「『論語』と﨑門ー嘉点「克巳復礼為仁」を通してー」, 西岡和彦, 『國學院雑誌』, 第125巻, 第12号, 34, 53, 2024年12月15日, 國學院大學
『天日隅宮考』と出雲大社, 西岡和彦, 『國學院雑誌』, 第123巻, 第12号, 21, 55, 2022年12月15日, 國學院大學文学部資料室, 出雲大社が依頼し、正親町公通が監修し、玉木正英が作成し、霊元上皇に献上した近世出雲大社の神話の研究。
自重館文庫成立史—北島国造家と垂加神道—, 西岡和彦, 島根県古代文化センター研究論集『日本書紀と出雲観』, 第26集, 199, 211, 2021年03月31日, 今井書店, 北島国造家の自重館文庫の調査にもとづき、北島国造家を中心とした出雲大社と垂加神道との関係を明らかにした。
近世杵築周辺の”神学", 西岡和彦, 島根県古代文化センター研究論集『日本書紀と出雲観』, 第26集, 167, 183, 2021年03月31日, 今井書店, 近世出雲大社を中心に思想史の変遷と一貫した神学を明らかにした。
『日本書紀』と山崎闇斎—とくに『風水草』の分析から—, 西岡和彦, 『神道宗教』, 第259・260号, 71, 91, 2020年10月25日, 神道宗教学会, 山崎闇斎の『日本書紀』研究を『風水草』にもとづいて分析
垂加神道流天孫降臨考, 西岡和彦, 藝林, 68, 2, 44, 77, 2019年10月10日, 藝林會, 現代の神学的視点ではなく、垂加神道的神学から高天原や天孫降臨を改めて見直すことを提唱した。
山崎闇斎と『旧事大成経』, 西岡和彦, 『國學院雑誌』, 第119巻第8号, 1, 21, 2018年08月15日, 国学院大学文学部資料室
国学者の論じたムスヒ信仰, 西岡和彦, 『悠久』, 第128号, 23, 36, 2012年08月10日, おうふう, 特集「むすひの信仰」。造化神に関する神学を本居宣長を中心に、その前後(前―伊勢本『古語拾遺』から伊勢神道・垂加神道、後ー平田篤胤・鈴木重胤)の神学を概観する。
「天之益人」考―「大祓詞」の神道神学的考察の試み―, 西岡和彦, 『神道宗教』, 222・223, 1, 23, 2011年07月25日, 神道宗教学会, 「天之益人」には青人草と同義語とする説と優秀な人とする説とがある。ただし、「天之」については、ほとんどの注釈書が称辞として、具体的な意味をもたせていない。それに対し、「天之」は天上界や高天原といった神道神学的実体を表す語であり、「益人」は優秀な人と解して、「大祓詞」を読み直すことを試みたものである。
近世の神道史-天皇を再発見した「神の道」について, 西岡和彦, 『東亜道文化国際学術検討会論文集』, 191, 220, 2010年11月01日, 北京大学宗教文化研究院新宗教研究中心・北京大学日本文化研究所, 東アジアの道文化について、日中韓三国の研究者が北京大学で二日間検討した発表論文集
天御蔭日御蔭と天日隅宮と, 西岡和彦, 『國學院雑誌』, 111-9, 1, 15, 2010年09月15日, 國學院大學, 天日隅宮とは出雲大社の別名である。一般に天日隅宮とは、日の昇る側にある伊勢神宮に対し、出雲大社が日の沈む側にあることから、そのように名付けられたとされるが、この名称が『日本書紀』所載の幽顕分治で大己貴神に交換条件で出された宮殿を表していることから、一般の説では説明がつかないことは自明である。この名称は天皇の宮殿に用いられる「天之御蔭日之御蔭」と同義であり、天上の高天原にある日の神天照大御神の宮殿を意味するものである。本論は、それを証明したものである。
「大山為起と『職原抄玉掇』―垂加神道家の『職原抄』研究―」, 西岡和彦, 『朱』, 52号, 2009年02月01日, 伏見稲荷大社
「玉木正英と出雲大社-出雲大社参拝を示す書状を補足して-」, 西岡和彦, 『國學院雑誌』, 第107巻第11号, 126, 140, 2006年11月01日, 國學院大學, 出雲大社は橘家神道に淵源をもつ蟇目神事をいまも厳然と行っている。それは江戸時代に出雲大社に垂加神道が入っていたからであるが、それがいつ受け入れられたのかはわからなかった。拙著『近世出雲大社の基礎的研究』(原書房)では、傍証史料から玉木正英が出雲大社に参拝したときからであろうと推測した。このたび、その証拠となる正英の書状が見つかったので、改めて玉木正英の出雲大社参拝とその後の出雲大社と垂加神道との関係を論じたのである。
「神籬磐境考-垂加神道の祭政一致観-」, 西岡和彦, 阪本是丸編『国家神道再考-祭政一致国家の形成と展開-』, 1, 37, 2006年10月01日, 弘文堂, 松本丘、中野裕三、星野光樹、中村聡、河村忠伸、戸浪裕之、齊藤智朗、藤本頼生、宮本誉士、藤田大誠, 垂加神道の祭政一致観を天皇守護の教えである「神籬磐境伝」を中心に検討した。神道をはじめ一君万民・祭政一致の我が国の姿を堅持するためには、天皇をいかに堅固にお守りするかが大命題であることは、本居宣長も明言したところであった。山崎闇斎はそれを明らかにしえてはじめて日本人は安心が得られるとした。本論はそうした闇斎の考えを明らかにしようと試みたものである。
「梧陰文庫所蔵「伝谷川士清書入校正本『日本書紀』」愚見」, 西岡和彦, 『井上毅と梧陰文庫』, 181, 187, 2006年02月01日, 汲古書院
「大国神像考-出雲大社と垂加神道との関係から-」, 西岡和彦, 『神道文化』, 17, 51, 75, 2005年11月01日, 神道文化会, 出雲大社の大国主神像は、一般に知られている大きな袋を背負い、小槌を持った姿ではなく、両手で玉を抱えた姿をしている。その原型と思われる神像を竹原市の礒宮八幡神社で発見した。そこで、この形の神像がいつ頃、いかなる理由で出雲大社に採用されたのか、さらにその姿は何を意味したものなのか、それが出雲大社にどのような形で採用され現在に至っているのかを探究した。
「寛文度の造営遷宮以後-近世出雲大社の造営遷宮(承前)-」, 西岡和彦, 『大社町史研究紀要』, 6, 1, 19, 2005年03月01日, 大社町教育委員会, 出雲大社の寛文度の造営遷宮以後から延享度の造営遷宮に至るまでの歴史を概説論及したもの。
「近世出雲大社の造営遷宮」, 西岡和彦, 『大社町史研究紀要』, 5, 1, 19, 2004年03月01日, 大社町教育委員会, 寛文度の造営遷宮とそれに至るまでの出雲大社の歴史を概説論及したもの。
「神在祭と近世出雲大社」, 西岡和彦, 『國學院雑誌』, 第104巻第11号, 61, 76, 2003年11月01日, 國學院大學, 近世出雲大社の年中行事改編による神在祭の位置とその後の変遷について論及したもの。
「本居宣長の「神の道」論-「君は古への道の全体也-」, 西岡和彦, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第35号, 32, 55, 2002年06月01日, 明治聖徳記念学会
「出雲大社に於ける垂加神道と国学の共生」, 西岡和彦, 『日本思想史学』, 32, 65, 74, 2000年09月01日, 日本思想史学会, 出雲大社では垂加神道と国学は、受容形態が異なっていたため、共生できた。垂加神道の場合、「神道」として受容し、それは両国造家伝来の神道と融合することで幕末まで伝わった。一方、国学は「神道」ではなく「古学」という学問として受容した。そのため、「古学」は「神道」のように両国造家の間で競い合うことなく、お互いに自由に学ぶことができた。また、「古学」を通じて社家の間で共通の理解が芽生え、その状態で明治維新を迎えられたことが、その後の出雲大社の台頭に繋がった、と推論した。
「江戸垂加神道家の天皇観-跡部良顕と伴部安崇の『旧事本紀玄義』研究を通して-」, 西岡和彦, 『日本学研究』, 3, 145, 173, 2000年08月01日, 金沢工業大学日本学研究所, 山崎闇斎が『旧事本紀玄義』から神道上大事な所を抜粋したのが『自従抄』である。それを入手できなかった良顕と安崇は、独学で『旧事本紀玄義』を研究した。そのため京都の垂加神道家と相違した神学を導き出したが、それは闇斎の神学により近似していたのである。その神学とは、天皇と万民との間柄を相互守護の関係、と見る天皇観であった。ここに闇斎歿後の垂加神道の天皇観の変遷が明らかとなった。
