シブヤイーストのメディア文化論的構築のためにーソーシャルな物語としての渋谷らしさ, 『渋谷らしさの構築』, 213, 247, 2015年02月28日, 雄山閣, 渋谷系とシブヤライゼーション。広域渋谷圏の構造とシブヤイーストの位置価。再開発なき街づくりの技法としてのメディア文化論的構築。文化空間の物語構築をどう進めるか。渋谷らしさの未来へ。
「社会学を伝えるメディアの刷新」, 『社会学評論』, 232号, 506, 523, 2008年03月31日, 日本社会学会(発売 有斐閣), 1 テキストとウェブ制作の現場から 2 社会学テキスト制作の実践的問題から理念的問題へ 3 社会学ウェブ──新しいディシプリン的知識空間の拡張 4 社会学教育的情報空間をつくる
私は1990年代から社会学のテキストとウェブの制作に携わってきた.その経験に基づいて,二つの問題について論じたい.第1に,社会学テキストにおいてディシプリンとしての社会学をどのように提示するべきか.第2に,社会学ウェブのどこまでが社会学教育なのか.そして,それぞれの問題点は何か.テキスト制作上のジレンマや英語圏で盛んなテキストサポートウェブなどを手がかりに考えると,意外に理念的問題が重要であることに気づく.社会学教育には二つの局面があり,それに対応して,二つの社会学教育的情報環境が存在する.社会学ディシプリン的知識空間と社会学的公共圏である.テキストとウェブという社会学教育メディアも,この二つの局面に対応させて展開しなければならないのではないか.そう考えると,現在の日本社会学において「社会学を伝えるメディア」の現実的課題も見えてくる.
「デジタル・アーカイブスの冗長性とオープン性-大原社研での公開作業をめぐって」, 『Computer & Education』, Vol.18, 21, 26, 2005年06月01日, CIEC発行、東京電機大学出版局発売, 大原社研では非定型資料の公開を行ってきた。戦前期のポスター資料の公開をめぐって試行錯誤した結果、冗長性とオープン性を主軸とするポリシーが固まり、順次、昭和初期と労働運動を中心とするデジタル・アーカイブスを公開している。本稿では、その際の実践的問題についてまとめた。
「社会学の終わりとジンメル的エートス-ディシプリン的知識空間をめぐって」, 『高野山カンファレンス2004デュルケーム=ジンメル合同研究会報告書』, 16, 23, 2005年03月01日, ジンメル研究会・デュルケーム/デュルケーム学派研究会, 高野山カンファレンスでの報告。社会学のディシプリンとしての危機的状況を指摘し、ジンメル的エートスによる克服の可能性を論じた。1.はじめに 2.ディシプリン的知識空間 3.残余概念の逆襲 4.学際的問題領域研究 5.一世紀後の「社会学の領域」問題 6.ネーデルマンの試み 7.応答
「ネットワーク時代の情報倫理とインフォアーツ」, 『看護展望』, Vol.29 No.4(2004年3月号), 43, 46, 2004年03月01日, 特集「看護教育における患者情報の取り扱い」への寄稿論文。情報倫理と情報教育について総論的に説明したもの。項目は以下のとおり。コンピュータ倫理から情報倫理へ、なぜ「倫理」なのか、ネットワーク時代の情報リスク、情報教育とインフォアーツ。
「ネットワーク時代における社会学教科書の可能性」, 『フォーラム現代社会学』, 第2号, 6, 13, 2003年05月01日, 関西社会学会発行、世界思想社発売, 関西社会学会の機関誌『フォーラム現代社会学』第2号特集I「Teaching Sociology-社会学テキストをめぐって」の第一報告。2002年の関西社会学会での報告をまとめたもの。目次は以下のとおり。1.ベルーフとしての教科書、2.社会学教科書の諸類型、3.教科書の社会学的教育言説、4.社会学教科書の編集問題、5.ネットワーク時代の教科書
「近未来インターネットの人間的条件」, 『教育と医学』, 2001年7月号, 28, 35, 2001年07月01日, 慶應義塾大学出版会, 情報教育のありようを批判的に論じたもの。現在のインターネットを囲む状況を「インフォテックの政治と経済」と総括して、その影響が情報教育に「学生文化と技術的管理の悪循環」をもたらしていると指摘。そもそも情報教育において教育目標となるべきものを再定義すべきだとして、インフォアーツ概念を提案。インフォアーツとは「ネットワーカー的情報資質」ともいうべきものであり、情報調査能力・情報吟味能力・コミュニカビリティ・シティズンシップなどを構成要素とする。これらを十全に行うためにはしかるべき「苗床集団」が必要であるとした。
「インフォテック対インフォアーツ-インターネット関連言説における構図転換のための試論」, 『生活協同組合研究』, vol.305, 26, 31, 2001年06月01日, 生協総合研究所, 「特集 インターネットとくらし」の寄稿原稿。生協総合研究所主催の研究会「インターネットとくらし研究会」での報告が元になっている。「大公開時代」を回顧して「ネットワークが市民を育てる」という市民的自己再形成の作用をインターネットがもつのではないかと思われたが、じっさいにはそうでない現実があると指摘。とくに最近は「情報学的転回」とも呼ぶべき流れがあり、工学化が進んでいる。この流れを「インフォテック」と総称し、それに対する対抗原理として「インフォアーツ」概念を提唱した。市民的教養の再編を説いた。
「健康の批判理論序説」, 『法政大学教養部紀要』, 第113・114号 自然科学・社会科学編, 1, 27, 2000年02月01日, イギリス系の医療社会学で1995年あたりから明確な形を取り始めた「健康と病いの社会学」の紹介を基調に、新しい「身体の社会科学」を構想した論文です。この系譜を系統的に位置づけ、理論的核心と対抗軸そして方法論的戦略を提示したものとしては、日本で最初のものです。
