「旗本領における救済と支配の合意形成ー武蔵国荏原郡等々力村鈴木領を事例としてー」, 吉岡孝, 『区史研究世田谷』第2号, 2022年03月31日, 世田谷区
「幕末期新選組における洋式調練の意義」, 吉岡 孝, 『國學院雑誌』, 第121巻, 第4号, 1頁, 17頁, 2020年04月15日, 國學院大學
「寛永末期北遠犬居領における土豪百姓の動向-嶺沢頭村を事例として-」, 『史翰』, 第19号, 22, 28, 1984年05月01日, 國學院大學地方史研究会, 近世初期においては、中世土豪の系譜を引く所謂土豪百姓がよく存在したことは広く知られている。北部遠州地方も例外ではない。本論文は静岡県周智郡春野町域-最近浜松市に編入された-の山間村落地帯である犬居領をフィールドに、隔絶した土地所持などにより、圧倒的な力を誇示していた土豪百姓花島氏の支配が、寛永末年において揺らいでいく様相を論述した。
「近世村落における鎮守社の地所と神事-武州多摩郡上椚田村を事例として-」, 『法政史論』, 第15号, 1, 22, 1988年03月01日, 法政大学大学院日本史学会, 江戸時代においては、村の鎮守社は専門の神職ではなく、村の百姓によって管理されている場合も多い。現在の東京都八王子市にあった上椚田村の鎮守社の一つ氷川明神社も、そのような鎮守社であった。しかし江戸時代後期になると、管理している百姓が、鎮守社の地所と神事を私物化しているという批判が村から起こり、結局この百姓は鎮守社の地所と神事を放棄した。
「高尾山における放生会について」, 『多摩のあゆみ』, 第51号, 157, 161, 1988年05月01日, 多摩中央信用金庫, 放生会という行為は、生物を自然に放ち、功徳を与えるものである。八代将軍徳川吉宗は享保期に高尾山薬王院(現東京都八王子市)において鷹を放っている。放生会を行ったのである。これは幕府鷹匠の手によって行われた。本論文は薬王院と紀州家との関係に言及しながら、この放生会について言及した。
「新田村落における引寺の一考察」, 『吉野家文書調査報告』, 291, 297, 1988年09月01日, 東京都教育庁, 本論文は武蔵国多摩郡下師岡村をフィールドにした。下師岡村は現在の東京都青梅市にあった村である。ここには享保期の武蔵野新田開発で成立した下師岡新田があった。新田村落においては、しばしば寺院を他の村落から引寺してくることが行われた。江戸時代は新しい寺院の建立は厳しく制限されていたからである。下師岡新田の引寺の様相について論述した。
「八王子千人同心の身分と文化-近世後期における文化と地域編成-」, 『関東近世史研究』, 第32号, 27, 47, 1992年07月01日, 関東近世史研究会, 本論文においては、従来御家人=武士とされてきた八王子千人同心の身分についての批判を軸に、歴史編纂活動などの文化活動などを視野に入れて論じた。従来の研究史は、八王子千人同心塩野適斎が著した『桑都日記』に対する本質的意味での批判を怠ったが故に、八王子千人同心の身分に関して正しい結論が得られなかったというのが本論文の結論である。
「近世後期における寺院の新動向と社会変容-紀州藩・薬王院・足袋屋清八-」, 『法政史学』, 第46号, 102, 117, 1994年03月01日, 法政大学史学会, 江戸時代後期は、民衆の消費文化が発展した時である。本論文はそのような文化に棹差す方向で、寺院が新しい動きをみせた時期について論述した。高尾山薬王院は江戸への出開帳に際し、紀州藩の権威を利用し、民衆に広くアピールしようとした。また高尾山への崇敬の篤い民間信仰者である足袋屋清八も開帳に深く関係していたのである。