「『出雲大社記』と玉木正英」, 西岡和彦, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第83輯, 225, 253, 1999年03月01日, 國學院大學日本文化研究所
「垂加派の日本紀研究」, 西岡和彦, 『国文学 解釈と鑑賞』, 643, 107, 116, 1999年02月01日, 至文堂
「出雲大社の国学受容と千家俊信-社家の精神と学問-」, 『神道文化』, 10, 83, 108, 1998年12月01日, 神道文化会, 大社における垂加神道の受容は、失地回復のためであった。それに対し、国学の受容は『出雲風土記』を編纂した出雲臣広嶋から伝わった「出雲神道」を明らかにするためであった。すなわち、大社の諸先輩が、垂加神道や崎門学を導入することで、本社が伊勢神宮に次ぐ社格である、との自信を取り戻させると、今度は俊信が国学(学問)を導入することで、社家の精神(出雲神道)を復活させようとしたのである。本論は、千家俊信を通して近世社家の精神や学問を論述した。
「近世出雲大社の思想的研究-特に垂加神道受容の要因並びに国学との相克について-」, 西岡和彦, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第80輯, 137, 188, 1997年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 近世出雲大社の研究は未開拓である。なぜ大社が垂加神道を受容したのか、それはどの様な形で受容されたのか、そして国学が導入された後、お互いどの様な関係をもったのか等々。そこで、垂加神道が受容される以前に起きた佐陀神社との争論に注目した。それは権門体制から解放された神社が、幕藩体制下で新たな生き方を摸索していた時に起きた事件であった。その争論に敗れた大社は、幕府や藩から制裁を受けた。その失地回復に、崎門学者を招聘し、両国造家は競って垂加神道を導入していった事を明らかにした。
「垂加神道善悪考序説-山崎闇斎と大山為起-」, 西岡和彦, 『季刊 日本思想史』, 47, 17, 35, 1996年03月01日, ぺりかん社
「大山為起の日本書紀研究と藤森神社-近世中期神道家の古典研究-」, 西岡和彦, 『神道宗教』, 157号, 21, 45, 1994年03月01日, 神道宗教学会, なぜ、大山為起が我が国で最初に単独で『日本書紀』全巻を注釈したのか。そこで外的と内的の二つの要因をあげて論究した。外的要因は、神武天皇以降の史書編纂が流行していた事。しかし、それは一般論にすぎない。そこで注目したのが、彼が伏見稲荷神社の社家であり、同時に藤森神社の氏子という内的要因であった。彼の氏神舎人親王に対する篤い思いと山崎闇斎の遺志(垂加神道)の継承が、その外的要因と融合して、彼をして『日本書紀』全巻の注釈をなさしめた、と考えた。
「山崎闇斎編著『東家秘伝美言』解説」, 西岡和彦, 『神道史研究』, 40-4, 48, 73, 1992年10月01日, 神道史学会, 近藤啓吾先生の神宮文庫所蔵『元元集美言』発見に続き、『東家秘伝美言』を筑波大学図書館で発見したものを発表したもの。これにより、山崎闇齋が北畠親房の著書を通じて、吉田神道よりさきに伊勢神道の影響があったことを証明した。
「山﨑闇斎の伊勢神宮観」, 西岡和彦, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第61号, 191, 304, 2024年11月03日, 明治聖徳記念学会, 明治聖徳記念学会公開シンポジウム「神社の信仰の今と昔ー伊勢神宮を軸にしてー」(共催;明治聖徳記念学会・國學院大學研究開発推進センター、日時;令和6年7月13日(土)13時〜17時、会場;國學院大學渋谷キャンパス学術メディアセンター1階常磐松ホール、発題;大東敬明(國學院大學研究開発推進機構教授)、西岡和彦(國學院大學神道文化学部教授)、中野裕三(明治聖徳記念学会事務局・國學院大學兼任講師)、吉川竜実(神宮参事)、コメント;牟禮仁(元皇學館大学神道研究所教授・神社本庁教学顧問)、司会櫻井治男(皇學館大学名誉教授))の筆記録を、増補改訂したもの。
正学講話ー崎門学「中臣祓(下)ー山崎闇斎著『風水草』よりー」, 西岡和彦, 『日本』, 第72巻, 第9号, 28, 34, 2022年09月01日, 日本学協会, 『風水草』にもとづいて「中臣祓」を注解・解説する
正学講話—崎門学「中臣祓(上)—山崎闇斎著『風水草』より—」, 西岡和彦, 『日本』, 第72巻, 第8号, 32, 39, 2022年08月01日, 日本学協会, 『風水草』にもとづいて「中臣祓」を注解・解説する
発題Ⅰ「神勅と祭祀—垂加神道の神学から—」, 西岡和彦, 『神社本廳総合研究所紀要』, 第27号, 167, 179, 2022年06月01日, 神社本庁総合研究所, 「神道の目的は、宝祚無窮・天下太平であり、そのための手段が皇孫守護、すなわち天皇守護である。『神勅と祭祀』とは、神道の目的成就の願いを告げ(神勅)、そのための手段を諮り、実行するもの(祭祀)である」との命題をあげ、それらを論証したものである。
闇斎先生と中臣祓(下), 西岡和彦, 『日本』, 第70巻, 第5号, 24, 31, 2020年05月01日, 日本学協会
出雲大社の神仏習合と分離, 西岡和彦, 神社と実務, 19号, 4, 23, 2020年04月01日, 現代神社と実務研究会
「闇斎先生と中臣祓」(上), 西岡和彦, 『日本』, 第70巻, 第4号, 20, 27, 2020年04月01日, 日本学協会, 令和元年11月に京都下御霊神社で行われた山崎闇斎先生生誕400年祭での記念講演の講演原稿を加筆修正したもの。
「自他を善化し、万物を浄化するー今泉定助のミソギとハラエの意義を読み解くー」, 西岡和彦, 『大倉山論集』, 第66輯, 3, 36, 2020年03月26日, 公益財団法人大倉精神文化研究所, 今泉定助の『大祓講義』からミソギとハラエの実践神学を読み解いたもの。
御心の冥慮でお守りせよー闇斎先生と日本魂ー, 西岡和彦, 『日本』, 第67巻第7号, 31, 38, 2017年07月01日, 日本学協会, 千早鍛錬会講話
平泉澄『首丘の人 大西郷【新装版】』維新の功臣との「対話」 帰幽後に刊行の「遺言」
, 『神社新報』, 第3356号, 6, 2017年06月12日, 神社新報社
山﨑闇齋と三輪(みむろ), 西岡和彦, 『大美和』, 132, 15, 21, 2017年01月01日, 大神神社社務所, 大己貴神の幸魂・奇魂の三輪山勧請を通じて、山﨑闇齋の心神論から垂加神道の日本魂観を概観した。
中澤伸弘著『村上忠順論攷』村上忠順翁百三十年祭記念 柿之舎叢書⑤
幕末維新期の国学者の息吹, 『神社新報』, 第3245号, 6, 2015年02月02日, 神社新報社
『平泉澄博士神道論抄』を拝読して, 西岡和彦, 『藝林』, 第272号, 140, 144, 2014年10月10日, 藝林会
読書 神社本庁監修『神社のいろは要語集 宗教編』【神社検定公式テキスト⑤】ー百項目の「神道要語」要約して一冊に再編輯ー, 『神社新報』, 第3218号, 6, 6, 2014年07月07日, 神社新報社
「金輪御造営差図」の合理性ー出雲大社大遷宮にご奉仕しての所感ー, 『國學院雑誌』, 第115巻第3号, 42, 43, 2014年03月15日, 國學院大學
出雲大社の大遷宮ー寛文度の造営と祭祀ー, 西岡和彦, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第50号, 538, 552, 2013年11月03日, 明治聖徳記念学会
【書評・紹介】高橋美由紀著『神道思想史研究』, 『神道宗教』, 第231号, 131, 133, 2013年07月20日, 神道宗教学会
土俗的な「カミ信仰」がどのようにして「神道」になったか―神仏習合の研究史に続く、三〇年以上にわたる神道思想研究の成果― 高橋美由紀著『神道思想史研究』ぺりかん社, 『図書新聞』, 3116号, 3, 2013年06月29日, 図書新聞, 高橋美由紀著『神道思想史研究』(ぺりかん社)の書評
天下無双の大厦、国中第一の霊神ー出雲大社遷宮史ー, 西岡和彦, 『大社の史話ー出雲大社「平成の大遷宮」特集号ー』, 第174号, 22, 34, 2013年03月29日, 大社史話会
