K-ReaD( Kokugakuin University Researcher’s Achievement)

宍戸 節太郎
文学部 外国語文化学科
准教授
Last Updated :2019/04/26

研究者基本情報

氏名

  • 氏名

    宍戸 節太郎, シシド セツタロウ

所属・職名

  • 文学部 外国語文化学科, 准教授

学位

  • 2009年09月, 博士(文学), 上智大学, 乙第270号

研究分野

  • ドイツ現代文学・思想・文化

研究活動

論文

  • ヒトラーのウィーン時代試論, 宍戸節太郎, Walpurgis 2019, 55, 66, 2019年02月28日, 國學院大學外国語文化学科, 戦後ドイツ社会では、ヒトラーを知ること自体、忌避されるべきタブーとして排除されてきた。近年ドイツでは、長い間のタブーに対する侵犯とも言うべき出来事が、政治や社会、文化、生活の日常のなかで相次いでいる。はたしてわれわれはヒトラーに何を読み込んでいるのか。本論考は、親友A・クビツェクがヒトラーとの青春時代を綴った、『A・ヒトラー――我が青春の友』を手掛かりに、ヒトラーのウィーン時代を探った。
  • 「スロヴェニア文学事始――イヴァン・ツァンカルを手掛かりに」, 『國學院雑誌』, 第一一九巻第四号, 1, 11, 2018年04月15日, 國學院大學, スロヴェニアの歴史は母たちの言葉、スロヴェニア語の承認を求める長い道のりだった。言語は文化の基底であり、言語を保持することは、言語が内包する文化的特性を保持することに他ならない。宗教改革、ナポレオンの時代、また20世紀末の独立へ向かう緊迫した時代と、言語をめぐって織り成されたスロヴェニア人たちの足跡の一端を、スロヴェニア現代文学の祖、イヴァン・ツァンカルを手掛かりに浮き彫りにした。
  • 「ドイツ現代文化横断――小説、映画、ポップ・ミュージック」, 『國學院雑誌』, 第一一五巻第二号, 19, 34, 2014年02月15日, 國學院大學, ベルリンの壁崩壊にともなう東西冷戦の終結、東西ドイツの再統合、世界最大の単一通貨市場EUの誕生と、目まぐるしく変化を遂げた現代ドイツの文化状況について、小説、映画、ポップ・ミュージックなど、具体的に個々の作品を例示しながら概観、概説した。
  • 「近代的「個人」の戯画――エリアス・カネッティの小説『眩暈』におけるパラダイム転換」, 上智大学ヨーロッパ研究所研究叢書3『文学におけるモダン』, 109, 123, 2009年12月31日, 上智大学ヨーロッパ研究所, 『眩暈』の主人公は原初的一体性から抜け出て自ら人生を選択し、都市生活を営む。カントの言う「未成熟状態」、「他人の指導に頼ることなく、自らの悟性を使用することのできない状態」にはもはやなく、「自らの悟性を使用しようとする決意と勇気を欠く」わけでもない。自分の意志に従い自身をコントロールし、最後まで感覚を通じ周囲の世界を合理的に認識している。だがその過剰な自律こそが非合理かつ滑稽なものへと通じていく。
  • 「他在の可能性――エリアス・カネッティにおける「変身」の詩学」, 博士論文, 2009年09月08日, 上智大学, 本論考はカネッティの著作を網羅的に扱う、日本で最初の博士論文となる。カネッティの初期作品に見られる合理性や言語に対する批判的眼差しはのちに、科学的世界像を補完的に補う、明示的な文学的世界観の要請にいたる。本論稿はこのカネッティ思想の中心テーマを、個々の著作をクロノロジカルに辿りつつ、具体的に浮き彫りにすることを目的とする。
  • 「他在の可能性――エリアス・カネッティにおける「変身」の思想」, 『WASEDA-BLÄTTER』, 第15号, 7, 24, 2008年03月25日, 早稲田大学ドイツ語学・文学会, 大々的に取り上げられる機会が少なかったとはいえ、H・ブロッホ、マクルーハン、イェリネク始め20世紀来の知的状況にカネッティが与えたインパクトは小さくない。カネッティ初期の言語批判から、主著『群衆と権力』を含む「変身」の思想にいたる彼の思考の中心テーマを、プラトン以来のミメーシスの問題圏とも照合しつつ、詳論を試みた。本稿ではとりわけカネッティ思想のキー概念、「変身」そのものを中心的に取り扱っている。