「八王子千人同心の身分に関する基礎的考察-千人同心=御家人説への批判-」, 『史翰』, 第21号, 16, 23, 1994年08月01日, 國學院大學地方史研究会, この論文は八王子千人同心の身分についての批判の一環として、八王子千人同心の譜代を取り上げた。数は少ないが八王子千人同心には譜代といわれる人がいる。譜代になると千人同心は宗門人別帳や五人組帳から除かれ、千人町に住むことが望ましいとされた。このような千人同心は武士といえるかも知れない。しかしそれは逆にいえば譜代以外の大多数の千人同心は武士ではないことを示している。
「近世後期における儀礼形態変容の背景」, 『地方史研究』, 第260号, 31, 46, 1996年04月01日, 地方史研究協議会, 八王子千人同心を率いる八王子千人頭は、近世中期には旗本の格式を認められてはいなかった。千人頭にとっては旗本の格式が与えられることは願望であった。本論文では日光における儀礼の執行に際し、衣服の格式を上げることにより、旗本の格式を与えられることを願った千人頭の運動を、徳川の聖地日光で行われる儀礼を事例として論述した。
「江戸周辺における地域秩序の変容と『生活』-勘定奉行兼帯関東郡代役所の活動を通じて」, 『幕藩制社会の地域的展開』, 123, 150, 1996年04月01日, 雄山閣出版, 江戸時代後期には民衆の消費文化が発展し、所謂「奢侈」が問題化された。本論文では伊奈氏失脚という大事件をうけて成立した勘定奉行兼帯関東郡代役所の活動を通じて、江戸周辺地域の民衆生活を、いかに把握していったのかを論じた。新しく関東郡代になった中川忠英は、配下の勘定組頭らを積極的に廻村させ、そのような情報収集に努めたのである。
「八王子千人同心にみる身分制社会の崩壊」, 『国史学』, 第162号, 69, 100, 1997年03月01日, 国史学会, 本論文は「寛政御改正」と称された一連の千人同心改革の意義について論じた。確かにこの「改正」によって千人同心の社会秩序は立ち直った。しかし、この「改正」によって千人同心は幕府の意図を越えて、極端に武士身分を意識するようになり、領主支配と矛盾するようになった。結局「寛政御改正」は八王子千人同心の身分問題を決定的に解決不可能な状況にひきづり込んだのである。
「近世後期関東における長脇差禁令と文政改革-改革組合村は治安警察機構に非ず-」, 『史潮』, 新43号, 23, 40, 1998年05月01日, 歴史学会, 従来文政10年に成立したとされてきた改革組合村は、その性格を治安警察機構とされてきた。しかし、その成立の契機になった法令をみると、長脇差という身分表象に対する規制が主旨であり、治安警察的視角は、少なくとも幕閣の政策的次元では二次的なものに過ぎなかった。論文はこのような観点から改革組合村に関する通説の根本的超克を企図して構想した。
「近世寺院における門末秩序と地域の論理」, 『近世高尾山史の研究』, 177, 196, 1998年10月01日, 名著出版, 寺院組織といえば本末関係という言葉に代表されるように支配のための組織という印象が強い。本論文ではこのような通説に対する批判のために、寺院本末組織が村落寺院の矛盾の解消のために末寺昇格運動に尽力した様相について論述した。寺院組織は決して上意下達のみの組織ではなく、末端を構成する村落寺院の権威のためにも機能したのである。
「勘定奉行上席柳生久通の施策と関東における村方惣代-鷹場の性格規定と関連して-」, 『法政史学』, 第51号, 13, 33, 1999年03月01日, 法政大学史学会, 柳生久通は老中松平定信の信任の厚かった人物である。彼は勘定奉行上席という地位を与えられ、新しい施策を展開していった。伊奈氏失脚後、関東における30万石余の空白を勘定所は埋めなければならなかった。関東では鷹野御用取次などが村方惣代化しており、新たな在地支配の核を設定する必要があり、柳生は取締役を設置するなどをした。
