「門脇重綾『垂統大義』考ー仲哀天皇朝を巡る記述を中心にー」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 125, 6, 1, 18, 2024年06月15日, 國學院大學, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・国学者であり、維新後は新政府に出仕し、津和野藩出身の福羽美静らと共に、近代の皇室祭祀制度・神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。その重綾が遺した未刊の著作が『垂統本義』(鳥取県境港市、門脇家襲蔵)である。『垂統本義』では、淵源たる神代に発し、天武・持統朝の古代国家確立期に至るわが国の歴史の展開が辿られている。
本稿では、『垂統大義』の神代から成務朝に至る記述を跡付けた前稿に続き、とりわけ仲哀朝にけるその論旨を辿り、重綾の歴史観の内実を検討した。以て維新政府の神祇行政担当者が、いかなる天皇観・国体観を抱いていたのかということ明らかにすると共に、明治維新と国学の関連如何の問題についても、聊かの展望を試みた。
「開国と国学」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 123巻, 12号, 61, 84, 2022年12月15日, 國學院大學, ペリー艦隊の来航に端を発する「開国」は、いうまでもなく日本史が迎えた大きな転換点であった。本稿では、開国という新状況に対して、積極的に対応した三人の国学者、すなわち、加賀藩士で平田門の石黒千尋、津和野藩出身の大国隆正、武蔵総社・大國魂神社神職の猿渡容盛を、三幅対としてとりあげた。
三人は、それぞれ出自と流派を異にするとは言え、日本を通り巻く世界の転換を受け止め、ひとしく古典に遡り、そこから現状を捉え直し、あり得べき未来を望み見ようとしていた。開闢以来の危機を、次のステージへのステップとして、前向きに捉えようと試みたのである。彼らの共通点を挙げれば、当時の「異国船打ち払い」の風潮の中で、欧米勢力の接近を肯定的に捉えていた、ということであろう。
ペリー来航と開国は、維新に連なる政治変革を促したという意味において、近代日本の起点でもあった。開国初発の際しての彼らの対応は、維新以降の国民教化政策、祭政一致政策の行く末を、期せずして予告するものでもあったと考えられる。
「神道史から見た国家神道論」, 武田秀章, 『政教関係を正す会会報』, 59, 1, 2022年10月31日, 政教関係を正す会, 筆者はかつて、愛媛玉串訴訟において、高松高裁の供覧に付すための論文を作成した。周知のように、愛媛玉串訴訟は、高裁では合憲とされたが、最高裁では違憲判決が下った。その判決の言わばバックグラウンドのひとつが、いわるる「国家神道への反省」である。言うまでもなく「国家神道」説については多くの批判があり、もはや歴史学界において、従来の通説は通用しない状況となっている。
けれども、「国家神道」なる定言的フレーズは、依然として司法の場やメデイアで通用し、流通し続けているのが、今に至る現状と言えよう。ここでは、近代の神道史の筋道を巡って、従来の「国家神道」説とは異なる視角から、いささかの見通しを示した。以て「近代の神道」が即ち「国家神道」というルーチンな図式の見直しを求めた。る。。
「東京奠都と門脇重綾― 神宮親謁・大嘗祭―」, 武田秀章, 『藝林』70巻2号(通巻286号), 70巻, 2号(286号), 115, 141, 2021年10月, 藝林会, 門脇重綾は、明治三年五月以降、明治神祇官の領袖として活躍した人物である。しかしながら神祇官着任以前、とりわけ行政官弁事奉職中の重綾の動向については、あまり明らかにされてこなかった。そこで本稿では、まず明治元年、重綾が起草した東京行幸・神宮親謁に関わる建白案を紹介し、そこでは「神慮」を根拠として天皇の東京親臨と万国対峙が積極的に意義付けられていることを概観した。ついで明治二年二月の岩倉具視宛建白を紹介、東京奠都・東京での大嘗祭斎行を非とするその存念如何を検討、この間の重綾の政治的な動向も跡付けた。併せてそのような重綾が、史上初の東京大嘗祭の担い手たり得た所以、その独特な「神慮」観を、門脇家所蔵の関連史料を通じて考察した。
「大嘗祭管見―明治大嘗祭から考える」, 武田秀章, 『神社本庁総合研究所紀要』, 25, 139, 174, 2020年06月, 神社本庁総合研究所, 令和の御代替りに際して、主として神道教学の観点から、明治大嘗祭に至る歴代天皇の叡念、神道先人の軌跡を辿った。すなわち、(一)後奈良天皇の遺訓、(二)近世の朝儀再興、(三)光格天皇とその時代、(四)孝明天皇とその時代、(五)王政復古と祭政一致、(六)明治の大嘗祭、以上各章において、時代の試練を乗り越えてわが国の祭祀伝統が受け継がれてきた過程を概観、令和以降の神社界の諸課題を展望した。
「御代替りに関する管見ー「おことば」への道程ー」, 武田秀章, 政教関係を正す会会報, 56, 1, 10, 2020年10月31日, 政教関係を正す会, 令和の御代替りの起点は、平成二十八年八月八日の「象徴としてのお務めについてのおことば」にあった。「おことば」の「国民に寄り添い、国民のために祈るお務め」とは、すなわち天皇の「祭祀における祈り」の大切さと、その継承ということでもあろう。顧みれば、戦戦後、皇室祭祀は、政教分離の関わりで封印され、ともすれば日影に押しやられてきた。陛下は「祈り」の本質的意義を闡明することで、そうした通念に再考を促されたとも言えよう。ここでは敗戦以降の皇室祭祀の歴史を辿り、その已むこと無き祈りの継承が、いかに平成・令和の御代替りへと繋がれていったのか、ということについて、些の概観を試みた。
「御代替りを考える」, 武田秀章, 禮典, 44号, 45, 65, 2020年03月24日, 禮典研究会, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照しつつ、一連の皇位継承儀礼が制定されるに至った。しかしながら、敗戦と占領改革を経て、我が国の国家体制・法制度は、大きな転換を余儀なくされる。本稿では、(一)明治の大嘗祭、(二)「皇室典範」と「登極令」、(三)大正の大嘗祭、(四)昭和の大嘗祭、(五)平成の大嘗祭、以上各章において、あらためて明治から平成に至る大嘗祭の歴史的位置を顧みた。
「近現代の大嘗祭」, 武田秀章, 『悠久』, 158号, 78, 87, 2019年07月25日, おうふう, 明治維新を経て、我が国は近代国家としての体制を整えた。そうした中で、古典古代の制を参照しつつ、一連の皇位継承儀礼が制定されるに至った。しかしながら、敗戦と占領改革を経て、我が国の国家体制・法制度は、大きな転換を余儀なくされる。本稿では、(一)明治の大嘗祭、(二)「皇室典範」と「登極令」、(三)大正の大嘗祭、(四)昭和の大嘗祭、(五)平成の大嘗祭、以上各章において、あらためて明治から平成に至る大嘗祭の歴史的位置を顧みた。
「神祇省首脳における「神話」と「維新」―門脇重綾資料を中心にー」, 武田秀章, 神道宗教, 246, 1, 43, 2017年04月25日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・.国学者であり、維新後は新政府に出仕し、津和野藩出身の福羽美静らと共に、近代の皇室祭祀制度・神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。本稿では、重綾が起草した「神祇省意見」、及び重綾の遺著『垂統大義』を紹介し、その「神慮」と「冥賛」を核心とする神話解釈と歴史観、わが国体を「郡県制」をする国制観を、(一)、門脇家所蔵「案文」と『垂統大義』、(ニ)『垂統大義』における「造化」と「皇統」、(三)『垂統大義』における「造化」の作用、(四)『垂統大義』における国譲り・天孫降臨、(五)天皇統治と「冥賛」、(六)『垂統大義』における崇神朝・景行朝、(七)「成務制郡県」、(八)孝徳朝における「惟神の道」、(九)維新の意義、以上各章において検討、そのユニークな神道思想が、維新の齎した「文明化」に際して国学が練り上げられた神話観・歴史観であること、それこそが明治神祇官・神祇省における皇室祭祀形成・国家祭祀形成の一前提を形作るものであった所以等を考察した。
