「平等と自由・再考——平等実現に向けた違憲審査の諸類型」, 平地秀哉, 『講座 立憲主義と憲法学<第2巻>人権Ⅰ』, 2022年11月15日, 信山社
「デジタルプラットフォームの公共性と表現の自由」, 平地秀哉, 法学教室, 490号, 60, 65, 2021年07月01日, 有斐閣, FacebookやTwitterなどの巨大なデジタルプラットフォームが、現代社会における表現活動に関する事実上のルール形成を行うなど、ある種の「公共性」を有していることを根拠に、憲法的統制のあり方を考察している。
「オンライン・プラットフォーム免責規定の見直しを命ずるトランプ大統領の行政命令」, 平地秀哉, ジュリスト, 1550号, 96, 100, 2020年09月25日, 有斐閣, TwitterやFacebookなどのプラットフォーム事業者に対し利用者の投稿内容や投稿の削除についての免責を認める通信品位法230条の改正を求める大統領命令をめぐる憲法上の論点を検討したもの。
「ベンジャミン・N・カードーゾ:"Pure Judge"」, 平地秀哉, アメリカ憲法の群像:裁判官編, 2020年06月30日, 尚学社
「再婚禁止期間規定違憲判決」, 平地秀哉, 法学教室, 464号, 10, 14, 2019年04月27日, 有斐閣, 平成27年の再婚禁止期間規定最高裁違憲判決について、他の家族法分野における最高裁判決と比較しながら、その理論的特徴を分析したもの。
「放送・インターネットにおける名誉毀損」, 『論究ジュリスト』, 25号, 2018年04月25日, テレビ放送やインターネット上の言論に関する名誉毀損法制のあり方について、コミュニケーション技術の発達に伴い生じる論点に触れながら考察した。
「『公共空間』と憲法理論」, 『法学セミナー』, 742号, 2016年11月01日, 日本評論社, 市民が自由に討議し合うための「公共空間」の重要性と、その維持拡大を図る憲法理論の可能性について考察したもの。
「『公務員の政治活動の自由』の現在」, 全国憲法研究会編『憲法問題』, 25号, 2014年05月03日, 三省堂, 2013年5月に行った学会報告を文章化したもの。
「『格差』問題と『法の下の平等』」, 『法学セミナー』, 712号, 2014年05月01日, 日本評論社, 日本国憲法14条1項の保障する法の下の平等が、現代社会の「格差」問題についていかなる規範的意味を持ちうるかについて考察を行っている。
「憲法裁判における外国法の参照 : アメリカ合衆国における論争を素材に」, 平地 秀哉, 法學新報, 119, 9, 537, 558, 2013年03月25日, 中央大学
「『品格ある社会』と表現」, 『表現の自由Ⅰ―状況へ』, 2011年05月30日, 尚学社, 「品格」を理由とした表現規制が内包する諸問題について、アメリカ合衆国における議論を参照しつつ明らかにしている。
「ローレンス・H・トライブ――“No Theory”という名の“Grand Theory”」, 『アメリカ憲法の群像 理論家編』, 2010年01月25日, 尚学社, アメリカ憲法学を代表する学者のひとりである、ローレンス・トライブの憲法理論について、その深遠な理論構造を解き明かす手掛かりを提供している。
「平等理論――『審査基準論』の行方」, 『法律時報』, 81巻12号, 2009年11月01日, 日本評論社, 日本国憲法の保障する平等に関する違憲審査基準をめぐる学説は、従来より、アメリカ合衆国の連邦最高裁判所の判例理論を参照しつつ展開してきたが、近時、当のアメリカでは、アファーマティヴ・アクションをめぐって審査基準論に「揺らぎ」が生じておる。本稿は、このアメリカの状況を踏まえて、日本の憲法学説も自らの議論を再考すべき必要があることを論じている。
「サイバースペース・公共圏・表現の自由(2・完)」, 『國學院法學』, 45巻2号, 1, 42, 2007年09月01日, 國學院大學法学会, 前稿を引き継いだうえで、サイバースペース上での「公共圏」形成に親和的な表現の自由の解釈論として、「パブリック・フォーラムの理論」に着目し、同理論の現代的な新しいコミュニケーション手段への応用可能性を検討している。
「サイバースペース・公共圏・表現の自由(1)」, 『國學院法學』, 45巻1号, 55, 93, 2007年07月01日, 國學院大學法学会, サイバースペース上のコミュニケーションにおける、市民間の自由な討議を通じて公論を形成し、国家の決定へと影響を与えていくことが期待される「公共圏」の形成可能性を追究する。前半では、「公共圏」や「市民社会」などの鍵概念とサイバースペースとの関係を整理し、後半への足掛かりとしている。
