「『八まんの本地』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第11号, 1, 43, 2019年03月07日, 國學院大學研究開発推進機構校史・学術資産研究センター, 太田敦子、針本正行, 『八幡の本地』は、これまで、甲類系統本、乙類系統本があると指摘されている。本論では、國學院大學図書館に所蔵されている、『八まんの本地』、『八幡御縁起』、『八幡縁起』の三種の本文の系統を諸本校合により、『八まんの本地』は乙類本、『八幡御縁起』は甲類本、『八幡縁起』は乙類本と確定した。また、國學大学図書館所蔵『八まんの本地』本の挿絵の特徴を示し、さらに、詞書書写者は、江戸時代前期に制作された國學院大學図書館に所蔵されている『舟のゐとく』、『呉越絵』、『張良物語』と同一であることも明らかにした。なお、本文翻刻に当たっては、太田敦子氏の協力を得た。
「國學院大學図書館所蔵『俵藤太物語』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第10号, 1, 30, 2018年03月07日, 國學院大學, 針本正行、太田敦子, 『俵藤太物語』は、これまで、古本系統本、流布本系統本があり、國學院本は新出の古本系統本である。本論では、國學院大學図書館に所蔵されている『俵藤太物語』の解題と翻刻をし、國學院本と他本との校合、國學院本の挿絵の特徴、國學院本の巻末に見る文学的趣向などについて明らかにした(1-21頁)。なお、本文翻刻に当たっては、太田敦子氏の協力を得た。
「物語絵巻・絵草紙を読む」, 針本正行, 『國學院大學研究開発推進機構紀要』, 第10号, 35, 49, 2018年03月01日, 國學院大學研究開発推進機構, 國學院大學図書館に所蔵されている四種類の『住吉物語』の本文の特徴、挿絵の構図、および三冊本に捺された「印記」について論究した。國學院大學図書館には、一冊本、二冊本、三冊本、物語絵巻三軸、の四種類の住吉物語が所蔵されている。四種類とも流布本であり、三冊本は特にアイルランド国CBL所蔵本と同じ本文を持つことを確認した。また、三冊本の末尾に捺された「印記」である「源小泉 大和大極」が、本学所蔵の『判官都ばなし』、『かくれ里』と同一であることも指摘した。
「國學院大學図書館所蔵『大織冠』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第9号, 1, 63, 2017年03月07日, 國學院大學, 針本正行、太田敦子, 國學院大學図書館には、一冊本、二冊本、絵巻の三種の『大織冠』が所蔵されている。本稿では、その中で、江戸時代前期に制作されたと思量される一冊本の特徴について、薄雲御所慈受院所蔵本、大頭左兵衛本、寛永製版本の本文との校合、國學院本三種の挿絵の構図の比較、一冊本の制作年代などの課題の検証を通して明らかにした(1-32頁)。翻刻にあたっては、太田敦子氏の協力を得た。
「國學院大學図書館所蔵『張良物語』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第8号, 1, 37, 2016年03月07日, 國學院大學, 『張良物語』は、これまで、学習院大学日本語日本部学科所蔵本、スペンサーコレクション所蔵本、石川透所蔵本、大阪大谷大学図書館所蔵本などが確認されている。本論では、國學院大學図書館所蔵の張良物語』と他所蔵本との本文校合により、本学所蔵本はスペンサーコレクション所蔵本と同系統であること、また、蔵本の詞書書写者が國學院大學図書館所蔵の『呉越絵』、『清重』と同一であることことなども明らかにした。
「源氏物語の古筆切を読む (特集 「シンポジウム 源氏物語と古筆切」)」, 針本 正行, 『年報』, 第34号, 318, 336, 2015年03月30日, 実践女子大学文芸資料研究所, 源氏物語の鎌倉時代の古写本である河内本の特徴について、架蔵断簡二葉をもとに明らかにしたものである。一葉は「伝藤原為池櫃源氏物語切「薄雲巻」」である。現在、当該のツレの断簡は十数葉が発見されているものである。もう一葉は「伝後京極良経筆源氏物語切「須磨巻」」である。当該の断簡は名古屋蓬左文庫所蔵尾州家本に欠落している箇所に相当するものである。新出資料としての意義と、その作品論的意義も述べた。