「ウェッブが壊す学習の構図」, 『コンピュータ&エデュケーション』, Vol.6, 50, 55, 1999年05月01日, コンピュータ利用教育協議会CIEC、柏書房, ウェッブでの著作公開の両義性を論じたもの。アカデミック・スタイルから市民スタイルの社会科学への転換を論じた。「社会科学教育へのコンピュータの利用」特集への寄稿です。
「病気と健康の日常的概念の構築主義的理解」, 『第4回健康文化研究助成論文集』, 21, 30, 1998年03月01日, 財団法人明治生命厚生事業団, 池田光穂、佐藤純一, 池田光穂・佐藤純一との共著。「Ⅰ.構築主義による健康文化へのアクセス」を担当。医療社会学系の研究です。ここでは人びとが抱いている病気と健康についての概念を、社会的コミュニケーションのなかで構築するものとして把握し、健康についての言説(健康言説と命名)のもつ特質について考察しています。目下、継続中の研究プロジェクトで、これはその序論に当たるものです。その後、このプロジェクトは拡大して、翌年に吉田秀雄記念財団による研究助成、さらにその翌年からは科研費プロジェクト(3年間)へ発展しました。
「インターネットと大学教育のクロスロードで」, 『IDE・現代の高等教育』, 21, 25, 1997年08月01日, 民主教育協会, 大学教育の専門誌『IDE-現代の高等教育』からの依頼で書いたインターネット利用教育論。大学教育をインターネットへ開いていくことが自己言及的に研究者たちの活動に環流することを指摘し、関係者の覚悟を問うたものです。
「インターネットにおけるコミュニケーションはそこに集まる人々にとってどのような意味を持つのか」, 『情報処理学会研究報告97-H1-73』(『学術刊行物情処研報』Vol.97,No.63), 49, 54, 1997年07月01日, 山下清美、三浦麻子、杉本卓, 山下清美・三浦麻子・杉本卓と共著。「自省のメディア-自己言及の快楽とシティズンシップの可能性」を担当しました。情報処理学会インターフェース研究会での報告のための要旨。このときの報告原稿や関連論考はhttp://socius.org/nc/nc00.htmlにあります。
「個人ホームページの力、電子メールの力-社会学専門ウェッブSOCIUSの経験から」, 『日本語学』, 第15巻第12号, 47, 56, 1996年11月01日, 明治書院, 学術系ウェッブの運営について自己言及的に論じたもの。インターネット特集にさいして依頼されて書いたインターネット論です。
「ダブル・スタンダードの理論のために」, 『法政大学教養部紀要』, 98号, 1, 30, 1996年02月01日, ディスコミュニケーション関係についての基礎研究の出発点となる論文です。フェミニズム論において「二重基準」として問題にされてきた現象を社会の構造的形式として捉え直すことを意図したものです。集団力学的な過程を軸にして権力作用・知識過程・ディスコミュニケーションの3水準においてダブル・スタンダードのしくみを説明しています。
「カール・レーヴィトの〈als規定〉論-役割現象の可能的構造原理」, 『創価大学大学院紀要』, 第9集, 131, 145, 1987年11月03日, ジンメルとともに役割現象の構造原理を考察した研究として、レーヴィトの人間学があります。この論文は、それをジンメルの議論と照らし合わせながら、役割現象のもっとも基礎的なプロセスをまとめたものです。
「ジンメルと役割理論-受容史的接近」, 『社会学史研究』, 第9号, 64, 82, 1987年06月01日, 日本社会学史学会, 役割理論の第三の起点としてゲオルク・ジンメルの社会認識論を再評価し、役割理論をコミュニケーション論における「コミュニケーション主体の理論」として再構築する可能性を探ったものです。これは、大学院指導教授の阿閉吉男先生の影響もあって、ジンメルと役割理論の関係について研究を1986年から87年にかけて集中的におこない、数編の作業論文(『pele-mele』に掲載)とともに発表したものです。
「社会学的反省の理論としてのジャーナリズム論」, 『新聞学評論』, 第36号, 29, 41, 1987年04月01日, 日本新聞学会, 受容過程論的な視点からジャーナリズム論の理論構成を再考した論文です。オーディエンスは本質的に能動的な存在であり、その受容行動はたんなる「受容」以上の「コミュニケーション主体の社会的反省過程」というべき事態であるとの見地から、ジャーナリズム論は主体相関的な反省的知識を見据えるべきであり、現実には非反省的となっているコミュニケーション過程-これをディスコミュニケーションという-の解明を課題とすべきであると主張しています。レフェリー制審査通過論文です。
「ジンメルと役割理論-学会報告のための準備草稿」, 『pele-mele』, 5号, 3, 21, 1986年09月01日, 創価大学現代社会学研究会, 日本社会学史学会での報告用原稿とレジュメを掲載したもの。ジンメルが役割理論に与えた影響について論じた。ここから、のちに「知識過程論」とという理論的論点を得ることになりました。
「〈als規定〉論の系譜-役割現象論におけるジンメルとレーヴィト」, 『pele-mele』, 4号, 3, 42, 1986年07月01日, 創価大学現代社会学研究会, 旧来の役割理論とは異なる役割現象論の内実を確認するためにジンメルとレーヴィト(一般的にはレーヴィット)の該当する理論を検証したもの。おもに共通論点を中心に論じたものです。
