「「おついでの節」の依頼表現」, 諸星美智直, 国学院大学日本語教育研究, 14, 1, 16, 2023年03月31日, 国学院大学日本語教育研究会, 「おついでの節(時・砌)」型、「おついでがあったら(御序候はゞ)」型と共起する依頼表現は中世・近世以来、候文体と口語に跨がって使用されたが、「おついで」は現代語ではほとんど使用が絶えている。これらは「おついで」がある場合のいわば「どうでもよい依頼表現」であるが、場面・人間関係によっては「本当にどうでもよい依頼表現」と「どうでもよいと表現していても本当にどうでもよいわけがない依頼表現」がある。副詞「序でに」と共起する依頼表現は現在なお盛んに使用されている。
「ビジネス日本語における前置き表現「つかぬことを伺いますが」のストラテジー」, 諸星美智直, 国学院大学日本語教育研究, 13, 1, 15, 2022年03月31日, 国学院大学日本語教育研究会, 「つかぬことを」に質問動詞を続ける前置き表現は、現在では「つかぬことを」にほぼ固定化した慣用表現になっている。ビジネスの現場での使用を示す言語資料における用例は少ないが、文学作品としては推理小説や捕物帖に使用が目立つ。また、論戦の場である国会会議録では単純な質問よりも意図的な質問にはるかに多く使用されているところに特徴がある。
「ビジネス日本語における複合辞テシマイマシタについて」, 諸星美智直, 国学院大学日本語教育研究, 12, 1, 15, 2021年03月31日, 国学院大学日本語教育研究, ビジネス文書文例集でテシマイマシタを使用するのは社内文書の始末書・報告書、社外文書の陳謝状・反駁状・お詫びなど種類に偏りがある。ビジネスの現場における会話に準ずる資料としての経済小説ではより多くの用例があり、多様な動詞語彙に下接している。遺憾の用法が多いが、拡張した用法も認められる。融合形のチャイマシタ・ジャイマシタも見られ、ビジネスの現場における使用を反映していると考えられる。
「消費者心理に対応したビジネス日本語表現のストラテジー」, 『国語研究』, 80号, 2017年02月28日, 国学院大学国語研究会, ビジネス心理学で指摘される消費者の心理に対応したビジネス日本語表現のうち、書記化に適した希少性の原理・バンドワゴン効果・スノッブ効果・ウェブレン効果の四つを取り上げ、ファッション誌・カタログ誌・パンフレット・企業ウェブサイト等を資料として用例を調査し、表現形式を分類、考察する。
「近代ビジネス文書史における候文と口語文と」, 『国語研究』, 79号, 50, 70, 2016年02月01日, 国学院大学国語研究会, 近代150年に亙って発展してきた日本経済に伴う言語行動であるビジネス文書は、一般の書簡文の口語化が進むのとは異なり、明治から昭和戦前期までは候文が根強く行われた。一方で、大正期に服部嘉香を中心に口語文のビジネス文書を併せる文例集が現れたが、第二次世界大戦後、ビジネス文書の口語化が急激に普及した。
「近世期吟味控類における「尋問」と「釈明」のストラテジーについて」, 『歴史語用論の世界』, 133, 160, 2014年06月06日, ひつじ書房, 『歴史語用論の世界』の第6章として、近世期の吟味控類のうち、寺社奉行・江戸町奉行による宗論・殺人事件・地方訴訟という性格の異なる3件の吟味控類を資料として、吟味者側による「尋問」のストラテジーと、吟味を受ける町人・農民側の「釈明」のストラテジーの特色を分類した。その結果、吟味の対象となる事案によって拷問の可否、公事と出入など事案によるストラテジーの相違が明らかになった。
「ビジネス文書における副詞「あらかじめ」の用法-企業ウェブサイトと内容証明郵便を中心に-」, 『国学院大学日本語教育研究』, 5号, 2014年03月31日, 国学院大学日本語教育研究会, ビジネス文書の文例集に用例の少ない副詞「あらかじめ」は、社外文書の一種といえる企業ウェブサイトでは多用されるが、客の不利益に備えた<守り>の用法が特徴的である。これに対して内容証明郵便の文例集ではすでに係争中の相手に対して敬語の簡略な<攻め>の用法が特徴的である。
「ビジネス日本語教材としての経済小説」, 『国学院大学日本語教育研究』, 4号, 2013年03月31日, 国学院大学日本語教育研究会, 経済小説は、ビジネス日本語教材としては、経済の場面、経済用語など日本経済に関心のある学習者の教材として利用できるが、人物・固有名詞の仮名化、日本事情の変遷等留意すべき点がある。会話の録音が難しいビジネス日本語の研究資料として有望である。
