「神道史から見た明治維新」, 武田秀章, 皇學館大学研究開発推進センター紀要, 11号, 1, 18, 2025年03月01日, 皇學館大学研究開発推進センター
「門脇重綾『垂統大義』考ー仲哀天皇朝を巡る記述を中心にー」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 125, 6, 1, 18, 2024年06月15日, 國學院大學, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・国学者であり、維新後は新政府に出仕し、津和野藩出身の福羽美静らと共に、近代の皇室祭祀制度・神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。その重綾が遺した未刊の著作が『垂統本義』(鳥取県境港市、門脇家襲蔵)である。『垂統本義』では、淵源たる神代に発し、天武・持統朝の古代国家確立期に至るわが国の歴史の展開が辿られている。
本稿では、『垂統大義』の神代から成務朝に至る記述を跡付けた前稿に続き、とりわけ仲哀朝にけるその論旨を辿り、重綾の歴史観の内実を検討した。以て維新政府の神祇行政担当者が、いかなる天皇観・国体観を抱いていたのかということ明らかにすると共に、明治維新と国学の関連如何の問題についても、聊かの展望を試みた。
「門脇重綾『垂統大義』考ー仲哀天皇朝を巡る記述を中心にー」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 125, 6, 1, 18, 2024年06月15日, 國學院大學, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・
・・・ × 「門脇重綾『垂統大義』考ー仲哀天皇朝を巡る記述を中心にー」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 125, 6, 1, 18, 2024年06月15日, 國學院大學, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・国学者であり、維新後は新政府に出仕し、津和野藩出身の福羽美静らと共に、近代の皇室祭祀制度・神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。その重綾が遺した未刊の著作が『垂統本義』(鳥取県境港市、門脇家襲蔵)である。『垂統本義』では、淵源たる神代に発し、天武・持統朝の古代国家確立期に至るわが国の歴史の展開が辿られている。
本稿では、『垂統大義』の神代から成務朝に至る記述を跡付けた前稿に続き、とりわけ仲哀朝にけるその論旨を辿り、重綾の歴史観の内実を検討した。以て維新政府の神祇行政担当者が、いかなる天皇観・国体観を抱いていたのかということ明らかにすると共に、明治維新と国学の関連如何の問題についても、聊かの展望を試みた。
「開国と国学」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 123巻, 12号, 61, 84, 2022年12月15日, 國學院大學, ペリー艦隊の来航に端を発する「開国」は、いうまでもなく日本史が迎えた大きな転換点であった。本稿では、開国という新状況に対して、積極的に対応した三人の国学者、すなわち、加賀藩士で平田門の石黒千尋、津和野藩出身の大国隆正、武蔵総社・大國魂神社神職の猿渡容盛を、三幅対としてとりあげた。
三人は、それぞれ出自と流派を異にするとは言え、日本を通り巻く世界の転換を受け止め、ひとしく古典に遡り、そこから現状を捉え直し、あり得べき未来を望み見ようとしていた。開闢以来の危機を、次のステージへのステップとして、前向きに捉えようと試みたのである。彼らの共通点を挙げれば、当時の「異国船打ち払い」の風潮の中で、欧米勢力の接近を肯定的に捉えていた、ということであろう。
ペリー来航と開国は、維新に連なる政治変革を促したという意味において、近代日本の起点でもあった。開国初発の際しての彼らの対応は、維新以降の国民教化政策、祭政一致政策の行く末を、期せずして予告するものでもあったと考えられる。
「開国と国学」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 123巻, 12号, 61, 84, 2022年12月15日, 國學院大學, ペリー艦隊の来航に端を発する「開国」は、いうまでもなく日本史が迎えた大
・・・ × 「開国と国学」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 123巻, 12号, 61, 84, 2022年12月15日, 國學院大學, ペリー艦隊の来航に端を発する「開国」は、いうまでもなく日本史が迎えた大きな転換点であった。本稿では、開国という新状況に対して、積極的に対応した三人の国学者、すなわち、加賀藩士で平田門の石黒千尋、津和野藩出身の大国隆正、武蔵総社・大國魂神社神職の猿渡容盛を、三幅対としてとりあげた。
三人は、それぞれ出自と流派を異にするとは言え、日本を通り巻く世界の転換を受け止め、ひとしく古典に遡り、そこから現状を捉え直し、あり得べき未来を望み見ようとしていた。開闢以来の危機を、次のステージへのステップとして、前向きに捉えようと試みたのである。彼らの共通点を挙げれば、当時の「異国船打ち払い」の風潮の中で、欧米勢力の接近を肯定的に捉えていた、ということであろう。
ペリー来航と開国は、維新に連なる政治変革を促したという意味において、近代日本の起点でもあった。開国初発の際しての彼らの対応は、維新以降の国民教化政策、祭政一致政策の行く末を、期せずして予告するものでもあったと考えられる。
「神道史から見た国家神道論」, 武田秀章, 『政教関係を正す会会報』, 59, 1, 2022年10月31日, 政教関係を正す会, 筆者はかつて、愛媛玉串訴訟において、高松高裁の供覧に付すための論文を作成した。周知のように、愛媛玉串訴訟は、高裁では合憲とされたが、最高裁では違憲判決が下った。その判決の言わばバックグラウンドのひとつが、いわるる「国家神道への反省」である。言うまでもなく「国家神道」説については多くの批判があり、もはや歴史学界において、従来の通説は通用しない状況となっている。
けれども、「国家神道」なる定言的フレーズは、依然として司法の場やメデイアで通用し、流通し続けているのが、今に至る現状と言えよう。ここでは、近代の神道史の筋道を巡って、従来の「国家神道」説とは異なる視角から、いささかの見通しを示した。以て「近代の神道」が即ち「国家神道」というルーチンな図式の見直しを求めた。る。。