「役割理論とジンメルの関係をめぐる諸見解-受容史的接近」, 『pele-mele』, 3号, 16, 63, 1986年04月01日, 創価大学現代社会学研究会, 役割理論におけるジンメルの正当な位置づけをおこなうために、役割理論史およびジンメル研究史を再点検し、役割理論へ果たしたジンメルの理論的役割を検討した、レビュー中心の長編ノートです。これがのちに社会学史学会での報告と機関誌への掲載論文に発展しました。
「反省的過程としてのコミュニケーション-G・H・ミード『精神・自我・社会』の理論構成」, 『pele-mele』, 2号, 11, 22, 1986年01月01日, 創価大学現代社会学研究会, コミュニケーションの基軸的論理を確認するためにミードの理論構成を再検討したもの。これも前掲「社会学的反省の理論としてのジャーナリズム論」のための基礎作業にあたります。
「社会学とコミュニケーションをめぐる理論環境」, 『pele-mele』, 1号, 18, 28, 1985年09月01日, 創価大学現代社会学研究会, コミュニケーション・モデルの批判的検討。のちに『新聞学評論』に掲載される「社会学的反省の理論としてのジャーナリズム論」のための基礎作業にあたります。
「規範的役割概念の理論構造-『個人と社会』の虚偽的媒介」, 『創価大学大学院紀要』, 233, 251, 1982年11月03日, 第四集, 私の役割理論系列(役割現象論・ジンメル研究)の論文です。修士論文『社会的役割の被媒介構造-役割理論のコミュニケーション論的組み換え』全三章のうちの第一章にあたります。本論文では、役割理論における役割概念の物象化を検討し、その「個人と社会の媒介概念」としての一般的評価を虚偽的であると批判しています。
社会学を伝えるメディアの刷新 (<特集> 社会学教育の現代的変容), 野村 一夫, 社会学評論, 58, 4, 506, 523, 2008年03月31日, 日本社会学会, 私は1990年代から社会学のテキストとウェブの制作に携わってきた.その経験に基づいて,2つの問題について論じたい.第1に,社会学テキストにおいてディシプリンとしての社会学をどのように提示するべきか.第2に,社会学ウェブのどこまでが社会学教育なのか.そして,それぞれの問題点は何か.テキスト制作上のジレンマや英語圏で盛んなテキストサポートウェブなどを手がかりに考えると,意外に理念的問題が重要であることに気づく.社会学教育には2つの局面があり,それに対応して,2つの社会学教育的情報環境が存在する.社会学ディシプリン的知識空間と社会学的公共圏である.テキストとウェブという社会学教育メディアも,この2つの局面に対応させて展開しなければならないのではないか.そう考えると,現在の日本社会学において「社会学を伝えるメディア」の現実的課題も見えてくる.
ネットワーク時代における社会学教科書の可能性, 野村 一夫, フォーラム現代社会学, 2, 0, 6, 13, 2003年, 関西社会学会, 社会学者は「よい教科書を書くこと」を自らのベルーフとして重視すべきである。もっとポジティブに考えてよいのではないか。社会学入門教科書にはパターンがある。教科書には、社会学特有のクリーシェが含まれている。これらのクリーシェが描く社会学像のイデオロギー性を自覚しよう。しかし、それはイデオロギーであると同時に、結果的にディシプリンの提示にもなっている。高度な理論ではなく、社会学の現場理論(業界理論)の水準においてではあるが。問題なのはディシプリンとしての弱さだと思う。書く立場・編集する立場から教科書作成の作法について考えると、エートスの問題、社会学の範囲設定の問題などがある。ネットワーク時代になって、インターネットでの教科書的コンテンツ公開の必要が出てきている。そろそろ組織的な対応が必要ではないだろうか。
デジタル・アーカイブスの冗長性とオープン性:―大原社研での公開作業をめぐって―, 野村 一夫, コンピュータ&エデュケーション, 18, 0, 21, 26, 2005年, 一般社団法人 CIEC, 大原社研では非定型資料の公開を行ってきた。戦前期のポスター資料の公開をめぐって試行錯誤した結果,冗長性とオープン性を主軸とするポリシーが固まり,順次,昭和初期と労働運動を中心とするデジタル・アーカイブスを公開している。本稿では,その際の実践的問題についてまとめた。
書評と紹介 ナヤン・チャンダ著『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』, 『大原社会問題研究所雑誌』, 616号, 79, 80, 2010年02月01日, 法政大学大原社会問題研究所, ナヤン・チャンダ『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』(上下)NTT出版、2009年発行の書評
書評と紹介 美馬達哉著『〈病〉のスペクタクル──生権力の政治学』, 『大原社会問題研究所雑誌』, 595号, 72, 73, 2008年06月25日, 法政大学大原社会問題研究所, 美馬達哉著『〈病〉のスペクタクル──生権力の政治学』(人文書院、2007年)の書評。
書評と紹介 森健著『グーグル・アマゾン化する社会』, 『大原社会問題研究所雑誌』, 581号, 72, 74, 2007年04月25日, 法政大学大原社会問題研究所, 森健著『グーグル・アマゾン化する社会』を書評したもの。
書評と紹介 宮田加久子著『きずなをつなぐメディア−ネット時代の社会関係資本』, 『大原社会問題研究所雑誌』, 568号, 80, 82, 2006年03月25日, 法政大学大原社会問題研究所, 宮田加久子著『きずなをつなぐメディア−ネット時代の社会関係資本』の書評。