, 出雲大社の遷宮史を概説する。
神道と日本人の信仰心ー神典としての『古事記』の見方ー
, 『大倉山論集』, 第59輯, 199, 225, 2013年03月21日, 大倉精神文化研究所, 神典『古事記』の天地初発から天孫降臨までの講演録を加筆訂正したもの。
奉公無我の精神-忘れられた哲人、大倉邦彦小伝-(下), 『大法輪』, 79-2, 134, 140, 2012年02月01日, 大法輪閣, 六、女子教育と幼児教育 七、東洋大学の再建 八、A級戦犯容疑 おわりに
奉公無我の精神-忘れられた哲人、大倉邦彦小伝-(中), 『大法輪』, 79-1, 140, 145, 2012年01月01日, 大法輪閣, 目次 三、大倉精神文化研究所の設立 四、日本精神文化曼荼羅 五、『神典』の編纂と刊行
奉公無我の精神-忘れられた哲人、大倉邦彦小伝-(上), 西岡和彦, 『大法輪』, 78-12, 52, 57, 2011年12月01日, 大法輪閣, 目次 はじめに 一、生い立ち―誕生から社長就任まで― 二、至誠奉公のすすめ
二宮尊徳の生涯と教え(その4), 『大法輪』, 78-3, 2011年02月01日, 大法輪閣
二宮尊徳の生涯と教え(その3), 『大法輪』, 78-2, 2011年01月01日, 大法輪閣
二宮尊徳の生涯と教え(その2), 『大法輪』, 78-1, 2010年12月01日, 大法輪閣
二宮尊徳の生涯と教え(その一), 西岡和彦, 『大法輪』, 77-12, 146, 150, 2010年11月08日, 大法輪閣
(書評)阪本是丸『近世・近代神道論考』(弘文堂), 西岡和彦, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊45号, 424, 433, 2008年11月03日, 明治聖徳記念学会
(書評)「松本丘著『垂加神道の人々と日本書紀』 闇斎歿後の垂加神道 新たな歴史像を示す」, 西岡和彦, 『神社新報』, 2945号, 2008年09月08日, 神社新報社
(書評と紹介)「磯前順一・小倉慈司編『近世朝廷と垂加神道』, 西岡和彦, 『日本歴史』, 719号, 2008年04月01日, 吉川弘文館
新刊紹介:「近藤啓吾著『崎門三先生の学問-垂加神道のこころ-』」, 西岡和彦, 『神道史研究』, 54-2, 87, 90, 2006年10月01日, 神道史学会, 近藤啓吾著『崎門三先生の学問-垂加神道のこころ-』の紹介。
「中山広司著『近世日本学の研究』」, 西岡和彦, 『神道宗教』, 171号, 119, 125, 1998年06月01日, 神道宗教学会, 書評・紹介
新刊紹介「大倉精神文化研究所編『近世の精神生活』ー近世日本精神史の総合的研究書ー」, 『神社新報』, 第2387号, 5, 1996年10月28日, 神社新報社
「近藤啓吾著『続々山崎闇斎の研究』」, 西岡和彦, 『神道宗教』, 159号, 100, 104, 1995年06月01日, 神道宗教学会, 新刊紹介
「平田俊春著『南朝史論考』」, 西岡和彦, 『神道宗教』, 158号, 101, 105, 1994年12月01日, 神道宗教学会, 新刊紹介
「跡部良顕『垂加翁神道教之伝』(1)-その翻刻と注解-」, 西岡和彦, 『いわき紀要』, 17, 1, 5, 1992年01月01日, いわき短期大学, 矢崎浩之、伊藤聡
『増補版 神道の格言 「かぎろい」抄(六)』 大神神社三輪山文化叢書, 西岡和彦, 大神神社社務所, 2024年08月26日, 六年間72回分の「神道の格言」から56題を選び、増補改訂した。
『國學院大學大学院令和五年度特定課題研究 神社所蔵漢文文献の発掘・解読・評価』, 西岡和彦、根岸茂夫、吉岡孝、浅野春二、石本道明、青木洋二、佐川繭子、鈴木崇義、大貫大樹, 國學院大學, 2024年02月28日, 西岡和彦、根岸茂夫、吉岡孝、浅野春二、石本道明、青木洋二、佐川繭子、鈴木崇義、大貫大樹, 研究目的と活動概要の報告を詳細に記す
『プレステップ神道学〈第2版〉』, 國學院大學神道文化学部, 弘文堂, 2023年02月28日, 第2版, 「神道と文化」の教科書
國學院大學大学院 令和三年度 特定課題研究『神社所蔵漢文文献の発掘・解読・評価』, 西岡和彦・浅野春二・根岸茂夫・石本道明・吉岡孝・宮内克浩, 國學院大學大学院, 2022年02月19日, 西岡和彦・浅野春二・根岸茂夫・石本道明・吉岡孝・宮内克浩・大貫大樹・木村剛大・名越健人
『江戸期『論語』訓蒙書の基礎的研究』, 西岡和彦・石本道明・青木洋司, 明徳出版社, 2021年12月28日, 西岡和彦・石本道明・青木洋司・篠原泰彦・大貫大樹・木村剛大・今瀬英一朗・中山ひかり・柴崎一孝
『近代の神道と社会』, 責任編集阪本是丸, 弘文堂, 2020年02月15日
『先代旧事本紀論 史書・神道書の成立と受容』, 西岡和彦, 花鳥社, 2019年08月31日, 工藤浩、西岡和彦、松本直樹、福田武史、小村宏史、松本弘毅、伊東剣、奥田敏博、鈴木正信、小林真美、渡邉卓、星愛美
『出雲地域の学問・文芸の興隆と文化活動』, 西岡和彦, 今井出版, 2018年11月01日, 野本瑠美、芦田耕一、中澤伸弘、伊藤善隆、佐々木杏里、田中則雄、岡宏三
国宝重要文化財出雲大社本殿ほか二十二棟保存修理工事報告書, 西岡和彦ほか, 宗教法人出雲大社, 2018年03月, 岡信治、西岡和彦、野坂俊之、古川洋、佐々木歩美、小川保、遠藤優、棚田美紀子、石井由香理、坂本さゆり、杉本和樹、大澤正、坂本豊治、, 出雲大社平成の大遷宮における本殿以下の工事報告書
『神道の格言 「かぎろい」抄(五)』, 西岡和彦, 大神神社社務所, 2017年07月01日, 神道の格言を解説した30章からなる書
建国の使命―「大祓詞」の神学―, 西岡和彦, 伊勢神宮崇敬会, 2017年04月01日, 21, 豊葦原瑞穂国を君民一体となって安国することが建国の理念であり、我々の使命(国作り)であることを、「大祓詞」にもとづいて論述した。
第六章 シンポジウム「十月に神々が出雲に集うのはなぜか?」(第3回講座・シンポジウム), 今井出版, 2016年07月15日, 品川知彦、森田喜久男、新谷尚紀、錦田剛志
戦後神道界の群像, 神社新報社, 2016年07月08日
第一章概説第二節建物の沿革第一項「出雲大社境外社の概要」、第二項「創祀と祭神」, 宗教法人出雲大社, 2016年03月01日
出雲大社指定外建造物(文庫、祓社、上宮随神門、因佐神社本殿、湊社本殿・拝殿)保存修理工事報告書, 西岡和彦, 宗教法人出雲大社, 2016年03月01日
『出雲大社の造営遷宮と地域社会』下, 今井出版, 2015年05月20日, 2, 長谷川博史、谷本進、山﨑裕二、岡宏三、和田嘉宥、廣澤將城
『神葬祭総合大事典(普及版)』, 雄山閣, 2014年07月05日
文学研究の思想―儒学、神道そして国学―, 西岡和彦, 東海大学出版部, 2014年05月20日, 田尻祐一郎、城﨑陽子、山下久夫、志水義夫
『事典 神社の歴史と祭り』, 吉川弘文館, 2013年04月10日
出雲大社の寛文造営について―大社御造営日記の研究―, 島根県古代文化センター, 2013年03月01日, 48, 山﨑裕二, 佐草自清「御造営日記」を中心に寛文元年から同8年までの御造営遷宮関係史料を抄録し、時系列に並べ解説したものとその概説。
『国宝出雲大社本殿ほか22棟防災施設工事報告書』, 宗教法人出雲大社, 2013年03月01日, 太田昴幸、曽田辰雄、吉田博行、渡邉正巳、
『プレステップ神道学』, 弘文堂, 2011年05月15日, 岡田荘司・笹生衛・武田秀章・中西正幸・茂木栄・茂木貞純・黒崎浩行・松本久史・藤本頼生・星野光樹
『日本神道史』, 吉川弘文館, 2010年07月10日, 岡田荘司・笹生衛・藤森馨・加瀬直弥・齊藤智朗
『日本思想史辞典』, 山川出版社, 2009年04月22日
『大社町史』中巻・年表, 西岡和彦, 出雲市, 2008年09月30日, 西岡含め13名, 大社町の近世から近現代までの歴史。西岡は主に出雲大社や出雲地方の神社史を担当。
『生田神社史』, 国書刊行会, 2007年04月01日, p85~p154、p127~p786