「神道史から見た国家神道論」, 武田秀章, 『政教関係を正す会会報』, 59, 1, 2022年10月31日, 政教関係を正す会, 筆者はかつて、愛媛玉串訴訟において、高松高裁の供覧に付すための論文
・・・ × 「神道史から見た国家神道論」, 武田秀章, 『政教関係を正す会会報』, 59, 1, 2022年10月31日, 政教関係を正す会, 筆者はかつて、愛媛玉串訴訟において、高松高裁の供覧に付すための論文を作成した。周知のように、愛媛玉串訴訟は、高裁では合憲とされたが、最高裁では違憲判決が下った。その判決の言わばバックグラウンドのひとつが、いわるる「国家神道への反省」である。言うまでもなく「国家神道」説については多くの批判があり、もはや歴史学界において、従来の通説は通用しない状況となっている。
けれども、「国家神道」なる定言的フレーズは、依然として司法の場やメデイアで通用し、流通し続けているのが、今に至る現状と言えよう。ここでは、近代の神道史の筋道を巡って、従来の「国家神道」説とは異なる視角から、いささかの見通しを示した。以て「近代の神道」が即ち「国家神道」というルーチンな図式の見直しを求めた。る。。
「東京奠都と門脇重綾― 神宮親謁・大嘗祭―」, 武田秀章, 『藝林』70巻2号(通巻286号), 70巻, 2号(286号), 115, 141, 2021年10月, 藝林会, 門脇重綾は、明治三年五月以降、明治神祇官の領袖として活躍した人物である。しかしながら神祇官着任以前、とりわけ行政官弁事奉職中の重綾の動向については、あまり明らかにされてこなかった。そこで本稿では、まず明治元年、重綾が起草した東京行幸・神宮親謁に関わる建白案を紹介し、そこでは「神慮」を根拠として天皇の東京親臨と万国対峙が積極的に意義付けられていることを概観した。ついで明治二年二月の岩倉具視宛建白を紹介、東京奠都・東京での大嘗祭斎行を非とするその存念如何を検討、この間の重綾の政治的な動向も跡付けた。併せてそのような重綾が、史上初の東京大嘗祭の担い手たり得た所以、その独特な「神慮」観を、門脇家所蔵の関連史料を通じて考察した。
「東京奠都と門脇重綾― 神宮親謁・大嘗祭―」, 武田秀章, 『藝林』70巻2号(通巻286号), 70巻, 2号(286号), 115, 141, 2021年10月, 藝林会, 門脇重綾は、明治三年
・・・ × 「東京奠都と門脇重綾― 神宮親謁・大嘗祭―」, 武田秀章, 『藝林』70巻2号(通巻286号), 70巻, 2号(286号), 115, 141, 2021年10月, 藝林会, 門脇重綾は、明治三年五月以降、明治神祇官の領袖として活躍した人物である。しかしながら神祇官着任以前、とりわけ行政官弁事奉職中の重綾の動向については、あまり明らかにされてこなかった。そこで本稿では、まず明治元年、重綾が起草した東京行幸・神宮親謁に関わる建白案を紹介し、そこでは「神慮」を根拠として天皇の東京親臨と万国対峙が積極的に意義付けられていることを概観した。ついで明治二年二月の岩倉具視宛建白を紹介、東京奠都・東京での大嘗祭斎行を非とするその存念如何を検討、この間の重綾の政治的な動向も跡付けた。併せてそのような重綾が、史上初の東京大嘗祭の担い手たり得た所以、その独特な「神慮」観を、門脇家所蔵の関連史料を通じて考察した。
「大嘗祭管見―明治大嘗祭から考える」, 武田秀章, 『神社本庁総合研究所紀要』, 25, 139, 174, 2020年06月, 神社本庁総合研究所, 令和の御代替りに際して、主として神道教学の観点から、明治大嘗祭に至る歴代天皇の叡念、神道先人の軌跡を辿った。すなわち、(一)後奈良天皇の遺訓、(二)近世の朝儀再興、(三)光格天皇とその時代、(四)孝明天皇とその時代、(五)王政復古と祭政一致、(六)明治の大嘗祭、以上各章において、時代の試練を乗り越えてわが国の祭祀伝統が受け継がれてきた過程を概観、令和以降の神社界の諸課題を展望した。
「大嘗祭管見―明治大嘗祭から考える」, 武田秀章, 『神社本庁総合研究所紀要』, 25, 139, 174, 2020年06月, 神社本庁総合研究所, 令和の御代替りに際して、主として神道教学の観点
・・・ × 「大嘗祭管見―明治大嘗祭から考える」, 武田秀章, 『神社本庁総合研究所紀要』, 25, 139, 174, 2020年06月, 神社本庁総合研究所, 令和の御代替りに際して、主として神道教学の観点から、明治大嘗祭に至る歴代天皇の叡念、神道先人の軌跡を辿った。すなわち、(一)後奈良天皇の遺訓、(二)近世の朝儀再興、(三)光格天皇とその時代、(四)孝明天皇とその時代、(五)王政復古と祭政一致、(六)明治の大嘗祭、以上各章において、時代の試練を乗り越えてわが国の祭祀伝統が受け継がれてきた過程を概観、令和以降の神社界の諸課題を展望した。
「御代替りに関する管見ー「おことば」への道程ー」, 武田秀章, 政教関係を正す会会報, 56, 1, 10, 2020年10月31日, 政教関係を正す会, 令和の御代替りの起点は、平成二十八年八月八日の「象徴としてのお務めについてのおことば」にあった。「おことば」の「国民に寄り添い、国民のために祈るお務め」とは、すなわち天皇の「祭祀における祈り」の大切さと、その継承ということでもあろう。顧みれば、戦戦後、皇室祭祀は、政教分離の関わりで封印され、ともすれば日影に押しやられてきた。陛下は「祈り」の本質的意義を闡明することで、そうした通念に再考を促されたとも言えよう。ここでは敗戦以降の皇室祭祀の歴史を辿り、その已むこと無き祈りの継承が、いかに平成・令和の御代替りへと繋がれていったのか、ということについて、些の概観を試みた。
「御代替りに関する管見ー「おことば」への道程ー」, 武田秀章, 政教関係を正す会会報, 56, 1, 10, 2020年10月31日, 政教関係を正す会, 令和の御代替りの起点は、平成二十八年八月八
・・・ × 「御代替りに関する管見ー「おことば」への道程ー」, 武田秀章, 政教関係を正す会会報, 56, 1, 10, 2020年10月31日, 政教関係を正す会, 令和の御代替りの起点は、平成二十八年八月八日の「象徴としてのお務めについてのおことば」にあった。「おことば」の「国民に寄り添い、国民のために祈るお務め」とは、すなわち天皇の「祭祀における祈り」の大切さと、その継承ということでもあろう。顧みれば、戦戦後、皇室祭祀は、政教分離の関わりで封印され、ともすれば日影に押しやられてきた。陛下は「祈り」の本質的意義を闡明することで、そうした通念に再考を促されたとも言えよう。ここでは敗戦以降の皇室祭祀の歴史を辿り、その已むこと無き祈りの継承が、いかに平成・令和の御代替りへと繋がれていったのか、ということについて、些の概観を試みた。