「國學院大學図書館所蔵『かくれ里』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第7号, 1, 42, 2015年03月06日, 國學院大學, 針本正行、山本岳史, 『かくれ里』は、世界でも十点に満たない貴重な古典籍である。今般、新出の『かくれ里』が國學院大學図書館に所蔵された。國學院大學所蔵『かくれ里』の特徴について、東京大学国文学研究室所蔵本、慶應義塾大学図書館所蔵本などとの本文校合、挿絵の構図、詞書書写者、巻末の印記などの4点から明らかにした。また、成立したと思量される寛文・延宝期の絵巻物、絵草紙の製作過程についても明らかにした(1-22頁)。なお、翻刻にあたっては、山本岳史氏の協力を得た(23-41頁)。
「源氏物語の古筆切を読む」, 針本正行, 『年報』, 34, 2015年03月01日, 実践女子大学文芸資料研究所, 源氏物語の鎌倉時代の古写本である河内本の特徴について、架蔵断簡二葉をもとに明らかにしたものである。一葉は「伝藤原為家櫃源氏物語切「薄雲巻」」である。現在、当該のツレの断簡は十数葉が発見されているものである。もう一葉は「伝後京極良経筆源氏物語切「須磨巻」である。当該の断簡は名古屋蓬左文庫所蔵尾州家本に欠落している箇所に相当するものである。新出資料としての意義と、その作品論的意義も述べた。
「國學院大學図書館所蔵『咸陽宮』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第6号, 1, 46, 2014年03月07日, 國學院大學, 針本正行、山本岳史, 國學院大學図書館に所蔵されている『咸陽宮』の解題と翻刻を試みた。『咸陽宮』は全世界で、現在6点が確認されている。ここに、國學院大學所蔵本と既存の諸本と校合し、挿絵の構図、詞書書写内容の検証することにより、江戸時代寛文・延宝期の物語絵巻の生成過程、詞書書写者、絵草紙屋の存在を明らかにした。なお、翻刻にあたっては、山本岳史氏の協力を得た(27-46頁)。
「王朝文学と賀茂神社」, 針本正行, 『悠久』, 131号, 55, 68, 2013年07月10日, おうふう, 王朝文学には、賀茂神社の神慮にまつわる和歌や賀茂神社の斎女である斎院を素材とした作品が多くある。本論では、「古今和歌集」に収載された賀茂神社に関わる表現「ちはやぶる」・「木綿襷」と、「源氏物語」において、紫の上が賀茂神社に詣でたことを「御阿礼」と称した表現などを具体的対象として、賀茂信仰の本性について明らかにした。
「國學院大學図書館所蔵『ひいな鶴』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第5号, 1, 23, 2013年03月04日, 國學院大學, 國學院大學図書館所蔵『ひいな鶴』の解題と翻刻をした。奈良絵巻『ひいな鶴』は、穂久邇文庫、国会図書館等に所蔵されているものの、世界でも十点と残っていない貴重な古典籍である。本学以外の所蔵本との本文、挿絵との比較をし、國學院所蔵本の本文及び挿絵の特徴を明らかにし、さらに、詞書書写者の実在、江戸時代前期の絵草紙屋の存在についても明らかにした。
「『蜻蛉日記』の表現」, 針本正行, 『志能風草(復刊)創刊号』, 1, 276, 282, 2013年03月01日, 國學院大學 王朝文学研究会・和歌文学研究会, 『蜻蛉日記』における、章明親王の歌言葉「穂に出づ」の表現の分析を通して、章明親王の和歌及び兼家・道綱母と章明親王との交誼のもつ意義について明らかにした。
「伊勢物語絵の表現ー國學院大學図書館所蔵『伊勢物語絵巻』二九段を中心としてー」, 針本正行, 『國學院雑誌』, 第113巻, 第10号, 1, 16, 2012年10月01日, 國學院大學, 伊勢物語絵の表現の本性について、國學院大學所蔵『伊勢物語絵巻』二九段を対象として論じた。具体的には、國學院大學所蔵『伊勢物語絵巻』二九段の絵の構図の淵源は、『冷泉家流伊勢物語抄』などの伊勢物語注があること、細川幽齋の源氏物語注釈を踏まえた絵入り源氏物語とも関係があり、さらに『古今集』「賀」の屏風絵の絵画性にもあったことを明らかにした。