「書評 マリオン・ネスル『フード・ポリティクス』」, 『図書新聞』, 2721号, 2005年04月01日, マリオン・ネスルの『フード・ポリティクス』の書評。内容紹介と栄養学的視点への疑問を論じた。
「書評と紹介 ロバート・N.プロクター著/宮崎尊訳『健康帝国ナチス』」, 『大原社会問題研究所雑誌』, 第552号, 73, 74, 2004年11月01日, ロバート・N.プロクター著/宮崎尊訳『健康帝国ナチス』(草思社)の書評。ナチスの徹底したガン政策を描いた本を紹介した。小見出しは次の通り。ユビキタスな健康志向社会、健康は義務である、徹底と混在、健康と道徳と国家。
書評「21世紀は『新・老人文化の幕開け』になるか」, 『メディアと経済思想史』, Vol.4, 4, 5, 2003年05月01日, メディアと経済思想史研究会の会誌に掲載された書評。セオドア・ローザック『賢知の時代-長寿社会への大転換』桃井緑美子訳、共同通信社、2000年10月刊)を書評したもの。
「書評と紹介 柄本三代子著『健康の語られ方』」, 『大原社会問題研究所雑誌』, 第531号, 76, 77, 2003年03月01日, 法政大学大原社会問題研究所, 柄本三代子著『健康の語られ方』について概要を紹介し、健康言説論における基本問題について確認したもの。
「ネットワークの臨床社会学[8]土俵論-情報学は何をめざすのか」, 猪瀬直樹編集メールマガジン「MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ」, 第223号, 2002年12月01日, オフィス・イノセ, 情報学の新しい展開について論じたもの。
「ネットワークの臨床社会学[7]聖俗論-情報システムを信じるということ」, 猪瀬直樹編集メールマガジン「MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ」, 第207号, 2002年08月01日, オフィス・イノセ, 情報システムの信頼性について批判的に論じたもの。
「ネットワークの臨床社会学[6]地層論-歴史としてのハイパーテキスト」, 猪瀬直樹編集メールマガジン「MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ」, 第167号, 2002年05月01日, オフィス・イノセ, ハイパーテキストの歴史性について論じたもの。
「書評と紹介 池田光穂著『実践の医療人類学』」, 『大原社会問題研究所雑誌』, 第521号, 69, 70, 2002年04月01日, 法政大学大原社会問題研究所, 池田光穂著『実践の医療人類学』について概要を紹介し、「医療的多元論の破壊力」や「医療人類学という学問の特異体質性」について論じた。
「ネットワークの臨床社会学[5]内職論-スカンクワークとしてのネットワーク労働」, 猪瀬直樹編集メールマガジン『MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ』, 第78号, 2001年09月01日, インターネットの普及によって、正規の仕事とは認知されないコミュニケーションが生じている。それを「ネットワーク労働」と名付けて、問題提起したもの。アンペイドワークとして「内職」視されている現状を警告した。
「ネットワークの臨床社会学[4]螺旋論-小泉メルマガの落とし穴」, 猪瀬直樹編集メールマガジン『MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ』, 第59号, 2001年07月01日, 首相官邸が発行開始した、いわゆる「小泉メルマガ」の人気について、「沈黙の螺旋」理論を使用して解読したもの。肯定的な読者像ではなく、批評家的読者像を対置した。
「ネットワークの臨床社会学[3]苗床論-インフォテックではなくインフォアーツ」, 猪瀬直樹編集メールマガジン『MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ』, 第48号, 2001年06月01日, 2003年度から高校で始まる「情報科」の準備状況を具体的に取り上げて、それらがいつのまにか運用的にインフォテック寄りになっていることを批判。そうではなくインフォアーツを情報教育の目標とすべきだとの観点から、学校という場所を市民的ネットワーカーの苗床集団として機能させるべきだと論じた。
「ネットワークの臨床社会学[2]二兎論-オンデマンド出版という解決」, 猪瀬直樹編集メールマガジン『MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ』, 第28号, 2001年05月01日, 学術出版の危機が叫ばれているが、それを打開する有力な手法としてオンデマンド出版に注目して、その可能性を論じたもの。インターネットにおけるコンテンツとして欠落している書籍の中身を公開する手だてとしてもオンデマンド出版が打開可能性を持つことを論じた。
「ネットワークの臨床社会学[1]分断論-デジタルデバイド問題の政治的構築」, 猪瀬直樹編集メールマガジン『MM日本国の研究-不安との訣別/再生のカルテ』, 第21号, 2001年04月01日, デジタルデバイド論の再定義を試みたもの。新メディア(この場合、インターネット)の登場によって「新しい分断」が生じるというのはまちがいであって、メディアはもともと分断を促進するものであるとの観点から、それがあくまでも政治的な問題提起であることを批判した。