「明治大嘗祭再考―祭政と文明と-」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 120, 11(通号1351), 204, 221, 2019年11月15日, 國學院大學, 明治四年の大嘗祭は、近代国家形成に際しての、最初の大嘗祭であった。研究史を顧みる時、かつての拙稿を含め、どちらかと言えば大嘗祭を独立的に扱うものが多かった。そこで本稿では、明治大嘗祭の前及び本史を、(一)祭政一致の制度形成と明治大嘗祭、(二)宮中神殿の形成、(三)大嘗祭本儀、(四)国際社会への参画と「祭政」の各章において検討し、明治大嘗祭がいかにこれに先立つ恒例祭祀形成を承けたものであったのか、また明治大嘗祭がその後の即位儀礼形成をいかに準備するものであったのか等の諸点を考察した。
「四時祭典定則成立過程の一考察-『年中行事節会大略』の紹介・翻刻を中心に-」, 『神道学』, 136号, 33, 55, 1988年02月01日, 近代皇室祭祀の範型となった明治四年「四時祭典定則」の成立過程を、(一)神祇官祭祀と「年中行事節会大略」、(二)「四時祭典定則」と宮中祭祀の確立、の各章において論じ、併せて末紹介資料「年中行事節会大略」(宮内庁書陵部所蔵)の全文を翻刻・紹介した。
「ペリー来航と大国隆正」, 『神道学』, 140号, 12, 39, 1989年09月01日, 国学者大国隆正が、ペリー来航を承けて展開した思想活動を、(一)ペリー来航・和親条約締結と嘉永末年・安政期著作の成立、(二)古伝解釈ー天照大神の神意、(三)国体の構造、(四)未来観、(五)見識、の各章において検討、またその発展的歴史観と維新変革とのかかわりについても展望した。
「文久・慶応期の大国隆正」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第64輯, 105, 139, 1989年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 文久・慶応期における大国隆正の思想活動を、(一)安政から文久へ、(二)文久二年の三部作の思想展開、(三)通商条約勅許と「新真公法論」、の各章で概観、津和野派(維新政府における神祇行政担者)の思想的・世界観的背景を明らかにした。
「岡熊臣の神道史観・神職像-『神職暦運考』を中心に-」, 『國學院大學日本文化研究所紀要』, 第68輯, 105, 139, 1991年09月01日, 國學院大學日本文化研究所, 津和野藩国学者、岡熊臣の神道史観・神職像を、未刊資料『神職暦運考』(学習院大学図書館所蔵)に拠りつつ、(一)天神建制・元始開国の治体、(二)律令制の導入と封建制・祭政一致の解体、(三)外教流入(四)岡神職家、(五)御制度回復の兆候、(六)神職像、の各章で考察、ついでその思想と近代神道史とのかかわりについても論及した。
「明治二年九月の加部厳夫建白について」, 『神道宗教』, 157号, 87, 100, 1994年12月01日, 神道宗教学会, 明治二年九月、神祇官官員の加部厳夫が本官に提出した建白(東京大学史料編纂所所蔵)を紹介、その内容を、(一)祭政一致、(二)神武創業、(三)神社・神職行政・神職観、(四)「明治神祇式」制定の課題、の各章で検討、神祇官改革派官員の、明治四年改革に連なる制度改正構想を明らかにした。
「靖国神社・護国神社・玉串料」, 『神社本庁教学研究所紀要』, 1号, 213, 255, 1996年06月01日, 靖国神社・護国神社玉串料訴訟問題の「前提」を再検討、(一)靖国神社・護国神社制度の沿革、(二)戦後の靖国神社、(三)神饌幣帛・玉串・玉串料、の各章において基本的諸事実を跡付けると共に、該訴訟の一争点である「玉串」概念を検討、玉串奉奠と幣帛供進が異なる所以を明らかにした。
「明治諸陵寮設置の一考察」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 22号, 1, 24, 1997年12月01日, 明治神祇官における諸陵寮附属・皇霊鎮祭こそが、近世山陵復興史の帰結であり、その後の神祇官改革・宮中祭祀形成を促す契機であったことを、(一)文久修陵に伴う諸陵寮再興、(二)、明治神祇官への諸陵寮附属構想、(三)諸陵寮の官員構成、(四)近世山陵復興功労者への顕彰措置、の各章で論じた。
「近代の国家祭祀と陵墓」, 『歴史検証 天皇陵』(別冊歴史読本78), 78, 82, 2001年07月01日, 新人物往来社, 近代の国家祭祀形成の一環としての、幕末維新期以降の皇室祖先祭祀・陵墓祭祀の形成過程・展開過程を、(1)王政復古・神武創業と皇霊・山陵祭祀、(2)所在未定陵墓の治定、(3)憲法制定と陵墓治定、(4)皇室祭祀令・皇室喪儀令・皇室陵墓令、(5)戦後の皇室と皇霊・陵墓、の各章において概観した。
「本居宣長の復姓改名と学問形成」, 『神道文化』, 第13号, 45, 58, 2001年10月01日, 神道文化会, 宣長の学問形成への一視点として、本居復姓・宣長改名という出来事に着目しつつ、(1)商家の子としての出生、(2)歌道立志と本居姓復姓、(3)商家の清算と復姓改名、(4)「歌」と「道」、(5)「道の学び」の形成、の各章において、商家の倅として生まれた小津栄貞なる青年が、『古事記』復興を課題とする古学者・本居宣長へと変貌・成長してゆく過程を跡付けた。
「『古事記』神話の一管見-コトヨサシ・オヤ・コ-」」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第36号, 59, 74, 2002年12月01日, 近年の研究動向を批判しつつ、『古事記』神話の展開を、(1)天神諸のコトヨサシ、(2)コトヨサシの継承、(3)国作りの進展、(4)他界の加護、の各章で簡略に跡付け、その基本構図を、いにしえの根源から発した「天神御子」の系譜の無窮性、その枝葉として広がる同族系譜の無限性、「天地初発」以来オヤからコへと継承されてきたコトヨサシの使命の永遠性を語るところにあったと指摘する。
「明治神祇官と初期皇霊祭祀」, 『神道宗教』, 第193号, 1, 35, 2004年01月01日, 神道宗教学会, 明治二年後半から三年半ばにかけての明治神祇官における歴代皇霊祭祀・山陵祭祀の実態を、(1)文久修陵・神武創業と諸陵寮付属・皇霊鎮祭、(2)神武天皇祭・孝明天皇祭・先帝以前三代の式年祭、(3)皇霊鎮祭前後の歴代皇霊祭祀、(4)三帝諡号追贈、の各章で詳細に検討し、神祇官における皇霊祭祀の進展こそが、明治神祇官の実質的役割を決定付けると共に、その抜本的改革を促す機軸的要因として作用していったことを論じた。
「門脇重綾の『神国考』について」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第40号, 169, 179, 2004年12月01日, 門脇重綾は、幕末維新の神職・国学者にして、明治神祇官の行政を主導した神祇官僚である。本稿は、重綾の遺稿『神国考』の全文を翻刻・紹介すると共に、同書の特徴を(1)神国観・国体観、(2)神職の綱紀確立と「法令格式」制定、の各章で概観し、その法令格式制定による神職規律化への志向が、いわゆる「草莽の国学」とは区別される「武士的・法家的理念」に貫かれていることを指摘した。
