K-ReaD( Kokugakuin University Researcher’s Achievement)

佐藤 長門
文学部 史学科
教授
Last Updated :2023/12/21

研究者基本情報

氏名

  • 氏名

    佐藤 長門, サトウ ナガト

所属・職名

  • 文学部 史学科, 教授

学位

  • 2008年07月, 博士(歴史学), 國學院大學, 文乙第237号

本学就任年月日

  • 1998年04月01日

研究分野

  • 日本古代史、古代王権・国家の権力構造論

研究活動

論文

  • 「奉誄儀礼と王権継承」, 佐藤 長門, 『國學院雑誌』, 121, 11, 84, 102, 2020年11月15日, 國學院大學
  • 「女帝と王位継承」, 佐藤 長門, 『テーマで学ぶ日本古代史』政治外交編, 112, 122, 2020年06月10日, 吉川弘文館
  • 「八・九世紀の后妃制に関する覚書」, 佐藤 長門, 『古代史論聚』, 251, 265, 2020年08月, 岩田書院
  • 「古代国家の形成と修史事業」, 佐藤 長門, 『古事記学』, 6, 119, 138, 2020年03月10日, 國學院大學研究開発推進機構古事記学センター
  • 「太元帥法の請来とその展開」, 佐藤 長門, 『史学研究集録』, 16, 1, 14, 1991年03月01日, 國學院大學大学院日本史学専攻大学院会, 鎮護国家・怨敵調伏の大法として重視される東密(=真言宗)系の護国修法,太元帥法の日本への請来過程とその後の展開を論じたものである。従来,太元帥法に関しては,それを請来してきた常暁の時代からすでに特殊な護国修法として国家に珍重されたと考えられてきた。しかしその展開過程を詳細に検討してみると,常暁よりも2代目の寵寿の活動に注目すべきで,日本の対外意識が変化する時期とも一致することを論証した。
  • 「阿倍氏と王権儀礼」, 佐藤 長門, 『日本歴史』, 540, 22, 38, 1993年05月01日, 日本歴史学会, 古代の雄族である阿倍氏の分析を通して,倭王権段階の群臣の性格を論じたものである。阿倍氏の王権儀礼への関与は中小氏族を統率することによって行われる。それは阿倍氏が実際に中小伴造氏族を統轄していた時代があったことに基づく。阿倍氏は彼らを王権に奉仕させることで自らの奉仕をも実体化していたが,かかる王権と氏族の関係は阿倍氏に限ったことではなく,実は他の古代氏族にも共通したものであったことを論述した。
  • 「称徳・道鏡政権下の写経体制」, 佐藤 長門, 『正倉院文書研究』, 1, 136, 167, 1993年11月01日, 正倉院文書研究会, 称徳・道鏡政権下の写経体制について論じたものである。この時期には称徳天皇の私的写経所である奉写御執経所を中心に写経事業が行われるが,大きく東大寺写経所と並行して行われた第1期と御執経所のみで行われた第2期に分類できる。称徳・道鏡は藤原仲麻呂との対抗上,仲麻呂の権力維持の道具と化していた東大寺写経所に干渉し(第1期),仲麻呂が敗死すると利用価値が低下したため御執経所のみで事業を展開した(第2期)。
  • 「入唐僧円行に関する基礎的考察」, 佐藤 長門, 『国史学』, 153, 53, 95, 1994年05月01日, 国史学会, いわゆる入唐八家に数えられる平安前期の密教僧,円行について論じたものである。円行は承和の遣唐使に同行した真言請益僧であるが,その入唐は渡海中途で遭難した真済・真然がその後の乗船を忌避されたための代理であった。帰国後の活躍は芳しいものではないが,それは上記の理由が影響していたのかもしれない。しかし彼が唐に持参した奉書や信物目録が残っていることは,他の入唐僧研究にとっても参考とすべき事例である。
  • 「倭王権における合議制の機能と構造」, 佐藤 長門, 『歴史学研究』, 661, 1, 17, 1994年08月01日, 歴史学研究会, 従来,「貴族制」的要素の例証とされてきた倭王権段階の合議制を論じたものである。考察の結果,合議を構成する有力氏族の諸権限は王権と無関係に存在するものではなく,合議に対する招集権や発議権,さらに政策決定の裁量権についても大王の専権事項であったことが明らかとなった。つまり群臣は未熟な支配階級として自らの「共同利害」を貫徹するため大王の下に結集せざるを得ず,その機関が該時期の合議だったのである。
  • 日本 : 古代 二 (一九九五年の歴史学界 : 回顧と展望), 佐藤 長門, 史学雑誌, 105, 5, 41, 46, 1996年, 公益財団法人 史学会
  • 「倭王権における合議制の史的展開」, 佐藤 長門, 『日本古代の国家と祭儀』, 4, 33, 1996年07月01日, 雄山閣出版, 倭王権における合議制の展開課程、特に群臣層の変遷と合議機関の構成について論じたものである。倭王権の合議の特徴としては、合議に参加できた群臣の範囲が限定されていること、その地位が流動的かつ一過性のものであること、時には大王側近者や渡来系氏族なども加わる柔軟な構成をしていたこと、などがあげられる。これらは、群臣の地位が大王との人格的関係に基づいた他律的職位であったことに起因しており、合議制の存在から該時期の政権を「貴族制」的であるとみなす考えを明確に否定する。
  • 「加耶地域の権力構造」, 佐藤 長門, 『東アジアの古代文化』, 90, 64, 73, 1997年02月01日, 大和書房, 古代朝鮮において、高句麗・百済・新羅とともに統一国家形成を志向しながら、ついに実現することがなかった加耶地域の権力構造を分析したものである。加耶地域の合議は、いわゆる「任那復興会議」を最上位に重層的な構造をしており、各国旱岐(=首長)の権力が比較的均質で、百済や「倭臣」集団の代表も参加する柔軟な構成をとっていた、などの特徴がみられる。かかる構造的特質は、外敵の侵略などの緊急事態に対して早急かつ有効な対応をとり得ず、562年の滅亡をもたらすこととなった。
  • 「倭王権の列島支配」, 佐藤 長門, 『古代史の論点4-権力と国家と戦争』, 167, 194, 1998年03月01日, 小学館, マックス=ヴェーバーの「支配の諸類型」を指標として、日本古代国家の形成過程を論じたものである。大王の人格的資質に支配の基礎をおく統治形態をとっていた倭王権は、支配の永続化・安定化を求めて6世紀初頭に合議制の導入に踏み切った。しかし7世紀にはいると列島内外の情勢は一段と厳しさを増し、為政者たちは「天皇」号を採用することで君主のカリスマを高め、国史編纂事業を行って伝統的な列島支配を強調、さらに律令制を導入することによって法治主義に基づく合法的支配を開始したのである。
  • 「七世紀における倭王権の展開過程-群臣の組織化を中心として-」, 佐藤 長門, 『國學院大學紀要』, 39, 57, 76, 2001年03月01日, 國學院大學, 七世紀における倭王権の展開過程を、群臣の組織化・官人化という観点から論じたものである。「王殺し」(=崇峻暗殺)にともなう体制崩壊の危機に直面した倭王権は、大王を頂点とする集権的秩序の構築を模索し、個々の臣僚層を官人として把握する冠位制を導入した。その結果、群臣の政治的地位は変動を余儀なくされ、従前の階層性がくずれて新たな支配階層が中葉以降に形成されていったことを明らかにした。
  • 「七世紀における合議制の機能と構造」, 佐藤 長門, 『国史学』, 173, 55, 75, 2001年03月01日, 国史学会, 七世紀における倭王権の合議制について検証したものである。下位組織(集団)との統属関係に基づいた政治機構だった合議制は、七世紀にはいると関係解消の方向に進み、天武期にいたって最終的に両者の関係は否定された。これは大王(天皇)を中心とする集権的支配を構築しようとしてきた当時の政治動向とも合致し、群臣による王権職務分掌体制を解体するために避けては通れない道程だったといえる。
  • 「古代天皇制の構造とその展開」, 佐藤 長門, 『歴史学研究』, 755, 38, 46, 2001年10月01日, 歴史学研究会, 八世紀から一〇世紀前半までの古代天皇制の特質を、構造論的に分析しようとしたものである。草壁嫡系の成年天皇による継承を模索した八世紀の古代国家は、天皇の周囲に政治装置としての皇太子・皇后・太上天皇などを用意したが、九世紀には血統重視と機構的支配の成熟が重なって幼帝が出現した。ただこれ以降も支配層の結集核としての天皇の位置づけは変わらず、あくまで成年天皇の即位が原則であったことを様々な観点から論じた。
  • 「倭王権の転成」, 佐藤 長門, 『日本の時代史2 倭国と東アジア』, 220, 246, 2002年07月01日, 吉川弘文館, 倭王権の展開過程を、5世紀と6世紀の違いに焦点をあてて論じたものである。5世紀段階の倭王権は、国内的には大王が各地域の首長から外交・軍事権の委任を受け、対外的にも中国王朝から列島の君主権を委任(承認)されるという政治体制であった。それが6世紀になると、国内外の情勢変化によって大王への求心力が高まり、地域首長が従属して、合議制にもとづく専制権力が成立するようになった。