「日本語ビジネス文書学の構想-研究分野と研究法-」, 『国語研究』, 75号, 1, 17, 2012年03月31日, 国学院大学国語研究会, ビジネス日本語学の一環として、ビジネス文書の研究資料となる市販のマニュアル本、自治体のマニュアル本、教材などの諸相を検討した上で、語彙語法、敬語、ビジネス会話とビジネス文書の相違、文書とメール、ポライトネス、対照研究、通時的研究、日本語教育などの諸分野からなる研究法を挙げ、「ビジネス文書学」を提唱した。
「ビジネス文書における「あしからず」の機能-ビジネス文書文例集を資料として-」, 『国学院大学日本語教育研究』, 3号, 2012年03月31日, 国学院大学日本語教育研究, ビジネス文書における「あしからず」の機能について、文例集を資料として調査したところ、文書の種類では抗議状・反駁状・断り状・督促状などの社外文書が圧倒的多数であり、口語とは異なり、単独では使用せず常に「ご了承」「ご容赦」を求める敬語表現を伴う。口語における強い拒絶に対する配慮として「何とぞ」と共起したり、過剰な敬語表現を伴う例が多い。
「日本語学習辞書史における船岡献治編纂『鮮訳国語大辞典』について」, 『国学院雑誌』, 112巻12号, 1, 15, 2011年12月15日, 国学院大学, 1919年に刊行された船岡献治編纂『鮮訳国語大辞典』は、膨大な収録語彙数とともに語釈とともに日本語例文に朝鮮語訳を付すなどの特色を有する日本語学習辞書として画期的である。その文法観は金沢庄三郎の『辞林』をほぼ踏襲し、動詞を九種類とするなど文語文法によっているが、口語の下一段活用を多く掲げ、ダ・デス・ナイなどの口語助動詞も多く立項している。語彙についても、外来語・学術用語・俗語など多彩な分野の語が豊富に収録されている。
「ビジネス文書におけるポライトネス・ストラテジーについて」, 『国学院大学日本語教育』, 2号, 2011年03月31日, 国学院大学日本語教育研究会, 日本語のビジネス文書におけるポライトネス・ストラテジーについて、社外文書・社交文書・社内文書における積極的フェイス・消極的フェイスに対する配慮のストラテジーを中心に例を挙げ分析を加えた。
「近世武家社会における言語行動」, 『国語研究』, 74号, 1, 14, 2011年03月01日, 国学院大学国語研究会, 言語行動の史的研究の事例として、近世期武家社会の公的場面における口上・横柄な態度・追従・吟味席の人定・恫喝、私的場面における家庭内、遊里の歓迎・高慢・知ったかぶり・ヨイショ・チョチョラ・挨拶・イザコザ・謝罪・歓送・辞去などの言語行動をとりあげ、ポライトネスの観点からフェイスの分析を試みた。
「台湾南部の大学における日本語学習者のキャンパス言葉について」, 『国語研究』, 73号, 2010年03月01日, 国学院大学国語研究会, 2007年3月に台湾南部の大学の応用日語学科の大学院生を対象に行ったキャンパス言葉を調査した結果、授業・学生生活・食事・感情・人間関係等にわたって多彩な語彙を収集することができ、辞書類の記述やインターネットにおける用例と比較しながら考察を加えた。
「松本亀次郎編著の日本語教科書類における当為表現の扱い」, 『言語文化研究』, 9号, 51, 67, 2010年03月01日, 静岡県立大学短期大学部静岡言語文化学会, 宏文学院・東亜高等予備学校で日本語教育にあたった松本亀次郎編著の日本語教科書類における当為表現の扱いを分析した。現代の初級日本語教科書ではナケレバナリマセンに絞られているのに対して、近代語史上で興亡したンケレバイケマセンなど多彩な当為表現を掲出するが、一方で、文典型・会話型・読解型など教科書の目的によって掲出する当為表現に相違が認められる。
人間関係の日本語史(日本語学会2010年度春季大会シンポジウム報告), 高山 倫明;小林 隆;森山 由紀子;諸星 美智直;宇佐美 まゆみ;大島 資生;村田 菜穂子;矢島 正浩, 日本語研究, 6, 4, 162, 167, 2010年, 日本語学会
人間関係の日本語史(日本語学会2010年度春季大会シンポジウム報告), 高山 倫明;小林 隆;森山 由紀子;諸星 美智直;宇佐美 まゆみ;大島 資生;村田 菜穂子;矢島 正浩, 日本語の研究, 6, 4, 162, 167, 2010年, 日本語学会