「明治神祇官政策の一前提-門脇重綾『職道慨言』をめぐって-」, 『神道宗教』, 第200号, 2006年02月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は、福羽美静とともに、明治神祇官の重鎮としてその改革を主導した国学者・神祇官僚である。重綾の幕末期における著作と推測される『職道慨言』には、既に「祭政一致の政体」への復古構想、独自の神社改革構想が示されていた。本書で提起されている諸点、すなわち(1)令制以前に「上古祭政一致の政体」を求める祭政一致観、(2)神仏分離による神社改正、(3)「国家守護の神事」の担い手としての神職改正等々には、いずれも維新に際して、本書の作成者たる門脇重綾らを担い手として、国家的に実施されてゆくことになったのである。本稿では、以上のような観点から、本書『職道慨言』が、門脇重綾の「神祇政策マニフェスト」とも呼ぶべき性格を備えていることを跡付けた。
「安政・文久期における小中村清矩の国学観―明治神祇行政・明治国学の一前提―」
, 『神道宗教』, 204・205号, 1, 29, 2007年01月01日, 神道宗教学会, 小中村清矩は、明治の神祇行政と国典研究の展開を主導した「明治国学」を代表する重要人物である。本稿では小中村の幕末段階における著書『或問稿』の内容を(1)国学の三領域と「上代の学び」・古道観、(2)国学の独立、(3)国学の社会的役割、(4)国学将来構想、の各章において順次検討した。とりわけ終章においては、小中村が「歴朝の事実の学」及び「皇国言詞の学」の組織的研究へと次世代を導く国学将来構想を有していたこと、明治の国学の基本性格・研究領域は、こうした小中村の国学観・国学将来構想にひとつの淵源を有していたこと等の諸点を指摘した。
「近藤芳樹の「防長国学」」, 『國學院雑誌』, 第109巻8号, 2008年08月15日, 國學院大學, 長州藩国学者、近藤芳樹の天保期における国学思想の特質を、(1)国体と神道・儒教・仏教、(2)後三条天皇親政と大江匡房の輔弼、(3)源頼朝の武家政治と大江広元の補佐、(4)毛利家中における国学の使命と芳樹の国郡志編纂、の各章で検討し、その「防長国学」的側面を論じた。併せて長藩の藩祖顕彰政策・天保藩政改革との関連についても指摘した。
「近藤芳樹の荷前復興論」, 『國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要』, 第1号, 2009年03月01日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 長州藩の国学者、近藤芳樹が慶応3年に提起した荷前復興論の特質を、(1)『葬祭考』の成立、(2)荷前復興・年忌停止、(3)芳樹の荷前観、の各章で概観し、その古典に即した制度構想が、「神祇」と「霊神」を共に崇敬してきた伝来の神観念への洞察に発している点を明らかにし、さらに近代の「敬神崇祖」政策との関わりについても考察した。
「維新期における「造化神」観―門脇重綾の造化神論・幽顕論をめぐって」, 『悠久』, 第128号, 2012年08月05日, おうふう, 「維新期における造化三神」に関しては、明治五年の大教院への造化三神奉祀とそのもとにおける布教運動、及びこれに対する島地黙雷ら真宗僧侶の造化神批判・政教分離運動の脈絡から語られることが多かった。この中で、造化三神は専ら平田派の神観に即して理解され、平田派外の造化神観、例えば本居国学系の造化神理解については、比較的等閑に付されてきたのである。
こうした状況に鑑み、ここでは敢えて、従来あまり注目されるこことのなかった平田派以外の造化神観を検討した。すなわち、明治神祇官の祭政一致政策の主導者であった門脇重綾の造化神観と、それに基付く独自の幽顕観を、未紹介資料『垂統大義』の内容に即しつつ、一、天地初発・造化神化成、二、天地剖判・皇統起源、顕幽相関、三、大国主神の国譲りと神避り、四、天皇統治と幽顕の冥助、の各章において考察した。併せて、ここで示された「冥助観」が、明治の祭政一致政策・皇室祭祀形成と、どのような関わりを有するのか、という点についても、いささかの展望を示した。
神道史から見た明治天皇, 『明治聖徳記念学会紀要』, 復刊第49号, 2012年11月01日, 明治聖徳記念学会, 明治天皇は、明治国家の政治的「機軸」として統治権を総攬した立憲君主であると共に、「憲法制定以前」からの我国の国柄を体現する、文化的・社会的「機軸」でもあった。天皇は、祖先を祀り、死者を慰霊し、和歌を詠み、芸能を伝え、いわば悠久の「皇室伝統」の実践者として、生涯にわたって精励したのである。
いうまでもなく、伝統とは、単なる旧慣の墨守にとどまらず、時代時代の「新しい風」に呼応して、不断に更新され、蘇っていくものにほかならない。本稿では、こうした視点から、明治天皇の果たした「文化的・社会的」統合者としての役割、すなわち「カミと文化の領域」における行動の諸相を、以下の各章において跡付け、その意義について考察を試みた。
一、前提―先祖の遺訓
二、幕末の対外的危機と天皇
三、維新創業と天皇の天職
四、穀豊穣の「祭り主」
五、「やまとうた」の王
六、式年遷宮への叡慮
七、古京への叡慮
「伊勢神宮 悠久の歴史 ー近現代 時代の試練を乗り越えてー」, 『別冊太陽』, 208, 2013年05月19日, 平凡社, 近現代における伊勢神宮の歴史、とりわけ式年遷宮制度の展開を、(1)明治維新と神宮、(2)神宮改革と国家的遷宮制度の形成、(3)明治天皇と神宮備林、(4)敗戦・占領と神宮、(5)国民奉賛による式年遷宮、の各節で概観し、近現代の日本人が幾多の試練を乗り越えて遷宮造替を受け継いできた経緯を跡付け、遷宮奉賛の度ごとにわが国の国柄の甦りが齎されてきた所以を論じた。
神祇省首脳における「神話」と「維新」-門脇重綾資料を中心にー, 神道宗教, 246, 2017年04月01日, 神道宗教学会, 門脇重綾は伯耆国会見郡出身の社家・国学者であり、維新後は新政府に出仕し、近代の神祇制度形成・国民教化体制再編に尽力した。本稿では重綾が起草した意見書及び遺著を紹介し、その神話解釈と国制観の特質を明らかにすると共に、それが近代皇室祭祀形成・国家祭祀形成の一前提を形作るものであることを考察した。
日本 : 近現代 四(一九九六年の歴史学界-回顧と展望-), 武田 秀章, 史学雑誌, 106, 5, 823, 827, 1997年, 公益財団法人 史学会
新刊紹介 橋本政宣編『後陽成天皇』, 武田秀章, 「神社新報」, 3688, 6, 6, 2024年07月01日, 神社新報社
神道人・阪本是丸先生, 武田秀章, 神社新報, 2021年05月24日, 神社新報社
阪本是丸先生の訃, 武田秀章, 日本歴史, 3541, 2021年05月24日, 吉川弘文館
「国家創業の英雄を語り継ごう」, 武田秀章, 『明日への選択』, 4, 9, 2017年02月01日, 日本政策研究センター, 日本神話及び日本史上における神武天皇伝承を辿り、その理念的意義を概観した。
書評 池田雅之・三石学編『熊野から読み解く記紀神話―日本書紀一三〇〇年紀―』(扶桑社), 武田秀章, 産経新聞, 2020 7/5号, 2020年07月05日, 産経新聞社
「明治神道人の足跡 門脇重綾」 , 武田秀章, 「神社新報」, 2020-11/19号, 2020年11月19日, 神社新報社, 明治神祇行政を主導した門脇重綾の足跡を、(1)明治大嘗祭と重綾、(2)社家・国学者として、(3)幕末政局参画、(4)新政府出仕、(5)祭政一致、以上各章で概観し、神道史上におけるその歴史的役割を跡付けた。