  • 「史実としての古代女帝」, 佐藤 長門, 『東アジアの古代文化』, 121, 79, 93, 2004年11月01日, 大和書房, 日本古代の女帝について、その「中継ぎ」的性格を再確認した論考である。近年、女帝に関しては「性差」を前提とせず、単なる「中継ぎ」ではなかったとする見解が相次いでいる。しかし、八世紀の女帝が王統維持を目的として即位し、本来継承すべき皇嗣が即位可能な年齢に達すると譲位したことは明らかであり、皇位継承の文脈で語られる「中継ぎ」論と、女帝の天皇としての本質(資質)論とは区別して考えるべきことを主張した。
  • 「有銘刀剣の下賜・顕彰」, 佐藤 長門, 『文字と古代日本1 支配と文字』, 25, 42, 2004年12月01日, 吉川弘文館, 刀身や刀背に文字が象嵌されている古代の有銘刀剣の性格について分析したものである。従来有銘刀剣については、政治秩序形成のために上位者が下位者に下賜・分与した威信財ととらえる見解が有力であった。しかし銘文の内容を検討すると、下賜行為が想定される刀剣(「中平」銘大刀・「王賜」銘鉄剣)のほか、個人の業績を顕彰する目的で造られたと考えられる刀剣(「治天下」銘大刀・「辛亥年」銘鉄剣)も存在することが明らかとなった。
  • 「『日本霊異記』における天皇像」, 佐藤 長門, 『歴史評論』, 668, 66, 73, 2005年12月01日, 校倉書房, 日本最初の仏教説話集である『日本霊異記』において、天皇がどのように描かれているかを考察したものである。『霊異記』の天皇には、現世での応報(=現報)がまったく記されていない特徴がある。その要因としては、『霊異記』編者の景戒にとって、天皇は「観念」的存在で、善行にともなうヒーローとしては最適だったことが考えられ、同時代の僧侶で天皇の殺生を非難した道昌が、「実存」の天皇と対面できる立場にいたのとは異なっていた。
  • 古代 二(日本,2006年の歴史学界-回顧と展望-), 佐藤 長門, 史学雑誌, 116, 5, 647, 650, 2007年, 公益財団法人 史学会
  • 「古墳時代の大王と地域首長の服属関係」, 佐藤 長門, 『國學院雑誌』, 109-11, 54, 68, 2008年11月01日, 國學院大學, いわゆる古墳時代における大王と地域首長の関係について、文献史学の立場から考察したものである。5世紀段階の倭王権は大王と地域首長との間にそれほどの格差がない比較的フラットな構造をしていたが、6世紀に入ると加耶地域からの鉄資源の安定的供給が途絶えたことで、在地における地域首長のヘゲモニーが減退し、各首長は大王に貢納・奉仕関係を中継する国造に退転した。このように、5世紀と6世紀とでは同じ古墳時代でくくることがはばかられるほどの違いが存在することが明らかとなった。
  • 「円仁と遣唐使・留学生」, 佐藤 長門, 『円仁とその時代』, 191, 215, 2009年02月15日, 高志書院, 日本古代の遣唐使および留学生について、事実上、最後の派遣になった承和の遣唐使を中心に分析したものである。当初、600人を超える人員であった承和の遣唐使は、1回目の渡海で第3船が難破し、実際に入唐したものは460人前後であったと思われる。留学生のなかには、遣唐使とともに短期で帰国する請益生と長期滞在の留学生がおり、留学生の滞在期間は次の遣唐使がいつ派遣されるのかに規定されていた。また承和の留学生の場合、天台僧をのぞくと彼らの師僧は僧綱の構成員であり、師僧からの推薦が効力を発揮して留学生に選ばれた可能性がある。
  • 「用明・崇峻期の政変と蘇我氏―飛鳥寺建立前夜の倭王権―」, 佐藤 長門, 『古代東アジアの仏教と王権―王興寺から飛鳥寺へ―』, 371, 393, 2010年03月20日, 勉誠出版, 飛鳥寺が建立される前夜の6世紀後半におきた政変を分析し、この時期の仏教受容は百済からの受動的な“伝来”ではなく、倭王権が自発的に“導入”したものであったことを論じたもの。敏達没後の蘇我氏と物部氏との対立は、仏教受容をめぐる宗教対立というよりも、大王位をめぐる政治抗争(丁未の役)であったとみなすべきで、穴穂部を擁する物部氏は支配層のなかで孤立し、みずから滅んでいったとみるほうが正確である。またその後に即位した崇峻は、蘇我氏によって恣意的に殺害されたのではなく、当時の緊迫する国際情勢に的確に対応できないと判断されたため、支配層の総意によって暗殺されたと考えられる。結局、倭王権による仏教受容は、一氏族(蘇我氏)の宗教的要請からなされたものではなく、当時の北東アジアにおける政治的ダイナミズムに連動し、そのなかで生き残るために選択された、“文明化”の一階梯であったととらえるべきである。
  • 「日本古代譲位論―九世紀の事例を中心として―」, 佐藤 長門, 『国史学』, 200, 5, 51, 2010年04月30日, 国史学会, 8世紀以降の王位継承が生前譲位を原則にしているという通説的理解に疑問を呈し、主として9世紀の事例を対象として、譲位はそのときどきの政治的要請や現実的必要性にもとづいて選択された継承方法であったことを推察したものである。8世紀以降に生前譲位が多用されたのは、譲位が王位継承の原則になったからというより、むしろ譲位によらなければ皇太子への継承に支障がでたからであった。かかる事態の背景には、日本古代の君臣関係を規定する「相互依存的関係」が影響していたと考えられ、8世紀以降においても、王位継承上の課題が存在しないかぎり、天皇は終身在位を指向していたのである。
  • 「円珍の入唐動機に関する学説史的検討」, 佐藤 長門, 『椙山林継先生古希記念論集 日本基層文化論叢』, 357, 372, 2010年08月31日, 雄山閣, 日本天台宗第5代座主円珍が入唐した動機について、いままで提示されてきた学説の検討を通して考察を試みたものである。その結果、従来いわれてきた天台教団内の対立、円仁や円載からの影響、教学上の疑問解消のいずれも、円珍の主要な入唐動機とするには根拠が弱いことが明らかとなった。入唐後の円珍が、ひとり遮那業(密教)の求法のみならず、止観業(法華経)の研修をもおこなっていることを勘案すると、円珍は入唐前から当時の中国仏教界の状況を把握し、冷徹に「取捨選択」をしながら、遮那・止観双方の受学をめざしていたのではないかと思われる。
  • 「斑鳩宮家 山背大兄王の自害で消えた聖徳太子の血筋」, 佐藤 長門, 『歴史読本』, 56, 10, 64, 69, 2011年10月01日, 新人物往来社, 6世紀後半から7世紀中葉にかけての倭王権は、敏達天皇を祖とする「百済宮家」と、用明天皇を系譜的な祖とする「斑鳩宮家」というふたつの有力な王統(宮家)を軸に展開していた。推古天皇の時代には皇太子制も摂政制も存在しておらず、厩戸皇子(聖徳太子)は王権の職務を家政機関(皇子宮)で分掌していた「大兄」のひとりとして政策決定をリードしたにすぎず、厩戸のみが特別な地位に就いていたわけではなかった。推古の在位中に欽明の孫世代の「大兄」が死に絶えたことで、推古の後継候補は曾孫世代に移っており、百済宮家の田村皇子と斑鳩宮家の山背大兄王が有力な候補とされたが、田村の方が年長であったため舒明天皇として即位した。山背大兄はその後も有力候補であり続けたが、蘇我氏主導の王権内で次第に孤立を深めていき、皇極2年(643)11月に一家もろとも滅亡に追い込まれてしまった。
  • 「入唐僧の情報ネットワーク」, 『円仁と石刻の史料学-法王寺釈迦舎利蔵誌』, 260, 287, 2011年11月15日, 高志書院, 日本から渡海した入唐僧たちが、どのような情報にもとづいて修学先を決め、受学していたのかを検討したものである。7世紀(第1期)の入唐僧は、中国への散発的な派遣と仏教の総合的修学のためはじめから長期滞在を余儀なくされており、百済救援の役後に対唐関係が悪化すると、次善の策として新羅への渡航を選択するという複線的な修学形態をとっていた。8世紀(第2期)になっても、教学研究の未成熟などの理由から長期滞在をする入唐僧が多く、当時の仏教が複数の学派を兼修する性格だったため、特定の師僧や寺院にしぼって求法する必要はなく、入唐僧は上陸後に修学先を決めればよかったので、先代の情報や経験を参照する必要はあまりなかった。9世紀(第3期)になると、密教的要素を重視する傾向が出てきたことで、修学対象を具体的に限定する形態に変化していった。またこの時期には、先師の情報や経験を継承するようになり、経験者や在唐者などのネットワークを通して情報を共有する傾向があらわれていった。
  • 「斑鳩宮家 山背大兄王の自害で消えた聖徳太子の血筋」, 佐藤 長門, 『消えた名家・名門の謎』, 26, 39, 2012年02月14日, 新人物文庫, 『歴史読本』2011年10月号に掲載した同名の論文を、出版社の編集で文庫本に転載したもの。