  • 「戦後ドイツとカネッティ――文明化の過程の検証」, 『上智大学ドイツ文学論集』, 第43号, 177, 196, 2006年12月30日, 上智大学ドイツ文学会, 人類はなぜ真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに新たな野蛮状態へと落ち込んでいくのかという『啓蒙の弁証法』の問い。アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮であるというやはりアドルノによるテーゼ。戦後ドイツの知識人たちは誰しもがこれらの問題との対決を余儀なくされた。カネッティが「ファシズムとの対決」と見なす『群衆と権力』を『啓蒙の弁証法』と対置し、戦後ドイツにおけるカネッティの位置取りを探った。
  • 「武器としての笑い――カネッティにおける言葉の闘争」, 『オーストリア文学』, 第22号, 20, 28, 2006年03月31日, オーストリア文学研究会, 『虚栄の喜劇』はナチの焚書に対するプロテストとして書かれた。言葉によって動かされているものに対しては、言葉によって何か為し得ると信じたカネッティは、執筆後直ちにいたるところこの喜劇が上演されることを望んだ。ここにはナチの虚飾と欺瞞を暴露し、哄笑と化すべく数々の仕掛けを凝らすカネッティの姿がある。ヒトラー、ナチの手になる言語の悪用に対する怒りの結晶『虚栄の喜劇』を例に、武器としての笑いを検証した。
  • ‚Der Ost-West-Konflikt in der zeitgenössischen Literatur. Das Werk Thomas Brussigs als Beispiel’, 『WASEDA-BLÄTTER』, 第11号, 133, 144, 2004年03月25日, 早稲田大学ドイツ語学・文学会, ブルッスィヒの初期三小説は作家自身敏感な年頃を過ごしただろう70年代、80年代が想定され、そこには過去に対するブルッスィヒの両価的精神態度を読み取ることができる。しかしその後のブルッスィヒの取り組みは再統一後も残存し続ける東西格差、相互の無理解等々、アクチュアルな社会問題に向けられている。拙論は「知とメディア」の問題を検証しつつ、作家の新たな取り組みを検討している。
  • 「「カネッティによるカネッティ」の終幕――『眩暈』研究の最新動向」, 『上智大学ドイツ文学論集』, 第38号, 157, 171, 2001年12月30日, 上智大学ドイツ文学会, ノーベル文学賞受賞作家カネッティだが、小説『眩暈』に関して学術論文を書くことは90年代初頭、まだ「勇気ある試み」と見なされ、その普遍的承認には疑問符さえ付されていた。だが、以後90年代を通じて「勇気ある試み」、とりわけ学位請求論文の出版が相次ぎ、この小説を取り巻く環境が確実に変化する。拙論では問題圏の広いこの小説が小説美学的視点、心理学的アプローチ、精神史的文脈の三つのアスペクトから論じられる。
  • 「言語音響の祝宴――エリアス・カネッティ『結婚式』について」, 『オーストリア文学』, 第14号, 17, 25, 1998年03月31日, オーストリア文学研究会, カネッティの名前を一躍世に知らしめた『結婚式』初演における演劇スキャンダル。内容の面から言えば確かに遺産相続争いと性的放埓という、人間たちの内面に潜む欲望を暴き出した作品である。だがこの戯曲の世界はそのすべてが風刺として回収される性質のものではない。拙論は言語そのものに目を向けることによって、風刺としての一義的意味構築さえ不可能にする、この戯曲における言語の非同一化を検証している。
  • 「解体の文学――エリアス・カネッティ『眩暈』試論」, 『STUFE』, 第17号, 97, 107, 1997年12月31日, 上智大学大学院STUFE刊行委員会, 『眩暈』の出発点には、第一次世界大戦、ハプスブルク帝国の解体、戦後の経済的混乱など、時代の趨勢によって与えられたカネッティの「世界の崩壊」のイメージがあると言われる。彼は一人の作家の視座から世界を描写することを放棄し、崩壊した世界をその崩壊のままに示そうという構想を抱いていた。拙論は主人公キーンの視点を中心に、現実という表象が解体されていく、この小説の実験的性格を検証しようとした一つの試みである。
  • 「エリアス・カネッティ『期限つきの人々』――人間たちの「距離」空間」, 『STUFE』, 第15号, 67, 82, 1995年12月31日, 上智大学大学院STUFE刊行委員会, 誰もが自分がいつ死ぬのかを知り、それによって計画的に生を営むことができるという一見ユートピア的『期限つきの人々』の社会。だがそこに働いている力学は、ヒエラルヒー、タブーなどの隔たりを生み出し、支配しようとする「権力」と、それを除去し、集合しようとする「群衆」とのダイナミズムである。拙論は人間相互間の関係性をめぐるカネッティの思想的地平に作品空間を見据え、その社会的構造を分析している。