「令和の御代替りと神武天皇」, 武田秀章, 『 明日への選択』, 409, 4, 9, 2020年02月01日, 日本政策研究センター, 令和の御代替りに際して、御代替諸儀と神話伝承との関わり、とりわけその神武天皇伝承との密接な関りを概観した。
「東京奠都と祭政一致」, 武田秀章, 『埼玉県神社庁報』, 221, 2, 4, 2017年07月31日, 埼玉県神社庁, 明治天皇の東京行幸・武蔵一の宮氷川神社ご親拝百五十年目の節目の年に当り、東京での祭政一致詔渙発・氷川神社親拝に至る経緯を、(一)近世後期の御歴代、(ニ)五箇条御誓文御親祭と大坂行幸、(三)即位新式と東京行幸、(四)祭政一致の勅と氷川神社親拝の各章で辿り、その歴史的意義如何を考察した。
「御代替りに関する管見―「おことば」への道程―」, 武田秀章, 「政教関係を正す会」会報, 56, 1, 10, 2020年10月31日, 政教関係を正す会, 令和の御代替りの起点となった平成二十八年八月八日の「象徴としてのお務めについてのおことば」発出を巡って、そこに至る過程を、(一)敗戦を経て、(二)平成の御代替りにむけて、(四)平成の御代替り、(五)平成の宮中祭祀をめぐる動向、(六)東日本大震災以降、(七)令和の御代替りに向けて、以上各章で概観、政教分離原則との関わりで封印されてきた皇室祭祀の精神的意義についても考察した。
「象徴・祭祀・祈りー象徴としてのお務めについてのおことば」をめぐってー」, 武田秀章, 『國學院雑誌』, 121, 4, 18, 19, 2020年06月, 國學院大學, 上皇陛下の「象徴としてのお務めについてのおことば」(平成二十八年八月八日)を考察、天皇御自らが、象徴的行為のいわば精神的基底として「祭りと祈りが」存在していることを自ら闡明された。その歴史的・精神的意義を些か指摘した。
「五箇条御誓文と日本のまつりごと」, 『代々木』 平成19年12月号, 2007年12月01日, 明治神宮, 五箇条御誓文は、天皇親祭による神々への誓約という形式で煥発され、同日頒布された宸翰と共に、明治国家の事実上の出発宣言となった。本稿では、その歴史的意義を、(1)御誓文をめぐって、(2)皇室の祭りの伝統、(3)公論尊重の国是、(4)宸翰のお呼びかけ、(5)神官のお呼びかけ、の各章において概観した。
「人生の書 『古事記』」, 神社新報, 2007年01月01日, 神社新報社, わが国「最古の物語」として『古事記』の多様な魅力を、(1)言霊の響き、(2)いのちの継承、(3)宣長の呼びかけ、の各節で跡付けた。
書評と紹介 小川原正道著『大教院の研究ー明治初期宗教行政の展開と挫折』, 『日本歴史』, 736号, 2009年09月01日, 吉川弘文館, 小川原正道著『大教院の研究ー明治初期宗教行政の展開と挫折』(慶応義塾大学出版会、2004、8)を書評・紹介し、その研究史的意義を指摘した。
「靖国の祈りは日本の国柄」, 『明日への選択』, 338号, 2014年03月01日, 日本政策研究センター, 靖国神社の宗教的・文化的背景を、(1)「英霊追悼の由来」、(2)「死者を「神」としてお祭りする文化」、(3)「死者に対する考え方は国によって違って当然」、(4)「靖国神社と鎮霊社」、(5)「鎮魂の伝統」、(6)「死者の魂と生者の魂が行き交う祭り」(7)「天皇と国民が戦没者を追悼する国柄」 の各節において、神道学の立場から概観した。結びでは、「近代日本における靖国神社の創祀」は、「古代日本における伊勢神宮の創祀・式年遷宮の立制」にも呼応するような精神史的事件であったのではないか、日本の古代は伊勢神宮を在らしめ、日本の近代は靖国神社を在らしめた、とさえ言えるのではないか、という趣旨の問題提起も行った。
「国家創業の英雄」を語り継ごう, 明日への選択, 373, 2017年02月01日, 日本政策研究センター, 維新期における「神武創業」理念の来歴を、記紀神話、近世思想、歴代天皇の君主意識の各側面から考察、近代国家形成におけるその歴史的意義についても言及した。
東京奠都と祭政一致, 埼玉県神社庁報, 221, 2017年07月01日, 埼玉県神社庁, 明治元年、東京における祭政一致詔煥発、氷川神社親祭に至る経緯を、近世前史に遡って辿り、その歴史的・精神史的意義を考察した。
古事記にさぐる神社のルーツ 古事記の神々と神社, 歴史REAL 古事記, 2017年10月01日, 洋泉社, まず「神道古典としての古事記」について論じ、ついで古事記上巻のアウトライン、及びその皇室や神社との関わりについて概観した。
北白川房子様のお歌, こころは, 29, 2018年03月01日, 全国女子神職協議会, 敗戦後、神宮護持に邁進した北白川房子祭主のお歌を通じて、神明奉仕の道の何たるかを考察した。
『神道史から見た式年遷宮』, 武田秀章, 伊勢神宮崇敬会, 2024年07月01日, 伊勢神宮崇敬会叢書第28輯。第63回式年遷宮のスタートを前にして、古代以来の遷宮史を顧み、遷宮復興に奔命した神道先人たちの存念と行動を辿った。 目次は以下の通り。
一、式年遷宮・大嘗祭・古事記―「和の国柄」の結晶 二、『古事記』の物語とは?―世代から世代へ・国作りの受け継ぎの物語― 三、式年遷宮と大嘗祭と―「日本」を作る祭儀― 四、国内分裂と遷宮・大嘗祭の中絶 五、式年遷宮復興の道のり 六、朝儀再興の道のり 七、明治維新と大嘗祭・式年遷宮 六、戦後の式年遷宮ー北川房子祭主と宮川宗徳― 七、戦後・大嘗祭斎行への道のり 八、令和の御代
『維新期天皇祭祀の研究』, 武田秀章, 法蔵館, 2024年01月15日, 1966年12月23日、神道文化会叢書第21輯(神道文化会)として大明堂から刊行された書籍の文庫本による復刊。
本書は、幕末維新期における天皇親祭祭祀の展開過程を、その過程を主導した最も基本的な動向|文久山陵修補事業(中古以来荒廃に帰していた歴代天皇山陵の復興事業)着手に端を発する山陵•皇霊祭祀の形成と展開——に着目しつつ検討を試みたものである。
本書の考察によれば、近代天皇祭祀の形成とは、(一)幕末、孝明天皇の山陵修補事業によってその基礎が据えられた天皇「追孝」の祖先祭祀が、(二)維新に至り、明治神祇官の改革を経て、天皇親祭のための宮中神殿創祀(賢所・皇霊・天神地祇を奉祀)へと進展してゆく過程であった。
『近代の神道と社会』, 武田秀章, 弘文堂, 2020年02月15日, 西岡和彦、中村 聡、高原光啓、小林威朗、半田竜介、戸浪裕之、永田昌志、中山 郁、佐々木々木聖使、坂井久能、齋藤公太、星野光樹、東郷茂彦、宮本誉士、齊藤智朗、髙野裕基:神社と教育勅語、畔上直樹、黒岩昭彦、上西 亘、神杉靖嗣、佐藤一伯、武田幸也、中野裕三菅 浩二、渡邉 卓、小島伸之、松本久史、藤田大誠、河村忠伸、上野 誠、, そもそも御代替りは時代の節目であった。それは、あたかも国家社会の課題に応えるように行われる。御代替りに伴って、社会が更新され、国家の再編がもたらされる。光格天皇から明治天皇に至る御代替りは、いずれも時代の転換の只中で行われ、新しい時代の胎動を示すものであった。本稿では、近世後期以降の「御代替り」の歴史的展開を、(一)光格天皇大嘗祭とその時代背景、(二)孝明天皇の御代始め、(三)近世社会の変容と次代の担い手、(四)明治天皇の御代始め、(五)明治の大嘗祭、以上各章において跡付け、そこにおける天皇と国家、天皇と国民の関わりを瞥見し、王政復古に至る理路を考察した。
『日本型政教関係の誕生』, 第一書房, 1987年02月01日, 井上順孝、阪本是丸、新田 均、藤井健志, 明治初年において、近代日本特有の政治と宗教の関係が、いかなる集団・人物の関与のもと、いかに形成されていったかを跡付けた論集。武田担当論文では、明治元年・二年の神祇官における津和野藩出身者の活動を、(一)維新政府の成立と神祇事務局、(二)東京奠都と神祇官政策、の各章で検証、近代天皇祭祀形成上におけるその積極的役割を評価した。