「國學院大學図書館所蔵『羅生門』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第4号, 1, 45, 2012年03月09日, 國學院大學, 針本正行、山本岳史, 國學院大學図書館所蔵『羅生門』の解題と翻刻をした。奈良絵巻『羅生門』は、国文学研究資料館、佛教大学、天理大学図書館等に所蔵されているものの、世界でも十数点しか残っていない貴重な古典籍である。本学以外の所蔵本との本文、挿絵との比較をし、國學院所蔵本の本文及び挿絵の特徴を明らかにし、さらに、詞書書写者の実在、江戸時代前期の絵草紙屋の存在についても思量した。なお、翻刻にあたっては、山本岳史氏の協力を得た(23-45頁)
「奈良絵本『花鳥風月』(零本一冊)の解題と翻刻」, 針本正行, 『物語文学論究』, 第13号, 294, 303, 2011年03月26日, 國學院大學, 架蔵『花鳥風月』全文を翻刻し、解題を通して源氏物語享受の問題について提起した。
「國學院大學図書館所蔵『呉越絵』の解題と翻刻」, 針本正行, 『校史・学術資産研究』, 第3号, 1, 40, 2011年03月03日, 國學院大學, 針本正行、山本岳史, 『呉越絵』は、これまで、『呉越物語』として、赤城文庫旧蔵本、スペンサー本、天理大学図書館本(『はんれい』)など数本しか確認されていない。本論では、國學院大學図書館に所蔵されている『呉越絵』の解題と翻刻をし、他本との校合、國學院本の挿絵構図の特徴、『呉越絵』の典拠、國學院本の詞書書写者などについて明らかにした(1-12頁)。なお、本文翻刻に当たっては、山本岳史氏の協力を得た(13-40頁)
「國學院大學所蔵の絵入り物語」, 針本正行, 『中古文学』, 86, 15, 24, 2010年12月01日, 中古文学会, 平成22年度春期中古文学会シンポジウムにおいての口頭発表したまとめたものである。「國學院大學所蔵の絵入り物語」と題して本学所蔵の古典籍の中から、『竹取物語絵巻』三点、奈良絵本『住吉物語』三点、『住吉物語絵巻』一点を対象として、寛文・延宝期の物語の享受の問題について、物語本文のありよう、本文と絵画との関係、物語絵巻・絵冊子などの詞書書写者及び絵双紙屋の出版状況について明らかにした。
「國學院大學所蔵『舟のゐとく』と神功皇后譚」, 針本正行, 『物語絵の世界』, 87, 110, 2010年03月01日, 國學院大學文学部針本正行研究室, 國學院大學所蔵『舟のゐとく』の下巻冒頭部に展開する神功皇后譚の本文と挿絵の構図との関係を述べ、加えて、國學院大學に所蔵する神功皇后譚を収載する『武家繁昌』『住吉の本地』『八幡の縁起』とを比較し、神功皇后譚の特徴について明らかにした。
「八の宮と匂宮の和歌」, 針本正行, 『源氏物語の歌と人物』, 196, 215, 2009年05月01日, 翰林書房, 宇治十帖における八の宮の和歌の唱和歌と独詠歌の表現の特徴を通して、八の宮の本性を明らかにした。また匂宮の和歌の表現の特徴を薰との贈答歌の検証を通して、匂宮の本性を明らかにした。
「國學院大學の古典籍」, 針本正行, 『私立大学図書館協会会報』, 132号, 70, 81, 2009年03月01日, 私立大学図書館協会, 國學院大學図書館所蔵の古典籍の中から、『竹取物語絵巻』三点、『住吉物語』三点を紹介し、絵巻の本文と挿図との関係、、『竹取物語絵巻』及び『住吉物語』の寛文、延宝期における伝本の流布状況について論述した。
「『源氏物語』「物の気」顕現と「心の鬼」」, 針本正行, 『國學院雑誌』, 第109巻, 10号, 61, 74, 2008年10月15日, 國學院大學, 藤壺と六条御息所が「心の鬼」を心の内に看取したとき、どのような生き様を志向するのか、また、なぜ、二人の女君は死霊となって光源氏に顕現したのかを明らかにしたものである。藤壺は、「心の鬼」を國母として実感することで、冷泉院の守護霊として、また六条御息所は、「心の鬼」を斎宮の母として実感することで、秋好中宮の守護霊として、光源氏に顕現したのであるとの結論を示した。
「末摘花の和歌ー歌言葉「唐衣」を中心としてー」, 針本正行, 『國學院の古典 第4輯』, 50, 65, 2007年11月01日, 國學院大學院友学術振興会, 光源氏の18歳が暮れる中で、末摘花は光源氏に、彼の正月の晴れ着に添えて「からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ」という和歌を贈った。この末摘花の歌言葉「唐衣」は彼女の「古代」で「をこ」な人物像をかたどる契機となるものであり、光源氏が末摘花を揶揄する象徴的な表現であるされてきた。しかし、本論では、『古今集』『蜻蛉日記』の「唐衣」の表現を分析することを通して、末摘花の歌う「からころも」は、亡き父宮の「御心のおきて」に従い、「世の中をつつましく」生きる末摘花像を紡ぎ出す表現となっていると論じた。