「熟議民主政と社会福祉」, 『早稲田法学』, 79巻4号, 153, 192, 2004年09月01日, 早稲田大学法学会, 熟議民主政(deliberative democracy)を規範概念として構築する場合に、社会福祉の権利は熟議に参加する「市民」たる前提条件として理解されることを示しながら、実はその権利を未だ完全ならざる「熟議」によって正当化することは理論的に困難であることを指摘し、その上で、この「無限退行問題」への応答のあり方を検討している。
「『理にかなった多元性』と司法審査-『原理』の決定における『多数決主義という難点』-」, 『早稲田法学』, 78巻4号, 153, 193, 2003年05月01日, 早稲田大学法学会, 現代社会の特徴として、各人が多様な価値を抱いているという意味での多元性を挙げることができるが、にもかかわらず、国家が運営されるためには、単一の政治的決定を下すことは不可欠である。すると、その場合、いかなる国家機関、具体的には立法府を中心とする民主制と司法審査を行使する裁判所のどちらが決定を担うことが適切なのかが大きな問題となる。本稿では、従来の司法審査と民主政をめぐる議論は、両者において最終的に用いられる多数決を、そこで否定された少数意見との関係で正当化することに必ずしも成功していないことを示した上で、別稿で参照した熟議民主政の観点から、最終的な決定を下すのはあくまで市民の熟議であるとしながら、熟議を促進する役割を司法審査に与える議論を展開している。
「憲法上の平等保障と立法目的の審査」, 『早稲田法学』, 77巻2号, 143, 182, 2002年01月01日, 早稲田大学法学会, 憲法学上、「政府の目的」や「立法目的」が、ある政府行為や立法の合憲・違憲を判断する際の一つの重要な要素とされることが多い。それは平等原則に関して言えば、アメリカ合衆国における平等原則に関する司法審査基準を受容したものであるが、本稿は、近時、当のアメリカ合衆国において「立法目的」の裁判所による審査に関して提示されている問題点を整理し、日本の憲法学における議論の再考を促すものである。とりわけ問題なのは、「立法目的」は複合的な性質を有しており、その認定に際して裁判所の恣意が働く危険性があり、そのような中で一義的な確定をすることで民主過程における市民間の意見の相違を抑圧することである。その後これを解決する様々な議論を検討し、必ずしも成功していないことを論証している。
「市民的地位・平等保護・Affirmative Action (2・完)-合衆国憲法の『市民』像に関する予備的考察として-」, 『早稲田大学大学院法研論集』, 97号, 127, 153, 2001年02月01日, 早稲田大学大学院法学研究科, (1)の続編となる本稿では、「共和主義」と「リベラリズム」両者の政治思想を現代において統合し、憲法解釈論を構想する「リベラルな共和主義」憲法理論に着目する。それによれば、憲法の想定する民主政は、単に各人の選好を多数決によって集積するものではなく、参加者相互が討議の中で多様な私益を批判的に吟味する「熟議民主政(Deliberative Democracy)」であり、従ってそこではできる限り多くの個人の十全な政治参加が要請されることから、古典的共和主義のような排除的傾向を持たず、かつ平等保護条項の解釈において、各人の十全な政治参加を可能とするための施策として、アファーマティブ・アクション等を行う義務を行政府や立法府に課すことも可能となるものであることを論証している。
「市民的地位・平等保護・Affirmative Action (1)
-合衆国憲法の『市民』像に関する予備的考察として-」, 『早稲田大学大学院法研論集』, 95号, 135, 161, 2000年09月01日, 早稲田大学大学院法学研究科, アメリカ合衆国においていまなおその憲法適合性をめぐって論争のあるアファーマティブ・アクションについて、同国憲法修正14条で保障された「市民的地位(Citizenship)の観点から、憲法上の正当化を追究した論文。本稿では、アリストテレスにまで遡る「共和主義」と、市民革命期に起源をもつ「リベラリズム」という二つの政治思想における市民概念を検討する。その結果、前者は市民の積極的な政治参加を説くものの、それは奴隷等を排除した上で成り立つ排他的概念であり、他方で後者は、画一的な基本的人権の付与により「市民」が自動的に誕生するとの想定にたっており、アファーマティブ・アクション等の政府の積極的施策を導くための根拠とはならないことを論証している。