「John・Macgowan“A manual of the Amoy colloquial”と三矢重松・辻清蔵訳述『台湾会話篇』」, 『国語研究』, 72号, 2009年03月31日, 国学院大学国語研究会, 三矢重松・辻清蔵訳述『台湾会話篇』は、イギリス人宣教師John MacgowanのA manual of the Amoy colloquialの例文の英語訳を日本語に訳述した書である。その日本語訳は、東西方言の対立事項、近代共通語の要素、敬語表現に渉って明治期の口語の実態を反映している。本書は、日本語教師として宏文学院に着任前の三矢重松の関わった共訳書であり、また、宏文学院関係者による日本語教科書の先蹤をなす著作としても貴重である。
「函館中央図書館蔵「蠣崎文書」に見る松前藩士の音韻状況」, 『日本語の研究』, 4巻1号, 159, 173, 2008年01月01日, 日本語学会, 函館市中央図書館蔵「蠣崎文書」は、松前藩士蠣崎伴茂(松涛)家に伝わった文書で、ことに『万古歌抜萃』や無題狂歌写本には、母音のイとエの混用例、イ段をウ段とする例、カ行・タ行の濁音表記など、『鶏肋録』所収『徒然草』抄本にもイとエの混用例、カ行・タ行の濁音表記が見られる。これらは松前藩士の音韻状況を反映する資料として貴重である。
函館市中央図書館蔵「蠣崎文書」に見る松前藩士の音韻状況(<特集>資料研究の現在), 諸星 美智直, 日本語研究, 4, 1, 173, 159, 2008年, 日本語学会, 函館市中央図書館蔵「蠣崎文書」は、松前藩家老将監流蠣崎氏の別家蠣崎伴茂(松涛)に始まる藩士の家に伝わった文書群で、『万古寄抜萃』(万延元年)、無題狂歌写本(『狂歌百人一首闇夜礫』の写本)、『鶏肋録』、『松涛自娯集』など方言音韻の特徴が強く認められる文書が多い。このうち、『万古哥抜萃』・無題狂歌写本には母音のエをイと表記する例が多いが語頭の混同例はまれで、現在の浜ことばとは異なる傾向が指摘できる。母音のイ段をウ段に表記する例が「し」を「す」とする例を中心に見られ、力行・タ行を濁音表記する例も語頭以外で多用されている。文書中には和漢洋に亙る古典籍から実用書に至る様々な文献からの抜書がなされており、『鶏肋録』所収の『徒然草』抄写本の本文にもイとエとの混同、力行・タ行に濁点を付した例が多く拾える。このような音韻表記は、意図的というよりは書写者たる松前藩士の学問が方言音韻の環境の中でなされたことによる無意識的な書記行為に起因する可能性がある。
函館市中央図書館蔵「蠣崎文書」に見る松前藩士の音韻状況(<特集>資料研究の現在), 諸星 美智直, 日本語の研究, 4, 1, 173, 159, 2008年, 日本語学会, 函館市中央図書館蔵「蠣崎文書」は、松前藩家老将監流蠣崎氏の別家蠣崎伴茂(松涛)に始まる藩士の家に伝わった文書群で、『万古寄抜萃』(万延元年)、無題狂歌写本(『狂歌百人一首闇夜礫』の写本)、『鶏肋録』、『松涛自娯集』など方言音韻の特徴が強く認められる文書が多い。このうち、『万古哥抜萃』・無題狂歌写本には母音のエをイと表記する例が多いが語頭の混同例はまれで、現在の浜ことばとは異なる傾向が指摘できる。母音のイ段をウ段に表記する例が「し」を「す」とする例を中心に見られ、力行・タ行を濁音表記する例も語頭以外で多用されている。文書中には和漢洋に亙る古典籍から実用書に至る様々な文献からの抜書がなされており、『鶏肋録』所収の『徒然草』抄写本の本文にもイとエとの混同、力行・タ行に濁点を付した例が多く拾える。このような音韻表記は、意図的というよりは書写者たる松前藩士の学問が方言音韻の環境の中でなされたことによる無意識的な書記行為に起因する可能性がある。
「宏文学院教授菊池金正と会話型日本語教科書『漢訳学校会話篇』」
, 『国学院雑誌』, 第108巻第11号, 355, 370, 2007年11月15日, 国学院大学
「明治期における日本語学習辞典としての難波常雄編『日本読書作文辞典』」, 『国語語彙史の研究』, 二十六, 221, 235, 2007年03月01日, 和泉書院, 清末留日学生に対する日本語教育に尽力した難波常雄(1878-1911)が中国から帰国後著した『日本読書作文辞典』(1909)は、前著『漢訳日本辞典』(1905)で日本語を50音順に排列したのに対して、学習者の利便性を考慮して漢字表記した日本語を部首別に排列した日本語学習辞典の先蹤を成す辞典である。単語に付した品詞名から具体的な文法観が把握でき、また、収録語彙も地名・国名・姓氏や明治期の日本を反映する官庁・政治・学問・思想の用語や日本の料理・食品、口語を多数収録するところに特徴が認められる。