「竹取物語絵巻の本文」, 針本正行, 『國學院大學大学院紀要―文学研究科― 第38輯』, 1, 32, 2007年03月10日, 國學院大學大学院, 『竹取物語絵巻』は現在全世界で十数点が報告されているにすぎない貴重な古典籍である。そのうち、國學院大學図書館には、武田祐吉博士旧蔵本、ハイド旧蔵本、さらに小絵形の紙高を持つ本の三本が収蔵されている。本稿では、武田本『竹取物語絵巻』を全文翻刻し、新井信之旧蔵本、武田元信旧蔵本、十行古活字本、正保製版本の四本との本文を比較し、いわゆる『竹取物語絵巻』の本文の生成過程について論じた。
「江戸時代の源氏学」, 針本正行, 『國學院雑誌』, 第107巻, 第11号, 61, 75, 2006年11月01日, 國學院大學, 江戸時代の国学者の源氏物語研究について、契沖、賀茂真淵、萩原広道らの成果を中心として論じたものである。具体的には次の三点を述べた。一つ、契沖は、『源註拾遺』において、「藤裏葉」巻の「けうなかりし」について、旧注の「孝なかりし」説を廃し、「興なかりし」説を提出していた。二つ、賀茂真淵は、『源氏物語新釈』において、「朝顔」巻の紫の上の和歌における『後撰和歌集』の引用について提起していた。三つ、萩原広道は、『源氏物語評釈』において、「桐壺」巻の「野分立ち」の問題点を指摘していた。
「源氏物語のことば―紫の上の歌ことば―」, 針本正行, 『國學院の古典 第2輯』, 30, 44, 2005年11月01日, 國學院大學院友学術振興会, 『源氏物語』紫の上の人物造型について、彼女の独詠歌の視点から論じたものである。独詠歌は、当該の人物の内奥を、和歌の独白という形式をもって指示する特徴がある。紫の上は生涯に23首の和歌を詠み、その中で、女三の宮が六条院に降嫁した際の「若菜」巻の独詠歌2首が注目されてきた。本論では、これに加えて、「澪標」巻1首、「朝顔」巻1首の手習歌をあらたに独詠歌として見なした上で、光源氏の北の方とはなりえなかった、彼女の心の本性について、光源氏の政治的社会的転換期との関わりの中で明らかにした。
「大殿の姫君論」, 針本正行, 『人物で読む源氏物語 葵の上・空蝉』, 251, 265, 2005年06月01日, 勉誠出版, 光源氏の北の方である葵の上について論じたものである。皇女腹の姫君であり、左大臣家の娘として葵の上は、左大臣家の政治戦略の中で、桐壺帝の第二皇子である光源氏との結婚がはかられた。物語の中で、葵の上は、平安時代の教養である和歌を一首も詠出することはなく、また、ほとんど言葉を発することはなかった。このような中で葵の上の、「這ひ隠る」という身体的表現、「おだし」「こころづきなし」という彼女の心象表現を検証することにより、葵の上の本性や光源氏物語における意義について明らかにした。
「「身を知る雨」表現史論」, 針本正行, 『伊勢物語の表現史』, 216, 232, 2004年10月01日, 笠間書院, 『古今集』在原業平歌「かずかずに思ひおもはず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる」が、『伊勢物語』・『和泉式部日記』・『源氏物語』にどのように引用されたのかについて表現史の視点から論じたものである。『古今集』『伊勢物語』で醸成された「身を知る雨」は、男女関係における女の苦悩を象徴する歌言葉であり、『和泉式部日記』の「女」の出家・入水を指示し、『源氏物語』浮舟の和歌「つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいどどみかさまさりて」の内実をかたどるものとなっていることを明らかにした。
「『源氏物語』の「おほどか」-宇治八宮一族の血脈の言葉を中心として-」, 針本正行, 『王朝女流文学の新展望』, 309, 321, 2003年03月01日, 竹林舎, 『源氏物語』の「おほどく」・「おほどかなり」53例の検証を通して、「おほどか」の表現機能を明らかにした。「おほどか」は宇治八の宮一族の血脈を示す性情であり、とくに「東屋」巻の「おほどく」・「おほどかなり」は、浮舟が大君の形代としえ認知される性情でもあった。さらに、薫が求めた浮舟の本性は、薫の母女三の宮の「おほどか」な性情と同一であったことも論究した。