  • 「承和の変前夜の春宮坊-「藩邸の旧臣」をめぐって-」, 佐藤 長門, 『日本古代の王権と東アジア』, 88, 116, 2012年03月10日, 吉川弘文館, 9世紀前半の王統迭立期にみえる「藩邸の旧臣」について論じたものである。この時期の春宮大夫には、皇太子の父である太上天皇の側近が就任する場合と、現天皇の側近が就任する場合があり、前者は即位直後の天皇が先帝の意向に配慮しておこなったもので、後者は春宮坊が反天皇勢力の拠点にならぬよう「監視」する目的でなされた人事であった。春宮大夫は任官以前から参議に就任していたものや、大夫在任寺の皇太子と参議昇進時の天皇が一致しない例がほとんどで、春宮亮以下の議政官昇進が皇太子との関係ぬきには考えられないのとは対照的で、「藩邸の旧臣」には大夫を除いた春宮坊官人を想定すべきである。春宮亮以下の坊官のなかには、短期間で参議に昇進する少数の官人がいるが、彼らは先帝の側近の子という場合が多く、父も仕えた王統の後継者(皇太子)に短期間でも仕えることで、王統の「近臣」という政治的身位を獲得するために春宮坊官人になったと理解できる。
  • 「孝謙天皇 なぜ、日本史上初となる女性皇太子が誕生したのか?」, 佐藤 長門, 『歴史読本』, 57, 7, 114, 120, 2012年07月01日, 新人物往来社, 孝謙天皇の即位の経緯やその後の継承について論じたもの。阿倍内親王(のちの孝謙)は同母弟で皇太子であった某王の死後、母光明皇后に新たな皇子誕生の可能性がなくなった天平10年(738)に日本史上初の女性皇太子となり、天平感宝元年(749)に即位した。日本古代において、即位の可能性のある内親王には不婚が強要されたが、それは当時の王権中枢が草壁系王統による嫡系継承を指向しており、嫡系男子に代わって即位した女帝に子孫が存在していたら、王統の交替が発生するからであった。孝謙も不婚を維持したが、その後継者は父聖武太上天皇の死後、遺詔によって道祖王に決定したものの、のちに廃太子され、新たに群臣合議によって大炊王が立太子し、淳仁天皇として即位した。
  • 「称徳天皇 譲位からわずか六年後の重祚と道鏡寵愛の理由とは?」, 佐藤 長門, 『歴史読本』, 57, 7, 122, 128, 2012年07月01日, 新人物往来社, 称徳天皇の即位の経緯とその後の継承について論じたもの。孝謙太上天皇が譲位した淳仁天皇(大炊王)は、あくまで聖武太上天皇の遺詔によって立太子した道祖王の代わりであり、淳仁天皇自身も「聖武天皇の皇太子」と自認していた。一方、孝謙太上天皇は草壁系王統を受け継ぐのは自分であり、淳仁は傍系の臣下にすぎないと認識していた。天平宝字6年(762)に両者の確執が生じると、孝謙は天皇との間の職務分掌と天皇廃絶の権能を宣言し、2年後の恵美押勝の乱後に淳仁を廃位させてみずから重祚した。重祚後の称徳は皇太子選定の独占的権利を主張し、宇佐八幡の神託を利用して道鏡を後継者に任命しようとしたが、和気清麻呂の抵抗にあって挫折した。称徳は最期まで皇太子を立てようとはしなかったが、その死後に藤原永手・同良継・同百川らが偽宣を作り、天智天皇の孫にあたる白壁王(光仁天皇)を立太子した。
  • 「天孫降臨神話の改作と八世紀前後の王位継承」, 佐藤 長門, 『國學院雑誌』, 114-1, 1, 16, 2013年01月15日, 國學院大學, いわゆる天孫降臨神話に関しては、それが高天原の最高神である女神アマテラスが孫のニニギに葦原中国への降臨を命じるという内容であることから、持統11年(697)に持統女帝が孫の文武天皇に譲位したという歴史事実が神話に投影したとする見解や、それを否定する見解が対立している。降臨神話の変遷過程については、ニニギが降臨する『日本書紀』本文や第6・第4の一書の成立のほうが、その父であるオシホミミがまず降臨を命じられる『日本書紀』第1・第2の一書の成立よりも早いとみなされてきたが、従来の投影説ではかかる研究成果を参照しないものが多かった。本稿では、ニニギが降臨したとするモチーフのほうが成立が古いという前提に立ちながらも、天神の子から孫へと降臨主体の交替が元明女帝の史局でなされたという推測を活かすため、その時期にニニギの属性を最高神の子から孫に変える修正がおこなわれ、アマテラスとニニギの間にオシホミミが挿入されたのではないかとの仮説を提示した。
  • 「藤原広嗣 平城宮を震撼させた九州の反乱」, 佐藤 長門, 『歴史読本』, 59, 4, 78, 83, 2014年02月24日, KADOKAWA
  • 「キーワードで読み解く蘇我氏2 系譜ー追い求めた外戚の地位と女帝たちの選択」, 佐藤 長門, 『歴史読本』, 59, 10, 110, 115, 2014年08月23日, KADOKAWA
  • 「入唐僧円珍;日本天台宗寺門派之祖」, 佐藤 長門, 『浙江大学学報』人文社会科学版, 第45巻第3期, 112, 123, 2015年05月10日, 浙江大学, 日本天台宗第5代座主で、寺門派の祖である円珍の生涯をたどったものである。論文では円珍入唐の理由、入唐行歴、帰国後の動向について検討し、生前の円仁と円珍が対立していたわけではなく、晩年に到るまで、円珍は円仁を敬慕していたことなどを述べた。
  • 「長屋王の変と光明立后」, 佐藤 長門, 『史聚』, 50, 224, 234, 2017年04月05日, 史聚会, 長屋王の変を藤原氏の謀略ととらえ、光明立后を実現するうえでの障害ととらえられたため引き起こされたとする教育が、いまだに多くの高等学校でおこなわれていることを問題視して起筆したものである。長屋王の変は、聖武皇子某王の死後に有力な王位継承者として浮上した膳夫王らと、その両親である長屋王・吉備内親王を排斥するために起きた王位継承事件で、光明立后は安積親王の立太子を阻止し、光明子が次の皇子を生むまでの時間を猶予するための措置であったが、結局聖武と光明子との間に皇子は生まれず、阿倍内親王(のちの孝謙女帝)が立太子することになった。
  • 「日本古代における密教の受容過程」, 佐藤 長門, 『古代東アジアの仏教交流』, 199, 232, 2018年06月12日, 勉誠出版, 日本古代において、密教がどのように受容されたのか、最澄と空海それぞれの密教修学と帰国後の受容過程について論じたものである。最澄の密教授学は帰国直前に、未書写の天台法門を写す目的で訪れた越州で偶然出会った順暁から学んだもので、空海のそれも入唐後にたまたま訪問した青龍寺の恵果から授かったものであった。このように二人の授学は偶然に左右されたもので、帰国後の受容もなかなか思い通りには進まなかった。
  • 「六世紀の王権ー専制王権の確立と合議制ー」, 佐藤 長門, 『古代文学と隣接諸学3 古代王権の史実と虚構』, 45, 74, 2019年02月15日, 竹林舎, 六世紀の倭王権について、世襲王権の成立と合議機関の創設に焦点を当てて論じたものである。五世紀段階の倭王権は独裁的・強権的であったが、その反面不安定な側面もあったため、六世紀にいたると王権の安定をはかって王統を一本化し、有力群臣を糾合した合議制を採用して、高次の専制王権の確立を目指した。
  • 「『九暦』からみた陽成天皇と藤原高子」, 佐藤 長門, 『日本歴史』, 851, 57, 67, 2019年04月01日, 吉川弘文館, 藤原師輔の日記である『九暦』を通して、陽成天皇の退位事情、さらには生母藤原高子の皇太后復位について検討したものである。陽成の退位については、藤原基経と妹高子(陽成の生母)の確執が背景にあり、その退位も高子の力をそぐためとする見解がある。しかし、藤原氏内部の兄妹喧嘩が天皇の地位を揺るがすほどの一大事件だったとは考えにくく、高子の権力を奪うために天皇廃位を画策したというのも転倒した議論である。また高子の皇太后復位も藤原忠平主導でスムーズにおこなわれており、廃后理由となった僧侶との密通も疑わしい点がある。よって高子の廃后は、皇太子敦仁親王(醍醐天皇)への譲位にあたり、その即位の正当性を強化するため、祖母である皇太夫人班子女王を皇太后へ昇位させる必要からなされたものだった可能性があることを指摘した。
  • 「殯と王権継承」, 佐藤 長門, 『古墳と国家形成期の諸問題』, 257, 262, 2019年10月25日, 山川出版社, 令制以前の殯宮儀礼について、それを主宰したキサキが女帝として即位するようになったとの見解を批判したもの。殯の期間中に、王権継承にからむ事件が起きやすかったのは事実であるが、それは殯そのものに次期大王の決定にかかわる特別な意味があったのではなく、殯の期間と代替わりの時期が重なっていたからと考えるべきである。また群臣にとって、殯宮内の儀礼よりも、殯庭でおこなわれた誄奉上儀のほうが可視的で、重要だったのではないかとの推定をおこなった。
  • 「譲位制の成立とその展開」, 佐藤 長門, 『國學院雑誌』, 120, 11, 97, 116, 2019年11月15日, 國學院大學, 日本古代における譲位制の成立とその展開過程について論じたもの。古代の譲位は八世紀からはじまるが、それは草壁系王統を保持するため、嫡系皇嗣(男性)の女性尊属たちが即位し、皇嗣が成人した曉に譲位したためであった。八世紀半ばの聖武天皇からは、男帝でも譲位するものがあらわれるが、それは後継者の即位の正当性が脆弱の場合にかぎられ、問題がない場合には終身在位していた。九世紀以降になると、王統迭立を経験したこともあり、次第に譲位が優勢となっていき、十世紀後半以降になると譲位形式こそが王位継承の常態であるとの観念が強まり、十一世紀には天皇が死没しても譲位をおこなう“如在之儀”もあらわれるようになる。