「旗本たちの江戸訛り-『螺の世界』の連母音の融合-」, 『日本歴史』, 704号, 110, 111, 2007年01月01日, 吉川弘文館
「日本語教育史における宏文学院と国学院大学」, 『国学院雑誌』, 第107巻第11号, 219, 233, 2006年11月01日, 国学院大学, 清国人留学生に対する日本語教育で著名な宏文学院と国学院大学との関係について考察し、宏文学院に日本語教師として着任した三矢重松をはじめ稲村真里・江口辰太郎・菊池金正等の院友日本語教師の伝記を述べた。振武学校・東斌学堂・経緯学堂など他の日本語教育機関における院友の事績、および、日本語教科書類編纂との関わりにも言及した。
「宏文学院教授難波常雄と文典型日本語教科書『漢和対照日語文法述要』」, 『國學院雑誌』, 第107巻第4号, 1, 13, 2006年04月01日, 國學院大學, 難波常雄(1878-1911)は国学院大学卒業後に渡清し、帰国後出版・著述に携わり、宏文学院教授を経て再度渡清し四川省長寿県において日本語教育に従事した。宏文学院における講義に中国語訳を付した『漢和対照日語文法述要』(1906年)は文典型日本語教科書であり、口語文法・文語文法・助辞用例の三部から成る。単語を詞(七種)と助詞(助辞)(四種)に二分類して記述する他、例文の正誤・巧拙を示すなど日本語教科書としての工夫が見られる。
「アメリカ日本語教育史における半井豊三の事績」, 『国語研究』, 第69号, 1, 17, 2006年03月01日, 國學院大學国語研究会, 半井豊三(1898-1984)は国学院大学卒業後、1923年にインディアナ州のミッションズ大学に日本語教師として招聘され、米国においてさらに『古今集』等の日本古典文学、及び古代ヘブライ語・旧約聖書の研究者として活躍したが、アメリカ日本語教育史においては日米戦争以前の草創期の日本語教師の一人として位置づけられる。大正期の「国学院雑誌」誌上で展開された国語の文法教育に関する松尾捨治郎・保科孝一の論争にも加わり、米国における言語教育を反映した見解を述べている。
「忍者・隠密の方言意識」, 『歴史読本』, 49巻7号, 182, 187, 2004年08月01日
「現代学生語の一考察」, 『國學院雑誌』, 第104巻第4号, 1, 13, 2003年04月01日, 國學院大學
「近世蝦夷地における和人社会の言語状況」, 『国語と国文学』, 79巻11号, 180, 189, 2002年11月01日, 東京大学国語国文学会・至文堂
「土佐藩における御駅初の口上について」, 『日本近代語研究』, 3, 223, 242, 2002年03月01日
書評 彦坂佳宣著『尾張近辺を主とする近世期方言の研究』, 諸星 美智直, 国語学, 52, 2, 71, 64, 2001年06月, 日本語学会
「国学院大学国語学史稿」, 『国語研究』, 第64号, 125, 140, 2001年03月01日, 國學院大學国語研究会, 明治15年より平成12年に至る118年に及ぶ皇典講究所・國學院大學における日本語研究の歴史を通観。落合直文・物集高見・金沢庄三郎・三矢重松・金田一京助・高橋龍雄・松下大三郎・松尾捨治郎・今泉忠義・田邊正男・吉川泰雄・三根谷徹等の諸家による学統の形成と学史上の功績、源氏物語全講会・国文学会・方言研究会・国語研究会等の興亡、国語国字問題・留学生教育・仮名遣改訂問題に対する國學院学派の対応等に言及。
「現代語における助詞「は」の特殊な用法-「上州は新田郡三日月村の生まれ」をめぐって-」, 『国語研究』, 第63号, 87, 104, 2000年03月01日, 國學院大學国語研究会, 「上州は新田郡三日月村の生まれ」における助詞「は」の特殊な用法は、前項と後項との関係が「大地名>小地名」の場合に使用され、移動・出身・存在の表現と共起する場合が多い。近世に場所質問と場所説明の用法が見られ、近代にかけてこれと二重構造の「口調を整える用法」が発生して浪曲・侠客の仁義・香具師の啖呵売等で多用されたが、更に噺家の多用等から「滑稽を意図した用法」が発生して放送等の特定の業界で多用されていることを指摘した。