「『源氏物語』の表現-「ゐざる」を中心として-」, 針本正行, 『伝統と創造の人文科学-國學院大學大学院文学研究科創設50周年記念論文集-』, 165, 178, 2002年03月01日, 國學院大學大学院, 『源氏物語』の「ゐざる」35例の検証を通して、「ゐざる」の表現機能を、物語の主題との視点から明らかにした。「ゐざる」女君は、光源氏に関わる女君の行動であり、「ゐざる」女君は王権の血脈につながるものであった。「賢木」巻で語られる、六条御息所・藤壺・朧月夜の女君たちは、禁忌を犯し王権を侵犯する光源氏の本性を醸成し、日常から逸脱する光源氏像を生成していったことを明らかにした。
「平安女流文学の表現」, 針本正行, 國學院大學博士論文, 2001年11月01日, 國學院大學
「『源氏物語』における『催馬楽』「妹之門」の引用」, 針本正行, 『論叢源氏物語3 引用と想像力』, 58, 79, 2001年05月01日, 新典社, 『源氏釈』以来、引用は準拠や場面における表現の問題としてあつかわれてきた。本論では、『催馬楽』「妹之門」の「笠宿り」・「行き過ぎがたき」が、『源氏物語』において、「若紫」巻と並びの巻「未摘花」巻で同時的に引用され、それが光源氏の「心長き」本性を紡ぎ出していることを指摘し、さらにその結果として光源氏が桐壺帝の聖帝化に与っていることを論述した。
「『源氏物語』の「おほどか」」, 針本正行, 『物語文学論究』, 第11号, 100, 108, 2001年01月01日, 物語文学研究会, 『源氏物語』において、「おほどか」は五二例を数える。この言葉には三つの用法がある。一つは、女三の宮・秋好中宮・落葉の宮ら、宮家の女君としてのおおらかな性格を象徴する用法、二つには、浮舟・中の君・大君らの宇治八の宮一族の性情を象徴する用法、三つには、夕顔・玉鬘ら親子に共通する血脈の性情を表す用法である。本稿では、とくに、夕顔・玉鬘ら親子に共通する血脈の性情を示す「おほどか」が、藤壺の代償を求める光源氏の志向する性情であることを明らかにした。
「紫の上の手習歌」, 針本正行, 『源氏物語の鑑賞と基礎知識(若菜上後半)』, 234, 250, 2000年11月01日, 至文堂, 女三の宮降嫁以降の紫の上の精神的形象とそこに関与していく光源氏の本性について、「若菜上」巻の紫の上の手習歌二首を対象として論じた。紫の上は、手習歌を通して、六条院での自己の存在意義を疑い、二条院しか「わが御私の殿」がないことを実感していた。光源氏は、紫の上が彼女の精神の排泄行為として手習歌をものしていたと錯覚し、その結果、これまで自己の管理下にあった「癖」を発動させ、六条院崩壊を導いたことを明らかにした。
「『源氏物語』「蛍」巻の花散里」, 針本正行, 『國學院雑誌』, 第100巻, 第12号, 15, 29, 1999年12月01日, 國學院大學, 「少女」から「胡蝶」の巻々で年中行事を描くことを通して、六条院の秩序が次第に構築されていくなかで、「蛍」巻の花散里の存在意義がどのようにあるのかを論じたものである。具体的には、花散里の邸で催された「競射」で、六条院の秩序の崩壊の胎動があること、また、催馬楽「竹河」が引用されている、花散里と光源氏の贈答歌には、禁忌を犯すことのできない光源氏の精神世界が内在していることなどを明らかにした。
「『源氏物語』「朝顔」巻末の光源氏の独詠歌」, 針本正行, 『國學院雑誌』, 第99巻, 第6号, 1, 19, 1998年06月01日, 國學院大學, 「朝顔」巻末に展開している光源氏の独詠歌と死霊藤壺顕現の関係について論じたものである。「朝顔」巻末の、死霊藤壺顕現前後に配された紫の上と光源氏の贈答歌、及び光源氏の独詠歌は、紫の上と光源氏との関係をすえ通すものであること、紫の上の自律的生き様を導くものであること、さらに藤壺不在後の光源氏の生き方をはらむものであることを論じた。