Misc

  • 古市晃著『国家形成期の王宮と地域社会-記紀・風土記の再解釈-』, 佐藤 長門, 『日本史研究』, 697, 49, 56, 2020年09月20日, 日本史研究会
  • 鈴木琢郎著『日本古代の大臣制』, 佐藤 長門, 『歴史評論』, 841, 100, 104, 2020年05月01日, 歴史科学評議会
  • 李基東「薛仲業と淡海三船の交歓」, 佐藤 長門, 『国史学』, 151, 1, 15, 1993年12月01日, 国史学会, 西暦779年に派遣された新羅の遣日本使の一員,薛仲業と「日本国真人」との交流を論じたもの。従来,「真人」は日本の研究者によって右大臣大中臣清麻呂か内大臣藤原魚名あたりを指していると推測されてきた。しかし彼は薛仲業の祖父元暁を尊敬しており,元暁と同様の出家経験,中国留学挫折経験を有する淡海真人三船に他ならないことを論証し,とかく敵対関係ばかりが強調される日羅間の友好的側面を指摘している。
  • 倉本一宏著『日本古代国家成立期の政権構造』, 佐藤 長門, 『歴史学研究』, 719, 44, 47, 1999年01月01日, 歴史学研究会, 倉本一宏氏の著書を書評したもの。令制以前の合議制を「氏族合議制」と規定することへの疑義や、天武期の政権構造を王族を責任者としてその下に群臣を配置する「キミ-マヘツキミ制」ととらえることに対する疑問、合議に参加したマヘツキミ氏族を35氏も認定することへの批判などを、私見に則して述べた。
  • 虎尾達哉著『日本古代の参議制』, 佐藤 長門, 『史学雑誌』, 108, 2, 69, 80, 1999年02月01日, 史学会, 虎尾達哉氏の著書を書評したもの。氏の参議制論の特徴は、「四位以上」の階層性を強調し、参議を令制議政官と一体の「四位議政官」ととらえ、それを令前の大夫合議制につながる組織とみなすことにある。しかし「四位以上」が貴・通貴の区別以上に一体的である史料的根拠は見出せず、「四位議政官」には参議より再置された中納言こそがふさわしいこと、さらに7世紀の階層構成の変動を考慮せずに令制四位と大夫とを直結する手法には従えないことなどを具体的事例に基づいて述べ、対案を提示した。
  • 「神武のY染色体……?」, 『國學院雑誌』, 107-1, 72, 73, 2006年01月15日, 國學院大學, 近年の皇室典範改正問題に関し、女性天皇(女系天皇)の即位に反対する人々の理論的支柱になりつつある八木秀次氏の著書『本当に女帝を認めてもいいのか』(洋泉社新書、2005年)への評論を通して、不確実な歴史認識にもとづく主張への批判や、現代日本にくすぶる暴力テロ容認への警戒などについて述べたもの。
  • 荒木敏夫著『日本古代王権の研究』, 佐藤 長門, 『歴史学研究』, 836, 40, 43, 2008年01月01日, 歴史学研究会
  • 遠藤みどり著『日本古代の女帝と譲位』, 佐藤 長門, 『歴史学研究』, 960, 45, 48, 2017年07月15日, 歴史学研究会, 遠藤みどり氏の著書を書評したもの。氏は倭王権段階の王位継承について、群臣の承認が得られなければ即位できなかったという吉村武彦説をくり返し引用しているが、一方で大王は実力で即位したとの義江明子説や、群臣の権限は任意に継承資格者を選定できるものではなかったという私見も引用していて論理に一貫性がないこと、譲位制成立の要因は王位継承に際しての群臣関与を排除するためとするが、8・9世紀になっても群臣の関与は続いていること、令制以前の大后は皇女や大王生母のような重要視されたキサキにすぎないとするが、それだけでは6世紀末に女帝が出現する歴史的意義が不明のままであること、平安時代の「国母」についてはほとんど考察していないことなど、問題点を指摘した。