「書評と紹介 中河伸俊『社会問題の社会学-構築主義アプローチの新展開』」, 『大原社会問題研究所雑誌』, 497号, 90, 95, 2000年04月01日, 法政大学大原社会問題研究所, やや長文の書評。「社会問題の理論へ」「慣習的処理の問題」「直面する問題とのギャップ」「社会問題の社会学」「社会構築主義とは何か」「さまざまな構築主義的研究」「本書の独創性」「医療社会学の場合」から構成されています。
「書評 野口悠紀雄『「超」整理法3-とりあえず捨てる技術』中公新書」, 『潮』, 第487号, 1999年09月01日, 「捨てる技術」に焦点を当てた本の紹介。
イヴ・ランベル「最大利益追求システムとしての宗教」, 『東洋学術研究』, 第31巻第1号, 126, 143, 1992年02月01日, 東洋哲学研究所, 第21回国際宗教社会学会大会における報告(英文の配布資料)の翻訳です。
「資料紹介:ダールグレン『テレビ・ニュースと反省作用の抑圧』」, 『pele-mele』, 6号, 40, 50, 1987年04月01日, 創価大学現代社会学研究会, アメリカのピーター・ダールグレンの論文を紹介したもの。ダールグレンはのちに公共性論の論客になりますが、日本におけるごく初期の紹介になります。
「資料紹介:ゲルハルト『批判的役割分析をめざして』」, 『pele-mele』, 6号, 51, 68, 1987年04月01日, 創価大学現代社会学研究会, 役割現象という概念についてジンメルを素材に論じているウータ・ゲルハルトの英文論文の紹介。
アルノルト・ツィンゲルレ『マックス・ウェーバー-影響と受容』, 1985年03月01日, 恒星社厚生閣, 井上博二、大鐘武、岡沢憲一郎、栗原淑江, 原著は Arnold Zingerle, Max Webers historische Soziologie:Aspekte und Materialien zur Wirkungsgeschichite, Darmstadt,1981. ウェーバー受容史の研究書。担当個所は支配社会学関係の受容史の部分です。官僚制とカリスマがその中心的論点になっています。
渋谷において本はいかに扱われているか:基礎演習Bオクトーバー・プロジェクト, 国学院大学経済学部野村研究室, 2017年02月28日, 国学院大学経済学部経営学科1年2組, 平成28年度國學院大學特色ある教育研究「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」第6作。基礎演習Bの10月は情報デザインの観点から渋谷の書店とブックカフェなどを分担して調査した。本書はそのレポート集である。調査項目にそって報告をしたのちに、1人3000字以上ということで書いてもらった。
菅井益郎教授の8つの物語 ロングインタビュー, 国学院大学経済学部野村研究室, 2017年02月28日, 菅井益郎、野村ゼミ12期生チーム, 平成28年度國學院大學特色ある教育研究「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」の第7作。平成28年度をもって定年退職される菅井益郎教授の人生について野村ゼミ12期生特設チームが6時間にわたりロングインタビューを敢行し、8つの物語にまとめたもの。語り手は菅井益郎教授。
基礎演習Aを全員で振り返ってみた, 国学院大学経済学部野村研究室, 2016年09月30日, 国学院大学経済学部経営学科1年2組, 平成28年度國學院大學特色ある教育研究「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」第5作。基礎演習Aを担当しているクラスではアクティブラーニングを全面的に採用した。学生自身による振り返りが重要なので、それをクラス全体で分担して授業そのものを再現した詳細なドキュメント。
国学院物語計画 パイロット版, 国学院大学経済学部野村研究室, 2016年08月26日, 秦ゼミ・野村ゼミOBOG, 平成28年度國學院大學特色ある教育研究「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究む第4作。平成27年度に経済学部でおこなった「経済学部ロールモデル計画」のスタートアップとして7名のOBOGのインタビューがウェブ公開できなかったため本プロジェクトの先駆形として刊行したもの。巻末に「国学院物語とは何か」として物語論的大学論のコンセプトを再構成した。
キャッチコピー越しの世界, 国学院大学経済学部野村研究室, 2016年06月30日, 国学院大学経済学部野村ゼミ12期生, 平成28年度國學院大學特色ある教育研究「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」の第2作。3年生ゼミ生25名が3年前期に企画から始めてチーム単位で調査研究したレポート集。9つのサブテーマを設定した。私はプロデュースと指導とともに巻末に「言葉のエンジン」を執筆した。
渋谷物語, 国学院大学経済学部野村研究室, 2016年05月10日, 国学院大学経済学部野村ゼミ11期生, 平成28年度國學院大學特色ある教育研究「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」第1作。4年生演習III(4単位)受講の野村ゼミ11期生16名が参加したエピソード集。就職活動の真っ最中に自己分析のスピンオフとしてゼミ生自身のエピソードを「物語」をコンセプトにして書いたもの。