Misc

  • スヴェン・ハヌシェク『エリアス・カネッティ伝記 上巻』, 2013年06月15日, 上智大学出版, 1981年にノーベル文学賞を受賞したユダヤ系ドイツ語作家エリアス・カネッティの伝記翻訳。カネッティの意思にもとづきスイス、チューリヒ中央図書館が管理する未公開の遺稿調査も踏まえた、初の本格的伝記記述、前編。
  • スヴェン・ハヌシェク『エリアス・カネッティ伝記 下巻』, 2013年06月15日, 上智大学出版, 1981年にノーベル文学賞を受賞したユダヤ系ドイツ語作家エリアス・カネッティの伝記翻訳。カネッティの意思にもとづきスイス、チューリヒ中央図書館が管理する未公開の遺稿調査も踏まえた、初の本格的伝記記述、後編。
  • 書評:「Susanne Lüdemann (Hg.): Der Überlebende und sein Doppel. Kulturwissenschaftliche Analysen zum Werk Elias Canettis」, 『ドイツ文学』, 第140号, 190, 194, 2010年03月25日, 日本独文学会, 本書はカネッティ生誕百年を機にベルリンで開催された、カネッティ・コロキウムの成果を一冊にまとめた記念論文集である。U・ルッペルとP・フリードリヒによる論考を主な手掛かりとしながら、国外におけるカネッティ研究の新たな局面を紹介しつつ、それに検討を加えている。
  • アウグスト・クビツェク『アドルフ・ヒトラー――我が青春の友』, 2004年06月30日, MK出版社, 同書はヒトラー研究中青春時代のヒトラーを知るに欠かすことのできない文書の一つと位置づけられる。クビツェクはヒトラー同様オーストリアのリンツに生まれ育ち、のち音楽院に通うべくウィーンでヒトラーと一つ部屋に過ごす。第Ⅱ部「ウィーンでの体験」は、画家、建築家を志すヒトラーと彼の数年間、青春時代を、ヒトラーを一面的に肯定するでも否定するでもなく、かつての青春を共有した友の視点からリアルに描き出す。
  • 新刊紹介:「Susanna Engelmann: Babel ―― Bibel ―― Bibliothek. Canettis Aphorismen zur Sprache」, 『ドイツ文学』, 第102号, 176, 176, 1999年03月15日, 日本独文学会, スザンナ・エンゲルマンによるエリアス・カネッティのアフォリズム研究書の紹介。

著書等出版物

  • 『カネッティを読む――ファシズム・大衆の20世紀を生きた文学者の軌跡』, 現代書館, 2013年02月28日, 2009年9月に上智大学にて受理された学位(博士)論文、「他在の可能性――エリアス・カネッティにおける「変身」の詩学」をもとに、書名を『カネッティを読む――ファシズム・大衆の20世紀を生きた文学者の軌跡』と改め、「平成24年度國學院大學出版助成金(甲)」を得て出版。書籍化にあたり、「まえがき」、「あとがき」、「人名索引」を新たに加え、本文に加筆修正を加えた。
  • 日本独文学会研究叢書059号『『群衆と権力』の射程――エリアス・カネッティ再読』, 編著, 日本独文学会, 2009年05月30日, 須藤温子、黒田晴之、古矢晋一、北島玲子、大川勇, カネッティの「変身」は、古代ギリシア以来「ミメーシス」と称されてきた人間の模倣能力、そのプロセス周辺を言い当てようとしている。それは現在の人間の思考や行動にどんな可能性を提示するというのか。人間には過去のおびただしい変身の遺産があり、神話や民話、伝承、記録、文学の形で、我々はそれを知ることができるという。カネッティ唯一の長編小説『眩暈』と、『群衆と権力』から「変身」の一章を取り上げ、検討を試みた。
  • 日本独文学会研究叢書002号『〈戦後文学〉を越えて――1989年以降のドイツ文学』, 共著, 日本独文学会, 2001年04月30日, 初見基、田丸理砂、山本浩司、寺尾格、坂本典子、早崎守俊, ブルッスィヒの小説はいずれも旧東独を舞台とし、事実上の一党独裁体制下における日常の生活を克明に描いている。にもかかわらずブルッスィヒは東独という過去を積極的に描き、小説にはどこか可笑しげな多くの小市民たちが登場する。拙論は90年代ドイツの時代と文学状況を顧慮しながら、一つの社会現象とも言えるブルッスィヒ文学において、笑いが過去というこわばりを解き放つ彼の文学の魅力を検討している。
  • 公益財団法人日本ドイツ語学文学振興会編『独検過去問題集2012年版〈2級・準1級・1級〉』, 共著, 郁文堂, 2012年05月01日, 2011年度ドイツ語技能検定試験出題委員会, 2011年度ドイツ語技能検定試験2級・準1級・1級問題の作成と解説。
  • 公益財団法人日本ドイツ語学文学振興会編『独検過去問題集2011年版〈2級・準1級・1級〉』, 共著, 郁文堂, 2011年05月01日, 2010年度ドイツ語技能検定試験出題委員会, 2010年度ドイツ語技能検定試験2級・準1級・1級問題の作成と解説。