『ガイドブック 即位の礼・大嘗祭』, ぎょうせい, 1990年10月01日, 平成の即位の礼・大嘗祭に際して刊行されたガイドブック。皇位継承儀礼の概要、沿革等について解説する。武田は近代における大嘗祭の斎行史を担当した。
『明治神祇官『年忌考』』, 神社本庁教学研究所, 1992年06月01日, 明治神祇官において作成された基礎資料『年忌考』(宣教使に在籍していた国学者らの意見書集・資料集、国立公文書館内閣文庫所蔵)を翻刻・解説し、国家的祖先祭祀制度形成に向けた当時の神祇行政担当者の対立と模索の様相を明らかにした。
『神道事典』, 弘文堂, 1994年07月01日, 最新の総合的神道事典。各領域の概説と用語解説、及び資料編から成る。武田は「明治国家祭祀」「皇霊祭祀」ほかの諸項目を担当した。
『維新期天皇祭祀の研究』, 大明堂, 1996年10月01日, 幕末維新期の天皇祭祀にかかわる九編の論文を編集した研究書。維新期にける天皇親祭祭祀の形成過程を、その過程を主導したもっとも基本的な動向ー文久修陵事業に端を発する山陵・皇霊祭祀の形成と展開ーに着目しつつ、(一)安政五年の三社奉幣、(二)文久・慶応期における神武天皇祭の成立、(三)神武天皇陵修補過程の一考察、(四)孝明天皇大喪儀・山陵造営の一考察、(五)明治元年における先帝祭の成立、(六)明治神祇官の改革問題、(七)明治初年の神祇官改革と宮中神殿創祀、(八)明治大嘗祭前史の一考察、(九)明治大嘗祭の一考察、の各章で論究した。博士学位論文。
『現代神道研究集成(3)神道史研究編(Ⅱ)』, 神社新報社, 1998年02月01日, 戦後の神道研究の主要な業績を網羅した集成。本巻は神道史研究編Ⅱに当たり、武田「神武天皇陵修補過程の一考察」(『維新期天皇祭祀の研究』所収)を収録する。
『國學院黎明期の群像』, 國學院大學日本文化研究所, 1998年03月01日, 内野吾郎、藤井貞文、大原康男、他, 國學院大學創業期の人物列伝。武田は佐佐木高行を担当、(一)政治家としての経歴・欧米体験、(二)保守領袖としての活動、(三)所長・院長就任、(四)財政再建と教学充実、(五)校舎再建・総裁宮奉戴・恩賜金下賜、の各章で佐佐木の人物と業績を概観した。
『神道人の書』, 神社新報社, 1998年05月01日, 寺山旦中、他, 近世から現代まで、代表的な神道人・神社人の書を紹介・鑑賞し、併せてその略伝も掲げた。いわば遺墨による近世・近代神道人物史の試みである。
『神道人物研究文献目録』, 弘文堂, 2000年03月01日, 遠藤潤、西岡和彦、他
『「靖国神社への呪縛」を解く』, 小学館, 2003年08月01日, 大原康男、百地章、他, 靖国神社を巡る種々の予断を解き、同社の実像を探求しようとした共著。武田担当論文では、靖国神社問題を考えるための一前提として、靖国信仰を支えてきたわが国の文化的・宗教的土壌の諸相を、(1)日本人の祖先観と人をカミに祀る習俗、(2)日本人の心に根ざす死生観とは、(3)わが国の「祭祀伝統」の見直しを、の各章で具体的に検討し、「日本人にとって靖国神社とは何か」という課題の一端に迫った。
『日本史文献事典』, 弘文堂, 2003年12月01日, 日本史研究の主要な研究書・研究文献を紹介・解説する事典。武田は自著『維新期天皇祭祀の研究』の解題を担当し、その研究史上の意義について略述した。
『神道史大辞典』, 吉川弘文館, 2004年01月01日, 最新の神道史辞典。従来の『国史大辞典』神道史関連項目を抜粋すると共に、新たな関連項目も追加した。武田は新項目「宮中祭祀」ほか14項目を担当した。
『わかりやすい神道の歴史』, 神社本庁研修所編、神社新報社, 2005年09月01日, 神社本庁の神職養成普通課程科目「神道史概説」教科書。普通過程の学生が神道史を興味深く学修し得ることと共に、神社神道に関心を持つ一般読者が神道史・神道文化に対する認識を深める上での入門書としての役割も目指した。武田は第5章(国学)から第6章(維新~明治期)(戦後)を担当した。
『祭・芸能・行事大辞典』, 朝倉書店, 2009年11月20日
「馬関戦争と下関招魂場の形成」, 錦正社, 2010年03月02日, 山田雄司 今井昭彦 三土修平 中山郁 菅浩二 本康宏史 羽賀祥二 高木博司 大原康男, 馬関戦争に伴う下関招魂場の形成過程を、(1)「防長の国是」と諸隊形成、(2)招魂場の開建、(3)五卿の下関巡検と招魂場訪問、(4)錦小路頼徳の招魂場奉祀、(5)第二次攘夷戦・功山寺決起と招魂場、の各章で跡付け、近代慰霊顕彰施設の一端緒としての歴史的意義を論じた。
「小中村清矩文書・門脇重綾文書の皇霊祭祀関係資料」, 思文閣, 2010年10月15日, 明治神祇官において小中村清矩・門脇重綾が作成した皇霊祭祀関係文書を紹介し、近代皇室祭祀形成にかかわる重要資料として位置付けた。
『プレステップ神道学』, 弘文堂, 2011年05月15日, 本書は大学初年度生向けの神道学入門書。武田は第二章「神々の物語ー『古事記」の世界」を執筆、日本神話のテーマとアウトラインについて解説した。
国学から國學院へ, 國學院大學, 2012年03月31日, 茂木貞純、吉田恵二ほか, 國學院大學における「文部科学省学術研究高度化推進事業オープン・リサーチセンター整備事業」の終了に際して、その総括論文として作成されたものである。本稿は、「そもそも国学とはどのような学問なのだろうか」「国学を校名に戴く本学の使命は奈辺にあるのだろうか」といった問題意識に立ち、まず第一章「国学の源流」において近世初頭に遡り、国学の淵源を、(1)朝廷の歌道振興と古典研究、(2)和歌の伝播・大衆化、の二点に求めた。ついで第二章「国学の展開」では、近世社会におけるその多様な展開の諸相を、(1)国学の形成、(2)自国の学術基盤の形成、(3)地誌編纂(4)式内社の考証と復興、の各節において展望した。ついで第三章「幕末維新期と国学」では、維新の激動を経て、国学者が皇典講究所に結集するに至る過程を、(1)欧米勢力の来航、(2)津和野国学の思想的対応、(3)「祭政一致」の制度形成、(4)和歌の国民化、(5)憲法制定と皇室の動向、(6)皇典講究所の設立、の各節において検討した。第四章「「国文大学」構想と國學院の設立」では、國學院が、山田顕義所長の構想のもと、帝国大学古典講習科の教員と研究成果を吸収し、国史・国文ほか関連諸学によって、「日本」そのものを領域横断的に攻究する「文系総合大学」として構想されたことを、(1)山田顕義の「国文大学」構想、(2)古典講習科と『古事類苑』、の各節で明らかにした。終章では、近世国学の営為、近代国学の試行を承けながら、「日本」を探求する総合学としての国学を再興すべき本学の課題について、いささかの省察を試みた。
「学生と読む古事記」, 武田秀章, 院友神職会静岡県支部総会, 2024年05月13日, 院友神職会静岡県支部
「古事記を考える」, 武田秀章, 東北地区婦人神職協議会設立五十周年記念大会 記念講演, 2024年10月03日, 東北地区婦人神職協議会
「古事記を楽しむ」, 武田秀章, 秋田県神社庁研修所 教養研修会
, 2024年04月19日, 秋田県神社庁研修所(主管 秋田県女子神職会)
「古事記を読む」, 武田秀章, 東京大神宮新年会, 2024年01月15日, 東京大神宮
「神道史から見た明治維新」, 武田秀章, 皇學館大學研究開発推進センター神道研究所公開学術講演会, 2023年07月06日, 皇學館大學研究開発推進センター, 幕末維新の激動の歴史は、なお私どもの興味と関心を惹きつけて已まない。開闢以来ともいうべき世界史の変動に直面した日本人は、「旧弊一洗・諸事御一新」という「グレートリセット」によってサバイバルを図るという、文字通り命がけの決断を行った。そうした改革の起爆剤ともなったのが、「王政復古」「神武創業」の根本理念、すなわち「復古即維新」のダイナミズムだったのであある。