『わかりやすい神道の歴史』, 神社新報社, 2005年09月15日, 高森明勅、嶋津宣史、吉川竜実、武田秀章、新田均、
『新編 荷田春満全集』第二巻(日本書紀・祝詞), 西岡和彦, おうふう, 2004年11月01日, 新編 荷田春満全集編集委員会, 國學院大學創立百二十周年記念出版の一環である『新編 荷田春満全集』の第二巻「祝詞」の担当責任者として翻刻と解題を手がけた。『祝詞式和解』の翻刻が出版されたのは今回が初めてである。
『神道史大辞典』, 吉川弘文館, 2004年07月01日
『出雲大社 社殿等建造物調査報告』, 西岡和彦, 大社町教育委員会, 2003年03月01日, 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所, 出雲大社境内の全ての社殿等の建造物調査の一環で、近世・近代の出雲大社社殿の造替・修理に関わる歴史や史料を概説した。
『近世出雲大社の基礎的研究』, 西岡和彦, 大明堂, 2002年09月01日
『講演集 大倉邦彦と精神文化研究所』, (財)大倉精神文化研究所, 2002年04月01日
『日本文化を知る講座 第二集』, 國學院大學日本文化研究所編, 2002年03月01日
『『直毘霊』を読む-二十一世紀に贈る本居宣長の神道論』, 西岡和彦, 右文書院, 2001年11月01日
『月例講話集 第二十一集 心に刻むことば(二)』, (財)大倉精神文化研究所, 2001年07月01日
『社寺造営の政治史』, 西岡和彦, 思文閣出版, 2000年12月01日, 山本信吉、畠山聡、木越祐馨、東四柳史明、横田光雄、松尾恒一、西岡和彦、中野光浩、橋本政宣, 古代~近世の社寺造営について、政治史という視点から研究した論文集。拙稿は寛文度の出雲大社造営遷宮を社家の視点に立って論述した。この時、副次的に幕府と藩の公認のもと、我が国初の神仏分離の実現があった。その要因として、儒家神道説の台頭や、神社が権門体制から幕藩体制下に組み込まれた中で、社家の自立意識や復古思想の萌芽があった事を明らかにした。本論は近世神社研究の新しい試みである。
『現代人のための祝詞の読み方-大祓詞篇-』, 西岡和彦, 右文書院, 2000年03月01日
『神道人物研究文献目録』, 西岡和彦, 弘文堂, 2000年03月01日
『神葬祭総合大事典』, 西岡和彦, 雄山閣, 2000年02月01日, 薗田稔、鈴鹿千代乃、上野誠、椙山林継、三橋正、西岡和彦、松本丘、阪本是丸、松宮兼房、小野和伸、金子善光、井上順孝, 神葬祭を歴史・祭祀・祭式・民俗・現代社会論などから総合的に研究した事典。拙稿は明治以前の葬送儀礼を政治史・社会史・思想史の面から論述。神葬祭は中世吉田神道から始まる。当初は仏教や陰陽道の説を折衷したが、近世になると仏教説が排除されていく。だが、一般に社家は神葬祭をすることが許されず、それを可能とするには吉田家の免許を必要とした。そのため、国学者と雖も吉田家流の神葬祭を行わねばならなかったのである。
『神道事典』, 西岡和彦, 弘文堂, 1994年07月01日
江戸時代に於ける中国古典と「心」と, 石本道明(國學院大學教授), 令和6年度藝林学術大会, 2024年11月09日, 藝林会, 日本国・東京都渋谷区, 大貫大樹(金沢工業大学助教)、青木洋司(國學院大學准教授)、関口直佑(早稲田大学先端社会科学研究所研究員)、西岡和彦(國學院大學教授), 日本の儒者が漢文古典から探求した「心」に注目し、報告者の専門に依拠した多角的な検討を行う。司会西岡「趣旨説明」、基調講演石本「淺見絅齋と楚辞ー朱子学になぜ文学が必要なのか−」、発題大貫「山崎闇斎編『拘幽操』小考ー文王の心をめぐりてー」、発題青木「古義学における「心」」、発題関口「後期水戸学における中国古典と「心」ー会沢正志斎を中心にー」、相互討論
山﨑闇斎の伊勢神宮観, 西岡和彦, 明治聖徳記念学会 公開シンポジウム
「神社の信仰の今と昔ー伊勢神宮を軸にしてー」, 2024年07月13日, 明治聖徳記念学会、國學院大學研究開発推進センター, 日本・東京, 大東敬明、中野裕三、吉川竜実、牟禮仁、櫻井治男, 伊勢神宮を通じて、闇斎の神道論を見る
「神儒兼学と和魂漢才」, 西岡和彦, 令和5年度「古典文化学」国際研究フォーラム, 2023年12月01日, 國學院大學研究開発推進センター 國學院大學「古典文化学」の創出研究事業, 渋谷区, 笹生衛、王凱
やまとごころー「朝日ににほふ山桜花」−, 西岡和彦, 令和5年度第5回「儀礼文化講座」, 2023年10月08日, 儀礼文化学会, 日本・東京
『論語』と崎門ー私欲に勝って礼に復えるにはー, 西岡和彦, 文学部講演会「近世日本と『論語』」, 2023年09月09日, 國學院大學文学部, 東京・渋谷区, 土田健次郎(早稲田大学名誉教授)、影山輝國(実践女子大学名誉教授)、水上雅晴(中央大學教授), 「克巳復礼為仁」を山崎闇斎をはじめ崎門がどのように理解し、論じてきたかを発表。
「大祓詞」と建国の精神, 西岡和彦, 「建国記念の日 奉祝中央式典」、第2部 奉祝記念講演, 2023年02月11日, 日本の建国を祝う会, 東京, 「大祓詞」から建国の精神を読み取る。
〔座談会〕「神道文化学部開設二十年を迎えて」, 西岡和彦、石井研士、武田秀章、黒﨑浩行、笹生衛、(司会)鈴木聡子, 『國學院雑誌』123−12(神道文化研究の今後の展望ー神道文化学部開設二十周年記念ー), 2022年12月15日, 神道文化学部, 東京・渋谷区, 西岡和彦、石井研士、武田秀章、黒﨑浩行、笹生衛、(司会)鈴木聡子
「大祓詞」を読む, 西岡和彦, 生活芸術講座, 2022年10月09日, 儀礼文化学会, 日本国・東京, 「大祓詞」の内容を講演。
「みことのり」と祭祀ー君臣合体相互扶助の関係ー, 西岡和彦, 京都府神社庁教化委員会主催「日本文化セミナー」, 2022年02月23日, 京都府神社庁教化委員会, 日本・京都市
神勅と祭祀ー垂加神道の神学からー, 西岡和彦, 第38回神社本庁神道教学研究大会, 2021年09月09日, 神社本庁, 日本・東京, 皇学館大学教授荊木美行・松本丘、國學院大學教授遠藤潤・齊藤智朗・松本久史・茂木貞純, 神勅と祭祀との関係を垂加神道の神学から発題した。
北島国造家と神道書ー自重館文庫調査を通じてー, 西岡和彦, 企画展「編纂1300年 日本書紀と出雲」関連講座第2回, 2020年10月18日, 島根県立古代出雲歴史博物館, 出雲市
近世出雲大社の復古事業ー神仏関係史ー, 西岡和彦, 儀礼文化講座, 2020年09月13日, 儀礼文化学会, 東京都
闇斎先生と中臣祓, 西岡和彦, 山崎闇齋生誕四百年祭, 2019年11月30日, 下御霊神社、藝林会, 日本・京都市
出雲大社の建築に見る古代ー近世人の夢見た古代出雲ー, 西岡和彦, 慶應義塾大学公認学生団体日本文化研究会講演会, 2019年10月26日, 慶應義塾大学公認学生団体日本文化研究会, 横浜市港北区日吉 慶應大学
天皇と神道ー本居宣長著『直毘霊』を読むー, 西岡和彦, 令和元年度北海道神道青年協議会研修会, 2019年10月08日, 北海道神道青年協議会, 苫小牧市
天皇と大祓ー今泉定助翁の大嘗祭論ー, 西岡和彦, 大嘗祭のこころ, 2019年09月14日, 古事記に学ぶ日本のこころ実行委員会, 東京都渋谷区, 小野善一郎、茂木貞純, 今泉定助の晩年の三代名著から、天皇の禊・祓・鎮魂をへて直霊発顕する大嘗祭論を紹介する。
自他を善化し、万物を浄化するーミソギとハラエの意義を読み解くー, 西岡和彦, 大倉山講演会, 2019年05月18日, 大倉精神文化研究所, 横浜市, 今泉定助翁のミソギとハラヘについて論じた。
出雲大社から見る神仏分離, 西岡和彦, 真宗教団連合中央研修会, 2018年12月06日, 真宗教団連合事務総局, 東京都渋谷区 國學院大學
天御蔭日御蔭と天日隅宮とー天皇と大國主大神の宮殿について—, 西岡和彦, 宇迦山会八十年記念大会, 2018年09月27日, 宇迦山会, 出雲市大社町 出雲大社
第三十四回神社本庁神道教学研究大会報告「人霊祭祀の歴史的展開」, 西岡和彦, 『神社本庁総合研究所紀要』, 2017年06月30日, 神社本庁総合研究所
「大祓詞」と建国の理念, 平成29年度皇學館大学文学部神道学科・神道学会共催講演会, 2017年06月22日, 皇學館大学