「関東取締出役成立についての再検討」, 『日本歴史』, 第631号, 54, 70, 2000年12月01日, 日本歴史学会, 関東取締出役は、治安警察として支配領域を超えて活動した機関であるとされている。本論文はこのような通説を批判し、少なくともその設置時においては、関東取締出役は教諭などの身分制維持のための活動が主であり、治安警察的活動は、むしろ二次的なものであったことを指摘した。このように考えれば広大な関東をわずか8人で廻村しても効果があったのかという従来からの疑問も解決する。
「天保弘化期幕府勘定所の『御人減』と『御増人』」, 『國學院雑誌』, 第107巻第1巻, 17, 31, 2006年01月01日, 國學院大學, 水野忠邦失脚の後を受けた老中土井利位は、緊縮財政路線を余儀なくされた。そのため勘定所は大規模な人員削減を要求され実行された。緊縮政策は江戸城の火災などにより修正を迫われる。勘定所はこの機会を逃さず、人員を要求したが、それは直ぐにかなえられたわけではなかった。勘定所は研究史の上で過大に評価されているが、実態は政策路線によって左右される存在に過ぎなかった。
「享保期和学御用の再検討」, 『國學院雑誌』, 第107巻第11号, 346, 358, 2006年11月01日, 國學院大學, 享保期に幕府書物奉行下田師古によって行われた和学御用について注目した。この時期は自然・生命の管理が進行した時期として知られるが、歴史情報の管理も進行した。幕府は自ら所持していない歴史書の探索に当たり、集まった書籍を整理し、利用した。このようにして充実した書籍を幕府はどのように使用したのであろうか。下田は儀礼情報を探索して提供し、幕府儀礼の円滑な運営に協力した。
「八王子千人頭からみた日光の儀礼的空間」, 『日本文化と神道』第3号(國學院大學21世紀COEプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」成果論文集), 197, 218, 2006年12月01日, 國學院大學21世紀COEプログラム研究センター, 江戸時代の日光は、徳川幕府の開闢徳川家康が東照宮に山王一実神道によって神として祀られた聖地であった。八王子千人頭は一隊を率いてその日光の防火警備に当たった。本稿ではその八王子千人頭の視点から、日光の儀礼空間の多重性を明らかにした。そのような儀礼空間が言説化される時に私的機能化が行われる。このことを通じて儀礼空間は近世的秩序を逸脱していくことになる。
「吉宗政権における古式復興と儀礼」, 『国史学』, 第200号, 103, 145, 2010年04月30日, 国史学会, 江戸幕府八代将軍徳川吉宗の行なった儀礼復古政策について検討したもの。
「ある開発批判言説の同時代認識と世界観-武蔵野の開発をめぐって-」 , 根岸茂夫・大友一雄・佐藤孝之・末岡照啓編『近世の環境と開発』, 29, 48, 2010年12月30日, 思文閣出版, 武蔵野の開発をめぐって、その開発を批判する言説を分析したもの。
「荻生徂徠『政談』の構想と社会的実践の可能性」, 『國學院雑誌』, 第112巻第4号, 1, 14, 2011年04月15日, 國學院大學, 荻生徂徠の著書『政談』を分析して、その社会的実践の可能性について論じた。
「藩邸からみた渋谷」, 上山和雄編『歴史のなかの渋谷』, 135, 158, 2011年03月10日, 雄山閣, 江戸時代の藩邸の変遷から、渋谷の地域性を検討した。
「松崎慊堂をめぐる空間と人物」, 上山和雄編『歴史のなかの渋谷』, 159, 180, 2011年03月10日, 雄山閣, 渋谷に住んだ松崎慊堂という儒学者の人間関係を中心に論じた。