「御代替りを考える」, 武田秀章, 禮典, 44号, 45, 65, 2020年03月24日, 禮典研究会, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照しつつ、一連の皇位継承儀礼が制定されるに至った。しかしながら、敗戦と占領改革を経て、我が国の国家体制・法制度は、大きな転換を余儀なくされる。本稿では、(一)明治の大嘗祭、(二)「皇室典範」と「登極令」、(三)大正の大嘗祭、(四)昭和の大嘗祭、(五)平成の大嘗祭、以上各章において、あらためて明治から平成に至る大嘗祭の歴史的位置を顧みた。
「御代替りを考える」, 武田秀章, 禮典, 44号, 45, 65, 2020年03月24日, 禮典研究会, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照し
・・・ × 「御代替りを考える」, 武田秀章, 禮典, 44号, 45, 65, 2020年03月24日, 禮典研究会, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照しつつ、一連の皇位継承儀礼が制定されるに至った。しかしながら、敗戦と占領改革を経て、我が国の国家体制・法制度は、大きな転換を余儀なくされる。本稿では、(一)明治の大嘗祭、(二)「皇室典範」と「登極令」、(三)大正の大嘗祭、(四)昭和の大嘗祭、(五)平成の大嘗祭、以上各章において、あらためて明治から平成に至る大嘗祭の歴史的位置を顧みた。
「近現代の大嘗祭」, 武田秀章, 『悠久』, 158号, 78, 87, 2019年07月25日, おうふう, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照しつつ、一連の皇位継承儀礼が制定されるに至った。しかしながら、敗戦と占領改革を経て、我が国の国家体制・法制度は、大きな転換を余儀なくされる。本稿では、(一)明治の大嘗祭、(二)「皇室典範」と「登極令」、(三)大正の大嘗祭、(四)昭和の大嘗祭、(五)平成の大嘗祭、以上各章において、あらためて明治から平成に至る大嘗祭の歴史的位置を顧みた。
「近現代の大嘗祭」, 武田秀章, 『悠久』, 158号, 78, 87, 2019年07月25日, おうふう, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照
・・・ × 「近現代の大嘗祭」, 武田秀章, 『悠久』, 158号, 78, 87, 2019年07月25日, おうふう, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照しつつ、一連の皇位継承儀礼が制定されるに至った。しかしながら、敗戦と占領改革を経て、我が国の国家体制・法制度は、大きな転換を余儀なくされる。本稿では、(一)明治の大嘗祭、(二)「皇室典範」と「登極令」、(三)大正の大嘗祭、(四)昭和の大嘗祭、(五)平成の大嘗祭、以上各章において、あらためて明治から平成に至る大嘗祭の歴史的位置を顧みた。
「神祇省首脳における「神話」と「維新」―門脇重綾資料を中心にー」, 武田秀章, 神道宗教, 246, 1, 43, 2017年04月25日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・.国学者であり、維新後は新政府に出仕し、津和野藩出身の福羽美静らと共に、近代の皇室祭祀制度・神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。本稿では、重綾が起草した「神祇省意見」、及び重綾の遺著『垂統大義』を紹介し、その「神慮」と「冥賛」を核心とする神話解釈と歴史観、わが国体を「郡県制」をする国制観を、(一)、門脇家所蔵「案文」と『垂統大義』、(ニ)『垂統大義』における「造化」と「皇統」、(三)『垂統大義』における「造化」の作用、(四)『垂統大義』における国譲り・天孫降臨、(五)天皇統治と「冥賛」、(六)『垂統大義』における崇神朝・景行朝、(七)「成務制郡県」、(八)孝徳朝における「惟神の道」、(九)維新の意義、以上各章において検討、そのユニークな神道思想が、維新の齎した「文明化」に際して国学が練り上げられた神話観・歴史観であること、それこそが明治神祇官・神祇省における皇室祭祀形成・国家祭祀形成の一前提を形作るものであった所以等を考察した。
「神祇省首脳における「神話」と「維新」―門脇重綾資料を中心にー」, 武田秀章, 神道宗教, 246, 1, 43, 2017年04月25日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・.国学
・・・ × 「神祇省首脳における「神話」と「維新」―門脇重綾資料を中心にー」, 武田秀章, 神道宗教, 246, 1, 43, 2017年04月25日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・.国学者であり、維新後は新政府に出仕し、津和野藩出身の福羽美静らと共に、近代の皇室祭祀制度・神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。本稿では、重綾が起草した「神祇省意見」、及び重綾の遺著『垂統大義』を紹介し、その「神慮」と「冥賛」を核心とする神話解釈と歴史観、わが国体を「郡県制」をする国制観を、(一)、門脇家所蔵「案文」と『垂統大義』、(ニ)『垂統大義』における「造化」と「皇統」、(三)『垂統大義』における「造化」の作用、(四)『垂統大義』における国譲り・天孫降臨、(五)天皇統治と「冥賛」、(六)『垂統大義』における崇神朝・景行朝、(七)「成務制郡県」、(八)孝徳朝における「惟神の道」、(九)維新の意義、以上各章において検討、そのユニークな神道思想が、維新の齎した「文明化」に際して国学が練り上げられた神話観・歴史観であること、それこそが明治神祇官・神祇省における皇室祭祀形成・国家祭祀形成の一前提を形作るものであった所以等を考察した。
「明治大嘗祭再考―祭政と文明と-」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 120, 11(通号1351), 204, 221, 2019年11月15日, 國學院大學, 明治四年の大嘗祭は、近代国家形成に際しての、最初の大嘗祭であった。研究史を顧みる時、かつての拙稿を含め、どちらかと言えば大嘗祭を独立的に扱うものが多かった。そこで本稿では、明治大嘗祭の前及び本史を、(一)祭政一致の制度形成と明治大嘗祭、(二)宮中神殿の形成、(三)大嘗祭本儀、(四)国際社会への参画と「祭政」の各章において検討し、明治大嘗祭がいかにこれに先立つ恒例祭祀形成を承けたものであったのか、また明治大嘗祭がその後の即位儀礼形成をいかに準備するものであったのか等の諸点を考察した。