杵築文学隆盛の歴史的要因を探る, 西岡和彦, シンポジウム「江戸後期に杵築文学が隆盛になったのはどうしてか?」, 2017年03月18日, 第5回いづも財団公開講座(第Ⅳ期) 於大社文化プレイスうらら館, 島根県出雲市
垂加霊社を中心に、存生・死後の人霊祭祀について(発題I「近世における人霊祭祀の展開」I), 主題「人霊祭祀の歴史的展開」, 2016年08月30日, 第34回神道教学研究大会(於國學院大學学術メディアセンター常盤松ホール)
千家俊信の学問形成と国学の普及活動, 第2回テーマ「出雲国学の普及活動と梅廼舎熟」, 2016年08月06日, 平成28年度いづも財団公開講座第Ⅳ期 、於島根県立古代出雲歴史博物館講義室
「大祓詞」に見る我が国体観, 第47回国体文化講演会, 2016年06月03日, 日本国体学会(於学士会館)
延享度の造営と出雲信仰, 特別展「遷宮」特別展関連講座, 2016年04月23日, 島根県立古代出雲歴史博物館
「明和八年」に固執した宣長と「直毘霊」, 平成26年度宣長十講「宣長学の始動ー明和の宣長ー」, 2015年02月21日, 鈴屋学会(於松阪市松阪公民館)
「鼎談 新しい宣長像をめざして」, 第295回 知のコスモス シンポジウム企画, 2015年01月10日, 東海大学高輪校舎3号館4階教室、午後2時から4時まで
シンポジウム「十月に神々が集うのはなぜか?」, 第三回いづも財団公開講座(第Ⅱ期), 2014年10月18日, 主催 公益財団法人いづも財団 共催 出雲大社御遷宮奉賛会、島根県立古代出雲歴史博物館, 品川知彦(基調提案研究史―神々はなぜ出雲に集うのか?)、森田喜久男(提案1 神々が集う場所として出雲が選ばれた理由)、新谷尚紀(提案2 十月に神々が出雲に集まるといわれるのはなぜか?)、錦田剛志(コーディネーター)
講演「出雲大社 大遷宮祭の歴史と祭儀」(平成26年度例会), 『禮典』, 2014年09月30日, 禮典研究會
出雲大社大遷宮祭の歴史と祭儀, 禮典研究會例会, 2014年03月24日, 禮典研究會, 平成の大遷宮を中心に出雲大社大遷宮の歴史と祭儀を発表する。
日本勧化と延享の造営遷宮, いづも財団公開講座第1期講座第9回講演会(主題 延享造営と出雲御師の活躍), 2013年12月14日, いづも財団(於島根県立出雲古代歴史博物館講義室), 失地回復と日本勧化を経て、国宝出雲大社本殿の造営が成就したことを紹介する。
神社の造営と祭祀ー伊勢と出雲ー, 『明治聖徳記念学会』, 2013年11月03日, 明治聖徳記念学会
シンポジウム「江戸時代に出雲大社から仏教色が払拭されたのはなぜか?」, 第8回いづも財団公開講座, 2013年10月12日, 公益財団法人いづも財団, 主催公益財団法人いづも財団、共催出雲大社御遷宮奉賛会、島根県立古代出雲歴史博物館、会場大社文化プレイスうらら館
出雲大社の寛文造営と永宣旨, いづも財団公開講座第Ⅰ期第7回講演会, 2013年08月10日, 公益財団法人いづも財団, 島根県立古代出雲歴史博物館講義室にて行う。出雲大社の寛文度造営遷宮事業には、出雲大社のハード面だけでなくソフト面における復古もあったことを紹介する。ほかに山﨑裕二氏(公益財団法人いづも財団事務局次長)が「出雲大社の本願」を講演。
発題「出雲大社の大遷宮ー寛文度の造営と祭祀ー」, 公開シンポジウム「神社の造営と祭祀ー伊勢と出雲ー」, 2013年07月26日, 明治聖徳記念学会, 皇學館大学教授櫻井治男氏講演、國學院大學教授中西正幸氏発題、同茂木貞純氏司会、同准教授加瀬直弥氏コメンテーター、島根県神社庁参事錦田剛志氏コメンテーター
出雲大社の大遷宮ー寛文度の造営と祭祀ー, 西岡和彦, 公開シンポジウム「神社の造営と祭祀ー伊勢と出雲ー」, 2013年07月06日, 明治聖徳記念学会, 東京都渋谷区 國學院大學渋谷キャンパス学術メディアセンター棟1階常磐松ホール, 櫻井治男、中西正幸、西岡和彦、加瀬直弥、錦田剛志、茂木貞純
第30回神社本庁神道教学研究大会報告「神道的自然観と現代社会」, 『神社本庁総合研究所紀要』, 2013年05月01日, 神社本庁総合研究所
垂加神道と日本魂―留魂論の比較―, 公開シンポジウム「文学研究の思想―儒学、神道、そして国学―」, 2012年11月17日, 東海大学湘南校舎
シンポジウム 近世神道史の新視点―垂加神道を軸として―
, 『皇學館大学神道研究所紀要』, 2012年03月01日, 皇學館大学神道研究所, 出雲大社と垂加神道との関係について、寛文度の造営遷宮から出雲大社独特の「玉持ちだいこく像」までを述べる。
近世出雲大社史に見る垂加神道, 2010年12月18日, 「近世神道史の新視点-垂加神道を軸として-」(皇學館大学神道研究所 平成22年度公開学術シンポジウム)
近世の神道史-天皇を再発見した「神の道」について, 2010年11月08日, 東亜道文化国際学術検討会(於北京大學百周年紀念大講堂)
「羽黒山の秋の峰」, 2005年10月01日, 神道宗教学会10月例会
「近世における神道家の思想と実践」, 2005年09月01日, 第64回日本宗教学会大会(於 関西大学)
「第三回神在月古代文化シンポジウム「出雲神話の謎」~国譲りの舞台としての出雲~」, 『しまねの古代文化』, 2004年03月01日, 島根県古代文化センター, 出雲神話は決して古代の遺物ではなく、各時代において再生してきた。特に近世の出雲大社を中心に、出雲神話をいかなる形で受容し、それをいかなる形に加工して発信したかを概説した。
問題提起「近世出雲大社の出雲神話(テキスト)受容の変遷と発信」, 第三回神在月古代文化シンポジウム
「出雲神話の謎」~国譲りの舞台としての出雲~, 2003年11月22日, 島根県教育庁古代文化センター
「本居宣長の「神の道」論」, 2001年09月01日, 明治聖徳記念学会
「中村守臣・守手父子考」, 1999年12月01日, 神道宗教学会第53回大会(於 國學院大學)
「出雲大社に於ける垂加神道と国学との共生」, 1999年10月01日, 日本思想史学会1999年度大会(於 東京女子大学), シンポジウム
「垂加神道研究史」, 1999年06月01日, 神道史学会第45回大会(於 八坂神社), シンポジウム
「垂加神道から国学へ-出雲大社を例に-」, 1997年11月01日, 神道宗教学会第51回大会(於 國學院大學)
「近世出雲大社と垂加神道-千家正延から千家俊信まで-」, 1997年06月01日, 神道史学会第43回大会(於 出雲大社)
「垂加神道研究史」, 1996年12月01日, 神道宗教学会第50回大会(於 國學院大學), シンポジウム
「近世出雲大社と祭神復古」, 1996年12月01日, 神道宗教学会第50回大会(於 國學院大學)
「出雲大社神職の垂加神道入門の要因について」, 1995年11月01日, 神道宗教学会第49回大会(於 鶴岡八幡宮)
「大山為起の師-山崎闇斎と松下見林-」, 1993年12月01日, 神道宗教学会第47回大会(於 國學院大學)
「伴部安崇と『旧事本紀玄義』」, 1993年06月01日, 神道史学会第39回大会(於 皇學館大學)
「垂加神道の舎人親王観-大山為起を中心に-」, 1992年12月01日, 神道宗教学会第46回大会(於 國學院大學)
「山崎闇斎編著「東家秘伝美言」について」, 1992年06月01日, 神道史学会第38回大会(於 静岡浅間神社)
天つ祝詞の太諄辞をもて宣れ(山崎闇斎『風水草』より), 『かぎろい』, 第312号, 大神神社社務所, 2023年12月01日, 2, 3
「天津日継とは、天津日大御神の大御任を受伝坐て、其大御業を嗣々に知看す由の御称なり」(本居宣長『古事記伝』十四之巻より), 『かぎろい』, 第311号, 大神神社社務所, 2023年11月01日, 2, 3
新刊紹介「井上寬司・岡宏三・岡野友彦・小倉慈司・藤森馨校訂『出雲國造 北嶋家文書』 新史料の翻刻など研究の進展に期待」 , 『神社新報』, 第3654号, 神社新報社, 2023年10月09日, 5, 5
続神道の格言「神垂冥加之人」(山崎闇斎著『藤森弓兵政所記』より), 『かぎろい』, 第310号, 大神神社社務所, 2023年10月01日, 2, 3
続神道の格言「これ神は天地の心、これ人は天下の神物にして、その心はすなわち神明の舎なり、」(山崎闇斎著「会津神社志の序」より), 『かぎろい』, 第309号, 大神神社社務所, 2023年09月01日, 2023年09月01日, 2, 3