そもそも日本における近代国家形成の際立った特徴は、それが他の立憲国家には稀な、天皇を戴く「祭政一致国家」として形成され、漸次整備されていったことにあった。維新創業に際して、皇室伝統を体しつつその具体的な制度形成に与かったのは、福羽美静・門脇重綾ら神祇官(省)首脳であった。本講演では門脇資料の紹介も心がけながら、明治の国作りとその祭政一致の何たるかを巡って、些かの考察を巡らした次第である。
「学生と読む古事記」, 武田秀章, 日本神話の会(栃木県護国神社)
, 2022年08月24日, 日本神話の会
「明治維新における門脇重綾の功績」, 武田秀章, 國學院大學文化講演会(鳥取県境港市文化ホール), 2015年08月21日, 鳥取出身の神職・門脇重綾が明治神祇官において果たした歴史的役割を、当地伝来の資料を用いて考察した。
「天皇と高山彦九郎」, 武田秀章, 高山彦九郎研究会(群馬県太田市), 2018年02月18日, 「草莽の臣」の先駆者、高山彦九郎の尊皇思想について講演。とりわけその光格天皇との関わりを概観した。
「天皇と明治維新」, 武田秀章, 山口県神社庁講演会, 2018年06月03日, 治維新150年の節目を迎え、維新前史及びその後史の展開を、神道史の観点から顧みた。
「神道史から見た皇位と儀礼」, 武田秀章, 第二十一回 神道文化会講演会, 2020年06月22日, 神道史の観点から皇位継承に伴う諸儀礼を概観した。
「戦後国学研究管見」, 『神道宗教』, 1997年09月01日, 神道宗教学会, 国学研究の動向・主要業績を、(一)戦前の研究、(二)戦後の研究、(三)神道学以外の注目すべき業績、の三側面から検討、併せて今後の研究方向・研究課題についても具体的に提言した。
「戦後の神社」, 『神社本庁教学研究所紀要』, 1998年02月01日, 神社本庁教学研究所, 小堀桂一郎氏・長谷川三千子氏・佐伯彰一氏の基調講演を承け、戦後神社の直面する諸問題、今後の課題等について討論を行った。
司会:神道宗教学会第55回学術大会「国学研究の課題」, 『神道宗教』, 2002年04月01日, 神道宗教学会, 尾藤正英氏の基調講演「本居宣長の思想と現代」を承けて共同討議を行い、従来の国学研究の問題点を点検しつつ、将来の研究課題についても意見交換を行った。
「神道精神と憲法」, 『神社本庁教学研究所紀要』, 2003年03月01日, 神社本庁教学研究所, 田尾憲夫氏・大原康男氏の基調講演を承け、神道の立場から見た現行憲法の問題点について討議した。
司会:神道宗教学会第56回学術大会「神道文化を考える」, 『神道宗教』, 2003年04月01日, 神道宗教学会, 安蘇谷正彦氏の基調講演「「神道文化」と「神道文化学」」を承けて共同討議を行い、従来の神道研究の在り方を総括すると共に、今後の神道文化研究の方向性を展望した。
平成15年度皇學館大學神道研究所公開学術シンポジウム「国学・皇学・神道」, 『皇學館大學神道研究所紀要』, 2005年03月01日, 近世国学・皇学の方法・精神を再検討することによって、神道大学たる國學院大學・皇學館大學の建学の精神・学問の在り方を問い直すことを目的として開催されたシンポジウム(平15.11.23、於 皇學館大學)。武田は「国学」の基調発題を担当した。
「神道研究の新視点-神道と現代への一視点」, 2005年03月01日, 第19回国際宗教学宗教史会議世界大会(於 新高輪プリンスホテル), 現代の国際状況<宗教相克の激発>、国内状況<地域社会の崩壊>の中で、「神道」は自らの位置と役割をどこに求めたらよいのだろうか。従来、こうした問題については、主として文化論的な観点から、神道の多神教的・自然宗教的特質のユニークさが指摘されてきた。しかし、日本の歴史を顧みると、とりわけ危機の時代において、神道が思いのほか大きな役割を果たしていた事実を知ることができる。本発表では、この「事柄の両面」に着目しながら、今後の神道の役割を占ういささかの私見を示した。
「明治維新と神祇政策-神武創業.総罷免・精選補任-」, 2006年01月29日, 國學院大學COE研究集会「近世・近代の神道における持続と変容」(於 國學院大學), 明治維新は、「神武創業」の理念のもと、前近代の身分制・領有制を「旧弊一洗」し、「万国対峙」「四民均一」の新しい国家・社会を建設するための一大変革であった。本発表では、明治神祇官の諸施策を、(1)近世社会と「門閥制度」、(2)王政復古・神武創業、(3)神祇官改革と宮中祭祀形成、(4)神祇官と神職継目問題、(5)明治四年の神社・神職改正、(6)展望-近代と神社・神職-の各節で検討し、従来の「明治神祇官=神道国教化政策」説を逐一批判した。
「明治維新と天皇祭祀」, 2006年09月22日, シンポジウム「国家と祭祀の歴史的展開」(主催:國學院大學21世紀COEプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」 グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」(於 國學院大學)), 日本における国家的祭祀の展開を、古代から近代までを視野に入れて展望するシンポジウム。武田は、「明治維新と天皇祭祀」と題して発表し、幕末維新期における国家祭祀の展開過程を、(1)前提としての近世、(2)王政復古・東京行幸、(3)集権化の模索と神祇官政策、(4)廃藩置県と国家祭祀形成、の各節で検討した。その上で、近代の国家祭祀・皇祖皇霊祭祀の形成を検討するに際しては、天皇の君主意識と不可分の祖先信仰(皇祖皇宗崇拝)を前提とすべきこと、明治四年の宮中神殿(皇祖皇霊奉祀)創祀をその具現化として捉えるべき等々の論点を提起した。司会・千々和到(國學院大學)、阪本是丸(國學院大學)、コメンテーター・井上寛司(大阪工業大学)。
「日本人の霊魂観と慰霊」, 2006年10月28日, 主催:明治聖徳記念学会、共催:國學院大學研究開発推進センター(於 明治神宮参集殿), 日本人の霊魂観と慰霊にかかわる諸問題を検討するシンポジウム。武田は「神道の歴史と靖国神社」と題して講演、(1)日本人の暮らしと祖霊、(2)前近代の「人を神として祀る習俗」、(3)近世における「人を神として祀る習俗」、(4)維新の動乱と東京招魂社の創建、(5)近代の「人を祀る神社」、(6)靖国神社の位置、(7)日本人の霊魂観・祖霊観と靖国神社、の各節において、神道史における祖霊信仰・人神祭祀の脈絡から、近代英霊祭祀の歴史的意義を考察した。司会・阪本是丸(國學院大學)、講演・新田均(皇學館大學)、コメンテーター・中山郁(國學院大學)
講演録:「神道の歴史と靖国神社」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 2007年11月03日, 明治聖徳記念学会, 東京招魂社創建に至る歴史的背景を、(1)日本人の暮らしと祖霊、(2)前近代の人を神と祀る習俗、(3)維新の動乱と東京招魂社の創建、(4)靖国神社の位置、の各章で跡付け、靖国神社の位置・その信仰的意義を、神道史の視点から明らかにした。 平成18年10月28日開催のシンポジウム「日本人の霊魂感と慰霊」(主催:明治聖徳記念学会)における講演の記録。
司会:「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクト 第一回研究フォーラム「皇典講究所・國學院における校史・学術資産研究の問題点」, 2008年12月15日, 國學院大學伝統文化リサーチセンター, 國學院大學の校史・学術資産研究の問題点を探るための第一回研究フォーラム。基調報告は三宅守常氏、秋元信英氏。