「明治大嘗祭再考―祭政と文明と-」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 120, 11(通号1351), 204, 221, 2019年11月15日, 國學院大學, 明治四年の大嘗祭は、近代国家形成に際
・・・ × 「明治大嘗祭再考―祭政と文明と-」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 120, 11(通号1351), 204, 221, 2019年11月15日, 國學院大學, 明治四年の大嘗祭は、近代国家形成に際しての、最初の大嘗祭であった。研究史を顧みる時、かつての拙稿を含め、どちらかと言えば大嘗祭を独立的に扱うものが多かった。そこで本稿では、明治大嘗祭の前及び本史を、(一)祭政一致の制度形成と明治大嘗祭、(二)宮中神殿の形成、(三)大嘗祭本儀、(四)国際社会への参画と「祭政」の各章において検討し、明治大嘗祭がいかにこれに先立つ恒例祭祀形成を承けたものであったのか、また明治大嘗祭がその後の即位儀礼形成をいかに準備するものであったのか等の諸点を考察した。
「四時祭典定則成立過程の一考察-『年中行事節会大略』の紹介・翻刻を中心に-」, 『神道学』, 136号, 33, 55, 1988年02月01日, 近代皇室祭祀の範型となった明治四年「四時祭典定則」の成立過程を、(一)神祇官祭祀と「年中行事節会大略」、(二)「四時祭典定則」と宮中祭祀の確立、の各章において論じ、併せて末紹介資料「年中行事節会大略」(宮内庁書陵部所蔵)の全文を翻刻・紹介した。
「四時祭典定則成立過程の一考察-『年中行事節会大略』の紹介・翻刻を中心に-」, 『神道学』, 136号, 33, 55, 1988年02月01日, 近代皇室祭祀の範型となった明治四年「四時祭典定則」
・・・ × 「四時祭典定則成立過程の一考察-『年中行事節会大略』の紹介・翻刻を中心に-」, 『神道学』, 136号, 33, 55, 1988年02月01日, 近代皇室祭祀の範型となった明治四年「四時祭典定則」の成立過程を、(一)神祇官祭祀と「年中行事節会大略」、(二)「四時祭典定則」と宮中祭祀の確立、の各章において論じ、併せて末紹介資料「年中行事節会大略」(宮内庁書陵部所蔵)の全文を翻刻・紹介した。
「ペリー来航と大国隆正」, 『神道学』, 140号, 12, 39, 1989年09月01日, 国学者大国隆正が、ペリー来航を承けて展開した思想活動を、(一)ペリー来航・和親条約締結と嘉永末年・安政期著作の成立、(二)古伝解釈ー天照大神の神意、(三)国体の構造、(四)未来観、(五)見識、の各章において検討、またその発展的歴史観と維新変革とのかかわりについても展望した。
「ペリー来航と大国隆正」, 『神道学』, 140号, 12, 39, 1989年09月01日, 国学者大国隆正が、ペリー来航を承けて展開した思想活動を、(一)ペリー来航・和親条約締結と嘉永末年・安政
・・・ × 「ペリー来航と大国隆正」, 『神道学』, 140号, 12, 39, 1989年09月01日, 国学者大国隆正が、ペリー来航を承けて展開した思想活動を、(一)ペリー来航・和親条約締結と嘉永末年・安政期著作の成立、(二)古伝解釈ー天照大神の神意、(三)国体の構造、(四)未来観、(五)見識、の各章において検討、またその発展的歴史観と維新変革とのかかわりについても展望した。
「文久・慶応期の大国隆正」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第64輯, 105, 139, 1989年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 文久・慶応期における大国隆正の思想活動を、(一)安政から文久へ、(二)文久二年の三部作の思想展開、(三)通商条約勅許と「新真公法論」、の各章で概観、津和野派(維新政府における神祇行政担者)の思想的・世界観的背景を明らかにした。
「文久・慶応期の大国隆正」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第64輯, 105, 139, 1989年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 文久・慶応期における大国隆正の思想活動を、(一
・・・ × 「文久・慶応期の大国隆正」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第64輯, 105, 139, 1989年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 文久・慶応期における大国隆正の思想活動を、(一)安政から文久へ、(二)文久二年の三部作の思想展開、(三)通商条約勅許と「新真公法論」、の各章で概観、津和野派(維新政府における神祇行政担者)の思想的・世界観的背景を明らかにした。
「岡熊臣の神道史観・神職像-『神職暦運考』を中心に-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第68輯, 105, 139, 1991年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 津和野藩国学者、岡熊臣の神道史観・神職像を、未刊資料『神職暦運考』(学習院大学図書館所蔵)に拠りつつ、(一)天神建制・元始開国の治体、(二)律令制の導入と封建制・祭政一致の解体、(三)外教流入(四)岡神職家、(五)御制度回復の兆候、(六)神職像、の各章で考察、ついでその思想と近代神道史とのかかわりについても論及した。
「岡熊臣の神道史観・神職像-『神職暦運考』を中心に-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第68輯, 105, 139, 1991年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 津和野藩国学者、岡