続神道の格言「爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」(明治天皇「教育勅語」より), 『かぎろい』, 第308号, 大神神社社務所, 2023年08月01日, 2, 3
新刊紹介「神国の行方ー令和の皇室問題ー 中澤伸弘著 憂国慨世を述べた読者に向けた提言」, 『神社新報』, 第3642号, 神社新報社, 2023年07月10日, 6, 6
続神道の格言「祈禱・正直・祓除ー神道の工夫ー」(若林強斎『神道夜話』『祈禱正直祓除之筆記』より), 『かぎろい』, 第307号, 大神神社社務所, 2023年07月01日, 2, 3
続神道の格言「心神を傷ること莫かれ」(『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』より), 『かぎろい』, 第306号, 大神神社社務所, 2023年06月01日, 2, 3
続神道の格言「我が前をよく治めば、吾よくともに相作り成さむ」(『古事記』より), 『かぎろい』, 第305号, 大神神社社務所, 2023年05月01日, 2, 3
続神道の格言「つきさかきいづのみたまと天地にいてりとほらす日の大御神/まがことをみそがせれこそ世をてらす月日の神はなりいでませれ」(本居宣長『玉鉾百首』より), 『かぎろい』, 第304号, 大神神社社務所, 2023年04月01日, 2, 3
続神道の格言「僕は百足らず八十坰手に隠りて侍ひなむ」(『古事記』上巻より), 『かぎろい』, 第303号, 大神神社社務所, 2023年03月01日, 2, 3
続神道の格言「自他を善化し万物を浄化する」(今泉定助『大祓講義』より), 『かぎろい』, 第302号, 大神神社社務所, 2023年02月01日, 2, 3
続神道の格言「我が道は恕を以て要と為す」(齊藤高行『二宮先生語録』より), 『かぎろい』, 第301号, 大神神社社務所, 2023年01月01日, 2, 3
続神道の格言「真心とは生れつきたるままの心をいふ」(本居宣長『玉勝間』一の巻), 『かぎろい』, 第300号, 大神神社社務所, 2022年12月01日, 2, 3
続神道の格言「凡て御霊と云に、又用と体との差別あり」(本居宣長『古事記伝』十五之巻), 『かぎろい』, 第299号, 大神神社社務所, 2022年11月01日, 2, 3
続神道の格言「幸魂・奇魂は、ともに和魂の名にて、幸・奇とは、その徳用をいうなり、二魂にはあらず」(本居宣長『古事記伝』十二之巻), 『かぎろい』, 第298号, 大神神社社務所, 2022年10月01日, 2022年10月01日, 2, 3
続神道の格言「世に人のわろしとして、にくみきらふ事は、みなツミなり」(本居宣長『大祓詞後釈』), 『かぎろい』, 第297号, 大神神社社務所, 2022年09月01日, 2, 3
続神道の格言「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」(昭和天皇「昭和二十一年一月一日の元旦詔書」), 『かぎろい』, 第296号, 大神神社社務所, 2022年08月01日, 2, 3, 昭和二十一年の元旦詔書は「人間宣言」が趣旨ではないことを説明したもの。
続神道の格言「先生問う「『あるいは成れるところもあり、あるいは成らざるもあり』の教え、その幽深の趣あり、と聞く」と。翁云う「これ一言、天の道にして、わが国の綱紀となる」と。」(慈雲尊者『神儒偶談』), 『かぎろい』, 第295号, 大神神社社務所, 2022年07月01日, 2, 3
続神道の格言「八百万神等を神集えに集え給い、神議りに議り給いて」(『大祓詞』), 『かぎろい』, 第294号, 大神神社社務所, 2022年06月01日, 2, 3
続神道の格言「八雲立つ出雲八重垣妻隠みに八重垣作るその八重垣を」(『古事記』上巻), 『かぎろい』, 第293号, 大神神社社務所, 2022年05月01日, 2, 3
続神道の格言「天下平ぎ人民栄なむ」(『古事記」中巻・崇神天皇条より), 『かぎろい』, 第292号, 大神神社社務所, 2022年04月01日, 2, 3
続神道の格言「道は日神の道にして、教は猿田彦の導くところなり」(山崎闇斎『垂加社語』より), 『かぎろい』, 第291号, 大神神社社務所, 2022年03月01日, 2, 3
続神道の格言「随在天神の大道」(鈴木重胤『延喜式祝詞講義』祈年祭より), 『かぎろい』, 第290号, 大神神社社務所, 2022年02月01日, 2, 3
続神道の格言「すめらぎに神のよさせる御としをし飽までたべてあるが楽しさ」(本居宣長『玉鉾百首』より), 『かぎろい』, 第289号, 大神神社社務所, 2022年01月01日, 2, 3
続神道の格言「高天の原に事始めて」(鈴木重胤『延喜式祝詞講義』十一之巻、十三道饗祭より), 『かぎろい』, 第288号, 大神神社社務所, 2021年12月01日, 2, 3
続神道の格言「皇御孫の朝庭に御心一速び給はじ」(鈴木重胤『延喜式祝詞講義』十一之巻、十二鎮火祭より), 『かぎろい』, 第287号, 大神神社社務所, 2021年11月01日, 2, 3
新刊紹介「加藤隆久著『神道文化論考集成 乾・坤』ー現代に問ふべき論考選出、神職や神道人へのエールー」, 『神社新報』, 第3561号, 神社新報社, 2021年10月18日, 4, 4
続神道の格言「汝三の神、宜しく道の中に降り居して、天孫を助け奉りて、天孫の為に祭かれよ」(天照大神の神勅『日本書紀』巻第一・第六段第一の一書), 『かぎろい』, 第286号, 大神神社社務所, 2021年10月01日, 2, 3, 2
続神道の格言「治まれる御代のしるしを千木たかく神のやしろに見るよしもがな」(本居宣長『玉勝間』九の巻より), 『かぎろい』, 第285号, 大神神社社務所, 2021年09月01日, 2, 3
続神道の格言「あらはにの事は大きみかみごとは大国主のかみのみこころ 目に見えぬ神のこころのかみごとはかしこき物ぞおほにな思ひそ」(本居宣長『玉鉾百首』より), 『かぎろい』, 第284号, 大神神社社務所, 2021年08月01日, 2, 3
続神道の格言「大物主と申す御名は、美和に鎮り坐す御魂の御名にして、大穴牟遅命の一名にはあらず」(本居宣長『古事記伝』二十之巻より), 『かぎろい』, 第283号, 大神神社社務所, 2021年07月01日, 2, 3
続神道の格言「凡て神代の事は、此の現身と御霊とのことを、只一つさまに云ひ伝へたる故に、まぎらはしきこと多かり」(本居宣長『古事記伝』十四之巻より), 『かぎろい』, 第282号, 大神神社社務所, 2021年06月01日, 2, 3
続神道の格言「いつまでか光かくらむ久かたの天のいは戸はただしばしこそ」(本居宣長『玉鉾百首』阿麻理歌より), 『かぎろい』, 第281号, 大神神社社務所, 2021年05月01日, 2, 3
続神道の格言「世のなかはよごとまがことゆきかはる中よぞちぢの事はなりづる」(本居宣長『玉鉾百首』より), 『かぎろい』, 第280号, 大神神社社務所, 2021年04月01日, 2, 3
続神道の格言「神のます鳥井にいればこの身よりひつきの宮とやすらかにすむ」(吉田勤式歌より), 『かぎろい』, 第279号, 大神神社社務所, 2021年03月01日, 2, 3
続神道の格言「古語大道にして、辞を嬰児に仮り心を神聖に求む」(忌部正通『神代口訣』凡例、『垂加社語』より), 『かぎろい』, 278, 大神神社社務所, 2021年02月01日, 2, 3
続神道の格言「天つ神御子の命のあもります国としもへばあやにたふとき」(国学者千家俊信), 『かぎろい』, 277, 大神神社社務所, 2021年01月01日, 2, 3
山崎闇斎先生の生誕四百年を迎えて, 『日本』, 69−3, 日本学協会, 2019年03月01日, 11, 18
天御蔭日御蔭と天日隅宮とー天皇と大國主大神の宮殿についてー, 『幽顕』, 第1275号, 幽顕社, 2019年01月01日, 2019年01月01日, 3, 3
「大祓詞」と建国の理念【平成28年度神道学科・神道学会共催講演会記録】, 『神道学会会報』, 第37号, 皇學館大学神道学会, 2018年03月19日, 1, 6