女子経済学入門:ガーリーカルチャー研究リポート, 国学院大学経済学部野村研究室, 2016年01月20日, 国学院大学経済学部ネットワーキング学科1年2組全員, 基礎演習Bのラストのレポート集。ガーリーカルチャーに関するさまざまな本を1人1冊書評した。巻末に、指導のさなかに書いた「ガーリー総論」を掲載した。最新のクラウド編集システムを使用してオンデマンド出版した画期的な試み。
ゼミ入門ー大学生の知的生活第一歩, 文化書房博文社, 2014年12月10日, 基礎演習・入門演習・教養演習などの初年次導入教育のゼミのための入門書。「一流の大学生」への入門であると同時に、初年次導入科目担当の先生のための手引き書。予告編・出会い編・導入編・問題関心編・もうひとつの中級編・もうひとつの上級編
よくわかる社会学史, ミネルヴァ書房, 2011年04月20日, 編者をふくめて十五名, 社会学上の重要概念である準拠集団論について学説史的解説をし、その中心的役割を果たしたロバート・マートンの業績について解説したもの。
飯島裕一編著『健康不安社会を生きる』, 岩波書店(岩波新書), 2009年10月20日, 上杉正幸ほか全11名, インタビュー構成。私が展開している健康言説論についてのインタビュー。
『未熟者の天下-大人はどこに消えた?』, 青春出版社(青春新書インテリジェンス), 2005年12月01日, 新しい大人のための公共哲学を論じた新書。第1章 大人はどこに消えた? 第2章 「大人らしさ」の正体 第3章 未熟な大人が引きずる過去 第4章 リスクで芽生える大人意識 第5章 大人買いの深層心理 第6章 「ことば」がつくる大人の社会 第7章 大人という宿題
『子犬に語る社会学』, 洋泉社, 2005年01月01日, 中学生から中高年までの幅広い層のための社会学入門。社会学者が子犬たちに語りかけるという設定で書いたもの。2003年10月に刊行されたムック『子犬に語る社会学・入門』の前半80ページまでを占めていた担当部分を補筆・改訂して単行本化。第1章 社会学の遠心力と求心力。第2章 窮屈だけれど自由な近代。第3章 システムからはみだす。第4章 「自分」という物語。第5章 なぜ人はささいなことで傷つくのか。第6章 想像された境界をまたぐ。第7章 メディア空間を生きる。第8章 ことばが現実をつくる。第9章 命の限界に向かって。
『子犬に語る社会学・入門』(洋泉社 MOOKシリーズ StartLine 2), 洋泉社, 2003年11月01日, 佐藤俊樹、他47名, 担当部分では、従来のようにバラバラの要素の寄せ集めとしてではなく、ひとつのディシプリンとして社会学を紹介することを目標に社会学を論じた。小項目は以下のとおり。人間は特別か。近代という鉄の檻に生きる。システムからこぼれ落ちるもの。自分という社会現象。生活世界を解剖する。祈りの文化、暴力の文化。交錯するメディア空間。ことばがつくる現実。命の限界に向かって。
『健康ブームを読み解く』, 青弓社, 2003年07月01日, 北澤一利、田中聡、高岡裕之、柄本三代子, 健康ブームをテーマにしたパルテノン多摩(東京都多摩市)での連続講演(2003年3月、全5回)をもとにまとめたもの。1.健康ブームの眺め方、2.健康食品の定着過程、3.旋律を奏でる健康言説と伴奏する健康言説、4.近代医学を模倣する、5.伝統回帰と減算主義、6.蘇生するレトロな道徳、7.身体アイデンティティの救済、8.メディアの終わりなき循環、9.健康ブームを眺め直す
『インフォアーツ論-ネットワーク的知性とはなにか?』, 洋泉社, 2003年01月01日, 第一章「大公開時代-自我とネットと市民主義」、第二章「メビウスの裏目-彩なすネットの言説世界」、第三章「情報教育をほどく-インフォテックの包囲網」、第四章「ネットワーカー的知性としてのインフォアーツ」、第五章「着地の戦略-苗床集団における情報主体の構築」、第六章「つながる分散的知性-ラッダイト主義を超えて」
法政大学大原社会問題研究所編、梅田俊英著『ポスターの社会史-大原社研コレクション』, ひつじ書房, 2001年10月01日, 梅田俊英, 兼任研究員として勤務している法政大学大原社会問題研究所に所蔵されている戦前のポスター2700点のコレクションをカラー図版とともに解説したもの。解説は、同研究所兼任研究員の梅田俊英氏。「梅田俊英著」となっているが、全体の著者ではなく解説の著者ということで、プロジェクトのプロデュースおよび編集を私が担当した。また、付録CD-ROMには2700点すべての図版とデータをおさめているが、これも私が担当したものである。
佐藤純一編『100問100答 医療のふしぎ』, 河出書房新社, 2001年10月01日, 佐藤純一、美馬達哉、村岡潔・黒田浩一郎、土屋貴志、奥村和代、田口宏昭、寺岡伸悟, 民間医療とメディアとの関係についての三問について答えたもの。「なぜ民間医療が利用されているのか」では、利用者像を「だまされやすい愚かな人」ではなく、むしろ合理的な消費行動として見るべきだと論じた。「民間医療はどのようにメディアを使っているか」では、民間医療が「メディア仕掛け」にならざるを得ない事情を説明し、その広告手法を紹介した。「世をあげての『癒しブーム』はなぜ起こったか」では、「ストレス情報ブーム」の先行に注意を喚起した。
『健康論の誘惑』, 文化書房博文社, 2000年10月01日, 佐藤純一、池田光穂、寺岡伸悟、佐藤哲彦, 1997年度の明治生命厚生事業団研究助成と1998年度の財団法人吉田秀雄記念事業財団の研究助成を受けた共同研究プロジェクトでの成果をまとめたものです。編集は私が担当し、まえがきの「『健康論の誘惑』を読み解く」を書き下ろし「第二章 健康クリーシェ論-折込広告における健康言説の諸類型と培養型ナヴィゲート構造の構築」「第七章 健康の批判理論序説」を担当しました。この二つの章は、既発表のものをリライトしたものです。