「『寛政重修諸家譜』における格助詞「の」「が」の待遇価値-幕府編纂書の文体をめぐって-」, 近代語学会編『近代語研究』, 10集, 107, 127, 1999年12月01日, 武蔵野書院, 格助詞「の」「が」の尊卑は中世から近世にかけての流れの中で連体格・主格の機能の相違へと変遷したが,大名旗本の家譜を集大成した『寛政重修諸家譜』においてはその成立が文化九年にまで下るにもかかわらず徳川氏・織田信長・豊臣秀吉等と大名旗本とでは尊卑による厳然たる使い分けがされている。その上で徳川氏に対してはさらに上座に最高敬語「せ給ふ」や「奉る」を以て待遇してその威厳を誇示する文体を構築したといえる。
「近世武家・町人のあいさつことば 〈特集〉あいさつことばとコミュニケーション」, 『國文學』, 44巻6号, 61, 65, 1999年05月01日, 學燈社, 近世後期江戸語の挨拶表現の内、訪問時には「頼みましょう」「御免なさい」の類型、時刻には「おはようございます」「今日は」「今晩は」がある。就寝者は「御免なさい」、促す方は「お休みなさい」を用いる。辞去・送別時は「さようなら」「ご機嫌よう」を武家社会の他遊里の若者・芸者・籠屋が使用し、「おさらば」を遊客・遊女が使用する。「さようなら」「そんなら」は感動詞の例の他に様々な表現が続く例が多い。
「東海地方に伝存する吟味控類とその言語」, 『國學院雑誌』, 第100巻第3号, 1, 21, 1999年03月01日, 國學院大學, 東西対立する語法の境界地域である東海地方の地方文書の内、静岡県袋井市・湖西市・愛知県豊橋市・渥美町・安城市における用水権・漁業権・藻草の入会等をめぐる村落間の訴訟の記録に口語的要素の強い文書が伝存する。江戸の寺社奉行・吟味物調役の発言部分には断定のダ・打消のナイ等の江戸語的要素、サ変動詞のセル形・原因理由のデ等の方言語法の影響が見られ、尾張領内の岐阜県御嵩町の控は当地方の方言で綴ってあることを指摘した。
「武市瑞山文書から見た土佐藩士の言語について」, 『国語学』, 191集, 1, 13, 1997年12月01日, 土佐藩士武市瑞山の夫人宛消息及び獄中の審問記録類には、音韻では四つ仮名の違例が稀で合拗音の直音化例は多く、語法では指定のヂャ、当為表現のントイカン・ンナラン、過去打消のマセナンダ・ザッタ、可能のエ~ン、原因理由のキニ、逆接のケンド、準体助詞のガ、推量のロウ、代名詞のワシ・ウンシ等、上士を含む藩士による土佐方言の使用が認められる。また、スルコトガデキル・オ~ニナルの共通語的要素の定着も指摘できる。
「「疋(匹)」と「頭」-牛馬豚羊の助数詞-」, 『平山輝男博士米寿記念論集・日本語研究諸領域の視点Ⅱ(下巻)』, 366, 386, 1996年10月01日, 明治書院, 動物の助数詞は、上代から中世にかけては古代中国に倣った馬・驢馬に「疋(匹)」、牛・鹿・羊・犬に「頭」の使い分けが認められるが、中世から近世にかけてすべて「疋(匹)」を使用するようになった。近代に至り、明治8・9年頃を境に法令や畜産関係の文書類では「頭」への切り替えが急速に行われたが、国定読本や童話では旧来の「疋(匹)」も並び行われ、やがて、動物の大小による「疋(匹)」と「頭」の使い分け意識が生じたことを指摘した。
「忍者・隠密と方言」, 『國學院雑誌』, 第97巻第2号, 73, 88, 1996年02月01日, 國學院大學, 忍術において『当流奪口忍之巻註』『正忍記』等の楠流の系統の忍術書を中心に「奪口術」として方言習得の必要性を説くが、同時にその困難さも指摘する。実際に忍者・隠密が敵地へ潜入する際には方言が違っていても不信に思われない旅僧・商人等に変装するため方言研究としては発展しなかった。隠密が探索中に方言を採取した事例としては土佐藩士手島季隆の『探箱録』があり、奥州諸藩の音韻・語彙について若干の記述が見られる。
「土佐藩主山内豊興の言行録における御意の口語性について」, 『國學院雑誌』, 第96巻第3号, 1, 16, 1995年03月01日, 國學院大學, 土佐藩の歴代藩主には一代毎に言行録が作成され,高知県立図書館山内文庫に多数伝存するが,とりわけ十一代藩主山内豊興の言行を御側の近臣や川村守魚等の手になる『源心公遺事』を増補した『帳内秘記』は御意の部分が口語性豊かに綴られている。殊に,自称の代名詞は幼少の頃からオレを多用し,武家特有語の「我等」「身」が見られるのは元服襲封後の逸話からであり,口語資料の稀な大名の言語生活の一端を解明することができる。