だいこくさまのご神徳と出雲大社の歴史, 関東支部報『高翔』, 第69号, 公益財団法人自動車技術会関東支部, 2018年01月01日, 4, 7
御心の冥慮でお守りせよー闇斎先生と日本魂ー, 第64回千早鍛錬会, 日本学協会, 2017年08月18日
「大祓詞」に見る我が国体観(二), 『国体文化』, 第1118号, 日本国体学会里見日本文化学研究所, 2017年07月01日, 16, 30, 「大祓詞」後半部の解説と質疑応答
「大祓詞」に見る我が国体観(一), 『国体文化』, 第1117号, 日本国体学会里見日本文化学研究所, 2017年06月01日, 16, 30, 「大祓詞」の概説と前半部を精読する。
神道の格言「天御蔭・日御蔭は、是皇儀にして神道を表すものなり」(山崎闇斎『風水草』より), 『かぎろい』, 第216号, 大神神社社務所, 2015年12月01日, 2, 3
神道の格言「君を怨むる心起らば、天照大神の御名を唱ふべし」(竹内式部『奉公心得書』より), 『かぎろい』, 第215号, 大神神社社務所, 2015年11月01日, 2, 3
神道の格言「或いは成れる所も有り、或いは成らざるも有り」(『日本書紀』巻第一第八段一書第六), 『かぎろい』, 第214号, 大神神社社務所, 2015年10月01日, 2, 3
神道の格言「左左右右、元元本本」(『神皇正統記』応神天皇条), 『かぎろい』, 第213号, 大神神社社務所, 2015年09月01日, 2, 3
神道の格言「天つ宮事もちて」(「六月晦大祓」『延喜式』巻第八), 『かぎろい』, 第212号, 大神神社社務所, 2015年08月01日, 2, 3
神道の格言「惟神も我が子治らさむと故寄させき。是を以て、天地の初より、君臨す国なり。」(『日本書紀』巻第二十五、大化三年四月、孝徳天皇の詔), 『かぎろい』, 第211号, 大神神社社務所, 2015年07月01日, 2, 3
神道の格言「凡て世間のありさま、代々時々に、吉善事凶悪事つぎつぎに移りもてゆく理は、大きなるも小きも、悉に此の神代の始めの趣に依るものなり、」(本居宣長『古事記伝』七之巻より), 『かぎろい』, 第210号, 大神神社社務所, 2015年06月01日, 2, 3
神道の格言「烟を望みて黎元を撫でたまひ、今に聖の帝と伝へたり」(太安万侶『古事記』序より), 『かぎろい』, 第209号, 大神神社社務所, 2015年05月01日, 2, 3
神道の格言「君は古への道の全体也」(本居宣長『葛花』より), 『かぎろい』, 第208号, 大神神社社務所, 2015年04月01日, 2, 3
神道の格言「それ神道は、開闢の大道・皇国本源の道なり」(福住正兄筆記『二宮翁夜話』より), 『かぎろい』, 第207号, 大神神社社務所, 2015年03月01日, 2, 3
神道の格言「天地も昔にかはらず。日月も光を改めず。況んや三種の神器世に現在し給へり。窮まりあるべからざるは我国を伝ふる宝祚なり。仰ぎて尊び奉るべきは日嗣をうけ給ふ天皇になむおはします。」(北畠親房『神皇正統記』地神第五代より), 『かぎろい』, 第206号, 大神神社社務所, 2015年02月01日, 2, 3
神道の格言「神垂祈祷、冥加正直」(山崎闇斎賛、『垂加社語』より), 『かぎろい』, 第205号, 大神神社社務所, 2015年01月01日, 2, 3
「あやに尊き天孫降臨の国ー永遠の感嘆ー」, 『幽顕』, 第1227号, 幽顕社, 2015年01月01日, 3, 千家俊信の歌から、彼の神道観を論じた。
神道の格言「出る日のたかみの国をやすくにといのる末をば神やてらさん」(卜部兼直「国」『夫木抄』第三十巻、雑十), 『かぎろい』, 第204号, 大神神社社務所, 2014年12月01日, 2, 3
神道の格言「吾が高天原に御しめす斎庭の穂を以ちて、亦吾が児に御せまつるべし」(「斎庭の稲穂の神勅」『日本書紀』巻第二[第九段]一書第二)
, 『かぎろい』, 第203号, 大神神社社務所, 2014年11月01日, 2, 3
神道の格言「近き守り神と貢り置く」(「出雲国造神賀詞」『延喜式』巻八より), 『かぎろい』, 第202号, 大神神社社務所, 2014年10月01日, 2, 3
神道の格言「それ神道と云は、人々日用の間にありて、一事として神道あらずと云事なし。」(出口延佳『陽復記』下巻), 『かぎろい』, 第201号, 大神神社社務所, 2014年09月01日, 2, 3
国生み・神生み, 『会報』, 第43号, 公益財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会, 2014年08月11日, 8
神道の格言「夫れ汝が治らす顕露之事、是吾が孫治らすべし。汝は以ちて神事を治らすべし。」(顕幽分治の神勅『日本書紀』巻第二神代下(第九段)一書第二), 『かぎろい』, 第200号, 大神神社社務所, 2014年08月01日, 2, 3
神道の格言「葦原千五百秋瑞穂国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、天壌と窮無けむ。」(天壌無窮の神勅『日本書紀』巻第二神代下(第九段)一書第一), 『かぎろい』, 第199号, 大神神社社務所, 2014年07月01日, 2, 3
神道の格言「三社託宣」, 『かぎろい』, 第198号, 大神神社社務所, 2014年06月01日, 2, 3
神道の格言「吾が心清清し」(『日本書紀』巻第一、神代上・第八段・本文), 『かぎろい』, 第197号, 大神神社社務所, 2014年05月01日, 2, 3
神道の格言「八紘一宇」(『日本書紀』巻三、神武天皇即位前紀己未年三月七日条), 『かぎろい』, 第196号, 大神神社社務所, 2014年04月01日, 2, 3
神道の格言「敷島のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山さくら花」(本居宣長六十一歳自画自賛像), 『かぎろい』, 第195号, 大神神社社務所, 2014年03月01日, 2, 3, 宣長の言う「やまとごころ」とは何か、について論じた。
神道の格言「日月は四洲を廻り、六合を照らすと雖も、須らく正直の頂を照らすべし」(天照大神の神勅『倭姫命世記』), 『かぎろい』, 第194号, 大神神社社務所, 2014年02月01日, 2, 3
因幡の白兎, 『会報』, 第42号, 公益財団法人 太平洋戦争戦没者慰霊協会, 2014年01月14日, 6
神道の格言「わが国は神のすゑなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ とこしへに国まもります天地の神の祭をおろそかにすな」(明治43年御製「神祇」『明治天皇御集』), 『かぎろい』, 第193号, 大神神社社務所
, 2014年01月01日, 2, 3
神道の格言「天下は一人の天下なり」(吉田松陰「天下は一人の天下にあらざるの説を評す」『丙辰幽室文稿』), 『かぎろい』, 第192号, 大神神社社務所, 2013年12月01日, 2, 3
神道の格言「凡そ禁中の作法は神事を先にし他事を後にす、旦暮敬神之叡慮懈怠無く、あからさまにも神宮ならびに内侍所の方を以て御跡としたまはず、」(順徳天皇御撰『禁秘御抄』「賢所」), 『かぎろい』, 第191号, 大神神社社務所, 2013年11月01日, 2, 3
神道の格言「たなつ物ももの木草も天てらす日の大神のめぐみえてこそ 朝よひに物くふごとに豊宇気の神のめぐみをおもへよのひと」(本居宣長『玉鉾百首』下巻), 『かぎろい』, 第190号, 大神神社社務所, 2013年10月01日, 2, 3, 本居宣長の二首を通じて、式年遷宮の意義を説いたもの
神道の格言「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、吾を視るが猶くすべし。与に床を同じくし殿を共にして、斎鏡と為すべし。」(天照大神「宝鏡奉斎の神勅」), 『かぎろい』, 第189号, 大神神社社務所, 2013年09月01日, 2, 3, 天照大神の宝鏡奉斎の神勅をわかりやすく解説した。