『文化現象としての癒し』, メディカ出版, 2000年10月01日, 佐藤純一、村岡潔、池田光穂、黒田浩一郎, 民間医療の現在を医療人類学・医療社会学・メディア論から読み解く共同研究の成果。私はメディア論的な視角から「メディア仕掛けの民間医療-プロポリス言説圏の知識社会学」約100枚(63ページ分)を書き下ろしました。民間医療をめぐるメディア上の言説がどのようなナヴィゲート構造をもっているかを健康食品プロポリスを題材に探りました。この分野はこれまで社会科学的に研究されることがほとんどなく、前例のない試みになっているはずです。
『日本の広告における健康言説の構築分析』, 財団法人吉田秀雄記念事業財団研究助成報告書, 1999年03月01日, 池田光穂、佐藤純一、佐藤哲彦、寺岡伸吾, 社会において流通している健康言説の研究の一環として広告を対象としたもの。平成10年度吉田秀雄記念事業財団の研究助成プロジェクト(研究代表者・池田光穂)。池田光穂・佐藤純一・佐藤哲彦・寺岡伸吾と共著。「第三章 健康言説の諸類型-クリーシェ諸類型と培養型ナヴィゲート構造の分析」を担当(30~72ページ)。分担個所では、社会構築主義の視点から健康関連折込広告を素材に「健康クリーシェ」を類型化した。
『社会学感覚【増補版】』, 文化書房博文社, 1998年04月01日, 前掲の『社会学感覚』の第7刷にあたり「ブックガイド・九〇年代の社会と社会学」(原稿用紙換算200枚強)を増補して「増補版」としたものです。増補分だけで130ページありますので、別立てにしています。
『インターネット市民スタイル【知的作法編】』, 論創社, 1997年02月01日, ンターネットにおいてシティズンシップを発揮することの重要性を強調した入門書です。メディア論的に分析するというのではないですが、すでに「市民スタイル」の事例的な活動をしている多くの人に取材して、そのさまざまな活動の思想的な意味について説明・喚起した実践的思想論です。この本については『Mac POWER』1997年6月号に廣瀬克哉・法政大学教授による論評「公共活動に誘うインターネット入門」があります。
『社会学のプロフィール』, 八千代出版, 1995年04月01日, 山崎純一、大梶俊夫、栗原淑江、杉山由紀夫、森幸雄, この本では「第8章〈メディアの影響力〉と〈受け手の能動性〉-マス・コミュニケーション」と「第10章〈専門家支配〉のパラドックス-医療と社会」を担当しました。とくに医療の章についてはコミュニケーション論的理解を前面に押し出して説明しています。
『社会学の作法・初級編-社会学的リテラシー構築のためのレッスン』, 文化書房博文社, 1995年03月01日, この本は、かなり実用的な意図をもった著作です。けれども、これは『リフレクション』の実践編として同書と並行的に執筆していた、いわば副産物でもあります。社会学の自己言及性を中心に、社会学を学ぶ上でのごく基本的な心構えと具体的な手順を「作法」と「無作法」という対概念に即して説明したものです。とくに、科学的知識や情報やメディアとのつきあい方を「リテラシー」概念によって系統的に説明しようとしているところが特徴です。1999年の改訂版にさいして「六 パソコンの利用」と「社会学の作法・中級編のために」を大幅に増補しました。
『リフレクション-社会学的な感受性へ』, 文化書房博文社, 1994年07月01日, この本は、社会学の求心的理念について反省社会学的に考察したもので、私の主著になります。何のために社会学は存在するのか、なぜ社会学は研究され教育されなければならないのかを問い直したものです。答はリフレクションという総括的概念に集約されます。リフレクションとは、物象化された社会的現実を脱物象化し、主体的に分析することによって、権力作用に抵抗する実践です。私はミードの概念を主軸にすえ、ジンメルの社会認識論とギデンスの構造化論によって社会理論として補強することで、リフレクション概念の構造論理を説明しようと試みました。社会学は、もともと現代人の理性的なコミュニケーションに内在するこの作用に根拠をもち、それの高度化を支援する反省的知識であって、それゆえ、社会学の意義は人びとに「社会学的な感受性」を構築することにあると主張しています。『社会学評論』(日本社会学会)184号に中野秀一郎教授による書評があります。
『社会学感覚』, 文化書房博文社, 1992年03月01日, この本は基本的に社会学教育のために執筆した本で、学術的な精密さよりも教育上の配慮を優先して書かれています。脚注や索引などを含めると原稿用紙で900枚分あります。社会学全般の概説書ですが、コミュニケーション論の視点からさまざまな社会現象を分析できることを具体的な問題に即して提示することによって、社会理論としてのコミュニケーション論の理論的意義を検証するねらいで書かれています。この作業によって、コミュニケーション論の視圏が、自我論・メディア論・若者文化論などの「コミュニケーション論の定番領域」にとどまらない広がりをもつことを―たとえば薬害問題や医療問題-いささかなりとも示唆できたのではないかと考えています。
『マックス・ウェーバー宗教社会学関係文献目録』, 文化書房博文社, 1989年10月01日, 新明正道先生が所長をつとめておられた創価大学比較文化研究所のプロジェクトである「マックス・ウェーバー宗教社会学関係文献目録」に参加し、研究所の紀要に二回に分けて調査結果を掲載したものを合本して出版したものです。
ジンメル解体、いったん、そして, 現代社会学理論研究, 16, 日本社会学理論学会, 2022年04月01日, 2022年04月01日, 136-140,, 136-140,, 徳田剛・杉本学・川本格子・早川洋行・浜日出夫『ジンメルの論点』の書評