著書等出版物

  • 『歴史考古学大辞典』, 佐藤 長門, 吉川弘文館, 2007年02月01日
  • 『日本古代王権の構造と展開』, 佐藤 長門, 吉川弘文館, 2009年02月10日, 日本古代王権の構造およびその展開について、合議制・展開過程・女帝論の3つの視点から論じたものである。第1部「日本古代の合議制」では、日本の古代国家を貴族共和制的政体とみる「畿内政権」論の有力な根拠とされてきた合議制について、それはあくまで大王が主導して開かれた王権機構で、群臣の職位も王権の規制に左右される他律的なものであったことなどを論じた。第2部「日本古代王権の展開」では、王権段階の5世紀から古代天皇制が変質をはじめる10世紀前半までの展開過程を、専制君主たる大王・天皇を核としてとらえ直し、あらたな古代史像の構築を試みた。第3部「日本古代女帝論」では、近年さかんに主張されている「性差」なき女帝論、女帝=非中継ぎ論に対して、王権論の立場から批判を加え、女帝=中継ぎ論を再提起した。
  • 「円仁の足跡を訪ねて(Ⅳ)-江蘇省-」, 佐藤 長門, 國學院大學栃木短期大学史学会, 2009年03月31日, 23
  • 『遣唐使と入唐僧の研究 附校訂『入唐五家伝』』, 佐藤 長門, 高志書院, 2015年11月10日, 國學院大學大学院日本古代史ゼミに所属していた大学院生たちが、折にふれて発表してきた遣唐使、唐代の交通、入唐僧についての論文を集めて、一書にしたものである。また巻末には、『入唐五家伝』の校訂と宮内庁書陵部所蔵の写本写真、そして『入唐求法巡礼行記』関係文献目録(稿)を収録している。
  • 『蘇我大臣家』, 佐藤 長門, 山川出版社, 2016年05月25日, 6~7世紀の倭王権段階の古代日本で、代々大臣職を「世襲」してきた蘇我氏(稲目・馬子・蝦夷・入鹿)を取りあげ、その成立から衰退までの変遷を追ったもの。彼らは外戚関係の形成に尽力しつつ、群臣合議を主導して多数派工作をおこなうことにより、王権内で生き抜くことを模索した一族であったが、冠位十二階の制定で次第に孤立化・独善化していくと、王族や群臣層の支持を急速に失っていく。以上のことなどについて、最新の王権研究の成果をふんだんに取り入れて論じた。
  • 『古代東アジアの仏教交流』, 佐藤 長門, 勉誠出版, 2018年06月12日,  日本古代の仏教受容やその後の展開について、北東アジア地域(日本・中国・朝鮮)の動向を網羅的に掌握しつつ、多角的視点から検討した共同研究の成果を一緒にまとめたもの。

講演・発表

  • 蘇我大臣家の台頭, 佐藤 長門, 栄中日文化センター歴史講座, 2016年12月17日
  • 天武天皇の政治と「皇親政治」, 佐藤 長門, 栄中日文化センター歴史講座, 2017年07月15日
  • 蘇我大臣家と蘇我倉家ー外戚政策の成功と失敗-, 佐藤 長門, 古代史セミナー(横浜市栄区), 2018年09月11日
  • 譲位する王権、しない王権, 佐藤 長門, 國學院大學ホームカミングデー, 2018年10月20日
  • 古代后妃(三后)制の変遷とその意義, 佐藤 長門, 王権研究会, 2018年10月27日
  • 古代国家の形成と修史事業, 佐藤 長門, 国際シンポジウム“古事記と「国家」の形成”, 2018年11月03日
  • 天平期の天皇と貴族, 佐藤 長門, 栄中日文化センター歴史講座, 2018年11月17日
  • 「九~十世紀の対外関係をめぐる諸問題」, 1994年03月01日, 歴史学研究会春季合宿, 歴史学研究会大会報告の援助報告として口頭発表したもの。従来,十世紀の外交基調については,中央政府の主体的な情勢判断に基づいた積極的孤立主義で,中国に正統な宋帝国が建国されると従属的通行関係の樹立を模索したとされてきたが,渡海僧の活動に公的使命を見出すことはできず,「退嬰的」とはいわないまでも「消極的」「受動的」であることには変わりはないことを指摘した。
  • 「倭王権における合議制の史的展開」, 1994年11月01日, 史学会第92回大会, 倭王権における合議制の展開過程,特に群臣層の変遷と合議機関の構成について口頭発表したもの。合議に参加できた群臣の範囲は限定されており,その地位は流動的でかつ一過性のものであった。しかもそこには大王側近者や新知識を有する渡来系氏族などが加わることもある柔軟な構造をしており,それは群臣の地位が大王との人格的関係に基づいた他律的職位だったことに起因していることを指摘した。
  • 「古代天皇制の構造とその展開」, 2001年05月01日, 歴史学研究会大会(古代史部会), 八世紀から一〇世紀前半までの古代天皇制の特質を、構造論的に分析しようとしたものである。草壁嫡系の成年天皇による継承を模索した八世紀の古代国家は、天皇の周囲に政治装置としての皇太子・皇后・太上天皇などを用意したが、九世紀には血統重視と機構的支配の成熟が重なって幼帝が出現した。ただこれ以降も支配層の結集核としての天皇の位置づけは変わらず、あくまで成年天皇の即位が原則であったことを様々な観点から論じた。
  • 「日本天台僧円珍の入唐動機」, 2009年08月29日, 中国・鄭州大学、「東アジアにおける中原文化の受容と展開」国際シンポジウム, 円珍が入唐した動機について、従来いわれてきた天台教団内の対立説や、円仁・円載からの影響説、天台教学上の疑問解消説などを批判し、円珍は遮那業(密教)の求法のみならず、止観業(顕教)の受容と先師の遺蹟巡礼をも目的に入唐したのではないかということを推定したもの。
  • 「日本古代における密教の受容過程」, 2015年01月25日, 國學院大學文化講演会「国際シンポジウム 古代東アジアの仏教交流」, 日本古代において、密教がどのように受容されたのかについて、最澄・空海の入唐と密教授学の経緯を検討するとともに、彼らが帰国したあと王権がそれをどのように受容していったのかを考察したものである。最澄は帰国後に「進官録上表」を奉呈したが、最澄の意図とは異なり、桓武王権が関心を示したのは天台教学ではなく、新たな呪法としての密教のほうであった。最澄は天台教学(止観業)と密教(遮那業)との一致を説く法華一乗を主張したが、それは日本天台宗に特有の考えで、最澄没後の天台宗徒はその答えを求めて中国へ渡り、円仁・円珍によってようやく大成される。一方「闕期の罪」を犯した空海は、帰国後もしばらくは入京を許されず、嵯峨天皇との交流も書や詩文など文芸面がメインであった。その評価が変化したのは、弘仁3年11月より最澄とその弟子が空海から結縁灌頂を受けたあたりからで、宗教家として本格的に評価されるのは淳和期に入ってのことであった。
  • 「古代東アジアにおける仏教交流」, 2015年11月10日, 中国・浙江大学2015年度招聘短期外国専家プロジェクト, 日本古代の入唐僧らが、当時の最先端文化である仏教をどのように学び、日本に移植したのかについて検討したものである。報告では仏教受容を7世紀の第1期、8世紀の第2期、9世紀の第3期に分け、それぞれの特徴を分析した。

