題のもとで、研究対象資料を収集・集成し、適切な方法で分析を進めていくことを目的とする。
  • 考古学調査法, 2021, 遺跡の破壊を伴わざるを得ない発掘調査は、考古学的な仮説を検証するために実施する一回限りの実験行為である。従って、将来的に埋蔵文化財の調査・研究に携わろうとする者は、担当者としての職業倫理と、調査に必要な知識・技術を、大学在学中に身につけておく必要がある。そこで本授業では、前期のうちに発掘調査に向けた遺跡・遺構の測量・写真撮影や、遺物の実測・製図などの原理を習得するとともに、夏期休暇中の「考古学実習Ⅰ・Ⅱ」によって実施する発掘調査(長野県安曇野市穂高古墳群を予定)の計画を立案する。そして後期は、実習発掘で出土した資料の整理から、発掘調査報告書の編集・刊行に至るまで、一連の手順を実践していく。|なお、本授業は選択科目だが、考古学を専攻する学生は準必修とする。また、これと併修する「考古学実習Ⅰ・Ⅱ」では、10日間の現地調査を実施するため、宿泊施設のキャパシティ等により考古学専攻生以外の受講を制限する場合がある。
  • 考古学調査法II, 2021, 前期の内容については、(考古学調査法 渋谷 深澤 太郎 木曜5限)を参照してください。後期の内容については、(考古学調査法Ⅱ 渋谷 深澤 太郎 木曜5限)を参照してください。
  • 考古学調査法II, 2021, 遺跡の破壊を伴わざるを得ない発掘調査は、考古学的な仮説を検証するために実施する一回限りの実験行為である。従って、将来的に埋蔵文化財の調査・研究に携わろうとする者は、担当者としての職業倫理と、調査に必要な知識・技術を、大学在学中に身につけておく必要がある。そこで本授業では、前期のうちに発掘調査に向けた遺跡・遺構の測量・写真撮影や、遺物の実測・製図などの原理を習得するとともに、夏期休暇中の「考古学実習Ⅰ・Ⅱ」によって実施する発掘調査(長野県安曇野市穂高古墳群を予定)の計画を立案する。そして後期は、実習発掘で出土した資料の整理から、発掘調査報告書の編集・刊行に至るまで、一連の手順を実践していく。|なお、本授業は選択科目だが、考古学を専攻する学生は準必修とする。また、これと併修する「考古学実習Ⅰ・Ⅱ」では、10日間の現地調査を実施するため、宿泊施設のキャパシティ等により考古学専攻生以外の受講を制限する場合がある。
  • 史学応用演習(考古学), 2021, この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する考古学的な研究論文の執筆方法を学ぶ。具体的には、2年次に修得した研究の方法論と、3年次に設定した研究課題に基づき、卒業論文の作成を進めていく。特に、自らに課した研究の目的と、対象資料、分析方法の整合性に留意しつつ、オリジナルな論文の完成を期したい。
  • 考古学実習I, 2021, この授業では、前期の「考古学調査法」で策定した研究計画に基づき、限られた予算・日程・人員・機材などの制約の中で発掘調査のオペレーションを組み立て、報告書刊行から遺跡の保護・活用に至る業務をマネジメントする能力の修得を目指す。|なお、現地調査は、長野県安曇野市の穂高古墳群F9号墳にて10日間実施する予定である。前半の5日間に当たる「考古学実習Ⅰ」では、調査区を設定した上で発掘を進め、遺跡の形成過程を理解する。後半の5日間に当たる「考古学実習Ⅱ」では、報告書などにおいて成果を公開するために必要な情報を記録するとともに、現地説明会などの実施を通して最新の情報をプレゼンテーションする能力を身につける。
  • 考古学実習II, 2021, この授業では、前期の「考古学調査法」で策定した研究計画に基づき、限られた予算・日程・人員・機材などの制約の中で発掘調査のオペレーションを組み立て、報告書刊行から遺跡の保護・活用に至る業務をマネジメントする能力の修得を目指す。|なお、現地調査は、長野県安曇野市の穂高古墳群F9号墳にて10日間実施する予定である。前半の5日間に当たる「考古学実習Ⅰ」では、調査区を設定した上で発掘を進め、遺跡の形成過程を理解する。後半の5日間に当たる「考古学実習Ⅱ」では、報告書などにおいて成果を公開するために必要な情報を記録するとともに、現地説明会などの実施を通して最新の情報をプレゼンテーションする能力を身につける。
  • 史学基礎演習Ⅰ, 2022, 考古学研究の第一歩は、モノの時期的(いつの?)・空間的(どこの?)位置付けを理解することである。そこで、この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する遺構・遺物を取り上げて、それらの編年・分布について考えていく。特に、先学が積み上げてきた業績の講読を重ねることで、これまでに如何なる研究手法が開発されてきたのか理解し、これを「真似ぶ」ことによって自らの研究手法を練磨してもらいたい。|なお、発表の課題は、受講者の関心分野を聴取した上で決定する。