「幕府儀礼における奏者番の口上について-国立国会図書館蔵『江戸城諸役人勤向心得』より-」, 『国語研究』, 第57号, 1, 23, 1994年06月01日, 國學院大學国語研究会, 近世の武家社会の中でも最も荘重な場面と考えられる徳川幕府の各種儀礼の際に,譜代大名の内から任ぜられた奏者番によって言上された口上が,幕末期にこの任を勤めた高遠藩主内藤頼直の書写・作成した留に散見する。それには「年頭」「官位」「家督」等の「御礼」,「寒入」「御法事」等の「御機嫌伺」,「披露」,「御使先帰罷出」「代拝」等の「御届」の口上が終止形「ます」・連体形「まする」を伴った口語体で記してある。
「人相書の言語事項について」, 『國學院雑誌』, 第94巻第7号, 48, 64, 1993年07月01日, 國學院大學, 近世から明治初年にかけて御触として全国に通達された人相書にはしばしば言語事項を掲げる例があり、それは「江戸言葉」「上方言葉交り」「薩摩言葉」の如く方言の地域を示したり、「物いひ鼻に懸りなまり有」の如く音声の特色を示す例もある。また、彦根潘に伝存した幕末の風聞書には井伊直弼の大老在任中の水戸藩に関する探索情報が多く含まれ、「水戸言葉」を水戸藩士と特定する手がかりとする事例が散見する。
「相応院お亀の方消息の音韻・語法」, 『国語研究』, 第56号, 19, 36, 1993年03月01日, 國學院大學国語研究会, 石清水八幡宮の社家田中家文書に27通伝存する徳川家康の側室相応院お亀の方の仮名表記の消息は中世末から近世初頭にかけての女性の言語状況を考察する資料として有益である。すなわち,音韻史上の過渡期にあたる四つ仮名・開合の違例が少なからず認められ,語法では,ノ・ガの尊卑に関してはノ専用,方向を示す助詞への多用,自称の代名詞ワガミの多用等の傾向が指摘でき,また,女房詞御ウモジサマ・スルスルト等が見られる。
「武家女性消息における女房詞について」, 近代語学会編『近代語研究』, 9集, 163, 184, 1993年02月01日, 武蔵野書院, 女房詞の研究は,従来,語彙を列挙した資料の発掘紹介や御所・宮門跡における実態調査が主流であったため,江戸城大奥や諸大名の奥向における使用実態は充分には解明されていなかった。そこで豊臣・徳川・伊達・鍋島・毛利氏等の女性消息を資料に調査したところ,多用されるソモジをはじめカモジ・トモジ・アモジ・シンモジ等の親族関係の文字詞の他に,ウチマキ・カチン・九献等の例があり,武家屋敷における定着が確認できた。
「近世武家社会におけるナ変動詞の五段化について」, 『國學院雑誌』, 第93巻第4号, 66, 83, 1992年04月01日, 國學院大學, 『葉隠』に「武士道と云ハ死ヌ事と見付たり」と動詞「死ぬ」の連体形に「死ぬる」ではなくて「死ぬ」が用いられているが,近世の武家社会において,殊に旗本御家人の言葉を反映する『よしの冊子』『夢酔独言』や人情本等では終止連体形・仮定形に五段活用を多用している。他方,地方藩士は地域方言に応じて土佐藩士坂本竜馬・武市瑞山や長州藩士吉田松陰の消息にナ変,長岡藩士河井継之助の資料では五段活用を使用している。
「奉行所における吟味の言葉-『反正紀略』第九所収の控を資料として-」, 近代語研究会編『日本近代語研究1』, 373, 399, 1991年10月01日, ひつじ書房, 浄土真宗西本願寺派の法論三業惑乱関係の資料を集大成した『反正紀略』の巻九に所収の吟味控には美濃の古義派の門徒三和弥五郎の控を含み,寺社奉行脇坂安董・留役清水兵蔵・西田金次郎による吟味を指定にダ・デゴザリマスを多用する均質的な口語文脈で綴ってある。東西方言の対立事項は『関東一件』ほど江戸語的ではないが,二段活用の一段化・準体助詞ノ・対称代名詞ワレ・ワイラ,門主に対するラレ敬語等の特色が認められる。
「『武功雑記』における自称・対称の代名詞について」, 『徳島文理大学文学論叢』, 7号, 101, 120, 1990年03月01日, 肥前平戸藩主松浦鎮信が武辺者に語らせた武功や戦陣の見聞を書留めた『武功雑記』(元禄九年擱筆)は文章語文献ではあるが,近世前期の武家階級に特徴的に使用されたとされる自称の代名詞ソレガシやワレラや「私」,また,対称の「御手前」「貴殿」「其方」,及びオレ/ソナタ・ソチ・オノレ・オヌシタチなどの口頭語的語形が拾え,文献の少ない近世前期の武家階級の言語を考察する資料となると考えられる。
「洒落本に描かれた武家客の対称の代名詞について」, 『徳島文理大学研究紀要』, 38号, 33, 48, 1989年09月01日, 『螺の世界』に描かれた江戸城中の番士のうち,上位者は「貴様」,下位者はアナタを使用し,『魂胆胡蝶枕』の大身の旗本の邸内ではソナタが見られる。新五左・武左型の客は遊里でも互いに「貴公」・ソコモト・オテマエ,町人客や遊女に対してオテマエ・オミ・オミタチ等の武家特有語を使用するのに対して,旗本御家人・山の手の客や地方藩士でも通・半可通型の客は,町人客と同様のオメエ・テメエ・ヌシを用いている。