駅構内でのビラ配布と表現の自由, 平地秀哉, 憲法判例百選Ⅰ[第7版], 126, 127, 2019年11月30日, 有斐閣
書評:志田陽子著『「表現の自由」の明日へ――一人ひとりのために、共存社会のために』, 平地秀哉, 法学方角セミナー, 771号, 136, 136, 2019年04月01日, 日本評論社
「風営法によるダンス営業規制の合憲性」, 平地秀哉, 『平成26年度重要判例解説』, 2015年04月10日, 有斐閣, いわゆる「クラブ」の営業について許可制を定める風営法の規定の合憲性が争点となった高裁判決について解説を加えたもの。
「駅構内でのビラ配布と表現の自由」, 長谷部恭男ほか編『憲法判例百選Ⅰ[第6版]』, 2013年11月15日, 有斐閣, 私鉄駅構内でのビラ配りを処罰することの違憲性が問題となった最高裁判決について、ひとつの補足意見で言及されているアメリカ合衆国の「パブリック・フォーラム」論を中心にして解説を加えたもの。
「公務員の政治活動の自由―堀越事件』, 法学教室別冊付録『判例セレクト2010[Ⅰ]』, 365号, 2011年02月01日, 有斐閣, 国家公務員による、職務時間外における政治活動を理由とする処罰の違憲性が争われた、いわゆる「堀越事件」の控訴審につき、1974年の「猿払事件」最高裁大法廷判決にふれつつ評釈している。
『アメリカ憲法への招待』, 2010年08月20日, 三省堂, 福嶋敏明、宮下紘、中川律, アメリカの憲法学者であるリチャード・ファロンによるアメリカ憲法の概説書、The Dynamic Constitutionの全訳。
「選挙運動資金の規制」, 『ジュリスト』, 1401号, 2010年06月01日, 有斐閣, アメリカ合衆国連邦最高裁の2008年開廷期の主要判例のひとつであるDavis v. FEC, 128 S. Ct. 2759について評釈したうえで、同判決が将来の選挙運動に与える影響を考察している。
「軍リクルーターのキャンパスアクセスを条件とする補助金支給と違憲な条件」, 『ジュリスト』, 1340号, 108, 114, 2007年09月01日, 有斐閣, アメリカ合衆国連邦最高裁の2006年開廷期の主要判例のひとつであるRumsfeld v. Forum for Academic and Institutional Rights, 547 U.S. 47 (2006)について、表現の自由と違憲な条件との関係で評釈・解説している。
「駅構内でのビラ配布と表現の自由」, 高橋和之他編著『憲法判例百選Ⅰ[第5版]』, 130, 131, 2007年02月01日, 有斐閣, 私鉄駅構内でのビラ配りを処罰することの違憲性が問題となった最高裁判決について、ひとつの補足意見で言及されているアメリカ合衆国の「パブリック・フォーラム」論を中心にして解説を加えたもの。
書評:「ジェレミー・ハリス・リプシュルツ著・尾内達也訳『インターネット時代の表現の自由』(皓星社・2004年)」, 『神奈川大学評論』, 49号, 159, 159, 2004年12月01日, 神奈川大学広報委員会, アメリカの社会学者による、インターネット上の表現の自由のあり方についての著書を、憲法学の視点から評したもの。著者により「規範的伝統に対する挑戦」と銘打たれた本書の内容は、憲法学が傾聴すべき点は少なくないものの、やや憲法学の現代的展開への配慮に欠ける点を指摘する。
書評:「小泉良幸著『リベラルな共同体-ドゥオーキンの政治・道徳理論』(勁草書房、2002年)」, 憲法理論研究会編『憲法と自治』, 249, 252, 2003年10月01日, 三省堂, 関西大学の小泉良幸教授による、現代英米法哲学・政治哲学を代表する論者であるR.ドゥオーキンの理論についての研究書を、同書が批判的に扱う「熟議民主政」の観点から論評したもの。同書の難点が、ドゥオーキンの理論に大きく依拠しているために、英米圏で彼に向けられている批判も同時に受け容れざるを得ないことにあり、とりわけ、司法審査の任にあたる裁判官をあらゆる事象に通じた哲学者的なモデルとして理想化してしまい、個々の法的紛争を解決するという実践的法律家としての本来の任を超えて、市民間の様々な見解を軽視する傾向は最大の難点であることを指摘している。