・・・ × 「岡熊臣の神道史観・神職像-『神職暦運考』を中心に-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第68輯, 105, 139, 1991年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 津和野藩国学者、岡熊臣の神道史観・神職像を、未刊資料『神職暦運考』(学習院大学図書館所蔵)に拠りつつ、(一)天神建制・元始開国の治体、(二)律令制の導入と封建制・祭政一致の解体、(三)外教流入(四)岡神職家、(五)御制度回復の兆候、(六)神職像、の各章で考察、ついでその思想と近代神道史とのかかわりについても論及した。
「明治二年九月の加部厳夫建白について」, 『神道宗教』, 157号, 87, 100, 1994年12月01日, 神道宗教学会, 明治二年九月、神祇官官員の加部厳夫が本官に提出した建白(東京大学史料編纂所所蔵)を紹介、その内容を、(一)祭政一致、(二)神武創業、(三)神社・神職行政・神職観、(四)「明治神祇式」制定の課題、の各章で検討、神祇官改革派官員の、明治四年改革に連なる制度改正構想を明らかにした。
「明治二年九月の加部厳夫建白について」, 『神道宗教』, 157号, 87, 100, 1994年12月01日, 神道宗教学会, 明治二年九月、神祇官官員の加部厳夫が本官に提出した建白(東京大学史料
・・・ × 「明治二年九月の加部厳夫建白について」, 『神道宗教』, 157号, 87, 100, 1994年12月01日, 神道宗教学会, 明治二年九月、神祇官官員の加部厳夫が本官に提出した建白(東京大学史料編纂所所蔵)を紹介、その内容を、(一)祭政一致、(二)神武創業、(三)神社・神職行政・神職観、(四)「明治神祇式」制定の課題、の各章で検討、神祇官改革派官員の、明治四年改革に連なる制度改正構想を明らかにした。
「靖国神社・護国神社・玉串料」, 『神社本庁教学研究所紀要』, 1号, 213, 255, 1996年06月01日, 靖国神社・護国神社玉串料訴訟問題の「前提」を再検討、(一)靖国神社・護国神社制度の沿革、(二)戦後の靖国神社、(三)神饌幣帛・玉串・玉串料、の各章において基本的諸事実を跡付けると共に、該訴訟の一争点である「玉串」概念を検討、玉串奉奠と幣帛供進が異なる所以を明らかにした。
「靖国神社・護国神社・玉串料」, 『神社本庁教学研究所紀要』, 1号, 213, 255, 1996年06月01日, 靖国神社・護国神社玉串料訴訟問題の「前提」を再検討、(一)靖国神社・護国神社制度
・・・ × 「靖国神社・護国神社・玉串料」, 『神社本庁教学研究所紀要』, 1号, 213, 255, 1996年06月01日, 靖国神社・護国神社玉串料訴訟問題の「前提」を再検討、(一)靖国神社・護国神社制度の沿革、(二)戦後の靖国神社、(三)神饌幣帛・玉串・玉串料、の各章において基本的諸事実を跡付けると共に、該訴訟の一争点である「玉串」概念を検討、玉串奉奠と幣帛供進が異なる所以を明らかにした。
「明治諸陵寮設置の一考察」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 22号, 1, 24, 1997年12月01日, 明治神祇官における諸陵寮附属・皇霊鎮祭こそが、近世山陵復興史の帰結であり、その後の神祇官改革・宮中祭祀形成を促す契機であったことを、(一)文久修陵に伴う諸陵寮再興、(二)、明治神祇官への諸陵寮附属構想、(三)諸陵寮の官員構成、(四)近世山陵復興功労者への顕彰措置、の各章で論じた。
「明治諸陵寮設置の一考察」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 22号, 1, 24, 1997年12月01日, 明治神祇官における諸陵寮附属・皇霊鎮祭こそが、近世山陵復興史の帰結であり、その後の神祇官改
・・・ × 「明治諸陵寮設置の一考察」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 22号, 1, 24, 1997年12月01日, 明治神祇官における諸陵寮附属・皇霊鎮祭こそが、近世山陵復興史の帰結であり、その後の神祇官改革・宮中祭祀形成を促す契機であったことを、(一)文久修陵に伴う諸陵寮再興、(二)、明治神祇官への諸陵寮附属構想、(三)諸陵寮の官員構成、(四)近世山陵復興功労者への顕彰措置、の各章で論じた。
「近代の国家祭祀と陵墓」, 『歴史検証 天皇陵』(別冊歴史読本78), 78, 82, 2001年07月01日, 新人物往来社, 近代の国家祭祀形成の一環としての、幕末維新期以降の皇室祖先祭祀・陵墓祭祀の形成過程・展開過程を、(1)王政復古・神武創業と皇霊・山陵祭祀、(2)所在未定陵墓の治定、(3)憲法制定と陵墓治定、(4)皇室祭祀令・皇室喪儀令・皇室陵墓令、(5)戦後の皇室と皇霊・陵墓、の各章において概観した。
「近代の国家祭祀と陵墓」, 『歴史検証 天皇陵』(別冊歴史読本78), 78, 82, 2001年07月01日, 新人物往来社, 近代の国家祭祀形成の一環としての、幕末維新期以降の皇室祖先祭祀・陵墓
・・・ × 「近代の国家祭祀と陵墓」, 『歴史検証 天皇陵』(別冊歴史読本78), 78, 82, 2001年07月01日, 新人物往来社, 近代の国家祭祀形成の一環としての、幕末維新期以降の皇室祖先祭祀・陵墓祭祀の形成過程・展開過程を、(1)王政復古・神武創業と皇霊・山陵祭祀、(2)所在未定陵墓の治定、(3)憲法制定と陵墓治定、(4)皇室祭祀令・皇室喪儀令・皇室陵墓令、(5)戦後の皇室と皇霊・陵墓、の各章において概観した。
「本居宣長の復姓改名と学問形成」, 『神道文化』, 第13号, 45, 58, 2001年10月01日, 神道文化会, 宣長の学問形成への一視点として、本居復姓・宣長改名という出来事に着目しつつ、(1)商家の子としての出生、(2)歌道立志と本居姓復姓、(3)商家の清算と復姓改名、(4)「歌」と「道」、(5)「道の学び」の形成、の各章において、商家の倅として生まれた小津栄貞なる青年が、『古事記』復興を課題とする古学者・本居宣長へと変貌・成長してゆく過程を跡付けた。
「本居宣長の復姓改名と学問形成」, 『神道文化』, 第13号, 45, 58, 2001年10月01日, 神道文化会, 宣長の学問形成への一視点として、本居復姓・宣長改名という出来事に着目しつつ、(
・・・ × 「本居宣長の復姓改名と学問形成」, 『神道文化』, 第13号, 45, 58, 2001年10月01日, 神道文化会, 宣長の学問形成への一視点として、本居復姓・宣長改名という出来事に着目しつつ、(1)商家の子としての出生、(2)歌道立志と本居姓復姓、(3)商家の清算と復姓改名、(4)「歌」と「道」、(5)「道の学び」の形成、の各章において、商家の倅として生まれた小津栄貞なる青年が、『古事記』復興を課題とする古学者・本居宣長へと変貌・成長してゆく過程を跡付けた。