「『蜻蛉日記』に引用された古今和歌集歌」, 針本正行, 『王朝文学史稿』, 第21号, 88, 96, 1996年03月01日, 王朝文学史研究会, 蜻蛉日記上巻は「かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、よに経る人ありけり」ではじまる。この冒頭で示された「ものはかなく」生きる「人」の内実について,上巻における作者の精神的転換期に詠まれた兼家の求婚歌・父倫寧赴任時の兼家の返歌・村上天皇崩御後の二人の贈答歌の三首に引用されていた古今和歌集歌「きみをおきてあだし心をわが持たば末の松山浪もこえなん」の表現方法を通して明らかにした。
「平安女流日記の終焉-四条宮家の女房日記『主殿集』を素材として-」, 針本正行, 『日本文学論究』, 24, 32, 1996年03月01日, 國學院大學國文學會, 私家集と日記のはざまにある四条宮家の女房日記『主殿集』に見られる『古今和歌集』1093番歌「きみをおきてあだし心をわが持たば末の松山浪もこえなん」の引用方法が、『蜻蛉日記』安和元三月条及び『和泉式部日記』長保五年五月条にもあることを指摘し、平安女流日記の表現史の内実と平安女流日記に内在する「女」の生の苦悩の有様の文学質を明らかにした。
「和泉式部の恋の代作歌」, 針本正行, 『駒木原国文』, 第5号, 33, 44, 1995年03月01日, 江戸川女子短期大学国文学専攻, 和泉式部日記中の長保5年9月下旬の「日ごろもの言ひつる人になむ遠く行くなるを、あはれと言ひつべからむことなむ一つ言はむと思ふに(略)一つのたまへ」という敦道親王から和泉式部への恋の代作歌依頼を具体例として、和泉式部の歌の発想を他者の心を仮想しながらそれを自己に身体化させるものがあることを指摘した。さらにこの表現方法に内在するものこそ、日記を構築していく和泉式部の世界観であることも明らかにした。
「『源氏物語』「総角」巻の大君」, 針本正行, 『國學院雑誌』, 第95巻, 第9号, 22, 35, 1994年09月01日, 國學院大學, 宇治八宮の一周忌に大君は「かの世さへ妨げきこゆらん罪」と,はじめて「罪」を意識した。この大君の「罪」意識は薫や中君の生き方にまで影響を与え,自らの死の原因ともなっていた。これらの大君の「罪」の内容を検証することによって,総角巻の冒頭で叙述された「ぬきもあへずもろき涙のたまのをに長き契りをいかがむすばむ」という大君の歌が大君の死の予見と「罪」意識を内在させていること及び総角巻の主題を指示していることについて論証した。
「『源氏物語』「須磨」巻の王命婦」, 針本正行, 『駒木原国文』, 第4号, 27, 40, 1993年12月01日, 江戸川女子短期大学国文学専攻, 光源氏と藤壺の密通事件を誘引した王命婦が,須磨巻において出家した藤壺と一緒に宮中から退出したのにもかかわらず再度東宮のもとに出仕しているという歴史的矛盾の意義を具体的対象として,賢木巻の「ただ人にて,朝廷の御後見をせさせむ」という桐壺院の遺言を朱雀天皇・光源氏との関係から考察することによって,光源氏の罪意識とこの罪意識がどのように須磨流謫後の光源氏の精神世界を深化,成長させているかについて論証した。
「『蜻蛉日記』上巻の「ものはかなし」」, 針本正行, 日本文学の伝統と創造ー阿部正路博士還暦記念論文集ー, 71, 82, 1993年06月01日, 教育出版センター, 蜻蛉日記の最新の注釈が今西祐一郎氏によってなされ(新日本古典文学大系24 岩波書店 1978年11月)、「『蜻蛉日記』上巻とは、道綱母の家集めいた姿をとりつつ、一方では兼家の歌の収録を主たる目的として編まれた著述であるかのようにさえ思えてくる。」との論をふまえて、上巻以外には用語例がない「ものはかなし」五例の表現内容を具体的対象として、兼家妻にとって、「ものはかなし」は、自己の将来の不安の内実を暴く契機となるとともに、兼家との関係において乗り越える対象を意識させる機能を持つ表現であると論じた。
「『枕草子』の紅梅」, 針本正行, 『駒木原国文』, 第3号, 12, 21, 1992年12月01日, 江戸川女子短期大学国文学研修会(編集), 中宮定子が愛用した紅梅の色襲の趣向と「木の花」の段における「紅梅」の意味との関係について,『三巻本枕草子』78段・99段・ 260段の積善寺供養を具体的対象として考察することによって,道隆甍去前後正暦5年・長徳元年・長徳2年の3年の間に,中宮定子文学サロン・藤原斉信との交流を通して清少納言の文学質及び美意識が醸成され,その結果,清少納言の価値観・世界観が中宮定子のそれと同質のものとしてあることを解明した。