神道の格言「餘所ヲ見ルコトモ何ニモナイ。只我志ノツタナキコト、吾身ノロクニナイコトヲナゲイタガヨイゾ。」(若林強斎『神道大意』), 『かぎろい』, 第188号, 大神神社社務所, 2013年08月01日, 2, 3
神道の格言「故道に積る木の葉をかきわけて天照神の足跡を見ん」(二宮尊徳), 『かぎろい』, 第187号, 大神神社社務所, 2013年07月01日, 2, 3, 二宮尊徳の小伝と報徳仕法を説明したもの。
神道の格言「何ゆゑに砕きし身ぞと人とはばそれと答えん日本魂」(谷川士清辞世), 『かぎろい』, 第186号, 大神神社社務所, 2013年06月01日, 2, 3, 谷川士清の日本魂論を概説したもの。
神道の格言「躬は八坂瓊を披ひ魂は三諸山に住みたまふ」(垂加神道家正親町公通卿賛), 『かぎろい』, 第185号, 大神神社社務所, 2013年05月01日, 2, 3, 身に誰もが宿す幸魂奇魂に生かされることに感謝し、身を慎むことの大切さを教える。
出雲大社ー天下無双の大厦, 『大法輪』, 80-4, 大法輪閣, 2013年04月01日, 72, 78, 出雲大社を初心者向けに概観したもの
神道の格言「見直し聞き直し」(「大殿祭祝詞」『延喜式』), 『かぎろい』, 第184号, 大神神社社務所, 2013年04月01日, 2, 3, 人事を尽くして、その後は神様にチェックしてもらいましょう。
神道の格言「代くだれりとて自ら苟むべからず。天地の始は今日を始とする理なり。」(北畠親房『神皇正統記』), 『かぎろい』, 第183号, 大神神社社務所, 2013年03月01日, 2, 3, 正直の心がけひとつで誠実な世の中が現前することを述べる。
神道の格言「父母は わが家の神 わが神と こころつくして いつけ人の子」(本居宣長『玉鉾百首』)
, 『かぎろい』, 第182号, 大神神社社務所, 2013年02月01日, 2, 3, 親が子を思う心は、子が親を思う心に及ばない。ならば、せめて神に仕えるように親孝行を行いなさい、との教えを述べる。
神道の格言「安国と平けく知ろしめせ」(『大祓詞』), 『かぎろい』, 第181号, 大神神社社務所, 2013年01月01日, 2, 3, 大神神社広報誌『かぎろい』に「神道の格言」で毎月連載する。大祓詞の主眼は、安国の実現であることを説く。
垂加神道と高山彦九郎―「日本魂の人」たち―, 高山彦九郎研究会創立15周年記念特別講演会, 高山彦九郎研究会主催、太田市教育委員会後援(太田市九合行政センター), 2012年10月21日
神葬祭、祖霊祭のしきたり, 『大法輪』, 79-9, 大法輪閣, 2012年09月01日, 103, 106, 「葬儀・先祖供養のしきたりとマナー」をテーマに、神葬祭と祖霊祭について解説する。
改暦と渋川春海, 神道文化会公開講演会, 神道文化会, 2012年06月23日, 神道文化会公開講演会「暦と神道文化」で、講演とシンポジウムを行う。
御遷宮の〝確信〟, 『幽顕』, 第1190号, 幽顕社, 2012年01月01日, 5, 出雲大社の御遷宮と出雲大社教との関わりについて、概要を述べる。
わが国は神の国なり―だいこくさまの御神徳―, 『幽顕』, 第1166号, 幽顕社, 2010年01月01日, 5, 出雲大社祭神大国主大神の御神徳について概要を述べたもの。
「神社に奉斎される鏡と剣」, 『靖国』, 640号, 靖国神社社務所, 2008年11月01日, 神社の御神体についての概説
「河野省三」(第31回「日本文化を知る講座」(要約)③), 『國學院大學日本文化研究所報』, 248号(42巻5号), 國學院大學日本文化研究所, 2006年01月01日, 7, 9, 「日本文化を知る講座」で講演した河野省三の生涯と業績を簡単にまとめたもの。
(研究集会)「近世・近代の神道における持続と変容」, 2006年01月01日
「第2回國學院大學知の巨人たち③~河野省三~」, 第31回日本文化を知る講座 國學院大學日本文化研究所, 2005年10月01日
鼎談「生命を考える~現在と未来~」, 『日本人の癒し-医療と宗教の共鳴-』, JACT, 2005年08月01日, 安田暎胤、ルドルフ・プロット、柴田眼治、西岡和彦, 現代の殆どの日本人は病院のベッドで延命治療の末に亡くなる。これが果たして人間らしい死に方であろうか。近代以前の日本人は生に固執するよりも、死や死後の準備を行い、それに宗教者が関わった。これからの医療は、そうした役割を医師が行わなければならないであろう。そこで仏教・キリスト教・神道の関係者からアドバイスや諸事例などを聞く機会をもった。これはその時の記録である。
「歴史観の相違と神武天皇」, 『かしはら』, 142号, 橿原神宮庁, 2005年03月01日, 1, 2, さまざまな歴史観のあるなかで、神武天皇はどのように扱われてきたのか。その課題について、江戸時代を中心に概説した。
鼎談:「生命を考える~現在と未来~」, 日本代替・相補・伝統医療連合会議JACT山口特別大会, 2004年10月01日
「梧陰文庫所蔵「伝谷川士清書入校正本『日本書紀』(青木信寅旧蔵書)」愚見-『梧陰文庫総目録』編纂余滴(三)-』, 『國學院大學日本文化研究所報』, 40巻4号, 國學院大學日本文化研究所, 2003年11月01日, 3, 5, 梧陰文庫所蔵の谷川士清書入本とされた『日本書紀』は、士清に師事した唐崎信通・信徳父子による書入れ本であり、士清以外に松岡雄淵の説も含まれていることを紹介し、論じたもの。
「「出雲大社の地域史的研究」プロジェクトについて」, 『國學院大學日本文化研究所報』, 40巻2号, 國學院大學日本文化研究所, 2003年07月01日, 1, 3, 担当プロジェクトの概要を述べたもの。
座談会:「神道文化を語る」, 『國學院雑誌』, 第104巻第1号, 國學院大學, 2003年01月01日, 14, 47
国民の宝, 『幽顕』, 第1082号, 幽顕社, 2003年01月01日, 5, 国宝出雲大社本殿は、江戸時代、全国からの浄財で建てられたもので、まさしく国民の宝といえるものである。
シンポジウム「「神道文化」を考える」, 『神道宗教』, 神道宗教学会, 2002年12月01日
「近世出雲大社の造営遷宮」, 『國學院大學日本文化研究所報』, 216号, 國學院大學日本文化研究所, 2000年09月01日, 6, 8
「出雲大社の御柱」, 『鴨東通信』, 39, 思文閣出版, 2000年09月01日, 5, 「金輪造営之図」に対する本居宣長の『玉勝間』での注目以来、出雲大社本殿の御柱についての研究史を概観する。
「出雲大社の「日本勧化」-延享度の造営遷宮考-」, 『國學院大學日本文化研究所報』, 214号, 國學院大學日本文化研究所, 2000年05月01日, 3, 6
「垂加神道」, 『神道史研究』, 47-3・4合併号, 1999年09月01日, 97, 123
「戦後垂加神道研究史」, 『神道宗教』, 167号, 神道宗教学会, 1997年09月01日, 125, 135
出雲大社儒者 熊谷常斎先生略伝, 『幽顕』, 第1014号, 幽顕社, 1997年05月01日, 2
『世界の宗教101物語』, 新書館, 1997年04月01日
神道は「言挙げ」すべきか否か(三), 『幽顕』, 第1009号, 幽顕社, 1996年12月01日, 2
「垂加神道研究史」, 『國學院大學日本文化研究所報』, 193号, 國學院大學日本文化研究所, 1996年11月01日, 3, 5
神道は「言挙げ」すべきか否か(二), 『幽顕』, 第1008号, 幽顕社, 1996年11月01日, 2, わが国は「言霊の幸はふ国」であることを紹介する。
神道は「言挙げ」すべきか否か(一), 『幽顕』, 第1007号, 幽顕社, 1996年10月01日, 2, 司馬遼太郎は『この国のかたち』五で、神道は「言挙げせぬ」のを理想とし、それが本来の姿という。その説を批判する。
近世の出雲大社Ⅰ―忘れられた神道家佐草自清―, 『幽顕』, 第1002号, 幽顕社, 1996年05月01日, 2, 近世前期の出雲大社上官で、寛文度の造営遷宮の大功労者佐草自清の活躍を紹介する。
天之御蔭日之御蔭, 『幽顕』, 第998号, 幽顕社, 1996年01月01日, 5
出雲大社と垂加神道, 『幽顕』, 第986号, 幽顕社, 1995年01月01日, 7, 出雲大社と垂加神道との関係を概観する。