「『古事記』神話の一管見-コトヨサシ・オヤ・コ-」」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第36号, 59, 74, 2002年12月01日, 近年の研究動向を批判しつつ、『古事記』神話の展開を、(1)天神諸のコトヨサシ、(2)コトヨサシの継承、(3)国作りの進展、(4)他界の加護、の各章で簡略に跡付け、その基本構図を、いにしえの根源から発した「天神御子」の系譜の無窮性、その枝葉として広がる同族系譜の無限性、「天地初発」以来オヤからコへと継承されてきたコトヨサシの使命の永遠性を語るところにあったと指摘する。
「『古事記』神話の一管見-コトヨサシ・オヤ・コ-」」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第36号, 59, 74, 2002年12月01日, 近年の研究動向を批判しつつ、『古事記』神話の展開を、(1
・・・ × 「『古事記』神話の一管見-コトヨサシ・オヤ・コ-」」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第36号, 59, 74, 2002年12月01日, 近年の研究動向を批判しつつ、『古事記』神話の展開を、(1)天神諸のコトヨサシ、(2)コトヨサシの継承、(3)国作りの進展、(4)他界の加護、の各章で簡略に跡付け、その基本構図を、いにしえの根源から発した「天神御子」の系譜の無窮性、その枝葉として広がる同族系譜の無限性、「天地初発」以来オヤからコへと継承されてきたコトヨサシの使命の永遠性を語るところにあったと指摘する。
「明治神祇官と初期皇霊祭祀」, 『神道宗教』, 第193号, 1, 35, 2004年01月01日, 神道宗教学会, 明治二年後半から三年半ばにかけての明治神祇官における歴代皇霊祭祀・山陵祭祀の実態を、(1)文久修陵・神武創業と諸陵寮付属・皇霊鎮祭、(2)神武天皇祭・孝明天皇祭・先帝以前三代の式年祭、(3)皇霊鎮祭前後の歴代皇霊祭祀、(4)三帝諡号追贈、の各章で詳細に検討し、神祇官における皇霊祭祀の進展こそが、明治神祇官の実質的役割を決定付けると共に、その抜本的改革を促す機軸的要因として作用していったことを論じた。
「明治神祇官と初期皇霊祭祀」, 『神道宗教』, 第193号, 1, 35, 2004年01月01日, 神道宗教学会, 明治二年後半から三年半ばにかけての明治神祇官における歴代皇霊祭祀・山陵祭祀の実態
・・・ × 「明治神祇官と初期皇霊祭祀」, 『神道宗教』, 第193号, 1, 35, 2004年01月01日, 神道宗教学会, 明治二年後半から三年半ばにかけての明治神祇官における歴代皇霊祭祀・山陵祭祀の実態を、(1)文久修陵・神武創業と諸陵寮付属・皇霊鎮祭、(2)神武天皇祭・孝明天皇祭・先帝以前三代の式年祭、(3)皇霊鎮祭前後の歴代皇霊祭祀、(4)三帝諡号追贈、の各章で詳細に検討し、神祇官における皇霊祭祀の進展こそが、明治神祇官の実質的役割を決定付けると共に、その抜本的改革を促す機軸的要因として作用していったことを論じた。
「門脇重綾の『神国考』について」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第40号, 169, 179, 2004年12月01日, 門脇重綾は、幕末維新の神職・国学者にして、明治神祇官の行政を主導した神祇官僚である。本稿は、重綾の遺稿『神国考』の全文を翻刻・紹介すると共に、同書の特徴を(1)神国観・国体観、(2)神職の綱紀確立と「法令格式」制定、の各章で概観し、その法令格式制定による神職規律化への志向が、いわゆる「草莽の国学」とは区別される「武士的・法家的理念」に貫かれていることを指摘した。
「門脇重綾の『神国考』について」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第40号, 169, 179, 2004年12月01日, 門脇重綾は、幕末維新の神職・国学者にして、明治神祇官の行政を主導した神祇
・・・ × 「門脇重綾の『神国考』について」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第40号, 169, 179, 2004年12月01日, 門脇重綾は、幕末維新の神職・国学者にして、明治神祇官の行政を主導した神祇官僚である。本稿は、重綾の遺稿『神国考』の全文を翻刻・紹介すると共に、同書の特徴を(1)神国観・国体観、(2)神職の綱紀確立と「法令格式」制定、の各章で概観し、その法令格式制定による神職規律化への志向が、いわゆる「草莽の国学」とは区別される「武士的・法家的理念」に貫かれていることを指摘した。
「明治神祇官政策の一前提-門脇重綾『職道慨言』をめぐって-」, 『神道宗教』, 第200号, 2006年02月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は、福羽美静とともに、明治神祇官の重鎮としてその改革を主導した国学者・神祇官僚である。重綾の幕末期における著作と推測される『職道慨言』には、既に「祭政一致の政体」への復古構想、独自の神社改革構想が示されていた。本書で提起されている諸点、すなわち(1)令制以前に「上古祭政一致の政体」を求める祭政一致観、(2)神仏分離による神社改正、(3)「国家守護の神事」の担い手としての神職改正等々には、いずれも維新に際して、本書の作成者たる門脇重綾らを担い手として、国家的に実施されてゆくことになったのである。本稿では、以上のような観点から、本書『職道慨言』が、門脇重綾の「神祇政策マニフェスト」とも呼ぶべき性格を備えていることを跡付けた。
「明治神祇官政策の一前提-門脇重綾『職道慨言』をめぐって-」, 『神道宗教』, 第200号, 2006年02月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は、福羽美静とともに、明治神祇官の重鎮としてその改革を
・・・ × 「明治神祇官政策の一前提-門脇重綾『職道慨言』をめぐって-」, 『神道宗教』, 第200号, 2006年02月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は、福羽美静とともに、明治神祇官の重鎮としてその改革を主導した国学者・神祇官僚である。重綾の幕末期における著作と推測される『職道慨言』には、既に「祭政一致の政体」への復古構想、独自の神社改革構想が示されていた。本書で提起されている諸点、すなわち(1)令制以前に「上古祭政一致の政体」を求める祭政一致観、(2)神仏分離による神社改正、(3)「国家守護の神事」の担い手としての神職改正等々には、いずれも維新に際して、本書の作成者たる門脇重綾らを担い手として、国家的に実施されてゆくことになったのである。本稿では、以上のような観点から、本書『職道慨言』が、門脇重綾の「神祇政策マニフェスト」とも呼ぶべき性格を備えていることを跡付けた。