「八王子千人組における番組合の成立とその意義」, 『國學院大學紀要』, 第51号, 99, 120, 2013年01月31日, 國學院大學, 江戸幕府直属奉公人である八王子千人同心たちが、寛政期に結成した番組合の歴史的意義を検証した。
「八王子千人組における月番所の成立とその意義」, 『日本歴史』, 第783号, 35, 51, 2013年08月01日, 日本歴史学会, 江戸幕府直属奉公人である八王子千人同心に対して行われた寛政期の改革によって設けられた月番所成立の経緯とその意義について論じた。
「「貝取村森田氏一件」からみた八王子千人同心の「自治」」, 『國學院雑誌』, 第114巻10号, 1, 13, 2013年10月15日, 國學院大學, 江戸幕府直属奉公人である八王子千人同心が、文政3年に起こした事件から、その「自治」の様相を考察した。
「幕末維新期、藩邸をめぐる人の移動―伊予西条から渋谷へ―」, 『結節点としての渋谷―江戸から東京へ―』, 45, 75, 2014年02月28日, 國學院大學研究開発推進センター, 渋谷にあった伊予西条藩上・下屋敷へ奉公する武家奉公人の動向について考察した。
「八王子千人同心株売買の実態」, 『國學院大學紀要』第54号, 149, 174, 2016年01月31日, 國學院大學, 江戸幕府に直接仕える武家奉公人である八王子千人同心を勤める権利は、株となって売買された。本稿ではその発生から崩壊まで時期毎の特質を論じた。
「八王子千人同心株売買の変容」, 東四柳史明編『地域社会の文化と史料』, 348, 365, 2017年02月25日, 同成社, 江戸幕府に直接仕える武家奉公人である八王子千人同心を勤める権利は株となって売買されたが、19世紀になって経済的色彩が濃厚になっていったことを明らかにした。
「関東取締の語りと地域社会の主体化」, 『国史学』第219号, 9, 66, 2016年06月01日, 国史学会
佐藤孝之『近世駆込寺と紛争解決』, 吉岡孝, 『国史学』第237号, 2022年12月20日, 国史学会
尾脇秀和『近世社会と壱人両名 身分・支配・秩序の特質と構造』, 吉岡孝, 『関東近世史研究』第91号, 2022年08月19日, 関東近世史研究会
関口博巨『近世村落の領域と身分』, 吉岡孝, 『国史学』第234号, 2022年02月28日, 国史学会
畑尚子『島津家の内願と大奥ー「風のしるべ」翻刻ー』, 吉岡孝, 『国史学』第229号, 2019年11月30日, 国史学会
大石学編『十九世紀の政権交代と社会変動―社会・外交・国家―』, 『地方史研究』, 第345号, 120, 122, 2010年06月01日, 地方史研究協議会, 東京学芸大学大石学が編集した当該書の内容を紹介したもの。
「大谷貞夫氏の江戸幕府牧の研究継承のために」, 『江戸幕府の直営牧』, 303, 312, 2009年11月01日, 岩田書院, 國學院大學教授を勤められた故大谷貞夫が著した、江戸時代における房総牧研究の成果をまとめた遺著の解題。
酒井耕造著『近世会津の村と社会』, 『地方史研究』, 第57巻第6号, 85, 86, 2007年12月01日, 地方史研究協議会, 江戸時代の奥州会津地方等を事例にした村落社会史研究の書物である当該書の新刊紹介。
「関東取締出役研究会編『関東取締出役』」, 『関東近世史研究』, 第61号, 38, 42, 2007年03月01日, 関東近世史研究会, 本稿は関東取締出役研究会が編集した『関東取締出役』という書籍の書評である。従来関東取締出役は治安警察組織として知られているが、この本では三つの時期に分けてその通説を批判している。これは評価されるべき点であるが、従来の通説の成立基盤である関東一円支配体制論に対する根本的な批判を欠いた故に、批判が不徹底になったと主張した。