「枕草子の和歌」, 針本正行, 『駒木原国文』, 第3号, 28, 40, 1991年12月01日, 江戸川女子短期大学国文学専攻, 清少納言にとって、和歌とはいかなる意味をもつのか、中宮定子はいかなる存在意義をもっているのかという問題について、『枕草子』二二二、二二三、二二四段に連続して連解する中宮定子と清少納言との贈答歌を具体的対象として分析し、これらの三章談において、中宮定子の和歌に対峙する中で、雅を具現化する中宮定子を敬慕する自己に出会う作中人物清少納言が醸成されていると論じた。
「紅葉賀巻の源典侍物語」, 針本正行, 『駒木原国文』 , 第2号, 7, 22, 1990年11月01日, 江戸川女子短期大学国文学専攻, 三谷邦明氏の「物語文学では、孤立した言述は存在しえない。全く無関係なものとして叙述された表現や挿話さえもが、無関係という関係で〈語り〉に参与している。」(「源典侍の物語」「講座源氏物語の世界 第二集」有斐閣 昭和五十五年十月)との論をふまえて、〈語り〉の視点と作中人物論の視点とを止揚する立場から、紅葉賀巻という巻全体の中で、源典侍物語が禁忌の世界を背景とする物語であり、光る限の色好みの本性を暴くと同時に、桐壺帝を退位へと導くものとしてもあると論じた。
「枕草子自讃譚(二)」, 針本正行, 『江戸川女子短期大学紀要』, 第5号, 25, 35, 1990年03月01日, 江戸川女子短期大学, 枕草子の自讃譚において、蔵人頭の任に就いていた公任と交渉をもつ作中人物清少納言と、それを書きつける作者清少納言との関係について〈語り〉を視点としながら、九四段、二二一段、一〇一段の連歌を具体的対象として、清少納言が連歌の半句を返す中で、戯画化する清少納言、自己主張する清少納言が『枕草子』の中で作中人物として醸成されていると論じた。
「紅葉賀巻の藤壺像」, 針本正行, 『駒木原国文』, 第1号, 17, 31, 1989年10月01日, 江戸川女子短期大学国文学専攻, 木船重昭氏の「紅葉賀の試楽と藤壺宮」(『源氏物語の研究(続)』大学堂書店 昭和四十八年十二月)の論をふまえて、紅葉賀巻に展開する、規範を侵犯する「おほけなき心」の「心」は、藤壺の「心」であり、と同時に光源氏のそれを指示しているという、両義的な意味があり、光源氏と藤壺との関係を醸成した二人の精神世界を象るものであると論じた。
「帚木巻頭における光源氏の本性ー「あやにくなり」を中心としてー」, 針本正行, 『源氏物語の探究 第十三輯』, 105, 130, 1988年07月15日, 風間書房, 江戸時代の国学者萩原広道の「あやにくにては心づくしなる事をさるまじき事とはおぼす物から、なほあやにくにてといふ意なり」(源氏物語評釈)をふまえて、明石巻・絵合巻の「あやにくなり」、桐壺院の「あやにくなり」などの分析をもとに、帚木巻の冒頭の「あやになくり」は、桐壺帝の御子として、王族の属性を帯びた光源氏が藤壺思慕につき動かされながら自らの「いろ好み」の本性を生成する表現であると論じた。
「枕の草子の自讃譚」, 針本正行, 『江戸川女子短期大学紀要』, 第3号, 11, 22, 1988年02月01日, 江戸川女子短期大学, 三田村雅子氏の「枕草子の〈笑ひ〉と〈語り〉」(『物語・日記文学とその周辺』桜楓社 昭和五十五年九月)をふまえて、いわゆる自讃譚において蔵人頭の任に就いていた藤原斉信と交渉をもった作中人物清少納言と、それを書きつける作者清少納言との関係について〈語り〉を視点としながら論じた。
「蜻蛉日記下巻の主題と構造」, 針本正行, 『日本文學論究 第四十六冊』, 26, 35, 1987年03月01日, 國學院大學國語國文學會, 木村正中氏が「兼家が兼忠女と関係したいきさつを回想しながら語る作者のことばの中で、兼家への敬語が使われたり省かれたりしているのを、上・中巻とつながって作者の人生に直接かかわる兼家には無敬語、作者の苦悶の人生から離れて、別に物語的世界に存在するごとき兼家には敬語を使うという、二重構造があること。」(「古物語の超克―源氏物語への階梯―」『国文学』昭和五十六年一月)と、下巻の兼家への敬語ありの問題提起をもとに、兼忠女の養女引取事件の叙述を具体的な対象として、蜻蛉日記の敬語表現について論じた。