「安政・文久期における小中村清矩の国学観―明治神祇行政・明治国学の一前提―」
, 『神道宗教』, 204・205号, 1, 29, 2007年01月01日, 神道宗教学会, 小中村清矩は、明治の神祇行政と国典研究の展開を主導した「明治国学」を代表する重要人物である。本稿では小中村の幕末段階における著書『或問稿』の内容を(1)国学の三領域と「上代の学び」・古道観、(2)国学の独立、(3)国学の社会的役割、(4)国学将来構想、の各章において順次検討した。とりわけ終章においては、小中村が「歴朝の事実の学」及び「皇国言詞の学」の組織的研究へと次世代を導く国学将来構想を有していたこと、明治の国学の基本性格・研究領域は、こうした小中村の国学観・国学将来構想にひとつの淵源を有していたこと等の諸点を指摘した。
「安政・文久期における小中村清矩の国学観―明治神祇行政・明治国学の一前提―」
, 『神道宗教』, 204・205号, 1, 29, 2007年01月01日, 神道宗教学会, 小中村清矩は、明治の神祇
・・・ × 「安政・文久期における小中村清矩の国学観―明治神祇行政・明治国学の一前提―」
, 『神道宗教』, 204・205号, 1, 29, 2007年01月01日, 神道宗教学会, 小中村清矩は、明治の神祇行政と国典研究の展開を主導した「明治国学」を代表する重要人物である。本稿では小中村の幕末段階における著書『或問稿』の内容を(1)国学の三領域と「上代の学び」・古道観、(2)国学の独立、(3)国学の社会的役割、(4)国学将来構想、の各章において順次検討した。とりわけ終章においては、小中村が「歴朝の事実の学」及び「皇国言詞の学」の組織的研究へと次世代を導く国学将来構想を有していたこと、明治の国学の基本性格・研究領域は、こうした小中村の国学観・国学将来構想にひとつの淵源を有していたこと等の諸点を指摘した。
「近藤芳樹の「防長国学」」, 『國學院雑誌』, 第109巻8号, 2008年08月15日, 國學院大學, 長州藩国学者、近藤芳樹の天保期における国学思想の特質を、(1)国体と神道・儒教・仏教、(2)後三条天皇親政と大江匡房の輔弼、(3)源頼朝の武家政治と大江広元の補佐、(4)毛利家中における国学の使命と芳樹の国郡志編纂、の各章で検討し、その「防長国学」的側面を論じた。併せて長藩の藩祖顕彰政策・天保藩政改革との関連についても指摘した。
「近藤芳樹の「防長国学」」, 『國學院雑誌』, 第109巻8号, 2008年08月15日, 國學院大學, 長州藩国学者、近藤芳樹の天保期における国学思想の特質を、(1)国体と神道・儒教・仏教、(2
・・・ × 「近藤芳樹の「防長国学」」, 『國學院雑誌』, 第109巻8号, 2008年08月15日, 國學院大學, 長州藩国学者、近藤芳樹の天保期における国学思想の特質を、(1)国体と神道・儒教・仏教、(2)後三条天皇親政と大江匡房の輔弼、(3)源頼朝の武家政治と大江広元の補佐、(4)毛利家中における国学の使命と芳樹の国郡志編纂、の各章で検討し、その「防長国学」的側面を論じた。併せて長藩の藩祖顕彰政策・天保藩政改革との関連についても指摘した。
「近藤芳樹の荷前復興論」, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第1号, 2009年03月01日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 長州藩の国学者、近藤芳樹が慶応3年に提起した荷前復興論の特質を、(1)『葬祭考』の成立、(2)荷前復興・年忌停止、(3)芳樹の荷前観、の各章で概観し、その古典に即した制度構想が、「神祇」と「霊神」を共に崇敬してきた伝来の神観念への洞察に発している点を明らかにし、さらに近代の「敬神崇祖」政策との関わりについても考察した。
「近藤芳樹の荷前復興論」, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第1号, 2009年03月01日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 長州藩の国学者、近藤芳樹が慶応3年に提起した
・・・ × 「近藤芳樹の荷前復興論」, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第1号, 2009年03月01日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 長州藩の国学者、近藤芳樹が慶応3年に提起した荷前復興論の特質を、(1)『葬祭考』の成立、(2)荷前復興・年忌停止、(3)芳樹の荷前観、の各章で概観し、その古典に即した制度構想が、「神祇」と「霊神」を共に崇敬してきた伝来の神観念への洞察に発している点を明らかにし、さらに近代の「敬神崇祖」政策との関わりについても考察した。
「維新期における「造化神」観―門脇重綾の造化神論・幽顕論をめぐって」, 『悠久』, 第128号, 2012年08月05日, おうふう, 「維新期における造化三神」に関しては、明治五年の大教院への造化三神奉祀とそのもとにおける布教運動、及びこれに対する島地黙雷ら真宗僧侶の造化神批判・政教分離運動の脈絡から語られることが多かった。この中で、造化三神は専ら平田派の神観に即して理解され、平田派外の造化神観、例えば本居国学系の造化神理解については、比較的等閑に付されてきたのである。
こうした状況に鑑み、ここでは敢えて、従来あまり注目されるこことのなかった平田派以外の造化神観を検討した。すなわち、明治神祇官の祭政一致政策の主導者であった門脇重綾の造化神観と、それに基付く独自の幽顕観を、未紹介資料『垂統大義』の内容に即しつつ、一、天地初発・造化神化成、二、天地剖判・皇統起源、顕幽相関、三、大国主神の国譲りと神避り、四、天皇統治と幽顕の冥助、の各章において考察した。併せて、ここで示された「冥助観」が、明治の祭政一致政策・皇室祭祀形成と、どのような関わりを有するのか、という点についても、いささかの展望を示した。
「維新期における「造化神」観―門脇重綾の造化神論・幽顕論をめぐって」, 『悠久』, 第128号, 2012年08月05日, おうふう, 「維新期における造化三神」に関しては、明治五年の大教院への造