講演・発表

  • 「「変身」の番人カネッティ」, 日本独文学会2008年度春季研究発表会シンポジウム「『群衆と権力』の射程――エリアス・カネッティ再読」, 2008年06月14日, 立教大学, カネッティの「変身」は、古代ギリシア以来「ミメーシス」と称されてきた人間の模倣能力、そのプロセス周辺を言い当てようとしている。それは現在の人間の思考や行動にどんな可能性を提示するというのか。人間には過去のおびただしい変身の遺産があり、神話や民話、伝承、記録、文学の形で、我々はそれを知ることができるという。カネッティ唯一の長編小説『眩暈』と、『群衆と権力』から「変身」の一章を取り上げ、検討を試みた。
  • ‚Die Karikatur des modernen Individuums. Zu Elias Canettis Roman „Die Blendung“’, 上智大学ヨーロッパ研究所国際シンポジウム „Literatur als Paradigma der Moderne“, 2008年03月16日, 上智大学, 『眩暈』の主人公は原初的一体性から抜け出て自ら人生を選択し、都市生活を営む。カントの言う「未成熟状態」、「他人の指導に頼ることなく、自らの悟性を使用することのできない状態」にはもはやなく、「自らの悟性を使用しようとする決意と勇気を欠く」わけでもない。自分の意志に従い自身をコントロールし、最後まで感覚を通じ周囲の世界を合理的に認識している。だがその過剰な自律こそが非合理かつ滑稽なものへと通じていく。
  • 「近代的「個人」の戯画――エリアス・カネッティの小説『眩暈』におけるパラダイム転換」, 上智大学ヨーロッパ研究所国際シンポジウム「文学にとってモダンとは何か」, 2008年03月15日, 上智大学, 『眩暈』の主人公は原初的一体性から抜け出て自ら人生を選択し、都市生活を営む。カントの言う「未成熟状態」、「他人の指導に頼ることなく、自らの悟性を使用することのできない状態」にはもはやなく、「自らの悟性を使用しようとする決意と勇気を欠く」わけでもない。自分の意志に従い自身をコントロールし、最後まで感覚を通じ周囲の世界を合理的に認識している。だがその過剰な自律こそが非合理かつ滑稽なものへと通じていく。
  • 「他在の可能性――カネッティにおける「変身」の思想」, 早稲田大学ドイツ語学・文学会第15回研究発表会, 2007年09月29日, 早稲田大学, 大々的に取り上げられる機会が少なかったとはいえ、H・ブロッホ、マクルーハン、イェリネク始め20世紀来の知的状況にカネッティが与えたインパクトは小さくない。カネッティ初期の言語批判から、主著『群衆と権力』を含む「変身」の思想にいたる彼の思考の中心テーマを、プラトン以来のミメーシスの問題圏とも照合しつつ、詳論を試みた。本稿ではとりわけカネッティ思想のキー概念、「変身」そのものを中心的に取り扱っている。
  • 「戦後ドイツとカネッティ――カネッティ文学位置づけの試み」, 上智大学ドイツ文学会研究発表会(2006年度), 2006年07月22日, 上智大学, 人類はなぜ真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに新たな野蛮状態へと落ち込んでいくのかという『啓蒙の弁証法』の問い。アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮であるというやはりアドルノによるテーゼ。戦後ドイツの知識人たちは誰しもがこれらの問題との対決を余儀なくされた。カネッティが「ファシズムとの対決」と見なす『群衆と権力』を『啓蒙の弁証法』と対置し、戦後ドイツにおけるカネッティの位置取りを探った。
  • 「武器としての笑い――カネッティにおける言葉の闘争」, オーストリア文学研究会春季総会・講演会、若手研究者シリーズ(10), 2005年05月04日, 早稲田大学, 『虚栄の喜劇』はナチの焚書に対するプロテストとして書かれた。言葉によって動かされているものに対しては、言葉によって何か為し得ると信じたカネッティは、執筆後直ちにいたるところこの喜劇が上演されることを望んだ。ここにはナチの虚飾と欺瞞を暴露し、哄笑と化すべく数々の仕掛けを凝らすカネッティの姿がある。ヒトラー、ナチの手になる言語の悪用に対する怒りの結晶『虚栄の喜劇』を例に、武器としての笑いを検証した。