大石学編『新選組情報館』, 『関東近世史研究』, 第58号, 113, 117, 2005年08月01日, 関東近世史研究会
『二宮町史資料編Ⅰ』, 『関東近世史研究』, 第33号, 49, 50, 1992年10月01日, 関東近世史研究会
『東京学芸大学近世史研究』第4号, 『関東近世史研究』, 第30号, 1991年06月01日, 関東近世史研究会, 桜井昭男、田淵正和
『南足柄市史』第八巻, 『関東近世史研究』, 第29号, 47, 48, 1990年10月01日, 関東近世史研究会
「寛政期の感情・倹約・制度ー勘定奉行中川忠英言行録『令聞余響』の世界」, 吉岡孝、岩橋清美, 岩田書院, 2025年01月
『幕末期の八王子千人同心と長州征討』, 岩橋清美、吉岡孝共編著, 岩田書院, 2019年11月01日
『明治維新に不都合な「新選組」の真実』, 吉岡 孝, KKベストセラーズ, 2019年10月15日, 幕末に活躍した新選組の歴史
『小金井市史』通史編, 吉岡 孝ほか, 小金井市, 2019年03月29日
『空襲で消えた「戦国」の城と財宝』, 吉岡 孝 監修, 平凡社, 2019年04月25日, 第二次世界大戦では日本列島は米軍によって多くの空襲を受けた。それによって大量の文化財が焼失した。本書は戦国時代の文化財を中心に残された写真等から、それら失われた貴重な文化財を紹介したものである。
『新島村史』 通史編, 吉岡 孝 ほか, 新島村, 1996年03月01日, 川崎義雄、吉田恵二、金子浩昌、谷口栄、加藤秀之、小林信一、山村貴輝、前田万作、段木一行、青木豊、馬場憲一、前田明永、澤登寛聡、米崎清実、武田庸二郎、岩橋清美、長井純市、黒川徳男、出川長芳、水野真知子、小島孝夫、蜂谷義雄、坂本寛幸、小林亥一
『事典しらべる江戸時代』, 吉岡 孝 ほか, 柏書房, 2001年10月01日, 林英夫、青木美智男(編集代表)
『八王子千人同心』, 吉岡 孝, 同成社, 2002年12月01日, 現在の東京都八王子市を中心に、江戸時代に存在していた八王子千人同心は、通説では御家人、つまり武士身分とされる。本書ではこのような通説の超克を目的とし、基本的には八王子千人同心は百姓身分であることを実証することを企図した。この課題を果たすことにより、近世身分制社会は社会的身分と体制的身分の二重の身分から捉える必要があり、19世紀に入ると、そのような身分制的構造が崩壊過程に入ることを論述した。
『小川町の歴史 通史編』上巻, 吉岡 孝 ほか, 小川町, 2003年10月01日, 高橋一夫、田代脩、根岸茂夫、吉田稔、中島宏、浅野晴樹、栗島義明、黒坂禎二、水口由起子、田中広明、小宮山克巳、栗岡真理子、林宏一、武井尚、諸岡勝、野口達郎、桜井昭男、太田喜美子、岩橋清美、実松幸男、実松昌子、関口豊樹、原太平、高見沢美紀、宮原一郎、坂本達郎、細野健太郎、村岡花恵
『江戸のバガボンドたち』, 吉岡 孝, ぶんか社, 2003年12月01日, 本書は近世身分制社会の周縁にいた者たちについての研究を、一般書の形でまとめたものである。かぶき者とか通り者とか称されてきた彼らに対する評価は概して低い。しかし身分制社会は市民社会的自由を体制的に認めることができず、そのような要素を排除してきたことを忘れてはならない。アウトローの中に自由を希求する民衆の動向を見出すことは可能であろう。本書では近世身分制社会における自由と秩序の関係を豊臣秀吉から明治の自由民権運期まで論述した。
『高尾山薬王院文書を紐とく』, 吉岡 孝 ほか, ふこく出版, 2005年06月01日, 村上直、外山徹、岩橋清美
『新編荷田春満全集』第10巻「国史」, 吉岡 孝 監修, おうふう, 2009年01月25日, 国学者荷田春満の作品から国史研究に関するものを編集した全集の10巻目。