・・・ × 「維新期における「造化神」観―門脇重綾の造化神論・幽顕論をめぐって」, 『悠久』, 第128号, 2012年08月05日, おうふう, 「維新期における造化三神」に関しては、明治五年の大教院への造化三神奉祀とそのもとにおける布教運動、及びこれに対する島地黙雷ら真宗僧侶の造化神批判・政教分離運動の脈絡から語られることが多かった。この中で、造化三神は専ら平田派の神観に即して理解され、平田派外の造化神観、例えば本居国学系の造化神理解については、比較的等閑に付されてきたのである。
こうした状況に鑑み、ここでは敢えて、従来あまり注目されるこことのなかった平田派以外の造化神観を検討した。すなわち、明治神祇官の祭政一致政策の主導者であった門脇重綾の造化神観と、それに基付く独自の幽顕観を、未紹介資料『垂統大義』の内容に即しつつ、一、天地初発・造化神化成、二、天地剖判・皇統起源、顕幽相関、三、大国主神の国譲りと神避り、四、天皇統治と幽顕の冥助、の各章において考察した。併せて、ここで示された「冥助観」が、明治の祭政一致政策・皇室祭祀形成と、どのような関わりを有するのか、という点についても、いささかの展望を示した。
神道史から見た明治天皇, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第49号, 2012年11月01日, 明治聖徳記念学会, 明治天皇は、明治国家の政治的「機軸」として統治権を総攬した立憲君主であると共に、「憲法制定以前」からの我国の国柄を体現する、文化的・社会的「機軸」でもあった。天皇は、祖先を祀り、死者を慰霊し、和歌を詠み、芸能を伝え、いわば悠久の「皇室伝統」の実践者として、生涯にわたって精励したのである。
いうまでもなく、伝統とは、単なる旧慣の墨守にとどまらず、時代時代の「新しい風」に呼応して、不断に更新され、蘇っていくものにほかならない。本稿では、こうした視点から、明治天皇の果たした「文化的・社会的」統合者としての役割、すなわち「カミと文化の領域」における行動の諸相を、以下の各章において跡付け、その意義について考察を試みた。
一、前提―先祖の遺訓
二、幕末の対外的危機と天皇
三、維新創業と天皇の天職
四、穀豊穣の「祭り主」
五、「やまとうた」の王
六、式年遷宮への叡慮
七、古京への叡慮
神道史から見た明治天皇, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第49号, 2012年11月01日, 明治聖徳記念学会, 明治天皇は、明治国家の政治的「機軸」として統治権を総攬した立憲君主であると共に
・・・ × 神道史から見た明治天皇, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第49号, 2012年11月01日, 明治聖徳記念学会, 明治天皇は、明治国家の政治的「機軸」として統治権を総攬した立憲君主であると共に、「憲法制定以前」からの我国の国柄を体現する、文化的・社会的「機軸」でもあった。天皇は、祖先を祀り、死者を慰霊し、和歌を詠み、芸能を伝え、いわば悠久の「皇室伝統」の実践者として、生涯にわたって精励したのである。
いうまでもなく、伝統とは、単なる旧慣の墨守にとどまらず、時代時代の「新しい風」に呼応して、不断に更新され、蘇っていくものにほかならない。本稿では、こうした視点から、明治天皇の果たした「文化的・社会的」統合者としての役割、すなわち「カミと文化の領域」における行動の諸相を、以下の各章において跡付け、その意義について考察を試みた。
一、前提―先祖の遺訓
二、幕末の対外的危機と天皇
三、維新創業と天皇の天職
四、穀豊穣の「祭り主」
五、「やまとうた」の王
六、式年遷宮への叡慮
七、古京への叡慮
「伊勢神宮 悠久の歴史 ー近現代 時代の試練を乗り越えてー」, 『別冊太陽』, 208, 2013年05月19日, 平凡社, 近現代における伊勢神宮の歴史、とりわけ式年遷宮制度の展開を、(1)明治維新と神宮、(2)神宮改革と国家的遷宮制度の形成、(3)明治天皇と神宮備林、(4)敗戦・占領と神宮、(5)国民奉賛による式年遷宮、の各節で概観し、近現代の日本人が幾多の試練を乗り越えて遷宮造替を受け継いできた経緯を跡付け、遷宮奉賛の度ごとにわが国の国柄の甦りが齎されてきた所以を論じた。
「伊勢神宮 悠久の歴史 ー近現代 時代の試練を乗り越えてー」, 『別冊太陽』, 208, 2013年05月19日, 平凡社, 近現代における伊勢神宮の歴史、とりわけ式年遷宮制度の展開を、(1)明治
・・・ × 「伊勢神宮 悠久の歴史 ー近現代 時代の試練を乗り越えてー」, 『別冊太陽』, 208, 2013年05月19日, 平凡社, 近現代における伊勢神宮の歴史、とりわけ式年遷宮制度の展開を、(1)明治維新と神宮、(2)神宮改革と国家的遷宮制度の形成、(3)明治天皇と神宮備林、(4)敗戦・占領と神宮、(5)国民奉賛による式年遷宮、の各節で概観し、近現代の日本人が幾多の試練を乗り越えて遷宮造替を受け継いできた経緯を跡付け、遷宮奉賛の度ごとにわが国の国柄の甦りが齎されてきた所以を論じた。
神祇省首脳における「神話」と「維新」-門脇重綾資料を中心にー, 神道宗教, 246, 2017年04月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・国学者であり、維新後は新政府に出仕し、近代の神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。本稿では重綾が起草した意見書及び遺著を紹介し、その神話解釈と国制観の特質を明らかにすると共に、それが近代皇室祭祀形成・国家祭祀形成の一前提を形作るものであることを考察した。
神祇省首脳における「神話」と「維新」-門脇重綾資料を中心にー, 神道宗教, 246, 2017年04月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・国学者であり、維新後は新政府に出仕し
・・・ × 神祇省首脳における「神話」と「維新」-門脇重綾資料を中心にー, 神道宗教, 246, 2017年04月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・国学者であり、維新後は新政府に出仕し、近代の神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。本稿では重綾が起草した意見書及び遺著を紹介し、その神話解釈と国制観の特質を明らかにすると共に、それが近代皇室祭祀形成・国家祭祀形成の一前提を形作るものであることを考察した。
日本 : 近現代 四(一九九六年の歴史学界-回顧と展望-), 武田 秀章, 史学雑誌, 106, 5, 823, 827, 1997年, 公益財団法人 史学会