その他

  • 「座談会 日本史の論点・争点 古代女帝研究の現在」, 『日本歴史』, 796, 吉川弘文館, 2014年09月01日, 2, 27

競争的資金

  • 24401027, 日本古代の仏教受容と東アジアの仏教交流, 平成24年度は韓国の九山禅門を中心とする禅宗寺院の調査をおこない、金石文の調査・記録を実施するとともに、現地研究者との学術交流をおこなった。平成25・26年度は、中国山西省南部~陝西省西安市までを対象として、『入唐求法巡礼行記』にもとづく入唐僧円仁の行程調査を実施し、唐代における歴史的景観や交通路を復元した。;最終年度末には、日本・中国・韓国3ヵ国の研究者による国際シンポジウムを開催し、最新の研究状況の確認や国内外の研究者との学術交流をおこなうとともに、平成24~26年度の研究成果を公表した。現在、シンポジウムの成果を広く公開するため、書籍として刊行するべく準備を進めている。
  • 17320104, 『入唐求法巡礼行記』に関する文献校訂及び古代東アジア諸国間交流の総合的研究, 『入唐求法巡礼行記』を中心として古代の東アジア世界における交流・交通の諸相を研究することを目的として、第一に『入唐求法巡礼行記』自体の詳細かつ丹念な検討を進め、諸本の校訂を経て、データベースを作成した。また、『入唐求法巡礼行記』の記載と円仁の行程を追跡し、具体的な交通路を復原することを目的に現地調査を行った。それらの成果は研究会やシンポジウムで広く社会に公開し、その一端を『円仁とその時代』として一書にまとめた
  • 13610394, 『入唐求法巡礼行記』に関する文献校定および基礎的研究, 1.『入唐求法巡礼行記』古写本について所蔵関係の確認調査;平成13・14年度において、古写本の現在の所蔵について確認し、東寺観智院本・津金寺本の写本及び刊本の所在を確認、また校訂本・訓読本・注釈書について、日本及び韓国・中国における発刊状況について調査した。;2.『入唐求法巡礼行記』巻1の校訂と読み下し文作成;巻1の校訂と読み下し文作成作業が完了する。校訂については、東寺観智院本の影写本を元に1字毎の詳細な校訂を行い、それをデータベース化することにより、文字について横断的に検索することが可能となった。読み下し文についてもデータベース化が完了している。;3.『入唐求法巡礼行記』巻1の注釈作成;巻1の注釈作成作業については約3分の2程度完了している。;平成15年度には、注釈作成過程において、現地踏査の必要性が生じたため、中国山東半島で現地踏査を行った。成果として、従来比定されていた地名の誤りを発見し、また新たに地名比定が可能な地点が明らかになった。;4.『入唐求法巡礼行記』関係資料集の作成;これについては予算の関係上、行うことができなかった。;5.『入唐求法巡礼行記』関係文献目録の作成;『巡礼行記』関係文献の集成・文献目録作成は日本で出版されたものは完了したが、中国・朝鮮の文献収集については作業を完了できなかった;6.『入唐求法巡礼行記』の内容に関連した研究論文の作成;平成16年4月17日及び平成16年9月18日に研究会を行い、これについて成果報告書に研究論文として掲載する。