「地方・町方の吟味控類とその言語」, 『野州国文学』, 43号, 21, 41, 1989年03月01日, 國學院大學栃木短期大学国文学会, 近世の地方文書のうち,村境・入会地・用水権等の紛争から村落内部の対立に至る各種訴訟の記録の中に,稀に,吟味を口語性の強い文体で記録したものが伝存する。その中,千葉県旭市・埼玉県大滝村・神奈川県相模原市の旧名主家所蔵の吟味控及び『旧幕町奉行調写』には,吟味に当たる勘定所留役鈴木門三郎・代官所手代・北町奉行曲淵景漸等の言語に指定のダ・打消のナイ・ナカッタ・ロ語尾命令形など江戸語的特色が認められる。
「洒落本に描かれた武家客の自称の代名詞について」, 『徳島文理大学研究紀要』, 36号, 145, 158, 1988年09月01日, 『螺の世界』に描かれた江戸城中の番士のうち,上位者はオレ,下位者は「私」を使用し,『魂胆胡蝶枕』の大身の旗本の邸内では「身」が見られる。一方,遊里に来てまで「拙者」「自分」「身」「身共」等武家特有語を使用するのは新五左・武左型の客で,旗本御家人・山の手の客や地方藩士でも通・半可通型の客は,町人客と同様にオレ・オラ・オイラ・ワッチを多用する。地方藩士にはワシ・ウラを方言と共に使用している。
「洒落本に描かれた武家客のワア行五段動詞連用形の音便について」, 『徳島文理大学研究紀要』, 35号, 85, 97, 1988年03月01日, 洒落本41編を資料として武家客のワア行五段動詞連用形の音便の使用実態を調査したところ,従来,武家階級や教養層が使用するとされてきたウ音便は40例に過ぎず,しかもその使用者は西国藩士や上方の客など限られた属性の人物である。これに対して,促音便は923例あり,旗本御家人を始め武家客・町人客・遊女の大半が専用している。下接語はウ音便にタルが目立つ程度で,動詞語彙・成立年代による影響は人物設定ほど大きくない。
「洒落本に描かれた武家客の打消表現について」, 『國學院雑誌』, 第87巻第12号, 31, 53, 1986年12月01日, 國學院大學, 洒落本を資料として武家客の打消表現を検討したところ,従来,武家階級の打消表現と指摘されてきたヌ・ン系列の諸形を多用するのは主に西部地域の藩士・武左・新五左型の客であって,東国諸藩・旗本御家人,通・半可通型の客は他の町人客・遊里関係者と同様にネエ・ネエデ・ネエケリャアなどネエ系列の語形を多用している。武家階級の言語は従来,画一的に扱われがちであったが,地域や通・不通などの人物設定により言語描写は多彩である。
「国語資料としての帝国議会議事速記録-当為表現の場合-」, 『國學院大學大学院紀要-文学研究科-』, 第17輯, 217, 251, 1986年03月01日, 國學院大學大学院文学研究科, 当為表現の一つの尺度として第一議会の貴衆両院議事速記録を調査したところ,ともにナケレバナラヌとネバナラヌが,圧倒的多数を占めるが,当期特有のヌ(ン)ケレバナラヌなど貴重な語形も拾え,また多くの点で近代東京語の当為表現の実態と一致した。速記方式・反文態度・文字表記等の制約による速記録と実際の発話言語との間の忠実性の問題に留意して慎重に扱えば議事速記録は近代語研究のための有益な使用となると考えられる。
「江戸寺社奉行吟味控『関東一件』の言語について」, 『國學院雑誌』, 第86巻第10号, 58, 75, 1985年10月01日, 國學院大學, 龍谷大学図書館蔵『三業記録』所収『関東一件』は法論三業惑乱の際,寺社奉行所における吟味の様子を古義派の善休寺春貞が記録した資料である。本書には奉行脇坂安董・留役星野鉄三郎の会話文中に指定の助動詞ダ・ハ行四段動詞連用形促音便・打消の助動詞ナイ・ネイなど関東的傾向が見られ殊に改稿と思われる本文に著しい。資料の不足が指摘されてきた近世武家社会の言語生活の一端を解明する資料として本書は貴重である。
『貴族院議事速記録』における侯爵蜂須賀茂韶議員(旧徳島藩主)の発言部分の方言性, 諸星美智直, 第10回東アジア文化研究学術シンポジウム, 2024年09月15日, 南開大学東アジア文化研究センター・國學院大學大学院文学研究科, 中国天津・ハイブリッド, 『貴族院議事速記録』における侯爵蜂須賀茂韶(旧徳島藩主)の発言部分の言語について分析し、江戸語にも使用例のある上方・徳島方言の断定・ワア行五段動詞連用形の音便・過去否定のみならず、江戸語には稀な当為表現のンナラヌの多用により言語形成地である江戸大名小路の徳島藩邸が徳島方言の言語の島であった可能性を指摘した。