「桐壺院の遺言と死霊と」, 針本正行, 『源氏物語研究 第八号』, 12, 26, 1984年09月01日, 國學院大學源氏物語研究会, 源氏物語を素材として古代人の発想を解きあかすのか、それとも古代人の発想で源氏物語を読むのか、その両方なのかなどの疑問を抱き、その答えを「桐壺院の遺言」を具体的対象として検証した。死に向かう者の言葉は、残された人間の行動を呪縛する。とくに、桐壺院の遺言は、院の最後の言葉であり、『源氏物語』における皇統譜の問題を提起し、また、桐壺院の「罪」の問題も内在していると論じた。
「薫の 〈内話〉」, 針本正行, 『日本文學史の新研究』, 46, 58, 1984年01月01日, 三弥井書店, 語り手の言葉である草子地と「心の中」と物語があえて指示する〈内話〉について、薫の心の言葉を対象として、薫の「内話」は、揺れ動く薫のある状況が一つの形を呈し、物語が内話の主体者である薫の行動を醸成し、物語の主題に奉仕するものとして機能していると論じた。
「賢木巻の六条御息所物語」, 針本正行, 『源氏物語研究 第七号』, 51, 63, 1979年12月01日, 國學院大學源氏物語研究会, 秋山虔氏の「好色人と生活者―光源氏の『癖』について」(『国文学』昭和四十七年二月)と、大朝雄二氏の「昔」に関する一連のご論(『源氏物語正篇』桜楓社 昭和五十年十月)をふまえて、賢木巻で、斎宮、朝顔斎院、朧月夜らへ発動した光源氏の「癖」は、藤壺とのものの紛れ事件の本質を問い直す物語が新たな六条御域所物語を呼び起こした所産であると論じた。
「和泉式部日記の虚構性」, 針本正行, 『國學院雑誌』, 第八十巻, 七号, 14, 25, 1979年07月01日, 國學院大學文学部, 為尊親王と和泉式部との愛の交歓が史的事実ではないという藤岡忠美氏の意見をふまえて、日記文学研究には「虚構の真実」があるという立場から、和泉式部日記の四月晦日から五月五日までの日次の矛盾を具体的問題として、執筆時における自己の不安のありどころの模索が、古歌の引用の散文化、第三人商法的叙述表現、現実に詠じなかった和歌の創造などの虚構を孕み、これらの表現の相乗作用の中で時間矛盾が生じたと論じた。
「源氏物語第二部の主題と構造ー柏木の〈内話〉を中心としてー」, 針本正行, 『國學院大學大学院紀要 第十一輯』, 141, 161, 1979年03月01日, 國學院大學大学院, 柏木の〈内話〉を通して第二部の主題について論究した。龝田定樹氏は会話に対して心に思うことばを〈内話〉とすることを提唱された(『親和国文第二号』昭和四十四年十二月)。〈語り〉の問題を解くひとつの視点として〈内話〉の表現方法を用いて、源氏物語の第二部の主題は、人間が生きる上で無意識のうちに獲得していく、不可避な死や生の不安の本質が、柏木の内話の紡ぎだす表現論理に内実していることについて論じた。
「少女巻の春秋論」, 針本正行, 『中古文学』, 第18巻, 57, 66, 1976年09月30日, 中古文学会, 本論は、『細流抄』の「六条院四季にわかちてつくるへき心かまへ也」の説を出発点として小町谷照彦氏「詩的言語と虚構」(『国文学』昭和四十五年五月)、秋山虔氏「『もののあはれ』論の序章」(阿部秋生氏編『源氏物語の研究』東京大学出版会 一九七四年六月)の論をふまえて、少女巻の春秋論が、光源氏の政治性、色好み性、物語の主題とどのように関与しているのかについて論じた。
「絵合巻の構造」, 針本正行, 『文学研究科論集』, 第三号, 34, 44, 1976年03月01日, 國學院大學大学院文学研究科, 藤井貞和氏の「源氏物語は構造をつ。だが、本質的には、構造以上の何かである。源氏物語には内発的な展開がある。一部の研究者はそれを作者のそのひとへは還元不可能のものとして作者は作品のむこうがわへ消えている。」(『源氏物語の始原と現在』三一書房 一九七二年四月)論をふまえて、絵合巻において、光源氏が須磨流謫は現在の栄華を保証し、将来の繁栄、安泰も代償が必要であると意識した課程に、藤壺崩御後の物語の胎動があると論じた。
「玉鬘十帖論」, 針本正行, 『源氏物語研究 第二号』, 1, 18, 1974年12月01日, 國學院大學源氏物語研究会, 伊藤博氏「『野分』の後ー源氏物語 第二部への胎動ー」(『文学』昭和四十二年八月)と河内山清彦氏「光源氏の変貌ー『野分』の巻を視点とした源氏物語試論ー」(『青山学院女子短期大学紀要 二十一』昭和四十二年十一月)の論をふまえて、玉鬘十帖は、六条院世界の据え直しを紫の上の人物造型を通して醸成している巻々であり、紫の上の人物造形と物語の主題との関係について論じた。