健康言説とメタメディカライゼーション, 『談100号記念選集』, 水曜社, 2014年11月23日, 236, 254, 佐藤純一, 『談』掲載の対談の再録。
「けんこうブーム考11-16実体ない「言説」の世界1-6」, 『信濃毎日新聞』, 信濃毎日新聞, 2007年08月19日, 2007年09月23日, 飯島宗一, 私たちの研究グループが提唱した「健康言説」についてのインタビュー。全六回。見出しは以下の通り。(1)医学とは異質な論理(2)科学と伝統主義が同居(3)古い道徳観や弱みつく(4)メディアが公共性を付与(5)プロポリスの変遷を分析(6)正統と異端 闘争の歴史
「健康言説とメタメディカライゼーション」, 『談』, 74号, たばこ総合研究センター, 2005年08月01日, 57, 84, 佐藤純一・高知大学医学部教授との対談。
インタビュー:「『インフォアーツ』とはなにか?」, 『コンピュータ&エデュケーション』, Vol.14, 柏書房, 2003年05月01日, 3, 7, CIEC(コンピュータ利用教育協議会)会誌『コンピュータ&エデュケーション』の巻頭インタビュー。拙著『インフォアーツ論』について説明した。
bk1(ビーケーワン), 2000年07月01日, 株式会社ブックワンの公式サイト。国内最大手のオンライン書店として2000年7月に開店。社外エディターとして「社会学」「メディア・ジャーナリズム」を担当。その上位の「人文社会ノンフィクション」の企画にも参加。(http://www.bk1.co.jp)
「『20世紀ポスター展』へようこそ」, 『季刊 本とコンピュータ』, 2000年4月号, トランスアート, 2000年04月01日, 18, 19, 大原社会問題研究所公式サイトにおいて戦前の無産者運動系ポスター2700点を公開したことについて、プロデューサーとして成立事情を書いたものです。
OISR.ORG(法政大学大原社会問題研究所公式サイト), 1999年01月01日, 1999年から法政大学大原社会問題研究所の兼任研究員として、おもに公式サイトの構築にかかわっています。すぐにYahoo Japan でサングラスマーク(推薦サイト)に指定され、一定の評価を得ていますが、とくに「モダンの力」をキーワードに制作した「20世紀ポスター展」は毎日新聞や『本とコンピュータ』などで紹介されました。(http://oisr.org)
「ネオ・ディレッタンティズムの誕生?-社会学ウェッブ『ソキウス』から展望する生涯学習の再定義」, 『CCCI News Letter』, Vol.3-3, サイバー社会基盤研究推進センター, 1998年12月01日, 2, 3, 私が公開しているウェッブ「ソキウス」のユーザー像についてまとめたもの。「インターネット媒介学習の主体」「『ごみコンテンツ』とは何か」「知的抵抗としてのディレッタンティズム」から構成されています。
「インターネット 世界への扉」, 『聖教新聞』, 聖教新聞社, 1997年01月01日, 1997年12月, 『聖教新聞』学芸部からの依頼によって連載したインターネット紹介記事。50のキーワードごとにかんたんな考察をくわえ、関連ウェッブを紹介したシリーズ。1997年1月から12月まで毎週土曜日に連載。新聞コラム。全50回でした。
「[ヒューマン・アルバム]ホセ・オルテガ・イ・ガセット」, 『潮』, 1995年9月号, 潮出版社, 1995年09月01日, 213, 220, 「ヒューマン・アルバム」は偉人・巨匠などのフォト・エッセイのシリーズ。オルテガについて依頼があり、その生涯を短く解説。
Socius, 1995年08月15日, インターネット上の社会学専門ウェッブです。1995年8月にASAHI-NET上で公開を開始しました。現在はシェアテキスト・プロジェクト “honya.co.jp” にあります。日本語では「ソキウス-見識ある市民のための社会学リファレンス」といいます。私の最近の著作と書き下ろしによる700ページのサイトになります。Yahoo Japan でサングラスマーク(推薦サイト)に指定されるなど、各方面から評価されています。(http://socius.org)2002年からは内容を整理統合してhttp://socius.jpで公開。
「『若者は先端的』ではなくなった!?-時代の後衛を走る一周遅れのランナーたち」, 『第三文明』, 1995年7月号, 1995年07月01日, 24, 25, 若者論特集に寄稿したものです。もはや若者たちの行動が先端的なものでなくなっていることを社会学系の調査研究を引証して解説。
「“生身の人間”とのディスコミュニケーション」, 『第三文明』, 1992年6月号, 1992年06月01日, 38, 41, 若者論特集に寄稿したものです。ディスコミュニケーション概念を使用して若者たちの生態を解説したエッセイ。
「社会学からみた“組織”ア・ラ・カルト」, 『第三文明』, 1991年10月号, 第三文明社, 1991年10月01日, 22, 27, 社会学における組織論を説明してほしいとの依頼によって書き下ろした解説です。官僚制、派閥などの組織内集団、組織文化、組織体犯罪、ネットワーク組織について概説しました。改稿して翌年の『社会学感覚』に「現代組織論」として掲載。
討論資料:「権力論についてのマッピング-ステレオタイプからの離脱」, 『pele-mele』, 6号, 創価大学現代社会学研究会, 1987年04月01日, 69, 85, フーコーらの新しい権力論について整理を施したもの。これがのちに『社会学感覚』における「権力論」関連の諸章に展開します。