「日本の法制度と神道文化」, 『明治聖徳学会紀要』, 2009年11月03日, 明治聖徳記念学会, 現代の神道研究をリードする代表的研究者らが、神道史を貫く「何ものか」の本質を巡って議論を交わしたシンポジウムの記録。武田は司会を担当した。
シンポジウム「日本における霊魂観の変遷ー「怨霊」と「英霊」をめぐって, 2008年02月16日, 國學院大學研究開発推進センター, 近代日本の英霊顕彰制度考察の前提作業として、前近代の霊魂観・怨霊観の諸相を検討したシンポジウム。武田は、神道史の側面から、前近代の「人を神に祀る習俗」と近代の「英霊祭祀」のかかわりについて報告し、パネリストと意見交換を行った。シンポジウム記録は『霊魂・慰霊・顕彰ー死者への記憶装ー』(錦生社、平成22年3月)所収。
国学と國學院, 文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業成果公開企画シンポジウム「国学から國學院へ」, 2011年11月08日, 國學院大學オープン・リサーチ・センター, 文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」成果公開企画シンポジウム「国学から國學院へ」の基調講演。まず近世初頭に遡って国学の淵源を尋ね、ついで近世社会におけるその多様な地域的展開の諸相を眺め、さらに維新の激動を経て皇典講究所・國學院の発足に至る過程も瞥見し、本学建学の精神たる国学の意義と役割を探った。尚、共同討議の発題者は阪本是丸氏・秋元信英氏、コメンテーターは宮地正人氏。
討議「伝統」の形成、「伝統」の未来, 文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」成果公開企画総合シンポジウム 「伝統文化の知恵と実践 ―「伝統」の形成、「伝統」の未来―」, 2011年12月10日, 國學院大學オープン・リサーチ・センター, 文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」成果公開企画総合シンポジウム「伝統文化の知恵と実践 ―「伝統」の形成、「伝統」の未来―」のパネリストとして、同事業第3グループ「國學院の学術資産に見るモノと心」の研究成果を総括し、今後の課題を展望した。尚、コメンテーターは時枝務氏(立正大学文学部准教授)。
シンポジウム「明治天皇とその時代」, 『明治聖徳記念学会紀要』, 2012年11月01日, 明治聖徳記念学会, 明治聖徳記念学会シンポジウム「明治天皇とその時代」(明治神宮参集殿、平成24年7月14日開催)における共同討議の記録。
人霊祭祀とその歴史的意義, 神社本庁総合研究所紀要, 2016年06月01日, 神社本庁総合研究所, 近世における人霊祭祀の形成、及びその近代における展開を概観し、そこにおける霊魂観・死生観の特質を考察した。
近代の皇室制度:その運用と課題, 明治聖徳学会紀要, 2017年11月01日, 明治聖徳記念学会, 公開シンポジウムの記録。とりわけ近代皇室制度の社会的・経済的側面について意見交換を行った。
<座談会>近現代の神葬・墓制と神道文化, 『神道文化』, 35, 神道文化会, 2025年06月30日, 6, 47
<座談会>神道文化学部開設二十年を迎えて, 『國學院雑誌』, 1388, 國學院大學, 2022年12月15日, 1, 19
共同討議「人霊祭祀とその歴史的意義」, 『神社本庁総合研究所紀要』, 21, 神社本庁総合研究所, 2016年06月
討議「近代の皇室制度 : その運用と課題」, 明治聖徳記念学会紀要, 54, 明治聖徳記念学会, 2017年11月
共同討議「天皇と御代替 : 朝儀復興から近代皇室制度へ」, 『神社本庁総合研究所紀要』, 24, 神社本庁総合研究所, 2019年06月
人物評伝:「孝明天皇と戸田忠至」, 『不二』, 47巻3号, 1992年03月01日, 戸田忠至の推進した山陵修補事業が、孝明天皇の信託に応えようとするものであったことを、忠至関連の資料(回想・遺言等)を用いて考察した。
概説:「明治維新と神祇制度」, 『悠久』, 第58号, おうふう, 1994年07月01日, 40, 51, 維新期以降の神祇制度の形成、その変容過程の実態を、(1)皇室祭祀の形成、(2)神社制度の形成、(3)教化政策の転換と祭祀・宗教の分離、(4)神祇官興復運動、の各章で概観した。
概説:「改暦令と祭日の変更」, 『悠久』, 第63号, おうふう, 1995年10月01日, 54, 70, 明治初年の旧暦から新暦への転換が、皇室祭祀・神社祭祀にどのような影響を与えたかを、(1)改暦令、(2)改暦令と祈年祭・新嘗祭・神嘗祭、(3)新暦祭祀と「季節」の乖離、(4)新暦祭祀と旧暦祭祀の乖離・並存、の各章で検討した。
学界展望:「1996年の歴史学界-回顧と展望 近現代」, 『史学雑誌』, 第106編5号, 史学会, 1997年05月01日, 161, 165, 平成9年度の主要な日本歴史関係の研究論文を紹介・論評する特集号。武田は近代の宗教史・教育史関連の論稿を担当し、併せて近年の研究傾向ついても批判的に言及した。
概説:「国家祭祀の古儀と復興-「国家神道」異見-」, 『不二』, 第52巻9号, 1997年09月01日, 32, 38, 近世・近代の国家祭祀制度復興の動きを、(1)近世の朝儀再興、(2)民間の神祇復興運動、(3)「国体の安危と天皇祭祀」(4)「近代の朝儀再興」、(5)昭和の朝儀再興、の各節で概観し、通説的な「国家神道」観を批判した。
概説:「まつりとうたと」, 『東神』, 737号, 1999年01月01日, 7, 11, 天皇の「祭祀者」としての使命が、「やまとうたの王」としての使命と密接な関連にあることを、(1)祭りの淵源、(2)やまとうたの由来、(3)勅撰集の伝統、(4)歴代の御悲願、(5)和歌と古典の浸透、(6)祭りによる統治、(7)うたによる統治、等の各節で概観した。
討論発題:「神道史から見た靖国神社」, 『講演・シンポジウム・勉強会記録集』, 靖国神社崇敬奉賛会, 2001年05月01日, 80, 93, 全体討論「靖国神社の起源・歴史・意義」(同記録集所収)に向けた基調発題。靖国信仰を、日本のオーソドックスな宗教史・神道史の流れの中に位置付けることを目途として、そのバックグラウンドとしての特有の神観念・死生観・永世観等の特質を、(1)皇室における「カミ」、(2)地域社会における「カミ」、(3)武士における「カミ」、(4)維新の国作りと「カミ」、(5)明治国家のこころ、の各章において順次考察した。
座談会:「近世の神道思想と国学」, 『神道文化』, 第13号, 神道文化会, 2001年10月01日, 18, 44, 上田賢治、安蘇谷正彦、西岡和彦、松本丘、松本久史, 国学及び近世の神道思想に関わる諸論点、今後の研究課題・研究方法等についての討論と意見交換。
概説:「The Japanese View on Ancestral Spirits」, 神社本庁, 2002年01月01日, 外国人向けの英文リーフレット。靖国神社問題を考えるための前提として、広義の「日本人の暮らし」から培われた独特の神観念・霊魂観・祖先観の特徴を具体的に紹介した。付録として原文も収録。
概説:「皇位と皇位継承の基礎知識」, 『日本の女帝』(別冊歴史読本04), 新人物往来社, 2002年03月01日, 223, 233, 古代から近現代に至る皇位継承・皇位継承儀礼の変遷を、(1)皇位継承と神器継承、(2)皇位継承の展開、(3)皇位継承儀礼の展開、(4)近代の皇位継承とその制度、(5)戦後の皇位継承、の各章において略述した。