教育活動

担当授業

  • 史学基礎演習C, 2019, この演習は、日本古代史研究をこころざす学生を対象として、基礎知識の習得をおこなうとともに、歴史を学ぶうえでの方法論を身につけることを目的とします。前半は主として日本古代史の史料を読み、後半は履修生自身の論文学習にもとづく発表をおこないます。大学における歴史学とは、高等学校までの「暗記」中心のそれとは異なり、史・資料にもとづいてオリジナルな見解を展開することにあります。そのための初歩として、ここでは日本古代史関係の史料読解と利用のしかたなどを学び、基本的かつ重要な争点の考察を通して、歴史に対する柔軟な思考を得るよう努めることにします。なお授業には、必ず漢和辞典(出版社は問わない、電子辞書でも可)を持参してください。
  • 史学展開演習I(日本史), 2019, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、貞観16年9月21日条(途中)から読みはじめます。前期の授業では主として4年生の発表が続きますので、3年生は事前に史料を読み込み、積極的に質問をするよう心がけてください。また授業のほか、月ごとに山川出版社「日本史リブレット」「日本史リブレット人」から1冊を選んで論評するレポートを提出してもらいます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学展開演習II(日本史), 2019, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、貞観16年9月21日条(途中)から読みはじめます。後期の授業は主として3年生の発表をおこないます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習(日本史), 2019, -
  • 史学導入演習, 2019, 本授業の前半では、本学の史学科生として充実した学生生活を送るために必要な基礎知識や能力、姿勢を培う。具体的には以下の4つを学ぶ。|(1)「学びの場」である史学科の歴史やカリキュラム、特徴を理解する|(2)大学での学び方、生活のマナーを身につける|(3)学修に必要な知識・情報(書籍・論文)の入手の仕方、情報ツールの活用法、学習・研究上の倫理(ルール)を知る|(4)学んだことをまとめ、考えたことを仲間に伝えるための発表の技術、文章作成術を身につける||本授業の後半では、各自が専攻しようとするコースでどのような研究をする場なのか、実際の研究にふれて、その概要を知る機会とする。|
  • 日本時代史I, 2019, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。日本古代における「国家」の成立は、7世紀末における律令制の本格導入を契機とすると考えられています。ではそれ以降、権力構造はどのように変化し、支配者層はいかに対応していったのでしょうか。この講義では、以上の点に留意して、さまざまな学説を紹介しながら、8世紀の天皇・皇太子・皇后を取り上げ、古代天皇制の権力構造とその展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 日本時代史II, 2019, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。8世紀末には、古代国家は王統の移行や遷都など、大きな変動を経験しますが、それだけにとどまらず、9世紀には権力構造や政務方式も以前とは異なる様相を見せはじめます。この講義では、8世紀との対比を視野に入れつつ、8世紀の太上天皇と9世紀以降の天皇・皇太子・皇后・太上天皇を取り上げ、古代天皇制の権力構造と展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 史料講読, 2019, この演習は、前近代の日本史研究を志すものにとって必須の知識・技術である古文書の読解力・解釈力を、活字だけでなくできるだけ実物の写真を用いたり、実際に文献史料を読むことによって身につけようとするものです。日本の古文書は、公式令の規定にもとづく「公式様文書」にはじまり、平安時代に律令制が変化したことによって出現した「公家様文書」、そして武家政権の登場にともなってあらわれた「武家様文書」と変遷していきます。この演習では、そのうち特に古代文書に焦点をあてて解説し、履修生とともに読み下していきます。前期では「公式様文書」の様式と実例について学び、後期では「公家様文書」の様式や実例についてふれたあと、律令格式や古記録など、活字化されたさまざまな日本古代の編纂史料を読んでいき、史料の読解力向上と日本古代史の知識増加をめざしていきます。「公式様文書」や「公家様文書」は、その後の文書の基礎となるものですので、日本古代史専攻以外の学生も、積極的に履修することを望みます。
  • 卒業論文, 2019
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2020, 本授業は 、主に Zoomを利用した双方向型 オンライン 授業 (ライブ配信) として実施する。この演習は、日本古代史研究をこころざす学生を対象として、基礎知識の習得をおこなうとともに、歴史を学ぶうえでの方法論を身につけることを目的とします。前半は主として日本古代史の史料を読み、後半は履修生自身の論文学習にもとづく発表をおこないます。大学における歴史学とは、高等学校までの「暗記」中心のそれとは異なり、史・資料にもとづいてオリジナルな見解を展開することにあります。そのための初歩として、ここでは日本古代史関係の史料読解と利用のしかたなどを学び、基本的かつ重要な争点の考察を通して、歴史に対する柔軟な思考を得るよう努めることにします。なお授業には、必ず漢和辞典(出版社は問わない、電子辞書でも可)を持参してください。
  • 史学展開演習I(日本史), 2020, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、貞観18年6月16日条から読みはじめます。前期の授業では主として4年生の発表が続きますので、3年生は事前に史料を読み込み、積極的に質問をするよう心がけてください。また授業のほか、月ごとに山川出版社「日本史リブレット」「日本史リブレット人」から1冊を選んで論評するレポートを提出してもらいます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学展開演習II(日本史), 2020, 本授業は 、主に Zoomを利用した双方向型 オンライン 授業 (ライブ配信) として実施する。この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。後期の授業では主として3年生が発表をおこないます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習(日本史), 2020, 本授業は 、主に Zoomを利用した双方向型 オンライン 授業 (ライブ配信) として実施する。|この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、貞観18年6月16日条から読みはじめます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学導入演習Ⅰ, 2020, 本授業の前半では、本学の史学科生として充実した学生生活を送るために必要な基礎知識や能力、姿勢を培う。具体的には以下の4つを学ぶ。|(1)「学びの場」である史学科の歴史やカリキュラム、特徴を理解する|(2)大学での学び方、生活のマナーを身につける|(3)学修に必要な知識・情報(書籍・論文)の入手の仕方、情報ツールの活用法、学習・研究上の倫理(ルール)を知る|(4)学んだことをまとめ、考えたことを仲間に伝えるための発表の技術、文章作成術を身につける|| 本授業の後半では、各自が専攻しようとするコースでどのような研究をする場なのか、実際の研究にふれて、その概要を知る機会とする。
  • 日本時代史I, 2020, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。日本古代における「国家」の成立は、7世紀末における律令制の本格導入を契機とすると考えられています。ではそれ以降、権力構造はどのように変化し、支配者層はいかに対応していったのでしょうか。この講義では、以上の点に留意して、さまざまな学説を紹介しながら、8世紀の天皇・皇太子・皇后を取り上げ、古代天皇制の権力構造とその展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 日本時代史II, 2020, 本授業は 、主に Zoomを利用した双方向型 オンライン 授業 (ライブ配信) として実施する。この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。8世紀末には、古代国家は王統の移行や遷都など、大きな変動を経験しますが、それだけにとどまらず、9世紀には権力構造や政務方式も以前とは異なる様相を見せはじめます。この講義では、8世紀との対比を視野に入れつつ、8世紀の太上天皇と9世紀以降の天皇・皇太子・皇后・太上天皇を取り上げ、古代天皇制の権力構造と展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 史料講読I, 2020, この演習は、前近代の日本史研究を志すものにとって必須の知識・技術である古文書の読解力・解釈力を、活字だけでなくできるだけ実物の写真を用いたり、実際に文献史料を読むことによって身につけようとするものです。日本の古文書は、公式令の規定にもとづく「公式様文書」にはじまり、平安時代に律令制が変化したことによって出現した「公家様文書」、そして武家政権の登場にともなってあらわれた「武家様文書」と変遷していきます。この演習では、そのうち特に古代文書に焦点をあてて解説し、履修生とともに読み下していきます。前期ではとくに「公式様文書」の様式と実例について学びます。律令格式や古記録など、活字化されたさまざまな日本古代の編纂史料についてもできるだけ読み、史料の読解力向上と日本古代史の知識増加をめざしていきます。
  • 史料講読, 2020, -
  • 史料講読II, 2020, 本授業は 、主に Zoomを利用した双方向型 オンライン 授業 (ライブ配信) として実施する。この演習は、前近代の日本史研究を志すものにとって必須の知識・技術である古文書の読解力・解釈力を、活字だけでなくできるだけ実物の写真を用いたり、実際に文献史料を読むことによって身につけようとするものです。日本の古文書は、公式令の規定にもとづく「公式様文書」にはじまり、平安時代に律令制が変化したことによって出現した「公家様文書」、そして武家政権の登場にともなってあらわれた「武家様文書」と変遷していきます。この演習では、そのうち特に古代文書に焦点をあてて解説し、履修生とともに読み下していきます。後期では「公家様文書」の様式や実例について学びます。その後、律令格式や古記録など、活字化されたさまざまな日本古代の編纂史料をできるだけ読み、史料の読解力向上と日本古代史の知識増加をめざしていきます。
  • 史料講読I, 2021, この演習は、前近代の日本史研究を志すものにとって必須の知識・技術である古文書の読解力・解釈力を、活字だけでなくできるだけ実物の写真を用いたり、実際に文献史料を読むことによって身につけようとするものです。日本の古文書は、公式令の規定にもとづく「公式様文書」にはじまり、平安時代に律令制が変化したことによって出現した「公家様文書」、そして武家政権の登場にともなってあらわれた「武家様文書」と変遷していきます。この演習では、そのうち特に古代文書に焦点をあてて解説し、履修生とともに読み下していきます。前期ではとくに「公式様文書」の様式と実例について学びます。律令格式や古記録など、活字化されたさまざまな日本古代の編纂史料についてもできるだけ読み、史料の読解力向上と日本古代史の知識増加をめざしていきます。
  • 史料講読, 2021, 前期の内容については、(史料講読Ⅰ 渋谷 佐藤 長門 金曜1限)を参照してください。後期の内容については、(史料講読Ⅱ 渋谷 佐藤 長門 金曜1限)を参照してください。
  • 史料講読II, 2021, この演習は、前近代の日本史研究を志すものにとって必須の知識・技術である古文書の読解力・解釈力を、活字だけでなくできるだけ実物の写真を用いたり、実際に文献史料を読むことによって身につけようとするものです。日本の古文書は、公式令の規定にもとづく「公式様文書」にはじまり、平安時代に律令制が変化したことによって出現した「公家様文書」、そして武家政権の登場にともなってあらわれた「武家様文書」と変遷していきます。この演習では、そのうち特に古代文書に焦点をあてて解説し、履修生とともに読み下していきます。後期では「公家様文書」の様式や実例について学びます。その後、律令格式や古記録など、活字化されたさまざまな日本古代の編纂史料をできるだけ読み、史料の読解力向上と日本古代史の知識増加をめざしていきます。
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2021, この演習は、日本古代史研究をこころざす学生を対象として、基礎知識の習得をおこなうとともに、歴史を学ぶうえでの方法論を身につけることを目的とします。前半は主として律令格式など日本古代史の史料を読み、後半は履修生自身の論文学習にもとづく発表をおこないます。大学における歴史学とは、高等学校までの「暗記」中心のそれとは異なり、史・資料にもとづいてオリジナルな見解を展開することにあります。そのための初歩として、ここでは日本古代史関係の史料読解と利用のしかたなどを学び、基本的かつ重要な争点の考察を通して、歴史に対する柔軟な思考を得るよう努めることにします。なお授業には、必ず漢和辞典(出版社は問わない、電子辞書でも可)を持参してください。