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2022, 考古資料(遺跡・遺物)は、一体どのような目的で作られ、どのように使われたのだろうか。その意図を解明する糸口は、遺構の様態や、遺物の精緻な観察から獲得することができる。そこで、この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する遺構・遺物を取り上げて、それらの機能について考えていく。特に、先学が積み上げてきた業績の講読を重ねることで、これまでに如何なる研究手法が開発されてきたのか理解し、これを「真似ぶ」ことによって自らの研究手法を練磨してもらいたい。|なお、発表の課題は、受講者の関心分野を聴取した上で決定する。
  • 博物館実習IV, 2022, 前半は、業務管理を中心として、資料の保存と記録、確認方法や解説の編集、温湿度管理の方法、空気質、有害生物の管理実務(IPM)、防火、防災など日常的な業務について学習する。後半は、人文系博物館における資料の取り扱い並びに拓本製作等の資料製作実習を実施する。
  • 博物館実習III, 2022, 基本的に博物館の実務を中心として、資料の扱い、展示、デジタル化など博物館業務について学習する。|また、期間中以外に見学実習を実施する。(予定)
  • 史学基礎演習Ⅰ, 2023
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2023
  • 博物館実習IV, 2023
  • 史学基礎演習Ⅰ, 2023, 考古学研究の第一歩は、モノの時期的(いつの?)・空間的(どこの?)位置付けを理解することである。そこで、この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する遺構・遺物を取り上げて、それらの編年・分布について考えていく。特に、先学が積み上げてきた業績の講読を重ねることで、これまでに如何なる研究手法が開発されてきたのか理解し、これを「真似ぶ」ことによって自らの研究手法を練磨してもらいたい。|なお、発表の課題は、受講者の関心分野を聴取した上で決定する。
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2023, 考古資料(遺跡・遺物)は、一体どのような目的で作られ、どのように使われたのだろうか。その意図を解明する糸口は、遺構の様態や、遺物の精緻な観察から獲得することができる。そこで、この演習では、原史・歴史時代分野(弥生時代末~現代)に関する遺構・遺物を取り上げて、それらの機能について考えていく。特に、先学が積み上げてきた業績の講読を重ねることで、これまでに如何なる研究手法が開発されてきたのか理解し、これを「真似ぶ」ことによって自らの研究手法を練磨してもらいたい。|なお、発表の課題は、受講者の関心分野を聴取した上で決定する。
  • 博物館実習IV, 2023, 基本的に展示実務を中心として、資料解説の編集、パネル製作、展示、温湿度管理の方法な博物館業務について学習する。

オフィスアワーの実施時期・曜時

  • 2018, 渋谷キャンパスAMC棟5F資料分析研究室1月(14:20~15:50、17:50~19:20)ほか随時

学外活動

学協会活動

  • 考古学研究会
  • 祭祀考古学会
  • 日本山岳修験学会

学外委員等活動

  • 2020年10月07日, 武蔵野市文化財保護委員会議, 武蔵野市文化財保護委員
  • 2013年06月, 2015年03月31日, 須坂市「米子瀑布群」学術調査委員会, 須坂市「米子瀑布群」学術調査委員会特別委員
  • 2010年05月, 2010年03月, 山梨県立甲府第一高等学校, 山梨県立甲府第一高等学校資料館策定委員
  • 2008年05月, 2009年03月, 茨城県石岡市, 石岡市文化財マスタープラン策定委員

社会貢献活動

  • NHK文化センター青山教室講師, NHK文化センター, 考古学が解き明かす神道の謎, 2022年04月16日, 2022年09月17日, 今ではエコな宗教と思われている「神道」ですが、その発生段階はどのような姿をしていたのでしょう。日本列島における国家形成と密接な関係にあった「神道」を考古学的に解き明かしていきます。