『千駄ヶ谷五丁目遺跡3次報告』, 吉岡 孝 ほか, 株式会社 四門, 2013年10月31日, 高橋直崇 鈴木祐子 石井たま子 向井亙 パリノ・サーヴェイ株式会社 阿部常樹 田口哲也 小林一広 奈良貴史 新免歳靖 水本和美 二宮修治, 本書は東京都渋谷区千駄ヶ谷五丁目955番地周辺の遺跡発掘調査報告書である。近世では武家屋敷他があったが、小生は文献からその近世での様相を記述することが担当であった。
『八王子千人同心における身分越境-百姓から御家人へー』, 吉岡 孝, 岩田書院, 2017年03月01日, 従来身分とは固定的な硬質なものと考えられてきたが、社会的諸関係の変容とともに身分も変容していくという視点から、八王子千人同心の身分を考察した。
『内藤正成の活躍』, 吉岡 孝 監修, 久喜市教育委員会, 2018年03月30日, 内藤正成は徳川家康の天下統一を助けた武将である。その正成の生涯を追った。構成は以下の通りである。第1章 内藤正成の家系、第2章 内藤正成の活躍、第3章 内藤家の地方支配。関係史料の翻刻等も掲載し、吉岡は全体の監修を担当した。
地誌に描かれた地域-藤澤地域を中心に-, 吉岡孝, 藤澤浮世絵館講演会, 2023年03月25日
吉宗政権と房総の牧, 吉岡孝, 鎌ケ谷市, 2021年03月14日
多摩地域における在村文化と剣術の普及, 吉岡孝, 日野市, 2020年12月19日
世田谷の旗本領主たち, 吉岡孝, 世田谷区教育委員会, 2019年12月05日
荻野新宿の楽市と後北条氏制札, 吉岡孝, 荻野の歴史を学ぶ会, 2019年10月27日
日記からみた八王子千人同心の長州征討, 吉岡孝, 町田市自由民権資料館, 2018年11月17日
地域社会からみた八王子千人隊の静岡移住, 吉岡孝, 國學院大學院友会静岡県中部支部, 2018年09月08日
シンポジウム「八王子千人同心からみた第二次長州征討」, 吉岡孝、宮澤歩美、西留いずみ、井上翼、辻博仁, 関東近世史研究会, 2018年07月14日
「八王子千人同心自治論
―八王子千人同心株売買証文を中心に―」
, 2014年09月27日, 関東近世史研究会, 八王子千人同心株売買証文の検討を通じて、その自治の基盤について論じた。
「八王子千人同心における日光東照宮警備の意義」, 2014年08月25日, 神社史料研究会, 八王子千人組が江戸時代に行っていた日光火の番などの意義について考察した。
「幕末維新期、藩邸をめぐる人の移動-伊予西条から渋谷へー」, 2012年02月25日, 第3回渋谷学シンポジウム(國學院大學), 渋谷にあった伊予西条藩邸への奉公人と地元との関係を論じた。
「吉宗政権における古式復興と儀礼」, 2009年06月14日, 国史学会大会(於國學院大學), 江戸幕府8代将軍徳川吉宗が行なった、曲水宴などの儀礼復興とその意義について報告した。
「享保期新田開発政策の背景」, 2007年06月01日, 関東近世史研究会6月例会(於 國學院大學), この報告は徳川吉宗による新田開発政策の背景に、徳川家家臣団の再編があったことを指摘した。
「一七世紀における身分表象規制と倹約令」, 2003年11月01日, 国史学会10月例会(於 國學院大學)
「旗本家臣と千人同心との交流の一事例」, 2002年06月01日, 国史学会6月例会(於 國學院大學)
「寛政期における寺中人別帳の成立-武州高尾山薬王院の一事例-」, 1991年10月01日, 日本古文書学会第24回大会(於 中央大学)
「近世後期における文化と地域編成」, 1991年10月01日, 関東近世史研究会1990年度大会(於 法政大学)
「寛政期多摩地方における在地調査と寺社」, 1990年06月01日, 関東近世史研究会5月例会(於 法政大学)