  • 史学展開演習I(日本史), 2021, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、貞観18年6月16日条から読みはじめます。前期の授業では主として4年生の発表が続きますので、3年生は事前に史料を読み込み、積極的に質問をするよう心がけてください。また授業のほか、月ごとに山川出版社「日本史リブレット」「日本史リブレット人」から1冊を選んで論評するレポートを提出してもらいます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学展開演習II(日本史), 2021, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。後期の授業では主として3年生が発表をおこないます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習(日本史), 2021, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、元慶元年4月13日条の途中から読みはじめます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学導入演習Ⅰ, 2021, 本授業は対面授業として実施する。|本授業の前半では、本学の史学科生として充実した学生生活を送るために必要な基礎知識や能力、姿勢を培う。具体的には以下の4つを学ぶ。|(1)「学びの場」である史学科の歴史やカリキュラム、特徴を理解する。|(2)大学での学び方、生活のマナーを身につける。|(3)学修に必要な知識・情報(書籍・論文)の入手の仕方、情報ツールの活用法、学習・研究上の倫理(ルール)を知る。|(4)学んだことをまとめ、考えたことを仲間に伝えるための発表の技術、文章作成術を身につける。|| 本授業の後半では、各自が専攻しようとするコースはどのような研究をする場なのか、実際の研究にふれて、その概要を知る機会とする。
  • 日本時代史I, 2021, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。日本古代における「国家」の成立は、7世紀末における律令制の本格導入を契機とすると考えられています。ではそれ以降、権力構造はどのように変化し、支配者層はいかに対応していったのでしょうか。この講義では、以上の点に留意して、さまざまな学説を紹介しながら、8世紀の天皇・皇太子・皇后を取り上げ、古代天皇制の権力構造とその展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 日本時代史II, 2021, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。8世紀末には、古代国家は王統の移行や遷都など、大きな変動を経験しますが、それだけにとどまらず、9世紀には権力構造や政務方式も以前とは異なる様相を見せはじめます。この講義では、8世紀との対比を視野に入れつつ、8世紀の太上天皇と9世紀以降の天皇・皇太子・皇后・太上天皇を取り上げ、古代天皇制の権力構造と展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2022, この演習は、日本古代史研究をこころざす学生を対象として、基礎知識の習得をおこなうとともに、歴史を学ぶうえでの方法論を身につけることを目的とします。前半は主として律令格式など日本古代史の史料を読み、後半は履修生自身の論文学習にもとづく発表をおこないます。大学における歴史学とは、高等学校までの「暗記」中心のそれとは異なり、史・資料にもとづいてオリジナルな見解を展開することにあります。そのための初歩として、ここでは日本古代史関係の史料読解と利用のしかたなどを学び、基本的かつ重要な争点の考察を通して、歴史に対する柔軟な思考を得るよう努めることにします。なお授業には、必ず漢和辞典(出版社は問わない、電子辞書でも可)を持参してください。
  • 史学展開演習I(日本史), 2022, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、元慶2年3月29日条の途中から読みはじめます。前期の授業では主として4年生の発表が続きますので、3年生は事前に史料を読み込み、積極的に質問をするよう心がけてください。また授業のほか、月ごとに山川出版社「日本史リブレット」「日本史リブレット人」から1冊を選んで論評するレポートを提出してもらいます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学展開演習II(日本史), 2022, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。後期の授業では主として3年生が発表をおこないます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習I, 2022, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、元慶2年3月29日条の途中から読みはじめます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習(日本史), 2022, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、元慶2年3月29日条の途中から読みはじめます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習II, 2022, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学導入演習Ⅰ, 2022, 本授業は対面授業として実施する。|本授業の前半では、本学の史学科生として充実した学生生活を送るために必要な基礎知識や能力、姿勢を培う。具体的には以下の4つを学ぶ。|(1)「学びの場」である史学科の歴史やカリキュラム、特徴を理解する。|(2)大学での学び方、生活のマナーを身につける。|(3)学修に必要な知識・情報(書籍・論文)の入手の仕方、情報ツールの活用法、学習・研究上の倫理(ルール)を知る。|(4)学んだことをまとめ、考えたことを仲間に伝えるための発表の技術、文章作成術を身につける。|| 本授業の後半では、各自が専攻しようとするコースはどのような研究をする場なのか、実際の研究にふれて、その概要を知る機会とする。
  • 日本時代史I, 2022, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。日本古代における「国家」の成立は、7世紀末における律令制の本格導入を契機とすると考えられています。ではそれ以降、権力構造はどのように変化し、支配者層はいかに対応していったのでしょうか。この講義では、以上の点に留意して、さまざまな学説を紹介しながら、8世紀の天皇・皇太子・皇后を取り上げ、古代天皇制の権力構造とその展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 日本時代史II, 2022, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。8世紀末には、古代国家は王統の移行や遷都など、大きな変動を経験しますが、それだけにとどまらず、9世紀には権力構造や政務方式も以前とは異なる様相を見せはじめます。この講義では、8世紀との対比を視野に入れつつ、8世紀の太上天皇と9世紀以降の天皇・皇太子・皇后・太上天皇を取り上げ、古代天皇制の権力構造と展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2023
  • 史学展開演習I(日本史), 2023
  • 史学展開演習II(日本史), 2023
  • 史学応用演習I, 2023
  • 史学応用演習(日本史), 2023
  • 史学応用演習II, 2023
  • 史学導入演習Ⅰ, 2023
  • 日本時代史I, 2023
  • 日本時代史II, 2023
  • 史学基礎演習Ⅱ, 2023, この演習は、日本古代史研究をこころざす学生を対象として、基礎知識の習得をおこなうとともに、歴史を学ぶうえでの方法論を身につけることを目的とします。前半は主として律令格式など日本古代史の史料を読み、後半は各自、吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」(古代史)のなかから1冊を選び、その内容紹介と批判を発表してもらいます。大学における歴史学とは、高等学校までの「暗記」中心のそれとは異なり、史・資料にもとづいてオリジナルな見解を展開することにあります。そのための初歩として、ここでは日本古代史関係の史料読解と利用のしかたなどを学び、基本的かつ重要な争点の考察を通して、歴史に対する柔軟な思考を得るよう努めることにします。なお授業には、必ず漢和辞典(出版社は問わない、電子辞書でも可)を持参してください。
  • 史学展開演習I(日本史), 2023, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、元慶3年3月8日条から読みはじめます。前期の授業では主として4年生の発表が続きますので、3年生は事前に史料を読み込み、積極的に質問をするよう心がけてください。また授業のほか、月ごとに吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」(古代史関係)から1冊を選んで論評するレポートを提出してもらいます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学展開演習II(日本史), 2023, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする3年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、4年生の「史学応用演習」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。後期の授業では主として3年生が発表をおこないます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習I, 2023, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、元慶3年3月8日条から読みはじめます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習(日本史), 2023, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。本年度は、元慶3年3月8日条から読みはじめます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学応用演習II, 2023, この演習は、日本古代史で卒業論文を提出しようとする4年生を対象として、奈良時代〜平安時代の諸問題を解明するための基礎力・応用力養成を目的とするものです。なお授業は、3年生の「史学展開演習Ⅰ・Ⅱ」と合同でおこないます。テキストには六国史の最後にあたる『日本三代実録』を使用し、必要に応じて律令格式や儀式書などを併用しつつ、履修生各自に割り当てた箇所の読み下しと人物・事項の解説などをおこなってもらいます。研究テーマは人から与えられるものではなく、積極的・能動的にみずから探し出して見つけてくるものです。したがって学生諸君には教室内での学習のみでなく、学内外で催される研究会やシンポジウム、博物館での展示会などにも意欲的に参加することを望みます。
  • 史学導入演習Ⅰ, 2023, 本授業は対面授業として実施する。|本授業の前半では、本学の史学科生として充実した学生生活を送るために必要な基礎知識や能力、姿勢を培う。具体的には以下の4つを学ぶ。|(1)「学びの場」である史学科の歴史やカリキュラム、特徴を理解する。|(2)大学での学び方、生活のマナーを身につける。|(3)学修に必要な知識・情報(書籍・論文)の入手の仕方、情報ツールの活用法、学習・研究上の倫理(ルール)を知る。|(4)学んだことをまとめ、考えたことを仲間に伝えるための発表の技術、文章作成術を身につける。| 本授業の後半では各自が専攻しようとするコースはどのような研究をする場なのか、実際の研究にふれて、その概要を知る機会とする。
  • 日本時代史I, 2023, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。日本古代における「国家」の成立は、7世紀末における律令制の本格導入を契機とすると考えられています。ではそれ以降、権力構造はどのように変化し、支配者層はいかに対応していったのでしょうか。この講義では、以上の点に留意して、さまざまな学説を紹介しながら、8世紀の天皇・皇太子・皇后を取り上げ、古代天皇制の権力構造とその展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。
  • 日本時代史II, 2023, この講義は、日本古代史をフィールドとして、王(天皇)を中核とした支配者層がいかにして権力を掌握し、日本列島を支配していったのかを考えようとするものです。8世紀末には、古代国家は王統の移行や遷都など、大きな変動を経験しますが、それだけにとどまらず、9世紀には権力構造や政務方式も以前とは異なる様相を見せはじめます。この講義では、8世紀との対比を視野に入れつつ、8世紀の太上天皇と9世紀以降の天皇・皇太子・皇后・太上天皇を取り上げ、古代天皇制の権力構造と展開過程を論理的かつ実証的に論じていきます。

オフィスアワーの実施時期・曜時

  • 2018, 金曜4限・5限

学外活動

学協会活動

  • 國學院大學国史学会, 1987年05月
  • 歴史学研究会, 1990年05月
  • 続日本紀研究会, 1990年05月
  • 日本史研究会, 1990年05月
  • 大阪歴史学会, 1990年05月
  • 國學院大學国史学会, 1991年05月, 1992年04月
  • 正倉院文書研究会, 1992年04月, 2008年03月
  • 歴史科学協議会, 1998年04月, 2008年03月
  • 國學院大學国史学会, 1998年05月, 2000年04月
  • 史学会, 1999年04月, 2008年03月
  • 木簡学会, 2000年12月
  • 國學院大學国史学会, 2004年05月, 2006年04月