概説:「神道古典に見る教え」, 『大法輪』, 69巻6号, 2002年06月01日, 88, 93, 『古事記』『宣命』に示された「よさし」「みこともち」の理念、及びオヤからコへの「継承」の思想を、神道的な発想のエッセンスとして位置付けると共に、それが現代の神社界でいかに継受されているかということについても言及した。
概説:「大穴牟遅神の物語」, 『大洗磯前神社社報』, 第16号, 大洗磯前神社社務所, 2005年01月01日, 2, 3, 『古事記』における大穴牟遅神の物語を、(1)大穴牟遅神、(2)兎を救う、(3)天上の加護と復活、(4)根の国の試練、(5)国作りと天上・地上の加護、の各節で概観し、この神の国作りの統領としての脱皮・成長が、他界からの諸力によって齎されていることを指摘した。
概説:「神武建国と明治創業」, 『かしはら』, 第143号, 橿原神宮庁, 2005年07月01日, 3, 4, 明治維新が「神武創業」の理念を背景としたことはよく知られている。本稿では、神武建国伝承と神武創業理念との関わりを、(1)古典に見る神武天皇、(2)神武天皇陵の復興・初代天皇像の復活、(3)明治建国と神武創業の各節で概観し、独特の「復古即維新」観の特質を考察した。
概説:「日本人にとって靖国神社とは何か」, 『明日への選択』, 第235号, 日本政策研究センター, 2005年08月01日, 4, 9, 日本社会における祖霊観・慰霊の習俗の展開を跡付け、わが国における慰霊が「祭祀」と切り離せない所以を指摘し、その観点から靖国神社祭祀における戦没者慰霊の意義を論じた。
講演録:「神宮式年遷宮の本義-戦後遷宮史管見-」, 『しんせいれん』, 11号, 神道政治連盟東京都本部, 2006年11月01日, 6, 12, 伊勢神宮の式年遷宮史を、(1)遷宮のおこり、(2)中絶と復興、(3)敗戦と遷宮、(4)神宮制度問題と国費支弁問題、(5)平成の御替りと遷宮、(6)遷宮の本義、の各節で概観した。とりわけ戦後遷宮史・国民奉賛史の歴史的意義を、神宮創祀・遷宮立制の根本義との関わりおいて考察し、併せて今後の課題も展望した。
講演「明治維新に学ぶ」, 2010年06月26日, 國學院大學院友会神奈川県支部(会場鶴岡八幡宮)における講演。 講演要旨 幕末維新の激動の歴史は、今日もわれわれの興味と関心を惹き付けてやみません。この時期は、国家存亡の危機の只中、「古い日本」が倒れ、「新しい日本」が立ち上げられていった変革期でした。その「破壊と建設」の過程は、上は朝廷・諸藩から、下は全国の草莽・名もなき庶民に至るまで、全国民総参加のもとで推し進められていったのです。明治維新という「国家的・国民的サクセス・ストーリー」の理路を顧みることは、来るべき「日本のよみがえり」への手立てを考えることにも繋がってゆくのではないでしょうか。ここでは、維新に至る波乱の歴史の筋道を、そこで活躍した多様な諸勢力、多彩な登場人物の動きに即して、あらためて辿り直してみたいと思います。
皇室伝統を一身に体現された明治天皇 , 『明日への選択』, 第329号, 日本政策研究センター, 2012年09月01日, 明治天皇崩御百年に際してのインタビュー記事。明治天皇が果たした文化的・社会的な役割について、1,歴代天皇の遺訓、2,祭祀と和歌の継承と発展、3,農業王としての天皇 4,皇祖皇宗の遺訓と立憲君主、5,日露戦争と天皇、等々の側面から解説した。
「皇室の家訓」と明治天皇, 『史』, 第95号, 新しい歴史教科書を作る会, 2012年11月01日, 昨今、明治天皇についての研究は、愈々活況を呈していると言える。そこでは、かっての「専制君主」「絶対君主」的理解は既に過去のものとなり、明治天皇を、議会政治という国際標準システムを取り入れた、一種モダンな「立憲君主」として位置付ける研究が主流となりつつあると言えよう。これらの研究は、当初は飾り物で、粗野で未熟でもあった天皇が、徐々に議会政治を理解し、立憲君主として「成長」していく過程を、ひとしく跡付けてゆく。 しかしながら、天皇は、その背後に、近代以前からの「わが国の歴史と文化の総体」を背負う存在でもあった。明治天皇を論ずる際には、その「背後に負うもの」に視線を注ぐことも、また大切なのではないだろうか。ここでは、こうした観点から、明治天皇が抱かれた「政治思想」の特質を、1,前提としての「歴代の遺訓」2,宮中三殿の形成と「祖先の祭り」3,「日本のかたち」の模索、の各節において考察した。
座談会「学部開設10周年を巡って」, 『國學院雑誌』, 113巻3号, 國學院大學, 2012年11月01日, 『國學院雑誌』神道文化学部開設10周年記念号の座談会。学部の10年間を回顧し、今後の課題と展望についても語り合った。
講演「古事記の神々」, 北海道新聞社, 2012年06月09日, 講演要旨 世界のさまざまな民族や文化は、それぞれの「神話」を伝えてきました。各地の人々は、「この世界はどのようにして始まったのか」「自分たちはどこから来て、どこへ行くのか」等々の「永遠の問いかけ」について解き明かす「神々の物語―神話」を、アルカイックな想像力を羽ばたかせながら語り伝えてきたのです。 日本では、『古事記』『日本書紀』によって、わが国の成り立ちを語る神話伝承が伝えられています。あたかも本年は、『古事記』編纂以来、千三百年目の節目の年に当たります。ここでは、あらためて日本の「根っこ」にある「神話」の語り伝えに耳を傾け、そこに一貫する「神々による国作りの継承」の筋道を探っていきたいと思います。
講演「神話・天皇・祭祀」, 牛久市立中央図書館, 2013年01月31日, 講演要旨 現在、天皇は、憲法によって「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」として位置付けられています。しかしそれと同時に、天皇は、「憲法制定以前」からの、わが国の歴史と伝統の体現者でもありました。この講座では、従来ともすればタブー視されることの多かった「神話」と「祭祀」の側面から、天皇の姿を見つめなおしていきたいと思います。一、日本国憲法における天皇 二、日本の神話が語る天皇のいわれ 三、「三種の神器」とは? 四、皇位継承と神器継承・大嘗祭 五、恒例の季節祭(四時祭) 六、古代国家の解体、新しい国家形成の模索 七、幕末の「国体の安危」と天皇 八、明治維新と天皇 九、帝国憲法発布と宮中三殿奉告祭 十、農業王・祭り主としての天皇 十一、敗戦 十二、新皇室典範の制定―神器継承・大嘗祭の削除― 十三、平成御代替わりの神器継承・大嘗祭 十四、平成の新嘗祭
「御製と神道文化」, 『神道文化』, 第25号, 神道文化会, 2013年06月30日, 天皇御製と神道文化の関わりを討議した共同討議。武田は、歴代天皇が「やまと歌の王」であると共に「五穀豊穣の祭り主」であったという視点から、御製に祭り主としての天皇の祈りの心が端的に示されていることを、個々の御製を通じて具体的に指摘した。また戦国期の歴代天皇の「歌道振興」「朝儀再興」の悲願が、近世以降の庶民層への歌道普及、諸祭儀復興の実現を齎し、同時にそれが近代日本の文化統合・国民統合の基盤を培う意義をも有するものであったことも論じた。
講演「明治維新と五箇条の御誓文」, 明治神宮 至誠館, 2014年06月21日, 「五箇条の御誓文」は明治新政府の出発宣言である。講演では、御誓文「万機公論」条を培った幕末維新の波乱の歴史を辿り、「公議輿論」政治の実現を模索した先人の苦闘の跡を辿った。併せて、天皇と「公」の関わり、「天皇の祭り」とわが国の「まつりごと」との関わりについても、いささかの考察を巡らした。
講演「明治天皇と明治の国作り」, 明治記念館(明治神宮 至誠館幹事会), 2014年12月21日, 幕末の動乱から帝国憲法制定に至る政治過程を概観し、天皇奉戴によって推進された「明治の国作り」の歴史的意義を再考した。