「ビジネス日本語における前置き表現「つかぬことを伺いますが」のストラテジー, 諸星美智直, 日本近代語研究会2021年度秋季発表大会, 2021年10月24日, 日本近代語研究会
「おついでの節」の依頼表現」, 諸星美智直, 第397回日本近代語研究会2022年度秋季研究発表大会, 2022年11月05日, 日本近代語研究会
「シンポジウム 三矢文法の魅力―三矢重松博士歿後百年に因んでー 旧国語学資料室襲蔵三矢重松博士教科書編纂関連資料の世界」, 諸星美智直, 國學院大學国語研究会, 2023年12月09日, 國學院大學国語研究会, 日本国東京都渋谷区
ビジネス文書における複合辞「てしまいました」について, 諸星美智直, 國學院大學国語研究会, 2019年11月30日, 國學院大學国語研究会, 東京都渋谷区
「日本文学科における点字学習と演習の試み」, 諸星美智直, 第4回国学院大学福祉言語学研究会, 2018年12月02日
講演「ビジネス文書における複合助詞について」, 2018年07月21日, 第24回国学院大学日本語教育研究会
「点字鍼灸書『孔穴適用鍼灸萃要』について」, 2015年11月21日, 国学院大学福祉言語学研究会(於:国学院大学)
講演「ビジネス文書史における候文と口語文」, 2015年07月04日, 国学院大学国語研究会(於:国学院大学)
「ビジネス日本語教材としての企業・経済小説」, 第13回, 2012年11月17日, 国学院大学日本語教育研究会
「内容証明郵便の文例における副詞「予(あらかじ)め」の用法」, 第296回, 2012年09月29日, 日本近代語研究会(於:明治大学)
「近世期吟味控類における<取り調べ>のストラテジー」, 2011年11月26日, 国学院大学国語研究会
「辛亥革命と国学院大学 -日本語教育史の視点から-」, 2011年11月19日, 国学院大学日本語教育研究会
「ビジネス文書における「あしからず」の用法」, 『跨文化交際中的日語教育研究1異文化コミュニケーションのための日本語教育』(世界日本語教育研究大会予稿集), 2011年08月20日, 高等教育出版社(世界日本語教育研究大会、於:天津外国語大学)
「日本語ビジネス文書学の構想-研究分野と研究法-」, 2011年07月30日, 国学院大学日本語教育研究会
「ビジネス文書におけるポライトネス・ストラテジーについて」, 2010年12月18日, 近代語研究会(於:国学院大学)
招待講演「近世松前方言の音韻-蠣崎松濤の文書の表記から-」, 2010年12月11日, 日本音声学会例会(於:獨協大学)
「日本語教育史における船岡献治編著『鮮訳国語大辞典』について」, 第95回, 2010年09月18日, 国語語彙史研究会(於:同志社大学)
「ビジネス日本語教科書とビジネス文書文例集における原因・理由表現ノデとカラ」, 第275回, 2010年07月24日, 近代語研究会(於:二松学舎大学)
シンポジウム「人間関係の日本語史・近世武家社会における言語行動」, 2010年05月29日, 日本語学会春季大会(於:日本女子大学)
「近代の日本語教科書における当為表現―松本亀次郎の著作を中心に―」, 2009年12月19日, 近代語研究会
「荷田春満と上代特殊仮名遣」, 2008年11月29日, 国学院大学国語研究会
「三矢重松・辻清蔵共訳『台湾会話篇』の成立と訳文の語法」, 2008年11月08日, 国学院大学日本語教育研究会
「三矢重松・辻清蔵共訳『台湾会話篇』をめぐって-宏文学院と国学院大学-」, 2008年09月20日, 日本語教育史研究会
「日本語学史上の荷田春満-テニヲハ・語彙集・アクセントなど-」, 2008年05月16日, 近代語研究会
「宏文学院教授菊池金正と日本語教科書『漢訳学校会話篇』」, 2007年01月01日, 近代語研究会
「近代における院友日本語教師の群像」, 2006年11月01日, 国学院大学日本語教育研究会
「日本語教育史における弘文学院と国学院大学」, 2005年08月01日, 国語学研究室会
「弘文学院日本語教師難波常雄と文典型日本語教科書『漢和対照日語文法述要』」, 2005年06月01日, 近代語研究会
「アメリカ日本語教育史における半井豊三の事蹟」, 2003年11月01日, 國學院大學国語研究会