  • 「カネッティ文学と現代――『虚栄の喜劇』を例に」, 第44回ドイツ現代文学ゼミナール, 2004年08月26日, 長野県北安曇郡八坂村(現大町市)明日香荘, 『虚栄の喜劇』はナチの焚書に対するプロテストとして書かれた。言葉によって動かされているものに対しては、言葉によって何か為し得ると信じたカネッティは、執筆後直ちにいたるところこの喜劇が上演されることを望んだ。ここにはナチの虚飾と欺瞞を暴露し、哄笑と化すべく数々の仕掛けを凝らすカネッティの姿がある。本報告はカネッティ『虚栄の喜劇』を例に、マスメディア社会における文学の在り方の一つを検討している。
  • ‚Thomas Brussigs Dramenstrategie. ―― Zu „Heimsuchung“’, 日本独文学会第1回国際会議 „Germanistik und Multikulturalität in Asien“, 2002年09月28日, 新潟大学, ブルッスィヒの初期三小説は作家自身敏感な年頃を過ごしただろう70年代、80年代が想定され、そこには過去に対するブルッスィヒの両価的精神態度を読み取ることができる。しかしその後のブルッスィヒの取り組みは再統一後も残存し続ける東西格差、相互の無理解等々、アクチュアルな社会問題に向けられている。拙論は「知とメディア」の問題を検証しつつ、作家の新たな取り組みを検討している。
  • 「こわばり、笑い――トーマス・ブルッスィヒ現象の一考察」, 日本独文学会2000年度春季研究発表会シンポジウム「〈戦後文学〉を越えて――1989年以降のドイツ文学」, 2000年06月11日, 東京都立大学, ブルッスィヒの小説はいずれも旧東独を舞台とし、事実上の一党独裁体制下における日常の生活を克明に描いている。にもかかわらずブルッスィヒは東独という過去を積極的に描き、小説にはどこか可笑しげな多くの小市民たちが登場する。拙論は90年代ドイツの時代と文学状況を顧慮しながら、一つの社会現象とも言えるブルッスィヒ文学において、笑いが過去というこわばりを解き放つ彼の文学の魅力を検討している。
  • 「Thomas Brussig: Helden wie wir. ―― ‚Ahnungslosigkeit’ をめぐって」, 第30回ドイツ現代文学ゼミナール, 1997年08月21日, 長野県北安曇郡八坂村(現大町市)明日香荘, 旧東独に生まれ育ち、現代ドイツ文学を代表する人気作家となったトーマス・ブルッスィヒ。出世作『我ら勇者たち』は東独の日常を克明に描き出しつつ、それを機知と卑猥さでもって笑いに転化させ、ドイツ中にいわば「ブルッスィヒ現象」と呼び得るものを巻き起こした。拙論は克明な東独の日常の描写とは裏腹に、全体を覆う「ぼんやりとした雰囲気」に着目、作家の視点、笑いの質、顔の見えない権力の複数性の問題を検証している。

その他

  • エッセイ:「二〇〇〇年代のドイツ映画」, 『國學院雑誌』, 第一一四巻第七号, 國學院大學, 2013年07月15日, 42, 43, ベルリンの壁崩壊にともなう東西冷戦の終結、東西ドイツの再統合、世界最大の単一通貨市場EUの誕生と、目まぐるしい変化を遂げた二〇〇〇年代ドイツの映画を概観、概説。
  • エッセイ:「『グッバイ、レーニン!』日本公開」, 『べりひて』, 第45号, 日本ゲーテ協会, 2004年05月10日, 23, 25, 壁崩壊前後の東独地域の社会的変動を背景とする映画『グッバイ、レーニン!』日本公開に寄せたエッセイ。

教育活動

担当授業

  • 卒業論文, 2019

オフィスアワーの実施時期・曜時

  • 2018

学外活動

学協会活動

  • 日本独文学会, 1995年04月
  • 日本オーストリア文学会, 1997年04月01日
  • 上智大学ドイツ文学会, 1998年04月